2008年7月5日土曜日
金子敦さんに聞きました
金子敦さんに聞きました
句集『冬夕焼』(2008年6月刊)を上梓された金子敦さんに、今回の句集制作について聞きました。
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Q 句集『冬夕焼』上梓、おめでとうございます。第一句集『猫』が1996年、第2句集『砂糖壺』が2004年、そして今回の第3句集が2008年。今回、句集をまとめるにあたっての「きっかけ」のようなものはあったのですか?
きっかけは「母の死」です。
句集として纏める事によって、母が生きていたということを
永遠に残しておきたいと思いました。
Q 2006年に逝去された御母様に捧げられたのが『冬夕焼』ということですね。生前の御母様とは俳句の話はされましたか?
「私が生きているうちに、第三句集を出しておくれ」と
いつも言われていました…。
残念ながら、その夢は果たせませんでしたが
この句集が母への供養になれば、本望です。
Q 俳句を始めた頃、「自分の句集」についてイメージはありましたか?
俳句を始めた当初から、いつかは句集を出したいと思っていました。
イメージとしては、猫の句ばかりになるのではと…(笑)
第一句集を出したのは、俳句を始めて10年目という節目の年です。
Q 『冬夕焼』は、5章立て。蜜柑(2003年)、端居(2004年)、風花(2005年)、豆飯(2006年)、送火(2007年)と、編年で季語が章タイトル、それぞれぴったり70句ずつ。端正な構成ですね。
70句ずつで5章というのは、最初から決めていました。
その方が、美しく仕上がると思いましたので。
各章のタイトルは、それぞれ母を詠んだ句の季語にしました。
全部、二文字になったのは偶然です(笑)
Q 最終的に350句を残すのに、どのくらいの数の句から絞っていったのですか?
抜き書きしたのは、800句ぐらいだったと思います。
Q 句集に収める最後の最後で推敲し、元と違ったかたちになった句はありますか?
数え切れないほど、いっぱいあります(笑)
最後の最後に推敲した句は
「金色の折鶴吊るす聖樹かな」→「金色の鶴を聖樹に吊るしけり」です。
Q ふだん御自分の句は、どのように整理されているのですか?
ノートを使って、一行おきにボールペンで書いています。
Q 今回、「ここをこうしたらよかった」といった後悔のようなものはありますか?
全くありません。
装丁については、ふらんす堂さんに依頼しましたが
自分のイメージしていた以上の、素晴らしい出来栄えでした!
表紙デザインは、何パターンか考えていただいたのですが
母への献花という気持ちをこめて、「石蕗の花」を選びました。
句については、巧拙はともかくとして
「自分らしさ」を表出できたと思っています。
Q 次の句集は、いつ頃ですか?
第三句集で、ピリオドにしようと思っていましたが
何年か経ったら、また出したくなるかもしれません(笑)
Q 近作で、自信作を一句、教えてください。
梅林に金平糖が降つてゐる 金子敦
ありがとうございました。
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金子敦句集『冬夕焼』(ふらんす堂)
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