2019年4月29日月曜日

●月曜日の一句〔宇多喜代子〕相子智恵



相子智恵







朧夜の戦車は蹲るかたち  宇多喜代子

句集『森へ』(青磁社 2018.12)所収

春の夜の濃密な情緒を感じさせる〈朧夜〉という季語から、中七へ読み下して〈戦車〉との落差にハッとする。そして〈戦車は蹲るかたち〉という言葉に、また驚くのである。

キャタピラーを腹の下に抱え込んだ戦車の姿は、言われてみれば膝を折って蹲る人の姿に似ている。この擬人化によって、人が蹲る姿を思い浮かべ、そこから逆に戦車で蹂躙される側、つまり戦火から逃れるために地に蹲って身を守り、息をひそめる人の姿がイメージされてきた。美しい春の夜のしっとりとした空気の中で、人のように蹲る戦車と、擬人化で背後に浮かび上がる、蹲った人間。

ふわふわとした、あやふやな美しさに酔いそうな〈朧夜〉。なぜ作者があえてこの情緒たっぷりの〈朧夜〉の中に、戦車を見たのかはわからない。しかし一貫して戦争の記憶、そして戦後を書き続けてきた宇多喜代子という人の視点が、そこにはある。

戦車は、これからも蹲ったまま止まっているだろうか。人間は、どうだろうか。



2019年4月27日土曜日

●土曜日の読書〔お金の大切さについて〕小津夜景




小津夜景







お金の大切さについて

漢詩人とは多かれ少なかれ隠棲にあこがれ、また実際に隠者になってしまう人々である。

けれども隠者なんかになって、一体どうやってごはんを食べていたのだろう。

この手のことを調べる人というのはちゃんといて、昔どこかで陶淵明の収入源を整理し、ざっと概算した論文を読んだことがある。どこだったかなあ。まったくもってパンドラの箱を開けちゃうたぐいの研究だが、結論だけ書くと、田園詩人の宗としてみんなのアイドルである陶淵明は、たとえどんなに貧しく見えようとも、世間で言うところの貧乏ではなかったようだ。

思えば、士族の家に生まれ、高い教養も備えた五柳先生。あいにく気に添う仕事には恵まれなかったものの、県令(県知事)を辞し隠者デビューをしてからは地元の名士達からの庇護の申し入れ(隠者のパトロンであることは権力者にとってひとつのステータスになる)をのらりくらりとかわし、あそこにすごい先生がいるとの期待を煽って、「潯陽の三隠」と称されるまでになる。彼の交際していた面子を見るにつけ、あ、これは付け届けもすごかっただろうなとか、たとえ奢ってもらうにしても彼らと交わる暮らし向きではあったのだ、などといったことは素人でも想像できるところ(ちなみに岩波文庫『陶淵明全集』の解説によると、県令から隠棲へという下野方式は、エキセントリックであるどころかむしろ当時の慣例だったらしい)。

ところで隠者稼業にも乗り出さず、給料取り(役人)でもなく、財産もない詩人たちはどうやってごはんを食べていたのか。これも気になる話だ。それで詩を読むときに経歴も調べるようにしてみたら、みっつのパターンが見えてきた。

【典型① パトロン】古今東西説明不要な収入源。隠者に限らず、そもそも知識人というのは権力との相互依存・協力関係が深い職業と言える。
【典型② 売文】頼まれて詩や書をつくり、その報酬で生計を立てるといった、画人の詩文ヴァージョン。
【典型③ 食客】他人の家に住まわせてもらう代わりに、その家の子弟、あるいは地域に学問を授ける居候。

ざっとこんな感じ。専門書にあたればもっと正確なことがわかるだろう。と、ここへ来て読書の話を忘れていたことに気がついた。吉川幸次郎漱石詩注』(岩波文庫)にこんな詩がある(現代語部分は私訳)。

帰途口号 其一  夏目漱石

得間廿日去塵寰
嚢裡無銭自識還
自称仙人多俗累
黄金用尽出青山

帰り道に口ずさむ その一  夏目漱石

暇ができて二十日ほど
人間界とおさらばした。
財布が空になったので
帰り時だと気がついた。
仙人を称する身にも
人づきあいは多いのだ。
有り金も尽きたところで
山を下りることにしよう。

明治23年9月、23歳の漱石が箱根を旅行したときの作。軽妙で、若々しい。そしてこの詩からわかるのは、やはりお金がないと隠者にはなれないということ。漱石の隠者稼業はわずか20日で終わった。


2019年4月25日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋    西鶴(前句)
 こゝの千話文何とかくべき 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)


続篇。

先述のとおり、前句は、風を体内に迎え入れると身ごもる、という処女懐胎的「風はらみ」の伝説による。

その説話的世界を契機として、付句は千話文(痴話文・ちはぶみ)つまり当世(現実)の艶書へと転じる。

後年、『好色五人女』(貞享三年、1686)で〈ちは文書てとらせん〉(巻三)と書いたような浮世の一コマである。(たとえば孕女への片恋とか)

