2018年12月31日月曜日

●月曜日の一句〔池田瑠那〕相子智恵



相子智恵






我よりの賀状も君が遺品なる  池田瑠那

句集『金輪際』(ふらんす堂 2018.9)所収

胸をつかれる句だ。〈我〉と〈君〉という特別な間柄で〈遺品〉を整理していることから、この二人が夫婦だということがわかる。

夫婦となって共に暮らすようになれば、連名で年賀状を出すことはあっても、互いに年賀状を出しあうことはない。だからこの年賀状は結婚前の、恋人時代の我が君に送ったものだ。その冒頭に書かれたであろう「あけましておめでとう」の形式的な賀詞でさえ、想像するに明るく、瑞々しい未来への希望を感じさせる。年賀状を大切にしまっておいた君の、当時の喜びまで見えてくるようだ。

年賀状には幸せな、まだ真っ白な我と君との新しい一年という「未来」があって、〈遺品〉の一言でその一切が一気に「過去」に変わる。その間にあった結婚生活の幸せも、伴侶を失う悲しみも〈遺品〉の前後の断層の中に描かれずとも凝縮されていて、まるで静かな映画を見ているようだ。

俳句という短い詩型の中で、感情を一切詠まずに、我と君、賀状と遺品という言葉だけで、これだけの時間と感情を立ち上げることができる。そして書かれた内容は個人的なのに、普遍的な寂しさがある。こういう句が時代を超えて残るのだろうと、私は思う。

掲句は〈夫、輪禍に遭ひ、二日後に他界。二十二句〉と前書きのある一連の作品の後に、置かれている。

2018年12月29日土曜日

●土曜日の読書〔アナキスト〕小津夜景




小津夜景







アナキスト


クリスマスイヴの前日、マロニエの落ち葉の中を一緒に歩いていたユキさんが、最近どうよと小突いてきたので、えへへと笑ってみた。

「いいなあ。私なんか『もっと稼いでこい』って家族に怒鳴られてるよ」

ユキさんはスペイン人の夫ならびにその両親と、ベルヴィルの低家賃住宅に暮らしている。義理の家族は、嫁とは酷使すべき動産であると信じて疑わない人たちだ。

「ひどいねえ。そういえばこの界隈って、昔、アナキスト機関紙のル・リベルテール社があったとこだよ。ほら、前にあそこの店でエスペラント語の……」
「アナキストか。私もなろうかな。夫も義理の親も捨てて」

それからしばらく大杉栄『日本脱出記』(土曜社)の話をする。この本は一九二二年、ベルリン国際アナキスト大会に招待された大杉が偽名を使って出国、途中フランスに遊び、メーデーの演説をしたところをパリの牢獄にぶち込まれ、ついには国外追放となるまでの顛末を綴った密航記で、当時大ベストセラーとなった。
 のん気な牢屋だ。(…)窓のそとは春だ。すぐそばの高い煉瓦塀を越えて、街路樹のマロニエの若葉がにおっている。なすことなしに、ベッドの上に横になって、そのすき通るような新緑をながめている。そして葉巻の灰を落しながら、ふと薄紫のけむりに籠っている室の中に目を移すと、そこにドリイの踊り姿が現れて来る。彼女はよく薄紫の踊り着を着ていた。そしてそれが一番よく彼女に似合った。
獄窓に溢れる春。紫煙に泛べる女。思想的衒いのない、のびやかな文体がとてもいい。また実際この人の核にあるのは思想ではなく、生を謳歌する胆力と情感豊かなまつろわぬ精神なのだった。ヤケーさん詳しいね、彼が好きなんだ? うーん、正直手放しに好きとは言えないかな。なんで? 男性として、いささか問題がありすぎるから。私が本音を言うと、ユキさんは舗道に吹きだまるマロニエの落ち葉を蹴り上げてあははと笑った。

数日後、ふたたびユキさんと会う。イヴはどうだったと尋ねると「義理の親が、アパルトマンを爆破したわ」とユキさん。

「あらら。なんでまた」
「イヴの夜、べろんべろんに酔っ払って、隣の部屋でストーブをつけたまま寝たみたい。そしたら夜中にガス爆発が起こってすごい火事になったの。うち安普請だからさ。それで結局、全世帯が強制退去に」
「それは大変だったね」
「爆発寸前に苦しくなって目がさめたんだけど、いやあ壁ってあんなに膨らむんだね。隣の部屋との壁が、まるで餅みたいだった」
「はあ。で、義理の親御さんは」
「死にました」

