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2026年9月16日水曜日

●西鶴ざんまい #103 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #103
 
浅沼璞
 

 同じ京の水に替りの水さびて 打越
  河骨慈姑迄もちりの世   前句
 人質に我くらからぬ五月闇 付句(通算83句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表7句目。夏(五月闇)。
人質=相手に約束を守らせる保証として、捕えておく相手側の人。
我くらからぬ=自己肯定の心情。「世こぞつて濁れり、我ひとり清めり」(西鶴『生玉万句』序。古文真宝後集・漁夫辞からのサンプリング)。

【句意】
人質の私に、(池の面の)五月闇のような後ろ暗さはない。

【付け・転じ】
萎れた水草から罪人を連想し、そのせいで人質となった自分の疚しからぬ心を以て転じた。

【自註】
身に罪ある人は、おのづから水草の花のしほるゝごとし。人質に曇りもなき身をとられし、其の心がら、すこしもくらからぬ思ひ入れを、五月闇と付けよせしは、池の面の夏げしきいはん*心行なり。今時は、すこしの前句を種とし侍る。

*心行(こゝろゆき)=後述【テキスト考察】参照。

【意訳】
身に罪ある人は、自然と水草の花の萎れるようなもの。(かたや)人質として疚しからぬ身を捕えられた(自分の)その心模様、すこしも後ろめたさのない感情を(あえて)五月闇と付けよせたのは、池の水面の夏景色を言おうとする心持である。今時は、ちょっとした前句(の心)を種とするのです。

【三工程】
(前句)河骨慈姑迄もちりの世

  自ずから萎るゝごとし罪びとは 〔見込〕
     ↓
  人質に曇りなき身をとられたる  〔趣向〕
     ↓
  人質に我くらからぬ五月闇   〔句作〕

萎れた水草から罪人を連想し〔見込〕、〈自分が人質になったとしたらどうか〉と問うて「曇りなき身」と表現し〔趣向〕、夏の池の景として「五月闇」をあしらった〔句作〕。

【テキスト考察】
ここの心行については乾裕幸氏による簡潔な解析があるので、以下に抜粋しておく。

「河骨」にも「慈姑」にも「ちりの世」にも付かぬ疎句体であるが、人質として疚しからぬ心の内を〈くらからぬ五月闇〉として付寄せることによって、前句との間に、水草の生い出た〈池の面の夏げしき〉のイメージを浮かびあがらせている(中略)河骨・慈姑などの生い出た池の面を「五月闇」であしらうことによって、付合の論理性を獲得したとも言いうるこうした方法が、まさに《心行》なのであった。とすると、これはもはや《うつり》と呼んでしかるべきものではあるまいか。
『芭蕉と芭蕉以前』(新典社、1992年)

ここで乾氏のいう《うつり(移り)》とは、前句との付肌の調和を計る付合技法。例の芭蕉の、匂い・響き・走・位などを包摂する概念・方法にほかならない。しいてはそれが元禄疎句体そのものであった、として最早誤らないであろう。談林から元禄体への流れを介して西鶴・芭蕉の俳諧が晩年に接近したことは今榮蔵氏にも指摘がある(通算33句目、本稿参照)。〈「談林から蕉風へ」の標語は「談林から元禄風へ」といいかえる方が正確である〉とまで今氏は述べている。

2026年9月2日水曜日

●西鶴ざんまい #102 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #102
 
浅沼璞
 

  七の社の砂ぬすみぬる   打越
 同じ京の水に替りの水さびて 前句
  河骨慈姑迄もちりの世   付句(通算84句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表6句目=夏=河骨(かうほね)、慈姑(おもだか)。
ちりの世=塵に「散り」を掛ける。

【句意】
(水錆によって)河骨・慈姑までも散る、塵のような世の中。

【付け・転じ】
前句「水さびて」から、見る人もない水草が無駄に散ってしまう(ような)塵の世へと転じた。

【自註】
此の句は、*行(ゆき)かたの俳諧也。水草の付よせは、前句の「水さびて」に河骨・おもだかなども清水に生出(おひいで)しとは格別に見ぐるしう、あだに咲きて見る人もなき**心行いはんがために「ちりの世」とはつかうまつる。***当流とて、かゝるかるき句がら計(ばかり)ならべては、意味浅くして、おもしろからず。

*行(ゆき)かたの俳諧=後述の「かるき句がら」に同じか。
**心行(こゝろゆき)=乾裕幸『俳諧師西鶴』では「ちりの世」に見込まれた「心持」「風情」とする。
***当流=元禄疎句体。

【意訳】
この句は軽く付けた俳諧である。水草によって付寄せたのは、前句の「水さびて」に、河骨・沢潟なども、清水に生えたものと(比べると)格段に見苦しく、無駄に咲いて、見る人もない心持を言うために「ちりの世」と結びます。(むろん)元禄のトレンドとはいえ、このような軽い句柄ばかり付け並べては、意味も浅く、おもしろみもない。

【三工程】
(前句)同じ京の水に替りの水さびて

  あだに咲きては見る人もなく 〔見込〕
     ↓
     河骨慈姑見る人もなく    〔趣向〕
     ↓
  河骨慈姑迄もちりの世     〔句作〕

前句「水さびて」から見る人もない水草を想定し〔見込〕、〈なにが咲くのか〉と問うて、「河骨慈姑」とし〔趣向〕、「見る人もない」心持を言うために「ちりの世」と結んだ〔句作〕。

【テキスト考察】
自註での元禄風「かるき句がら」については、今榮藏『初期俳諧から芭蕉時代へ』に詳しいので、以下にママ引用しておく。

〈宗因風においてもかるい句、かるい付けようはたしかにしばしば叫ばれたが、元禄風ではまた、句体においては「やすらか」、付け方においてはぴったりと付けずに「ほのかにうつす事」が理想とされた。これはかるいと同義であり(中略)西鶴の自注は当流のこの傾向をふまえているといえるのである。〉

文中〈宗因風〉とはかつての談林風であり、〈元禄風〉とは当流の疎句体をさす。〈元禄風〉は〈宗因風〉を否定的媒体としつつ、詞付を離れ、より内容主義的な心行へと変化したことは、これまでみたとおりである。西鶴はその狭間で(ブレてはいないけれど)ゆれている。

2026年8月19日水曜日

●西鶴ざんまい #101 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #101
 
浅沼璞
 

 外枕憶えなき身を祈りつめ  打越
  七の社の砂ぬすみぬる   前句
 同じ京の水に替りの水さびて 付句(通算83句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表5句目=雑  七の社→京
水さびて=「訳註西鶴全集」では「水錆(みさび)」の意とする。
広辞苑「水錆」の項には〈溜り水などの水面に浮かぶ錆のようなもの。みしぶ〉とあり、「水の水錆にとぢられて」(千載和歌集・夏)を引く。
また「定本西鶴全集」では「澁びて」とあり、〈水の流停滞し水面に赤黒き濁りを生ずること〉とする。

