2017年7月28日金曜日

●金曜日の川柳〔三上玉夫〕樋口由紀子



樋口由紀子






いつだって客を待たせるカエル売り

三上玉夫

「カエル売り」って、そのような商いが実際にあるのだろうか。検索したがわからなかった。あるかないかわからない商売なのに、「カエル売り」は客待たすだろうと確信した。

「カエル売り」はきっとカエル問屋から仕入れるのではなく、客の要望があってから、店主自らがカエルを捕まえてくるのだろう。店で飼っていたら弱ってしまう。元気なカエルをその都度、裏の田畑や川に行って捕まる。カエルの種類は多く、すばしこい。客の要望通りのカエルはなかなか見つからない。だから、客の方も最初から待つのは了承済みなのだ。なんとものんびりした商いだ。「カエル売り」を勝手に想像して、楽しんだ。「おかじょうき」(2013年刊)収録。

2017年7月26日水曜日

●水曜日の一句〔折勝家鴨〕関悦史


関悦史









梅白し死者のログインパスワード  折勝家鴨


ネットでときどきネタになっているのを見かけるが、自分の死後、パソコンの中味を見られたくないという人はかなりの割合いるはずで、その場合、パソコンの中身は自分の嗜好や性癖にまつわる恥ずかしいあれやこれやということになるはずなのだが、この句の場合、「梅白し」と、死者を悼むにふさわしい季語が合わせられていて、そういった軽躁感にはつながらない。

それ以前にこれがパソコンのログインパスワードであるとは限らない。iPadや、ネット銀行の類である可能性もある。

さらに「死者」という漠然とした語彙があえて選ばれていて、「亡母」「亡父」「亡き子」「亡き友」といった語り手との関係を窺わせる要素がここにはない。

関係が明示されない漠然とした「死者」、その「死者」に合わせるに「梅白し」という過不足のなさ。最大公約数的な語彙ばかりが選ばれ、一種の抽象化を被った句である。

そして当のログインパスワード自体も、どういう性質の言葉が選ばれていたのかは全く明かされない。好きな人や好きな作品の類であったのか、それともどこから拾ってきたのか故人とのつながりが見当もつかない謎の単語であったのか。その上に、そのログインパスワードが明かされて目の前にあるのか、それとも判明せず遺族はログインできないままになっているのかも定かでない。

それら全ての違いを無化してしまい、その上に、人の生死とログインパスワードが直結する現在の世界、及びそのなかでの「ログインパスワード」だけを抽出したのが、この句なのである。抽象化し、脱色の限りを尽くしているので、「白し」は動かしがたいだろうし、「梅」でも咲いていなければひどく無機的な抽象となっていただろう。写実における手抜きや、通俗的感傷への埋没と紙一重の抽象ぶりで描かれた句を、最終的に梅の白さが覆いつくす。この抽象と植物的生命感との茫漠たる融合はオキーフの絵画に一脈通じる。


句集『ログインパスワード』(2017.4 ふらんす堂)所収。

2017年7月25日火曜日

〔ためしがき〕 季と季題についての試論  福田若之

〔ためしがき〕
季と季題についての試論

福田若之


季語といい、季題という。かつて、僕は季語という語を季題という語よりも好んだ。それは、俳句は原則として言語をその素材とすると信じていたかつての僕の、じつに形式主義的な考えにかかわってのことだった。当時の僕にとって、季語は俳句の素材の一部であり、したがって、それはたしかに語であると考えられたのだ。

しかしながら、語というと、それは通常、意味するものとして理解される。たとえば、団扇が夏を意味する、といった具合に。 しかしながら、このことが、いまや僕には疑わしく思われてならない。それは、季ということを考えるに至ってのことだった。

夏はくりかえされるが、この夏はくりかえされない。季とは体感される差異と反復の真理そのものである。季は、自ら差延することを通じて、ほかのあらゆるものを差延のもとで思考するようにうながす。たとえば、《夏はあるかつてあつたといふごとく》(小津夜景)の「ごとく」に着目することで、こうしたことは理解されるだろう。そして、このように考えるとき、たとえば、ある句において団扇という言葉が用いられるとき、それが季とかかわりを持つのは、概念としての夏一般を意味することによってというよりは、むしろ、たったひとつのある夏を指し示そうとすることによってであるように思われる。

すると、季語という言い方がはなはだ不充分であるように思われてくる。季語というと、あたかも、季を意味する言葉であるかのようだが、実際には、季語はそうした言葉として働いているわけではないのだ。団扇という言葉は、その意味するところとは別に、そのつど、たったひとつのある夏を指し示そうとすることによって、季とかかわりをもつのである。