前回みた打越・前句の説話的な付合を契機としながら、それに拘束されることなく、現実世界へと転じているわけであるが、じつは「風はらみ」の伝説そのものにも現実的なネタバレがあった。

ひきつづき浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみよう。
昔、この島の伝説として、男女ともに住むのは海神の怒りに触れると言うので、二つの島に分かれて住んでいたが、一年に一度だけ南風の吹く日に、男島(青が島)から女護が島(八丈島)へ渡って来て、夫婦の契りを結ぶ習わしだった。

島の南に面した砂浜に、女たちは銘々自分の作ったわら草履を一組ずつ並べて置いた。これは女たちが、男島から渡ってくる男たちを、一夜夫として決めるための迎え草履である。
女たちは草履に何か印をつけておいて、その草履を選んだ男を自宅に招いたんだって。

なーんだ、〈迎え草履〉って痴話文よりすごいじゃん。

とはいえ『西鶴諸国話はなし』(貞享二年、1685)をモノすほどの西鶴、これも取材済みだったかもしれない。

2019年4月23日火曜日

●致死量

致死量


少年睡りて致死量の水の重み  高野ムツオ

人妻に致死量の花粉こぼす百合  齋藤愼爾

致死量の月光兄の蒼全裸  藤原月彦

鳥落ちてあり致死量の雪なりしか  橋本薫〔*〕


〔*〕橋本薫句集『青花帖』(2018年11月/深夜叢書社)

2019年4月20日土曜日

●土曜日の読書〔コケ色の眼鏡〕小津夜景




小津夜景







コケ色の眼鏡

「抽斗堂」という遊びをブログではじめた。

週一くらいのペースで、抽斗の中にあるモノをひとつずつ解説するといった遊びで、今まで解説したのは、石ころ、押し葉、シーグラス、抜けた羽根、計量カップの把手、まつぼっくりのかけら、陶器の一部、細く刻んだ紙、壊れた時計、古びた箱、切符の半券など。いわゆる「どうでもいいモノ」ばかりだ。

自分でも、抽斗の中にあるモノの基準がよくわからない。が、抽斗からモノがあふれたことがまだないことからして、単純に気に入ったモノをどんどん集めているわけではないようだ。

いったいわたしは、どんな色眼鏡で世界を見、モノを分別・収集しているのか。

田中美穂苔とあるく』(WAVE出版)は、倉敷市の古本屋「蟲文庫」の店主である著者が、コケ色の眼鏡を通して見たご近所を綴った本である。コケといえば、ニューヨークの植物学者ロビン・ウォール・キマラーの書いた『コケの自然誌』は傑作だったし、尾崎翠『第七官界彷徨』もいい味出している。はたして『苔とあるく』はどうだろう。

そう思いつつ、ページをめくと、この手の本としては圧倒的に文字量が少ない。で、著者はそのほんの少しの文字でコケの生態をまず押さえ、それから採取・記録・保存・栽培・伝道・調理・おすすめスポットといった網羅的内容を語るのだが、これがぱっと眺めるだけでわかるくらいすっきりしている。図像も豊富だし、読み終わった時にはコケについて一通りのことがじぶんでできるように設計されているし、こういう本ってあるようでないかも。
数年前、店の裏山のコケマップを作りました。肉眼でもその違いが判りやすいコケを13橿頻ほどビックアッブして、風景写真とコケの拡大写真、それに簡単な解説をつけて地図上に配置したものです。
意認してコケを見るのは初めて、という人でもこのコケマップと照らし合わせれば、目の前にあるものが何というコケなのかを知ることができるためなかなか好評なのです。
このコケマップは写真家の伊沢正名さんとの出会いによって生まれました。ある時、ご自宅のある茨城県から、コケの撮影に屋久島まで行かれる道中に立ち寄られ、ひょんなことから「この辺りのコケマッフを作りましょう」ということになったのです。
はじめは、珍しいコケがあるわけでは ない町中のマッブを作ってどうするのだろう、くらいに思ったのですが伊沢さんは 「いや、普通の町中だからこそいいんですよ。山へいけば大きくて見栄えのするコケはいくらでもあるけれど、町中の地味なコケだって、じっくり見ればすごくきれいなんですから」と。
こんなふうに、著者はそのへんに生えている苔の啓蒙活動も行なっている。またその甲斐あってか、自宅と店とのあいだを日に15分ほど自転車で往復する生活をもう何十年も続けている著者のもとには、徳島の温泉、春休みの奄美、アメリカのオリンピアの森、スロベニアのイドリア鉱山となど、たくさんの人たちがいろんな場所に存在するコケを持ち帰ってくる。