カフェを飲んだあと、爆破したアパルトマンにふたりで向かう。近くまで来ると、強制退去の住人か泥棒かわからない謎の男が、建物の中からブツを運び出そうとして、ベランダの手すりにぶら下がっているのがみえた。

荒々しくも瑞々しい光景。いつも思うけど、人間ってほんとタフだよ。そうユキさんは言った。


2018年12月25日火曜日

●社会鍋

社会鍋

社会鍋の喇叭の唾を道へ振る  田川飛旅子

星空へ口を大きく社会鍋  本内彰志

社会鍋横顔ばかり通るなり  岡本 眸


2018年12月24日月曜日

●月曜日の一句〔日下野由季〕相子智恵



相子智恵






人に会ふための師走の橋渡る  日下野由季

句集『馥郁』(ふらんす堂 2018.9)所収

恋の句かもしれないし、そうではないかもしれない。〈人に会ふための〉の高揚感がいかにも〈師走〉であり、一読でうきうきする。

おそらく作者の定型感覚ならば、例えば「会ふための師走の橋を渡りけり」のように五七五のリズムと内容の切れ目をすっきりと合わせることも容易に考えられただろう。だが、リズムと内容の切れ目をあえてずらしていくことで、心が逸っていく様子や高揚感を前面に出している。音読してみると〈人に会ふ〉までの感覚的な長さに比べて〈ための師走の橋渡る〉は「の」の繰り返しによって疾走感が生まれていて、それが心の高まりを感じさせる。

師走はせわしなくて困るけれども、人も町も浮足立ち、常とは違う楽しさがある。その大きな要因が、忘年会やクリスマスなど、人と会う楽しさだ。生きてきた時間がだんだん長くなってくると、一年に一度しか会わないという人がどんどんでてくる。そういう人とは一年の終わりの〈師走〉が会うための大きなきっかけをくれる。こうした節目は一方では煩わしいものかもしれないが、人生の残り時間にふと考えが及び始める年代になって、初めてその役割の大きさを思う。

掲句はまったく個人的な句であるのに普遍性があって、内容とリズムの速さに「会いたい人には会っておけ、会えるならばその橋を渡れ、師走だぞ」と背中を押してもらった気がした。

2018年12月22日土曜日

●土曜日の読書〔バオバブ〕小津夜景




小津夜景







バオバブ


熱が出た。

昼ごはんはロールド・オートを煮ておかゆにする。

ヴァロリスの陶器にあつあつのおかゆを盛り、ドライレーズンを散らし、バオバブの実の粉をふりかける。バオバブの実には柚子に似た香味があり、何かと使い勝手がよい。

暖かい部屋で、おかゆの香りと粘りを味わっていて、ふと十代のころに読んだ川田順造サバンナの博物誌』(ちくま文庫)のことが頭に浮かんだ。著者が西アフリカのモシ族と共に暮らした六年の日々を、新聞の読者のために平明に綴ったこの本は、ちょうどバオバブの章から始まる。

「乾季のおわりちかく、バオバブはほかの植物にさきがけて、赤子の手のような若葉を出す。みんな待ちかねてこの葉を積み、モロコシやトウジンビエの粉を練った、サガボという主食につけるおつゆ『ゼード』の実にする(…)殻の中には、褐色のインゲン豆くらいの、かたい種子が一杯詰まっており、水でよく煮て搗き砕くと油がとれる(…)この種子をつつんでいる白い果肉には、駄菓子のラムネを連想させるかるい酸味があり、そのまま食べたり、水にひたして飲んだりする」

スプーンを口に運んでいると、しだいにバターの木、カールゴ豆の発酵味噌、モロコシ酒のダーム、道化師ホロホロ鳥、法界坊ハゲワシなど、モシ族の生活がことこまかによみがえってきた。インド洋から来たタカラガイの貨幣の話もなつかしい。ああ。今まで本によって、どれだけたくさんの旅をしてきたことだろう。