僕たちは、季題という語における題という字の意味を、主題すなわちテーマという意味で理解することに慣らされてきたように思う。それは句の主題としての「季のもの」(虛子)だというわけだ。 しかし、そうではなく、この題という字を、表題すなわちタイトルという意味で捉えかえすことはできないだろうか。表題とは、一般に、何か固有のものを指し示すために掲げられるものである。僕は、この意味で、季題という語を用いたい。季題とは、くりかえされることのないある固有の時間を指し示そうとする題としての言葉なのである。時間を指し示そうとするという点で、それは時計に似ている。

しかし、固有の夏を指し示そうとすることが、すなわち、季を指し示すことであるのかといえば、そうではない。固有の夏を指し示そうとすることは、あくまでも、季とかかわりをもつことにとどまる。季は直接に指し示すことができるものではなく、むしろ、僕たちの指し示そうとする行為をつうじて、その前提として遡及的に把握されるのである。

季題と季のこうしたかかわりは、もしかすると、法と正義のかかわりに似ているところがあるかもしれない。法は、正義の存在を前提としつつ、自らを正義にかなうものとして提示し、自らの力によってまさしく正義をこそ現前させようとするのだが、それにもかかわらず、そしてそれゆえに、決して正義そのものには到達しえない。季題は、季の存在を前提としつつ、自らを季にかなうものとして提示し、自らの力によってまさしく季をこそ現前させようとするのだが、それにもかかわらず、そしてそれゆえに、決して季そのものには到達しえないのである。だが、季の存在は、正義の存在と同様に、ただ信じられるものであるのみにとどまらず、確かなものとして感じとられる性質のものである。この意味において、おそらく、季とは不可能なものの経験なのである。

無季俳句と季のかかわりについても、ここから理解される。正義へ向けた歩みが必ずしも法的なものでないのと同じように、季へ向けた歩みはかならずしも季題によってのみなされるわけではない。無季俳句もまた、季とのかかわりを持ちうるのである(ただし、ここで季を正義に喩えることは、季こそが正義であるとか、ましてや、それ以外は俳句の正義に反するとかいうことを示唆するものではいささかもないという点には注意してほしい。無季俳句においても季とのかかわりこそが唯一重要なことがらであるというような考えは、おそらく妥当ではない。とはいえ、書くことは体感される差異と反復の真理なしにはありえないだろう。その限りで、ひとがそれを重要と考えるかどうかにかかわらず、書かれる俳句は季とかかわりをもたざるをえないように思われる)。

ところで、この法と正義のメタファーは、もうひとつ重要なことを示唆している。すなわち、歳時記ないしは季寄せと呼ばれるものは、しばしば、俳句を読み書きするうえでの法にあたるものと考えられがちであるが、実際にはそうではなく、むしろ、それぞれの法ごとに項目立てされた判例集にあたるものなのだ。歳時記における季題の解説と例句は、季題の解釈と運用の実例にほかならない。法そのものと個別の判例とを取り違えることは、法を運用するうえできわめて危険なことであるはずだ。歳時記によって知ることができるのは、あくまでも、季題の解釈と運用の歴史にすぎない。

2017/7/21

2017年7月24日月曜日

●月曜日の一句〔家藤正人〕相子智恵



相子智恵






みんなあの虹を見てゐる僕でなく  家藤正人

「僕でなく」(「俳句」2017.8月号 角川文化振興財団)より

「僕」に注目が集まる時など、普通に生きていればそれほどあるものではない。せいぜい会議等で発言・発表する時くらいのものだろう。(芸能人や教師など見られる職業なら別だが)。

それでも、それよりもきっと虹の出る回数の方が少ないわけである。めずらしさやありがたみ、美しさにおいて虹にかなう「僕」などなかなかいないだろう。

窓から虹が見えているのか、それとも外にいるのか、みんなと僕の関係などは分からないながら、それでも「あ、虹だ」と誰かが言えば、皆そちらに一斉に注目して、消えるまでのわずかな時間を美しさに見惚れている、その時間の止まり方はよく分かる。たとえそれが「僕」の発言中であったとしても。

一読、自意識過剰な句に見えながら、読後にふっと寂しくも明るい笑いが漏れてしまうのは、「みんな虹を見ている。それは僕ではないけれど、そりゃあ、そうだよなあ」というようなメタ認知の気配が句から感じ取れるからで、そこに明るさがある。その気配がどこから来るかといえば、下五にオチのように置かれた〈僕でなく〉の、この語の位置にあると思うのである。もし、この〈僕でなく〉が上五であったなら、どうにも息苦しい句になっていただろう。