みんな親切だなあ。著者の不動性もおもしろい。なんというか、ちょっとした宇宙の中心に鎮座しているみたいで。


2019年4月19日金曜日

●金曜日の川柳〔浪越靖政〕樋口由紀子



樋口由紀子






「重要なお知らせです」と黒揚羽

浪越靖政 (なみこし・やすまさ) 1943~

黒揚羽はたまに飛んでいる。黒をきれいと思うときと、景のなかの一点の黒に違和感を持つこともあり、微妙な雰囲気を漂わせている。「重要」と印字された封書がたまに届く。確かに重要なものもあるが、なかにはそれほどでもないものもある。「重要」という言葉は一人歩きしていく。誰にとっての重要なのか。言葉の意味を考えさせられる。

「と」だから切れないで「黒揚羽」が使者ということなのだろう。だったら、それはもうまちがいなく「重要」なのだと推測して、興味津々となる。もちろん、そんなことは実際にはないのだが、虚の出来事だからこそ気づかされるものがあるように思う。〈ネクタイの重さ発砲スチロール〉〈ずっと他人だった両面テープ〉〈ゆっくりと四の字固め解いて 朝〉 『川柳作家ベストコレクション 浪越靖政』(2018年刊 新葉館出版)所収。

2019年4月18日木曜日

●虚と実 橋本 直

虚と実

橋本 直

鴇田は、単純な現実を、複雑に書いている。そのために、中心的な価値観の見えない今という時代の気分に、肉迫している。一方、万太郎は、複雑な現実を、単純に書いている。そのために、普遍的な詩情を持ちえている。鴇田の句は「実」から出発して「虚」に至っている。対照的に、万太郎の言葉は、「虚」から始まって「実」に着地している。そのように言い換えることも出来るだろう。
髙柳克弘『どれがほんと? 万太郎俳句の虚と実』慶應義塾大学出版会/2018年4月
非常に面白く、かつ実作者の為になる万太郎論と思う。

引用は同書168頁から。現代の若手の代表作家として鴇田智哉の句を挙げ、万太郎の句と比較しているくだりの一部。そんなに分量かけているわけではないが、面白い指摘。

2019年4月16日火曜日

【リマスタリング】岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む 三島ゆかり

【リマスタリング】
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む

三島ゆかり



火蛾は火に裸婦は素描に影となる 岡田一実(以下同)

巻頭の句である。「火蛾は火に」で切れるという読みもあり得るが、「火蛾は火に」と「裸婦は素描に」とが助詞を揃えた対句で、両方が下五の「影となる」にかかると見るのが順当だろう。しかしながら「火蛾は火に/影となる」と「裸婦は素描に/影となる」は「影となる」のありようが全然違う。前者は単に火という光源に対し火蛾が光源を遮ることを言っているのに対し、後者は光源を遮るという意味ではあり得ない。芸術作品の完成度に関わる内面的な描写のことを言っている。次元の異なるものをあえて対句とすることにより、この句自体が曰く言い難い影をまとっている。そして句集を読み進めるにつれ、その曰く言い難い影と、もうひとつ、ある種の水分がまさに句集のタイトル通り「記憶における沼」のように繰り返し現れるのに読者は直面することになる。巻頭の句にふさわしい一句であろう。

眠い沼を汽車とほりたる扇風機

二句目で「記憶における沼」の核たる「沼」が出現する。「眠い沼」とは現実界の沼に対する措辞なのか、それとも心象なのか。そのあたりはっきりしない茫洋とした感じこそがこの句の味なのだろう。ノスタルジックに汽車が通り、人がいるのかいないのかも定かでない世界で扇風機が回っている。

蟻の上をのぼりて蟻や百合の中

全句鑑賞になってしまいそうな勢いで恐縮だが、三句目も押さえておこう。この句では句集全体を通じて見られる外形的な特徴がはっきり見てとれる。ひとつはリフレインである。以前『ロボットが俳句を詠む』の連載で後藤比奈夫について書いたことがあったが、そこで触れたリフレイン技法のすべてを岡田一実はマスターしている。巻頭の「火蛾は火に」など、むしろリフレインの新たな領域を開拓している感もある。もうひとつの特徴を言えば、十七音の調べの中で岡田一実のいくつかは、短い単位をこれでもかと詰め込んだ感がある。とりわけ下五への詰め込み効果については別の句を例にあらためて触れたい。


以下、章ごとに見て行きたい。第1章は「暗渠」。暗渠とはいうまでもなく、川を治水、衛生、交通などの観点から上にふたをして見えなくしたもの。川としてなくなった訳ではなく、暗いところで脈々と流れているところが眼目である。普段気にかけることはないが確実に存在するものへのまなざしは、岡田一実にとってもテーマであろう。

暗渠より開渠へ落葉浮き届く

治水行政が進んでしまったので、暗渠から開渠に転じる場面はそうあるわけではないが、あるところにはある。流れ出た落葉を見て、暗渠区間の様子に思いを馳せている。「浮き」「届く」と動詞を畳みかけることにより、着地を決めている。とりわけ「届く」が絶妙である。