【句意】
同じ京都でも水脈が変わり、水が錆びていて。

【付け・転じ】
前句「砂ぬすみぬる」原因について、水錆を砂で漉すためとした逆付。

【自註】
*水の水上なれば、京中に水のあしき所なし。自然と水筋悪敷(あしく)さびけるを、砂ごしにいたせる**心行にして付寄せ侍る。

*水の水上=「日本古典読本・西鶴」では〈水上は物の根源であるから、水の中での最上の水、の意であらう〉とし、「曲水の水の水上や鴻の池」(西鶴五百韵)を引く。ただし「曲水の水の水上」は「曲水の水源」という意。
**心行(こゝろゆき)=乾裕幸『俳諧師西鶴』では「砂→水さびて」の〈付心〉とする。
なお元禄期の付合集『俳諧小傘』に「砂―水越 ミヅコシ」とある。

【意訳】
最も水の良い地であるから、京都に水質のわるいところはない。(けれど)偶然にも水脈がわるく、錆びたその水を、砂漉しに致す所存で前句に付けたのです。

【三工程】
(前句)七の社の砂ぬすみぬる

  水を漉すことを皆々思いひつき 〔見込〕
     ↓
  自然にや水筋悪敷くさびけるを  〔趣向〕
     ↓
  同じ京の水に替りの水さびて  〔句作〕

前句「砂ぬすみぬる」原因について、水を砂で漉すためとし〔見込〕、〈なぜ砂で漉すのか〉と問うて、水錆が出たからとし〔趣向〕、「七の社→京」の縁から場所を設定した〔句作〕。

【テキスト考察】
文意に矛盾をきたしつつ、意表をつくのは西鶴散文(捩れ文)の特徴だが、今回の自註は短文とあって殊さら矛盾があらわで、意訳では「けれど」と補わざるをえなかった。これは三工程で想定したように「水を砂で漉す」という逆付を見込みつつ、「七の社→京」の縁から場所を京に設定するという工程で捩れが生じたためであろう。自註のとおり京が名水の地であるのは自明なのだから。

【若之氏メール】
これまた解釈の難儀な自註ですね。ひとつ思ったのですが、「水筋」を(地下の)「水脈」の意ではなく(地上の)「水の流れ」の意と捉えると、あるいは矛盾なく解釈しうるかもしれません。京の湧き水は水質が良すぎるから、川になって地上を流れると、おのずとすぐに水質が(もとに比べて)悪くなってしまう、というようにとることも、できないことはないのではないかと(やや苦しい気もしますが)。

2026年8月5日水曜日

●西鶴ざんまい #100 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #100
 
浅沼璞
 

  初夜にかならず燃る恋づか 打越
 外枕憶えなき身を祈りつめ  前句
  七の社の砂ぬすみぬる   付句(通算82句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・表4句目=神祇(社)。
七の社の砂(ななのやしろのすな)=「京都船岡山の南東にあり。宇多天皇の后君寵恢復を祈り霊夢によつて社前に白砂を以て三笠山の形を築く。後世祈願ある者これに倣つて砂山を築いて祈るといふ(雍州府志・京羽二重織留)」『定本西鶴全集』頭注
※『新編日本古典文学全集61』に、「恋(七の社の砂ぬすむ)」の記述があるが上記「君寵恢復」の故事によるか。

【句意】
七野社の砂を盗んだ。

【付け・転じ】
前句「祈りつめ」から七野社を連想しての転じ。

【自註】
京都の中に七のやしろの宮居(みやゐ)たゝせ給ふ。むかしよりいかなる事の子細にや、此の神前の砂を盗みて人を祈りけるに、心にまかさぬといふ事なし。是によつて、神主、番をして砂をすこしもちらさぬ事也。又、願ひ叶ひし女は、ちひさき*砂車を拵へて我が宿の砂をまゐらせける。

*砂車(すなぐるま)=砂の運搬用の車。遺稿集『西鶴俗つれづれ』(四ノ二)に「七野社に砂車」なる一節がある。


【意訳】
京都の市中に七社という神社がございます。昔からどのような子細からか、この神社の砂を盗んで人を呪詛すると、その祈りが成就しないということはない。このことによって神主は見張り番をし、(神前の)砂を少しも散らさぬよう管理をした。また祈願の叶った女は、小さい運搬用の砂車を用意して自宅の砂を社前に奉納した。

【三工程】
(前句)外枕憶えなき身を祈りつめ

  七の社の宮居たゝせる  〔見込〕
     ↓
  七の社の心にまかせ   〔趣向〕
     ↓
  七の社の砂ぬすみぬる  〔句作〕

前句「祈りつめ」から七野社を連想し〔見込〕、〈なぜ連想したのか〉と問うて、祈願がよく叶うからとし〔趣向〕、「砂ぬすみぬる」と具体的な祈願の行動を以て表現した〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』には〈前句の「祈りつめ」る心的状況を行動で描いた付けで、やや同意の気味がある〉とあるが、これは妥当な解釈であろう。

すでに前句の自註で「丑の刻参り」や「山伏への呪詛の依頼」を具体的に描いていたのだから当然であろう。

けだし西鶴の意識では自註は見込・趣向を練るための前テキスト的なものと割り切り、前後の重複は意に介さなかったのかもしれない。このへん後続の付句/自註の考察において十分留意すべき点であろう

2026年7月22日水曜日

●西鶴ざんまい #99 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #99
 
浅沼璞
 

 伽羅割の捺忘れ行く野は暮て 打越
  初夜にかならず燃る恋づか 前句
 外枕憶えなき身を祈りつめ  付句(通算81句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・裏3句目=恋。
外枕(ほかまくら)=仇枕(日本古典読本Ⅸ)。仇寝(あだね)。仮初の契り。

【句意】
不倫の憶え無き(人妻の)身を、祈りを込めて呪い殺す。

【付け・転じ】
前句の鬼火の原因・理由は「呪い殺された潔白な妻の恋情だった」という後付(うしろづけ)・逆付による転じ。

【自註】
爰の付けかたは、人の妻女を、*外の心ありけるやうにうたがひ、其の夫の中をさくたくみに、妾女(てかけ)などが悪心にて神をいのりて**牛の時まいり、山伏をたのみ、其の命を取りける。世をうせし女の***おもはく、夜毎に通ひ、魂の火と成りし****心行也。

*外の心=脇心(日本古典読本Ⅸ)。〈是がすきにて身に替へての脇心〉(好色五人女・三)。浮気心。
**牛の時まい(ゐ)り=丑の刻参り。
***おもはく=恋の思わく。恋情。
****心行(こゝろゆき)=内容主義の心付(前句に同じ)。

【意訳】
ここの付け方は、人の本妻を浮気心のあるように疑い、その夫との仲を裂く計略として、妾などが悪心から神に祈り、丑の刻参りやら、山伏に依頼しての調伏やらをし、その命を奪った。で、この世を去った本妻の恋情が夜ごとにこの世に通い、鬼火となったという心持ちの付け方である。

