2013年7月31日水曜日

●水曜日の一句〔澤好摩〕関悦史



関悦史








海峡へ秋草の丈いたづらに   澤 好摩

海峡という地形と伸びた秋草があるだけなのに、この複雑に沈潜した情感の重なりあいはどうであろうか。無論「いたづらに」という主観に押されてのことではある。

憧れ、断念、さらには生死の境界のような怪しさをもはらんで波立ち騒ぐ海峡へ向かい、伸びはしたものの、対岸へ渡れるはずもなく秋を迎えた草たち。

「海峡や」であればどうということもなく海景を前に安らっていればよかった草たちは、「へ」の一字によって突如海の向こうへの志向を呼び覚まされ、しかし諦念など帯びてはいない。草らしい無念無想のうちに健やかに伸びきり、しなだれるだけだ。

「へ」の志向性を呼び込んでしまったのは草たち自身ではない。

境界へ向けて無益に伸びた秋草の見事さは視界を縦に押し広げ、一方海峡は視界を横に広がらせる。こうして得られた丈高く立体的な空間のうちに、断念とも、無念とも、あるいは無智ゆえの明るみともつかない、ただ情感としか呼びようのないものが満ち、清らかに蠕動する。

この生の無益と淋しさをそのまま四大が担ってくれたかのような奇妙に安らかな情感の主体は、作者でもなければ秋草でもない。強いていえば、海峡のような心と物の狭間と化した句そのものであろう。


句集『光源』(2013.7 書肆麒麟)所収。

2013年7月30日火曜日

【レコジャで一句】いづれ骨いづれ肉塊はたた神 山田露結

【レコードジャケットで一句】
いづれ骨いづれ肉塊はたた神  山田露結


T-BONE WALKER/STORMY MONDAY BLUES
 
※コメント欄へご自由に投句して下さい(有季、無季、自由律ほか何でも、何句でも可)。

2013年7月29日月曜日

●月曜日の一句〔関悦史〕相子智恵

 
相子智恵







スクール水着踏み戦争が上がり込む  関 悦史

「俳句」八月号「三連画」(2013.8 角川学芸出版)より。

〈戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉〉の現代版としてゾッとした。

掲句の「スクール水着」は同時掲載の〈水遊びする子撮りたる親は消ゆ〉の句(これも田中裕明の健康的で明るい〈水遊びする子に先生から手紙〉を踏まえているが)と関連があろう。〈水遊びする子撮りたる親は消ゆ〉には長い前書きが付いていて〈イギリスで孫の水遊び写真を所持せる祖父が「児童ポルノ単純所持」に問はれ逮捕。日本も「法改正」でその轍を踏まんとす〉とある。

渡辺白泉の〈廊下の奥〉というささやかな日常生活のすぐそばにある戦争という狂気を、関は〈スクール水着〉という、いかにもチープで現代的なモチーフ(会田誠の「滝の絵」を思ったりする)の表現を踏んで、どかどかと正義の顔で戦争が上がり込んでくるさまに転化した。

現代風俗の、行き詰まり退行していく〈スクール水着〉の幼さも怖いが、正義づらでどかどかと〈上がり込む〉好戦的な幼さも怖い。「もはや戦後ではない」と言われたのは昭和31年だが、高度成長を経て「もはや戦後ではなく、戦前」という歴史の繰り返しの中に、いま私たちはいるのだろうか。

2013年7月28日日曜日

〔今週号の表紙〕 第327号 ひまわり 山田露結

今週号の表紙〕 
第327号 ひまわり

山田露結


(自分を変えようと思っていた)

「ベランダに花が咲いてるっていいよな。」
ある日、何気なくそう思った。それで近所のホームセンターへ花の種を買いに行ったのが五月。それまで花なんて育てたことがない私だったが、ひまわりくらいなら簡単に咲くだろうと思って、買ってきてその日に種をまいた。切り花用の小さめのひまわりなので咲いたら部屋に飾って妻を喜ばせてやろうと思った。

(自分を変えようと思っていた)

数日すると芽が出てみるみる葉が大きくなった。日々順調に成長して行くひまわりを眺めながら、早く花が咲かないかと楽しみにしていた。

(自分を変えようと思っていた)

