2013年6月30日日曜日

〔今週号の表紙〕 第323号 紫陽花 雪井苑生

今週号の表紙〕 
第323号 紫陽花

雪井苑生


子供の頃住んでいた家の裏庭に紫陽花があった。今頃の季節になると花を咲かせるので楽しみにしていたのだが、いつもぐるりと縁取りのように咲くだけで、今日は咲いてるかと見に行っても、中の部分はいつまでたっても咲かず扁平のまま。どうしてよその庭の紫陽花のように全部咲いてまあるくならないのか、すごく悲しくて、この紫陽花はダメな花なんだとずっと思っていた。

それが「額紫陽花」だと知ったのは何年も経ってからだった。もちろん今は額紫陽花も大好きだけど、そんな記憶があるのでいわゆる「紫陽花の玉」には無条件で惹かれる。西洋紫陽花というのは日本の額紫陽花がヨーロッパに渡り、向こうで品種改良されたと聞くが、大きな紫陽花が濃い青、紫、あるいはパステルカラーに雨のしずくを散りばめながら咲いている姿は本当に美しい。

紫陽花といえばビスコンティの映画、「ベニスに死す」をも思い出す。主人公アッシェンバッハが滞在していたリドの高級ホテル。そのホテルのロビーにも廊下にも客室にも、大きな花瓶に豪華な紫陽花がこれでもかというほど生けられていた。紫陽花の花言葉は「移り気」「高慢」「無情」「浮気」「あなたは美しいが冷淡だ」。これってアッシェンバッハを狂気のように惑わせ、ついには死に追いやる魔性の美少年タジオそのまま。紫陽花はタジオの象徴だったのだろうか。ともあれヴェールを透かして見るような微妙な表情の変化に魅入られてしまう、タジオ少年の妖しい美しさと紫陽花は見事に響き合っていた。

そういえば「薔薇のような」「百合のような」という表現はあるが、「紫陽花のような美人」とは聞いたことがない。どうして? あんなに美しいのに。もっとも薔薇も百合も花びらを散らせて終わるけど、紫陽花は散ることもせず、最後は汚らしい茶色の玉に成り果てる。「七変化」の名の通りとどまらない美しさ、ちょっと暗い季節に咲くこともあいまって、一言では表現できない複雑な奥深さが紫陽花の真髄なのかもしれない。

紫陽花の雨の季節ももうすぐ終わり……。容赦のない夏がまたやってくる。



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2013年6月29日土曜日

●処女

処女

住吉に凧揚げゐたる処女はも  山口誓子

参鶏湯沸々「鉄の処女」ひらく  金原まさ子

みつまたの花嗅ぎ断崖下の処女よ  西東三鬼

麦束をよべの処女のごとく抱く  橋本多佳子

ろんろんと月がまはるぞ処女汚し  川口重美

2013年6月28日金曜日

●金曜日の川柳〔石原青竜刀〕樋口由紀子



樋口由紀子







神武以来食えぬ人あり放っとかれ

石原青竜刀 (いしはら・せいりゅうとう) 1898~1979

神武とは神武景気のことで、昭和29年に始まった高度経済成長期をさしている。神武天皇が即位した年以来の好景気ということで名づけられた。

掲句は昭和32年作。昭和31年に政府の経済白書に「もはや戦後ではない」と記された。それほどの好景気のときでも食べていかれない人は放っとかれている、そんな社会であると糾弾する。「放っとかれ」が現状を明瞭に実体化している。今の世相にも通じる。

石原青竜刀は「川柳非詩論」を唱え、抒情を排し抒事に徹し、批判精神を述べることを川柳に求めた。〈白足袋の眼に地下足袋は不逞なり〉、白足袋は当時の総理大臣であった吉田茂をさしている。〈オレは笑う粉屋が山をかけのぼる〉、粉屋は日清製粉をさしている。