半分食べたところでおかゆに蓋をして、ベッドに横たわる。熱と汗とで体がべたついているのが少し気になった。

昔、風呂のない家に暮らしていたときは、母が病気の私を洗うために山菜の灰汁抜き用の大鍋でなんども湯を沸かし、洗濯機にその湯を移して風呂をこしらえたものだった。洗濯機は二槽式だったので、笑ってしまうほど小さな湯船である。母は抱きあげた私を、ちゃぽん、とその湯船に放つ。ドラム缶風呂に憧れていた私はこの洗濯機風呂が誇らしく、入るたびに病気を忘れて奇妙な踊りを踊っては、お湯がこぼれるからやめなさいと母に叱られた。だが叱る母も内心ではおもしろがっていて、スポンジで遊ぶ子猿みたいな娘のすがたをこっそりカメラに収めているのだった。

「熱、だいじょうぶ?」

ふいに声。目をあける。いつもの夫がいた。

「……いつ帰ってきたの」
「ついさっき」
「……今ね、昔のこと思い出してたよ」
「そう。オイル買ってきたから。これで体の乾燥防げるといいね」

そう言うと夫はバオバブ・オイルを枕元に置き、シャワーを浴びにバスルームへ行った。


2018年12月21日金曜日

●金曜日の川柳〔芳賀博子〕樋口由紀子



樋口由紀子






改札にはさまれているクリスマス

芳賀博子 (はが・ひろこ) 1961~

もうクリスマスである。一年は早い。一日は長いが一年は早いと祖母が言っていたことを年々ひしひしと実感する。

狭い自動改札口を通過する、大きなクリスマス用のプレゼント、あるいは両手に抱えたクリスマスケーキを思い浮かべた。もちろん、はさまれてもすぐにすり抜け、体勢を整えて、クリスマスのわが家に駆け足で帰っていく。

「はさまれているクリスマス」にクリスチャンでもないのに、商戦にのせられて、みんなと同じように行事をやってしまう自嘲を皮肉たっぷりに感じる。あたふたとなにものかに自動的に振り回されて生きている。そんなことを思った。〈焼けばわかるポリエステルか純愛か〉〈髷を切る時代は変わったんだから〉〈最後には雨の力で産みました〉〈咲いてゆく遠心力をフルにして〉 『髷を切る』(2018年刊 青磁社)所収。

2018年12月20日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








大節季まで言ひ延べて松     西鶴(前句)
やうすきけ花は都の相場物      同(付句)
『大矢数』第十(延宝九年・1681)

花前(冬)から花の座(春)への季移り。

一年の貸借決済をする大節季(おほぜつき)つまり大晦日までアレコレ支払いを言い逃れ、年明けには相場物(価格変動のある商品)の様子(市況)を聞け――そんな『世間胸算用』的な俗文脈がすけてみえる。
松→花の雅語的付合はいっけん添え物のようだ。

雅語に対する俗語の優位性を体現した西鶴は、
〈人の家にありたきは梅・桜・松・楓、それよりは金銀米銭ぞかし〉
と後年『日本永代蔵』にも記した。
この観点からすれば「不易」の花や松は、金銀米銭(相場)という「流行」の、その付けたりと化していると言っていいだろう。
俗文脈が雅文脈を方便としているわけだが、ことはそう単純に終わりはしない。
アクションしたものは何がしかのリアクションを覚悟しなければならない。
ほぼどんな場合も相互媒介性からは逃れられない。

松(待つ)に新年、とくれば門松。用材としての松の相場も高騰するというもの。
よって前句と付句の狭間で「松」は雅語と俗語の両面的価値をもつこととなる。
伝統的な松の概念が、用材としての即物性をまとう。
雅と俗の相互媒介性――まさに近世であり、談林である。

2018年12月17日月曜日

●月曜日の一句〔今井杏太郎〕相子智恵



相子智恵






外を見て障子を閉めてをはるなり  今井杏太郎

『今井杏太郎全句集』(角川文化振興財団 2018.10)所収

全句集より引いた。初出は『海鳴り星』(花神社 2000.7)所収。

なんと寂しくて、安らかな句だろう。この句では、障子を開けて見えた風景は一切描写されない。一連の動作も流れるように過ぎゆくのみだ。すべては〈をはるなり〉という小さな小さな感慨に、ゆるゆると収束していく。

かといって、〈をはるなり〉だけに重きが置かれているわけではなく、〈外を見て〉〈障子を閉めて〉〈をはるなり〉は同等の重さを持っている。「外を見たなあ」「障子を閉めたなあ」「終わったなあ」という、ゆるゆるとした意識の連鎖の中で、重みはどれにもあるし、むしろ、どれにもない。

