2012年3月31日土曜日

●虚子

虚子


岸本尚毅 俳句月評:虚子への関心(毎日新聞 2012年3月25日 東京朝刊)より
(…)深見けん二編『高浜虚子句集・遠山』(ふらんす堂)は膨大な虚子の句から四百余句を抽出し、俳人虚子のエッセンスを伝える。昨年は若手執筆者(最年少は一九八七年生まれの生駒大祐)による『虚子に学ぶ俳句三六五日』(草思社)が出た。

虚子の「大寒の埃の如く人死ぬる」について深見は「大寒」の「兼題(句会で出題される俳句の題…岸本注)で想をめぐらしているうちに出来た句である」と言う。同じ句を『虚子に学ぶ…』は「『大寒』という題に合わせ、大喜利の答えのように詠まれた可能性が高い。そう思うと、このアンチヒューマニズムの句、同じ句会に出句の<大寒の見舞に行けば死んでをり>とともに、一同爆笑の、ジョークに近い句だったのかもしれません(上田信治)」と評する。言い方こそ違え、「埃の如く人死ぬる」の冷徹さの向こうに題詠の遊び心を見出(みいだ)した点は深見編『遠山』と『虚子に学ぶ…』の虚子理解は共通する。(…)


2012年3月30日金曜日

●金曜日の川柳〔佐藤みさ子〕 樋口由紀子


樋口由紀子








カサコソと言うなまっすぐ夜になれ


佐藤みさ子 (さとう・みさこ) 1943~

はじめてこの句を目にしたときはびっくりした。表現が巧みというのではなく、このような端的な表現があったのだと思った。言葉の選び方も句の仕立て方もいままで見たことのない川柳だった。

誰にあるいは何に向かって言っているのだろうか。たぶん、自分に向かってであろう。「カサコソ」とは落葉を踏むときの擦れた乾いた音。自分の裡にある得体の知れないもの、説明つかないもの、どうすることもできないものがじっとしておれなくて「カサコソ」と音を立ててしまう。「まっすぐ夜になれ」とはおとなしく素直になってくれとの希いだろう。しかし、そう希いながらも、その音の存在こそが自分そのものであることを作者は知っている。

黒板の馬を足から消していく〉〈あおむけになるとみんながのぞきこむ〉『呼びにゆく』(あざみエージェント 2007年)所収。


2012年3月29日木曜日

●可憐な日 中嶋憲武

可憐な日

中嶋憲武


先日連続テレビ小説を観ていたら登場人物たちがカレーを食う場面があり、それが頗るおいしそうだったし、テレビのなかのひとたちも「旨し旨し」と言いて食べていたので、これは今夜はカレーっきゃないでしょと即断し、その日いちにちは頭のなかはカレーのことで一杯でなにしろ「俺にカレーを食わせろ」by筋肉少女隊状態だったので頭のなかが黄色い黄砂となっているだった訳だ。訳です。

夕飯はカレー夕飯はカレー。遊んでようよカレーが出来るまでと言ったコマーシャルソングスかと思えば、カレーってなんで辛いかわかるか?学生?えっ?カレーからだよ。わっはっはっは。のような台東区清川で道路の線引きのアルバイトの際の労務者の叔父さんのギャグ?などを思い出し、いそいそとカレーを作りました。そんな俺の勢いに恐れをなしたのか、ランちゃん(三毛猫。この間咳をしていたので医者に連れて行って検査してもらったらなんでもないと言われてほっとひと安心)が障子の陰から、明子ねえちゃんのように、そっと台所の俺を見ていたし。

