2015年7月31日金曜日

●金曜日の川柳〔いなだ豆乃助〕樋口由紀子



樋口由紀子






みずうみに飛び込む前に犬を買う

いなだ豆乃助 (いなだ・まめのすけ)

ええと思って、二度読みした。飛び込むって、単に飛び込むだけ?もっと深い意味も想像してしまった。

「みずうみに飛び込む」と「犬を買う」のつながりがわからない。具体的でよくわかるコトとコトだが、つじつまが合わない。が、そのつじつまの合わなさがこの句の魅力ともいえる。実のコトと実のコトが組み合されているのに虚の感覚がある。実と虚の重複、割れ目に落ちそうになる。自己の存在自体を道化しているように思う。作者はどうしても犬を買わなくてはならない。

〈マネキンも人体模型も下剋上〉〈前線が歪んでいるので馘になる〉 「川柳カード」9号(2015年7月刊)収録。

2015年7月30日木曜日

【俳誌拝読】『舞』第60号・創刊5週年記念号(2015年7月10日)

【俳誌拝読】
『舞』第60号・創刊5週年記念号(2015年7月10日)


発行人:山西雅子、本文160ページ。

堅くまだ緑の苺風強し  山西雅子


「舞賞」受賞作より。

鯛焼や雨の端から晴れてゆく  小川楓子


(西原天気・記)




2015年7月29日水曜日

●水曜日の一句〔矢野玲奈〕関悦史



関悦史








これといふ宝石もなく香水を  矢野玲奈


宝石であれ何であれ、いかなる値段のものでも気に入ればいつでも買える。そんなことは当たり前のことで、ことさらの気負いもなく、いつものように宝石店におもむき、たまたま気に入る品もなかったので、今日は止めておくわ、また今度などと言い、店員に深々とお辞儀されながら、あっさりと宝石に興味の矛先を変え、そちらを買う。

最近の俳句であまり見かけることのない、セレブというかバブルというか、そういうものをぬけぬけと前面に押し出した句で、悪役ぶりが面白い。

それがさほど嫌味になっていないのは、あきらかに過剰に取り澄ましてみせ、ふざけている「これといふ~」の興味なさげな演技的な語り口と、結局、宝石に比べれば一般的に安価なのであろう香水に落ちついてしまうという二点のためなのだが、香水壜というのもフェティシズムをくすぐるきらびやかな造形の小物であり、価格を離れて、見た目のきれいさだけからいえば宝石の代替物に充分なりうるものだ。

経済的価値に何ら縛られることなく、宝石と香水を値段の差などないかのように扱い、気に入ったものへと瞬時に飛び移ってしまう無邪気さを発揮する。その軽やかさの前提として、まず経済力の誇示がなされているところにこの句の滑稽味がある。

もっとも、宝石や香水をこのように物品の外観からのみとらえるのは主に男性の目であって、女性からすればどちらも「それを身に着けて、より魅惑的になった自分」のイメージをこそ買うものということになるのだろう。

そうした目で見ると、この語り手は高価な宝石から安価な香水へという転換だけではなく、身の一端をきらりと光らせる視覚的魅惑を増した自分から、匂いとして周囲に発散される嗅覚的魅惑を増した自分へと飛び移っているともいえる。その全てをアンニュイが覆う(くり返すが、その全てが演技化されているので可笑しみが出てくる)。いずれにせよ都市空間のなかで初めて成り立つ話である。

句集全体としても山川草木の類はあまり目立たないのだが、懐胎、育児の場面になると途端に《胎の子と白詰草の野に座る》《花菜風日毎に変はる嬰の顔》と草木が出現してしまう。この辺りは、吾子俳句特有の重力圏に引き込まれてしまったとの見方もできるが、句集のなかで見ると、宝石から香水に飛び移るように、都市から草木に飛び移ってしまう自在さをも作者が意識化できているようにも思え、じっさいこの二句にしても思いのほか自己愛のべたつきはない。人も都市も物品も自然も、この作者からすると等距離にあるようだ。