ふと、障子を閉めた音が聞こえる。木の棧が立てる「ぽん」という軽い音だ。その音と同時に目の前が障子のやわらかな白色に染まる。それは意識の連鎖の中に生まれた一瞬の余白である。

きっと障子の外の風景は、たいしたことはないのだと思う。けれども、それを見終わった後のふとした余白が寂しくて、それをこんなふうに書きとめられる俳句という詩型は、しみじみいいものだなあと思う。

2018年12月15日土曜日

●土曜日の読書〔居場所〕小津夜景




小津夜景







居場所


高校生のとき、クラスの教育実習生として、北方領土からユーリ先生がやってきた。

ユーリ先生はもうすぐ二十八で、不死身の兵士みたいにごつい体つきをしている。眼光は鋭く、片頬に刃物の古傷があり、めったに自分から喋らない。

それがある日、エトロフ島の登山の話がきっかけで、校舎裏の桜の下で先生と二人、お弁当を食べる流れになった。

「言葉とか、いろいろ、つらくないですか」

スヌーピーの弁当箱を開くと、ふたの上に、ぽとん、と枝から毛虫が落ちる。葉桜の季節なのだ。

「少しね。でも島には仕事がないし、日本で英語の先生になれたらいいなと思っているんだ」

購買のカツサンドをほおばりながら、ユーリ先生が言う。

「じゃあ、先生はずっと無職?」

「いや。賭博場で働いているよ」

先生がお尻の手帳から一枚の写真を引き抜いた。オホーツクの親しい風景が映っていた。人は生まれる場所を選べない。自分も炭鉱の町に生まれ、知らない土地をめぐり歩き、九つのころにはすっかり実存主義者づいて、ソ連の監視船がゆきかう海を望んでは「なぜ自分はここにいるのか」「なぜ自分は生きているのか」と考えない日はなかった。

安部公房の「赤い繭」を読んで、不条理という文学的主題があることを知ったのもそのころだ。荒涼とした大地。よるべない日常。解決しえない問い。気の狂れた奥の手。

「日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない」

この書き出しの、心をとらえて離さない不思議な凝縮力。

とはいえ、いったい、なにが凝縮されているのだろう。孤独と郷愁?  詩と思弁? 狂気と笑い? それとも。

キーン、コーン、カーン、コーン……。

「あ」

「行こうか」

ユーリ先生が立ち上がる。弁当箱をしまって後を追い、手を洗おうと水飲み場の蛇口をひねると、わっと冷たい水がほとばしった。

水が織りなす六月の光と虹。ふいに胸の中から、けれども虹は不死身である、不条理の世界においてさえ、という声が聞こえた。




2018年12月14日金曜日

●金曜日の川柳〔佐々木久枝〕樋口由紀子



樋口由紀子






私的空間とゴム風船と針

佐々木久枝 (ささき・ひさえ) 1940~

三つの名詞が「と」でつないでぽんと置かれただけのなんとも愛想のない川柳である。ふとひらめいたように三つが同等に並列されているが、「ゴム風船」と「針」は具体的な物だが、「私的空間」は抽象的である。「ゴム風船」と「針」には関連性があるが、「私的空間」との関わりはわからない。だから、いかようにも想像することができる。

針でプチッと刺してゴム風船を割る動作は誰かをびっくりさせようとするいたずらを思い浮ぶ。誰もがあまり好きではない音であり、行為である。「私的空間」はプライベートな、誰にも邪魔されない、なにも存在しない、私だけのとっておきの場のことだろう。プチッという音とともに変哲も無い日常が日常ではなくなるような一瞬。いままでが停止する。独自の折り合いのつけ方なのだろうか。私的空間を対象化して見ているような気がする。〈国貞とまぐわうライオンの雨宿り〉〈罪悪は名詞だし画鋲を踏む〉 「水脈」(第49号 2018年刊)収録。

2018年12月11日火曜日

〔ためしがき〕 坂口安吾の小林秀雄論について、勝手なことを書く。 福田若之

〔ためしがき〕
坂口安吾の小林秀雄論について、勝手なことを書く。

福田若之


文芸批評が陥るある種の宗教性に対する批判としては、坂口安吾の「教祖の文学――小林秀雄論」が名高い。いや、名高いかどうかなんてことはこの際どうだっていい。とにかく、そうした批判としては安吾の「教祖の文学」がある。

