2022年8月10日水曜日

西鶴ざんまい #31 浅沼璞


西鶴ざんまい #31
 
浅沼璞
 

心持ち医者にも問はず髪剃りて 前句(裏七句目)
 高野へあげる銀は先づ待て  付句(裏八句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
 
 
 
付句は雑。「高野」は高野山の意で、釈教となります。「銀」は上方使いの銀貨のことで「かね」と読みます。

句意は「高野山へ寄進する銀は一先ず見合わせろ」といった感じです。前句の「髪剃りて」を剃髪と取り成しての付でしょう。



以下、付句の自註です。

「万事は是までと病中に覚悟して、日ごろ親しきかたへそれぞれの形見分け。程なう分別(ふんべつ)替りて皆我物(わがもの)になしける。是、世の常なり。いづれか欲といふ事、捨てがたし。ありがたき長老顔(ちやうらうがほ)にも爰(こゝ)ははなれず。いはんや、民百姓の心入れ、あさまし」

意訳すると、「人生もここまでと病中に覚り、日頃親しい人に形見分けを。と思ったもののすぐに考えが替わって全て自分のものにしてしまう。これは世の中に、ありありのパターンである。どのみち欲というものは捨て難い。あり難い住職面をしていても欲心は離れない。まして一般人の本心はあさましい限りだ」



では最終テキストにいたる過程を想定してみましょう。

形見分けなど一時のこと   〔第1形態〕
  ↓
仏ごころも一時のこと    〔第2形態〕
  ↓
高野へあげる銀は先づ待て  〔最終形態〕

〔第2形態〕で釈教に転じ、〔最終形態〕でそれを具体化してるわけです。医者にも問わず剃髪し、高野山へ寄進を思いついた病人に、「いや、ちと待て」と諫める隠居老人のせりふのようで、さながら浮世草子のオチを思わせます。



「そや、オチがきいてるやろ。それに『て留』の連発やで」

えーと「て」は「て」なんですが、文法的にいうとですね、「髪剃りて」の「て」は接続助詞で確かに『て留』ですけど、「先づ待て」の「て」は「待つ」という四段動詞の命令形の活用語尾でして、そのー、つまり……。

「なんやよう分けのわからんこと連ねおって。『て留』は『て留』やろ」

あ、いや……たしかに。
 

2022年8月8日月曜日

●月曜日の一句〔森賀まり〕西原天気



西原天気

※相子智恵さんオヤスミにつき代打。




白桃に夕のぬくみのありにけり  森賀まり

句集『しみづあたたかをふくむ』(2022年4月・ふらんす堂)所収

桃を冷やして食べるのか、冷やさない常温で食べるのか。

むかし、雑談で桃の話になり、そこに一人いた米国人が、桃を冷やすと聞いて、「ありえない」と大きく眼を剝いたことをよく憶えている。「桃は窓辺に置いておくものだ」と。

冷やす流派・主義・文化、冷やさない流派・主義・文化、どっちもあるんだけど、掲句は、冷やしていない。私は「冷やさない」クチなので、一日の熱量を溜め込んだその桃を、たいそうおいしそうに思う。

「夕」がいいですよね。

もいで家にある桃にしても、果樹としてまだ木にある桃にしても、どちらにしても「夕」がこの句を美しく仕上げているように思います。

ちなみに、いままさにわが家では桃が数個、冷蔵庫の野菜室に入っている。妻とはこの点、意見を異にする。思いどおりにならないのが人生。ケレセラセラというわけです。

2022年8月5日金曜日

●金曜日の川柳〔丸田洋渡〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。




おふたりは百階の放送委員

丸田洋渡 (まるた・よっと)1998-

「放送委員」というからには、これは学校、それも小学校、中学校、高校での出来事だから、ふつう校舎は2階か3階、多くてもそれを数階上回る程度。だから、「百階」はずいぶんと多い。めまいするくらいの高階で、一般生徒がいる場所からははるかな距離がある。それでも、声は、機械というものがあるおかげで、一般生徒たちに届く。いや、まあ、それは届くことには届くのだが、もともとの発声の場所はあくまで「百階」、というはるかな場所なのだ。

一方、こんな意見もあろう。「百」とは多いことの比喩であって、ほら、議論百出ってったって、百まで数えたわけじゃないし、百人力は人の百倍の力があるわけじゃない。そういう(私からすれば無理筋な)読みもあっていいけど、比喩なら比喩で、比喩じゃない部分をきちんとイメージすることがだいじと、私などは強く思っているので、百階(かそれ以上を備えた)高層の建築物を、まずは頭に描く(比喩にしたいなら、まずは描いてから)。

それにですよ、掲句を引いた「川に柳」川柳50句には、《比喩とかじゃない血祭だった》という句もあって、「ひどい目に合わせる」という比喩の元をたどって、ある種具体的な暴力をもってして血だらけ・傷だらけにする、もしかしたら殺しちゃうというシーン、あるいは血のしたたる心臓をピラミッドの頂上に掲げるような供犠のシーンをイメージしないといけない。

イメージです。きちんと像を結ばないといけない。そのうえで、「百階」のマイクの前に行儀よく並んで坐る「ふたり」。比喩ではなく孤高のふたりである。

こんなシーンを見てしまうと、なんともいえぬ感慨を味わうわけで、どんな感慨かは、「なんともいえぬ」から、それ以上に伝えることはない。読んだ人それぞれが「なんともいえぬ」かんじに陥るのだと思う。

なお、この50句には、《百階で知る爆弾の作り方》という句もある。「百階」には、全校生徒へのお知らせやら安っぽい背景音楽(BGM)やら託宣だけでなく、叡智や悪意まで存するというわけなのです。

2022年8月1日月曜日

●月曜日の一句〔赤野四羽〕相子智恵



相子智恵







雨よ永い永い昼寝ということか  赤野四羽

句集『ホフリ』(2021.9 RANGAI文庫)所収

「長い」ではなく「永い」が使われているから、永遠に覚めない昼寝なのだろう。

例えば私は、こんな場面を想像する。草原で気持ちよく昼寝をしているうちに、夏の雨がきらきらと降ってきて、全身がしっとりと濡れていく。夢の中では自分が濡れていることに気づきながらも、しかし目覚めることはない。目覚めないその状況を特段焦ることもなく、「ああそうか、永い永い昼寝ということか……」と、当然のごとくに受け入れ、そのまま草に埋もれて、すやすやと何百年も眠り続けるのである。生きているのか死んでいるのかすら分からず、いつしか草原の草と自分との区別もなくなっている。

冒頭の〈雨よ〉の唐突に引き込まれる呼びかけのリズムが、覚めない昼寝を印象的なものにしている。うっとりするような幻想的な昼寝である。

2022年7月30日土曜日

◆週俳の記事募集

◆週俳の記事募集


小誌「週刊俳句がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

【記事例】 

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。かならずしも号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。

同人誌・結社誌からの転載 刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。 そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。