先月、猛暑のなか久々に関西へ出向き、京都と大津を散策しました。
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まずは東本願寺。参拝接待所からギャラリーを巡り、高廊下を渡って御影堂へ。そこでご法話を30分ほど聴聞しました。
真宗寺院と言えば、旧暦・節分の夜、平太郎殿(聖人の弟子真仏上人)に材を得た法話が行われたといいます。
西鶴の『世間胸算用』にも「平太郎殿」という一篇があり、ちょうど節分と大晦日が重なった年の話で、みな忙しく、参詣人は三人のみ。賽銭も少ないので住職は法話を切りあげようとするのですが、逆に参詣人が己の苦労話を次々に語る、というドタバタ喜劇です。
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さて現在も節分のご法話が「平太郎殿」なのかは知りませんが、今回は『往生要集』で知られる源信僧都に始まり、かのスーパーボランティアからウクライナへという展開でした。
畳のお堂は天井も高く、風通しも良く、三十人ほどの聴聞者はソーシャルディスタンスも十分に、ゆったりとした時間を体感できました(足は思いっきり痺れましたが)。
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さてその足で五分ほど歩き、渉成園 (枳殻邸)を訪ね、源融ゆかりの塔を眺めるも、あまりの猛暑に耐えきれず、近場のブライアン・イーノ展の会場ビルへと非難。
汗でびっしょりのマスクを替え、アンビエントなインスタレーションに涼をとりました。
薄暗い建物一棟、廊下はもちろんトイレにまで音楽が流れ、盆栽・盆石が置かれ、とある一室ではポートレートが刻々と変化し、イーノの禿頭=西鶴の如し、と合点しました。
〈ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです〉――入場パンフにあったイーノのことばです。
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翌日は大津。琵琶湖疎水を辿りながら三井寺へ。
西鶴の『日本永代蔵』に「怪我の冬神鳴」という一篇があり、そこに大津関寺町の流行らない医者が登場します。世間体から毎朝家を出るものの、往診先もなく、近所の神社の絵馬を眺めわび、三井寺・高観音からの近江八景にも飽き、影では絵馬医者と呼ばれる残念なエピソードです。
今の三井寺は江戸の昔ほど眺望が開けていないと思われますが、それでも観音堂境内から見晴るかす近江八景はひろびろと気持ちの良いものでした。
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そして陸路で近江八景のひとつ、唐崎へ。
芭蕉の発句でも知られる唐崎の松ですが、残念ながら夏枯れ状態。それでも湖面を渡る涼風がつかの間の秋を感じさせてくれました。
そこから石亀ひしめく義仲寺へ向ったのですが、蕉翁の話が続くので割愛します。
「そやな、そのほーがえーな」
はい、でもこれだけは言わせて下さい。三日目、イーノ展で再び涼をとってしまいました。
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