この論のなかで、安吾は、「當麻󠄁」と題された小林の文章から「美しい「花󠄁」がある、「花󠄁」の美しさといふ樣なものはない」という一節を取り上げて、次のとおり批判している。
 私は然しかういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか。私は中学生のとき漢文の試験に「日本に多きは人なり。日本に少きも亦人なり」といふ文章の解釈をだされて癪にさはつたことがあつたが、こんな気のきいたやうな軽口みたいなことを言つてムダな苦労をさせなくつても、日本に人は多いが、本当の人物は少い、とハッキリ言へばいゝぢやないか。かういふ風に明確に表現する態度を尊重すべきであつて日本に人は多いが人は少い、なんて、駄洒落にすぎない表現法は抹殺するやうに心掛けることが大切だ。
 美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない、といふ表現は、人は多いが人は少いとは違つて、これはこれで意味に即してもゐるのだけれども、然し小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思ひこんで取り澄してゐる態度が根柢にある。
ところで、こう批判する当の安吾は、この論をどういう表現で締めくくっていたか。こうだ。
落下する小林は地獄を見たかも知れぬ。然し落下する久米の仙人はたゞ花を見ただけだ。その花はそのまゝ地獄の火かも知れぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のやうな地獄であつた。彼はもう何をしでかすか分らない人間といふ奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。
しかし、「人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない」とは、これ自体、小林秀雄的な、すなわち、意味に即してはいるが曖昧な、気の利いたような表現ではないか。「人間だけが地獄を見る。しかし、当の人間はそれが地獄だとは思ひもしない」とでも書けば、すくなくともより明確にはなるだろう。

こんなふうに書くと、まるで安吾の揚げ足を取ろうとしているように読まれるかもしれないが、そうではない。むしろ、このあからさまな齟齬こそ、まさしく安吾の論の核心に触れるものだということが言いたいのだ。小林が、「歴史の必然」ということを言い、さらにまた、「無常といふこと」という文章のうちに、あるとき彼自身が川端康成に言ったこととして「生きてゐる人間などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひ出すのやら、仕出來すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解つた例しがあつたのか。鑑賞にも觀察にも堪へない」と記しているのに対して、安吾は次のとおり応じる。
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まつたく分らないのだ。現在かうだから次にはかうやるだらうといふ必然の筋道は生きた人間にはない。死んだ人間だつて生きてる時はさうだつたのだ。人間に必然がない如く、歴史の必然などといふものは、どこにもない。人間と歴史は同じものだ。ただ歴史はすでに終つてをり、歴史の中の人間はもはや何事を行ふこともできないだけで、然し彼らがあらゆる可能性と偶然の中を縫つてゐたのは、彼らが人間であった限り、まちがいはない。
だから、「気の利いたやうな言ひ方は好きでない」という安吾が、あたかも足をすべらしてプラットフォームから落っこちてしまうかのように、当の文章をそうした気の利いたような言い方で締めくくってしまっているからと言って、目くじらを立てるような真似をするのは、まったくもって野暮なことだ。むしろ、安吾の小林批判の核は次の一節に書かれていることだったはずだ。
 人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。
 だから小林はその魂の根本に於て、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。
歴史を必然と見て崇拝する小林の傾向に、安吾は生と偶然との肯定を通じて否を突きつける。このことに比べれば、表現の曖昧さなどはまったく皮相的なことにすぎない。安吾が「小林秀雄も教祖になつた」と書くとき、その直前に書かれているのは「あげくの果に、小林はちかごろ奥義を極めてしまつたから、人生よりも一行のお筆先の方が真実なるものとなり、つまり武芸者も奥義に達してしまふともう剣などは握らなくなり、道のまんなかに荒れ馬がつながれてゐると別の道を廻つて君子危きに近よらず、これが武芸の奥義だといふ、悟道に達して、何々教の教祖の如きものとなる」ということだ。安吾が「私が彼を教祖といふのは思ひつきの言葉ではない」と書くとき、その直前に書かれているのは「生きた人間を自分の文学から締め出してしまつた小林は、文学とは絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ」ということだ。人生を軽視し、生きた人間を文学から締め出すとき、ひとはそのことによって小林秀雄のように文学の「教祖」になってしまう――安吾が書いているのは要するにそういうことだ。

