2014年5月5日月曜日
●月曜日の一句〔筑紫磐井〕相子智恵
相子智恵
持ちぬしの分からぬ荷物われは持つ 筑紫磐井
句集『我が時代 ― 二〇〇四~二〇一三 ―〈第一部・第二部〉』(2014.3 実業公報社)より。
筑紫磐井という俳人が俳句に向かうときの姿勢とは、この句のようなものではないだろうかと思った一句。
「〈持ちぬしの分からぬ荷物〉を誰かに手渡す使命感のために自分は動いていて、でもそれは自分の意志であるから、何のためにと問われれば〈持ちぬしの分からぬ荷物〉のためでもあるし、自分のためでもある」というのは「ある時代を超えてきた者」にしか感じられないことかもしれない。それは年齢に関係なく、たとえば私よりも若いオリンピック選手が引退するときの「今後はこのスポーツの発展のために力を活かしたい」という言葉もそうだろうし、俳句甲子園のOB・OGが同イベントのために喜んで力を尽くすのもそうであろうし、結社の主宰を引き継ぐ……などもこういうことだろう。
作者にとっては〈持ちぬしの分からぬ荷物〉とは俳句であるし、短詩型文学だ。そして「なぜか知らないけれど、私も持ってしまった」という、別の者がいつか出てきてそれを受け取る。こうして〈持ちぬしの分からぬ荷物〉は引き渡されていく。
「60兆もの細胞は種を残すという目的のために動いている」という“人体”にも似て、〈持ちぬしの分からぬ荷物〉をなぜかしら持ってしまった者が、それを引き継がずにおられないのは、人間に組み込まれた本能のようなものかもしれない。
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