ところが、葉はぐんぐん広がってもうこれ以上は大きくならないだろうと思われるほどに成長しているのに、いつまで経っても花が咲かない。何がいけないのだろう。種をまいてからすでに二ヶ月近くが経過していた。

(自分を変えようと思っていた)

ある朝、いつものようにひまわりに水をやろうと鉢を覗くと、茎の先端に放射状に広がる部分を見つけた。「おっ!」と思った。もしかして、これが花になるのだろうか。うん。そうだ、きっとそうに違いない。私はワクワクしながら花が咲くのを待った。しかし、それから幾日か経過してもひまわりは一向に咲く気配を見せない。もちろん、水は毎日欠かさずやっている。

(自分を変えようと思っていた)

現在、私がその放射状の花になるかもしれない部分を発見してから二週間ほど経つのだが、ひまわりはまだ花を咲かせないままでいる。ひまわりは、ひまわりでない自分に変わうとしているのかもしれない。


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2013年7月27日土曜日

●駆ける


駆ける

あきふゆの境をひらと婆駆けて  依光陽子

花見弁当いつも円周上駆ける  相原左義長

駆け足のはづみに蛇を飛び越えし  岩淵喜代子

祭まで駆けて祭を駆けぬけて  佐藤文香




2013年7月26日金曜日

●金曜日の川柳〔桑野晶子〕樋口由紀子



樋口由紀子







妹は酢のようラベンダーは霧のよう

桑野晶子 (くわの・あきこ) 1925~

北海道はラベンダーの季節を迎える。五年ほど前に俳人と川柳人と三人で北海道を旅行した。富良野のラベンダーの美しさに声も出なかった。おまけに句も一句もできなかった。しかし、一面のラベンダーを霧のようにとは思わなかった。たぶん晶子独自の見方だろう。

妹は酢のようはなんとなくわかる。あの酸っぱさは確かに似ている。子どもの頃は泣いてばかりで、いつも姉の後をついてきた妹が、成人するといつの間にか姉よりしっかりしてくる。時には説教もされる。いえ、あくまで私の個人的経験からの感想ですが・・・。酢は身体にいいが、そんなに量はいらない。妹が居てくれて助かってはいるが、ちょっと距離がある方がいい。

〈石勝線 ぼあーっと藁の馬駆ける〉 桑野晶子は「川柳きやり」「森林」「人」「魚」「さっぽろ」「川柳公論」「川柳展望」「川柳とまり木」「川柳新京都」「点鐘」「新思潮」などを多くの場で作品を発表した。

2013年7月25日木曜日

●蛸




昨日は、たこ八郎忌でした。


蛸食べて悪い夢でも見ましたか  大木あまり〔*〕

わが足のああ堪えがたき美味われは蛸  金原まさ子**〕

夕薄暑蛸でも釣りにゆくとせむ  谷口智行〔***

蛸壺やはかなき夢を夏の月  芭蕉


〔*〕『星の木』第11号(2013年7月20日)
〔**金原まさ子句集『カルナヴァル』(2013年2月)
〔***『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2013年7月24日水曜日

●水曜日の一句〔川名将義〕関悦史



関悦史








酒さかな揃へ台風待つとせる   川名将義

台風襲来への期待感。ネット内の俗語でいうところの「wktk(ワクテカ=ワクワクテカテカ)」の句である。

台風で興奮する人というのは結構いるもので(無論大した被害が出ないという前提でだが)、食料の買い込みなども、台風で外に出られなくなる前にという実利性を離れて何やらイベントじみた浮き足立ったものになってくる(これまたネット内で発生したことでいえば「台風コロッケ」なる風習もある。台風のときにコロッケを大量に買い込んで食べるのである。由来については各自検索してください)。

自分の家にとんでもない被害が出る可能性も当然思いつつ、多分今回も大丈夫だろうと高を括り、あるいは、万一大丈夫でなかった場合も所詮人間にはどうしようもないことと突発的躁的無常観に居直ったりもして、厖大なエネルギーが通過するスリルを味わう。