2013年6月27日木曜日

●ああ

ああ

寒い月 ああ貌がない 貌がない  富澤赤黄男

乳房や ああ身をそらす 春の虹  富澤赤黄男

乳房に ああ満月のおもたさよ  富澤赤黄男

ああ立春の腰のあたりがプレスリー  佐山哲郎

烏山肛門科クリニックああ俳句のようだ  上野葉月

なんと気持ちのいい朝だろうああのるどしゅわるつねっがあ  大畑等

ああ小春我等涎し涙して  渡辺白泉



臨終の一と声の「ああ」枯世界  池禎章

河骨の池に着きたり嗚呼といふ  飯島晴子

春燈を点せば嗚呼と二十人  大野朱香

この世にて会ひし氷河に嗚呼といふ  平畑静塔

2013年6月26日水曜日

●水曜日の一句〔小林凜〕関悦史



関悦史








大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛   小林 凜

作者は小学生。どういう状況の人かは長い書名が全て語っていて、そちらについては、詳述した記事が既にネット上に幾つもあるので省く。

《法事済み一人足りなき月見かな》のような結社誌に載っていても違和感がない句もあるのだが、小学校高学年の年頃の句ということで鮮度の高いこちらを採った。いわば時分の花である。

やや三段切れっぽい舌足らずな感じ、擬人法的な見立てなど、危ういところを幾つも抱えていながら、全体としては大きな葉にとまって揺れる蝸牛が、妙に愉しげな湧出感をかもしだしていて、それが梅雨どきの湿っぽい世界にヴァイブレーションを与え、賦活していく。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』のいう如く、遊びこそが文化なのであってみれば、この蝸牛の無心の遊びにも似た雨乞いのさまが知性と見えるのも当然の話で、そうしてリフレッシュされた世界に作者も読者も無理なく誘い込まれていく。一種の妙境というべきであろう。


小林凜『ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨 11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。』(2013.4 ブックマン社)所収。

2013年6月25日火曜日

【レコジャで一句】冷やし中華の具の細切りや旅の途中 山田露結

【レコードジャケットで一句】

冷やし中華の具の細切りや旅の途中  山田露結



John Lee Hooker/TRAVERIN’

※コメント欄へご自由に投句して下さい(有季、無季、自由律ほか何でも、何句でも可)。


2013年6月24日月曜日

●月曜日の一句〔茨木和生〕相子智恵

 
相子智恵







酒機嫌よきもの寄りて夜振かな  茨木和生

句集『薬喰』(2013.6 邑書林)より。

以前、四万十川に行ったとき、写真を見ながら火振漁の話を聞いた。実際に漁を見ることができなかったのは残念だったが、夜の川に松明の明りが揺れている様子はたいそう美しくて、妖しかった。竿で水面を叩いて、眠りについた鮎を起こして驚かせ、松明の光で網に追い込む漁である。

掲句を読みながら、火に真っ先に近寄ってくるのはきっと、ほろよい気分の〈酒機嫌〉の魚ではないだろうかという気がして可笑しかった。もちろん〈酒機嫌よきもの〉は夜振漁を見ている人間の様子と取ってもよいのだろうが、酔っ払った魚のことを思うと、なんとも楽しくて、少しあわれだ。

『薬喰』には、このように動物と人間の境目のない昔話のような、神話的な視点を感じる句がけっこうある。

〈私の家では、薬喰は験のものやと、年の暮に一度ふんだんに肉を食べて来た。験のものとは、それをしないとどんなまがごとが起こるかも知れないと考えてしてきた習わしである〉とあとがきにあるが、一句のまとう神話的な匂いは、「験のもの」を信じる自然豊かな土地での生活の中から生まれてくるのだろう。

こうした世界は現代では貴重で、句集を通じてそこに遊びに行けるのは、楽しくて豊かなことである。

2013年6月23日日曜日

〔今週号の表紙〕 第322号 ホトトギス? 有川澄宏

今週号の表紙〕 
第322号 ホトトギス?