喉に沿ひ食道に沿ひ水澄めり

水を飲んだときの快感を詠んでいるが、詠みようは暗渠の句と同じで、体内の見えない器官に思いを馳せている。「水澄む」は伝統的には地理の季語であるが、もはやなんでもありである。ちなみに章に六十句ほどあるうち、二十句近くはリフレインや対句を使用している。いかにその技法にかけているかが偲ばれる。

馬の鼻闇動くごと動く冷ゆ

馬にぎりぎりまで迫って詠んでいる。馬に慣れ親しんだ人ならこうは詠まないだろう「闇動くごと動く」の違和感、下五に押し込めた「冷ゆ」が喚起する鼻息の温度差、湿度差がよい。下五の残り二音で切れを入れて来る、この危ういバランス感覚はリフレインへの信頼があるからできることなのかも知れない。「闇動くごと動く」に律動的に現れるgo音がなんとも不気味である。


第2章は「三千世界」。現代国語例解辞典(小学館)から引く。①「三千大千世界」の略。仏教の想像上の世界。須弥山を中心とする一小世界の千倍を小千世界、その千倍を中千世界といい、更にそれを千倍した大きな世界をいう。大千世界。②世界。世間。「三千世界に頼る者なし」

①の説明によれば、三千というより、千の三乗、ギガワールドである。章中「三千世界にレタスサラダの盛り上がる」という句がある。外食業界で一時期、大盛りの極端なのを「メガ盛り」とか「ギガ盛り」とか言っていたような気もするが、それはさておき「三千世界」、どんなバラエティの世界なのか見て行こう。

夢に見る雨も卯の花腐しかな

甘美である。夢と現実とが「卯の花腐し」という古い季語によって融けあっている。「夢に見る雨も」に現れるm音の連鎖と「夢」「卯の花」「腐し」で頭韻的に現れる母音u音によって、やわらかな雨のなかにとろけてゆくようである。

早苗饗や匙に逆さの山河見ゆ

こちらは徹底的に頭韻にsa音を置いて調べを作っている。早苗饗は田植えが終わった祝い。ほんとうに匙に逆さの山河が見えたのかはどうでもいいことだろう。音韻的な美意識によって句集に彩りを添えている。

あぢさゐの頭があぢさゐの濃きを忌む

リフレインの句である。「あぢさゐの頭」は植物としてのアジサイの意思なのか、七変化する作者の意識のことをそう呼んでいるのか。もはや区別する必要もないのが、作者にとっての「三千世界」なのではないか。

夕立の水面を打ちて湖となる

湖に降る夕立は、ただちにそのまま湖水となる。明らかなことがらをあえて俳句に仕立てているわけだが、このように書かれると、夕立と湖が一体となる不思議を思う。ここでも「夕立」「打ちて」「湖」と母音u音を畳みかけて調べを作っている。

母と海もしくは梅を夜毎見る

三好達治「郷愁」の一節に「――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。/そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。」があるせいで、後から来た私たちは類想を封じられてしまった感もあるのだが、岡田一実はさらにこれでもかと「梅」「毎」を重ね、あっさりとハードルを越えてしまった。

どうだろう。なにかしら言い止めるべき現実があって俳句をものしていると思っていると、岡田一実の表現しようとしていることは捉えられないのではないか。岡田一実の「三千世界」は俳句としての調べや表記の純度を追求した、架空の世界のような気がする。


第3章は「空洞」。何句かごとに鳥が飛び、ひとところに留まらない。

麺麭が吸ふハムの湿りや休暇果つ

岡田一実の食べ物の句は必ずしも美味しそうでない。つきまとうノイズのようなものを正確に捉えている。朝作ってもらったお弁当のパンを昼食べるときの情けないようなだらしないような感じ。その通りなんだけど、それ、詠みますか。

口中のちりめんじやこに目が沢山

すでに口のなかに入っているのにちりめんじやこの目の気持ち悪さに言及してやまない、この感じ。「栄養なんだから食べなさい」と叱られる子どもの恨みのようである。

かたつむり焼けば水焼く音すなり

これは食べ物の句なのか。エスカルゴとは書いていない。あえてかたつむりと書きたかったのではないかという気もする。食べ物の句だとしたら、いかにも不味そうである。ちなみに俳句にとってはどうでもいいことだが、ネットによれば、自分で採ってきたカタツムリを食べるには、二三日絶食させるか清浄な餌を食べさせ続ける必要があるらしい。

火を点けて小雨や夜店築くとき

「水焼く」といえば、こんな句もある。また最終章には「雨脚を球に灯せる門火かな」というあまりにもうつくしい句がある。なにかしら煩悩のように、気がつくとまたしても水がある感じ。それが記憶の沼につながって行くのかも知れない。