2017年7月21日金曜日

●金曜日の川柳〔出口とき子〕樋口由紀子



樋口由紀子






あきらめてゆらりと豆腐桶の中

出口とき子 (でぐち・ときこ)

豆腐が桶の中を沈んでいく様子が見えるようだ。豆腐はまっしろで、やわらかく、口当たりもよく、それでいて自分の味がしっかりとある。それにしても豆腐はなぜあのように悟りきったように、落ち着いて沈んでいけるのだろうか。けれども、私(作者)は豆腐のようになれない。「あきらめる」ことも「ゆらりと」することもできないのだとつくづく思う。

わかっていてもなかなかできないことがある。見習いたいけれどなかなかできないことがある。おさまらなければならないのにおちつけない。いつもじたばたあくせくしてしまう。自分自身に向かって言い聞かせているのだろう。〈夫がある子もあるモデルガンもある〉〈この街に馴れて口紅買いにゆく〉〈終日をテレビの前の卑怯者〉 『合同句集 鷗たち』(1988年刊 編集工房円)所収。

2017年7月19日水曜日

●水曜日の一句〔横沢哲彦〕関悦史


関悦史









クリスマスカクタス次女はフリーター  横沢哲彦


「クリスマスカクタス」は「蝦蛄葉仙人掌(しゃこばさぼてん)」と物としては同じらしい冬の季語だが、単語としての印象はかなり違う。

一方「フリーター」という語も喧伝され始めた当初と今とではその含意がかなり違っている。「フリーター」の語が、拘束されない自由な新しい生き方という肯定的な意味合いで使われた時代もあったが、今は不安定な身分というややマイナスの意味に取る方が一般的だろう。次女がフリーターとなれば、親としては先行きが心配かもしれない。

ところが句の雰囲気は妙に明るい。しばしば俳句に不向きともいわれるカタカナ言葉同士が一句のなかでからみあうことで「フリーター」が詩的に昇華されているからである。「蝦蛄葉仙人掌」が硬く軽快な響きの「クリスマスカクタス」にならなければならなかった理由がここにある。「次女」によって若い女性のイメージを帯びた「フリーター」の語までが「クリスマスカクタス」と同様に、何やら明快で華やかなものに変わってしまうのだ。

もう一つのポイントは「は」によって、句の語り手がモチーフ「次女」から一度距離を取ってしまっていることである。これは使いようによっては、見得を切って名乗りをあげているような馬鹿馬鹿しさや、あるいは高みの見物じみた鈍感なもっともらしさにも通じてしまうのだが、この句においてはそれが「次女」と「クリスマスカクタス」の相関が想起させる愛情のようなものによって相殺されている。

そこが、親がどうにか出来ることでもないと思いつつ、温かく見守っているという心理的距離や心情を窺わせる。そしてその心情が当然まとうべきべたつきを、カタカナ言葉のからみあいが灰汁抜きしているのである。

結果としては、フリーターである次女がその辺のサボテンと同列に扱われて軽んじられているようにも見えるのだが、そこが無神経さや適当な無関心といった家族間の微細な行き違いを漂わせつつも、フリーターである次女を句中において花へと変容させることにもなっている。


句集『五郎助』(2017.6 邑書林)所収。

2017年7月18日火曜日

〔ためしがき〕 生駒大祐「例句が一句も出てこない俳句論 ver.0.0.1」についてのノート 福田若之

〔ためしがき〕
生駒大祐「例句が一句も出てこない俳句論 ver.0.0.1」についてのノート

福田若之


ウェブサイト「poecri」で、生駒大祐「例句が一句も出てこない俳句論 ver.0.0.1」(以下、「ver.0.0.1」と略記する)が配布されている。

まず確認しておきたいのだが、配布スペースの説明に「正式版」が後日発表されることが示唆されているとしても、この文章は無限に書き改められることを前提としているように思われる。 「ver.0.0.1」の、このヴァージョンの記載は、まさしくそうした前提をあからさまにするものとして読まれる(仮にver.1.0.0が「正式版」と呼ばれることになるとしても、その後、ver.1.0.1以降が書かれる可能性はつねに残るだろう)。そうでなければ、なぜ、「ver.0.0.1」などというあからさまに未完成の段階でこれを公開しなければならないことがあろう。実際、3章はまだ各節の見出ししか書かれていない。それさえ、あるとき書き換えられてしまうかもしれない。4章以降に至っては、その計画があるのかどうかさえわからない。この状態で、いったい何を読めばよいというのか。

