「新歳時記通信」考 ● 野口 裕
前田霧人氏から「新歳時記通信」の第二号が送られてきた。同じものはWEBにもアップされている。
PDF: http://mae.moo.jp/key/pdf/02.pdf
季語としての「西瓜」の季節が秋になった経緯をさぐる論考だが、非常に面白く、季語の季節分類のケーススタディとして今後無視できない存在となるだろう。
かつて何かの文章で、「願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」という歌の「きさらぎの望月のころ」にいくら旧暦とは言えども花が咲くことがあるだろうかと、その文章の作者が疑問を呈した。そうすると、閏月の「きさらぎ」なら可能かもしれないと答られた、というのを目にした。
これ以来、旧暦の季節感覚は最大誤差一月を呑み込むおおらかなものという気分を持っている。江戸時代には、日中の時刻を等分するために、夏と冬では一刻といってもその時間は異なっている。そうしたこともおおらかな気分の延長線上にあるように感じる。
季語の季節区分の論議はともすると窮屈なものになりがちで、霧人氏の論議もその弊を免れているとは言い難いが、鬱屈した気分を打ち破り季節区分の論議をおおらかなものにするためのやむを得ぬ論調とも受け取れる。「新歳時記通信」が今後続いて行けば、この種の議論は伸びやかで闊達な方向に向かうと期待できる。注目したい。
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2008年7月22日火曜日
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6 件のコメント:
暦のことをよく研究されんことを願う。
如月は陰暦(旧暦)で使われた月名です。ですから、今(陽暦)の2月のことではありません。今年の陽暦で計算すると3月8日から4月5日までを指します。桜の季節にぴったり当てはまります。ちなみに西行の没年は文治6(1190)年2月16日となっている。この2月16日は宣明暦(当時使われていた暦)の日付(如月16日)で、洋暦1190年の何日にあたるか計算すると3月23日になる。
ここでも桜の開花の時期に重なります。
詳しいことはネットの「こよみのページ」をご高覧下さい。
今頃、気付きました。書き込みありがとうございます。
昔読んだ記憶がちらりとあるだけですから、はっきりはしませんが、山桜の開花時期が問題になっていたように思います。
ま、私の冗語よりも、前田さんの力作を読んでおいて下さい。
訂正
>山桜の開花時期が問題になっていた
「山桜の見頃の時期が問題になっていた」
したがって、本文も
>花が咲くことがあるだろうか
から、「花が盛りになることがあるだろうか」に替えた方がよいようです。
野口様へ
コメントありがとうございます。
俳句だけでなく、季節と暦の関係が、明治5年の改暦以来の後遺症として残っています。
旧暦と新暦併用時期(明治、大正、昭和初期)に生活した人には、何でもない季節と暦(行事)のずれが、戦後の新暦だけで生活した我々のような年代のものには違和感があります。
というか、旧暦の行事などがまるでわかりません。辛うじて、お盆、お月見などがなんとなく旧暦でおこなわれるぐらいの認識でしょう。
前田様の『新歳時記通信』第2号も大変なご努力で、季語の違和感を克服しようとしておられるのが伝わってきます。
季語、歳時記については、何故『新年」だけが四季とは、別枠として項立てされたのか。されざるを得なかったか。この経緯を解明すれば、この問題はおのずから明らかになっていくように思われます。
したがって、歳時記の例句は、ものによっては、古句(江戸期)と新しい句(戦後)は分けて載せることが肝要かと思います。これでかなり混乱は解消できるはずです。
以上、老婆心ながら申し上げて終わります。
再度のコメント感謝。
まあ、私は開花と花盛りを誤差の範囲内とする感覚を大事にしたい気がします。閏月があると、月給が増えるようなのどかなことになれば、良いのでしょうが。
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