2020年6月29日月曜日

●月曜日の一句〔柿本多映〕相子智恵



相子智恵







若冲の鶏が眉間を離れない   柿本多映

「俳句」7月号 第54回蛇笏賞受賞第一作21句「眉間」(2020.6.25 角川文化振興財団)所載

〈若冲の鶏〉は、私は「動植綵絵」のうちの「群鶏図」を思い浮かべた。重なり合う13羽の鶏たちが羽根の模様も精緻に描写され、写実を越えた奇妙な世界を立ち上がらせている、若冲の代表作の一つだ。

〈眉間を離れない〉は、普通なら「頭を離れない」という慣用句になるのだろうが、それではまったく詩にならないことは掲句を見れば明白だ。実際にこの絵を見たことはなくても、〈眉間を離れない〉の一ひねりある表現は、肉体的な実感をぐっと高めてくれる。

そして若冲の「群鶏図」を見ていれば、じっと見ていると眩暈を起こしそうになるこの絵にあって、〈眉間〉こそが眩暈を感じさせてくれるし、「頭」のような人体の中の大きな範囲ではなく〈眉間〉のような局所を〈離れない〉ことこそ、若冲の画と響きあうのである。

2020年6月26日金曜日

●金曜日の川柳〔小島蘭幸〕樋口由紀子



樋口由紀子






ウルトラマンになれるウルトラマンの面

小島蘭幸 (こじま・らんこう) 1948~

お祭りの屋台などで売っている面にはいろいろなキャラクターがある。そのなかでもウルトラマンの面は人気で、その面をつけている男の子たちをよく見かける。強いヒーローの面を付けるだけで、一気に強い子なって、こわいものなし気分になれる。面はいままで持つことができなかった力を与え、変身願望をかなえてくれるのだろう。

そういえば、昔風呂敷をマントにしてスーパーマン気分になった男の子たちがいた。私だって、子ども頃、母の留守に箪笥から母の着物を取り出し、裾を畳に長く引きづって、お姫さまごっこをしていた。たった、着物の裾を引っ張りあげるだけで、お姫さま気分になれ、言葉遣いも動作も上品になり、しとやかになれた。今のここにいる私ではないものに手っ取り早くなれた。そう思えた子ども頃が懐かしい。『川柳作家ベストコレクション 小島蘭幸』(2019年刊)所収。

2020年6月25日木曜日

●リボン

リボン

山国や黒きリボンの夏帽子  岸本尚毅

初雪やリボン逃げ出すかたちして  野口る理

冬ざるるリボンかければ贈り物  波多野爽波

リボン美しあふれるやうにほどけゆく  上田信治


2020年6月23日火曜日

【裏・真説温泉あんま芸者】洗濯機の話 西原天気

【裏・真説温泉あんま芸者】
洗濯機の話

西原天気


季語が更新(アップデート)されることは、その是非はともかく、いたしかたのないこと。というと奇妙な言い方になるが、例えば、句に夜濯(よすすぎ)とあって、洗濯機を頭に浮かべずに読むことは難しい。

季節感の問題はどうか。『日本大歳時記』(講談社)の「夜濯」の項には、「昼間汗になった衣服を夜になってから濯ぎ干す。(…)夜濯ぎしたものを露台などに干し、ついでに夏夜の星を眺めたりする」(細見綾子)とある。次の朝まで待てず洗いたいということなら、これはやはり夏ということなるが、

夜濯や働らく母となりてより  下山宏子

家に専業で家事する人がいなければ、次の朝には出勤があるので、週末まで待てないときは夜に洗うことになる。そうなると、夏という季節感もいささか損なわれる。

ひとり暮らしもまた同様の事情から、夜濯を余儀なくされる。

誰からも遠く夜濯してゐたる  太田うさぎ〔*〕

家族がいても物理的距離が遠かったりもするのだろうが、この景にやはりひとり暮らしが合う。ちょっとした寂寥感も漂い、それは涼味にも(ポジティブに)結びつくが、歳時記解説にあるような季節感、汗、露台の随伴した濃厚な季節感はない。

