2015年4月30日木曜日

●週俳の記事募集

週俳の記事募集


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2015年4月29日水曜日

●水曜日の一句〔竹岡一郎〕関悦史



関悦史








抱きをればだんだんもがき出すむじな  竹岡一郎


むじなは季語にもなっているが、生物学的な分類で何を指すのかは判然としない。そのまま妖怪の名にもなっている。

そのむじなをなぜか抱いている。「だんだんもがき出す」というからには初めはおとなしくしていたらしい。次第に違和感と緊張が高まる過程にあるが、「抱きをれば」なので、つかまえて抑え込んだという雰囲気ではない。いつからか共にあり、しかし自分の一部であったり、自分と同一のものであったりはしない、そういう対象としてむじなはある。

その点、自分の意のままにならない「無意識」の暗喩のようにも見えるが、個人の潜在意識のようなものと取るとつまらない。抱かれている「むじな」はまずその手触りにおいて自分の延長ではないし、怪談的な想像力を発揮させる獣であることを思えば、近代以前の共同体や、そこでの先祖たちの暮らしへの連想をも含んでいるといえる。坂口安吾「文学のふるさと」への言及のある句集に収められている句であること思えばなおのことだ。

このむじなは、漱石「夢十夜」に出てくる、背負っているうちに百年前に殺した相手とわかり、途端に重みを増す子や、小泉八雲の「貉」において次々にあらわれるのっぺらぼうのように、触れあいながら生きている対象が、いつのまにか、増大していく不穏さそのものへと転じる過程としてあらわれている。しかし一句は、カタストロフにまでは至らない。宙吊りのままである。

そもそもなぜ今までむじななど抱いていたのかという問いが出て来ざるを得ないが、これは、なぜ自分がこういう家にこのような存在として生まれてきたのかとという問いと同じく、気がついたらそうなっていたとしか言いようがない性質のものだろう。親の代からの因縁と同じく、むじなはとにかく、温かくもどこか気味の悪い関わりのあるものとして初めから自分とともにあった。

それが人生というものなのだとまとめてしまえば全てがただの寓意に終わってしまうが、一句はそうした意味づけへの着地も拒み、ただ増大する不穏さに宙吊りにされ、耐えるのみである。

その軋轢のなかにも一種の愉楽のようなものは確かにある。それこそ獣に触れているような性質の、いわく言いがたい愉楽。句集のなかでは地味な作だが、この句はそうしたものに触れている。


句集『ふるさとのはつこひ』(2015.3 ふらんす堂)所収。

2015年4月28日火曜日

〔ためしがき〕 有季と定型のあいだで、あるいはそれらを離れて 福田若之

〔ためしがき〕
有季と定型のあいだで、あるいはそれらを離れて

福田若之


詩と散文とのあいだでの震えと見なすことができそうなジャンルは、ただ俳句ばかりではない。たとえば、それによって俳句と川柳をきれいに分けて見せることができるとは僕には思われない。それでも僕らは、この震えが俳句というジャンルの核に刻み込まれていることをはっきりと示すひとつの言葉を知っている。それが、「有季定型」という言葉である。

有季ということ。すなわち、俳句はその言葉の構成の中に季語を含むということ。これは言葉の意味に、したがって、俳句のもつ散文としての一面に関わっている。季語は季節を表す記号である。それはコード化されている。有季という概念は、言葉とはすなわち何かを意味し伝達する道具であるということを前提としているのである。

定型ということ。すなわち、俳句は五七五音節の、あるいは十七音の言葉であるということ。これは言葉の質感に、したがって、俳句のもつ詩としての一面に関わっている。なぜなら、この定型は言葉を物と見なすことを前提としている。俳句の定型は、言葉は数えることができるものであるという認識に基づいてしか成立しない。数えることができるということは、それらが個物と見なされているということだ。そして、質感は物にしかなく、物には必ず質感がある。

重要なのは、これらがひとつの形式をなす対等な要素と見なされているということだ。このことは二つの示唆を与えてくれる。

第一に、一般に、有季と定型はともに形式の問題として取り扱われるのであって、それぞれが内容と形式の問題として個別に取り扱われるのではないということである。すなわち、単に季節が俳句の内容であるのではなく、一定の仕方でコード化された言葉を含むということが俳句の形式であるということだ。

