2017年3月23日木曜日

●季語

季語

汝に春の季語貼つてゆく泣き止むまで  中山奈々〔*〕

鮒ずしや食はず嫌ひの季語いくつ  鷹羽狩行

蛇笏忌や子に覚えさす空の季語  上田日差子

心地よき季語の数なり二百ほど  筑紫磐井


〔*〕『セレネップ』第11号(2017年3月20日)

2017年3月22日水曜日

●水曜日の一句〔堀田季何〕関悦史


関悦史









階段の裏側のぼる夢はじめ  堀田季何


夢にあらわれる建築はいま現在住んでいるところよりも、幼時になじんだところのほうが多いらしい。場所の記憶も、自己そのものの一部ということか。

なかでも階段は途中性と幻惑感の強い場だが、この句ではそのさらに「裏側」をのぼっている。遠近法を欠いた夢のなかの空間ならではの魅惑を引きだす混沌ぶりといえる(それにしても「のぼる」とはこの場合、通常な上下軸からみて上にあたるのか、下にあたるのか)。

「夢はじめ」は初夢のことだが、句中に置いたときの効果が「初夢」とはまるでちがう。「初夢」では動きが止まり、ほとんど報告句と化してしまうのである。「夢はじめ」という始動をあらわす単語なればこその湧出感や流動性のようなものがこの句にはある。そしてそのゆるやかな動きは夢のなかにはとどまらない。新年に発し、そのまま現実の一年をも規定してしまうのだ。

階段の裏側をのぼりはじめてしまう新年とは、このとき、夢と現実の関係自体が入り乱れはじめる新年にほかならない。「階段の裏側」という場は夢と現実とが融通無碍に入れ替わる事態そのものである。そこを「のぼる」とは、記憶、無意識、自己の暗部を撹拌し、汲みあげつつの詩的昇華がこれから果たされるということにもつながってゆくのだろう。性的放縦の気配もひそんでいる。


「GANYMEDE」vol.69(2017年4月)掲載。

2017年3月21日火曜日

〔ためしがき〕 波の言葉1 福田若之

〔ためしがき〕
波の言葉1

福田若之


ためしがきというのは、寄せては返すといった体のものであるように思う。

  ●

砂漠の詩を読むたびに感じる、それを書くことへの強いあこがれ。けれど、僕は草のない詩には住まうことができないだろう。

  ●

「私性」というとき、「性」という接尾辞は、一般化によって個別の「私」を殺す。僕は僕の「私性」によって僕であるわけではない

  ●

俳句の総合誌は売るために「詠い方」の特集を組む。「書きぶり」の特集では売れないだろうか。

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僕がTwitterのアカウントを持たないでいる理由のひとつは、僕の書くものを、あくまでも書かれたものとして読んでもらいたいと思うからだ。どんなに短いものであっても、僕は文字を「つぶやく」のではない。

2017/3/6

2017年3月20日月曜日

●月曜日の一句〔武藤紀子〕相子智恵



相子智恵






雪嶺といふ春深き響かな  武藤紀子

句集『冬干潟』(2017.2 角川書店)より

「雪嶺」は「冬の山」の傍題で、季重なりの句ということになる。

〈春深き響かな〉という言葉にじっと佇むうちに、里に雪のない春や秋は、雪をいただく高い山の美しさが実は際立つと思った。中でも春の陽光に照らされた雪嶺の白さは明るく美しい。

掲句には映像的な美しさもあるが、もっと想像されてくるのは〈春深き響かな〉による雪嶺の雪解の水音である。「春深き」という時期であるから、里に近い山裾から中腹にかけての雪解は既に終わり、頂上付近の雪解が本格化している頃だろう。雪嶺の厳しさが、ゆるゆるとほどけてゆく響き。実際には聞こえなくとも心の中にイメージされてくる。

冬の雪嶺の何者も寄せつけない厳しい白さが、「春深き響」によってふわりと光りながらほどけてゆく柔らかな白さに変化している。「かな」という包み込むような切字も効いている。効果的な季重なりによって、厳しい寒さが本格的にほどける山国の晩春の情景が見えてきた。

2017年3月19日日曜日

●週俳創刊10周年オフ会は4月16日

週俳創刊10周年オフ会は4月16日

場所は小石川後楽園・涵徳亭。いろいろなイベントを用意しております。

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