カレーと言うと瞼に思い浮かぶあのシーン。むかしと言っても1971年頃、NTVで「3丁目4番地」というドラマやっていて、絶世の美女だったころの浅丘ルリ子主人公、下宿屋の長女であり、職業はディスクジョッキー、当時はパーソナリティという言葉は流布していなかったのだな、母親は森光子で、下宿人に寺尾聡、黒沢久雄、原田芳雄など。テーマソングはビリー・バンバンの「さよならをするために」だったか。で、カレーのシーンなんですが森光子と浅丘ルリ子、寺尾聡、黒沢久雄などが夕食のカレーを食べ終わって、なにか揉めている。と、そこへ天気予報士の原田芳雄が帰ってきてカレーを食い始める。ロクさんと呼ばれていたかな。みんなが揉めているなか、原田芳雄が「すいません、カレーお代わり」と言う。かなりみんなヒートアップしてくるなか、原田芳雄「すいません。お代わりいいですか」と3杯くらいお代わりする。このシーンが妙に記憶に残っていて、カレーはお代わりする食べ物と刷り込まれて現在に至り、冒頭の連続テレビ小説のなかでも、現にそういうセリフがあって僕も夕飯のカレーをお代わりしたのです。だって美味しいんだもん。俺のカレー。

毎日3食カレーでも全然大丈夫っすよ山口果林

2012年3月28日水曜日

●ホース

ホース

汲取のホース蠢く木槿かな  林 雅樹〔*〕

草市に出入りのホース踏んでゐる  中原道夫

牛冷すホース一本暴れをり  小川軽舟

部屋の中ホースが通り天高し  滝沢無人

罪のごとホースで縛し糞尿車  田川飛旅子


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年3月27日火曜日

●アンソロジー第4弾?『赤い新撰21』 上野葉月

アンソロジー第4弾『赤い新撰21』

上野葉月


3月23日の晩、西原天気さんのところへHaiku Drive+週俳・ナマ放送『生駒大祐卒業記念番組!』Ustream配信の見学に行った。実は見学でも参加しに行ったのでもなく、サンドウィッチが食べられるという話なので寄らせてもらったのだった。近所のおじさんが空腹を満たしに来たというだけである。基本的に俳句とはまったく関係のない話。「お前は腹が減ると他人様の家に行くのか?」と問われれば即座に「No!」と答えられないのはまことに残念である。

配信の方は嘘のように順調(ちょうど3時間で終わった)で、単に見学しているだけの私はもっぱら悪魔のように飲み食いするだけである。


第二部「俳句世間・このごろの案件」では昨今の俳句世間での案件の話になる(≫当該アーカイヴ動画)。

詩客連載中の赤い新撰「このあたしをさしおいた100句」(第1回)で予告されている「10回連載の最終回はとんでもない爆弾」とは一体どんなものであろうかという話題にもなった。

西原生駒上田の三氏がそれぞれ予測を述べる。

私はただの見学者で他に豪華ゲストもいることなので黙って聞いていたのだが、以前からこの「とんでもない爆弾」とは御中虫責任編集によるアンソロジー第4弾!『赤い新撰21』2012年12月発売!という告知だろうと勝手に信じていたのですが。

違うんでしょうか?

お三方の予想は違いましたね。


番組全体の印象は生駒くんの受け答えの優等生ぶりはすで芸の域に達しているのではないかというものでした。配信の終わりのほうでは結局、天気さんに話を振られてどうでもいい発言をしてしまいました(ずうっと黙っていればそれなりに格好がついたのに残念)。

2012年3月26日月曜日

●月曜日の一句〔喜田進次〕 相子智恵


相子智恵








午後になつたらてのひらだらけ山桜  喜田進次

句集『進次』(2012.2/金雀枝舎)より。

意味が取りにくい句ではあるが、心を去らない句である。

山桜の花の白さと、手のひらの白さ。五つの花びらと、五つの指。たくさんの手を振るように、たくさんの桜の花が揺れる……山桜と手のひらは似ているように思えてきて、それが奇妙な味わいを醸し出す。

桜の開花予報が出ているような、うららかな春の日の午後。一斉に咲くのははたして、山桜なのか。それともたくさんの手のひらなのか。白昼夢でも見ているような気分になる。

この句集は俳句はもちろん、頻繁に出てくる短文にも心を掴まれる。一句一句の面白さだけではなく、この句集は「本を読む楽しさ」を与えてくれるのだ。詩集との二冊組である。