句集『森を離れて』(2015.7 角川書店)所収。

2015年7月28日火曜日

〔ためしがき〕 ジオラマにたいする愛と憎しみ 福田若之

〔ためしがき〕
ジオラマにたいする愛と憎しみ

福田若之


小さい頃、鉄道が好きで、鉄道模型が好きだった。家にあるのはプラレールだけだったけれど、住んでいたのがたまたま鉄道にゆかりのある街だったから、けっこう大きなジオラマの展示されている施設などがあったりして、そこで何時間も模型を動かしていたのを覚えている。

小さな山や、水辺や、トンネルがあり、 あるいは小さな街の小さな高架駅があって、プラットフォームに待っている小さな人たちは、その小さな駅前にとまっている小さなバスやタクシー、あるいは小さなガード下の小さなパン屋などを利用しながら、生活しているのだろうと夢想した。そのあいだは、僕はそこに別の世界を思い描くことができた。

らくがきちょうに色鉛筆やクレヨンを使って架空の路線図を何枚も何枚も描いたのを、いまでもよく覚えている。家にあった漢字辞典を引っぱりだして数限りない駅名を創作した。ひとつひとつの駅名まではもうほとんど思い出せないけれど、ひとつだけ例を挙げるなら、たしか、ある路線の終着駅を「東海臨」という名にしたのだった。「ひがしかいりん」と読ませる。当然のように、ひとつ前の駅は「海臨」で、その一つ前は「西海臨」だった。その路線は、海に近づいていくにつれて、さんずいや魚偏の字が入った駅名が並ぶ路線だった。そのころ、僕の海の記憶の大半は葛西臨海公園でできていたので、そこから文字が採用されている。この頃の僕にとって、「海臨」という字面は、それだけで、海に面した新興都市の情景をまるごと想像させるような何かだったのだ。

年中あたらしい駅名を構想していた僕に、母が、かつて北海道にあった幸福駅までの切符を見せてくれたのを思い出す。けれど、こうした空想の端緒はいつも鉄道模型のジオラマやカタログだったのである。

けれど、そんな夢想を打ち砕いたのも、まさしくそうしたジオラマだった。ある頃から、ジオラマがにせものであるということが、はっきりと目につくようになりはじめたのだ。

最初に生じたいらだちは、線路の組み方についてのものだった。鉄道模型のジオラマの多くは、線路を環状に組む。しかし、これは現実に反している。交通機関としての鉄道は、山手線などの例外を除けば、ふつうはこんな風になっていないのであって、上り電車は終着駅で引き返して下り電車になって戻ってくるものだ。それなのに、ジオラマでは、同じ電車がずっと一つの線路を回り続ける。

ここからさらにもう一つのいらだちが生じる。ジオラマの線路には、たいていの場合、駅が一つしかなかった。すると、非常に奇妙なのは、この鉄道は何のために走っているのか、ということだ。鉄道が輸送手段として意味をもつのは、駅と駅を結ぶからであって、ただ走っていればいいというものではない。鉄道は、ただ走るのではなく、どこかへ向かって走らなければいけない。

僕は想像力に頼ろうとした。ジオラマの向こう側にはトンネルがある。あのトンネルは、二つの穴がたまたまつながっているように見えるけれど、実はトンネルに入った列車はそのままどこか別の場所へ出て行っているのであって、トンネルから出てくる列車は、それとは別にどこか別の場所から来た列車なのだ。だから、線路はここに見えていないどこかの駅とつながっていて、やはり鉄道はどこかからどこかへ向かって走っているのだ、と想像したのだ。

しかし、この想像にはやっかいなところがあった。駅に列車の到着する間隔があまりにも狭すぎるのである。 ふつう、どんなに頻繁に列車が通る時間帯でも、数分は間隔があるものだ。それなのに、ジオラマの駅には二十秒から三十秒ぐらいの間隔で列車が来るのである。こんな時刻表はありえない。しかも、大都市であればまだしも、ジオラマはむしろすこしひなびた風情のある地方都市だったし、走っているのは新幹線だったりする。新幹線が一つのホームに二十秒から三十秒の間隔で来るなんてことは、ありえない。

新幹線、ということでさらにいうなら、車種の無頓着さも僕をいらだたせた。複線の一方を走っているのが東海道新幹線の三〇〇系であるにもかかわらず、他方を走っているのが通勤型の一○三系だったりするのだ。こんなことはありえない。そもそも、新幹線とJRの在来線では線路の幅が違う。上りと下りで線路の幅が違う路線なんてことは、ありえない。

