2019年9月30日月曜日

●月曜日の一句〔生駒大祐〕相子智恵



相子智恵







小面をつければ永遠の花ざかり  生駒大祐

句集『水界園丁』(港の人 2019.7)所載

「月曜日の一句」は一句集から一句、なるべく当季の句を読もうと決めている(別にそう指示されたわけではない。自由な欄なので、自分の中で定型感?が欲しくてそうしているだけだ)のだが、今日は『水界園丁』からもう一句取り上げたい。というのも、角川「俳句」2019年10月号の「新刊サロン」で本句集を紹介したのだが、紙幅が足りず、改めて読み返してみたら、掲句について書いた箇所の意味がとても分かりにくかったので、もう少し書き加えてみたい気持ちになったのだ。

以下は、角川「俳句」2019年10月号「新刊サロン」に書いた一部である(発売中です、と、販促に貢献)。
本句集の章立ては、冬、春、雑、夏、秋の順となっている。「雑」がこの位置にあるのは珍しい。さらに雑の中に
  小面をつければ永遠の花ざかり
など季語と取れる句があり、考えさせられた。〈永遠の〉だから「花」でも雑なのだろう。逆に我々の方が「花=桜」に狭め過ぎなのかも。『白冊子』に「花といふは桜の事ながら、すべて春の花をいふ」とある。儚さを知ればこそ永遠を願う花の本意に触れた一句だ。
掲句は雑の句だ。能の小面をつけた人が出てくる幽玄な世界である。掲句が雑の章にあるのは〈永遠の〉が重要であり、四季を巡りくる花(あるいは桜)の盛りという通常のイメージとは離れたかったのだろうと思う。

それを踏まえたうえで、私はこう感じた。〈小面をつければ〉ということは、それをつけていない世界では〈永遠の花ざかり〉なんてない、ということが暗に提示されている。小面をつけない世界では季節は巡りゆくのであり、花盛りがあれば必ず花は散っていく、儚い世界なのである。

小面をつければ〈永遠の花ざかり〉に居続けることができるけれど(主体は小面をつけた能楽師本人と読みたい気がする)、小面をつけない時、自分は無常の中にいる。〈儚さを知ればこそ永遠を願う〉と書いたのはそれを思ったからだ。

ところで「桜」が晩春の季語であるのに対して、「花」が三春に渡る季語であるのは「花」が「春の花すべての代表」だということを示しているからだ。〈逆に我々の方が「花=桜」に狭め過ぎなのかも。〉と書いたのは、それを書きたかったのだけれど、いささか唐突だった。

服部土芳の『三冊子』の中の「白冊子」に、
「実は梅・菊・牡丹など下心にして仕立て、正花になしたる句、その木草に随ひ、季を持たすべきか。或は、正月に花を見る、また九月に花咲くなどといふ句はいかが」といへば、師の曰く「九月に花咲くなどいふ句は、非言なり。なき事なり。たとへ名木を隠して花とばかりいふとも正花なり。花といふは桜の事ながら、すべて春花をいふ。是等を正花にせずしては、花の句多く出づる。賞軽し」となり。
という一節がある。

現代語訳は、
「実際には、桜ではなく梅・菊・牡丹などを想って句作りして正花とした作品は、それらの草木の花の季節に随って、季とするのですか。そして、正月に花を見たとか、九月に花が咲くなどという花の句はどうですか」などお尋ねしましたところ、先生(芭蕉:筆者注)は「九月に花が咲くなどということは、だめだ。そんなことは現実としてないことだからだ。また、梅・菊・牡丹などの名木を下心に隠し置いて花とだけ表現した場合であっても、それは正花扱いとなり、季はあくまでも春である。花というときには、元来は桜をさすのであるが、桜にこだわらずに春の花一般をも花と見做すのである。それを正花としなかったらば花の句が四つの定座よりも多くなってしまう。そうなると賞翫の心が軽くなってしまう」と答えられた。
(上記すべて『新編日本古典文学全集88』(小学館)の復本一郎校注・訳による)
これはあくまで花や月の定座がある俳諧の約束事を伝えているので、俳句とは違うけれども、やはり「花といふは桜の事ながら、すべて春の花をいふ」の心を引き継いでいるのが「花」という季語なのだと思う。