『進次』は、遺句集だ。私は喜田進次をこの句集で知った。

この人が、いまや亡き人であることが、それはもう、たいへんに惜しい。


2012年3月25日日曜日

〔今週号の表紙〕第257号 ドック 橋本直

〔今週号の表紙〕
第257号 ドック

橋本 直



実家から数分のドックで春の新造船がでていたので、撮ってみました。

鉄の塊から船がだんだんできて、やがて沖に出て消えてゆくのは、いいものです。この船も今ごろはどこかを航行中でしょう。

このドックは川の河口にあり、対岸から撮影しています。造船所はいろいろ危険なところなので、当然公的には入っちゃいけないんだけど、それって子どもにはいけって言われているようなもの。本当に死ぬかもしれないんだけど、子どもなりにそれを自覚しつつ、鉄格子なんかを越えてよく侵入していました。鉄屑の大山にのぼってあそんだり、そこで得物を拾って闘ったり、溶接のスパークがめっちゃかっこよかったり。

今思えば、グラウンドでキャッチボールするのと同じような感じでそんなところで遊んでいたのは、贅沢なことだったのかもしれません。


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2012年3月24日土曜日

●二一二句会〔2012年春〕結果発表

二一二句会〔2012年春〕結果発表


※青字が選んだ人、太字が特選

どこの俺  鈴木牛後  

トドの妻  六番町  露雨遊

音を着る  遊起  

蕎麦を断つ  千代  

母の嘘  恵  

降るは花  上野葉月

声が雲丹  山田耕司  志央六気葉

雪の地図  中塚健太  ら恵

桃が憑く  羽田野令  恵健千気葉

肉の人  天気  

浮標に雪  山崎志夏生  

糞藻梅
  央太

母へ匙  露結  春牛遊葉

螺子も春  沖らくだ  春志央雨気

椀の底  雨森

蘂も飛べ  小川春休


Gagaに疑義  中塚健太  

茄子が好き  上野葉月  健千

海に母  千代

蟹の腋  志夏生  露恵雨六耕

角に椅子  鈴木牛後

桐に駅  羽田野令

鶏に用  小川春休  ら健

姉の腋  恵  

蛇へ父  露結  

春ぞ浮子  央太

春の兄  雨森  

葱で待つ  山田耕司  志央恵六気

鳩がない  沖らくだ  

腹の牛  六番町  恵千遊

母は気化  天気  

露のぽぽ  遊起  


Fadoの穢土  志夏生

いぬのゐる
  羽田野令

トムて誰  天気  志露恵

駅はワニ  山田耕司  

芥子のへそ  遊起

亀の七  央太  健

襟に神  雨森  令耕

妻が空  露結  

指の禁  小川春休  

時を死ぬ  千代  

振るや葱  上野葉月  春ら露牛気

駄々が漏れ  六番町  

韮でぶつ  恵  露六

風へ鶴  鈴木牛後  央遊気

北の湖  中塚健太  

蜷の連れ  沖らくだ  春雨耕


2012年3月23日金曜日

●金曜日の川柳〔松江梅里〕 樋口由紀子


樋口由紀子








命まで賭けた女てこれかいな


松江梅里

「これかいな」とふと口から出たつぶやきが川柳で生きる。生きるや死ぬといって大騒ぎした相手が「これかいな」とは、思わず笑ってしまう。「これかいな」しか言ってないのに、なにもかもわかり、言い尽くしている。みんなが納得するような美人でも聡明な人でもなかったのだ。人の好みはさまざまである。だから、世の中はおもしろく、うまくまわっていく。

下五へのつなぎとしての「て」が絶妙に効いて、リズムもテンポもよくなる。「て」で感情をうまく描写した。「の」「は」「が」ではそうはいかない。そして、表面にぐいぐいと大阪弁が押し出される。川柳は関東に比べて関西の方が元気なのは大阪弁効果のせいかもしれない。ほんまの大阪弁を話す人がこの句を披講すれば、その味は倍増するだろう。なんともいえぬおかしみを醸し出している。


2012年3月21日水曜日

●Haiku Drive+週俳・ナマ放送のお知らせ

Haiku Drive+週俳・ナマ放送のお知らせ

生駒大祐卒業記念番組!
323日(金)19:00から3時間(予定)の生放送(Ustream)。

出演:生駒大祐、上田信治、西原天気、ほか豪華ゲスト(?)

