妙正寺川 ● 中嶋憲武
日曜にタナカ君から買ったiPod。通勤時に、おもにシャッフルで聴いている。信号待ちをしているとき、不意に「金色の髪の少女」が掛かった。好きな曲なの で、内心盛り上がる。あるきながら、“I ain' t ready for the alter…”という部分が、口をついて出てしまい、廻りにひとがいっぱいいたので、かなり恥ずかしい思いをする。
日曜日、iPod Classicを1万円で購入するために、池袋で12時半にタナカ君と待ち合わせする。昼飯を食ったあと、夕方までの約束で、ちょっと散歩でもするかということになり、妙正寺川に沿って歩くことにする。
タナカ君とあるくときは、このように突発的に決まることが多い。妙正寺川は、杉並区の妙正寺公園を水源とし、東へ流れ、鷺宮、野方を通り、哲学堂、江古田を経て、下落合で暗渠へ入るという、小さな川。
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池袋から目白へ向かって歩き出す。大ガードを越えると、この付近にフランク・ロイド・ライト設計の自由学園があることを思い出し、寄ってみようかということになる。普段なら、外見だけみて通り過ぎるのが通例であるが、この日は違った。入場料を払って、中へ。
外観は、三角屋根の中央棟と左右の棟のシンメトリーが印象的な、クリーム色の壁と緑色の屋根。庭の芝生はよく手入れされてあり、この庭で結婚式が開かれてい る場面に遭遇したこともある。白いウエディングドレスが、緑の芝生によく映えていた。現在では、様々な使われ方をしているようだ。中の教室で、歌会が行わ れているのを見たこともある。かつての帝国ホテルで有名な大谷石がふんだんに使われている。
この建物は、大正10年に女学校として建てられたそうで、自由学園という命名から察するに、自由・博愛・平等へ連想が広がり、キリスト教に関係していると思われる。そう思って内部を見てみると、寄宿 舎といった風情を醸し出している。中央棟に食堂があるというのも面白い。学校の中央棟に食堂を置くという発想が、なんか自由。この食堂の灯しが、美しい幾 何学的なデザイン。窓が六角形で、椅子の背凭れも六角形。内部は美しい幾何学的デザインに溢れている。
なかを歩いているとき、ぼくの頭のなかでは、サイモンとガーファンクルの“So long, Frank Lloid Wright, I can't believe your song is gone so soon.” というところばかり、リフレインしている。椅子が、とても小さい。ミニチュアのようでもあり、おとぎの国のようでもあり。また来てみたいと思った。今度は喫茶室で座って、内部をゆっくり拝見しながらのんびりしてみたい。
満足して表に出る。下落合で、暗渠に吸い込まれる妙正寺川に出会う。暗渠の口に、黒いラバーの幕が何枚も垂れ下がっていて、奥を隠している。タナカ君が、「なんだ、あの幕。エロホテルみたいなことしやがって」 といったので、笑う。五月晴暗渠の口の黒き幕という句が浮かぶが、黙っている。
日曜の昼下がり、都会をこっそり流れる川に沿ってあるく。タナカ君のiPodのスピーカーからは、ボブ・ディラン。のんびりした歌声が、現状と妙にマッチして来る。過去と現在が出逢う瞬間。活き活きとボブ・ディラン。
林芙美子記念館が見えてきたので、ちょっと寄ってみようかということになる。これも例外の行動である。最前の自由学園といい、建築つながりで興味が湧いたのかもしれぬ。4月に一度来ていて、今回二回目となるが、何回来てもいいところはいい。
林 芙美子は詩集しか読んだことがなく、母がいいといっていた「放浪記」でも読んでみようかと。ボランティアによるガイドをゆっくり聴けたので、とてもよく判った。今回初めて知ったけれど、茶の間の広縁の壁は、バウハウスの建築家によるアイデアで細工されていて、「へえ、なるほどね」と思った。徒然草の「何 事にも先達はあらまほしきことなり」という文章を思い出す。ここで、30分ばかり時間を食ってしまい、すでに16時過ぎている。あと1時間で帰れるかなと 思いつつあるく。
哲学堂をめざしてあるき、哲学堂に着いてみれば、別に立ち寄ることもなく、哲学堂に添う川のよこをあるいてたちまち、哲学堂をあとにする。
江古田公園のちかくのコンビニエンスストアーで、前来たときと同じようにトイレを借りて、食い物と飲み物を買う。この辺でぼくの家が近いので、里心がすこしだけ起きるが、タナカ君がすたすたあるくので、お茶を飲みながらあるく。
環状七号線を越える。この環七を北上してゆけば、ぼくの家だと、またまた里心が起きるが日暮れが近いので旅を急ぐ。鷺宮の駅前のドトールですこし休憩。もう7時近い。妙正寺公園までは、あと二駅だ。
水源地の妙正寺公園に着いたときは、真っ暗。この前はいつだったか忘れたが、たしか暗くなってから着いたような気がする。この公園は夜の印象しかない。
公園から、荻窪へ出て、夕食をどこかで済まそうと店を探す。荻窪といえば「ぶたや」と相場は決まっているのであるが、日曜定休なので、止むなく駅のほうへ歩 く。流行っていそうな駅前の中華屋のカウンターに座って食事。隣席の冷し中華が美味しそう。古新聞のにおいとラジオから野球中継。厨房にお年寄り。
店を出て、吉祥寺まであるき、ここで別れる。家へ着くと22時。一日あるいてしまったと思う。
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2008年7月9日水曜日
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