第二に、有季であることと定型であることのどちらもが、俳句にとってはさしあたり必要であるということだ。すなわち、それらの重要性はさしあたり同じである。

もちろん、僕らはすぐに逸脱を知ったはずだ。 あるいは、そもそも、しばしば逸脱しながら「有季定型」を獲得したのだった。逸脱を知った、というのは、俳句を読もうとする個々人としての認識としてだ。逸脱しながら「有季定型」を獲得したというのは、俳句というジャンルの成り立ちから見た認識、あるいは、有季定型のいわゆる「俳句」を書こうとする個々人の認識としてである。

では、この逸脱はどのようにして可能だったのだろうか。有季ということが散文に関わっていることに着目するとき、無季はどのようにして可能だといえるのか。定型ということが詩に関わっていることに着目するとき、非定型はどのようにして可能だといえるのか。

無季の俳句が、「主流」としての有季の俳句に対する「傍流」としての価値、すなわち、ただ俳句の多様性にとって有益であるという価値しか持っていないなどと考えることはできない。無季の句はただ季節を意味せずしたがって伝達しないというだけであって、多くの場合は、別の何かを意味している。何かというのは、それらの無季の句が個々に語る何かだ。無季の句は自らの無季性をその主旨としているのではない。そもそも、無季の句の表す意味は必ずしも季節の外にあるわけではない。たとえば、銃後にも季節がある。白泉の〈銃後といふ不思議な町を丘で見た〉は、ただそれを伝達しないというだけで、別のこと――たとえば、その町のありようが不思議であること――を伝達している。

非定型についても、無季と同様だ。破調や自由律が定型の俳句に対する単なるアンチテーゼとしての価値しか持たないなどとはとても考えられない。たとえば、住宅顕信の句は定型のもの(たとえば〈若さとはこんな淋しい春なのか〉)よりも非定型のもの(たとえば〈月が冷たい音落とした〉)のほうがより詩であるのが感じられる。顕信にあっては、この非定型によってはじめて言葉が何かを意味するという道具としての用途から半ば解放され、それ自体の質感を顕わにするに至ったのだ。このことに関して、顕信の句が定型に対するアンチテーゼであるかどうかは問題ではない。 それよりも重要なのは、顕信は定型によってかえって散文のほうへ傾く作家だったということだ。おそらく、顕信が言葉の質感を強く意識しその意味で詩を志向したとき、定型を捨てることが彼にとって必然だったのだろう。俳句において有季と定型のどちらがより抜き差しならないものに感じられるかは、人によって異なるようだ。おそらく、その違いはその人の資質やその人の求める俳句のあり方に起因している。

俳句が有季定型を逸脱するとき、そのほとんどは、別の積極的な仕方で言葉の意味や質感に関わっている。意味と質感のあいだでの震えが、別のかたちでなされているのである。あるいは完全に詩である句や完全に散文である句に至る道が逸脱によって一気に拓かれることもありうる。しかし、それによってジャンルがまるごと覆ってしまうということがないのは、そもそもジャンルの核としての有季定型ということが言葉の意味と質感とにまたがっているからに違いない。

2015年4月27日月曜日

●月曜日の一句〔広渡敬雄〕相子智恵



相子智恵






草を擦りつつ上りゆく鯉幟  広渡敬雄

『ガニメデ』63号 五〇句詠「龍太の川」(2014.4 銅林社)より

もうすぐ端午の節句。鯉幟をあちらこちらで見かけるようになった。掲句は、鯉幟を飾る瞬間を鮮やかに捉えた一句だ。滑車の付いた綱を引いてゆくと、草の上で準備した鯉幟が五月の青空へと上がってゆくのである。

〈草を擦りつつ〉で、鯉幟の布と草が擦れ合う音、鮮やかな鯉幟の色と新緑の草の色の対比、ゆっくりと静かに草を擦った後は、たちまち風をはらんで躍動するであろう鯉幟の動きの流れまで見えてくる。目にも耳にも鮮やかな句だ。

