2021年1月29日金曜日

●金曜日の川柳〔安黒登貴枝〕樋口由紀子



樋口由紀子






ミの音が抜けてえぐっぽい一日だ

安黒登貴枝 (あぐろ・ときえ)

「えぐっぽい」という言葉がまず目にとまった。広辞苑でひくと「あくが強く、のどをいらいらと刺激する味がある」とあり、あまり良いイメージではない。「えぐい」を音読したら、E音U音I音と上がっていく。漢字では「蘞い」、難しい。接尾語の「ぽい」でヒートアップする。どんな一日を喩えているのだろうか。

「ミの音」はまっすぐに発音するので、やましさやにごりがない。そんな健康的なものが抜けてしまったのに、だから困ったという印象はない。その一日を引き受けますと言っているみたいだ。作者は「ミの音」を持て余していたので、すっきりして、自分らしくなったのかもしれない。さぞかし、たいへんな、それでいて生き生きとした「えぐっぽい一日」になったことだろう。「湖」(第11号 2020年刊)収録。

2021年1月27日水曜日

●西鶴ざんまい #1 浅沼璞

西鶴ざんまい #1

浅沼璞


日本道に山路つもれば千代の菊   西鶴

のっけから私事で恐縮ですが、一年ほど前、不覚にも体調をくずし、「木曜日の談林」を休載。シンクロしてコロナ禍となり、免疫の落ちた我が身を厭いながらの日々、少々長いトンネルを抜け、漸う近頃は筆をとることも出来るようになった折から、そろそろ「木曜日の談林」を復活すべく、ウラハイ関係各位に相談するも、いかんせん病中より談林を読むエナジーとぼしく、しきりに「老い」を詠じた元禄期の西鶴翁に心を寄せるほかなく、それを率直に申し伝えたところ、忝くも「西鶴ざんまい」というアイデアを頂き、水曜日に不定期連載の運びと相成りました。

この場をお借りして関係各位には深謝申し上げる次第です。


さて西鶴が一時期、俳諧をやめて浮世草子に没頭したことはよく知られていますが、晩年、元禄の俳壇に復帰したことはあまり知られていないようで、ときには俳諧師から浮世草子作家に転身したまま一生を終えたというような誤伝を目にし、耳にすることも。
 
掲出句は、そんな誤伝を正しうる一つの有力な証左で、『西鶴独吟百韵自註絵巻』(以下、自註絵巻)という絵巻物の発句です。
 
この絵巻はその名のとおり、西鶴自ら独吟百韻に註をほどこしたもので、町狩野とおぼしき専門画家による挿絵十面を堪能できる逸品。
 
元禄五年頃の成立と推定され、ならば西鶴没年の前の年で、正月には代表作『世間胸算用』を刊行するも、三月に自らの眼病を書簡に記し、その直後には盲目の娘を亡くしており、まさに苦難の晩年。

はっきりした記録はありませんが、若い頃になくした愛妻にしても、この愛娘にしても、コロナの如き疫病が死因だったのかと、時節柄そう思わずにはいられません。


ということでこの発句については次回、脇句と併せて鑑賞していきたいと思います。

2021年1月22日金曜日

●金曜日の川柳〔月波与生〕樋口由紀子



樋口由紀子






臍の名をあえていうならポルナレフ

月波与生 (つきなみ・よじょう) 1961~

「ポルナレフ」がなにかわからなかったので調べてみた。人気漫画に登場する人らしいが、その人気漫画を知らない。「ポルナレフ状態」というのがあり、「わけのわからない状況に陥り、呆然とする様子」ことらしい。が、掲句は「ポルナレフ」自体に特に意味付け作用を求めていないように思う。「ポルナレフ」という音の響きそのものの生き生きとしたおもしろさを表出させたのだろう。

「臍の名」をあえていう必要などどこにもない。それを「あえていう」という。あえていわなくてはならないことは他にいっぱいあるのに、こんなどうでもいいことをいう。いや、あえていうべきことなどはもともとどこにも存在しないのかもしれない。「あえていう」という意味そのものの生き生きとしたおもしろさを表出させたのだろう。不要不急の醍醐味がある。「Picnic」(1号 2020年刊)収録。

2021年1月19日火曜日

●寝息

寝息


冬眠の蝮のほかは寝息なし  金子兜太

ねんねこの中の寝息を覗かるる  稲畑汀子

雨音に寝息を混ぜて五月闇  鈴木あすみ〔*〕

良夜かな赤子の寝息麩のごとく  飯田龍太

肩越しの寝息は羽音たる銀河  対馬康子


〔*〕『むじな 2020』(2020年11月21日)より

2021年1月18日月曜日

●月曜日の一句〔黒田杏子〕相子智恵



相子智恵







白葱のひかりの棒をいま刻む   黒田杏子

句集『木の椅子 増補新装版』(2020.11 コールサック社)所載

昨年11月に増補新装版として出版された、黒田杏子の第一句集『木の椅子』より引いた。ほぼ40年前、1981年に刊行された同句集はその年の現代俳句女流賞と俳人協会新人賞を受賞。このたびの増補版には、現代俳句女流賞の選考委員である飯田龍太、鈴木真砂女、野沢節子、細見綾子、森澄雄による選評を始め、俳人・文人による黒田杏子論などが収録されており、当時の雰囲気を感じられる一冊となっている。