こんなふうにして、ジオラマに深く没入しようとすればするほど、いよいよ目に留まるようになる細部が僕をいらだたせ、結果として夢想は断たれてしまうのだった。人間たちがあきらかに電車の扉を通って車内の座席につくことができそうにないことや、湖面が実際の水のように風で波立ったりしないこと、電車が電線やパンタグラフもなく走っていることなど、とにかくすべてが、そこに別の世界を夢想することを困難にした。

ジオラマの小さな世界は僕にとっては夢のようで、僕はたしかにジオラマを愛していた。しかし、その世界はけっして完璧には現実を写し取ることがないので、僕はあるときからずっとジオラマを憎んでもいたのだ。

俳句における写生、写実、描写についての僕の態度は、もしかすると、この幼少期の体験に起因しているのかもしれない。写生の言葉が僕の脳裡に生じさせる光景がいかにも現実らしくあるとき、言葉が言葉に過ぎないということがしばしば僕をいらだたせる。にせものは、ほんものに似れば似るほど、より巧妙なにせものになっていく。つまり、ますますにせものらしくなっていくのである。

そして、言葉の巧みさが不審なものに見えるのは、まさにこうしたときなのだ。句会などで「この句は巧すぎて取れない」 という評を聞くことがときどきあるが、そういう意味でなら、この評は理解できる。巧みさが、巧みさそれ自体によってまがいものらしさを露呈してしまうとき、僕らはもはや夢想しつづけることができない。 言葉には、あくまでも言葉として巧みであってほしいのだった。

言葉が光景を語るのではなく、言葉が光景であるとき。ジオラマが再現ではなく、それ自体なにかしらの物であることをあからさまにするとき。僕にとっては、それこそがかけがえのない何かであるように感じるのだった。

2015年7月27日月曜日

●月曜日の一句〔小川楓子〕相子智恵



相子智恵






たれのか知らぬ失せものを手に鬼灯市  小川楓子

「舞」創刊5周年記念号 舞賞受賞作品(2015.6.7月合併号 舞俳句会)より

不思議な味わいの句である。鬼灯市の人ごみの中で拾った、誰の物だか知らない落し物を手に、交番かどこかへ届けようとしているのだろうか。拾った作中主体の視点としては、このようなとき「落し物」という言葉がまず浮かぶのであるが、その言葉を使わず、無くした人の視点で〈失せもの〉という言葉を使っている。そこに、だれかの喪失感をそのまま受け止めたような、寄る辺ない、切ない味わいが生まれているのである。

だれかが無くした何か(誰かもわからないうえに、失せものが何であるかも明示されていないところも不思議さを誘う)を手に、まるで自分自身が失せものになってしまったかのように、頼りなく鬼灯市をさまよう。鬼灯という、昔の子どもの遊び道具でもあり、お盆の飾りにも使われる植物が、過去の人や精霊への回路として「何かを失った誰か」につながっている。この手は本当は、何も手にしていないのかもしれない、自分すらも失われたものかもしれない。この鬼灯市の風景自体が幽霊のように消えてしまいそうでもある。

