ホトトギス雑詠選抄〔31〕
秋の部(八月)芭蕉・下
猫髭 (文・写真)
川端茅舎には、茅舎の「如」と言われる比喩の修辞法がある。
比喩は古来より詩の主要な修辞法であり、『万葉集』の歌の分類にも雑歌・相聞歌・挽歌の他に譬喩歌があり、本意を歌の表面に表さず、物に託して述べた歌のことだが、これは中国の『詩経』の「比」に倣ったものだ。例えば、巻七の「草に寄する」の中の一首(1352)、
わが情(こころ)ゆたにたゆたに浮ぬなは辺(へ)にも沖にも依りかつましじ
は、ゆらゆらと岸辺と沖の間をどちらにも寄らずたゆたう蓴菜(じゅんさい)に、ままにならない揺れる恋心を託している。「浮ぬなは」の直喩がずば抜けている詠み人知らずの名歌と言える。
芭蕉の時代になっても『去来抄』の二十五節「いひおほせて何かある」には、当時の漢詩作法書『詩法俚諺抄』の「景情かねたる詩はただ含蓄不尽の体を好めり。含蓄とは外の句はすらりと聞こゆれども、内の情は多く籠るを云ふ。不尽とは言(こと)はよみて尽れども、余情はなを尽ぬを云ふ」を踏まえているから、直喩(シミリー)ばかりではなく、暗喩(メタファ)、諷喩(アレゴリー)、声喩(オノマトペ)、活喩(パーソニフィケーション)はじめ、擬態語(ミメティック)などの修辞法が発達した。
茅舎は、この比喩の修辞法が際立つ俳人と言われる。特に、掲出句の「舷のごとくに濡れし」という「ごとく」の直喩の卓抜さで知られる。わたくしが茅舎の比喩に目を澄ませる切っ掛けになったのは、野見山朱鳥の『忘れ得ぬ俳句』に、「螢火に象牙の如き杭ぜかな」を引いたあとで、「ここではじめて茅舎の「如」を知ることになった」と書いてあったからで、あらためて茅舎の「如」を見てみると、確かに多く、枚挙に暇が無いほどだ。
茅舎は中学生の時から句作を初め、大正4年に19歳で「ホトトギス」に初入選、大正13年11月号の「ホトトギス」で巻頭句を得る。
しぐるゝや僧も嗜む実母散
が初期秀句としてアンソロジーに残るが、この巻頭6句の内の2句が既にして「如」句である。
閻王や菎蒻(こんにゃく)そなふ山のごと
侍者恵信糞土の如く昼寝たり
「実母散(じつぼさん)」とは江戸中期の随筆『耳嚢(みみぶくろ)』にも出て来る悪阻などに効く婦人薬なので、冷え性の坊さんかという可笑しさがあるように、閻魔と蒟蒻の山の対比、仏に侍る侍者恵信の昼寝の樣を糞土に見立てる諧謔(「囀や拳固くひたき侍者恵信」という句もある)は、病弱で知られる茅舎の句柄とも思えないが、体調を崩すのは昭和3年頃からというから、当時は俳句に絵に精勤していた頃である。
直喩の茅舎句で、わたくしが好きな句を挙げると、
一枚の餅のごとくに雪残る 昭和6年
生身魂ちゝはゝいますごときかな 「ホトトギス」昭和8年9月巻頭句
良寛の手鞠の如く鶲(ひたき)来し
などだが、直喩ばかりではなく、暗喩も優れていて、例えば、
滝行者蓑のごとくに打ち震ひ
という直喩の句は、
滝打つて行者三面六臂なす 「ホトトギス」昭和11年1月巻頭句
と、暗喩で三つの顔と六つの腕を持つ興福寺の阿修羅雑のような行者のイメージを詠んだ句の方が、滝行者の印象は清冽である。
暗喩と言えば、茅舎の最も有名な暗喩の句には、
金剛の露ひとつぶや石の上 「ホトトギス」昭和6年12月号巻頭句
がある。儚いものの譬えの「露」を仏教用語である「金剛」(梵Vajraの訳。最剛、堅固の意)をメタファとする真逆の暗喩は強烈である。
また、直喩や暗喩ばかりではなく、
暖かや飴の中から桃太郎 「ホトトギス」昭和4年8月号巻頭句
と、諷喩で遠い昔の早春の日差しを引き寄せる柔かな詠みぶりも茅舎の特徴で、このしなやかさは、
明日は花立てますよ寒月の父よ
という諷喩と暗喩をないまぜにしたような独特の茅舎浄土の世界を形作ってゆく。
擬態語も、
ひらひらと月光降りぬ貝割菜 (註1)
など、貝割菜の小さな葉が見えるような見事な擬態語である。
一連の露りんりんと糸芒 (註2) 「ホトトギス」昭和6年12月号巻頭句
の「りんりん」という擬態語も、茅舎の句はまさしく「りんりんと」した姿で立っていると思わせる。
こうして見ると、茅舎の句は、豊饒な喩の世界に打ち立てられた浄土のように思えて来る。比喩の修辞法は、説明になりがちなところを比喩の飛躍によって新しいイメージにスパークさせるので、詩には欠かせないが、詩は構造的に「虚」の言葉なので俳句の「実」に根ざす構造とは根本的に異なるため、比喩に頼り過ぎる、一行詩になってしまうし、また比喩のイメージが陳腐だと月並句になってしまう。殊に活喩(擬人化がメイン)は成功が難しい修辞法とされ、初心の内は「写生」に徹することを教えられる。わたくしもそう「きっこのハイヒール」で横山希美子さんに教わった。確かに、
やませ来るいたちのやうにしなやかに 佐藤鬼房 平成2年(『瀬頭』)
といった見事な直喩と活蝓の修辞法は誰にでも詠めるものではない。では、茅舎が初めからこれほど比喩を多用して優れているのは、なぜなのか。天才だから、と言えば身も蓋も無いが、比喩の対象が擬人法ではなく、物であることが具体的な印象を鮮明にさせていたのではないかと思われる。
一枚の餅のごとくに雪残る
などは実にシンプルに早春に残る雪を表している。
雪国の雪もちよぼちよぼ残りけり 小林一茶
という見渡すような江戸俳諧の諧謔味溢れる一句とはまた違うシャープな単純化が茅舎の魅力だが、「虚」から「実」に還る俳句の構造を見事に活かした、
良寛の手鞠の如く鶲来し
になると、実に自由闊達な茅舎の「如」句の世界だと言える。
やがて、病篤くなり、
咳き込めば我火の玉のごとくなり
龍の如く咳飛び去りて我悲し
と茅舎の「如」句は死に添うようになり、昭和16年8月号の「ホトトギス」巻頭三句の絶唱が現われる。茅舎はその年の7月17日に亡くなっているから、その号を見られたかどうか。
父が待ちし我が待ちし朴咲きにけり
朴の花眺めて名菓淡雪たり
朴散華即ちしれぬ行方かな
翌、9月号の巻頭三句もまた茅舎だった。これが生前最後の投句となった。
洞然と雷聞きて未だ生きて
夏痩せて腕は鉄棒より重し
石枕してわれ蝉か泣き時雨
投句者の署名には「故川端茅舎」とある。
註1:「ひらひら」は繰り返しの「くの字点」表記。
註2:「りんりん」は繰り返しの「くの字点」表記。
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