花の咲き乱れる春が永遠に続くことを希求する心を、掲句の裏側には濃厚に感じる。もしかしたら私たちが「花=桜」と教条主義的に捉えていて、「〈永遠の花ざかり〉だから桜とは言えないし、春季とは言えない」などと短絡的に評するとしたら(あるいはそれを避けて作者が「雑」としたのかもしれないな、とふと思ったりしてしまって)それは何だか惜しいことのように思う。

この句が「雑」であることはとてもいいと思うし、そこに作者の明確な意志を感じるけれど、この句がたとえ「春」の章で出てきたとしても、それを表層だけで弾いてしまいたくはないと、そう思える句なのである。

それにしても、有季・無季を厳しく言い立てがちな現代の俳句界において、四季と雑が隣り合う章立てはいい。何だかほっとする。

2019年9月28日土曜日

●土曜日の読書〔タヌキとササキさん〕小津夜景



小津夜景








タヌキとササキさん

ササキさんはメーキャップアーティストから占い師まで60以上の職業を転々としたあと、いったいどういう伝手なのか某所の庭園を管理する財団法人の役付きに収まった、いかさま師っぽい人である。いつも同じ茶色のチョッキと灰色のズボンを身につけ、仕事を休むのはお正月だけ、あとはずっと庭をうろついているという生活で、もしいま生きていたら80歳を超えている。

「私がササキです。これから簡単な採用試験をします。第一問。はるのその、くれないにおう、もものはな。はい、このあとにはどんな言葉が続くでしょう?」
「したでるみちに、いでたつおとめ。……この職場にぴったりな試験内容ですね」
「いや、こんな質問をしたのはあんたが初めてだよ。僕は自分の勘を試すために、相手がかならず答えられる質問をしようと決めているんだ」

これが履歴書持参で面接にゆき、ササキさんとはじめて交わした会話である。このときから変な匂いはしてはいたけれど、働きだしてからもやはりササキさんは変な人で、なにより女性陣に気味悪がられていたのが、夏になると毎日セミのぬけがらをスーパーのレジ袋いっぱいに集めることだった。私も気になったので、ある日ササキさんと二人きりになったとき、なんのために毎日セミのぬけがらを集めているのですか、とたずねてみた。するとササキさんは、なに、タヌキのごはんさ、タヌキはセミのぬけがらがご馳走なんだと笑い、いきなり目を丸くして、そうだ、あんたをこの重要任務補佐にしよう、と言った。

次の日から、セミのぬけがらを竹箒でかきあつめてはレジ袋につめ、ササキさんに献上するという重要任務が始まった。ササキさんは庭の一角にある旧宮邸の前庭にタヌキたちがあそびにくると、セミのぬけがらを彼らの足元に撒き、また手ずから食べさせた。な。かわいいだろ。女性陣に唾棄されながらもセミのぬけがらを抱え、地面にしゃがんでタヌキをかわいがるササキさんとの時間が私は少しも嫌いじゃなかった。

とろこで森銑三の本に、江戸新橋に住んでいた占い師・成田狸庵(りあん)の逸話がある。狸庵はタヌキと遊ぶのが何より好きで、タヌキとの時間をつくるために20代で武士を辞めて新橋の易者になった。タヌキの看板を出し、夏はタヌキ柄の浴衣を着て、冬のタヌキの皮衣をはおり、床の間にタヌキの掛物をかけ、タヌキを膝元にはべらせてタヌキの今様を歌い、タヌキの百態を自在に描いては惜しげもなく人に与え、『狸説』という書物をものし、タヌキの出てくる夢日記をつけ、75年にわたる夢のような生涯を終えた。で、この狸庵が、タヌキの好物はダボハゼであると書いている。
狸庵の家の狸も、その後年が立つにつれて、また新しいのが加わったりして、多い時には六七匹いたことなどもあったのでした。そうなりますと食物の世話だけでも大変です。狸庵は自分で投網を持って、築地や、鉄砲洲や、深川などへ、狸の御馳走の魚を取りに行きましたが、狸はダボハゼが大好きなので、狸庵もそれだけを目当てとしまして、外の魚はどんなのが網にはいっても、それらは惜しげもなく棄ててしまって帰って来るのでした。(森銑三『増補 新橋の狸先生―私の近世畸人伝』岩波文庫)
なんということだろう。ササキさんに教えてあげたい。人生経験豊富で物知りだったササキさんでも、この真実はいまだ知らないと思うのだ。


