秋の部(八月)踊
猫髭
づかづかと来て踊子にさゝやける 新潟 高野素十 昭和11年
(「づかづか」は繰り返しの「くの字点」表記)
俳句を始めた頃に初めてこの句を読んだとき、これは海外のレヴューで踊っている踊子の一人に、観客席から男が傍若無人にもいきなり舞台に上がって割り込み、何事か腕を取って耳打ちする、フランスのフィルム・ノワールの一シーンのような緊迫したイメージを持った。
連想したのは、1954年のフランス映画「フレンチ・カンカン」のジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールのコンビと(言わずと知れた哀愁を極める「ヘッド・ライト」のコンビである)、1960年のアメリカ映画「カンカン」のフランク・シナトラとシャーリー・マクレーンのコンビ(シナトラが劇中で歌う「It’s all right with me」のバラードはシナトラの最高傑作であると共にバラードの白眉)だった。黒澤明の『野良犬』の木村功と淡路恵子のコンビのイメージもあったかもしれない。
ずっと、そう思い込んでいた。
ところが、清水哲男の「増殖する俳句歳時記」の鑑賞を読んで驚いた。
俳句で「踊子」といえば、盆踊りの踊り手のこと。今夜あたりは、全国各地で踊りの輪が見られるだろう。句の二人は、よほど「よい仲」なのか。輪のなかで踊っている女に、いきなり「づかづか」と近づいてきた男が、何やらそっと耳打ちをしている。一言か、二言。 女は軽くうなずき、また先と変わらぬ様子で輪のなかに溶けていく。気になる光景だが、しょせんは他人事だ……。夜の盆踊りのスナップとして、目のつけどころが面白い。盆踊りの空間に瀰漫している淫靡な解放感を、二人に代表させたというわけである。田舎の盆踊りでは句に類したこともままあるが、色気は抜きにしても、重要な社交の場となる。踊りの輪のなかに懐しい顔を見つけては、「元気そうでなにより」と目で挨拶を送ったり、「後でな……」と左手を口元に持っていき、うなずきあったりもする。こういう句を読むと、ひとりでに帰心が湧いてきてしまう。もう何年、田舎に帰っていないだろうか。これから先の長くはあるまい生涯のうちに、果たして帰れる夏はあるのだろうか。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)(註1)しかし、どう考えても、掲出句は盆踊りの景とは合点が行かなかった。非常にバタ臭い句に思えたからだ。だが、『ホトトギス雑詠選集』には「新潟」と投句地が載っていたので、新潟の盆踊りを詠んだ句かという事実は動かしがたかった。
ところが、昭和58年の『カラー図説日本大歳時記』(講談社)の机上版を見たら、山本健吉の解説に掲出句に触れて、
素十は、ヨーロッパ留学中の作品だから、盆踊であるはずはないが、句中に踊子の季語があり、擬制としての有季俳句と取り、盆踊の一情景と見なすことが許される。と、またまた驚くことが書いてあった。「擬制としての有季俳句」というものがあったとは。
で、『素十全集 第一巻 俳句編』(明治書院)を見ると、昭和11年10月にホトトギス雑詠入選句としてこの句が載っているが、前詞はなく、「ヨーロッパ留学中の作品」とはわからない。本人が明かさなければ句の出自はわからない。多分、俳人協会からは『自註現代俳句シリーズ』が二百冊以上出ているし、『自選自解句集』というのも白凰社から出ているから、これらのどこかで作者が自解しているのだろう。わたくしは自句自解は自句自壊であると思うので、これ以上出自には立ち入らないが、おそらく掲出句は社交ダンスの場面だろう。ダンスのパートナーを素十は「踊子」と詠み替えたという気がする。その意味での「擬制としての海外咏俳句」というならわかる気がする。
だが、「づかづかと来て」という措辞には、やはり「盆踊」は似合わない。盆踊は普通は浴衣を着て下駄か草履か踊足袋で踊るものである。「づかづかと来て」には靴の響きがある。
(註1)『増殖する俳句歳時記』1999年8月14日掲載。
写真 前1点:猫髭/後2点:田村行穂 高円寺東京阿波おどり 2010年8月28日
●
0 件のコメント:
コメントを投稿