当日、本誌(⇒≫http://weekly-haiku.blogspot.com/をご覧ください。

2012年3月20日火曜日

〔今週号の表紙〕第256号 電車、自動車、バケツ 小川春休

〔今週号の表紙〕
第256号 電車、自動車、バケツ

小川春休


海が見える温泉に行きたいなどと、先日七歳になった吾子が言うので、鷲羽山に行くことにした。

どうせ直行してもチェックインまで間があるので、倉敷の街をぷらぷらしていると、こんなものが。観光地は毎日が静かなお祭りなので、こんな誰が買うとも知れないものが平然と売ってあり、時たま誰かが本当に買うのだろう。経済は不思議だ。

吾子も数年前までは、電車に目がなかったものだけれど、今ではすっかり興味を示さない。あれほど憶えていた特急列車の名前も、きっと忘れてるんだろうな。いや、南海ラピートぐらいは、憶えてるかな。憶えててほしいな。


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2012年3月19日月曜日

●月曜日の一句〔櫂未知子〕 相子智恵


相子智恵









料峭や玩具のやうな犬が過ぎ  櫂 未知子

『俳壇』4月号「玩具」(2012.4.1/本阿弥書店)より。

明日は彼岸。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、今年の春はなかなか暖かさが感じられない。晴れた日でも春風の寒さを指す〈料峭〉という季語が、ぴたりとくる日が多い。

さて掲句。〈玩具のやうな犬〉って、たしかにいるいる、と思う。トイプードルのような小型の飼い犬だろう。「トイ」という語がまさに「玩具」なのだが。

きっとこの犬は、飼い主に洋服を着せられていたり、ぬいぐるみみたいな感覚で可愛がられているのだろう。ペットのための洋服や誕生日ケーキ、乳母車のようなバギーなど、最近は犬のためのグッズも華やかだ。

そんなおもちゃみたいな犬が、散歩だろうか、ちょこまかと通り過ぎていった。そこに、冷たい春風が吹く。なんだか脱力する風景だが、そこに作者の冷ややかな眼差し、批評性が感じられてくる。

2012年3月18日日曜日

●二一二句会〔2012年春〕投句一覧

二一二句会〔2012年春〕投句一覧


どこの俺

トドの妻

音を着る

蕎麦を断つ

母の嘘

降るは花

声が雲丹

雪の地図

桃が憑く

肉の人

浮標に雪

糞藻梅

母へ匙

螺子も春

椀の底

蘂も飛べ

Gagaに疑義

茄子が好き

海に母

蟹の腋

角に椅子

桐に駅

鶏に用

姉の腋

蛇へ父

春ぞ浮子

春の兄

葱で待つ

鳩がない

腹の牛

母は気化

露のぽぽ

Fadoの穢土

いぬのゐる

トムて誰

駅はワニ

芥子のへそ

亀の七

襟に神

妻が空

指の禁

時を死ぬ

振るや葱

駄々が漏れ

韮でぶつ

風へ鶴

北の湖

蜷の連れ



6句選(特選◎1句、並選5句)でお願いします。

選句・選評はこの記事のコメント欄に書き込んでください。
コメントの書き込み方

コメントの名義欄に俳号を記入ください。その俳号を「選句一覧(結果発表)」の際の作者名として掲載いたします。

選句に簡単な選評を添えてください。

【表記例】
○山と川
~~~~~~~~~~~~

◎兄と姉
~~~~~~~~~~~

※整理の都合上、句の順番は清記の順のままお願いします(特選を上に持ってくる等しないでください)。

選句期限 2012年322日(木)24:00

※不明点・確認は天気まで(tenki.saibara@gmail.com

それでは選句をお楽しみください。

2012年3月17日土曜日

●戦車

戦車

野を縦に戦車が行けり夢始め  田川飛旅子

犀がすき戦車はきらひ春の草  南十二国〔*〕

夾竹桃戦車は青き油こぼす  中村草田男


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年3月16日金曜日

●金曜日の川柳〔山川阿茶〕 樋口由紀子


樋口由紀子








男皆阿呆に見えて売れ残り


山川阿茶 (やまかわ・あちゃ)