2019年9月27日金曜日

●金曜日の川柳〔延原句沙彌〕樋口由紀子



樋口由紀子






噴水のくにゃくにゃくにゃととまりかけ

延原句沙彌 (のぶはら・くしゃみ) 1897~1959

噴水を見るたびに思い出す川柳である。いきおいのあるときの噴水はそれはそれで、まるで天下を取ったように、他を圧するものがある。自信満々、イケイケどんどん、何も恐れるものないという態度に満ちあふれている。しかし、それが一旦、水が止まりかけたときのあのなんともみじめな姿。過っての栄光のかけらなどみじんも感じさせないくらいのなさけなさである。とても同じ噴水とは思えない。その落差はなんとも可笑しい。それをうまくとらえている。

なんといっても「くにゃくにゃくにゃ」がかわいい。本当にうまく表現したものである。噴水が普通に上がっているときでも、ああ、この噴水も止まるときは「くにゃくにゃくにゃ」とかわいくなるんだろうなと想像して、ニタニタしてしまう。読み手にあらためて大いなる了解を与える「くにゃくにゃくにゃ」である。

2019年9月25日水曜日

●シーツ

シーツ

初夏の白きシーツを泳ぎ切る  仁平勝

星図の暗さのシーツに溶けるごと眠る  高野ムツオ

菊の象の腋毛アパートの暗いシーツ  大沼正明

夢の川シーツのしわの深い流れ  八上桐子〔*〕


〔*〕『蕪のなかの夜に』(フクロウ会議/2019年8月31日)

アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』1958年

2019年9月23日月曜日

●月曜日の一句〔村上喜代子〕相子智恵



相子智恵







連結車いつしか二輌秋深む  村上喜代子

句集『軌道』(KADOKAWA 2019.7)所載

〈いつしか〉だから、車輌の連結が一度ではなく段階的に数回切り離されたような感じがする。気づいたらいつの間にか二輌になっていた、というような。自分はそのうちの一輌に乗っていると読みたい。

乗る人が減っていき、主要駅(とは言っても大きくはないように思われる)でまた車輌の切り離しが行われた。〈二輌〉という連結車輛の少なさと〈秋深む〉によって、最後は単線の寂しい路線へこの電車が進んでいる感じがする。

〈秋深む〉で具体的な場所を見せていないので、読者が思い出したり想像したりする風景は、秋の山や寂しい海など一人ひとり違う。ただ〈秋深む〉の寂寥感は皆に共通のもの。こうした心理的な季語によって、景のぎりぎりのところを限定しないからこそ、個々の懐かしさと照らし合わせて、共感を呼ぶ句となるのだろう。

2019年9月21日土曜日

●土曜日の読書〔月をつくる〕小津夜景



小津夜景








月をつくる

中秋だけど、とくになんてこともない。と思っていたら、夫がライ麦の餅をつくってくれるという。

ラッキー。ラッキー。そうやって浮かれて長椅子でごろごろしていたら、台所から焼きパンのような匂いがただよってきた。

あれ? これ焼きパン? もしかしてあの人、お餅のつくりかたを知らない? そんな疑いが脳裏をよぎった。が、下手に口出しすると機嫌をそこねて何にも食べられないかもしれない。ここはじっと黙って待つしかないだろう。