【三工程】
(前句)伽羅割の捺忘れ行く野は暮て

  世をうせし妻の思はく通ひきて 〔見込〕
     ↓
  悪心の妾女に命取られける   〔趣向〕
     ↓
  外枕憶えなき身を祈りつめ   〔句作〕 

前句の鬼火の原因・理由を「呪い殺された妻の恋情」と見込み〔見込〕、〈誰に呪い殺されたのか〉と問うて、悪心の妾女と設定し〔趣向〕、妾女が潔白な本妻に罪を着せて呪い殺すという文脈でまとめた〔句作〕。


【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』には〈「恋づか」の「燃る」原因を付けたもので、このあたりやや親句付となっている〉とあるが、すでに前句が打越の原因を探った後付・逆付であった。

つまり打越の鉈を忘れたその原因を「地元の言い伝えの鬼火を恐れたから」とした前句の逆付を受け、更にその鬼火の理由を「呪い殺された潔白な妻の恋情」と逆付を以て転じたわけである。

となれば転じは効いており〈やや親句付〉という見方は腑に落ちない。また自註文末の心行(元禄疎句体)という言表を鑑みても〈やや親句付〉とは言い難い。さらに恋句なのだから恋の範疇での付合は当然ともいえる。

2026年6月24日水曜日

●西鶴ざんまい#98 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #98
 
浅沼璞
 

  小車の錦八重の幕串    打越
 伽羅割の捺忘れ行く野は暮て 前句
  初夜にかならず燃る恋づか 付句(通算79句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・裏2句目=恋。
初夜(しよや)=戌の刻。現在の午後8時頃。

【句意】
夜更けに必ず(鬼火が)燃える恋塚。

【付け・転じ】
前句で鉈を忘れて行ったその原因を「地元の言い伝えを恐れたから」として転じた(結果に原因を付ける逆付)。

【自註】
其の野のすゑにひとつの塚のありしを、里人の申し伝へて、*むかし男をこがれ死にせし美女の墓所(むしよ)、かならず雨の夜などは、**執心の火となつて燃えてあがりける、と物語りせしに、女心におそろしく、暮の道をいそぎ、手道具もわすれし***心行を付け侍る。

*むかし男=昔いた男。在原業平を思わすか
**執心(しふしん)の火=嫉妬心の鬼火。
***心行(こゝろゆき)=内容主義の心付(今栄蔵『初期俳諧から芭蕉時代へ』笠間書院、2002年)。

【意訳】
野末に一つの塚のあったのを、地元の人が言い伝えて、昔いた男を慕って焦がれ死にした美女の墓で、きっと雨の夜などは、嫉妬心が鬼火となって燃え上がるのだ、と物語りしたのだが、(それを聞いた人が)女心に怖ろしく、暮れかかった道を急ぎ、手回りの小道具も忘れてしまった(そのような)心持ちによって付けています。

【三工程】
(前句)伽羅割の捺忘れ行く野は暮て

  里人申すことおそろしく  〔見込〕
     ↓
  こがれ死にして燃る恋づか 〔趣向〕
     ↓
  初夜にかならず燃る恋づか 〔句作〕 

前句で鉈を忘れて行ったその原因を、地元の言い伝えを恐れたからとし〔見込〕、〈どんな言い伝えか〉と問うて、焦がれ死にした美女の鬼火が墓所に燃えるとし〔趣向〕、前句「暮て」を受け「初夜」と時分を定めた〔句作〕。


【テキスト考察】
前回の自註「野遊び」に関してですが、やや説明不足だったかに思え、あらためて歳時記類を繙いてみました。以下、連句的な気づきもあったので記しておきます。

まず西鶴も見たと思われる『増山井』(1663年)では人事の「非季詞」に分類されおり、やはり雑の扱いであったようです。

下って『増補俳諧歳時記栞草』(1851年)になると「兼三春物」に分類されており、近現代と変わりません。ただ『栞草』の同項目には芭蕉の伝書といわれる『貞享式』(俳諧古近抄)からの引用も記されていて、こうあります――〈野遊と云ふことは、もとより川狩の名類(なくひ)ながら、平句の雑は勿論にて、春秋の二に用いることは、例の衆議によるべき也〉。

さきの『増山井』以降「川狩」は夏(六月)に分類されており、事情は複雑そうですが、ときに季の衆議が行われていたという記述は「座の文芸」として一考に値するでしょう。

2026年6月3日水曜日

●西鶴ざんまい#97 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #97
 
浅沼璞
 

 神軍春の丸雪におどろかせ  打越
  小車の錦八重の幕串    前句
 伽羅割の捺忘れ行く野は暮て 付句(通算79句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
名残ノ折・裏1句目=折立。雑。
伽羅割の捺(きやらわりのなた)=香木を割る鉈。

【句意】
香木を割る鉈を忘れた(野遊びの後の)野原は暮れていく。

【付け・転じ】
神軍の錦や幕串を、女官たちの野遊びのそれと取成した転じ。

【自註】
*見わたせば都はにしきの幕うちて御所の女中の野あそび、**萩も薄も手折りて***捨草となれり。万のむしを追ひまはし、しどもなく日を暮し、今朝とは替り、道いそぐ風情、姿まばらになつて足音高く爰を立ちて、かへさの跡を、其の里の子、千種わけ行くに、つかひ捨てし楊枝に伽羅割の道具を取りおとされし。

*見わたせば都は=〈見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける〉(素性法師・古今集)
**萩も薄も=自註では秋の設定だが、付句では雑。
***捨草(すてぐさ)=抜き捨てた草。無用物のたとえでもある。

【意訳】
「見渡せば……」の古歌のとおり錦の幕を張り、禁中の女官たちの野遊び、萩も薄も手折って無用のものとなる。さまざまな秋の虫を追い回し、わけもなく一日過ごし、(往路の)今朝とは違い、帰路は急ぐ様子で、姿もまとまりなくばらけて足音を高く響かせ、ここを出て、その帰った跡を、村里の子供らが雑草を踏みわけて行くと、使い捨てた楊枝に、伽羅割の道具まで取り落とされたようで。

【三工程】
(前句)小車の錦八重の幕串

  見わたせば御所の女中の野あそびか 〔見込〕
     ↓
  しどもなく野あそびしては道いそぎ 〔趣向〕
     ↓
  伽羅割の捺忘れ行く野は暮て    〔句作〕

前句の錦や幕串を女官たちの野遊びのそれと取成し〔見込〕、〈どんな一日か〉と問うて、わけもなく乱雑な様子を描き〔趣向〕、挙句の果てに「伽羅割の捺」を忘れた、その夕景をクローズアップした〔句作〕。

【テキスト考察】
1686年刊『好色五人女』巻一ノ三には当世(江戸時代)の野遊びが描かれており、ここでも里の子が出てくる。時代設定は違っても、「野遊び→里の子」の流れは西鶴の好みであったのだろう。
原文を引いておこう。

「但馬屋の一家(=姫路のとある商家の女たち)、春の野遊びとて、女中籠つらせて、(中略)松も若緑立ちて、砂浜の気色、またあるまじき詠めぞかし。里の童子、さらへ手毎に落葉かきのけ、松露(しようろ)の春子を取るなど、菫・茅花を抜きしや……」

