2019年4月25日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋    西鶴(前句)
 こゝの千話文何とかくべき 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)


続篇。

先述のとおり、前句は、風を体内に迎え入れると身ごもる、という処女懐胎的「風はらみ」の伝説による。

その説話的世界を契機として、付句は千話文(痴話文・ちはぶみ)つまり当世(現実)の艶書へと転じる。

後年、『好色五人女』(貞享三年、1686)で〈ちは文書てとらせん〉(巻三)と書いたような浮世の一コマである。(たとえば孕女への片恋とか)

前回みた打越・前句の説話的な付合を契機としながら、それに拘束されることなく、現実世界へと転じているわけであるが、じつは「風はらみ」の伝説そのものにも現実的なネタバレがあった。

ひきつづき浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみよう。
昔、この島の伝説として、男女ともに住むのは海神の怒りに触れると言うので、二つの島に分かれて住んでいたが、一年に一度だけ南風の吹く日に、男島(青が島)から女護が島(八丈島)へ渡って来て、夫婦の契りを結ぶ習わしだった。

島の南に面した砂浜に、女たちは銘々自分の作ったわら草履を一組ずつ並べて置いた。これは女たちが、男島から渡ってくる男たちを、一夜夫として決めるための迎え草履である。
女たちは草履に何か印をつけておいて、その草履を選んだ男を自宅に招いたんだって。

なーんだ、〈迎え草履〉って痴話文よりすごいじゃん。

とはいえ『西鶴諸国話はなし』(貞享二年、1685)をモノすほどの西鶴、これも取材済みだったかもしれない。

0 件のコメント: