新年詠の推敲
福田若之
今年の新年詠は
正月二日の論文に降る明治の雪
と書いた。けれど、論文提出後の今にして思えば、
正月二日の論文に降れ明治の雪
とするほうが、書きたかったことにより近い気がする。巧拙はどうあれ、後の方を採ろうと思う。
「べき」論を拒否して以来、僕は自分の俳句から命令形を遠ざけがちになったし、まれに命令形の表現をとりいれる場合にも、たとえば《隣人を愛せよ私有せよダリア》というふうに、イロニーになりがちだったと思う(この句の命令形は要するに《ボタンを押せば誰でもいい誰かが来るドリアをひとつ》と同種のイロニーではないだろうか)。けれど、もし命令形が「存在への希望」とでも言いうるようなある情動を表現する言葉となりうるなら、僕は、命令形をあらためて肯定的なかたちで自らの句に導入することができるかもしれない。「光あれ」は、光がいまだここに存在しない場合には、命令形ではあっても命令ではない。命じられるものが、いまだここに無いのだから。
2017/1/16
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