俳句は季語によって特徴づけられるので、季節感(俳人は通っぽく「季感」と言ったりする)が重視される。

洗濯機の登場・普及によって、同時に生活スタイル・家族構成の変化にともない、夜濯に、かつてのような季節感は薄らいだ。

「かつて」の意味・意義は、季語の「本意」と呼ばれたりする。本来の意味。

本意を尊重するべきか、更新を受け入れるのか。答えを出す必要はないのかもしれないが、私自身(そして多くの人が)、〈洗濯機のない世界〉からすでに遠く、〈洗濯機のある世界〉に住んでいる。そこは、俳句以前に、俳句以上に重大なことかもしれません。

バナナ持ち洗濯機の中のぞきこむ  しらいししずみ


〔*〕太田うさぎ句集『また明日』2020年6月/左右社

2020年6月22日月曜日

●月曜日の一句〔小島健〕相子智恵



相子智恵







ペリカンの水噛みこぼす大暑かな   小島 健

句集『山河健在』(2020.6 角川文化振興財団)所載

ペリカンは、嘴の大きな袋に大量の水と一緒に魚をがばっと掬って食べる。魚は食べて水は吐き出すのだけれど、嘴をパクパクと動かして水を吐き出す様子は、まさに〈噛みこぼす〉だと膝を打つ。ペリカンの迫力と生臭い匂いが〈大暑〉の力強い暑さと響きあっている。

他にも〈沢蟹の浮いて走れり青嵐〉〈土砂降りの泥の中なる蟇の恋〉など夏の句の中から抜いただけでも、動物の生命が生き生きと鮮やかに描かれた句が多くて瑞々しい。

〈緑蔭を影新しく出でにけり〉のように、人間を描いても自然との関わりの中で生命力が引き出されている。暑くて疲れた身を涼しい木蔭に入れ、しばらく休んでから出ると、自分の影まで新しくなったように感じられるのだ。このような句中の命に触れていると、こちらの魂も伸びやかに、水を与えられたように潤ってくるような気がする。

2020年6月20日土曜日

●井口吾郎 回文俳句コレクション 鱧でつい

井口吾郎 回文俳句コレクション
鱧でつい

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行く春よ医師の楽しい夜白衣

品隠す間延べアベノマスク哀し

麻痺ですか春酔い夜はカスでヒマ

優曇華や葉山苫屋は薬研堂

投降す針ある蟻は崇高と

韮咲くや締めのあの飯焼く皿に

パパイヤは汁もの漏るし早いパパ

再会は父の日の父徘徊さ

くちびるよ夏鬱々な夜備蓄

何時でもは無いが意外な鱧でつい

2020年6月19日金曜日

●ペリカン

ペリカン

白木蓮拍手喝采はペリカン  八木三日女

ペリカンの水嚙みこぼす大暑かな  小島健〔*1〕

虹見せてもらう私とペリカンと  長谷川裕〔*2〕

海原へ夕陽を抱きにペリカン発つ  中嶋いづる


〔*1〕小島健句集『山河健在』2020年6月/角川文化振興団
〔*2〕長谷川裕句集『彼等』2003年11月/西田書店

2020年6月18日木曜日

●寝息

寝息

星空や土中に寝息満ちし頃  高野ムツオ

月夜茸山の寝息の思はるる  飯田龍太

肩越しの寝息は羽音たる銀河  対馬康子

冬眠の蝮のほかは寝息なし  金子兜太

恋猫の戻つてをりし寝息かな  中西夕紀〔*〕


〔*〕『都市』2020年6月号

2020年6月17日水曜日

●不思議

不思議

ナイターに見る夜の土不思議な土  山口誓子

伊勢海老の不思議のこゑを秋の暮  宇佐美魚目

金木犀の夜の理科室は不思議な穴  高野ムツオ

不思議の議何故に言偏かひやぐら  中村紅絲〔*〕

葱抜くや春の不思議な夢のあと  飯田龍太

銃後といふ不思議な町を丘で見た  渡辺白泉

死火山に煙なく不思議なき入浴  金子兜太

泣きじやくる不思議なものをふところに  高柳重信


〔*〕中村紅絲句集『種のある半球』2019年12月/邑書林

2020年6月15日月曜日

●月曜日の一句〔茨木和生〕相子智恵



相子智恵







河鹿鳴くところまで行き戻りけり  茨木和生

句集『恵(めぐ)』(2020.5 本阿弥書店)所載

「フィフィフィフィフィ、ヒョロロロロ」と笛のような美しい声で鳴く河鹿蛙。どこからか聞こえてくるその声を求めて、声がする場所まで行ってみた。そして戻ってきた。ただそれだけの句なのだが、何とも言えない寂寥感があってしばらく立ち止まった。

