2016年9月28日水曜日

●水曜日の一句〔鈴木明〕関悦史


関悦史









白歳月(しろさいげつ)を埋めよう白ふくろうを育て  鈴木 明


「白歳月」は造語らしい。埋めるべくある、埋めなければならない空白としての歳月のようだが、ブランクではなく、色としての白の印象が強まる造語である。

その「白歳月」は「白ふくろう」を育てることによって埋められるものであるらしい。同一である「白」の部分を仮に約してしまうと、「歳月」と「ふくろう」がほぼイコールということになるが、これだけ別次元のものをいきなり等価交換の場に持ち込むには、やはり茫漠たる空白とものの色彩の両方に通じる「白」との化合は必須なのだろう。「白」はいわば現実的制約の場を離れたところに開けた通路である。

失われた歳月を何か別のもので補償するとなれば、裁判沙汰では金銭に換算されることになるが、ここでの「白ふくろう」は、もっと知性と感情の両面から心を満たしてくれそうである。そればかりではなく、育てた結果(それは飼い主もともに育つということだ)、別種の幸せに通じる回路を開いてもくれそうである。

見るからに手触りのよさそうな白ふくろうの姿かたちと、妙に人くさい顔つきがわれわれに引き起こす感情を正確に言葉に置き換えたら、それは埋めあわされ、満たされた「白歳月」ということになるのかもしれない。いや、置き換えなどというものではなく、これは飛躍である。飛躍によって切り開かれた空白こそが幸福の空間なのである。語り手が「埋めよう」と呼びかける自他いずれともつかない相手もこの「白」のなかにいる。これが語り手自身への呼びかけであったとしても、「白ふくろう」を育てた先には、浄化されるように変貌を遂げた己の姿が待っているはずだ。それは「白」のなかに既に予見されている。


句集『甕』(2016.9 ふらんす堂)所収。

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