「酒さかな揃へ」にそうした祝祭感と期待と不安が入り混じった中での、飄然たる落ち着きがあらわれている。こういう事象を茶化して詠むのにもキャラクター性というのは出るもので、私がやったらおそらくコロッケを買い込むドタバタ的な句になるはずである。


句集『海嶺』(2013.6 ふらんす堂)所収。

2013年7月23日火曜日

【レコジャで一句】落とされてをみな笑へるプールかな 山田露結

【レコードジャケットで一句】
落とされてをみな笑へるプールかな  山田露結

Elis Regina / como & porque

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2013年7月22日月曜日

●月曜日の一句〔澤田和弥〕相子智恵

 
相子智恵







羽蟻潰すかたち失ひても潰す  澤田和弥

句集『革命前夜』(2013.7 邑書林)より。

羽は粉々になってきらきらと輝き、小さな蟻の体も糸のような脚もバラバラになる。〈かたち失ひても潰す〉の畳みかけによって、羽蟻に対する容赦のなさよりも、鬱々とした作者の、やり場のない悲しみがあふれてくる。無惨に粉々にされた輝く羽は、本当は流したかった涙のようだ。

二句後に〈蟷螂の鎌振り上げて何も切らず〉という句がある。何も切らずに生きている蟷螂の悲しみと、〈かたち失ひても潰〉して殺してしまった羽蟻の死の悲しみは表裏のように、やるせなさを感じさせる。

本書は作者の18歳から29歳までの俳句を集めた第一句集。多感な青年期の俳句には、やはり心をぎゅんと掴まれるものがあるものだ。

作者が憧れる寺山修司の忌日「修司忌」の句だけを集めた一章もある。〈革命が死語となりゆく修司の忌〉〈男娼の錆びたる毛抜き修司の忌〉など、修司への思いのこもった句も、やはりその時のその人でなければ書けないもので、この一冊の持つ青春の切なさは得難く、泣きたくなってくるのが、いい。

2013年7月21日日曜日

〔今週号の表紙〕 第326号 バス停 橋本有史

今週号の表紙〕 
第326号 バス停

橋本有史


このバス停は、北海道の道西増毛と留萌の間にあるバス停である。ちなみに増毛は作詞家なかにし礼の出身地であり石狩挽歌はこの地で生まれた。後ろには穏やかな日本海が広がる。

今から60年前、増毛、留萌、そしてその北に位置する羽幌は街の絶頂期を迎えていた。石炭、そして鰊。羽幌は日本有数の良質な石炭を産出、また留萌、増毛は海が鰊の精子で真っ白になるそれほどの鰊が繰り返し押し寄せた。

最後の鰊群来は昭和28年だったと聞く。羽幌炭坑は1970年に閉山された。冬は大荒れの場所だが、この季節は穏やかな風景が延々と続いている。この街の昔を知らない歳だが、海風の中にヤン衆の、そして沖仲仕の声を聞いた気がした。



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2013年7月20日土曜日

〔人名さん〕奈良岡朋子

〔人名さん〕
奈良岡朋子

蚊柱や奈良岡朋子かと思ふ  小林苑を

《蚊柱を奈良岡朋子だと思ふ》とすれば句意は違ってくるが、私たちはしばしば句意にそれほど頓着するわけではないようなので、それほど事情は変わらない。いずれにしても、ここには、《蚊柱》と《奈良岡朋子》しか存在しない。この2つで満ちた(この2つしかない)世界を受け取るばかり、ということになる。掲句は『里』第3巻第24号(2013年7月号)より。(西原天気・記) 

 





2013年7月19日金曜日

●金曜日の川柳〔石橋芳山〕樋口由紀子



樋口由紀子







噓つきがいっぱい豆腐屋はこない

石橋芳山 (いしばし・ほうざん) 1954~

昔と変わったなあと思うことはよくある。豆腐屋もその一つ。私が子どもころは豆腐は売りにきていた。ラッパか鉦だったか、豆腐屋のその音が聞こえると、母は「豆腐屋さん」と急いで呼びとめて、入れ物を持って買いに走っていた。