問いかけてはみたものの、その答えははっきりしている。「ver.0.0.1」を読めばよいのだ。だから、読もう。「例句が一句も出てこない俳句論 ver.0.0.1」においては、次の三原理によって、俳句が定義される。
俳句は言語によって表現される(言語原理)
俳句は過去のある俳句に対する継承性を有する(継承原理)
俳句はある表現対象に対して最適な形で構成される(最小作用原理)
ひとまず、俳句を定義することそれ自体の妥当性は抜きにしておこう。書き手は、これ以降、あくまでもこの定義において俳句を語るだろうし、その限りにおいて、たとえば、表題の「例句」なり「一句」なりという語は、おそらくそうした俳句の定義の範囲内での「例句」か「一句」にすぎないことになるだろう。その議論にひとまずは乗ってみよう。「ver.0.0.1」を信じてみよう。すると、ただちにいくつかの疑問が生じるのだが、ここではとりわけ「ver.0.0.1」に次のとおり書かれている問いに着目したい。
継承原理は多くの言語表現の中から俳句を峻別する際に非常に有効な原理であるが、ある本質的な矛盾を内包する。すなわち「帰納的に考えた時に、最初の俳句は如何なる定義でどのように生まれたのか」という疑問(矛盾)である。
この問いに対する「ver.0.0.1」の答えは、次のとおりである。
結論から言えば俳句の場合は幸運にもこの矛盾を回避できる。俳句は初期値が比較的明らかな文芸であり、正岡子規が俳諧から発句を独立させて俳句と名付けたという時点を持って俳句の初期値を与えることは可能である。もっと言えば、俳句は自然発生的に形成された文芸ではなく、ある時点に意志を持って作られた文芸であるという点が特徴的な部分であり、本論の基盤をなしている事実認識である。
到底、にわかに納得できるものではない。子規が俳諧から発句を独立させた時点をもって俳句の初期値とすることの歴史的な妥当性を問うまでもない。「最初の俳句」が子規その人のものであったのかどうかは、ここでは本質的な問題ではない。重要なのは、ただ一点である。すなわち、仮に「最初の俳句」が「意志を持って作られた」ものであるとして、そのほとんど神的な創造者を「正岡子規」と呼ぶことにした場合、その「正岡子規」が最初に俳句と名付けたその俳句は、本論における俳句の定義に合致するものなのか、という点だ。つまり、「正岡子規」が俳句と呼んだものに対する継承性を有することは、ほんとうに、本論における俳句という語の定義にもとづいて、「過去のある俳句に対する継承性を有する」ことになるのか、という点である。

僕の考えでは、そうはならない。なぜなら、この「最初の俳句」なるものがもしあるとするならば、それが実際に子規によるものであったにせよそうではなかったにせよ、それは明らかに継承原理を満たしていないからである。「最初の俳句」は最初の俳句ではないということになる。これでは、矛盾がまったく解消されていないのだ。

もっとも、このことについては、解決策がいくらかありうる。以下に、その四つを示す。

第一の解決策は、継承原理を撤回することである。つまり、背理法的に、継承原理の矛盾をもって、この原理それ自体が誤りであるというように思考を修正して展開していく向きがある(思うに、もっともつまらない解決策だ)。

第二の解決策は、「最初の俳句」なるものの仮定を撤回して、俳句の起源を問うことをあきらめることである。俳句にははじまりなどない、それはつねにすでにはじまっていたのだ、と考えるということだ。この場合、究極的には、宇宙の誕生自体が俳句でなければならないことになるだろう。つまり、宇宙の誕生は何らかの言語による表現であって(「ver.0.0.1」によれば、「言語とはある体系的な伝達媒体の中で、再現性を持つものを指す」)、過去の数かぎりない他の宇宙の誕生に対する継承性を持ち、しかも、最少の手数で引き起こされるのだと、信じることが必要になるだろう(ひとつの信仰として、悪くない)。