松露とは、海辺の松林に生える食用キノコ。

そういえば本作・独吟百韻33句目〈色うつる初茸つなぐ諸蔓(もろかづら)〉の自註にも地元の子供たちがキノコ採りをする描写があった。

2026年5月20日水曜日

●西鶴ざんまい#96 浅沼璞

 
西鶴ざんまい #96
 
浅沼璞
 

  山吹しぼむ岸の毒水    打越
 神軍春の丸雪におどろかせ  前句
  小車の錦八重の幕串    付句(通算78句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏14句目。綴目。雑(其場の付)。
小車の錦(をぐるまのにしき)=牛車(ぎつしや)をデザインした大和錦。
幕串=幕を張るための支柱。

【句意】
(伊勢神宮の)小車錦の帳(とばり)、(それを張りめぐらすための)八重の幕串。

【付け・転じ】
神軍の勝利を伊勢の神によるものと取成し、その陣営の具体的な描写へと転じた。
※内外宮(うちとのみや)伊勢 ― 神風(類船集)。

【自註】
かけまくもかたじけなしや、小車の錦は伊勢太神宮の*御戸帳といへり。此ひかり、日本にかゝやき、是を其時の**陣幕にして付よせたり。

*御戸帳(みとちやう)=神仏の厨子などに垂らす帳。  
**陣幕(じんまく)=陣屋に張り渡す幕。軍幕。

【意訳】
言葉に出して言うことさえも恐れ多いけれども、小車の錦は伊勢の皇大神宮の神前の帳に用いられているという。この御威徳の光は日本中にかがやき、これをその戦時の陣幕に思いなして付け寄せたのである。

【三工程】
(前句)神軍春の丸雪におどろかせ

  伊勢太神宮ひかりかゝやき 〔見込〕
     ↓
  伊勢の陣幕ひかりかゝやき 〔趣向〕
     ↓
  小車の錦八重の幕串    〔句作〕

勝利は伊勢の神の御威光よるものと取成し〔見込〕、〈戦場はどんな風景か〉と問うて、陣幕も光りかがやくとし〔趣向〕、その錦や幕串をクローズアップした〔句作〕。


【テキスト考察】
『訳注西鶴全集2』ではこの付句に関し、〈八重は備への十分を現はすと共に、八重の潮路を兼ねて示したものか〉と問うだけでなく、〈こゝは神軍で、想像上のものであるから、海上の陣幕と見るべきであらうか〉とも問うている。となれば、船の描写は一切ないから「幕串」は海から突き出て八重に屹立したものと解せる。かなりSFチックな光景だ。

そういえば西鶴には高屋城跡を詠んだ「月しろのあとや見あぐる高屋ぐら」という発句もあった。月の出の空が白む頃、城跡の空を見上げると、かつての高櫓が……といったタイムスリップ詠である。

2026年5月6日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #95

 

西鶴ざんまい #95
 
浅沼璞
 

 此の夕孤猿身を断つ峯の花  打越
  山吹しぼむ岸の毒水    前句
 神軍春の丸雪におどろかせ  付句(通算77句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏13句目。花の定座だが前述のとおり二句引き上げられている。  春(春の丸雪・あられ)。  神祇(神軍・かみいくさ)=神々の戦い、または神の軍勢。

【句意】
神々の軍勢は(時ならぬ)春の霰を降らせ(敵を)おどろかせる。

【付け・転じ】
毒魚による水の有毒化を、神軍によるものと見替えての転じ。

【自註】
*古代もろこしより**嶋人の数かぎりもなく海船に乗りつゞきて日本(に)渡りしを、***住吉明神をはじめとして、風の神、****番袋の口をあけて、俄に大風を吹かせ、雨の宮は時ならぬあられをうら/\にふらせ給へば、是(これ)皆毒液となつて、是はならぬとにげて行くとぞ。

*古代もろこしより……=奈良絵本「八幡本地」、謡曲「白楽天」などによる。 
**嶋人(しまびと)=外国人。ここでは唐土人。
***住吉明神=海の神として信仰された。〈住吉の神、近き境をしづめ守りたまふ〉(源氏・明石)。〈すみよしも力一ぱい神軍〉(大矢数・第二十一)。
****番袋(ばんぶくろ)=雑多なものを入れる大きな袋。ここでは風神の持つ風袋。

【意訳】
むかし唐土から唐土人が数限りなく船に乗ってつぎつぎ日本にやってきたのを、住吉明神をはじめとして(神々が集まり)、風神が風袋の口をあけて突然強風を吹かせ、雨の宮の神が季節外れの霰を浦々に降らせなさると、それによって海水はみな有毒化されて、これはいかんと(唐土人は皆)逃げ帰ったとか。

【三工程】
(前句)山吹しぼむ岸の毒水

  あらたかな住吉の神なし給ふ 〔見込〕
     ↓
  もろこしの海船つゞく神軍  〔趣向〕
     ↓
  神軍春の丸雪におどろかせ  〔句作〕

海水の有毒化を、住吉の神によるものと見替え〔見込〕、〈なにが目的か〉と問うて、唐土との海戦で相手の船を追い払うためとし〔趣向〕、春の霰による撃退法を素材とした〔句作〕。

【テキスト考察】
神風の元ネタとして、前述のとおり「八幡本地」や「白楽天」を諸注はあげている。くわえて元寇に言及しているものもある(『訳注西鶴全集2』、『新編日本古典文学全集61』等)。しかし自註にある「あられ→毒液」の出どころは判然としない。元寇で毒矢が使われたのは知られているけれど、使ったのは敵側だし、霰とは関係がない。「あられ→毒液」は前句の「毒魚→毒水」を転じた西鶴の創作であろうか。元ネタの有無についてはもう少し調べてみる必要がありそうだ。

 

2026年4月22日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #94

 

西鶴ざんまい #94
 
浅沼璞
 

  詩人時節の露を哀み    打越
 此の夕孤猿身を断つ峯の花  前句
  山吹しぼむ岸の毒水    付句(通算76句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏12句目。  春(山吹)。  毒水(どくすい)=有毒の水。

【句意】
山吹をしぼませる、岸の有毒な水。

【付け・転じ】
猿の声を聞いて身を断つ詩人の伝統的哀感から、猿そのものが身を断つ状況へと転じた。

【自註】
湖の入江の流れを*毒鳥・毒魚のわたりて後、諸/\の**鱗も爰にすみかね、***うき波に沈めり。猿も子猿をつれて、不断、此の流れに口をそゝぎしに、毒水と成り、岸の草木までも枯れはつるを見てなげく有り様にしての付かた。

*毒鳥=〈異形異色の者、皆毒有り。恐らくは之を食ふ可からざるなり〉(『和漢三才図絵』44山禽類「諸鳥毒有る物」)。  **鱗(うろくづ)=魚類。いろくづ。  ***うき波=憂き波。

【意訳】
湖にそそぐ入江の流れを有毒の鳥や魚が渡った後は、諸々の魚類もここに生息できなくなり、汚染水に沈んでしまった。猿も子猿をつれて、いつもこの流れを口にしてきたが、有毒な水となり、岸の草木までも枯れはて、それを見て(猿も)なげく状況を想定した付け方(=元禄疎句体)である。

