2018年3月6日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド10 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド10

福田若之・編

電話に関する綺譚、怪談、悲劇も、かぞえあげたら一冊の本になるくらい多いだろう。私にも、ひとつ思い出がある。子供の頃うちで電話を買ったが、前の持主は事業に失敗した商人だった。彼はいよいよ明日は電話をはずされるという前夜に、その電話機に紐をかけて縊死してしまった。仕事のゆきづまりで、もうどうにもならなかったのであろうが、大切な電話を失うことも大打撃だったにちがいない。それだけでも不吉な電話なのに、番号が「四二番」で「死に」通じるのだった。この二重に不吉な電話は、私の家でも気味悪がってしばらくひきとらずにいたが、そのうちにやむなくひきとって、茶の間の押入の中につけられた。重い板戸のなあで、ジーン、ジーンと電鈴がなると、先の持主の恨めしそうな声でもきこえてきそうで、私はたちすくんだのだった。
(式場隆三郎『二笑亭綺譚』、式場隆三郎ほか『定本二笑亭綺譚』、筑摩書房、1993年、57頁。太字は原文では傍点)



 どんな都会も、どんな近代国家も、電話帳というあの本質的な物体、検討されることあまりにすくないあの不朽の著作が欠けていたら存続しえないでありましょう。
(ミシェル・ビュトール「文学、耳と眼」、清水徹訳、ミシェル・ビュトール『文学の可能性――文学、耳と眼』、清水徹ほか訳、中央公論社、1967年、148頁)



広告のなかでも、電話帳広告には寿命の長いコピーが必要である。これが購入を決めているか、決めかけている人々には有効に働く。しかし特殊なこと、たとえば価格のようなものの表示は好ましくない。変動するからだ。この点は、イエローページ業者団体YPPA、広告業者、出版社、広告主とも、価格ははっきり表示しない広告コードをもっている。チラシ広告ではないのだ。そのかわり、チラシは、一日、ときには数秒で捨てられるが、電話帳は一年、半年と保存される。ときに図書館など数十年も貸出す。
(田村紀雄『電話帳の社会史』、NTT出版、2000年、271-272頁)



電話帳やタウン情報誌に見るような情報(記号)空間と都市空間との対応関係に相当するものは、文学テクストの場合にも指摘することができる。そのもっとも見易い例は、実在の地名が意図的に挿入されている都市小説である。私たちがまだ訪れたことがない都市であっても、小説のなかで出会う街の名前には、空想をそそりたててやまないふしぎな色彩や響きがこもっているが、その一方で、作中人物の動きにそって紹介される街の名や通りの名や橋の名の連なりは、都市の解読についやされた作者の精神の歩行を解きほぐす糸口になる。作者の愛着がしみとおっている地名の集合そのものが、都市というテクストから切りだされたメタテクストを構成しているといいかえてもいい。
(前田愛『都市空間のなかの文学』、筑摩書房、1992年、24頁)



ちよつと最初の詩を讀んで御覽なさい。いや、あなたは河童の國の言葉を御存知になる筈はありません。では代りに讀んで見ませう。これは近󠄁頃出版になつたトツクの全󠄁集の一册です。――
(彼は古い電話帳をひろげ、かう云ふ詩をおほ聲に讀みはじめた。)

 ――椰子の花󠄁や竹の中に
   佛陀はとうに眠つてゐる。

   路ばたに枯れた無花󠄁果と一しよに
   基督ももう死んだらしい。

   しかし我々は休まなければならぬ
   たとひ芝居の背景の前󠄁にも。

(芥川龍之介『河童』、『芥川龍之介全集』、第8巻、岩波書店、1978年、372頁。ただし、ルビは煩雑になるため省略した)

2018/1/6

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