第三の解決策は、やはり「最初の俳句」なるものの仮定を撤回して、俳句なるものはつねにすでに来たるべきものにとどまる、と考えることである。つまり、このような定義における俳句はいままで一度も書かれたことなどなく、したがって、継承原理を満たす可能性が閉ざされている以上、今後も俳句が現に書かれることはないだろう、と考えるということだ。これは、たとえば、高柳重信の考えとも一脈通じるところがあるように思う。1976年2月の『国文学』を初出とする「俳句形式における前衛と正統」において、重信は、「たしかに子規の予言によれば、新しい俳句形式の運命は明治を過ぎること幾許もなく尽きるであろうとされていたが、いまや俳句は、その長からぬ寿命が尽きかかっているのかもしれない」とした直後、段落を変えて、次のとおり続けている。
だが、そうだとすれば、この作品の存在に先んじて命名されたに等しい俳句形式は、いったい俳句そのものに本当にめぐりあったことがあるのであろうか。もしかすると、遂に一句の俳句作品に出会うこともなく、 その終りを迎えてしまったのではないかと、なぜか、ふと思われてくるのである。その場合、俳句形式の運命は、まず発句もどきに始まり、多くの俳句もどきを残しながら終ったことになるであろう。それは如何にも空しい軌跡のように思われるが、もともと俳句形式は、そういう絶望的な不毛さを運命づけられていたと考えるならば、むしろ当然の帰結であったろう。
(高柳重信「俳句形式における前衛と正統」、太字は原文では傍点)
重信のこうした直観的な記述を、「ver.0.0.1」の記述に照らし合わせながら、書かれるテクストが「継承原理」を満たすことが原理上ありえないがゆえに、ひとは俳句そのものには決してめぐりあえないのだという論理に読み変えていくことは可能かもしれない。重信は、前述の文章のなかで、「ver.0.0.1」と同じく子規を新しい詩型としての俳句の提唱者としたうえで、「だから、厳密に言えば、このとき、いまだ俳句は一句も存在せず、いわば既知なる発句に取り囲まれた状況の中で、俳句にかかわる諸問題が論じられつつあったのである」と述べていた。つまり、「ver.0.0.1」の記述をこの第三の解決策を講じて書き換えた場合、それは重信の提示した俳句史観とすくなくとも見かけ上は驚くほど合致するものとなることが予想されるのである。

第四の解決策は(おそらくこれが「ver.0.0.1」が暗黙に前提としていることなのだろうが)、俳句の定義自体にあらかじめ他なるものの可能性へと開かれたかけがえのなさを導入することである。つまり、この俳句の定義はそもそも一般的に適用できるものではないということを認めることである。それによって、継承原理を撤回することも、「最初の俳句」なるものの仮定を撤回することもなしに、なおかつ子規のいう俳句と「ver.0.0.1」のいう俳句との齟齬を是認しながら、俳句なるものの実在を認めることができるようになる。ただし、この場合、俳句の定義は他者にとってはまったく別のものである可能性を、受け入れなければならない。それは、たとえば、明日には俳句の定義がまったくの別物になっているかもしれないという可能性を、つねに認めつづけることにも通じている(もしかすると、それゆえの「ver.0.0.1」なのだろうか。先に書いておいたとおり、「この文章は無限に書き改められることを前提としているように思われる」)。そして、この場合には、一見科学的な客観性を担保するかのようなエクリチュールさえもが、一般的なものとしての俳句の定義(そんなものがもしありうるとすればだが)を確認するための記述としてではなく、俳句が「私にとって」いかなる価値をもっているのかを示すための(あるいは、結果としてそれを示してしまわずにはいない)パフォーマンスとして理解されることになるだろう。つまり、生駒大祐にとっての俳句の価値は、すくなくとも彼自身にとっては、表面上は「私」を排した科学的なエクリチュールによって表現されなければならない何かなのだ、と。

僕が思いつかないだけで、ほかにもこの矛盾を解消する方法があるのかもしれないが、いずれにせよ、僕にとっては、第四の読みがもっともこのテクストを豊かなものにするように感じられる。この後、生駒大祐の思考はどのように展開していくのだろう。僕の関心は、彼の提示する俳句の定義それ自体よりも、むしろ彼の思考の展開へと向けられている。

2017/7/16

2017年7月17日月曜日

●月曜日の一句〔逆井花鏡〕相子智恵



相子智恵






揚巻も浴衣で通る楽屋かな  逆井花鏡

句集『万華鏡』(雙峰書房 2017.06)

歌舞伎の芝居小屋の楽屋。『助六縁江戸桜』に出てくる花魁、三浦屋揚巻役の役者が浴衣で過ごしている。他ではあまり見たことのない、面白い浴衣の風景だ。

歌舞伎役者は夏に限らず、楽屋では浴衣で過ごすようにも思うので季感は薄いものの、見るからに重くて暑苦しそうな花魁の衣裳を脱ぎ、浴衣ですっすっと身軽に通り過ぎる姿はいかにも涼しげである。

「揚巻なのに浴衣である」という落差によって生まれるやや俗っぽい諧謔も、人事句ならではの味わいを強めている。

古格のある人事句、といった風情の一句だ。

2017年7月14日金曜日

●金曜日の川柳〔中村冨二〕樋口由紀子



樋口由紀子






みんな去って 全身に降る味の素

中村冨二 (なかむら・とみじ) 1912~1980

ほんの一昔前、どこの家庭の食卓に卓上醤油の横に赤いキャップの味の素があった。いままで食卓を囲んでいた人たちがみんな帰ってしまい、寂しくて、手持無沙汰になって、目の前にある味の素を降ってみたという意味だろうか。でも、「全身に降る」は誇張であっても、いまひとつぴんとこない。

