2016年9月30日金曜日

●金曜日の川柳〔大木俊秀〕樋口由紀子



樋口由紀子






ススキ対アワダチソウの関ヶ原

大木俊秀 (おおき・しゅんしゅう) 1930~

関ヶ原に行ったことがある。しかし、ここがあの「関ヶ原」と拍子抜けしたのを覚えている。そこは戦国時代を終焉させ、その後の日本の支配者を決定付けた天下分け目の戦いがあった「関ヶ原」とは到底思えなかった。

戦のあった昔には多くの人が殺され、殺し、死んでいったが、現在の関ヶ原はあたりまえだが平和である。かっての痕跡はまったく感じないおだやかな風景である。ススキとアワダチソウが咲いている。それはあたかも優劣をつけようと向かい合って風に揺れている。戦はご免してほしい。「対」はススキとアワダチソウで十分である。

〈貴方には何よりマスクが似合う〉〈蛇穴を出ると取られる消費税〉〈満天の星が見ていた流れ星〉 『満天』(2007年刊 武藏野文學舍)所収。

2016年9月29日木曜日

〔人名さん〕ダンプ

〔人名さん〕
ダンプ


秋桜のダンプ松本なりしかな  林 桂


※秋桜に「コスモス」のルビ、松本に「まつもと」のルビ

参考画像

林桂句集『ことのはひらひら』(2015年1月/ふらんす堂)より。

2016年9月28日水曜日

●水曜日の一句〔鈴木明〕関悦史


関悦史









白歳月(しろさいげつ)を埋めよう白ふくろうを育て  鈴木 明


「白歳月」は造語らしい。埋めるべくある、埋めなければならない空白としての歳月のようだが、ブランクではなく、色としての白の印象が強まる造語である。

その「白歳月」は「白ふくろう」を育てることによって埋められるものであるらしい。同一である「白」の部分を仮に約してしまうと、「歳月」と「ふくろう」がほぼイコールということになるが、これだけ別次元のものをいきなり等価交換の場に持ち込むには、やはり茫漠たる空白とものの色彩の両方に通じる「白」との化合は必須なのだろう。「白」はいわば現実的制約の場を離れたところに開けた通路である。

失われた歳月を何か別のもので補償するとなれば、裁判沙汰では金銭に換算されることになるが、ここでの「白ふくろう」は、もっと知性と感情の両面から心を満たしてくれそうである。そればかりではなく、育てた結果(それは飼い主もともに育つということだ)、別種の幸せに通じる回路を開いてもくれそうである。

見るからに手触りのよさそうな白ふくろうの姿かたちと、妙に人くさい顔つきがわれわれに引き起こす感情を正確に言葉に置き換えたら、それは埋めあわされ、満たされた「白歳月」ということになるのかもしれない。いや、置き換えなどというものではなく、これは飛躍である。飛躍によって切り開かれた空白こそが幸福の空間なのである。語り手が「埋めよう」と呼びかける自他いずれともつかない相手もこの「白」のなかにいる。これが語り手自身への呼びかけであったとしても、「白ふくろう」を育てた先には、浄化されるように変貌を遂げた己の姿が待っているはずだ。それは「白」のなかに既に予見されている。


句集『甕』(2016.9 ふらんす堂)所収。

2016年9月27日火曜日

〔ためしがき〕 エックス山メモランダム3 福田若之

〔ためしがき〕
エックス山メモランダム3

福田若之


アルマイトにまずいポタージュの居残り

しちしちしじゅうくが今日も覚えられず日没

安全講習補助輪の子は僕らだけだ


2016/9/7

2016年9月26日月曜日

●月曜日の一句〔藤木倶子〕相子智恵



相子智恵






銀漢に祷り一つをたてまつる  藤木倶子

句集『星辰』(2016.07 文學の森)より

「思い」はぐるぐると、四方八方へ飛ぶものだが、「祈り」は真っすぐに頭上へ向かう印象がある。ここでは〈たてまつる〉があるから猶更だ。

頭上には天の川が太々と横に流れている。祈りは一本の縦の光となって天の川に到達し、一筋の支流が本流に注ぎ込まれるように、天の川と融合する。

そうした祈りの光をいくつも飲み込んで、天の川が人々の頭上を光り輝きつつ、滔々と流れてゆくところを想像してみる。その果てしなさ、神々しさにくらくらする。

掲句は一つの祈りを捧げる個人が主体の句だが、一つの切実な祈りが天の川の光と重なって、光による救済のような場面を想像させるのである。