【三工程】
(前句)此の夕孤猿身を断つ峯の花

  口をそゝぐに憂き波となり 〔見込〕
     ↓
  毒魚わたれる入江の流れ  〔趣向〕
     ↓
  山吹しぼむ岸の毒水    〔句作〕

前句を猿自身がなげくほどの飲料水の汚染状況であるととらえ返し〔見込〕、〈なにが原因か〉と問うて、毒魚によるものとし〔趣向〕、結果として山吹まで枯れたことを素材とした〔句作〕。

【テキスト考察】
『訳注西鶴全集2』では、前句の句意を〈一匹の猿がその身を断つが如き悲痛な聲で叫んでゐる〉とし、もともと身を断つのは猿自身であると解している。

しかし前回参照した〈猿を聞く人捨子に秋の風いかに〉の芭蕉句のように、猿を聞く詩人の側が「猿の声に対して断腸の思いを詠んだ」という伝統がすでにあったことは明らかである(角川文庫版『芭蕉全句集』など)。

よって冒頭の「三句の渡り」における、打越の「詩人」を受けた前句にも同様の伝統がはたらいていたとみるのが自然だろう。『新編日本古典文学全集61』でも、前句は〈聞く人に断腸の思いをさせる、の意〉であり、付句は〈前句の「身を断」つ主体を、聞き手側でなく、猿自身とした付け〉としている。つまり「主体の転じ=三句の転じ」と解しているのである。

 

2026年3月25日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #93

 

西鶴ざんまい #93
 
浅沼璞
 

 平調の笙の息つぎ静にて   打越
  詩人時節の露を哀み    前句
 此の夕孤猿身を断つ峯の花  付句(通算75句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏11句目。  春(峰の花)=13句目・花の座の二句引き上げ。  季移り(前句の秋の「露」を春の「露」と見替える常套手段)。  孤猿=群れを逸れた猿。

【句意】
この夕べ、孤独な猿の声を聞く人は身を断つような気分だ(と伝え聞く)が、峰の桜は咲いている。
・参考〈猿を聞く人捨子に秋の風いかに〉(芭蕉・野ざらし紀行)

【付け・転じ】
前句の詩人の露への哀感を、猿の声を聞く人のそれへと響かせ、山猿の取合せとして「峯の花」へと転じた。

【自註】
此の付けかたは、前句に、詩人、其の時節に消え行く露までもあはれみたるありさまを請けて、*詩の言葉を以て、「孤猿身を断つ」と一句に仕立てし。されば**巴峡の猿の鳴声、すぐれて物がなしく、哀れなる事、聞き伝へし。則ち***花所なれば「猿」の****取合せに「峯の花」也。
*詩の言葉=〈孤猿更ニ叫ブ秋風ノ裏、是レ愁人ニアラザルモ亦腸ヲ断タン〉(唐詩選・載叔倫・七絶)
**巴峡(はかふ)=揚子江の急流地帯における三峡のひとつ。
***花所(はなどころ)=花の定座。前述のとおり二句引き上げ。
****取合せ=「峯― 猿の声」(類船集)

【意訳】
この付け方は、前句の詩人がその時節に消えていく露までも哀れむ、そのありさまを受けて、漢詩の言葉を以て「孤猿身を断つ」と一句に作りあげた。そういえば揚子江の巴峡の猿の鳴声はとても物悲しく、哀れであることは既に聞き伝えていた。それに花の座も近いので「猿」に「峯の花」を取合せたのである。

【三工程】
(前句)詩人時節の露を哀み

  聞き伝ふ孤猿身を断つほどにして 〔見込〕
     ↓
  此の夕孤猿身を断つほどにして  〔趣向〕
     ↓
  此の夕孤猿身を断つ峯の花    〔句作〕

前句の詩人の露への哀感をうけ、猿の声への断腸の思いを詠んだ詩を引き〔見込〕、〈どのような時分か〉と問うて、「此の夕」と時分を定め〔趣向〕、花の座も近いので「猿」に「峯の花」を取合せた〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』では〈「露」は秋季に限られないというので「花」を付けたのであろうが、秋から春への季移りもやや気になるところ〉とある。しかしこの面のように月の座と花の座が近い場合、秋から春へと季移りになるケースは珍しくない。『新版・連句への招待』(泉書院)では歌仙(=百韻の略式)でも似たケースのあるのに言及し、「月」「露」「雁」などが春季に見替えやすい言葉として「季移り」に多用される由、解説がある。

 

2026年3月11日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #92

 

西鶴ざんまい #92
 
浅沼璞
 

  鴻の巣おろす秋の夜の月   打越
 平調の笙の息つぎ静にて    前句
  詩人時節の露を哀み     付句(通算74句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏10句目。  秋(露)。  述懐(哀み・あはれみ)。

【句意】
漢詩人は時節柄、秋のはかない露を哀れんでいる。

【付け・転じ】
笙の演奏からその奏者である詩人の述懐へと転じた。

【自註】
詩を作りてうたひ、*林間に酒好き老人、何か世に心にかゝる秋もなく、月の入(いる)山を惜しみ、朝日に露をあはれみ、明暮(あけくれ)たのしみを極め、有る時はまた笙をふきて**秋風楽の舞の袖、***同じ心の友のおもしろし。

*林間に酒好き老人=白楽天・李白などのイメージ。「詩 ― 盃の友」(類船集)。
**秋風楽(しうふうらく)=雅楽の一曲。四人舞。〈秋風楽舞ひたまへるなむ〉(源氏・紅葉賀)
***同じ心の友=〈同類や同じ心の友千鳥〉(大矢数・第27)

【意訳】
漢詩を作って自ら吟じ、林間にあって酒好きの老人は、何か浮世に心懸かりな秋とてなく、月の山の端に入るを惜しみ、朝日に消える露を哀れみ、明け暮れ遊楽を極め、ある時はまた笙を奏でて秋風楽を舞う袖の、おなじ心の友がいるのも面白い。

【三工程】
(前句)平調の笙の息つぎ静にて

  詩をつくりてはうたふ老人 〔見込〕
     ↓
  詩人朝日に露を哀れみ   〔趣向〕
     ↓
  詩人時節の露を哀み    〔句作〕

前句の笙の奏者を漢詩人と見立て〔見込〕、〈どのような心情なのか〉と問うて、「朝日に消える露を哀れむ」と秋の述懐にし〔趣向〕、「時節」という措辞で句をととのえた〔句作〕。

【テキスト考察】
このたびの自註ですが、〈月の入る山を惜しみ〉というのは、〈桜も散るに歎き、月は限りありて入佐山(いるさやま)〉という『一代男』冒頭を思わせるというだけではありません。〈明け暮れたのしみを極め……同じ心の友のおもしろし〉とつづく自註は、やはり『一代男』冒頭の〈寝ても覚めても「夢介」と替へ名呼ばれて、名古屋三左(さんざ)、加賀の八(はち)などと、七つ紋の菱に組して、身は酒にひたし〉の展開に似ています。隠遁詩人を描くに際し、傾き者「夢助」の文脈をもってするとは、さすがに西鶴というほかありません。