〈擦りつつ上りゆく〉と、途切れることなく一句が続いてゆくことで、グーッと鯉幟が上ってゆく様子を長回しで撮影しているかのように、その一連の流れが見えてくる。きっと大きな鯉幟なのだろう。綱を引く手の重みまで感じられてくるようだ。

2015年4月24日金曜日

●金曜日の川柳〔飯島花月〕樋口由紀子



樋口由紀子






道具屋は赤い鰯をかついで来

飯島花月 (いいじま・かげつ) 1863~1931

「赤い鰯」に首を傾げながら、新鮮の鰯だからそう言ったのだと思った。でも、それは大きな間違いで「赤い鰯」は「錆びた刀」のことだと知らせてもらった。句意がまったく違ってくる。調べてみると、「きさまたちの赤鰯で、なに、切れるものか」(滑稽本・膝栗毛)にあるように、刀の手入れが悪く、赤錆びだらけになった刀を赤鰯と皮肉を込めて呼んだそうだ。

どおりで道具屋だったのだ。古道具を背負って家々を訪ね歩き小売りしていた人が一昔前にいた。もちろん、必要なものもたくさんあっただろうが、そのなかに「赤い鰯」があった。役に立たないものをわざわざ持ってきたと、そこだけを誇張して、ユーモアを込めて、揶揄した。

2015年4月22日水曜日

●水曜日の一句〔涼野海音〕関悦史



関悦史








桜咲くゼロ系新幹線の鼻  涼野海音


絵葉書のような平板でめでたい絵柄の句と初めは見えた。

ゼロ系新幹線は東海道新幹線が開業する時に開発された初代車両で、2008年には営業運転を終え、引退したらしい。新幹線といえば最初に思い浮かぶ白地に青のあの車両だが、その後新型が次々に出てきたので、この辺の印象も世代によって違ってくるのかもしれない。

句の制作年代を知らなくても、句のなかに「ゼロ系新幹線」と書かれている。初代しか走っていなかった頃ならば「ゼロ系」と書かずとも「新幹線」といえばあれに決まっていたので、既に姿かたちの違う新型車両が一般化した後のこととわかる。晴れやかな印象の句だが、昔の物という認識が入っているのだ。

初代新幹線が開通した頃といえば高度成長期であり(これは私の年でも実見はしていない)、「桜咲く」が似つかわしいが、これを時代の隠喩とばかり取ると重くなるので、どちらかというと単なる絵柄と取る方を優先したい。

「鼻」の一語で像が決まる。諧謔的な働きのために入っているというよりは、ピントを合わせるための「鼻」だろう。これがなければ、花時をを遠景として通過していく列車や、桜前線や新幹線の路線網といった地図を俯瞰するようなイメージまでが混ざってしまう。

顔の部分を強調したことでブロマイドじみた図柄となり、これも「桜咲く」ともども鄙びたキッチュさの味わいを増す。その平板さが、懐旧の重さに陥ることを防いでいるので、失われた物を詠んでいながら、めでたい句と見えるのだが、そのネガとして、廃車両を前に情緒的な廃墟趣味に溺れた句という相もひそんではいる。

どちらに見えるかはその人次第なのだろうが、やはり俳句のなかの時空に華やかな姿が保存された、めでたい句と取っておきたい。


『関西俳句なう』(2015.3 本阿弥書店)所収。

2015年4月21日火曜日

〔ためしがき〕 散文としての俳句 福田若之

〔ためしがき〕
散文としての俳句

福田若之


富澤赤黄男もまた「俳句は詩である」と書いた。それは、彼においてはおおむね正しいと言えるだろう。彼の俳句のうちの最良のものは、どれも、疑いようもなく詩である。

 草二本だけ生えてゐる 時間   富澤赤黄男

詩であるということは、この句における「時間」の一語がその極致であるように、言葉がものとして立ち上がっているということであり、もはや意味を伝達するための道具として言葉を用いる手つきがそこには認められないということだ。僕は、たとえば高柳重信や阿部完市の俳句の多くが、違うやり方で、しかしながら同様の意味で、詩であることを知っている。