今はいつでもスーパーなどで豆腐は手軽に買える。いろんな種類の豆腐を自由に選ぶことができる。便利になった。しかし、便利さを求めるあまりに、その一方で失くしたものがいっぱいある。「嘘つきがいっぱい」は疲弊した社会をさしているのだろう。人の心は簡単・便利・安価なものにどんどん売り渡たされ、これからもっと気持ち悪い世の中になっていていくような気がする。

〈温泉たまご学んだものが身にならぬ〉〈ポイントが溜まってお情けを貰う〉『月曜会』(2013年6月刊)収録。

2013年7月18日木曜日

【俳誌拝読】『絵空』第4号(2013年夏号)

【俳誌拝読】
『絵空』第4号(2013年7月15日)


土肥あき子、中田尚子、山崎祐子、茅根知子の4氏による同人誌。季刊。A5判、本文16頁。

  航路図にコンパスの穴夏兆す   土肥あき子

  春惜しむ池に光の立つところ  中田尚子

  帰省して目の穴大き魚のあら  山崎祐子

  沈黙のあと噴水の立ち上がる  茅根知子

問い合わせ等 esora@sky.so-net.jp

(西原天気・記)

2013年7月17日水曜日

●水曜日の一句〔澤田和弥〕関悦史



関悦史








正義の味方仮面のみにて裸   澤田和弥

原作も映像化作品もちゃんと見たことがないのだが、永井豪のマンガに『けっこう仮面』なる作品があり、そのヒロインがちょうどこの句のような姿をしているらしい。恐怖の進学校で過酷な体罰を振るう教師たちに制裁を加える謎のヒロイン「けっこう仮面」は、覆面とマフラー、手袋、ブーツのみを身にまとい、あとは裸なのである。

表現規制の危機は今に始まった話ではなく、七〇年代当時も作者永井豪はPTAや教育委員会からの批判にさらされたが、仮面に裸という馬鹿馬鹿しくも開放的な扮装が単なる道化ではなく、管理や規制に対して本当に正義を背負わなければならなくなるとしたら、この裸はなんとも悲壮で物悲しい。

正義のために立つとなれば、多かれ少なかれドン・キホーテ的人物と見られることは免れがたいのだが、その恍惚と不安に対し、「仮面のみにて裸」という素っ頓狂な外見でもって同調するのがこの句の作者なのだろう。自恃や含羞の裏返しとしての「裸」とも取れるし、あるいは正義のために裸になるのか、裸になりたいから正義にまで突っ走ってしまうのか、今一つ判然としない怪しげなところにこそ感応しているとも取れる。

ところで、いきなり『けっこう仮面』など連想してしまったが、この句はべつに特定の先行作品を指示する前書きの類はついていない。つまり少女ではなく男である可能性も充分あるわけである。ましてこの句には作者として「澤田和弥」の名がついている。そうでなくとも句中に性別が明示されていない以上、男である可能性は低くはない。裸を隠さないからには、なおのこと仮面だけはしっかり付けていてもらわなければ困るのだ。

この作者においては、俳句こそが裸をさらけだすために不可欠な仮面なのだろう。

(念のために言っておくと、句集にはこういう作風の句ばかりが収録されているわけではない。「青竜」「朱雀」「白虎」「玄武」という春夏秋冬に対応する霊獣の名を持つ章に混じって「修司忌」という一章が別に立てられており、全体としては鬱屈と憧憬を沈めた抒情性が際立っている。)