煩悩や地平を月の暮れまどひ

「くれまどう」は通常「暗惑う」「眩惑う」と書き、悲しみなどのために心がまどう、どうしたらよいか、わからなくなる、といった意味だが、ここでは敢えて「暮れまどひ」と書き、月が暮れることができないというシュールな情景を重ねている。

室外機月見の酒を置きにけり

かと思うとこんな句も。こんなふうに風流に詠まれた室外機を私は知らない。

ちりぢりにありしが不意に鴨の陣

ここまで挙げたような日常些事から心象まで多岐にわたる対象世界を、いちいちご破算にするかのように数句ごとにさまざまな鳥が飛ぶ。掲句以外にも「常闇を巨きな鳥の渡りけり」「飛ぶ鴨に首あり空を平らかに」「歩きつつ声あざやかに初鴉」など。句集におけるこういう鳥の使われ方は、見たことがなかったような気がする。

揚花火しばらく空の匂ひかな

この章の最後を飾る句である。「火薬の匂ひ」ではない。「空に匂ひ」でもない。書かれた通り「しばらく」、「空の匂ひ」と置かれた六音を書かれた通り玩味する。そして記憶の中をさまよう。幼年期の記憶は理路整然と分析できない渾然一体の「空の匂ひ」としか言いようのないものだ。そして詠嘆する。


最終章は「水の音」。特に章頭の句「海を浮く破墨の島や梅実る」と句集全体の最後を飾る「白藤や此の世を続く水の音」に見られる「を」について注目したい。これらの「を」は岡田一実にとって万感の「を」であり畢生の「を」であるはずだが、現代日本語としてはいささか尋常ではないようだ。

『岩波古語辞典』の巻末の基本助詞解説によれば、格助詞の「を」は本来、感動詞だったものがやがて間投助詞として強調の意を表すようになったらしい。そこからさらに目的格となるくだりを少し長くなるが引用する。
 
こうした用法(ゆかり註。間投助詞として「楽しくをあらな」のように使われていたことを指す)から、動作の対象の下において、それを意識するためにこの語が投入された。そこからいわゆる目的格の用法が生じたものと思われる。しかし、本来の日本語は目的格には助詞を要しなかったので、「を」が目的格の助詞として定着するにあたっては、漢文訓読における目的格表示に「を」が必ず用いられたという事情が与っていると思われる。
 対象を確認する用法から、「を」は場合によっては助詞「に」と同じような箇所に使われる。たとえば、「別る」「離る」「問ふ」などの助詞の上について、その動作の対象を示すのにも用いる。また、移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示すことがある。

後者の例として以下が挙げられている。「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」<万三六〇八>「長き夜を独りや寝むと君が言へばすぎにしひとの思ほゆらくに」<万四六三>

違和感ゆえに詩語として絶妙に意識させられる岡田一実の「を」は万葉集由来のものだということらしい。「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」という用法を頭に叩き込んでおこう。

海を浮く破墨の島や梅実る

破墨は水墨画の技法だから、一幅の作品に対峙していると見るのが順当だろう。描かれたときから作品の中でそうあり続けている海と島の玄妙な関係に思いを馳せる。そんな時の流れを想起させもする「梅実る」がよい。モノクロームの世界に取り合わせられるふくよかな緑。

白藤や此の世を続く水の音

過去から未来までの長大なスケールの中での自分が今生きているこの一瞬。水がある限り白藤を愛でることができる生命体が長らえる。句集の最後を飾る、そんな万感の「を」だと思う。


2019年4月15日月曜日

●月曜日の一句〔石山ヨシエ〕相子智恵



相子智恵







中空の春まだ浅し鳥雫   石山ヨシエ

自註現代俳句シリーズ12期37『石山ヨシエ集』(俳人協会 2019.1)所収

〈鳥雫〉は造語。鳥が雫のように落ちてきたということだろう。雲雀のような鳥が急降下してくる様子を想像する。自註を読めばこの造語に至った経緯もわかるのだけれど、一句そのものの鑑賞を楽しみたいので自註には触れずにおく。

季語としては「春浅し」ということになるが、〈中空の春まだ浅し〉によって、地に近い私たちにとっては、春がもうすでに浅くないことがわかる。このように春の訪れの時間差、空気の冷たさの違いは〈中空の春まだ浅し〉だけでも言い切れてはいる。

だがそこに〈鳥雫〉があることで、鳥が急降下する一瞬のうちに触れる空気の温度差を読者は追体験することになる。鳥の落ちてくる速さ、そして大地を潤す「雫」という言葉。この美しい造語が一句の質感を決定づけ、早春から仲春への凛として瑞々しい空気がよく伝わってくるのである。