元々声を愛でる季語なのだから、句の中で河鹿蛙が見える必要はないのだけれど、〈鳴くところ〉とあえて視覚的には何も訴えないようにした掴み方と、〈行き戻りけり〉の無為な様子が不思議と切ない。ぼんやりと憑かれたように、声がする場所まで行ってしまって、ふと我に返り、「ああ、ここまで来てしまったか」と思って戻る。白昼夢のようだ。

句集に巻かれた帯に採られている〈夏霞浮くごとく島見えてゐて〉の〈ゐて〉の終わり方の、読後も途切れない夏霞の広がりにも感じるのだが、見えているものの中に、現実と非現実のあわいが滲むような句が響く。これまでの風土に根ざしたごつっとした厚みのある生活の句に加えて、夢幻能のような旅人の感じが、土地との関係性の中で現れてきているような気がするのだ。

2020年6月12日金曜日

●金曜日の川柳〔広瀬ちえみ〕樋口由紀子



樋口由紀子






吊り橋を相思相愛でもないが

広瀬ちえみ (ひろせ・ちえみ) 1950~

「吊り橋」と「相思相愛」が絡み合うとは思いもしなかった。でも、言われてみれば関係ありそうな気もしてくる。あんなに揺れる吊り橋を、あんなに恐い目をして、けれども、心躍りして、ワクワクしながら、助け合って、一緒に渡るのだから、それなりの思いと緊張があってもよさそうである。

そんなドラマ性をさっぱりと違う脈絡に移す「でもないが」に不意をつかれる。的の外し方や捻り方があっけらかんとしているが強力である。川柳の醍醐味が潜んでいる。話がいたずらっぽく脱線し、ユーモラスな形に落ち着いていく。結局はキャーキャーと叫びながら、「相思相愛」という感情をおいてきぼりにして、吊り橋を渡り切るのだろう。『雨曜日』(2020年刊 文學の森)所収。

2020年6月10日水曜日

●沼



歯車音暑き夜沼にもぐるもぐる  金子兜太

冬の沼何の杭とも知れず立つ  安住 敦

一茶忌や雪とつぷりと夜の沼  角川源義

眼のごとき沼あり深き冬の山  鷲谷七菜子

春の野の水とろとろと沼に入る  今井杏太郎

影沼に吾が影よれる卯月かな  飯島晴子

笑ってもよろしいかしら沼ですが  広瀬ちえみ〔*〕


〔*〕広瀬ちえみ句集『雨曜日』(2020年5月/文學の森)

2020年6月8日月曜日

●月曜日の一句〔池田澄子〕相子智恵



相子智恵







送り火のほら燃え尽きる燃え尽きし  池田澄子

句集『此処』(2020.6 朔出版)所載

この〈ほら燃え尽きる〉は独り言ではない。一緒に送り火を見ている親しい死者の魂がここにいるのだ。〈燃え尽きし〉で、その死者の魂は彼の世へ行ってしまい、此の世ではまた一人になる。

池田澄子の文体のひとつに「予め/事後」を描くということがあると思う。〈燃え尽きる〉が予めで〈燃え尽きし〉が事後だ。その間にあるはずの、燃え尽きる瞬間(親しい魂との別れ)は描かれずに、空白となっている。氏には〈想像のつく夜桜を見に来たわ〉という人口に膾炙した句もあるが、「予め/事後」を描くことによって、描かれなかった一瞬が読者の想像の中で増幅され、夜桜の句のようにふっと笑える時もあれば、掲句のように、読者もその一瞬に息を詰めて「(分かってはいたはずなのに)やっぱり燃え尽きて、別れが訪れてしまった」と、胸がぐっと詰まることもある。