 身をそらす虹の
 絶巓
      処刑台    高柳重信

 たとえば一位の木のいちいとは風に揺られる   阿部完市

「俳句は詩である」という力強いアフォリズムは、彼らの仕事によっても実証されているかのように見える。

しかしながら、俳句の多くは詩であるよりもずっと散文である。俳句を書く人が、それによって言葉の質感よりはむしろ意味を伝えようとするとき、その俳句は散文として立ち現れることになる。

 おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ  御中虫   *「何度」に「なんぼ」とルビ

もちろん、この句が主張するところは文字通りのものではないだろう。しかし、挑発的な態度によって言葉の質感よりはむしろ意味を投げかけようとするこの句は、その限りで、間違いなく散文である。

こうした散文としての俳句は、決して新しいものではない。

 これよりは恋や事業や水温む    高濱虚子
 在る程の菊投げ入れよ棺の中    夏目漱石

また、次のように、命令形や呼びかけを伴わなくとも(すなわち、句が二人称の他者の存在を必ずしも示唆していない場合にも)、言葉がその意味によってことがらや情景を伝えることに費やされる場合、その句は散文であると言える。

 をととひのへちまの水も取らざりき 正岡子規
 ひつぱれる糸まつすぐや甲虫    高野素十
 滝の上に水現れて落ちにけり    後藤夜半
 まつすぐな道でさみしい        種田山頭火

そもそも、芭蕉の俳諧の発句からして、そのいくらかは散文の一部としてこそ最大の活力を持ったのではなかっただろうか。

人が「散文的」という言葉を俳句に浴びせるとき、それはほとんどの場合、否定的なニュアンスを伴っている。 俳句が詩であるとは簡単に認めない人たちでさえ、俳句が「散文的」であることを良しとすることはほとんどないし、ましてや俳句が散文そのものであることを許すことなどまるでないといっていいだろう。だが、散文としての俳句の潜在的な力は、もっと認められてもよいのではないだろうか。人の胸を打つのは、詩の言葉ばかりではない。散文もまた、人の胸を打つ。そして、俳句が人の胸を打つのは、しばしば言葉の質感によってではなく、言葉の意味によってである。すなわち、詩としてではなく、散文としてである。

そして、今日において、その極北に位置づけられている作家こそ、おそらく筑紫磐井その人なのだろう。

  俳諧はほとんどことばすこし虚子  筑紫磐井

もちろん、こうした例は、ただちに俳句とは散文であるということを意味するのではない。実際、筑紫磐井の句にしても、たとえば〈吾と無〉といった句があることを忘れてはならない。こうした例は、俳句においては詩と散文が未分化であることを示唆している。ジャンルとしての俳句は、未‐詩であり、未‐散文である。いま、もし「未‐」と書くことが僕らに許されたのであれば、詩や散文や俳句と呼ばれているこれらのジャンルは、状態であるか、あるいは動きであるということになるだろう。仮にジャンルとしての俳句をひとつの動きとみなすならば、それは震えであるように思う。俳句というジャンルにおいては、言葉は詩と散文のあいだで震えている。

僕らは、この震えの最も激しい顕在化の例を渡辺白泉の句に見ることができるはずだ。

  戦争が廊下の奥に立つてゐた    渡辺白泉
  銃後といふ不思議な町を丘で見た

これらの句における「戦争」や「銃後」は、言葉の質感と意味のあいだで繊細な震えを保っている。これらの句を、一般に「震災詠」と呼ばれたもろもろの句――そのほとんどが散文としての俳句であって、それゆえにこそ書き手の社会参加(サルトル的な意味での「アンガジュマン」)を可能にした――と比べれば、両者は実に対照的だ。

たしかに、僕らはしばしば完全に詩であるような俳句や完全に散文であるような俳句に出くわすことがある。しかし、それらの句がそうであることは、ジャンル全体から見れば、さしあたり、どれも偶発的なことにすぎないように思われる。だから、たしかに、ほとんどの句については、それらを散文としての価値によってのみ判断するわけにはいかない。しかしながら、同様にして、それらを詩としての価値によってのみ判断するわけにもいかないのである。