安吾は「人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである」と書く。ならば、安吾の「人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない」という表現は、小林秀雄的か。断じて否だ。安吾は、きっと、こう書かないことだってできただろう。けれど、こう書いた。書いてしまった。たぶん、書かずにはいられなかった。「恋は必ず破れる、女心男心は秋の空、必ず仇心が湧き起り、去年の恋は今年は色がさめるものだと分つてゐても、だから恋をするなとは言へないものだ」と安吾は書く。言葉遊びの欲求もまた、抹殺を心掛けたからといって殺しきれるものではない。そのとき、安吾は生きていたのだ。

 ●

これで、「ためしがき」の連載をいったん終わる。理由? そもそも理由もなくはじまったものが終わるのに、ただそうしたくなったという以上の理由が必要だろうか。まあ、いずれにせよ、僕は今のところためしがきということそのものをやめるつもりはない。ただ、それをノートのうえでなされるより内密ないとなみへと還すというだけのことだ。

2018/12/4

2018年12月10日月曜日

●月曜日の一句〔岡田一実〕相子智恵



相子智恵






暗渠より開渠へ落葉浮き届く  岡田一実

句集『記憶における沼とその他の在処』(青磁社 2018.8)所収

「暗渠」の対義語は「開渠」なのだな、と耳慣れない言葉をしばらく頭の中で転がしているうちに、この二つの言葉が生まれた順番が気になってきた。おそらく暗渠の方が先にできたのではないか。

きっと昔は「水路」や「用水路」という言葉で足りていた。技術的に考えてもそれは「開渠」の状態が当たり前だったろうから、水路と開渠を区別する必要はない。そこから都市の整備が進み、「暗渠」が作られるようになって初めて、それに対応する「開渠」という言葉も生まれた……のではないだろうか。調べていないから、ただの憶測だけれど。

掲句は暗渠が途切れて外へ出た水路に、落葉がパッと浮いて流れてきた一瞬を捉えた。それだけを見ればまことに鮮やかな写生句である。けれども暗渠と開渠が並べられたことで、この落葉が来た距離と時間の道筋の長さを感じないわけにはいかない。

木の葉は、閉じた暗渠に落ちることはできない。だからこの落葉は、川や水路(開渠)に落ちて→暗渠→開渠と浮いて流れ着いたことがわかる。しかもただ流れ着いたのではなく〈届く〉という言葉が選ばれている。それによって「暗渠の向こうから水面に差し出された落葉が、無事に浮いたままこちら側に届きましたよ。その一瞬を、通りすがりの私は見届けましたよ」という誰にでもないつぶやきが(あえて言えば葉を落とした木に向けたつぶやきが)一句になっているのではないか。

川や用水路の水面が空と接していた、暗渠とも開渠とも無縁だったかつて都市の記憶という“時間的な距離”。木の葉が落ちた場所から暗渠を通ってきた“空間的な距離”。一枚の落葉は、暗渠と開渠という言葉によって、その距離を経た一枚の手紙のように浮いて届く。それを静かに感じ取り、受け取っている人がいる。きわめて日常的な都会の風景の中に、一瞬の小さな奇跡があるのだ。

2018年12月8日土曜日

●土曜日の読書〔てがみ〕小津夜景




小津夜景







てがみ

いつだったか、近所を歩いていて、生垣の蔭にぶら下がっている手づくりの郵便箱を発見した。

郵便箱の正面には、たどたどしい字で、
おねがい
ここに  てがみを いれてください
みんなのてがみ とどけます
げつ・すい・きんは おやすみです
と、黒いマジックで書かれている。

子供は手紙に憧れるものだ。可愛いなあと快い気分でいたら、郵便箱はその生垣の家に住む5歳の男の子のもので、かつて一度も手紙が入っていた試しのないことを近所の立ち話で知った。

えらいことを知ってしまったと慌て、絵葉書に本物の切手を貼って男の子の郵便箱に投函したのがつい昨日のこと。で、今朝その生垣を見にゆくと、郵便箱がない。どこにも。うーん。まさか本物の手紙が入っていたせいで、怖くなって外してしまったのだろうか。

子供と手紙といえば、中川李枝子他『こんにちはおてがみです』(福音館)はしゃれた仕掛け絵本だ。頁には10通の封筒が貼られ、その中に福音館選りすぐりの10冊の主人公からの手紙が入っている、たとえばこんな書き出しの。

「ぼくらのなまえは ぐりとぐら このよでいちばん すきなのは おてがみかくこと もらうこと」。

この文面は『ぐりとぐら』の「ぼくらの なまえは  ぐりとぐら  このよで いちばん  すきなのは  おりょうりすること たべること」の替え歌だ。ああ、なんという良き日常。

