〔今週号の表紙〕第280号
屋上
小津夜景
ある古いアパートの屋上にのぼった。
泥をこねたような、妙に生々しい屋上だった。
楽しげで、侘しげで、どことなく廃墟っぽい。
おそらく廃墟の趣というのは、逞しい現実感をそなえた建築にとって、欠くべからざる白昼夢なのだろう。
……といった感想を抱きつつしばらく過ごしていたのだが、最近ひさしぶりにフォルダを確認してみたら、どの写真にも私の見たはずの光景が全く写っていなかったのでびっくりした。そこにはなんというか、知覚のアンサンブルとおぼしき「かたち」が、時空を埋め合わせるごとく、たてものに見立てられた「もの」として存在するのみである。幻影の廃墟どころか、現実の建築すら景物としておぼつかない。
一体この景物は、建築(或いはその解体)という統制的原理の所産と言えるのだろうか?
私はそう自問し、こう結論する。いやこれは建築でもその解体でもなく、さらにあの屋上で出会った夢現一体の表象もたちの悪いまやかしだったに違いない、と。この写真を眺める限り「たてものをたてる」とは認識そのものを形づくることであり、人間の見立てにささやかな奇跡を委ねたゲシュタルトそれ自体への旅にすぎない。そしてあのとき私が経験した白昼夢は、その旅が実はあまりに無謀な試みであることへの眩暈だったのだ。
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