句集『革命前夜』(2013.7 邑書林)所収。

2013年7月16日火曜日

【レコジャで一句】昭和あゝ夏の思ひ出ばかりなる 山田露結

【レコードジャケットで一句】
昭和あゝ夏の思ひ出ばかりなる  山田露結
Perez Prado/GOLDEN ALBUM

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2013年7月15日月曜日

●月曜日の一句〔澁谷道〕相子智恵

 
相子智恵







炎昼の馬に向いて梳る  澁谷 道

栗林浩著『俳人 澁谷道―その作品と人』(2013.7 書肆アルス)より。

漆黒の馬を想像した。胴も鬣も尾もつやつやと輝くサラブレッドのような、美しくて大きな馬。じりじりとした炎昼に、ただ静かにたたずんでいる。

その馬に向かって、自身の黒髪を梳っている。これは澁谷道の心の中に住む馬なのかもしれない。馬の毛と髪が黒々と、炎昼と相まって緊張感を持って響いてくる。

「山口誓子の〈炎天の遠き帆やわがこころの帆〉に刺激されて、西東三鬼も橋本多佳子も、誓子の膝下で情熱の炎を燃やした。木枯も、道も、そのひとりで、『炎昼』『炎天』の連作をいくつも書いたものだった」(八田木枯「現代俳句」平成22年5月号/同著より引用)重く響きながらど真ん中に打ち込まれるこのような句を読むと、その時代を羨ましく思う。

掲句は昭和41年に刊行された澁谷道の第一句集『嬰』に収められている。

2013年7月14日日曜日

〔今週号の表紙〕 第325号 神保町の路地

今週号の表紙〕 
第325号 神保町の路地

有川澄宏


1970年頃の神田神保町の路地です。

表通りは世界一と言われる、古書店街です。私もずいぶん世話になりました。さらにこの路地の一角にあった謄写版印刷屋(通称ガリ版屋)で、一年ほどアルバイトをしていたので、何年か後に、懐かしさのあまり訪ねた時の一枚です。

質屋、一杯飲み屋、それに中卒の子二、三人を抱えた零細な製本屋などが、ひっそりとならんでいました。いま、Googleマップでたどってみると、ビルや駐車場などに一変していて、当時の面影はありません。ただ、路地の広さは同じです。

そうそう、もう一軒、小さな鮨屋がありました。志賀直哉の「小僧の神様」の舞台を思わせる佇まいで、アルバイトで学業をなんとか続けていた身には、作中の仙吉と似たような境遇で、私は店の前を素通りするばかりでした(涙)。

もうひとつ。この路地の近くのさくら通りに、「東洋キネマ」という多くの人に親しまれた映画館がありました。

1922年(大正10年)1月、開業初日の弁士は、德川夢声だったそうです。関東大震災で焼けた後、1928年(昭和3年)に再建後は、数々の名画がファンをとりこにしたようで、私も学校とバイトをさぼって、ときどき覗きにいきましたが、映画の題名がいま思い出せません。サボるのが目的だったせいかも知れません。

70年代の初めに閉館、その後、1992年に解体とありますから、この路地の写真を撮りに行った頃は、まだ健在だったはずで、歴史的な建物の写真を撮りそこなったうかつ者です。(ネットにたくさん写真が出ていますから、ぜひごらんください)

この映画館は、多くの文学者の小説や日記にも、登場しているようです。


ありかわ・すみひろ
1933年、台北市生まれ。「古志」「円座」所属。「青稲」同人。web連歌参加。



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2013年7月13日土曜日

●泳ぐ

泳ぐ


灰青色の海へ桃投げては泳ぐ  飴山 實

暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり  鈴木六林男

愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子

パンツ脱ぐ遠き少年泳ぐのか  山口誓子

遠泳のこのまま都まで行くか  太田うさぎ〔*〕

腥き人間として泳ぎたる  矢口 晃〔*〕

海も故郷泳ぎ疲れてなお泳ぐ  松岡耕作

脛に毛のない君たちのクロールなり  石川青狼

けふもまた町はおだやか遠泳す  宮本佳世乃 〔**


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より
**〕宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』(2012年12月)

2013年7月12日金曜日

●金曜日の川柳〔天野堯亘〕樋口由紀子



樋口由紀子







信号を守ると多分遅刻する

天野堯亘 (あまの・たかのぶ)

先日、我が家に車で来た友人が着いてすぐに「信号の黄色は止まれだよね」と不思議そうに聞いてくる。彼女の住む県では黄色なら車は当然止まるのに、ここではどの車も止まらずに進むので、危なくて仕方がなかったと言う。う~~ん、どちらかと言われれば私も黄色ならそのまま行ってしまう方かなと答えた。だって、後続車は止まらないだろうから、追突されそうな気がする。それに慣れてしまっている。当地はせっかちな所なのかもしれない。

信号の黄色でいちいち止まっていたのでは遅刻する人は多くなるだろう。早く家を出ればいいのだけど、わかっているけれどできないというのもよくわかる。信号に限らず、決まりを守っていただけではことがすまないことは生活をしていく中でいっぱいありそうな気がする。『秋桜』(天野堯亘追悼作品集 1995年刊)所収。

2013年7月11日木曜日

【俳誌拝読】『や』第63号(2013年6月30日)

【俳誌拝読】
『や』第63号(2013年6月30日)


発行人・戸松九里、編集人・中村十朗。A5判、本文48頁。同人諸氏作品より何句か。

徳久利も猪口も上げ底山笑ふ  菊田一平

品川のビルの向かうの夏の潮   戸松九里

椅子軋む六月薬ごもりの日  麻里伊

たいせつな四月四日となりにけり  小野磨女

極楽は地獄の向かう花あけび  関根誠子

てんかんをさらりと告知赤カンナ  豊田美根

一日をただしく生きる春の空  田沼塔二

「ひとり吟行」、題詠など、作句の契機を促すページが多い。


(西原天気・記)

2013年7月10日水曜日

●水曜日の一句〔須藤徹〕関悦史



関悦史








叫ぶ教皇重低音の蝿生る   須藤 徹

〈フランシス・ベーコン展五句〉の前書きのある最初の句。フランシス・ベーコン展は、東京では竹橋の東京国立近代美術館で三月八日から五月二六日まで開かれていた。

この句が載った「ぶるうまりん」二六号は「美術と俳句のアマルガム」という、美術作品をモチーフに俳句を詠む実験的な特集が組まれていて、須藤氏はこの特集にこそ参加していないものの、ベーコン展についての短文も書いており、それに合わせた感がある。

(ベラスケス、エイゼンシュタイン、口腔内の医療用写真といった引用元に触れた後で)
……ベーコンの「叫ぶ教皇」は、しかしタイトルの「叫ぶ教皇」にのみ収斂される。線・形・色彩・構図などの絵画を構成する全ての要素は、完璧であり、文句のつけようがない。その完璧さによって、世界は一瞬にして歪められ、脱臼され、還元される。キリスト教の秩序崩壊という些細なレベルではなく、言葉を持たず、叫ぶだけの人間の原始的身体性そのものの姿に回帰しようとする「教皇」、そこには一切の物語(意味)も終焉していよう。》(「瀧の沢山荘にて⑫ 叫ぶ教皇とフランシス・ベーコン―世界は一瞬にして脱臼し、意味を失う」)

ベーコン自身、自分の絵が物語や意味の図解に堕してしまうことを警戒していたらしいが、須藤徹の句もその強度に打たれ、意味性、象徴性を帯びないようにと、強度だけを「重低音の蝿」の発生というあり得ない暗喩で表そうとしている。

絵に限らず他の芸術作品をモチーフにした句が難しいのは、その感銘を表すべく苦心した表現の到達する限界が、当の作品という物件の彼方へは突き抜けない点で、この句の場合は、直接言及した「叫ぶ教皇」という部分が早々とその限界に屈したかに見えながら、「重低音の蝿生る」という非在の領域の発する禍々しい音への暗喩化によって、あの画面で起こっている得体の知れない事態を何とか言語化=意識化しようと努め、重低音の持続=時間の要素を引き出すことで一定の成功をおさめながらも、しかし結局はその全てがあの画面に魅入られ、吸収されてしまうという敗北の形をとったベーコンへの讃となっている。

正面から挑んでベーコンに呪縛されてしまったこの句よりも、核融合との取り合わせによって、日本の現状や不吉極まる不可知の領域とクロスさせた五句目《ベーコンの脚燃料棒と交叉せり》を佳とすべきだろうか。

ちなみにこの両句の間に挟まった三句は《教皇の脳天に散る陽炎よ》《歯が闇を闇が歯を攻め教皇は》《教皇の線の脱臼蠅生る》で、いずれも一句目と同じ画面自体を写生する試み。最後の「燃料棒」の句のみがベーコン作品への屈服による閉塞感を逃れている点、示唆に富む。


周知のとおり、須藤徹さんは去る六月二九日に食道がんのため、六六歳の若さで亡くなられた(先月出た「ぶるうまりん」二六号を見ても病気の気配など微塵もないのだが。意志的に伏せておかれたらしい)。

私事を記せば、一人で俳句を作っていた私が初めて人なかに出たのが現代俳句協会青年部の勉強会であり、当時、須藤さんがその部長だった。

快活で温和な印象で、いきなり訪れ、見知った人が皆無の初心者としても、その後の飲み会も含め、居心地の悪さを感じることはなかった。

私が東日本大震災に遭った折には、呼びかけに応じ、匿名で義捐金を出してくださった。

匿名だったのに何で私が知っているかというと、被災後、家の修理にと用意した現金を賊に押し入られて盗まれるという事件があり、ブログに書いたら、それを見た須藤さんが驚いて再度別にお見舞金を送ってくれたからである。

お世話になりました。ご冥福をお祈り申し上げます。


「ぶるうまりん」二六号(2013.6)掲載。

2013年7月9日火曜日

【レコジャで一句】暑き夜といふほかは記憶にあらず 山田露結

【レコードジャケットで一句】

暑き夜といふほかは記憶にあらず  山田露結



Pete Terrace/KING OF THE BOOGALOO

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2013年7月8日月曜日

●月曜日の一句〔花谷和子〕相子智恵

 
相子智恵







薔薇そこに身を傾けている闘魚  花谷和子

句集『歌時計』(2013.6 角川書店)より。

闘魚は「ベタ」という、タイのメコン川流域原産の熱帯魚。その気性の荒さから、2匹の雄を戦わせる遊戯「闘魚」のために飼われるようになった。赤や青など色鮮やかで、大きな尾鰭を持つ美しい熱帯魚である。

ある日、闘魚の入った水槽のそばに薔薇が飾られたのだろう。闘魚も薔薇も、その色については書かれていないが、どちらも血のような真紅であると私は想像した。薔薇の赤さを敵だと思ったか、闘魚が薔薇に向かって〈身を傾けている〉。

もの言わぬ水中の熱帯魚と、もの言わぬ花瓶の花。あわれな勘違いによる、じつに静かな戦いが部屋の一角で行われている。無声映画のような静けさによって、一句の視覚的な美しさ、鮮やかさが際立つ。

薔薇が闘いを待つ熱帯魚のようにも、あるいは闘魚が薔薇の蜜を吸おうとする大きな蝶のようにも思えてきて、倒錯した美しさのある句だと思った。

2013年7月7日日曜日

〔今週号の表紙〕 第324号 回向院の蓮 鈴木不意

今週号の表紙〕 
第324号 回向院の蓮

鈴木不意


梅雨の晴れ間という言葉がぴったりの日。両国にある回向院での吟行で見かけた蓮の葉です。大きな鉢に浮かんだ葉と布袋葵、水の中には藻が雲のように沈んでいました。目高らしきものが泳いでいたのですが近づいたら隠れてしまった。

あまりに緑色がきれいだったので写真に撮りましたが、つくづく自然の色は無限です。色の無限を考えるだけで自然には敵わない、自然をコントロールすることなど不可能だと納得させられます。

七夕の夜、写真を撮った日のように晴れるといいのですが。


すずき・ふい
1952年、新潟県生まれ。「なんぢや」、「蒐」所属。



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2013年7月6日土曜日

●コモエスタ三鬼35 老婆と電車 西原天気

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第35回
老婆と電車

西原天気


ずいぶん久しぶりです。「まだ終わってないんだよ」ということで。



しやべる老婆青野を電車疾走す  三鬼(1947年)

老婆はどこにいるのかといえば、ひとつには、電車の中。そこでしゃべっている。

そう読むのがふつうかとも思う一方で、大きな切れを意識すれば、まったく別の「像」として、老婆と電車が隣り合う、というよりも重なり合って見えてきたりもします。

そのとき、おもしろいのは、老婆の顔(しゃべる口)がむしろ《後景》となること(語順のせいでしょうか)。電車は《前景》として青野をあざやかに疾走していく。老婆の口が電車を吐くかのようにさえ見えてきます。