「みんな去って」は多くの人とわかりあえないものがあるという意味ではないだろう。仲間のいないことはこらえきれなくなるほど痛く、ひしひしと孤独が感じる。しかし、だからこそ、冨二はおどけてみせる。泣いたり、しおらしくしたり、怒ったりするのは彼の美意識が許さない。ふざけて、途方もないことを敢行する。魔法の顆粒の味の素をきらきらと全身に降りかけながら、より一層孤を味わったのだろう。『中村冨二千句集』(2001年刊)所収。

2017年7月12日水曜日

●水曜日の一句〔松井眞資〕関悦史


関悦史









ゴミ屋敷のゴミがうれしい穴まどい  松井眞資


秋の彼岸を過ぎても冬眠せずにうろうろしている蛇が「穴まどい」だが、この句の「穴まどい」は、心細さがないわけではないのだろうが、夜更かしか何かを楽しんでいるようにも見える。

「うれしい」とはっきり書かれてしまっているからではあるが、これは擬人法というよりは共感を示していて、句の語り手当人もゴミ屋敷のゴミをうれしがっているようだ。

ゴミ屋敷など隣近所にあったらはた迷惑以外の何ものでもないが、今の日本の都市住民にとって、どこへ行っても規格通りで何の変化もない景観ばかりのなか、混沌を際立たせて目を引く物件は、もはやこれくらいしかないのかもしれない。

蛇にとっても、これは適度に身を隠しつつ、積み重なった廃物の隙間を、前後左右上下に自在に通り抜けることのできる迷路的な空間である。ゴミ屋敷の混沌を本当に楽しめるのはむしろ蛇なのではないか。

ゴミの隙間を通れる小さい生物ならば何でもいいというわけではない。蛇の体の形態は、紐を引き摺るようにその行程の全てを逐一可視化しながら複雑にうねって進んでゆく。

「ゴミ屋敷のゴミ」と「穴まどい」とは、互いの形態的特徴を生かし合い、開花させあう関係といえる。ごく小汚い、詩情に乏しい空間と、冬眠もせずに徘徊する蛇との関係から、童心とも無心ともつかない心弾みを引き出しているのが「うれしい」なのである。

平穏にさびれきった廃墟とは違い、居住者の孤立や荒廃した心情が生臭く溢れ出ているゴミ屋敷という物件を、穴まどいが慰撫し、景物に転じている。


句集『カラスの放心』(2017.6 文學の森)所収。

2017年7月11日火曜日

〔ためしがき〕 読み書きをめぐっての、相異なる二つの欲動 福田若之

〔ためしがき〕
読み書きをめぐっての、相異なる二つの欲動

福田若之


家の本棚の奥に偕成社文庫版の『海底二万里』(大友徳明訳、偕成社、1999年)の上巻と中巻がある。小学校の頃に買ったものだ。下巻はない。決して出版されていなかったというわけではなく、読みとおす前に飽きてしまったというわけだ。というかそもそも、最初から読みきれる気がしていなかった。なにしろ、「二万里」だ。世界じゅうの海を旅するノーチラス号の航路は、小学生の僕には、想像するだにあまりにも長すぎた。無数の知らない海洋生物の種名がいっこうにイメージを結ぶことのないまま延々と列挙される文体も、僕を退屈させた。上巻を読みはじめながら、僕は、すでにしてこう思っていたように思う――いったい、いつになったら終わるのか?

短い読みものが好きだった。僕が小学校のころに読みとおすことのできたいわゆる文学作品はたった二冊、やはり偕成社文庫版のH・G・ウェルズの『タイムマシン』(雨澤泰訳、偕成社、1998年)と、斎藤博之が絵を入れていた古い講談社青い鳥文庫版の夏目漱石の『坊っちゃん』(講談社、1983年)だけだった。中学校に入るまでは、ミヒャエル・エンデの『モモ』(大島かおり訳、岩波書店、1976年)さえ読破できなかったのだ。そのころ、僕が多く読んだのは、落語の小噺をむかしばなし風の文体に書きなおしたものやいわゆる学校の怪談などを集めた絵入りの本だった。たしか、その多くはポプラ社から出版されていたように思う。