有川澄宏


「時鳥」と思っています。

みなさまご存じのように、日本で繁殖するホトトギスの仲間は、いずれも姿形が似ていて、遠くからのちょい見では、判別がつきにくく、悩まされます。

ただ、一声鳴いてくれれば、あっ「カッコウ」(鳴き声・カッコウ)だ、「ホトトギス」(特許許可局)だ、「ツツドリ」(ポポ、ポポ)だ、「ジュウイチ」(ジューイチー)だと、一気に分かるのですが‥‥。

この鳥、写真を撮り終わっても一向に鳴いてくれません。

子供の頃からこらえ性の無い私が、ついにしびれを切らし、「珈琲でも飲みに行こうよ」と若い人たちを誘ってしまいました。私たちが去った後で、やれやれと安堵の声を上げたかも知れません。ここは「鳴くまで待とう‥‥」の家康の忍耐力があれば良かったのにと、反省しています。

図鑑を何冊も当たったうえで、環境も加味して、ホトトギスと決めました。

心情的な理由もあります。何と言っても、万葉集いらいの時鳥人気は今でも衰えていないのでは、と思います。私の中でも一番格好いい鳥のひとつです。昔からいろいろな人生を
重ねあわせて、多くの漢字をこの鳥の名に当てはめてきたようです。

私の家は、丘陵地の林に囲まれたところにあるので、毎年、時鳥がやって来ます。今年の初音は、5月19日でした。例年よりやや遅い飛来でした。今も一日中鳴いています。託卵相手の鶯も鳴いています。

初音も聴いたし、鰹も食べたし、まずまず今年も良い夏の訪れです。 

そして、織田信長の末裔を名乗る、スケート選手織田信成が、「鳴かぬなら、それでいいじゃん、ホトトギス」と言ったとか‥‥。これで良いことにしましょう。


ありかわ・すみひろ
1933年、台北市生まれ。「古志」「円座」所属。「青稲」同人。web連歌参加。



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2013年6月22日土曜日

●星屑

星屑

星屑や鬱然として夜の新樹  日野草城

星屑の冷めたさに似て菊膾  大木あまり

星屑と云ふ元日のこはれもの  中林美恵子






2013年6月21日金曜日

●金曜日の川柳〔土橋螢〕樋口由紀子



樋口由紀子







切腹をしたことがない腹を撫で

土橋螢 (どばし・けい) 1929~

あたりまえである。切腹は何度もするものではない。一回限りで死んでしまう。だから切腹をしたら、腹を撫ぜることなんて到底できない。もちろん、作者はわかっている。

テレビの時代劇で切腹のシーンでも見たのだろうか。振りかえってみて、自分の人生は切腹をしなければならないような事態に出合わなかったし、これからもそういうことはないだろう。テレビの作中人物のようにドラマチックではなく、とりたてていうほどのことはなかった平凡な人生だけれど、これでよかったと、ちょっと肉づきのよくなったお腹を撫でながらしみじみ思ったのだろう。

「切腹をしたことがない腹」とは、目のつけ所がおもしろい。こういうのも川柳の身体性かもしれない。見方ひとつで人はしあわせにもふしあわせにもなれる。「川柳塔」(2013年)収録。



2013年6月20日木曜日

【俳誌拝読】 『なんぢや』第21号

【俳誌拝読】
『なんぢや』第21号(2013年5月27日)


発行人:榎本享。A5判、本文32頁。

削ぐといふわざうつくしき挿木かな  西野文代(招待席)

つばくろに開けつぱなしの艇庫かな  榎本享

耳朶をかじる鸚鵡や復活祭  遠藤千鶴羽

桜鯛提げ来る銜へ煙草かな  井関雅吉

子午線の春の潮目の濃きところ  土岐光一

驟雨過ぐほろほろ鳥とわたくしと  高畑桂

蝙蝠に戸袋貸して悉皆屋  林和輝

はにかみて八重歯ののぞく桃の花  川嶋一美

巾着の小さき口や蚊喰鳥  えのもとゆみ

おのが血の滲む値札をつけて河豚  中村瑞枝

逆毛立つ寝癖のままに卒業す  鈴木不意

(西原天気・記)