10冊の中には佐々木マキ『やっぱりおおかみ』もあった。子供って孤独でシニカルな存在者だから、おおかみくんへの愛は至って当然だろう。


2018年12月6日木曜日

●木曜日の談林〔松尾芭蕉〕黒岩徳将



黒岩徳将








今朝の雪根深を薗の枝折哉  芭蕉

延宝七年作。「枝折」は目印・道標の意。真っ白な雪に葱の葉がちらちらと見える。見立ての句であるが、談林にしては少しこの句は大人しいのではないか、と思った。しかし、『芭蕉全句集』(角川ソフィア文庫)によると、「和歌では雪の山路での枝折を詠むことが多く、それを菜園の雪景とした点に俳諧らしさがある。」とある。なるほど。世界が矮小化されていると思うよりも、ここにも枝折があったか、という気持ちを楽しんだ方が良さそうだ。加えて、この「〜を〜の〜哉」というつるつるとした言い回しも、とんとんと調子が良い。動詞がないことが句の立ち姿につながっている。

2018年12月4日火曜日

〔ためしがき〕 岸本尚毅と語彙についての覚え書き 福田若之

〔ためしがき〕
岸本尚毅と語彙についての覚え書き

福田若之

風味絶佳だが、見た目は少しキモい。
(『岸本尚毅集』、俳人協会、2018年、47頁)
これは《つくづくと見る鮒鮨や秋の風》(岸本尚毅)に付された自註の一節である。 おもしろいのは、「風味絶佳」という言葉から「キモい」という言葉へと下るその落差だ。すとんと落ちる。「キモい」みたいな言葉は、語彙の貧しさを象徴する言葉のように扱われがちだが、ここでは、むしろ、語彙の豊かさのなかで「キモい」という一語が救われている。

岸本尚毅という俳人を考えるうえで、語彙というのは、きわめて重要な観点のひとつとなりうるだろう。たとえば、《しぐるるやをかしき文字のトイザらス》や《WOW WOWと歌あほらしや海は春》、あるいは《テキサスは石油を掘つて長閑なり》といった句は、まさしくこの点からこそ光が当てられるはずのものではないだろうか。そういえば、こんなことも書かれているではないか――「森澄雄の〈妻がゐて夜長を言へりさう思ふ〉の「さう」をいつか真似てみたいと思っていた」(同前、124頁)。これは、《さういへば吉良の茶会の日なりけり》という一句に付された自註の一節である。このように、ひとつの言葉を自らの語彙に加えるために句を書くということがある。その姿勢には、もしかすると、子規や漱石に通じるところがあるのかもしれない。すなわち、そこで試みられているのは、次のような意味での「写生」かもしれないのである。
要するに、子規にとって「写生」において大切なのは、ものよりも言葉、すなわち、言葉の多様性であり、その一層の多様化であった。そのことを理解していたのは、多種多様な言葉をふんだんに使った漱石だけである。
(柄谷行人『定本日本近代文学の起源』、岩波書店、2008年、84頁)

しかし、一方で、尚毅は、柄谷が「一般に、写生文は、平板な言葉による「写生」という方向に受けとられた。それを促進したのが、もともと小説家を目指していた高浜虚子なのである」と図式化してみせるような歴史的な文脈のうえにも身を置いているには違いない(同前、84頁)。ここをどう考えるかが、岸本尚毅と語彙という主題を考えるうえで、ひとつのポイントになるはずだ。
2018/12/1

2018年12月3日月曜日

●月曜日の一句〔荒木かず枝〕相子智恵



相子智恵






狼の声を閉ぢ込め滝凍てぬ  荒木かず枝

句集『真埴』(邑書林 2018.9)所収

ニホンオオカミが絶滅した吉野の凍滝を想像した。仲間の誰にも届くことのない最後の一頭の狼の声を閉じ込めて、滝は凍っているのではないか。

「をーん」という物悲しい狼の遠吠えに色があるとすれば、凍滝の色になるかもしれないな、と、ふと思う。その毛並みのように銀色で、深い部分は青色の。鋭い凍滝の先端は、狼の牙のようでもある。

地から空へ、狼が天を仰いで仲間へと放った遠吠えは、誰の元にも届かない。逆に凍滝は空から地まで届かない。

どこにも届かない声がどこにも届かない氷の中で、宙ぶらりんに冷たく閉じ込められている。