2019年4月13日土曜日

●土曜日の読書〔夜の訪問者〕小津夜景




小津夜景







夜の訪問者

ある日、掃除のついでに、いらなくなった版画道具を一つにまとめ、「ご自由にお持ち帰りください」と張り紙を貼ってアパートの共同玄関前に出しておいた。

するとその夜、玄関のベルが鳴った。

ドアをあけると、見知らぬ若い男性が、版画の道具を抱えて立っている。

「あの」
「はい。どちらさまでしょう」
「この版画道具、捨てちゃうんですか」
「……ええ。どうぞ遠慮なくお持ち帰りください」
「いえ、違うんです」
「?」
「実は、道具の底にあった下刷りを目にして、作者に会ってみたくなって。とてもいい作品ですね。どうやって描いたんですか」
「……てきとうですけど。というより、あなた、なぜこれがわたしの道具だってわかったの」
「勘です。あの、今から一緒に食事でも行きませんか」

こういうとき、どうしますか? わたしはいつも、あの、わたし結婚してるんですけど、と答えます。フランス語はだいたいが婉曲表現なので、これでストレートな拒否になるんですね。しかしながらこのシュチュエーションは、相手に言外の意味を理解できるかいささか怪しい。それではっきり「嫌です」と答えた。

ところが男性はドアに身体を挟んだ状態で、いつまでも帰ろうとしない。ううむ。困ったなあ。夫よ、早く帰ってきて。そう思いながら会話を続けていると、男性が下刷りに印刷されていた「の」の字を指差して、こう言った。

「この、ところどころに描かれた、軽いうずまきもいいですね」
「あ。それはうずまきじゃないです。フランス語で〈de〉って意味」
「ええ! これ〈de〉なんですか!  ええと漢字は表意文字だから、じゃあ日本語の〈の〉というのは、言葉と言葉をつなぎあわせる鎖のかたちから来ているのかな……」

男性は真面目な顔をして、じっと下刷りを見つめている。その表情から、彼が完全にふつうの、しかもかなり好人物だということが直感された。それで玄関を離れてもだいじょうぶだと判断し、部屋の奥から本を持ってきて、

「これあげます。日本の文字の本です。あのね、今夜は時間がなくてこれ以上相手してあげられないの。もしほんとにお話したかったら、夫のいるときにいらして。ごめんなさい」

と、相手の両手をモノでふさいだすきに、身体を押し出してドアをしめた。

このとき男性にあげたのは平野甲賀の本である。たぶん面白がるだろう。さいきん読んだ平野甲賀もじを描く』(編集グループSURE)には、「の」をめぐるこんな記述があった。
写植にしろフォントにしろ、その書体で「の」の字がどんなふうにデザインされているかが、書体を選ぶときの僕の基準だ。文字を描く場合でもタイトルのなかに「の」の字のあるなし、その位置など、大いにきになる。「の」の字は「日の丸」のように明瞭で単純で異様な記号だとおもう。
この「の」の字使いの名人がいた。彫刻家で詩人の高村光太郎。みずからの詩を「書」として描いた、そこに登場する「の」は、あるときは軽快。肉太に描かれたときは、まるで宇宙の中心存在であるかのように渦巻いていた。
後半は、あははと笑うところ。平野甲賀が、高村光太郎ではなく、自分の書体の話をしているからだ。また光太郎「書について」には王羲之を語るのに、
偏せず、激せず、大空のようにひろく、のびのびとしていてつつましく、しかもその造型機構の妙は一点一画の歪みにまで行き届いている。書体に独創が多く、その独創が皆普遍性を持っているところを見ると、よほど優れた良識を具そなえていた人物と思われる。右軍の癖というものが考えられず、実に我は法なりという権威と正中性とがある。
にといったくだりがあるけれど、これも甲賀の書体を言い当てている。普通、流行に支配されたグラフィック業界であそこまで我や癖が強かったら、往年の花森安治みたいに〈生きた骨董系〉になってもおかしくないのに、今でも余裕でスマートだもんね。


(注・この書籍は書店での販売をしていません。SUREへの直接注文にてお求めください)。


2019年4月12日金曜日

●金曜日の川柳〔徳永政二〕樋口由紀子



樋口由紀子






できることできないことに春がくる

徳永政二 (とくなが・せいじ) 1946~

やっと春になった。陽射しも明るく、風もあたたかい。木々は芽吹いて、花が咲き始める。固まっていた身体や心がゆっくりとほどかれていくようで、大きく息を吸いたくなる。歳を重ねるごとに春がくるのが嬉しい。こんなに春を待ち望んでいたのかと自分でも不思議なくらいである。

いままでできていたことができなくなっていると気づくことがある。一方、もうできないかなと思っていたことがまだどうにかできることもある。「できる」には「見える」「動く」「読む」などのあらゆる動詞が含まれているみたいである。