いつだったかいわゆる「サンタクロースからのプレゼント」としてもらった学研の『読み・書き・話す故事・ことわざ辞典』(学習研究社、1999年)も、そのころの僕の愛読書のひとつだった。もらったときは、サンタクロースにまで勉強しなさいと言われているようでがっかりしたものだったけれど、それを読むことは喜びに満ちていた。ことわざそのものの短さはもちろん、その由来となったたとえ話や歴史上のできごとについて短くそのあらすじが語られているありようが、僕の性にあっていたのだろう。その後、中学校に入ってから、朝のホームルームの時間に十分か十五分の読書が義務付けられるようになったとき、父の書斎からひっぱりだされたのは、小学校時代以来の小噺に対する興味の延長線上にあった古典落語を収めた文庫本と、星新一のショートショートの群れだった。そうだ、芥川も忘れてはいけない。それは母の実家のどこかにあった古い新潮文庫版の『羅生門・鼻』(新潮社、1968年)だった。

いまにして思えば、僕が俳句に引き寄せられたのも、結局は、ひとえにこうした短いものを読むことのよろこびによることだったのかもしれない。短いものを読むことのよろこびは、短いものを書くことのよろこびとなり、そうしたものを書きつづけることへのあこがれとなった。

けれど、最近になって、僕には、どうやら、もうひとつ、一見するとまったく正反対の欲動があるらしいということがわかってきた。どういうことかというと、短いものを見ると、僕は、それをどこまでもどこまでも接ぎ木して引き延ばしてしまいたいという衝動に駆られるのだ(俳句の書き手としてはほとんど致命的だ)。

たとえば、ここに一句あるとしよう。この一句からつづけて、さらに何文字、何ページ書くことができるだろうか。このとき、僕の関心はもはやその句をめぐってどれだけ長く書き継ぐことができるかということにしかない。句評は、もちろん依頼に応じて書く場合もありうるし、そうした場合には、たいてい字数なり枚数なりについてあらかじめ指定があるものだ。けれど、そうではなく自分で好き勝手に書く場合、なによりも、その句から読まれることをどれだけ引き延ばしつづけながら書くことができるかということに思いが向いてしまうのである。

そのときは、もう、ただひたすら書き継ぎたいのだ。かくして、一字一字が、ひとつ残らず、僕のよろこびに加担する。一句は、そのとき、すくなくとも可能性としてはどこまでも長くなりうるだろう。そんなふうにして、いつか、長い長い句を書いてみたいものだ。長い長い句というのは、《凡そ天下に去來程の小さき墓に參りけり》(高濱虛子)といった程度のものではなくて、むしろ、プルーストの『失われた時を求めて』とか、ああいう長さの句を書いてみたいものだと思うのである。実際、僕は生まれてこのかた、ずっと、最初の産声からはじまって、いまこのときの一呼吸一呼吸にいたるまでの僕の生のいっさいの痕跡として、一句一句ではなく、たった一句を書きつづけてきているのではないかと思うことがある。《待遠しき俳句は我や四季の國》(三橋敏雄)。見かけ上は切れている一句一句は、そうしたたった一句に包含されて、まさしく僕自身のライフ・ワーク(一生の仕事、あるいは、生としての作品)たるその長い長い句のほんの一部を構成しているにすぎないのではないか。僕は、ときどき、そんな夢想に浸ることがある。

2017/7/11

2017年7月10日月曜日

●月曜日の一句〔山口昭男〕相子智恵



相子智恵






見えてゐる水鉄砲の中の水  山口昭男

句集『木簡』(青磁社 2017.05)

透明なプラスチックでできた水鉄砲の中に、水が見えている。ただそれだけの景なのに、なんだか泣きそうになるくらい懐かしさがこみ上げてくる句だ。

懐かしいのは、〈見えてゐる〉という淡々とした描写によって、水遊びに夢中になっている子どもの視点ではなくて、そんな頃を通り過ぎてきた大人の視点を感じるからだろう。
また、水鉄砲の中の水を「見ている」のではなく〈見えてゐる〉と、見る側の意志を感じさせないために、水鉄砲の中の水をぼーっと眺めているうちに、ふと白昼夢に誘われるように郷愁が湧き出てくるのである。「水鉄砲の中の水が見えている」という語順ではなく、いきなり〈見えてゐる〉という書き出しであることも、白昼夢への入口になっているように思う。

白昼夢の一景として

  水遊びする子に手紙来ることなく  波多野爽波

  水遊びする子に先生から手紙  田中裕明

から続く、師系三代に渡る夏の日の水遊びの、柔らかな懐かしさと寂しさを、ふと思ったりもする。

2017年7月7日金曜日

●金曜日の川柳〔高田寄生木〕樋口由紀子



樋口由紀子






しあわせをのせる がらすのぴんせっと

高田寄生木 (たかだ・やどりぎ) 1933~

生きていて、「しあわせ」と感じるのはそうたびたびあるわけではない。たまに「しあわせ」と思うときがあるから、そうではないときもなんとか遣り過ごしていける。めったにやってこない「しあわせ」だから、ありがたさも格別になる。