2013年6月19日水曜日

●水曜日の一句〔長澤奏子〕関悦史



関悦史








茸飯生物多様性大事   長澤奏子

俳句ではあまり見かけない、またあまり馴染みそうにもない「生物多様性」の語が目を引く。

しかもそれが「大事」となれば露骨な訴えに終わりかねないが、「茸飯」でちゃんと一句になってしまった。

生物としての茸は種類も亜種も多く、見分けも分類も難しい。

「茸飯」となればもう調理されて死んでいるはずなのだが、茶碗によそわれても、飯に混じって香りを立てつつ、おのおのの奇態な姿かたちは健在であって、不規則な曲線に満ちた不可思議な姿がそのまま「生物多様性大事」というメッセージを体現しているように見えてくる。

作者は小川双々子門下で、物の姿が言語のように感じられるという特質は師ゆずりともいえるが、物と言語の浸透しあう局面を見届けるというよりは、よりアニミスティックに身体が感応している気配である。

茸に同調し、その言説を聞き届けつつも食べてしまうのだが、その結果「生物多様性」も「生物多様性大事」というメッセージも消えてしまうわけではなく、食べた当人の身体に移ることになる。茸が消えたかわりに、語り手当人が茸と同様に「生物多様性」のうちに参入してしまうのだ。露骨なメッセージが俳句になりおおせているのは、この真面目で奇態なユーモアがあるからである。

作者は昨2012年6月18日没。遺句集『うつつ丸』が妹の歌人・久々湊盈子らの手により編纂された。


句集『うつつ丸』(2013.6 砂子屋書房)所収。

2013年6月18日火曜日

【レコジャで一句】白靴や恋人とその恋人と 山田露結

【レコードジャケットで一句】

白靴や恋人とその恋人と  山田露結



MEL&TIM/Starting All Over Again

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2013年6月17日月曜日

●月曜日の一句〔井上雪子〕相子智恵

 
相子智恵







夏野行くGoogle Earthの眼を閉ぢて  井上雪子

豆句集『みつまめ』(2013.立夏号 みつまめ工房)より。

〈Google Earth〉とは、Google社によって提供された、世界中の衛星・航空写真を閲覧できるサービス(http://www.google.co.jp/earth/index.html)。「デジタル地球儀」ともいえる3D地図ソフトウェアだ。

この〈Google Earth〉を初めて見たときの衝撃は大きかった。地球上の一本一本の路地までもが鮮明に詳しい写真で写っていて、その土地に上空から降り立った「神の視点」で地球のあらゆる場所を見ることができたからだ。

そんな「神の視点」の〈Google Earthの眼〉を閉じて、青々と広大な夏野を歩いてゆく。夏草の匂いや熱気を全身で感じながら、汗をかきながら、人間的な体感を忘れないようにしながら。だからこそ〈夏野〉の青くささが活きている。

2013年6月16日日曜日

〔今週号の表紙〕 第321号 薔薇 矢野玲奈

今週号の表紙〕 
第321号 薔薇

矢野玲奈


H市に越してきて、そろそろ半年。H市の名物をダーリンに教えてもらいました! カレーパン、トマト、達磨、酸っぱいラーメン、ヤーコン。達磨以外は、経験ずみ。美味しくいただきました。ところが、H市の名物はこれだけではありませんでした! facebook でお友だちがH市に薔薇を見に行った。毎年行っているというではありませんか。行きたいーとお願いしたら、ダーリンが連れていってくれました。

そこは広々としたところでした。薔薇のほかにも様々な草花が綺麗に植えられていて、いつでも楽しめそう。

ランチには移動販売のラザニアを美味しくいただきました。デザートにソフトクリームも食べたかったのですが、これは長蛇の列につき断念。帰りにコンビニでアイスを買ってもらいました。