 

2026年2月18日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #91

 

西鶴ざんまい #91
 
浅沼璞
 

 八徳を何のうらみに喰割れ   打越
  鴻の巣おろす秋の夜の月   前句
 平調の笙の息つぎ静にて    付句(通算73句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏9句目。  恋離れ。  秋=平調(ひやうでう)=雅楽十二律の一つ。陰陽五行説により秋季に対応する調子。  笙(しやう)=雅楽の管楽器。15本の竹管の根元にあるリード(簧・した)を吸気・呼気で振動させて音を鳴らす。  息つぎ=息継ぎ。

【句意】
平調を吹く笙の息継ぎは静かである。

【付け・転じ】
鴻の巣材のうち、笙の演奏に役立つ石に注目し、視覚表現から聴覚表現へと転じた。

【自註】
笙をしめすに鴻の巣にある石にて心よき事、古き書に見えたり。是に、むかしは楽人(がくにん)、此の鳥の巣おろしして、彼の石をさがし、重宝となしける。平調は秋の調子なれば、前句の月によせて一句にむすび侍る。

【意訳】
笙(の簧)を湿らすのに鴻の巣にある石を以てすると快い音色になる事が古い書物にみえる。これにより、むかしの雅楽の演奏家は此の鳥の巣をおろして、その石をさがし、貴重なものとした。平調は秋季の調べなので、前句の月に付けて一句にするのです。

【三工程】
(前句)鴻の巣おろす秋の夜の月

  笙の簧しめすに石の重宝し 〔見込〕
     ↓
  湿らせて笙の息つぎ静なる  〔趣向〕
     ↓
  平調の笙の息つぎ静にて    〔句作〕

鴻の巣材から、笙の簧を湿す石に注目し〔見込〕、〈どのように石は役立つのか〉と問うて難しい息継ぎもすんなりできるとし〔趣向〕、前句の月にあわせて秋季の「平調」とした〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』には〈笙の演奏でもっとも難しいのが息継ぎのときで、それが笙石のお陰でスムーズにいく〉とあります。

ちなみに『西鶴名残の友』(巻四ノ四)にも、〈此の巣の中にありける石は、笙の舌(=簧)をしめすによしと、古人つたへける〉とあり、鶴翁に雅楽への知識があったことが知られます。

 

2026年2月4日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #90

 

西鶴ざんまい #90
 
浅沼璞
 

  儒の眼より妾女追出す    打越
 八徳を何のうらみに喰割れ   前句
  鴻の巣おろす秋の夜の月   付句(通算72句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏8句目。  恋離れ。  秋=月の定座の二句引き上げ。  鴻の巣(こふのす)=コウノトリの巣(高木や大寺の棟瓦などに作られる)。

【句意】
コウノトリの巣を(木から)おろす秋の夜の月。

【付け・転じ】
食い裂かれた八徳を、コウノトリの巣材と見なし、恋から転じた。

【自註】
惣じて、梢の鳥、巣に、ちり塚のちりの中より、文反古(ふみほうぐ)あるひは落髪(おちがみ)、わけもなきさま”/\を集めける。中にも*大鳥の巣には、帯、たすき、洗ひぎぬの片袖などかけ来たりて、人に迷惑いたさせける。

*大鳥(おほとり)=コウノトリの俗称。

【意訳】
だいたい梢の鳥は、ごみ溜めの中から、紙屑あるいは頭髪、どうでもよい様々なものを巣に集めてくる。わけてもコウノトリの巣には、帯、襷、洗濯物の片袖などかっ攫って来て、人に迷惑をかける。

【三工程】
(前句)八徳を何のうらみに喰割れ

  大鳥の巣に帯・襷など  〔見込〕
     ↓
  高き梢の巣をおろすなり 〔趣向〕
     ↓
  鴻の巣おろす秋の夜の月 〔句作〕

コウノトリが巣材として人の衣服を食い裂いたと見なし〔見込〕、〈どう対処するのか〉と問うて「巣をおろす」とし〔趣向〕、月の定座が近いので、視界のきく満月の晩とした〔句作〕。

【テキスト考察】
『訳注西鶴全集2』によると、巣は「樹の命を害する」そうです。だから巣をおろすわけで、さらに「昼間は親鳥が怒つて人に危害を及ぼすから、これを避けるため夜する」とあります。とりわけ満月の晩なら視界もきくことでしょう。

ところで『新編日本古典文学全集61』では「鴻の巣」を俳言と明記しています。やはり身近な世俗の言葉ということなのでしょう。かたや下七「秋の夜の月」は、〈秋の夜の月にこころのあくがれて雲ゐにものを思ふころかな/花山院〉などがあるように歌語と解せます。とすれば、歌語/俳言という雅俗の取合せになっていると解せそうです。

そういえば芭蕉にも〈鸛の巣もみらるゝ花の葉越哉〉の発句があります。〈鸛(鴻)の巣〉の俗と、花(山桜)の雅との取合せかと思われます。

 

2026年1月21日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #89

 

西鶴ざんまい #89
 
浅沼璞
 

 老の浪子ないものと立詫て   打越
  儒の眼より妾女追出す    前句
 八徳を何のうらみに喰割れ   付句(通算71句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏7句目。  恋=うらみ  八徳(はつとく)=胴服の一種。儒教では仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌を八徳という。  喰割れ(くひさかれ)=食い裂かれ。

【句意】
八徳をなんの恨みによってか食い裂かれ。

【付け・転じ】
親爺が妾女を追い出した原因はなんであれ、これまで費やした年月への女の恨み・辛みへ焦点をしぼり、儒者の象徴である「八徳」が「食い裂かれる」と転じた。

【自註】
儒者の衣類なれば「八徳」と付け出だし、追い出さるゝかなしさに、年月のうらみをいふて、何国(いづく)も女の業(ごふ)とて、面(おもて)に角のはえぬ計(ばかり)。「此の執心、外へは行くまじ」と所さだめずかみ付きて、「道をしれる人の、今となつて人を迷はす事やある」といへる心付ぞかし。

【意訳】
(前句の)儒者のその衣服から「八徳」を出して付け、(その儒者に)追い出される悲しさに、年来の恨みを言って、(そのように)どこでも女の業は深くして、額に角の生えてしまいそうなほど。「この執着心は外にはいくまい」と所かまわず噛みついて、「儒の道を知る人の、今さら人を路頭に迷わすことがあろうか」という心持ちを以ての付けである。

【三工程】
(前句)儒の眼より妾女追出す

  年月のうらみは業の深くして  〔見込〕
     ↓
  うらみにて所定めず噛み付きて 〔趣向〕
     ↓
  八徳を何のうらみに喰割れ    〔句作〕

親爺が妾女を追い出した原因はなんであれ、これまで費やした年月への女の恨み・辛みに焦点をあわせ〔見込〕、〈どれほど恨んでいるのか〉と問うて「所定めず噛み付くほど」とし〔趣向〕、ほかでもない儒者の象徴である「八徳」が食い裂かれるまでと強く表現した〔句作〕。