昨年亡くなられた樹木希林さんのエッセイ集『一切なりゆき』が100万部を突破したそうである。掲句を読んで、「なりゆき」を感じた。すべてのことに春はくる。それらを受け入れて、じたばたしないで生きようと思う。〈春だからただそれだけで決めました〉〈山鳩のあたりの横があいている〉〈亀のいるあたりぼんやりあたたかい〉〈わいわいがいいねと風になるまでを〉 「びわこ」(2019・4月号)収録。

2019年4月11日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








 ひがしへ向ては風を待らん    西鶴(前句)
さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)

『好色一代男』(1682年)最終章で世之介が遊び仲間と女護(にょご)の島へ出帆するのは有名な話である。

松田修氏は新潮日本古典集成『一代男』頭注で掲出の付合をあげ、〈説話上の女護の島の女たちは、南東からの風を待って孕むという〉と記している。

中央公論社版「定本西鶴全集」第十巻(野間光辰氏『獨吟一日千句』頭註)にも〈南風に妊みて子を生むといふ〉とある。つまりは説話の世界による付合なのだ。

で、浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみると次のようにあった。
風を体内に迎え入れると身ごもる、という「風はらみ」の伝説が、琉球列島、紀伊半島、八丈島、北海道の太平洋岸に散らばっている。

昔、八丈島は女護が島といわれ、男が島に住むと神のたたりがあると信じられていた。そこで、子の欲しい女たちは南風が浜に吹きつける日、海辺へ出て帯をとき、暖かい風を胸と腹に受けて、身ごもった。
ここでは〈南風〉、西鶴の付句は〈ひがし〉、松田修氏は〈南東からの風〉と定まらない。

南風なら夏、東風なら春だが、掲出の付合の直前は〈日傘〉〈洗ひ髪〉と夏の句が続いていた。

西鶴は夏のイメージで南東の風を〈ひがし〉としたのだろうか。いや、南風を東向きに待つイメージだろうか。

どっちにしろ〈子の欲しい女たち〉からすれば〈さいあひのたねがこぼるゝ風を待ち〉という「風待ちロマン」には違いないのだろう。

もっともこの「風はらみ」の伝説には「迎え草履」というネタバレがあるのだが、それは次の機会に。

2019年4月8日月曜日

●月曜日の一句〔うにがわえりも〕相子智恵



相子智恵






辞令書をさくらっぽいきもちでもらう  うにがわえりも

「さくらっぽいきもち」(東北若手俳人集「むじな 2018」第2号 2018.11)所収

「さくらっぽいきもち」ってどんな気持ちだろう……と言語化を試みるうちに、桜ほど、日本人にとって個人的な思いと近くにありながら、共通の幻想を抱かせやすい花はないな、と思う。皆が毎年のパターンとして、開花をそわそわしながら待ち、急き立てられるようにお花見を楽しみ、散ることを惜しむ。「皆が何かを思わずにはいられず、何かをせずにはいられない花」というのは、そういえば桜以外にない。すごい動員力だ。

俳句で言えば、「花(桜)」はすべての季語の頂点に立つ季語の一つであり、私たちは眼前に自分だけの一回限りの桜を確かに見ながら、同時に本意という物語の、共通の幻想の大きな桜を自ずと見ている。それは、どの季語も同じことではあるのだけれど(というよりそれが季語の本質なのだけれど)、桜は本意の物語がとても大きく、かつ日本人に深く浸透している。

掲句は「桜を見る時の自分の気持ち」ではなく「さくらっぽいきもち」であり、個人の側ではなく、桜の幻想の側に立ち、桜と一体化してみせた。辞令書をもらう期待と不安という個人的な思いが、桜への日本人の幻想をすべて飲み込んだ「さくらっぽいきもち」として提示される。「ああ、そういう気持ちだよね……桜だしね……」と誰もが何となくわかることを、裏側から見せた面白い句であり、共通の幻想をペラペラな可愛らしさで暴いて見せた怖い句かもしれない。

2019年4月6日土曜日

●土曜日の読書〔味と香りと恋しさと〕小津夜景




小津夜景







味と香りと恋しさと

つくったことのない料理がたくさんある。

たとえばホットケーキ。パンケーキならよく焼くのだが、いつも焼きながら「いいかげん、ホットケーキのレシピくらい調べないとなあ」と思いつつそのまんま。

この季節だと桜餅もつくったことがない。母もつくらなかったから、桜の葉の塩づけがなかったのかも。だって蓬餅はつくったもの。やわらかな蓬をその辺で摘み、さっと茹で、擂り鉢ですったものを餅とまぜて軽くつき、手ぎわよく餡を包みこむ。その青い味わいは今でもはっきりと思い出せる。

そもそも料理は嫌いじゃないのだ。食のエッセイだってよく読む。自分で料理しない人の文章も悪くはないが、やはり実践家だと話が早い。檀一雄の料理はどれも居酒屋である。北大路魯山人は食べることへの純粋な執着が愛らしい(あと彼の食器はごはんがおいしい)。立原正秋からは料理に限らず多大な影響を受けた。一番好きなのは『日本の庭』だ。あとこれも料理と一見無関係な話だが、この人は香りに強く、殊に不貞小説の潮の香りがすばらしい。それから青木正児。彼が袁枚の『随園食単』を訳したのは戦時中の飢餓に耐えかねたからなんだそうです。ごちそうの本を深く読みこみ、妄想の力によって空腹を克服しようとしたのだとか。

