浅沼璞
岸本尚毅著『文豪と俳句』(集英社新書)の書評を「俳句」12月号に書きました。タイトルどおり「文豪と俳句」の諸相を考察した本ですが、よく読むと所どころで「文豪と連句」の関係にもふれています。
書評では言及しませんでしたが、つらつら考え……なくても、「文豪と連句」のルーツには西鶴がいるわけで、この番外篇にて紹介してみようかと思いいたりました。
まずは森鷗外の発句から――
百韻の巻全うして鮓なれたり 鷗外
歌仙形式は今も人気ですが、もともとは百韻の略式でした。「西鶴自註絵巻」の形式も百韻ですが、あれは独吟。ふつーは複数の連衆と巻くわけで、歌仙の倍以上の時間がかかります。岸本氏曰く「百韻が仕上がった頃、馴れずしも熟成してきた。変化に富んだ連句の世界と、馴れずしの風味との取り合わせに妙味があります」。風味と妙味、味な解説です。
つぎに西鶴復権の立役者・幸田露伴の発句と脇――
獅子の児の親を仰げば霞かな 露伴
巖間の松の花しぶく滝
これは西鶴に同じく独吟の付合。岸本氏曰く「親獅子の厳しさを詠った発句を、岩や松を詠み込んだゴツゴツした脇が受け止めています。滝は垂直方向に句の空間を広げ、親獅子の居所がはるか高みであることを思わせます。いっぽう松の花の生命感と滝の生動感が、この二句を観念だけの句になることから救っています」。生命感と生動感、生き生きした解説ですね。
そして実父の友人の発句に脇を付けた宮沢賢治――
どゝ一を芸者に書かす団扇かな 無価
古びし池に河鹿なきつゝ 賢治
「無価」さんは賢治より三十歳ほど年長だったようです。岸本氏曰く「粋人の無価は芸者や遊女で詠みかけますが、賢治は生真面目な付句で応じています」。粋人と真面目人間……、(やば)オチがおもいつかない。
えーと、さて、ほかに芭蕉の連句を評した太宰治の『天狗』の引用なんかもありまして。岸本氏曰く「連句評がそのまま心理描写になってしまうところに太宰の資質を見る思いがします」。
書評では言及しませんでしたが、つらつら考え……なくても、「文豪と連句」のルーツには西鶴がいるわけで、この番外篇にて紹介してみようかと思いいたりました。
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まずは森鷗外の発句から――
百韻の巻全うして鮓なれたり 鷗外
歌仙形式は今も人気ですが、もともとは百韻の略式でした。「西鶴自註絵巻」の形式も百韻ですが、あれは独吟。ふつーは複数の連衆と巻くわけで、歌仙の倍以上の時間がかかります。岸本氏曰く「百韻が仕上がった頃、馴れずしも熟成してきた。変化に富んだ連句の世界と、馴れずしの風味との取り合わせに妙味があります」。風味と妙味、味な解説です。
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つぎに西鶴復権の立役者・幸田露伴の発句と脇――
獅子の児の親を仰げば霞かな 露伴
巖間の松の花しぶく滝
これは西鶴に同じく独吟の付合。岸本氏曰く「親獅子の厳しさを詠った発句を、岩や松を詠み込んだゴツゴツした脇が受け止めています。滝は垂直方向に句の空間を広げ、親獅子の居所がはるか高みであることを思わせます。いっぽう松の花の生命感と滝の生動感が、この二句を観念だけの句になることから救っています」。生命感と生動感、生き生きした解説ですね。
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そして実父の友人の発句に脇を付けた宮沢賢治――
どゝ一を芸者に書かす団扇かな 無価
古びし池に河鹿なきつゝ 賢治
「無価」さんは賢治より三十歳ほど年長だったようです。岸本氏曰く「粋人の無価は芸者や遊女で詠みかけますが、賢治は生真面目な付句で応じています」。粋人と真面目人間……、(やば)オチがおもいつかない。
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えーと、さて、ほかに芭蕉の連句を評した太宰治の『天狗』の引用なんかもありまして。岸本氏曰く「連句評がそのまま心理描写になってしまうところに太宰の資質を見る思いがします」。
そういえば太宰には西鶴短編の翻案集『新釈諸国噺』もあって、心理描写を駆使した佳作でした。
芭蕉と西鶴……! これこそ粋人と真面目人間! オチがついた。
「そやな、わてが生真面目なんは皆知っとるはずや」
? 順序まちがえたかな……。
「まちごうてない、まちごうてない、蕉翁はわてよりよっぽど粋人やで」
……なんたるオチ。
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