私のまわりにもたくさん該当者がいる。しかし、「男皆阿呆に見えて」では決してない。相手がどうのではなく、結婚しようという意識が希薄で、結婚をする必要がないだけのようである。

阿茶は大正八年に今の東京女子医大を卒業し、更に京大医学部の選科に女子として初めての勉学を続けた才媛で、生涯独身であったらしい。だから、こんな川柳を詠んだのだろう。

当時は現在のように世間も親も独身の女性に寛容ではなかっただろう。結婚しなかったというこだわりがこのような川柳を詠ませたような気がする。現在の女性は生き方を選択ができる。阿茶が今に生きていたなら、私のまわりにいる女性のようにもっと伸び伸びと過ごし、自分のことを品物のように「売れ残り」なんて言わなかっただろう。


2012年3月15日木曜日

●寿司

寿司

コンベヤを寿司過ぎゆける日永かな  林雅樹 〔*〕

すし売りものり売りもきて暮遅き  井上井月

鮨食うて皿の残れる春の暮  桂信子

末枯をきて寿司だねの光りもの  波多野爽波

寿司もくひ妻の得し金減り易し  林田紀音夫

寿司桶に降り込む雪の速さかな  太田うさぎ 〔*〕


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年3月14日水曜日

●見えない

見えない

初蝶を見し目つぶつて神見えず  田川飛旅子

連翹の黄のはじきゐるもの見えず  後藤夜半

金魚死なせし透明の金魚鉢  津田清子

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声  松尾芭蕉

透明な沖の残光青バナナ  河合凱夫

遭難死だが透明な彼は机に  五島高資

流木のついに見えない下の手よ  折笠美秋

蒲の穂の濡るゝも雨は眼に見えず  森田 峠

父の亡き大寒やただ透明に  相馬遷子

顔はまだ見えず真白の服の人来る  篠原梵


2012年3月13日火曜日

●二一二句会〔2012年春〕のお知らせ

二一二句会2012年春〕のお知らせ


二一二俳句とは

2音+1音+2音(計5音)からなる俳句です。

無季はアリ・字足らず字余り厳禁。

活用語尾や接頭語を1音と数えるのはナシです(×赤い鼻 ○赤の鼻 ×おコメくれ ○コメをくれ)。

過去の二一二句会〔参考〕
≫第1回 投句一覧・コメント欄に選評  ≫点盛りと作者一覧
≫第2回 投句一覧・コメント欄に選評  ≫点盛りと作者一覧

投句数 おひとりさま 3

投句はメールにて 天気宛て tenki.saibara@gmail.com 

投句締切 2012年317日(土)24:00

手順 投句後に投句一覧を当サイト(ウラハイ)にアップ。その折、選評ついてご説明(選評期間は3~4日程度。選評の遅延は厳禁)。

2012年3月12日月曜日

●月曜日の一句〔鴇田智哉〕 相子智恵


相子智恵








ふるへる電線冬ざれの野をよぎる  鴇田智哉

『俳句』3月号「自然を詠む、人間を詠む 新作2句」(2012.2.25/角川学芸出版)より。

ふつうの風景句ならば「冬ざれの野をよぎっている電線が、(寒風か何かで)震えている」という風景を眼前に見せてくれることになるのだが、この句はそれだけでは読めないところがある。

まるで電線が生きもののようにブルブル、ビリビリと寒そうに震えながら、蛇のように伸びて、冬ざれの野をよぎってゆくようにも読めるのだ。それが不思議と読者の心にひっかかりを残す。

震災から一年ということで組まれた特集の一句であることを思えば、〈電線〉という一語にも考えさせるものがある。

しかしこの句はただ、この句だけを読めばよいのだろう。冬ざれの、色の失せた野をビリビリと震えながら伸びてゆく黒い電線を思えば。

冒頭のような「実の風景」とも読め、しかしながらそれだけではない、心の中で奇妙な生物のように育ちゆく、荒涼とした「虚の風景」が心の中をざわつかせる。

俳句には「実」を詠んでその尊さに改めて気づく豊かさもあるが、「虚」の世界もまた、俳句を飛躍的に豊かにする。そしてこの句は、その両方を含んでいるのである。


2012年3月11日日曜日

〔今週号の表紙〕第255号 壁 笠井亞子

今週号の表紙〕
第255号 壁

笠井亞子


最近ますます「経年変化が現れているもの」を好ましく思う。

歳のせいといわれればそれまでだが、どうして、若いころから好きだったのである。サビの色合いや枯葉の刻々変色して行く様子、雨ざらしになった木の風合いなど。コンクリートの建物だって、ひび割れ変色してしまったたたずまいの方に惹かれる。

写真の建物は、清澄あたりを散歩中に遭遇した、ちょっとアールデコ的装飾の付いたビル。いかにも人の手が「つなぎました」という感じの電線と、ひび割れを埋めたような線、窓枠や装飾レリーフなどのいろいろが、古びたコンクリの肌理にのって、なんだか絶妙なバランスではありますまいか? メーターを乗せた木の板がまたいい味なんだなあ。


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2012年3月10日土曜日

〔今週号の表紙〕第254号 鉄線花は鉄線より強し 依光陽子

今週号の表紙〕第254号 鉄線花は鉄線より強し

依光陽子


わが家のベランダ。たぶん100種類くらいの植物がありますが、花より葉モノ、木の類が好きなので色的にはあまり華やかではありません。

右から多肉植物が3種。大きい鉢は鉄線花。鉄線花って剪定が難しいんです。冬になると枯れきってさもしい景色になるので、根元からバッサリやりたい衝動に駆られるけれど絶対に剪ってはダメ。ガッチリとそこここに絡みついた蔓は指で簡単に折れますが、芯のところを見ると緑色。つまり枯れたフリをしているだけ。その蔓の節々から春、いま頃になると必ず芽を出す。その底力に思わず叫んでしまいます。根元には、これも毎年の、はこべらが咲きます。

その左はガジュマル(鉢しか映っていませんが)。買ったときは10cm位だったものが今では1m位になりました。この頑強な〈精霊の宿る木〉は福島原発事故以来、どうも調子がおかしい(これ本当)。

鉄線花の鉢に置いたハガキはアンリ・カルティエ=ブレッソン。大好きな写真家の一人です。一時期本気で写真の道を考えたこともあったのに、デジカメを持っていないため携帯で撮りました。やはり写真はいいなぁ。目下、トイデジ研究中。

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2012年3月9日金曜日

●金曜日の川柳〔大友逸星〕 樋口由紀子


樋口由紀子








眼鏡屋が死んで一・五に戻る


大友逸星 (おおとも・いっせい) 1924~2011

アイロニーは川柳の大きな武器である。そのアイロニーを上手く取り入れている。この句は眼鏡屋が死んでしまって、世の中も何もかも見えなくなって、悲しくなったという、情に訴えるパターンの川柳ではない。

眼鏡屋が死んだことは眼の方でも心得ているのだ。だから、ちゃんと視力を一・五に戻してくれる。眼鏡屋が居たから〇・五ぐらいだったのだ。人生はなんとかなるものであり、人間はなんとかして生きてきた。人はそのときの状況や器に合わすことができてしまう。眼鏡屋なんていくらでもあると野暮なことは言わないでください。