森下典子こいしいたべもの』(文春文庫)は著者が思い出の味の記憶を辿った本で、ふっくらとした風合いのイラストと日常の手ざわりとが心地よい。横浜駅で買う鳩サブレー、コロッケパンの自由、夜の缶詰、夜明けのペヤング、桃饅頭と娘たちの恋。

桜餅の話もある。桜の香りが好きな著者が、ソメイヨシノは香らないことを知り、はて、ならばわたしが知っているあの香りはなんなのだろうと不思議に思う。それが、もうすぐ五十歳になるかといったある日、市ヶ谷の桜の前でふたたびその香りを嗅ぎ、真剣に嗅覚の奥をつきすすんでゆくと、突然それがランドセルの皮の匂いであることを「思い出す」。そのあとのくだりがこれ。
 初めての授業が始まる一年生の四月、父は学校まで送ってくれた。手をひかれて校門の前までくると、
「ここからは一人で行けるね」
と、言われてうんと頷き、バイバイと手を振って門を入った。校門の横には桜が咲いていて、春のはじめの冷たい風が吹いていた。これから知らない人ばかりの世界に入って行く。その不安に心が揺れ、その一方で、新しい世界に胸がわくわくするのを覚えた。その後もしばらくの間、校門の桜の下を通ると、その感情が胸を占めた。
 それから小学校卒業までの六年間、ずっとランドセルと一緒だった。いつも革の匂いがしていた。乱暴に扱って傷だらけになったけれど、最後まで革の香りは変わらなかった。
 桜に吹く冷たい風が、遠い記憶の栞をひらく。そこに挟まっていたのは、六歳の揺れる心と、真新しいランドセルの匂い。
 その父も他界して今年で二十六年がたつ。酒好きだったが、甘いものにも目がない人だった。この季節になるとよく、
「桜餅、買ってきたぞ」
と、行きつけの和菓子屋の包みを差し出した。
えてして匂いとはこうしたもの。味と匂いは、見たり聞いたりするのと違い、つねに至近距離の体験であるがゆえに記憶の根も深いーーとすれば触覚も? ぬくもりも根が深いのだろうか。

うーん。すこぶる奇異としか言いようがないが、私の体験によると触覚の記憶はこの世でもっとも浅く、儚く、徹頭徹尾うたかたに属するもののようである。




2019年4月5日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木せつ子〕樋口由紀子



樋口由紀子






母さんのそばを離れちゃいけません

鈴木せつ子 (すずき・せつこ) 1931~

物騒な世の中だから、知らない人に声をかけられてもついて行ってはいけませんよといっているのかと思ったが、まったく見当はずれだった。掲句は題詠吟。題はなんと「一万円」。あまりにも意外な姿で立ちあらわれて、椅子から転げ落ちそうになった。

川柳の句会は題ごとに選者が入選句を披講して、作者が名乗りを上げる。この句も読み上げられたときはさぞ会場は沸いただろう。川柳は「見つけ」を大事にする。他人の気づかないところを見つけて、はっとさせる。そして、ユーモアのエッセンスを撒き散らしながら、共感ラインにぴたりと着地させる。題とセットで味わうのも川柳ならではの技である。「杜人」(261号 2019年春)収録。

2019年4月1日月曜日

●月曜日の一句〔永瀬十悟〕相子智恵



相子智恵






村ひとつひもろぎとなり黙の春  永瀬十悟

句集『三日月湖』(コールサック社 2018.9)所収

福島を詠み続けている作者の句。巻末に置かれた鈴木光影氏の解説によれば、〈ひもろぎ〉とは漢字で「神籬」と書き、神社以外で神事を執り行う際につくられる聖域のことだそうだ。

原発事故によって全村避難を余儀なくされた村が、誰も足を踏み入れることのできない聖域のように静かに、そこに存在し続けている。人間が生み出した人間の存在を超える力が、一村をごっそり、一瞬で誰も近寄れない結界に変えてしてしまったことに、改めて呆然とする。

〈黙の春〉はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』も想起させる。〈黙〉は祈りの態度であるのかもしれないが、私には、あまりの事の大きさに思考停止に陥ったその後の私たちの、あるいは無かったことにしようとさえする、見ないふりを続ける八年後の沈黙の態度のようにも思われた。

「むらひとつひもろぎとなりもだのはる」と音読すると、MとR音の口籠る音と、H音の息を漏らすしかない音の連なりに、思考停止状態の、意志を持たない幼い大人の私たちが、力なく映し出されてくる。