2024年11月20日水曜日

西鶴ざんまい #69 浅沼璞


西鶴ざんまい #69
 
浅沼璞
 

山藤の覚束なきは楽出家     打越
 松に入日ををしむ碁の負(け) 前句
那古の浦一商ひの風もみず    付句(通算51句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏1句目(折立)。 雑。 那古(なご)の浦=越中説と摂津説があるが、西鶴の『古今俳諧女哥仙』等では摂津住吉の浦、歌枕。

【句意】那古の浦に船繋り(ふながかり)している商人のくせに、一儲けのための風向きもみない。

【付け・転じ】前句の、碁にうつつをぬかす出家者を、商人に見立て替え、相場を左右する風向きさえ読まない愚かさへと飛ばした。

【自註】「惣じて慰む事にふかう好き入る事なかれ」とかしこき人の申せし。其の事ばかりおもしろく成りて、外をわするゝぞかし。「入日」は「那古の浦」の*本哥より付け出して、海の上の*風景色(かざげしき)にも心を付けずして、碁にうちかゝり、家業を脇になしたる一体也。此の前、大坂の中の嶋に米商(こめあきなひ)せし人、俳諧になづみ、大帳(台帳)に「霞のうちに大豆千俵」と付け置きしを、手代どもが見て、「何とも合点のゆかぬ事」とたづねける。
*本哥=実定〈なごの海の霞の間よりながむれば入日を洗ふ沖つ白浪〉(新古今・一・春上)。 *風景色=天候は米などの相場に影響した。芭蕉〈上のたよりにあがる米の値/宵の内ぱらぱらとせし月の雲〉(炭俵・巻頭歌仙)。

【意訳】「だいたい慰み事には深入りすることなかれ」と賢人の言われたことがある。そのことばかりに気を取られて、ほかの事を忘れるようになる。前句の「入日」は「那古の浦」を詠んだ一首からの本歌取りと解釈して、海上の天候にも気を付けず、碁に打ち耽り、家業そっちのけの商人を想定しての一体である。この前、大坂の中之島に米商売を営んでいた人が、俳諧に耽り、売掛台帳に〈霞のうちに大豆千俵〉と書いておいたのを、手代たちが発見し、「なんとも理解に苦しむメモ書きですが」とたずねた。

【三工程】
(前句)松に入日ををしむ碁の負

 商人の家業を脇になせるまゝ 〔見込〕
   ↓
 一商ひ忘るゝまゝに那古の浦 〔趣向〕
   ↓
 那古の浦一商ひの風もみず  〔句作〕

碁にうつつをぬかす人物を商人と見て〔見込〕、〈場所はどこか〉と問いながら、前句の「入日」から「那古」の海浜とし〔趣向〕、船を係留しながら海上の風向きさえ見ないという状況を設定した〔句作〕。

 
〈霞のうちに大豆千俵〉という短句、春ですから挙句を想定しての作でしょうか。
 
「なしてそう思うんや」
 
挙句は〈かねて案じ置く〉とか言いますから。
 
「どこぞの仕込みやねん」
 
えっっっと、三冊子で。
 
「そんな俳書、聞いたことないで」
 
あっ……。

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