胞衣桶の首尾は霞に顕れて 西鶴(裏三句目)
奥様国を夢の手まくら 仝(裏四句目)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
「奥様」は大名の奥方つまり正室のことで、周知のごとく人質として江戸藩邸に常住させられていました。
「国」は国元。「手まくら」は肘を曲げて枕にすることで、歌語ならタマクラ、日常語ならテマクラと区別するようです【注1】。奥方の位(くらい)を考えるとタマクラですが、俳言「胞衣桶」「首尾」を受けるとなるとテマクラでしょうか。迷うところです。
句意は「江戸住みの奥方は国の殿様のことを夢に見ながら手枕をしている」といった感じ。
付句だけならロマンティックな夫恋の句に読めますが、やはり「胞衣桶の首尾」を受けるとなると、「殿様の浮気ごとが夢中に顕われて」というような危うい恋となります。
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自註を抜粋しましょう。
「……江戸より御国の事ども明け暮れおぼしめしやられし御下心にして付寄せ侍る。……都より物いふ花の根引きありて、胎体などいたし侍らば、御うらみ心、さもあるべし」
逐語訳すると「……江戸屋敷より国の殿様のことを明け暮れ思いめぐらされた御心底を見込んで付け寄せています。……京島原より遊女の見請けがあって、懐胎など致しましたならば、お恨みの心、さもあることでしょう」といった感じです。
やはり見請け女郎を妊娠させての「胞衣桶の首尾」が、奥方の夢に顕われたという危うい設定のようです。
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では最終テキストにいたる過程を想定してみましょう。
殿の浮気を夢に奥様 〔第1形態〕
↓
殿の見請けの夢を奥様 〔第2形態〕
↓
奥様国を夢の手まくら 〔最終形態〕
このように最終形態は「浮気」「見請け」等の《抜け》と解釈できます。
「手まくら」は恋句らしい演出でしょう。
そういえば蕉翁にも「手枕にしとねのほこり打ち払ひ」【注2】という“恋の呼び出し”がありましたね。
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「何やらえーかっこしーの付けやな」
あっ、芭蕉の「蕉」の字はご法度だった。
「いや、なんとも思うてへんで。『西鶴が浅ましく下れる姿あり』【注3】とかなんや陰口たたいとるらしーけど、なんとも思うてへん」
(いや、なんとも思うとるな、これは。黙っとこ)
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【注1】『歌仙の世界』尾形仂(講談社)【注2】『卯辰集』所収「山中三吟」
【注3】『去来抄』所収「故実」 ●