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2013年6月14日金曜日

●金曜日の川柳〔三笠しづ子〕樋口由紀子



樋口由紀子







ハッとしたように切られた花ふるえ

三笠しづ子 (みかさ・しづこ) 1882~1932

空腹のときは何を見ても食べ物に見えてしまう。恋をしているときは何を見ても恋人に見えたり、恋に関連づけてしまう。ふるえた花が恋人の前の自分の姿のように見えたのだろうか。

切られたときの花はふるえているように見えるかもしれないが、私はいままでそのように見たことがなかった。いかなる物も事も見ている人の心情によって、受け取り方も反応も異なってくる。花のふるえを「ハッとした」と見て取るしづ子の感受性の豊かさは羨ましい。

田中五呂八がしづ子の川柳を「女史の句の本質は、悪魔的な批判と、無常観的な自然詩と、余りに人間的な恋愛詩から出来上がつている」と評した。

三笠しづ子はおよそは8年間の川柳生活に数千句の作品を遺し、女心を詠んだ。〈さんらんと輝く指に爪が伸び〉〈何になれとてこねられている土か〉〈神経の走る通りな声が出る〉



2013年6月12日水曜日

●水曜日の一句〔山咲臥竜〕関悦史



関悦史








焼き切るる前の閃光曼珠沙華   山咲臥竜

姿かたちが印象的過ぎるのが却ってやりにくいのか、曼珠沙華一物の写生句というのは意外と思い当たるものが多くない。

この句は「焼き切るる前の閃光」の暗喩が強烈だが、特に精神性のようなものが負わされているわけではなく、焼き切れた瞬間に熄む火花と、忽然と群生しては姿を消す曼珠沙華の生滅とが重ねられているわけでもない。曼珠沙華の姿を言い表すためだけに引き出された言葉であり、この句は曼珠沙華の実在に体重を委ねている。

飛躍がない暗喩だが、読み下したときに「閃光」が目を引くので、その強烈なイメージと曼珠沙華とを頭の中で重ね合わせていくと、次第に漠然とした景色の一部から曼珠沙華が独立し、ズームアップし、視界が曼珠沙華で満たされていく。

意識にあるのは曼珠沙華だけとなり、放射状に流れ出る蕊がそのままプラズマのようにも思えてくる。この変容の快楽がこの句の最高部だろう。


句集『原型』(2013.4 ふらんす堂)所収。

2013年6月11日火曜日

【レコジャで一句】Bカップぐらいかしらと簾ごしに言う 山田露結

【レコードジャケットで一句】

Bカップぐらいかしらと簾ごしに言う  山田露結



Jimmy McGriff/Eletric Funk

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2013年6月10日月曜日

●月曜日の一句〔大沼正明〕相子智恵

 
相子智恵







ラッシュ車内に立ち寝しバオバブ呼んでいる  大沼正明

句集『異執』(2013.4 ふらんす堂)より。

ラッシュアワーの車内で吊革につかまりながら、あるいは手摺に寄りかかりながら〈立ち寝〉をしている人はよく見かけるし、自分も気づいたらそうなっていたことがある。〈立ち寝〉は人間にとって不自然な眠り方であって、そう眠らざるを得ない〈ラッシュ車内〉の余裕のなさは、忙しい現代の息苦しさの象徴のようにも思える。

そんな立ったまま寝ている人が、夢の中でバオバブを呼んでいる。バオバブはアフリカの広大な大地に聳える、地球上で最も大きな木だ。人間が四つ足で歩いていた昔からあったといわれ、枝が根のように見えるその姿から「アップサイドダウンツリー(上下さかさまの木)」とも呼ばれる。そんな不自然な見た目のバオバブと、〈立ち寝〉という人間の寝姿の不自然さ。両者の「立ち姿」は不思議と響きあっている。

それだけではない。ラッシュのギュウギュウ詰めの立ち寝のなかで、サバンナの乾いた大地に聳えるバオバブを思うとき、狭苦しい現実が、一気に広大な空と大地に向かって開けていく爽快感がある。それがこの句をどこか明るくしていると思うのだ。無季の句だが、乾いたサバンナのバオバブに、夏を感じたりもする。

2013年6月9日日曜日

〔今週号の表紙〕 第320号 傘 西村小市

今週号の表紙〕 
第320号 傘

西村小市


関東の私鉄・西武国分寺線の恋ヶ窪駅近くの畑に突き立てられていた傘です。

ところで、あなたは何本の傘をお持ちですか?
その中で一番高かったものはいくらでしたか?
その中で一番安いものはいくらでしたか?
これまで何本の傘を置き忘れましたか?
傘を置いていたらなくなったという経験はありますか?