2015年7月25日土曜日

【みみず・ぶっくす 32】 どのようにしてあなたは 小津夜景

【みみず・ぶっくす 32】 
どのようにしてあなたは

小津夜景







 他人の内面に触れてみたい、というのは、どう取り繕ってみても品の良い欲望ではない。自分のものではないのだから、その内面との距離は、ぼんやり眺めているくらいがちょうどよいのだ。おそらく。
 とはいえ、その他人というのがもしも好きな人であったとしたら、やはり触れてみざるをえないだろう、とも思う。
 こう思うのは、わたしが中年であることと多分に関係している。若い頃はこうした感情は湧かなかった。それが歳を重ね、なんとなくぼんやり眺めていたら突然その人がころっと死んでしまった、なんてシチュエーションに遭遇しているうちに、いつしか、触れておかなくては、と考える人になってしまったらしい。
 もっとも触れてみるといっても、なにか特別な方法がある訳ではない。その人に尋ねたいことも別段思い浮かばない。いやちがう、あるにはあるのだけれど、答えることのできるような問いではない、といった感じ。だって、いったいあなたは、どのようにして、そのような人になったのか?というのが、決まってわたしの知りたい唯一のことだから。
 ところで普段わたしは武術をやっていて、当然はじめて導いてくれた師というのがいるのだが、ある日その師が四十五の若さで死んだ。それは本当に思いがけないできごとで、師が死んで数年の間は、ほかの誰かに武術のあれこれを尋ねる気にもなれず、わたしは無言のまま練習に通った。そのころのわたしはもう一生ひとに質問をすることなどないと固く信じ込んでいた。わたしが知りたいのは、いつだって極私的な内面(世の中には私的じゃないもろもろから内面ができあがっている人も少なくない)を反映した答えだったし、またその内面とは師のそれ以外にありえなかった。
 と、こう書くと、師とわたしとの間に強い絆があったかのような雰囲気だがそんなものは皆無である。それどころか自分から師に話しかけたことさえただの一度もなかった。わたしはそのことを今でも後悔している。

 あなたは、どのようにして、そのような人になったのか?

 ある年齢を過ぎると、野が突如としてさわだつように、問いがいっせいに過去を向きはじめる。またそれと同時に答えというものに全く興味がなくなってしまう。そのとき人は、いまここに存在していることがすでに答えであり、また己から発せられる問いとは問いのふりをした詠嘆にすぎない、とうすうす勘づいている。
 問いのふりをした詠嘆。その人が生きて在ることへの感慨。死ぬまえに触れなければという焦燥。思えば、答えよりむしろいかに問うかが重要だ、とか、答えはないなぜなら問題がないから、などといった物事の条理に対する興味はとうになくなってしまった。今のわたしにあるのは、問いにも答えにも無頓着となった欲望の本性のみだ。

跋(おくがき)やいまもカモメの暮らし向き
戯れを盛るによろしき氷の器
夏帽子ぬげば未完の詩のやうで
命日のそよと涼しきリフレイン
起こし絵を畳み帰らぬ人となる
サイダーをほぐす形状記憶の手
生も死も未遂ゼリーを抉る日は
会へばその静かな脈を想ふ凪
偶像に夕映えのあるギターかな
黄の泉あふるるごとく産卵す
 

2015年7月24日金曜日

●金曜日の川柳〔高杉鬼遊〕樋口由紀子



樋口由紀子






税務署で冗談をいう出前持ち

高杉鬼遊 (たかすぎ・きゆう) 1920~2000

二十年ほど前の川柳だろう。今ではこういう場面に出くわすことはまずない。一昔前の税務署も気安く冗談が言える所ではなかったはずである。税を取られるという印象が強く、喜んでいく所ではなく、堅苦しい雰囲気が漂う。そこに第三者に聞こえるほどの声で冗談を言う出前持ちが登場した。意表をつかれ、驚くと同時にほっとさせるものがあったのだろう。たまたま見かけたことを一句にしたのだろう。

「税務署」も「出前持ち」もくっきりと意味が際立っている。一昔前は今よりもくっきりと意味の際立つ言葉がどこそこにあり、川柳にとってはありがたかった。どんな冗談を言ったのだろう。なんの出前だっただろうかと想像してみるのも楽しい。〈素うどんへ何ですかとは何ですか〉〈色を塗るだけで女が出来上がり〉 『高杉鬼遊川柳句集』(川柳塔社 2001年刊)所収。

2015年7月23日木曜日

【俳誌拝読】『星の木』第15号(2015年7月10日)

【俳誌拝読】
『星の木』第15号(2015年7月10日)


本文20ページ。同人4氏俳句作品より。

光るまで泥葱洗ふ日永かな  大木あまり

雨雲のにはかに晴るる柏餅  同

梅の寺にんげんだものと書いてある  石田郷子

欠伸して馬鈴薯植うるころである  同

朝の日のつめたく晴れて花林檎  藺草慶子

来ぬ船を待つがごとくに端居かな  同

野遊びの夕べの風が手に頬に  山西雅子

きみたちに砂の城あり氷水  同


(西原天気・記)