2015年4月20日月曜日

●月曜日の一句〔小野あらた〕相子智恵



相子智恵






ぎゆうぎゆうに整列したり遠足子  小野あらた

『ガニメデ』63号 「お気に入り」(2014.4 銅林社)より

思い起こせば遠足の始まりも終わりも、整列をしたものだった。校庭や園庭に整列をして先生の話を聞くことから遠足は始まり、解散する時もまたそうして終わったものである。それだけではない。目的地に着いた時も、休憩から出発するときも、何かと言えば整列した。

〈遠足子〉だから、園児か小学生でも1年生くらいだろう。小さな子どもたちがリュックサックを背負ってワクワクしながら整列している。子どもたちの整列は、体が小さいからか、たしかに間隔がぎゅうぎゅう詰めに見える。〈整列〉というと「静」のイメージだが、〈ぎゆうぎゆう〉という措辞によって、この句からは犇めき合うエネルギーを感じ、静よりも「動」を感じる。そのギャップが面白い。そして何より〈遠足子〉がいきいきと眼前に見えてくるところが楽しいのである。

2015年4月18日土曜日

【みみず・ぶっくす 20】 空港で、休日の匂いを。 小津夜景

【みみず・ぶっくす 20】 
空港で、休日の匂いを。

小津夜景








     空港で出発を待つあいだ、なんにも
      することがないものだから、鞄の中
      から数十枚ものコピー用紙を引っぱ
      り出して、くんくん嗅いでいた。

      コピー用紙には小説が印刷されてい
      て、どれも休日の匂いがする。この
      人の書く小説は、働いている描写に
      さえ休日の匂いがして、上昇志向が
      ぜんぜんなくて、お洒落だ。

      休日の匂いのする小説を書くこの人
      に直接会ったことがある。女の人が
      かわいくて、男の人がのんびりして、
      品の良い描写が好きですと言ってみ
      たら、その人は「いえ、実は18禁
      がどうのこうのという描写もありま
      す。すみません」と申し訳なさそう
      にして可笑しかった。

     それから、この人が夏目漱石が好き
      というので漱石の話をした。夏目漱
      石って女性を書くのが上手いですよ
      ね。『草枕』のナミさんとか。『
四郎』のミネコも不思議。でも、な
      んといっても一番素敵なのは『猫』
      のミケコだと思います。背中の流線
      加減。物憂げにちょい、ちょい、と
      動く耳。春日の中、品良く控えつつ
      満身の毛を風なきにむらむらと微動
      させているさま。こういうのを読む
      と、漱石って自分の書く女性に恋し
      ながら書いてるんだろうなあって気
      がするんです。

      私がそういうと、この人はうんうん
      と深く頷いて、実はうちにもミケコ
      くらい美しい猫がいるんです、とス
      マホをちゃかちゃかいじりだした。
      しばらく横から覗いていると、スマ
      ホ画面にぱっと整った顔立ちの、た
      いそう清涼感のある猫が現れた。

      あらら。

      目が凄い。美猫だ。小説の感じから、
      この人は生き生きしたキュートな女
      の子が好きなのかなと思っていたが、
      本当は美女好みだったのか。

      いや違う。たぶん休日好みなのだ。
      だって休日というのはどこかキュー
      トで、人をうきうきさせて、かつ絶
      世的美貌の高貴な香りもする。

      飛行機がもうすぐ出るらしい。私は
      コピー用紙を鞄にしまった。



囀やサンデーごとに寄る本屋
ネーブルの響きを包み新聞紙
モレスキン手帖に挟む菫かな
読み終へて眠ればかしこ花曇
春の戸にもの問ふ鳥の時刻表
残花よりましろき紙は葬りけり
乗る雲をうらうら選ぶ喪の川辺
春の手はのつぺらばうのやうでした
たれかその浮き橋わたる春の暮
豆の花ひとつの空を描きはじむ



    

2015年4月16日木曜日

●井口吾郎 春の卦か 10句


井口吾郎 春の卦か


婿狩りと此所らふらここ取り囲む
第九が持ち歌畑打も学位だ
名は知らぬ坂と句と傘濡らし花
真打ちの白子干すらし後運指
レタス煮らば破棄秋葉原に廃れ
桜の新橋牛番死の落差
夜は遺作オナラなお臭い春よ
そこ退けや公家など嘆く焼け野こそ
駆け乗るは飲んで都電の春の卦か
床の絵は果物も抱く蠅の子と