【テキスト考察】
『新編日本古典文学全集61』では〈打越の「子ないもの」から離れなければならないので、前句の「妾女」を「追出」した本当の原因は、男の側の浮気心にある、とほのめかした付けとなる〉としています。けれど付句では「何のうらみに」と謎をかけており、自註をみても「浮気心」への言及はありません。自註ではただ「年月のうらみ」とあり、加えて「今となつて人を迷はす」ともあります。ここは原因はなんであれ、無駄になった(女ざかりの)歳月への恨み・辛みが根幹にあるのではないでしょうか。

 

2026年1月7日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #88

 

西鶴ざんまい #88
 
浅沼璞
 

  朝食過の櫃川の橋      打越
 老の浪子ないものと立詫て   前句
  儒の眼より妾女追出す    付句(通算70句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏6句目。  恋=妾女(てかけ)。めかけ。  儒の眼(じゆのまなこ)=儒教的な見地。  ※〈上の儒の音に応対して、セウヂョと訓むのではあるまいか〉(訳註西鶴全集)

【句意】
儒教的な見方によって(子のできない)妾を家から追い出す。
※当時は独身でも妾を雇った。〈独り寝覚のさびしきに、此の夏より妾女を尋ねける〉(武道伝来記)。

【付け・転じ】
前句の老いた乞食を、妾女を雇う親爺に見替え、その不妊を詫びる態として転じた。

【自註】
年ひさしく*道者㒵して見台に眼をさらし、儒書の**口談などして、中/\物がたき親仁、「子孫のなき事、***先生のをしへに叶はず」迚(とて)、子のない姿を見定め、ひとりの女を暇(いとま)遣はしける付けかた也。

*道者㒵(みちしやがほ)=専門家のような顔付。  **口談(こうだん)=〈「講談」の誤か〉(定本西鶴全集)。  ***先生=〈「先聖」の誤か〉(定本西鶴全集)。

【意訳】
年月久しく専門家ヅラして書見台を控え、儒教本の講談などして、なかなか厳格な親爺、「子孫のないことは先達の教えにかなわない」とて、子ができない様子を見極め、ひとりの妾に暇を出した付け方である。

【三工程】
(前句)老の浪子ないものと立詫て

  道者㒵して妾女見定め  〔見込〕
     ↓
  儒書の教へに叶はぬ妾女 〔趣向〕
     ↓
  儒の眼より妾女追出す   〔句作〕

前句の老いた乞食を、妾女を雇う親爺に見替え、その女を見定めているとし〔見込〕、〈妾女の不妊をどのように考えているか〉と問うて、「儒の教えに則さない」とし〔趣向〕、儒教的見地から「妾に暇をやる」とした〔句作〕。

 

これまでの自註でも〈かたい親仁〉というのが何回か出てきましたね。

「そうやったか、またよう調べはるな」

はい、オモテ8句目〈子供に懲らす窓の雪の夜〉の自註にはスパルタ教育をする「かたい親仁」、つまり厳格な教育パパ(意訳では「親父」)が登場。

二ウラ3句目〈和七賢仲間あそびの豊か也〉の自註では唐土の「かたい親仁ども」、つまり中国の厳格な賢人(意訳では「親爺」)たちが描かれています。

「そうか、知らんうちに作者の人柄がでてしまうんやな」

えっ? 厳格、ですか……。

 

2025年12月17日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #87

 

西鶴ざんまい #87
 
浅沼璞
 

  其道を右が伏見と慟キける   打越
   朝食過の櫃川の橋      前句
  老の浪子ないものと立詫て   付句(通算69句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】
三ノ折・裏5句目。  雑。  立詫て(たちわびて)=述懐。
波―川(類船集)。  乞食(コツジキ)―橋の辺(類船集)。

【句意】
「老いの波を受け、(世話になるべき)子どもすらないものを」と悲嘆に暮れて(物乞いをしている)。

【付け・転じ】
前句の旅の朝景色に、老いた乞食の述懐を描出した転じ。

【自註】
世間の「食過(めしすぎ)」を請けて、此の句は袖乞(そでごひ)に仕立てたる付けかたなり。櫃川の*よせに「老の波」と出し、年寄たる者に子ない身の行すゑをなげきし有様を一句に仕立つ。**世の人心、捨てかねたる命ぞつらし。

*よせ=付寄せ。  **世の人心(ひとごゝろ)=遺稿集『西鶴織留』(1694年)の副題。

【意訳】
世の「食事時を過ぎた頃」を受け、この句は(「食」つながりで)乞食に仕立てた付け方である。櫃川(という水辺)の付け寄せに「老の波」と出し、老いて子のない人の、身の行末を嘆いた有様を一句に仕立てた。世間の人の心(を思うに)、死なれぬ命ほどつらいものはない。

【三工程】
(前句)朝食過の櫃川の橋

  袖乞の身の行末を嘆いては  〔見込〕
     ↓
  袖乞の子なく老いしと立詫て  〔趣向〕
     ↓
  老の浪子ないものと立詫て  〔句作〕

朝食過ぎの橋のたもとに乞食の嘆きを見出し〔見込〕、〈どのような悲嘆か〉と問うて、「子もないままに老いて」と物乞いの科白とし〔趣向〕、水辺の付として「浪」の一字を加え、さらに「袖乞」の抜けとした〔句作〕。

〈捨てかねたる命ぞつらし〉は晩年の西鶴的表現かと思うんですが。胸算用にも〈貧にては死なれぬものぞかし〉とありましたよね。

「あるけどな、晩年になってからやないで。一代男でもな、北のサカタいう港のな、夜鷹を描いてな、〈死なれぬ命のつれなくて〉と筆をふるったオボエがあるで」

ちょっと待ってください、一代男、山形の酒田……巻三の六にありますね。ああ、ここだ、〈我が子を母親に抱かせ、姉は妹を先に立て、伯父・姪・伯母の分かちもなく、死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき事ども、聞くになほ不憫なる世や〉。
「それそれ、夜鷹の家族を描いたんやで」

なるほど、一代男からのテーマだったんですね。

 

2025年12月3日水曜日

●西鶴ざんまい 番外篇30 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇30
 
浅沼璞
 
 
今年も押しつまってきましたが、在原業平の生誕1,200年ということで、根津美術館が特別展「伊勢物語――美術が映す王朝の恋とうた」を開催(11/1~12/7)。紅葉狩を兼ね、後期展示に足をはこびました。

中世以前、写本時代の古筆・古絵巻の展示も充実していましたが、愚生の興味はやはり近世以降にありました。


西鶴生誕の少し前、江戸時代の初めに挿絵入「伊勢物語」の版本(嵯峨本)が出版。それまでの写本による「知の専有化」の時代は、版本によって「知の共有化」の時代へと大きく転換したわけです。

結果、嵯峨本「伊勢物語」は多くの庶民に読まれただけではありません。多様な絵画作品の原典ともなったのです。

例えば本展の出品作でいうと、第50段「行く水に数かく」の挿絵が、岩佐又兵衛「鳥の子図」や土佐光起「伊勢物語図」に影響を残しているのがわかります。(絵として圧倒されたのは又兵衛筆でしたが)


