宮古の絵馬きのふ見残す 前句(裏六句目)
心持ち医者にも問はず髪剃りて 付句(裏七句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
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付句は雑。回復期ながら病体の句のようです。
まず語句をみましょう。「心持ち」は心身の状態ひいては病状。「髪剃りて」は月代(さかやき)を剃って額髪を整えること。
よって句意は「病状について医者の指示を仰ぐこともなく、月代を剃って」といったところでしょう。
前句の自註に「福禄寿のあたまに階子(はしご)をかけ月代を剃る所もをかし」と清水寺の絵馬の描写がありましたが、それを間接的に受けているのでしょうか。
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以下、付句の自註です。
「都のうちに借ㇼ座敷して、養生心に叶ひ、医者にたづねては今すこしといふを待ちかね、一昨日は嵯峨・御室の詠めに暮し、きのふは東山など歩行(かち)にてまはり、寺社残りなく、心静かに、此の病人、命ひとつは拾ひ物、是から行末五百八十までの仕合せ」
意訳すると「京都の市中に間借りして、養生意のままに軽快し、医者に尋ねると、今少し安静にというのを我慢ならず、一昨日は西の嵯峨や御室を眺め暮し、昨日は東山などを歩きまわり、寺社を隈なく、心穏やかに巡拝。この病人、一命をとりとめ、これから末永く、幸せに幸せに」といった感じです。
要は前句にふさわしい人物を見定めた「其人」の付け。月代は無断外出のために剃ったという趣向でしょう。で、初日は西をめぐり、見残した東を翌日めぐる。
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では最終テキストにいたる過程を想定してみましょう。
月代を剃る福禄寿うらやまし 〔第1形態〕
↓
月代を医者の許しも得ず剃りて 〔第2形態〕
↓
心持ち医者にも問はず髪剃りて 〔最終形態〕
〔第1形態〕は前述した前句自註からの発想。
〔第2形態〕は病体で「福禄寿」の抜け、そして無断外出の準備の暴露。
「どや、暴露本みたいやろ。せやかて福禄寿の抜け、よう気イ付きはったな」
はい、古くは藤村作氏、新しくは加藤定彦氏の評釈でも不問に付せられていました。
「自註は自註、付句は付句、分けてるんやろな、学者はんは」
でも、ここで「髪剃りて」はあまりに唐突かと。
「それが元禄正風体の疎句やねん」
たしかに……。
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