2015年4月14日火曜日

〔ためしがき〕 「俳句とは詩の特攻である」という警句に対するひとつの解釈 福田若之

〔ためしがき〕
「俳句とは詩の特攻である」という警句に対するひとつの解釈

福田若之


竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』(ふらんす堂、2015年)は、たしかに好みの分かれるところかもしれないけれど、個人的には好きな句も多く、読み物としてよくできていると思う。

けれど、あとがきに記された「俳句とは詩の特攻である」(190頁)といういささか迂闊にも思える警句については、正直なところ、僕には解釈抜きには受け入れることができなかった。やはり、一般に解釈とはそのままでは受け入れることができないものを受け入れることができるように書き換える作業のことなのだと思う。

では、どうして僕にはこの警句をそのまま受け入れることができないのか。それは、この警句を前にして二つの疑念が生じるからだ。

一つ目の疑念は、次のようなものだ――俳句を書く人が「俳句とは詩の特攻である」という言葉を発することは、特攻を美化することになりはしないか。

「特攻」と書いて「ぶっこみ」と読む類のものであるならばまだしも許容できるかもしれないけれど、歴史にいまでも禍々しく刻まれているあの特別攻撃のことであるとするなら、「俳句とは詩の特攻である」という言葉を解釈抜きでそのまま飲み込むことはどうしてもできない。

いずれにせよ、「特攻」という言葉は、それが攻撃である以上は、敵の存在を、したがって、争いの存在を前提としている。また、「特攻」は、この言葉の歴史的な背景によって、争いの犠牲者のことを思わせずにはおかない。

「特攻」という言葉のこうしたバックグラウンドによって、二つ目の疑念が生じる――詩はどんな争いのために犠牲にならなければならないのか。詩がある争いの犠牲になるとして、その犠牲は俳句によって生まれるのか。

僕には、これら二つの疑念を解消することがどうしてもできない。こうした疑念を前に、僕は自分の思考が痙攣するのを感じる。

この思考の痙攣状態を解消するには、二つの疑念を取り除く必要がある。手っ取り早いのは、言葉を見なかったことにすること、考えるのをやめることだ。けれど、これらの疑念は、言葉それ自体の問題というよりは、むしろ、「特攻」という単語をめぐる僕自身の読みの問題であるように思われた。そして、もしそうであるなら、考えないよりは考えたほうがいいに違いない。だから、「俳句とは詩の特攻である」を受け入れるために、これらの受け入れがたさをなくすように「特攻」を解釈することができるか、検討してみようと思う。

その取っかかりとなるのは、「句集の題は坂口安吾の「文学のふるさと」による」(189頁)という記述である。このあとがきには、「特に胸に沁みている部分」として、坂口安吾が「我々のふるさと」は「むごたらしく、救ひのないもの」 だと書いている箇所が引用されている(同)。そして、「そういう処に立脚するのが文学であるなら、私にも出来ると思ったのである」と書かれている(同)。

さらに、このあとがきには、俳句について、「詩の特攻」とは別の定義として、人によっては「日本のなつかしい山河」だという定義が可能であろうことが示された上で、しかしながら、「それは私のための答ではない」とも書かれている(190頁)。

つぎに、安吾の文章の文章を確認すると、その主旨は、文学のふるさとはモラルの側にはなく、むしろアモラルの側にあるということであるのが読み取れる。安吾は、「大人の仕事」としての文学がモラルの側に身を置くものだとしても、そのふるさとがアモラルの側にあるということの自覚を失ってはいけない、そのアモラルなふるさとに対する自覚こそが文学にとって欠けてはならないモラルなのだ、と主張している。

おそらく、安吾のこのモラルとアモラルの対比は、ニーチェの『悲劇の誕生』における、秩序と混沌、文化と野蛮、アポロン的なものとディオニソス的なものの対比ともつながるものだろう。

これで、解釈のためのパズルのピースは揃った。

まず、「なつかしい山河」が「ふるさと」という語が通常喚起するイメージであることに注目したい。それに対する「特攻」は、たしかに「むごたらしく、救ひのないもの」である。そしてまた、それは僕らのふるさとに否応なく刻まれた過去の一部でもある。