むろん西鶴もまた嵯峨本によって「伊勢物語」を享受したに違いなく、あの『好色一代男』(1682年)にさまざまな影響を残しているのは有名ですが、そればかりではありません。浮世草子以前、俳諧においても次の発句が知られています。

  こと問はん阿蘭陀広き都鳥      『三鉄輪』(1678年以前)

いうまでもなく第九段「隅田川」の詠〈名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと〉(古今集)のサンプリングです。

当時、旧派・貞門から阿蘭陀流と揶揄された談林の、その急先鋒として、「広き都の都鳥さんよ、オランダ流の広大さを世間に教えてやってくれ」というような心意気を感じさせます。

さて晩年の『西鶴独吟百韻自註絵巻』にその気概、ありやなしや。
 

2025年11月19日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #86

西鶴ざんまい #86
 
浅沼璞
 
   野夫振揚げて鍬を持ち替へ  打越

  其道を右が伏見と慟キける  前句

   朝食過の櫃川の橋    付句(通算68句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】 
三ノ折・裏4句目。  雑。   朝食過(あさめしすぎ)=時分(じぶん)の仕立。  櫃川(ひつがは)=山科川の古名。其場の仕立。  櫃―飯・川(類船集)。

【句意】
朝めし過ぎ時分の櫃川の橋(にさしかかった)。

【付け・転じ】
前句で農夫に道を尋ねた旅人の目線へと転じ、その後の旅の朝景色に照準を合せた。

【自註】
*古哥に「ふし見につゞく櫃川のはし」と読み残せし。都出でて、東福寺の前に渡せし**一の橋の事也。前句の旅人、道いそぐ甲斐ありて、はやくも爰(こゝ)に来て、此あたりはいまだ朝景色を見し一体也。句作りは食の櫃(めしのひつ)として、いやしからぬやうにいたせし。しかし、此句のはたらきは、***中古句むすび也。

*古哥=出展不明。ただし藤原俊成に「都出でて伏見を越ゆる明け方はまづ打渡す櫃川の橋」(新勅撰集)の作あり。  **一の橋=〈東福寺門前、伏見街道の今熊野川に架かる橋。三の橋まであり。これを「櫃川の橋」と呼ぶこと所見なし〉(定本全集・頭注)。西鶴の誤りか(下記【テキスト考察】参照)。  ***中古(の)句むすび=貞門的な古風な付け方。具体的には「伏見→櫃川のはし(箸)←朝食」の縁語仕立て。

【意訳】
古い歌に「伏見に続く櫃川の橋」と詠み残したのがあった。都を出て東福寺の前に渡した一の橋のことである。前句の旅人は道を急いだ甲斐があって早くもここに来て、あたりを見るに未だ朝景色の様子である。句作りは飯櫃(めしびつ)を素材に、卑しくないように表現いたした。しかしこの句の技法は貞門的な古風な付け方である。

【三工程】

(前句)其道を右が伏見と慟キける

  道を急げば櫃川あたり 〔見込〕
   ↓
    朝景色とて櫃川あたり 〔趣向〕
     ↓
   朝食過の櫃川の橋   〔句作〕

前句で農夫に道を尋ねた旅人の目線へ転じ、伏見に続く櫃川あたりとした〔見込〕、〈どのような時分か〉と問うて、朝景色とし〔趣向〕、「朝食→櫃川のはし(箸)」の縁語を貞門風に駆使した〔句作〕。

【テキスト考察】

『新編日本古典文学全集61』には〈京都から伏見街道への出口にあたる「一の橋」と、「都出て……」と詠まれる「櫃川の橋」とを錯覚したようである〉と書かれています。

真偽のほどは不明ですが、もし錯覚だとしたら、その要因は何なのでしょうか。

談林時代の『両吟一日千句』(1679年)では青木友雪との次のような付合がみられます。

   櫃川わたれば樗最(サイ)中   西鶴
  眠りては落るもしらぬ一のはし   友雪

樗の花の咲く最中、櫃川から一の橋へと向かう途中、我知らず眠りに落ち、花が落ちるのすら意識にない、というような付合でしょうか。

「櫃川」→「一の橋」の付筋に錯覚の遠因があるのかもしれません。

今後、他の作例にも当ってみたいと思います。

 

2025年11月5日水曜日

●浅沼璞 西鶴ざんまい #85

西鶴ざんまい #85
 
浅沼璞
 
  蟬に成る虫うごき出し薄衣   打越
野夫振揚げて鍬を持ち替へ  前句
  其道を右が伏見と慟キける    付句(通算67句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・裏3句目。 雑。 其道=そのみち。 伏見=此里は舟つきにして旅人絶ぬ所也(一目玉鉾・三)。 慟く=どやく(≒どなる)。「どやきけり聞いて里しる八重霞」西鶴(両吟一日千句など)。

【句意】その道を右へ行くと伏見(の近道)だと怒鳴った。

【付け・転じ】前句の虫をみつけた農夫が動作を止めたのを、旅人に道を尋ねられたためと逆付にした。

【自註】旅人はじめての都入(みやこいり)に、野道を行しに、*田夫をまねきて道筋をたづねしに、鍬持ちながら、「右のかたの**溝川越えて、笹原すこし有る所より伏見への近道」と***声をはかりにをしへける****気色に付けよせし句也。
*田夫(でんぶ)=農夫。  **溝川(みぞがは)=小川。  ***声をはかりに=声を張りあげて。  ****気色(けしき)=有様。

【意訳】旅人が初めて京都入りする際に、野中の道を行き、農夫を手招きして道順を尋ねたところ、(農夫は)鍬を持ちながら「右手の小川をこえて、小笹のすこしあるところを行くと、そこから伏見の近道」と声を張りあげて教えた、そんな有様に付け寄せた句である。

【三工程】
(前句)野夫振揚げて鍬を持ち替へ

旅人に都への道尋ねらる   〔見込〕
   ↓
  其道の右の方ぢやと慟キける 〔趣向〕
     ↓
   其道を右が伏見と慟キける  〔句作〕

前句の農夫のストップモーションを旅人に道を問われたためと見なし〔見込〕、〈どのように答えたのか〉と問うて、方角を大声で教えたとし〔趣向〕、「伏見」という具体的な地名を素材とした〔句作〕。

【テキスト考察】

句末の表記に関し、諸注の異同があるので簡単に考察しておきます。

ふるい『日本古典読本Ⅸ 西鶴』、『譯註 西鶴全集2』では「慟キけり」となっていますが、それより新しい『定本西鶴全集12』、『新編日本古典文学全集61』、『新編西鶴全集5』では「慟キける」となっています。

そこでカラー版影印集『新天理図書館善本叢書33 西鶴自筆本集』に当たり、既出の付句の句末「り」「る」を比較してみました。

大晦日其の暁に成にけり (裏9句目)
  小判拝める時も有けり   (二表8句目)

この二句の句末「り」はほぼ同形で、「慟キけ●」の方は、これらよりやや丸みをおび、
  花夜となる月昼となる  (二裏10句目)

の句末「る」とほぼ同形かと思われます。本稿で「慟キける」とした所以です。