作業開始から約一時間後、ついに餅がテーブルに運ばれた。全粒粉でこしらえた凹凸のある餅が、薄い月餅のかたちに8個かさねられ、朱色の花形盆に盛り付けてある。ひなびた情緒がいかにも十五夜風だ。こっそり胸を撫でおろして、いただきますとひとつ齧る。ふつうのお餅よりも軽い嚙みごたえで、ブルターニュの甘い塩の味が口中にじわりと湧き出てきた。おいしい。

「おいしいよ。ありがとう」
「どういたしまして」
「フライパンで焙った? 表面がふっくら割れてる」
「焼き目つけてみた。いいでしょ」
「うん。十五夜のお月さまっぽくはないけどね」
「なんで。クレーターじゃん。リアルじゃん。リアリティ出したんだよ」

なるほどリアルか。そういわれると、たしかに餅の焼き目が月のクレーターに見えそうな気分になってきた。あくまで気分だが。しかし、ということは、この餅の珍妙な色合いもあえてのしわざなのか。

「あのさ。この鹿皮みたいな色は」
「鹿皮って何? これは月の色でしょ」

やはりわざとだったのだ。ふと大昔の洞穴に残っている原始人の絵を思い出す。あれは本当にリアルでおどろいてしまうが、いまわたしの手の中にある月も、きっとものをよく見る人の月なのだろう。夫は星が好きで、よく天体を観察しているから。
鹿を写生してかいたが鹿にみえるだろうか。太閤さんがある歌会に出て、「奥山にもみぢふみわけ鳴く蛍」とかいたら、細川幽斎が「しかとは見えぬ杣(そま)のともしび」と附けた。
この画も鹿と見てほしい。
私は動物園で写生してきた。「あなたは奈良で毎月ゆくのに動物園などに行かなくてもよいでしょう」と云われた。奈良公園の鹿は紙を見ると食べに来る。スケッチブックなど見たら、そばへよってきて写生どころではない。檻の中にいる鹿の方がよい。(中川一政『画にもかけない』講談社文芸文庫)

「今夜、何時に月を見に行く?」
「あ。プーアル茶入れてたの忘れてた」

そう言うと、夫は立ち上がり、台所へ戻った。手をついたとき、テーブルの上の桔梗がゆれた。わたしは具象と抽象を兼ね備えたリアルな月を、また一口嚙んだ。




2019年9月19日木曜日

●木曜日の談林〔宗因〕浅沼璞



浅沼璞








 跡しら浪となりし幽霊      宗因(前句)
世の中は何にたとへんなむあみだ   仝(付句)
『宗因千句』(寛文13年・1673)

前句は謡曲取りで、〈怨霊は、又引く汐に、揺られ流れて、跡白波とぞなりにける〉という『船弁慶』からのサンプリング。

「見るべき程の事は見つ」と壇ノ浦で入水した勇将・平知盛の霊を描き、〈白波〉と「知らない」が掛詞になっているのは謡曲ゆずり。

「白波がたち、行方の知れなくなった知盛の幽霊よ」といった感じ。



付句は、〈世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟のあとの白波〉(拾遺集・沙弥満誓)の本歌取り。

前句〈跡しら浪〉→付句〈世の中は何にたとへん〉
前句〈幽霊〉→付句〈なむあみだ〉
という二つの連想経路をカットアップ、そのイメージギャップで笑いを誘発する。

「世の中を何にたとえたらいいだろう……南無阿弥陀仏」といった感じ。

(本歌の、出家・満誓に対する念仏への連想もあろう)



この付合を集英社版「古典俳文学体系3」で初めて読んだとき、すぐに次の句を思いだした。
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀      虚子
いわゆる「句日記」――昭和29年7月19日、千葉県・神野寺での連泊稽古会で詠まれた作。

早朝の勤行への挨拶だろうが、句の仕立てはサンプリング&カットアップの宗因流といっていい。

これは仁平勝氏が『虚子の近代』(弘栄堂書店、1989年)で指摘済みだけれど、収録句に日付を記すという「句日記」の形式を〈連句に代わるフォルム〉として捉えかえすことだってできるのだ。