2015年7月21日火曜日

〔ためしがき〕 抜歯の光景 福田若之

〔ためしがき〕
抜歯の光景

福田若之


まずは、あらためてこの光景を見ることからはじめよう。


ヘラルト・ファン・ホントホルストが1627年に描いた『抜歯屋』である。17世紀のオランダでは、このような麻酔を使わない抜歯による治療が行なわれていたらしい。市場に店を出して、歯を抜く。これはちょっとした見世物のような扱いをされていたらしく、こんなふうに人だかりができている。画面左端の男は、抜歯の衝撃的な光景を食い入るように見つめている女性の籠から、鳥を掏ろうとしている。

抜歯屋の笑顔は歯を抜かれに来た客を安心させるためのものなのか、それともサディスティックな性的嗜好のあらわれなのか。

それにしても、この絵が別の光景を思い起こさせるのは、構図の類似のためだろうか。


これは、カラヴァッジョが1598年ごろに描いた『ホロフェルネスの首を斬るユディト』である。

もちろん、もともと文脈の全く異なる二つの光景であるから、細部を見れば違いはいくらでもある。たとえば、抜歯屋が中年の男で、口元に笑いを浮かべているのに対し、ユディトは若い女で、顔をしかめている。抜歯屋がしっかり客の頭を押さえ込んでいるのに比べて、ユディトは、返り血をあびないようにするためか、ホロフェルネスからかなり身を遠ざけるようにしている、などなど。

だが、二つの光景には、ひとつだけ、決定的な類似――ほとんど一致と言ってもいい――がある。そして、これらの光景は、まさしくその類似によって、僕らにとっては衝撃的であるひとつの真理を示しているように思われるのだ。

その類似とはなにか。それは、抜歯屋の客と斬首されるホロフェルネスの表情の類似である。二人は一様に、両目を見開き、眉を吊り上げ、額に皺を寄せ、口をゆがめて開いている。両者の頭髪と髭のつき方が似通っているだけに、二人の表情が純粋に表情としてどれほど同じであるかがはっきり見て取れる。

では、このことが示唆することとはなにか。おそらく、こんな風に書くことができるのだ――

人は、首を斬られるとき、せいぜい歯を抜かれるときと同じ程度にしか恐怖を表情に表わすことができない。

首を斬られることに比べれば、歯を抜かれることのほうがずっとましなはずだ(少なくとも死にはしない)。だが、それさえすでに、人間が顔に表わすことのできる恐怖の限界を超えている。斬首とは、はたしてどれほどの恐怖だろうか。その恐怖はおそらく、斬首されるものの顔からうかがい知れるものをはるかに超えている。すなわち、この恐怖は、表れることがないもの、したがって何かを読んで知るということができないものなのだ。僕らは、実際に斬首されなければ、その恐怖をついに知ることはないだろう。ただ、それが顔をはるかに超えてしまっているということだけを僕らは知っている。

見世物としての抜歯は、それ自体、斬首の代替物だったのかもしれない。人間は心のどこかに怖いもの見たさを秘めているのだろう。かつて斬首が見世物となりえたことを僕らは知っている。だが、そうそう人間の首を斬るわけにはいかないから、人々は抜歯で我慢することにしたのではないだろうか。幸いにして、見ることのできるものは、同じような他人の同じような恐怖の表情である。

2015年7月20日月曜日

●月曜日の一句〔藤井あかり〕相子智恵



相子智恵






せつせつと波打ち寄する蛍かな  藤井あかり

句集『封緘』(2015.6 文學の森)より

読者はまず、せつせつと打ち寄せる波を目にすることになる。そして下五の〈蛍かな〉の転換によって、海は一気に暗い夜の海となり、波は目にするのではなく波音となる。目の前には蛍の儚い光が現れては消える。

最後まで読んでみて、波音が聞こえるところで蛍を見ていることが読者にわかる。海からすぐに山が切り立つような、急な断崖のある海岸地形だ。すべてがなだらかに続くのではないその場所では〈せつせつ〉という、ひしひしと心に迫る海の響きはより強く、哀切をきわめる。

波を見せておいて波は闇に消え、蛍の点滅する光も、光を残して闇に消える。読者の心には残響、残像として、波と蛍の光が残る。音と光が象徴的な強さで描かれながらも、この句に静けさを感じるのは、眼前のものでありながら、それがすべて残像、残響でもあるという不思議さからだ。