私の答は、持っている傘は5本、一番高かったのは1050円、一番安かったのは105円、置き忘れた数は10本をはるかに超え、傘立てに置いていた傘がなくなっていたことが5回はあります。学校、図書館、書店などで持っていかれてしまいました。古い汚い傘だから大丈夫だろうと思ったのが間違い、古い傘を持っていくことだって多いようです。

1ヶ月ほど前にダメになった傘やたくさんあったビニール傘を処分したので5本という答になりましたが、処分する前には15本はありました。そして窓の面格子には、どなたかが引っ掛けていって下さったまだ新しいビニール傘が1本あります。

今や傘は使い捨ての消耗品といった感じです。ビニール傘でないものもあまり長持ちしそうにありませんし、買うときには、なくなってもいいようなものを選んでしまいます。スーパーで500円くらいの傘を買ってきたら、すぐに持ち手の部分が壊れたり、ワンタッチの留め金がきかなくなったりしたことがあります。「安物買いの銭失い」なのですが、しっかりとした国産の傘を捜してみると、安くても15,000円程の値段。置き忘れることを考えると躊躇してしまいます。

傘を見ると森進一の「おふくろさん」や「核の傘」なんて思い出したりしますが、「破れ傘」がキク科の多年草の名前、「傘雨忌」が久保田万太郎の忌日でともに夏の季語であることをさっき知りました。


にしむら・こいち
1950年神戸市生まれ、埼玉県在住。2007年より「ほんやらなまず句会」参加、2012年「街」入会。



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2013年6月8日土曜日

●週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句が読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集『××××』の一句」というスタイルも新しく始めました。句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただくスタイル。そののち句集全体に言及していただいてかまいません(ただし引く句数は数句に絞ってください。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

『俳コレ』の一句 〔新〕

掲載記事 ≫こちら

これまで「新撰21の一句」「超新撰21の一句」を掲載してまいりました。『俳コレ』も同様記事を掲載。一句をまず挙げていただきますが、話題はそこから100句作品全般に及んでも結構です。






時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。

同人誌・結社誌からの転載刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。自薦・他薦を問いません。

なお、ウラハイのシリーズ記事(おんつぼぶんツボ etc)の寄稿についても、気軽にご相談ください。
そのほか、どんな企画も、ご連絡いただければ幸いです。

2013年6月7日金曜日

●金曜日の川柳〔川上日車〕樋口由紀子



樋口由紀子







深みとは何水甕に水のなき

川上日車 (かわかみ・にっしゃ) 1887~1959

水甕に水は普段は入っている。ところが水のない水甕を見た。もちろん、そういうこともある。しげしげとからっぽの水甕を眺めていたら、水甕の深さというものに気づいた。水甕に水があるときには深さは考えもしなかったのに人の心とは不思議なものである。水のない水甕だからこそ際限の知れない深さを感じたのだろう。人の心理状態、心の動きが見える。

川上日車は明治39年に小島六厘坊が創刊した関西で最初の柳誌「葉柳」の同人。「葉柳」には西田当百、木村半文銭、麻生路郎など錚々たるメンバーが集まった。〈猫は踊れ杓字は跳ねろキリストよ泣け〉〈夜具を敷く事が此の世の果てに似つ〉 川柳の遊戯性を否定し、短詩型文学を目指し、多彩な作品と鋭い柳論を遺した。〈柿を知らないカール・マルクス〉〈厠にゐたら出たよ・念仏〉七七句もおもしろい。