子規に松永貞徳のような勤勉さを感じる一方、虚子に宗因的な奔放さを感じてしまうのは、きわめて俳諧的なのかもしれない。

2019年9月16日月曜日

●月曜日の一句〔仙田洋子〕相子智恵



相子智恵







そのあとは煮込んでしまふ茄子の馬  仙田洋子

句集『はばたき』(KADOKAWA 2019.8)所載

一読、笑ってしまう。お盆の時に苧殻の脚をつけて作った茄子の馬。祖霊を迎え、送るための精霊馬だが、お盆が終わったあとは捨てるのももったいないので煮込んでしまった。

茄子は少し萎びているだろうから、天ぷらのように素材の味や形そのものを生かす料理には向かない。しかし、くたくたに〈煮込んでしま〉えば、少々萎びていようが苧殻の穴が開いていようが関係なく、おいしくいただけるのである。ラタトゥイユのように細かく切ってトマトで煮込むのもおいしいだろう。

〈煮込んでしまふ〉に諧謔と若干の罪悪感が滲んでいるが、一度は魂をのせたお供え物を食材に引き戻すのは、ドライなように見えて案外、ただ捨ててしまうよりも祖霊を身近に感じる温かい行為のように、私には思えた。

生死が近くあるお盆にあって、祖霊が乗った茄子の馬を食べることは、死者から命がつながって自分が今生きていることの肯定のように思える。神人供食の「直会(なおらい)」に近い意味を、死者と生者との間にも感じて、何だか元気が出るのである。

2019年9月14日土曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句」は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

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※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

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最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2019年9月13日金曜日

●金曜日の川柳〔荻原久美子〕樋口由紀子



樋口由紀子






寂しさに午前と午後のありにけり

荻原久美子 (おぎわら・くみこ)

今話題の高山れおなさんの『切字と切れ』は読み応えがあった。川柳では切字の「や」「かな」「けり」はあまり使わないが、川柳にも切れのある句はある。掲句は切字の「けり」を使っている。「けり」を使っているので、切れているのだろうか。それよりはぽんと投げ出したような雰囲気がある。それも切字効果なのだろうか。

「寂しさ」という理由があってないようなものに「午前と午後」という、これもわかるようでわからない輪郭を与え、「ありにけり」と、さらっと退場する。余分な動詞を斡旋してないので、余計な説明はなく、意味に引っ張られることがなく、一句が終結する。後には言葉だけが残り、余韻をもたらしている。「ありにけり」を流通させ、認証させたことはマジックである。『ジュラルミンラビア』(1991年刊)所収。

2019年9月10日火曜日

●詩人

詩人

蘭湯に浴すと書いて詩人なり  夏目漱石

郭公やダダ詩人には留守だといえ  相原左義長

貧詩人たるさへ難しなめくぢり  林 翔

冴返るものに詩人の心電図  二村典子

象徴の詩人を曲げて野分かな  攝津幸彦

撮影はやめてください詩人です  樋口由紀子〔*〕


〔*〕樋口由紀子『めるくまーる』2018年11月/ふらんす堂

2019年9月7日土曜日

●土曜日の読書〔お菓子の記憶〕小津夜景



小津夜景








お菓子の記憶

週末、なんのまえぶれもなく、家人がフレンチ・クレオール・ラムを買ってきた。

出会って四半世紀、そんなものを買ってきたことは一度もない。いったいなにがあったのか。私がおどろいていると家人は台所へ行き、戸棚からボウルを出し、ボウルの中にアーモンド粉、卵黄、砂糖、バター、フレンチ・クレオール・ラムを入れて、少量の小麦粉で固さを調節しつつこねこねとアーモンド餡をこしらえた。それから、パイ皿に敷いたパイ生地の上に、大きなスプーンをつかってアーモンド餡をならし、別のパイ生地を餡の上にかぶせ、180度に温めたオーブンに入れてガレット・デ・ロワを焼き出したのだった。