無常観と言ってしまえばそれまでだが、掲句のほかにも、眼前のものは移り変わり、やがて無くなることを見通していて、その喪失、流転ごと描こうとする態度が本句集にはあり、静かで美しく淋しく、一句一句が心に残る句集であった。

2015年7月19日日曜日

●『週刊俳句』より 記事募集のお知らせ

『週刊俳句』より 記事募集のお知らせ

小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


※俳句作品を除く(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、刊行から時間の経った句集も。

句集『××××』の一句」というスタイルも新しく始めました。句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただくスタイル。そののち句集全体に言及していただいてかまいません(ただし引く句数は数句に絞ってください。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。

2015年7月18日土曜日

【みみず・ぶっくす 31】 俳句の書き方 小津夜景

【みみず・ぶっくす 31】 
俳句の書き方

小津夜景






 今日、ふと「寝」にまつわる連作をつくりたくなって、紙に、白河夜船、と書いてみた。すると、こんなのが浮かんだ。

  夜や汝ゆめのしら河いつ越えむ

 私が俳句をつくるとき最初に思いつくのは、わりとこの手の情趣が多いのだけれど、我ながらあまり俳句らしくないなあ、とおもう。むしろ和歌に近いのではないか。もしそうなら、この句を女っぽいと感じる人が多くいるということで、そういうのは、あまり嬉しくない。
 和歌は好きだ。が、少し、たおやめぶりを、消そう。

  大花火ゆめのしら河いつ越えむ

 季語を入れる。出来映えはともかく、いきなり男さびっぽくなった。男さびってことは、つまり芭蕉ってこと? そう考えるとなんだか大船にのった気分だ。気が大きくなったついでに、このさいだから和歌から完全に離れて、もっと男臭さを謳歌してみよう。こんなのはどうか?

  ノイシュヴァンシュタイン城に父の霊

 バイエルン王ルートヴィヒ二世の、雄大かつ狂人じみた住まい。そこに八田木枯「外套のままの仮寝に父の霊」の本句取りを重ね、そこはかとない「大文字の父」の質感へと転じてみた。が、古城&幽霊ということで納涼感はあるものの、連作としての展開が見えない。なにより、寝にまつわる、という趣向を離れていきそうな気配が濃厚である。

  さぶまりん色のばななの寝袋か

 今度は少しライト・ヴァースな方角を目指す。ライトすぎると散漫になるので、語尾の「か」で存在論っぽい質量を加えてみた。
 うん。この句、私は好きだな。ただし、これ一句で存在するのであれば、という限定つきで。たぶんこの系統の句が十個並んだら、変に気負った自意識が出るとおもう。ばかばかしさって、根がシャイな感じでないとキマらない。
 と、あれこれ思案しつつ、いろんな方向を試したものの、結局どのように書いたらよいものか、なんとなく決まらずじまいだった。こまったなあ。明日から旅行なのに。
 今週のみみず・ぶっくす、どうしよう。
 しょうがない。とりあえず昼寝しよう。眠っている間にいいアイデア思いつくかもしれないし。思いつかなくてもそこで見た夢を写生すればいい。うん、そうよね、と呟いてわたしは布団を敷き、雨戸を閉め、いそいそと横になる。ううねむ。みんな、どうやって俳句を書いているのかなあ。いつか人と会うことがあったら尋ねてみよう。おやすみなさい。

夕顔のしぼみて夢路入りがた
書を抱きはんなり舟を漕ぐあそび
睡郷に逢うていつものソーダ水
思ひ寝を弔ふバニラアイスかな
雲の峰コントラバスを寝転ばす
かさぶたのつばさは天に睡る蓮
ほととぎす千夜一夜を姦しく
夜来香(イェライシャン)ねたばこの火を授けあふ
夢殿やくらげの脚をくしけづる

空夢に夜あけと共に水を撒く

2015年7月17日金曜日

●金曜日の川柳〔松原典子〕樋口由紀子



樋口由紀子






馬鹿正直に目に目薬をさしている

松原典子 (まつばら・みちこ)

