銅樋の軒わらひ捨て 前句
神鳴や世の費なる落所 付句(通算39句目)
費(つひえ)=損失 落所(おちどころ)=落雷発生地点
【句意】雷や、(よりにもよって)世の損害となる落下場所である。
【付け・転じ】打越・前句=和賢人の目線(無常観)から上層階級の贅沢(銅樋)を冷笑する付け。前句・付句=銅樋への冷笑から、そこに落ちた神鳴への嘲笑・迷惑感情へと転じた。
【自註】神のまゝにも仏のまゝにも成がたき物は、神鳴の落所ぞかし。人にかまはぬ広野(ひろの)大海(だいかい)もあるに、住家に落て軒端を崩し、植込の大木を引割き、国土の費なる物なり。人、皆、其の落ける跡を見物して、「太鼓わすれてあらぬか」、「竜の駒の爪はないか」と大笑ひせし。目に見えずして、是はおそろしき物、桑原(くはばら)/\。*
*桑原=雷除けの呪文。神鳴―桑原(類船集)。
【意訳】神の心のままにも、仏の心のままにもならないのは、落雷の発生地点である。人間と無関係な広い野原や大きな海もあるのに、人の住家に落ちて軒端を壊し、植込みの大木を引裂き、世の損害となるものだ。人はみな落雷の跡を見物して、「太鼓を置き忘れてないか」「神鳴龍の駒の爪痕はないか」と大笑いしたりするが、目に見えないから、じつは怖ろしいもの、くわばら、くわばら。
【三工程】
(前句)銅樋の軒わらひ捨て
神鳴や太鼓わすれてござらぬか 〔見込〕
↓
神鳴や目に見えずしておそろしき 〔趣向〕
神鳴や世の費なる落所 〔句作〕
笑いの対象を軒へ落ちた神鳴へと転じ〔見込〕、世間において神鳴はどんな存在かと問いながら、人々の本音(迷惑感情や恐怖心)へと目を向け〔趣向〕、社会インフラの損失を詠んだ〔句作〕。
「そや、迷惑な話やろ」