まれにくる「しあわせ」を「がらすのぴんせっと」でつまんでなにかにのせるのだろうか。それとも「がらすのぴんせっと」にのせるのだろうか。どちらにしても小さく、壊れやすい。そうっとそうっと大切に扱う。「しあわせ」の接し方で「しあわせ」をいかに受け止めているのかが伝わってくる。ひらがな表記のやわらかさで、「しあわせ」も「がらすのぴんせっと」もきらきら光る。

〈くちびるのゆきのあたたかさをのせる〉〈山頂に風あり人を信じます〉〈あいつはもう死んだかな防波堤の右は北〉 『東奥文芸叢書 北の炎』(2014年刊)所収。

2017年7月5日水曜日

●水曜日の一句〔横山康夫〕関悦史


関悦史









山国の深雪にゆらぐ御燈明  横山康夫


見えているのは仏壇か神棚の「御燈明」だけだろう。そのゆらぎの周りは暗く、さらに家の外には「深雪」の「山国」が広がる。そちらは気配として、あるいは認識としてあるだけだが、それら全てを集約するものとして「御燈明」はゆらいでいる。

「山国」の「山」といい、「深雪」の「深」といい、自然の闇への畏怖を強調する言葉で、ほとんど芝居がかりなまでに、一句が絵として出来過ぎている気がしなくもない。ことに「山国」は、そうでない地域との差を知っていることを窺わせるので、句の語り手が必ずしもそこでの暮らしに埋没しきっているわけではないという醒めた距離感を併せ持っているようにも感じられる。

しかし、これはその土地の歴史、風土と精神性を負って、そこで暮らす者の目か、それとも外部からたまたま訪れた者の観光客的に物珍しがる目かということになると、後者にしては、この御燈明は少々板につきすぎているようだ。山と雪の大質量のなかに暮らしてきた代々の先祖たちの営みそのもののようにして御燈明はゆらぐ。ゆらぐだけであり、それは何も語らない。それが死者の在り方であり、その御燈明に見入る者も、その時、醒めたままでありながら、代々の霊のひとつとなっている。

「山国」や「深雪」といった知覚による把握が、「御燈明」の想像力に浸透されて深化するあたり、バシュラールの『蠟燭の焔』の俳句版のようでもある。


句集『往還』(2017.7 書肆麒麟)所収。

2017年7月4日火曜日

〔ためしがき〕 波の言葉9 福田若之

〔ためしがき〕
波の言葉9

福田若之


あくまでも個人的な経験としてだが、句会で、当日に句を持ち寄るという場合、句会場に着いたときにはまだ持ち寄ることになっている数の句が手元に揃っていないというひとを見ることも、決して少なくはない。ふと思ったのだが、もしかすると、これは、歌人が聞いたら卒倒するようなことなんじゃないだろうか(あるいは、俳人も?)。だが、これを一概にそうした俳人のだらしなさと捉えるべきではないだろう。

  ●

伝統的な句会の文化においても、席題や吟行といったかたちで、参加者を即興的なでっちあげ=思いつきinventionへと駆り立てる要素が組み込まれていた。俳人は、句を揃えずに句会に行くことに驚くほど馴れている。

  ●

あるひとびとは、自らの発明的なひらめきが、手ぶらで句会に行くことで生じることを経験的に知っている。こうしたひとびとにとって、句会とは火事場にほかならない。でっちあげ=思いつきを強制する火のなかへ自らを投じることで、こうしたひとびとは自らの莫迦力を発動させるのである。

  ●

このところ、寝不足のせいか、日中、下瞼がびくびく痙攣するのを感じる。ところが、鏡で確認してみると、動いては見えない。要するに、それは僕以外のひとびとにとっては極めて微細な動きでしかなかったというわけだ。なんて滑稽なんだろう。僕は、僕の寝不足を周囲のひとたちに最もあからさまに示すのは、この下瞼の痙攣に違いないと信じていたのだ。だから、僕はいまでは、僕の寝不足はおそらく誰にも知られていないだろうと信じている。

  ●

すこし前になるけれど、あるひとから初めてメールをいただいたとき、宛名のあとの最初の一文が「突然の失礼します」となっていて、この「失礼します」は本当に「突然」だなぁと感じ入った。「突然のメール失礼します」という「メール」は、「メール」という語に自己言及性があるけれど、「突然の失礼します」では、「メール」という語の「突然」の不在によって、「失礼します」という述部に自己言及性がずらされている。このずれのありようが実に「突然」にもたらされている。この書き出しの一文は、素敵だと思った。

2017/6/24

2017年7月1日土曜日

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