2013年6月5日水曜日

●水曜日の一句〔佐々木敏光〕関悦史



関悦史








稜線にキスして富士の初日かな   佐々木敏光

富士山の稜線と、そこから差し、ゆっくり上がって、離れていく初日との関わりをキスに見立てている。

富士で初日の句となると、とかくその荘厳さに居住まいを正さなければならない気になりがちだが、「キス」の色香と愛嬌がおおらかで面白く、また太陽の縁のゆらめく光芒が何やら唇の潤いのようにも感じられて、見立ての突飛さがちゃんと実体に返っているのが特長。

万物相和した目出度さが、重厚な景とすっきりした軽妙な言いとめ方から立ち上がる。


句集『富士・まぼろしの鷹』(2012.7 邑書林)所収。

2013年6月3日月曜日

●月曜日の一句〔髙勢祥子〕相子智恵

 
相子智恵







性愛や束にして紫蘇ざわざわす  髙勢祥子

「右向け右」(角川『俳句』2013.6月号「新鋭俳人20句競詠」)より。

スーパーでよく見る、刺身のつま用にパック詰めされた柔らかな青紫蘇では意外と気づかないのだが、紫蘇には産毛があって、触ると痛い。

以前、吟行で長岡の朝市に行ったとき、ひと抱えもある根付きの紫蘇の束がずらーっと売られていて、それをいくつも肩に担いで買っていく人がいることに驚いた。梅干しを漬けるために大量に買うのだという。括られた紫蘇の束は紫を超えてどす黒く、まるで鬱蒼と茂った森の木々のように「ざわざわ」と肩の上で揺れていた。その紫蘇の束には、何億本ものちいさな産毛がざわざわしていただろう。担いだ肩は、きっと産毛で痛んだことだろう。

さて、上五は〈性愛や〉である。大胆な取り合わせだ。この取り合わせにハッとするのは、やはり紫蘇の「ざわざわ」とした産毛の痛さと色とが、肌感覚に響いてくるからである。それだけではなく、剥き出しで無防備な「ざわざわな心」にも響く。性愛の心身と、ざわざわの紫蘇。面白い取り合わせの句である。

2013年6月2日日曜日

〔今週号の表紙〕 第319号 プッシュピン 雪井苑生

今週号の表紙〕 
第319号 プッシュピン

雪井苑生


たまたま買ってきてテーブルの上にあったプッシュピンの箱、斜めに射し込んできた夕暮れの光を浴びて、きらきらと輝きだした。あら綺麗、キャンディみたいで美味しそう…なんて口に入れたらタイヘンだけど。光が通過するほんの数分だったけど、思いがけず宝石のような輝きを見せてくれた。

以前はプッシュピンといったらごつい「画鋲」だったけど、よりスリムで軽いこの手のピンは使いやすい。透明感のあるブルー、グリーンが爽やかで気に入ってるので使うのが楽しい。一見ガラスのようだけどもちろんプラスチック、「ポリスチレン」という材質だそうだ。どんなものかと調べてみたら「スチレンをモノマーとするポリマーである」…ってわけわかりません。

ともあれ実用的なモノにある瞬間、思いがけない美を発見するというのはなかなか面白いものだ。コーラの壜を「ボッティチェリのビーナス誕生の海の色」と評した森茉莉のようにね。




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2013年6月1日土曜日

【新刊】アンドレ・デュエム句集『オレンジの皮』

【新刊】
アンドレ・デュエム句集『オレンジの皮』

句集『オレンジの皮』:カナダ・ケベック州生の俳人アンドレ・デュエムによるフランス語の俳句集。連句や俳句等の日本詩を仏語で詠み続けている俳人。句集『オレンジの皮』は仏語・日本語併記で出版。日本語訳はフランス語圏情報ウェブマガジン『フラン・パルレ』(購入・問い合わせ等もこちらのサイトへ)が開催した翻訳コンクールの入選作品。


句集『オレンジの皮』
アンドレ・デュエム著
エディション フラン・パルレ
A5判、89ページ
価格:本体1300円+税
ISBN978-4-9906930-08