掲句、氏の代表句には必ず数えられる有名句で、今さら鑑賞でもないか……とも思うのだが、やはり美しい句だと思う。立派な太さの白葱なのだろう。洗い上げられ、まな板に置かれた一本の白葱が、まるで雲間から漏れる一筋の日矢のように〈ひかりの棒〉となって横たわっている。

この句の中で私が最も気になるのは〈いま刻む〉の〈いま〉だ。俳句はしばしば「今、この瞬間を詠む」と言われ、掲句も〈いま〉がなくても十分に通じるからである。きっと、この〈いま〉には、「今こそ」や「いざ」のような強調の思いがあるのだろう。その意味では切字の役割だともいえる。また、「I」の音の繰り返しによる頭韻の効果も大きい。

この〈いま〉によって、瞬間の光が強調される。すでに包丁が入り、刻まれた部分も少しはあることだろう。刻まれた部分は、日矢が海面に落ちて波に散らばったような眩さがあろう。

そうした壮大さが、一本の白葱という庶民的な野菜から発想されていることは、やはり俳句の面白さのひとつだと思う。

2021年1月15日金曜日

●金曜日の川柳〔榊陽子〕樋口由紀子



樋口由紀子






糊余るこの世に昆虫の欠片

榊陽子 (さかき・ようこ)

小学生の頃に夏休みの課題に昆虫採集があった。9月1日の登校日に多くの児童が自慢気に持ち寄り、教室に展示された。今思えば、夏休みは昆虫の受難時期だった。今でも、そんな宿題はあるのだろうか。掲句を読んでそのときのことを思い出した。

昆虫は虫ピンで止めるが、糊を使うものとして読んだ。「糊余る」で切れるのではないだろう。虫を止めるための糊は残っている。しかし、標本にできる、完璧な姿の昆虫はもうなくて、昆虫の欠片だけが残っている。糊が余る事実からのそのような認識だが、普通はこのようにこの世を想起しない。私たちも昆虫の欠片と変わりないのだろう。「Picnic」(1号 2020年刊)収録。

2021年1月13日水曜日

●怪獣

怪獣

遊戯する胸に皺ある怪獣よ  小林恭二

怪獣のなかより夏風邪の男  大石雄鬼

くわいじうはひぐれをたふれせんぷうき  安里琉太〔*〕


〔*〕安里琉太『式日』2020年3月/左右社

  

2021年1月11日月曜日

●月曜日の一句〔今瀬剛一〕相子智恵



相子智恵







初鏡この顔で押し通すかな   今瀬剛一

句集『甚六』(2020.12 本阿弥書店)所載

〈初鏡〉は「正月初めて鏡に向かって化粧をすること、またはその際の鏡をもいう」と歳時記にあって、掲載されている例句も女性を描いた句ばかりだが、掲句は作者の実感であろうから男性の初鏡なのだろう。顔を洗い、髭を剃ったのかもしれない。よく考えてみたら鏡は男女関係なく見るものなのだから、歳時記の認識も新たにしたいところだ。掲句は格好の例句になると思う。

それにしても〈この顔で押し通すかな〉の諧謔はめでたく、元気が出る。〈この顔で押し通す〉と言えるようになるまでには、結構な年月がかかっていることだろう。20、30代で「何者かになる」と思っていたりルッキズムの呪いにとらわれていたりする間は、なかなか自分の顔に納得できる境地にはなるまい。40、50代の人生経験でも〈押し通すかな〉までの境地に至ることは難しいかもしれない。だからこそ、ある種の諦念を清々しいほどのふてぶてしさに変えた明るい掲句が眩しくて、読むと元気になるのである。

2021年1月9日土曜日

●浅草

浅草


雪の日の浅草はお菓子のつもり  中村安伸〔*〕

花の雲鐘は上野か浅草か  芭蕉

浅草の不二を踏へてなく蛙  一茶

浅草の暮れかかりたるビールかな  石田郷子

浅草や夜長の町の古着店  永井荷風

浅草へ仏壇買ひに秋日傘  岡本眸

行年の浅草にあり川を見て  田川飛旅子


〔*〕中村安伸『虎の夜食』2017年2月/邑書林

2021年1月8日金曜日

●能面

能面

能面の木箱へ帰る時雨かな  生駒大祐〔*〕

能面の裏のまつくら寒波来る  井上弘美

鶴凍てて能面一つづつ違ふ  岸本尚毅

能面の裏荒寥と梅の花  小川軽舟


〔*〕生駒大祐『水界園丁』2019年7月/港の人

2021年1月4日月曜日

●月曜日の一句〔名取里美〕相子智恵



相子智恵







光ともこゑとも寒の泉かな   名取里美

句集『森の螢』(2020.11 角川書店)所載

一読、清らかでまばゆい句である。寒中の泉は湧水も少ないだろうが、刺すように冷たい水が、冬の澄んだ空気の中で清澄な光を放っている。水が多くない時季だけに、水の湧く音、すなわち〈こゑ〉も小さいことだろう。しかし、その音にじっと耳を澄ませてみれば、何とも言えない清らかさがあるのだ。

〈寒の泉〉は、視覚からの情報と聴覚からの情報が分かちがたいほどに、冬日の中で輝き響いている。多面的で硬質な輝きが、一句を宝石のように乱反射させているのだ。

〈光〉〈こゑ〉〈寒〉〈かな〉と、一句を通してK音が響き渡るしらべもまた、清らかで美しい。

2021年1月2日土曜日

【人名さん】黛ジュン

【人名さん】
黛ジュン

初湯中黛ジユンの歌謡曲  京極杞陽