埋れ木に取付く貝の名を尋ね 五句目(打越)
秘伝のけぶり篭むる妙薬 六句目(前句)
肝心の軍の指南に利をせめて 七句目(付句)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
さて打越まで取って返し、「三句目のはなれ」の吟味にかかります。
まず前句が付いたことにより、「貝の名を尋ね」られた人物つまり医者の眼差しが確定しました。
そして黒焼の妙薬の「けぶり」の連想から、「妙薬」は「火薬」へと取り成され、付句の眼差しは、武士のそれへとシフトチェンジしました。
(前句/付句の付合には雨松明・狼煙などの「抜け」つまり「飛ばし形態」がみられます。)
●
このように眼差しの転じは難なくなされているのですが、表層テキストに焦点を移すとどうでしょう。
打越「尋ね」と付句「指南に利(理)をせめ」とは意味的につながり、いわゆる「観音開き」のタブーをおかしています。
付句の眼差しは転じながら、表層テキストにおいて打ち越すというこのパターン。眼差しが転じている以上、「三句がらみ」ではないけれど、打越と付句が類似する「観音開き」には違いありません。これ、じつは談林の名残ともいえるのです。
たとえば談林全盛期、一昼夜、千六百句独吟の矢数俳諧を生玉本覚寺で興行した西鶴は、そのライヴ版『俳諧大句数』(1677年)序文で、つぎのような言葉を吐いていました。
「花の座・月雪の積れば一千六百韵、(中略)即興のうちにさし合もあり。其日、数百人の連衆、耳をつぶして是をきゝ給へり。みな大笑ひの種なるべし」
御承知のように「さし合」(差合い)は「観音開き」や去嫌(さりきらい)などのルール違反のこと。「連衆」はここでは境内に集った数百人のギャラリーをさしています。
そんな見物人は「耳をつぶし」つまり差合いを聞いても聞かないふりをして、大笑いしたというのです。
しかしそれが許されたのは往年のライヴパフォーマンスゆえ。
老いての百韻、しかもその自註冒頭に「三句目のはなれを第一に吟味をいたせし」と豪語した以上(
#6参照)、オモテの序段から差し合うのは如何なものでしょうか。
「……」
……政治屋じゃあるまいし、気配消してもだめですよ。