だから、「俳句とは詩の特攻である」とは、「俳句とは詩にとっての野蛮でアモラルな原型であり、すなわち、詩に対して自らのアモラルな出自をつねに思い出させようとするものである」ということを意味しているのだと、解釈できる。そう解釈するならば、もはやこれは特攻の美化でもなければ、敵の存在を前提とするものでさえもなくなる。

その場合、ここであえて「特攻」の語を隠喩として用いることは、アドルノの「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」という名高い警句と同様の意識の反映として読み解くことができる。当然ながら、「特攻」を隠喩として用いる事ができるのは特攻以後のことである。特攻以後にしか、俳句は「詩の特攻」ではありえない。「文学のふるさと」を発表した1941年8月の安吾には、いかなる特攻も知りえなかったのだ。だから、その「文学のふるさと」を前にしながら、文学の野蛮でアモラルな原型をあえて「特攻」と呼び変えることは、太平洋戦争の野蛮な歴史をあえて自らの手で引き受けることを意味しうる。

このようにして解釈すれば、これは、現代の詩の野蛮さの、あるいは現代の俳句の野蛮さの内部告発にほかならない。こうしてようやく、「俳句とは詩の特攻である」というアモラルな警句は、一つのモラルとして受け止めることができるものになる。

しかし、どんな解釈、どんな消化を経たとしても、やはり、これは僕のための答えではない。もちろん、「日本のなつかしい山河」だなどと言うつもりもない。目下のところ、僕は、なんらかのただしがきを抜きには「俳句とは」などと語ることはできそうにない。

2015年4月13日月曜日

●月曜日の一句〔川緒方敬〕相子智恵



相子智恵






手酌にて朧を飲みてをりしかな  緒方 敬

句集『十觴集』(2015.3 本阿弥書店)より

昼は「霞」で、夜は「朧」と言われる現象は、大気中の水分が増えて万物が霞んで見えることで、「草朧」や「朧夜(朧月の夜)」のように具象がまずあって、それを朦朧とさせるものとして詠まれることや、具体的な景との取り合わせで詠まれることが多い。それ自体では色も形も持たない朧は、具体的な物があってこそ像を結ぶことができるからだ。

しかし掲句は朧そのものが、見えないままに主役となっている。それでいて景がはっきりと浮かぶのは〈手酌にて〉で盃が見えてくるからである。酒を飲むように一人手酌で朧を飲んでいる仙人のような人物、面白い幻想の世界だ。そして朧と酒がつながることによって、朧に酩酊して世界が朦朧としてゆくさまが伝わってきて楽しくなる。

〈をりしかな〉と引き延ばしたような下五でずるずると終わるのも、朧を飲んでいるつもりが朧に飲まれてゆくであろう主人公の今後を思わせて面白い。

2015年4月11日土曜日

【みみず・ぶっくす 19】 俳句カウンター便り ジャン=マリー・グリオ 小津夜景訳

【みみず・ぶっくす 19】 
俳句カウンターだより

ジャン=マリー・グリオ 小津夜景 訳






Un arc-en-ciel
dans New York
traverse les bureaux

ニューヨーク事務所を虹の渡りけり


Au cinéma
Les acteurs s'endorment
Quand ça commence

役者たち睡るシネマの幕開きに


L’air
que l’on respire
sent la frite

吸い込んだ空にフライドポテトの香



Une seule abeille
achète les fleurs
pour la ruche

一頭の蜂が花買う長屋かな


Sur le soleil
les lunettes
ont fondu

太陽のふちにとけたる眼鏡かな


La campagne
on sort
on est dehors

田園や外へ出かけて外におり


Faire pipi
loin
brillent les chaussures

おしっこをするその果(はて)に光る靴


On parle sans savoir
on écoute sans savoir
je mange un chewing-gum

知らず言い知らずて聞くやガムを嚙む


Le café ferme
la nuit ouvre
la porte

カフェ閉まり夜は開きぬそのドアを


J'ai bu du blanc
je boirai du rouge
un jour

白は呑んだそのうち赤も呑むだらう


I have a dream
I dream I have
I have

僕が在る夢を見ている僕である