予めを伝え、それが終わった時のことを伝えて一句を終える。どちらも切り取られているのは、いま眼前にそれが「無い」場面だ。その瞬間の「ある」は、描かれないことによって、かえって読者の心の中では深く、重くなる。

それは手法(テクニック)などという軽いものでは決してなくて、作者の精神性であり、世界との向き合い方だ。万物との出会いを出会いとして「予め」しっかりと(別れた後のことまでも)意識し、それが眼前に無くなった時(事後)にも、やはりそれを意識する。普通の人は「ある」一回しか出会わないのに、前後の「無い」も含めて、三回も出会いを自分の中に刻んでいる。それを俳句に「永久に書き留めておく」という行為まで含めたら、その出会いの刻み方の、なんという深さであろうか。

2020年6月7日日曜日

〔週末俳句〕みが深い 喪字男

〔週末俳句〕
みが深い

喪字男



夏頃に結核菌に感染していた。と書くと結構な問題のようだけど、結核は感染と発症は別で、感染は「下手すると発症するかもしれない」という状態らしい。というわけで半年間の予防内服が始まった。その途中でコロナ肺炎が流行して世界はこんなことになったわけだけど、僕はすでに結核菌と格闘しているわけで、他の人より Here comes a new challengerみが深かった。

 
さて先日、半年の予防内服期間が終わったので最後にCTを撮りましょうということになって、CTを撮ったところ、左の腎臓に腫瘍が見つかった。良性か悪性かはこれからの検査次第になるんだけど、下手すると左の腎臓をまるっと摘出しなければならないらしい。

怖い感じのお医者さんが「何か質問はないですか?」と仰ったので「小便のキレが悪い」と言ったら「関係ないですね」と冷たく突き放された。

ほんと Here comes a new challengerみが深い。


2020年6月5日金曜日

●金曜日の川柳〔広瀬ちえみ〕樋口由紀子



樋口由紀子






遅刻するみんな毛虫になっていた

広瀬ちえみ (ひろせ・ちえみ) 1950~

遅刻して、あわてて部屋に入ったら、仲間はすでに毛虫になって、動き回っていた。驚きと同時になにやら謎めいている。それよりもまた一人だけ出遅れてしまった。いつもそうだ。まだ間に合うだろうか。しかし、よりにもよって「毛虫」だなんて、どうすればいいのか。

なぜ「毛虫」なのかと聞くのは野暮というものである。実物の毛虫を思い出してみるといい。毛むくじゃらで全身をくねってせかせかと動く姿を想像するだけでおかしくなる。だから、取り残され感は半端ではないのに、どうも頓着している風でもなく、すぐに毛虫になっていそうである。

川柳は同一平面上で意味の流れを途中でずらし、句意を別方向にはぐらかすことによって、言葉の不思議さや可笑しさを表出する。お腹にストンと落ちる、川柳はこうでなくてはと思わせる句集が出た。『雨曜日』(2020年刊 文學の森)所収。

2020年6月3日水曜日

●浴槽

浴槽

浴槽から海へ流れて空白つづく  林田紀音夫

青梅雨の昼の浴槽あふれしむ  正木ゆう子

浴槽の玻璃のむかうに蛾の眼玉  横山白虹

浴槽にマネキンの足神無月  皆吉司

浴槽にめつむるあまた歯を抜き来て  西東三鬼


2020年6月2日火曜日

★週俳の記事募集

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2020年6月1日月曜日

●月曜日の一句〔河野美千代〕相子智恵



相子智恵







もろもろの管抜き去つて死者涼し  河野美千代

句集『国東塔』(2020.6 コールサック社)所載

その瞬間に〈死者涼し〉と思えるということは、延命処置なのだろう。命をながらえるために、体とつないでいた人工呼吸器や胃ろうなど〈もろもろの管〉を抜いたのだ。

〈死者涼し〉は、突き放しているようでありながら、静かに優しく、この人を悼んでいるように私には思える。生きてほしいという他者の(自分の、かもしれないが)願いゆえの治療から解き放たれた安らかな涼しさ。

遺された者たちがそれを肯定するのには時間がかかるのかもしれないが、看護師だったという作者は、この死者の本当の思いを知っていたのかもしれない。