「いきなりどうしたの」
「職場の同僚がレシピを教えてくれたんだよね。つきあい上、やってみないわけにいかないと思って」

同僚の話を聞いているうちにパイが焼きあがる。パイ生地のふちを折り込まなかったので野人の料理っぽい。少し可愛くしようとアピルコのケーキ皿に取り分け、カイ・ボイスンのフォークを添えたら、とりあえずぽてっとした素朴な見た目に落ち着いた。

「どう?」
「ん。おいしい」
「よかった」

私はもともと甘いものが苦手で、子供のころは口にすると頭が痛くなって寝込んでしまうほど体質に合わなかった。ひとなみに食べられるようになったのは二十歳もこえてだいぶたってからで、今では「甘いもの=人生」といって差し支えないほどに馴染んだものの、それでも沢山は食べられない。そしてその分、箱や包装紙、ラベルやリボンなどお菓子屋さんの紙もの布ものを眺めて、あの時はおいしかったなあと甘い思い出にふけっている。
その軍医は非常な甘い物好きで、始終胃をわるくして居た。所謂医者の不養生であつた。ふねが港にはいると、取りあへず其処の名物の菓子を買つて来た。さうしてそれを眺め、それを味ひ、それから一々丁寧にそれを写生した。絵の巧い人で、絵の具をさして実物大に写生した。それだけの写生帖があつて、時と所と菓子の名前と、さうして目方と価とが記された。永年のことで、菓子の種類は夥しい数に上つた。静かな航海中、用の無い時は独りその写生帳を取り出し、その美しい色や形を眺め、その味ひを思ひ出して楽しんだ。(岩本素白「菓子の譜」『素白先生の散歩』みすず書房)
岩本素白「菓子の譜」にはこの軍医の話に影響されて、菓子好きの著者が少年のころに始めた遊びのことが綴ってある。どんな遊びかというと、折や箱に貼ってある商標ラベルや 添えられている小箋、包装紙の絵画詩歌で気に入ったものだけを布貼りの菓子折に入れておき、折々に取り出しては丹念に眺めるのである。「柚餅子のやうな菓子」の鉄斎の画。「柿羊羹を台にした菓子」の石埭の詩と墨絵。新潟銘菓「越の雪」の銅版画。砂糖が不自由になった時代は、菓子好きの集まりでそれらを披露し、ご馳走の記憶を皆で分かち合ったこともあるそうだ。


2019年9月6日金曜日

●金曜日の川柳〔田中博造〕樋口由紀子



樋口由紀子






アンパンマンが飛んでいるので眠れない

田中博造 (たなか・ひろぞう) 1941~

当地だけの現象かもしれないが、幼児期の人気者アンパンマングッズが小学生の高学年や中学生にふたたびのブームが来ているらしい。

アンパンマンは正義の味方である。みんなが安らかに過ごせるように、眠れるように、パトロールしてくれている。安心して眠れるはずである。それなのに、「飛んでいるので眠れない」とはなんたることか。アンパンマンが飛んでいると思うと気になって落ち着かないというのだろうか。それともアンパンマンをかえって心配しているのだろうか。

いやいや、言い訳の句だろう。眠れない理由をこじつけているのだ。昼寝でもしすぎたのだろう。でも、アンパンマンを持ってくるとは、言い訳にしてはうまいことを言う。私自身も言い訳ばかりしているが、この手があったのだと気づいた。『セレクション柳人 田中博造集』(2005年刊 邑書林)所収。

2019年9月5日木曜日

●木曜日の談林〔正友・志計〕浅沼璞



浅沼璞







前回は遊女の痴話文(艶書)に関する付合を扱った。

恋文を書けば、それを届ける人が必要なわけで、遊女から客への橋渡しをする文使(ふみづかい)という職業があった。

で、おなじ『談林十百韻』の中から文使の付合をさがすとーー

 君が格子によるとなく鹿 正友(前句)
文使ひ山本さして野辺の秋 
志計(付句)
『談林十百韻』上(延宝3年・1675)

まずは前句。遊里の見世格子に客が近寄ると鹿が鳴くとは奇妙だが、鹿には鹿恋(かこい)女郎の意がかけられている。鹿恋とは太夫・天神に次ぐ廓のクラスで、鹿子位または囲とも書いた。ここは客取りの場面である。