3月11日に仙台で川柳杜人社主催の大友逸星と添田星人の追悼句会がある。二人とも頑固でやさしかった。〈女の子が一人寺からついて来る〉。ついて来た女の子たちとよくけんかしていた。その女の子たちが中心になって追悼句会は開かれる。『なまけもののうた』(1990年)所収。


2012年3月8日木曜日

●春のしくみ

春のしくみ

2012年3月7日水曜日

●盆梅

盆梅

盆梅を置くや彼方に在るごとく  依光陽子〔*〕

盆梅が満開となり酒買ひに  皆川盤水

愛の巣が丸焼け盆梅残りたる  中原道夫

〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年3月6日火曜日

●江戸川

江戸川

江戸川や月待宵の芒船  一茶

枸杞の実の赤し江戸川近く住む  河東田素峰

江戸川や金魚もかかる仕掛網  依光陽子〔*〕


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年3月5日月曜日

●月曜日の一句〔中村和弘〕 相子智恵


相子智恵








泥の縄見え元朝の水の底  中村和弘

『俳句』3月号「驀進」(2012.2.25/角川学芸出版)より。

〈泥の縄〉は泥を被った縄のことだろう。どんな縄かは知らない。何かに結んであった縄が落ちたか、捨てられて水底に沈んだのかも、わからない。

この句は一瞬、泥まみれの縄という美しくないものを主体に詠んでいるかに見える。が、それが〈水の底〉であることで、一気に美しい一句となる。

なぜなら、水底の泥の中にある堆積物の〈泥の縄〉まで見通せる水とは、濁りなく澄んだ水だから。言外に「水の透明度」という美を詠んでいる。

〈元朝〉という新年の季語はめでたさを含み、清澄な水のほうを詠めば重ねてめでたくなりすぎる。水の美しさをそのまま詠むのではなく、〈泥〉で逆説的に美を感じさせた。その匙加減が絶妙だと思う。


2012年3月4日日曜日

●壺焼

壺焼

壺焼に啜れと降るか花の雨  尾崎紅葉

壺焼やいの一番の隅の客  石田波郷

壺焼やこの人は磨けばひかる  田中裕明

壺焼の貝の角より出る煙  依光陽子〔*〕


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年3月3日土曜日

●雛祭

雛祭

蝋燭のにほふ雛の雨夜かな  加舎白雄

旅人ののぞきてゆける雛かな  久保田万太郎

箱を出て初雛のまま照りたまふ  渡辺水巴

夕刊が早く来てゐる雛の日  細見綾子

白き粥かがやく雛の日と思ふ  桂信子

2012年3月2日金曜日

●金曜日の川柳〔平賀胤壽〕 樋口由紀子


樋口由紀子








生きるとはにくやの骨のうずたかし


平賀胤壽 (ひらが・たねとし) 1947~

川柳には一章問答という、一句の中で問答を完結する書き方がある。この句も「生きるとは」の問いに「にくやの骨のうずたかし」と答えている。表では肉を買う人があり、裏にはうず高く積まれた骨がある。が、実際はうず高く積まれた骨を見ることはない。見えないものを描写している。

テレビで「あなたは、あなたが食べたものでできている」というコマーシャルが流れていた。人は生き物を殺して生きのびてきた。多くのものの犠牲の上に私たちの生が成り立っているのだと今更ながら思う。

平賀胤壽は根付作家である。先日、京都の清宗根付館(せいしゅうねつけかん)に行ってきた。象牙で作られた「舞天」をはじめ胤壽の作品がいくつも展示されている。どれも精緻で美しく、見ているだけでうっとりとした。『生きるとはにくやの骨のうずたかし』(こうち書房 1995年)所収。


2012年3月1日木曜日

〔link〕震災句集

〔link〕震災句集

≫外山一機 俳句時評 第39回 羞恥について
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_haiku/2012-02-03-5642.html

≫高山れおな 日めくり詩歌 俳句 六十六番 震災句集
http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2012-02-24-6220.html

≫togetter(ツイッターまとめ)「震災句集」(長谷川櫂)をめぐって
http://togetter.com/li/258146