小津夜景
セミのブローチ
海岸でもらった風船のおすそわけに、友人のアトリエに寄る。
今日は手に入れたばかりのセミのブローチをワンピースにつけている。セミのブローチをつけるのは、季節の帯をしめるようなものだ。プロヴァンスの昆虫界ではセミの地位が一番高く、街にはセミの小物が年中あふれているけれど、それでもセミが夏の幸福のシンボルであることは変わらない。
扉があいていたので勝手にアトリエに入る。友人の姿はない。ものすごく変わった人なので、壁に隠れているかもと思い、壁にさわりながら、室内をゆっくり回ってみる。が、特に変わったこともない。天井を見上げ、てのひらをひらく。ふわん。風船が天井にくっついた。このまま帰っちゃおうかな。そう思いつつ天井を眺めていたところへ、日本にもセミがいるの?と急に友人の声がした。
「わ。びっくりした。どこにいたの」
「裏庭。いいねそのブローチ」
「でしょ。いるよ。いるけど、基本悲しい生き物だって思われてる。すごい短命だから。で、思うところあって、大声で泣いてるんだろうって」
「あはは。あんな美声なのに。昼寝にいいよね。セミの声って眠くなる」
おいで。セミがいるから。友人は私の肩に手をかけると、そのままアトリエの奥といざなった。裏庭の木陰には2脚のデッキチェアが広げられ、セミの声がしんしんと降っている。
さっきまでここで寝てたの。そう言って友人はデッキチェアに横たわると目をつぶった。
「ああ。生きてるたのしさを、うたってるね」
友人は、そのまま眠ってしまった。
セミの彫刻的契機はその全体のまとまりのいい事にある。部分は複雑であるが、それが二枚の大きな翅によって統一され、しかも頭の両端の複眼の突出と胸部との関係が脆弱でなく、胸部が甲冑のように堅固で、殊に中胸背部の末端にある皺襞(しわひだ)の意匠が面白い彫刻的の形態と肉合いとを持ち、裏の腹部がうまく翅の中に納まり、六本の肢もあまり長くはなく、前肢には強い腕があり、口吻が又実に比例よく体の中央に針を垂れ、総体に単純化し易く、面に無駄が出ない。セミの美しさの最も微妙なところは、横から翅を見た時の翅の山の形をした線にある。頭から胸背部へかけて小さな円味を持つところへ、翅の上縁がずっと上へ立ち上り、一つの頂点を作って再び波をうって下の方へなだれるように低まり、一寸又立ち上って終っている工合が他の何物にも無いセミ特有の線である。(高村光太郎『蟬の美と造型』青空文庫)帰宅して、セミの資料を漁っていて見つけた随筆。光太郎作の木彫のセミは感動ものだが、随筆の方も傑作である。ありのままのセミをちゃんと見ているのもいい。原文ではこの数倍セミの描写がつづくのだけれど、他人の口から借りてきたようなうんちくは一行も混じっていない。