そして付句。鹿の連想から、山麓めざして秋の野辺を急ぐ文使を詠んでいる。飛脚ほど遠くには行かないのだろうが、健脚のイメージだ。



ところで先日、サントリー美術館「遊びの流儀――遊楽図の系譜」という企画展に行った。

目あては『露殿物語絵巻』(1624年頃成立? 逸翁美術館蔵)で、あの名妓・吉野太夫が描かれている逸品だ。

京は島原遊廓の前身・六条三筋町の景が展示されており(折よく場面替があったらしい)、張見世の活気が伝わってくる。

わけても遊女見習の禿が文使をするようすが可憐で、吉野とともに印象に残った。

展示解説にも、禿の文使が散見される旨、書かれてあったが、おなじ「文使」とはいえ、掲句のような飛脚的イメージとはだいぶ違う。

廓内・廓外のエリア分けが、それなりになされていたのかもしれない。



そういえば『露殿物語』成立時(寛永初年)は貞門最盛期で、
 窓さきへ返事もて来る文使  親重
禿やすらふのりものゝかげ   仝
という付合が『犬子集』巻十一(恋)にみられる。

文使の禿が王朝的に描かれ、いかにも貞門っぽい。

2019年9月4日水曜日

●星空

星空

星空へ店より林檎あふれをり  橋本多佳子

虫の夜の星空に浮く地球かな  大峯あきら

星空をふりかぶり寝る蒲団かな  松根東洋城

星空に星がうごいてあたたかし  今井杏太郎


2019年9月3日火曜日

【新刊】高山れおな『切字と切れ』

【新刊】
高山れおな『切字と切れ』

2019年9月2日月曜日

●月曜日の一句〔鈴木牛後〕相子智恵



相子智恵







仔牛待つ二百十日の外陰部  鈴木牛後

句集『にれかめる』(KADOKAWA 2019.8)所載

昨日、9月1日は「二百十日」だった。立春から数えて210日目が「二百十日」、220日目が「二百二十日」で、「台風が起こりやすく、警戒すべき厄日」として、いずれも江戸時代初期『伊勢暦』の雑節に加えられて以来、農業や漁業に、生活の知恵として活用されてきた。「二百十日」を警戒して暮らすことは、昔の人にとっては死活問題であったのだ。
ただ天気予報の進んだ現代では、この季語にそのような実用性を感じている人は、まずいないだろう(作者も実用性は感じてはいまい)。民俗学的な言葉の面白さやイメージが先行する季語として、〈釘箱の釘みな錆びて厄日なる 福永耕二〉など、遠い二物を取り合わせることも多くなっている。現代の生活実感からは遠い季語だ。

掲句、牝牛の外陰部をじっと見ている。臨月を迎え、もうすぐ仔牛が生まれるのだ。嵐の前の静けさの緊張感が「二百十日」と響き合う。近いうちに起こるであろう母牛のすさまじい破水、母牛の苦しみ、仔牛の誕生はまさに台風。句集冒頭の佳句〈羊水ごと仔牛どるんと生れて春〉を読んでからこの句を読むと、これから始まる生臭い命の一大事に、昔の人が「二百十日」を無事に過ぎてほしいと心から願ったのと似た感覚を覚える。〈外陰部〉というおよそ詩語ではない言葉のリアルさもあり、実用性のない「二百十日」という季語に、命の現場から生々しさが吹きこまれたような気がするのだ。

2019年9月1日日曜日

●魔羅

魔羅


わが魔羅の日暮の色も菜種梅雨  加藤楸邨

青すすき虹のごと崩えし朝の魔羅  角川源義

わが魔羅も美男葛も黒ずみし  矢島渚男

魔羅神の鈴口に錢雪解風  中原道夫〔*〕

半伽り魔羅りマイトレーヤな雲休み  加藤郁乎


〔*〕中原道夫句集『一夜劇』2016年10月/ふらんす堂