句は、状況を説明的に伝えるのではない。そう解するほうが、愉悦を味わえることが多い。 この句は何も説明しない、描写しない。「しやべる老婆」と疾走する電車という2つの像が、ただただ提示された、ただ私たちの前に置かれた。この2つに《関係》などないのです。

関係などなく、伝えるものもないのだから、読者は《考える》ことをやめるべきです。考えるのをやめて、しばらくすると、とても気持ちよくなってきます。

読むドラッグ、ですな。


※承前のリンクは 貼りません。既存記事は記事下のラベル(タグ)「コモエスタ三鬼」 をクリックしてご覧くだ さい。

2013年7月5日金曜日

●金曜日の川柳〔福岡阿彌三〕樋口由紀子



樋口由紀子







シャボン玉ああ夕焼けが回ってる

福岡阿彌三 (ふくおか・あみぞう) 1908~1974

夕焼けが美しい。夕焼けの空に向かって誰かが飛ばしたシャボン玉がくるくる回っている。遥か彼方の夕焼けも、シャボン玉に映る夕焼けも、それらも回っているように見える。夕焼けとシャボン玉、それだけの世界、そこは時間が止まっていて、その世界は悠久の続いていくように感じる。

「ああ」は思わず声に出てしまう言葉。感嘆しているのか、驚いているのか、嘆いているのか。掲句は夕焼けというモノに感じて発したのだ。「ああ」としか言いようがなかったのだろう。「ああ」が浮かび上がって、回っているようである。

〈きのう空が見えなくて茂った葉だった〉 福岡阿彌三は西脇順三郎の詩論に影響を受け、現代詩としての川柳革新の推進に努めた。

2013年7月4日木曜日

●のこぎり

のこぎり

いちまいの鋸置けば雪がふる  上田五千石

炎帝のむかし氷屋鋸を引き  仁平勝

散る花とひねもす電気鋸と  永井龍男


2013年7月3日水曜日

●水曜日の一句〔榎本享〕関悦史



関悦史








ふらここの傾きたるも切れたるも   榎本 享

長く放置されて半壊れとなったブランコ。

十数年くらい前までは筆者の住む辺りでもたまに見られた光景だが、最近見なくなってしまった。管理者不在となった土地はすぐ更地にされてしまうようになったからである。

さてこのブランコ、鎖が切れたり傾いたりして、物体が怨みをのんでしずもっているようでもあり、それなりの安定のなかで自足しているようでもある。 

「傾きたるも切れたるも」と対句で拍子を取るような、軽い弾んだ口調の表現はこの作者の持ち味なのだろう。

おかげで廃墟趣味的な物件を描きながらも、心情投影や、自己愛の延長じみた自然・静謐への偏愛とは無関係な句となった。


句集『おはやう』(2012.10 角川書店)所収。

2013年7月2日火曜日

【レコジャで一句】涼しさや昼星に手を差し伸べて 山田露結

【レコードジャケットで一句】

涼しさや昼星に手を差し伸べて  山田露結



WHATNAUTS/REACHING FOR THE STARS

※コメント欄へご自由に投句して下さい(有季、無季、自由律ほか何でも、何句でも可)。


2013年7月1日月曜日

●月曜日の一句〔村上喜代子〕相子智恵

 
相子智恵







生きてゐるうちは墓守草を引く  村上喜代子

句集『間紙』(2013.6 角川書店)より。

一読、その真理にハッとした句。先祖の墓地の雑草を取り除きながら、〈生きてゐるうちは〉亡き人の墓を守っていくのだ、自分は〈墓守〉なのだと思っている。

この〈生きてゐるうちは〉という限定が逆説的に、自分自身が死んだ後は墓守をしていた墓に入る側となる、という当たり前の事実をピシャリと突きつける。

「墓を守る人の行き着く先は、自分もその墓に入ることだ」というのは、非情な真理である。生きている間に自分ができるせめてものこと……それは雑草を心をこめて丁寧に取り除き、墓を保つことのみ。そして自分の死後はまた、誰かが自分の入った墓の〈墓守〉となり、草を引くのである。その順繰りに進む“生死の順番”を静かに考えさせる句である。