2018年5月25日金曜日

●金曜日の川柳〔濱山哲也〕樋口由紀子



樋口由紀子






スタートライン棒一本ですぐ引ける

濱山哲也(はまやま・てつや)1961~

ああ、確かにと思った。たった、それだけで始まるのだ。しかし、たったそれだけのことがなかなかできない。何かを始めようとするとき、何かをしなければならないときに私はいつも言い訳をする。言い訳だけはすぐに思いつき、結局は何もしない。そんな、我が身を反省する。

一句を読むことによって、日常を捉え直すきっかけを与えられる。たぶん、作者も書くことによって我が身に言い聞かせて、自分を振り返っているのだと思う。

〈おっとっとおっととっとと生きている〉〈ぶっちゃけた話はしない侘と寂〉〈骨よりも心のほうが折れやすい〉〈金持ちになって私を助けたい〉。どの句にも自分らしさを入れた着眼のおもしろさがある。『川柳作家ベストコレクション 濱山哲也』(2018年刊 新葉館出版)所収。

2018年5月22日火曜日

〔ためしがき〕 ハルキゲニア 福田若之

〔ためしがき〕
ハルキゲニア

福田若之

イグアノドンの発見者であるギデオン・マンテルは、そのとがった親指の骨の化石を、角だと勘違いしていたという。

未知の生物の痕跡が誤読をひきおこすというのは、けっして不思議なことではない。たとえば、もしいま地上にいる生き物の大半が絶滅して、そのさらにずいぶん彼方に何かしらの考古学が興ったとして、蛙の足の指は正しく復元されるだろうか。前足が四本で、後ろ足が五本。つい揃えたくなってしまうなんてことも、あるのではないかと思う。

ここに、より極端な例がある。カンブリア紀に生息していたバージェス動物群の一種として知られるハルキゲニアだ。発見当時の復元図は、この世のものとは思われない、とても奇妙なものだった。それは、謎そのものが代謝する身体として生を受けたかのような姿だった。それはもしかすると生命の神秘にまつわる古生物学者たちの夢を体現するものだったのかもしれない。けれど、それは勘違いだったのだ。二列に並んだ背中の硬い突起と、腹部から生えている複数の柔らかい足とが逆になっていた。口と肛門も逆だった。つまり、上下と前後がまちがっていたのだ。肛門だと思われていたあたりに歯とふたつの目が見つかって、復元図はすっかり生き物らしくなった。形質的にみて、かぎむしに近い生き物だったらしい。

上下を勘違いするというのは絵画でも例のある話で、1961年にはニューヨーク近代美術館でアンリ・マティス『舟』(1958年)が47日間上下逆に展示されていたということがあった。パリのマルモッタン美術館が所蔵しているクロード・モネの睡蓮を描いた一枚も、長いあいだ上下逆に展示されていたという。モネの睡蓮の絵は、上下逆にして見てみると、岸辺の草が水に映っているようすがなにやら奇妙で、いまにして見ると、どうしてそれほど長いあいだ勘違いされていたのか不思議なくらいだ。けれど、さかさまの絵に感じられる夢のような奇妙さが、かえって、ひとびとの無意識を惹きつけてしまっていたということもありそうな話ではある。ハルキゲニアのことを思えば、なおさらだ。

ハルキゲニアの名は、英語のhallutination(幻覚)にも通じるラテン語のhalucinatioに由来するという。ジミ・ヘンドリックスのストラトキャスター。さかさまは幻覚的だ、とりわけ、さかさまになって歩くことは。
そのまま、いつのまにか、さかさまになって、さかさまの町をあるいていた。ちょうど蠅が天井を歩くように、足がぺったりと天井に――いや、地面にすいつき、さかさまにぶらさがった一郎の頭のずーっと下の方に空がひろがっている。やたらに窓の多い、七色ににぶくひかる家々が、やっぱり下へむけてつき立っている見知らぬ街をあるいているのだ。
(天沢退二郎『光車よ、まわれ!』、ポプラ社、2010年、57頁。原文では「蠅」に「はえ」、「天井」に「てんじょう」とルビ)
2018/5/22

2018年5月20日日曜日

〔週末俳句〕フワフワ 近江文代

〔週末俳句〕
フワフワ

近江文代


とある句会で、内臓の中で一番肺が好きだと話したら、思っていた以上に賛同が得られなかった。

別のところで同じ話をしたら、「フワだね」、と食べる方だと思われてしまった。いや、ホルモン焼きも好きなのだが。

臓器といえば良かったのだろうか、しかし、臓器と言うと、自分の中にある肺ではなく、移植に使われるもののような、どこか他人行儀な気がしてしまう。

心臓の近くで左右仲良く収まっている肺の形がたまらなく愛おしいのだ。深呼吸する時、聴診器を当てられた時、2つの肺が同時に膨らむ様子が肌の上から感じられるのも良い。

肺は、ちょっと冷気が入ったり、乾燥しただけで、たちまち弱ってしまう。そんなところも儚げで可愛いではないか。


電車の扉にこんなものを見つけた。
むむ、欲しい!



対象年齢はとっくに過ぎている。


実は横隔膜も気になっている。


繋げてみると、なかなかすごい。


今時のサラリーマン風なのもある。


内臓だけでなく、血管や筋肉、骨格なども学べるらしい。子供向けだが、なかなか本格的で刺激的だ。

3歳児はこれ見たら泣くんじゃないか。

どうやら、このカードでゲームも出来るらしい。

今度句会に持って行こう。

2018年5月19日土曜日

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2018年5月18日金曜日

●金曜日の川柳〔高瀬霜石〕樋口由紀子



樋口由紀子






楽しいに決まっているさ曲がり角

高瀬霜石(たかせ・そうせき)1949~

「期待に違わず、しかし、予想を裏切るーそんな句を作っていきたい」と作者は句集の巻頭(柳言)に書いている。「言うは易く行うは難し」だが、それを実証している川柳である。

「曲がり角」というといい意味の印象があまりない。それを「楽しいに決まっているさ」と言い切る。言われることではっとする。確かにそんな曲がり角はありそうで、あって欲しいと思う。「楽しいに決まっているさ」と言葉で操作することによって、日常感覚を混乱させる。「曲がり角」という言葉の機能を上手に使っている。

〈ときどきは逆さまに貼る世界地図〉〈一週間かけやって来る日曜日〉〈 遠くまで飛んだとしても竹トンボ〉。言葉(見方)を変えれば世界も変わる。川柳のツボをなによりも心得ている。『川柳作家ベストコレクション 高瀬霜石』(2018年刊 新葉館出版)所収。