のっけから「馬鹿正直」である。そして、「目に目薬」。「目に目薬」はあたりまえである。しかし、「目薬をさしている」と比べて、妙なおかしさを持っている。

目に容器の先があたらないように、目にちゃんと目薬が入るように、目薬をさすのは思うより簡単ではない。意識を集中させて、ときには口を開けながら、その姿はあまりかっこいいものではない。薬なのだから、必要があってさしているので、むやみさしているのではないのだが、ふと「馬鹿正直」という身も蓋もない言葉が浮かんできたのだろう。そして、今の自分にこれ以上ふさわしい言葉はないと思ったのかもしれない。「私」のまぎれもない実感である。言われたとおりに疑いもなく実行する。人間って、いいものである。

〈枕頭のバラ一輪の浄土かな〉〈あるときはときめく袋持たされる〉〈一本のさくら担いで行く家族〉 『ねこだまし』(2010年刊)所収。

2015年7月16日木曜日

【俳誌拝読】『なんぢや』第29号

【俳誌拝読】
『なんぢや』第29号(2015年夏・七周年号)


本文28ページ。発行人:榎本享。

以下、同人諸氏俳句作品より1句ずつ。

湧く水に日の斑がをどる春がくる  榎本享

余花の雨蛇の目閉ぢては開いては  遠藤千鶴羽

潮まねき夕日の方へ動きけり  川嶋一美

スナックの昼のギターとシクラメン  太田うさぎ

馬刀貝の虚や波に裏返り  林和輝

花屑になるまで愛でてありがたう  土岐光一

水道の水に影ありヒヤシンス  中村瑞枝

飛石に子雀地(つち)に石の影  高畑桂

雨やんで徳川方の地虫出づ  井関雅吉

残雪を啄んでゐる孔雀かな  えのもとゆみ

半裂の尾が見え春の寒きこと  鈴木不意


(西原天気・記)




2015年7月15日水曜日

●水曜日の一句〔冬野虹〕関悦史



関悦史








三乙女牛のゆくへをたづねけり  冬野虹


「牛のゆくへをたづね」るとなると、まず思い出されるのは十牛図である。

十牛図とは禅における悟りの道すじを比喩的に描きあらわしたもので、牛飼いの童子が牛に逃げられ、捜し歩くところから始まる連続した十枚の絵である。酪農家やカウボーイならいざ知らず、牛を捜すという状況は、ほかになかなかあるものではない。

「三乙女」の方も何か踏まえているものがあるのかもしれないが、さしあたり思いつくのはフランシス・ジャム『三人の乙女たち』くらいで、これは筆者は未見。もっとも強いて典拠を求めなくても、三人の「乙女」という材料は、それだけで充分にフィクショナルではある。

つまり「三乙女」も「牛のゆくへをたづね」るということも、どちらも虚構性、様式性の強い主題なのだが、この句の場合、その組み合わせ方に妙味があるのだ。

「三」は三脚が放置されても立っているごとく、ものごとの完成を表す数。「乙女」たちはそれだけで自足しており、探求の旅に出る動機は稀薄であろう。事態が動いている最中とは思えない静的な「けり」が句末に来ているところからも、さほど熾烈な探求心に裏付けられた行動とは思いがたい。

この神話的・泰西名画的な「三乙女」が「牛」を欲するという動きには、わざわざ処女性が明示されているがゆえに却って、かすかに不穏な要素も連想させるところがある。例えばギリシア神話では、ミノス王の妻パシパエは白い雄牛に恋し、牛頭人身のミノタウロスを産んでしまうのだ。そうした性的な連想への奔逸をも、悟りへの熾烈な探求ともども未然に、柔らかく防いでいるのが完成と安定の「三」なのである。

ギリシア神話と禅に同時につながってしまう駘蕩たる世界を平然と作りあげているあたりは、さながら西脇順三郎のようだが、西脇と共通しているのはそうした表面的なことよりも、「三乙女」の停止性と牛探求の進行性という相反する動きが、日常の再現性とは離れた次元で詩的肉感とでもいうべきものを保ちつつ、「永遠」と「さびしさ」に通じていることだろう。「三乙女」のおっとりとした牛探索行には、もちろん諧謔の要素もある。


四ッ谷龍編『冬野虹作品集成 第1巻 雪予報』(2015.4 書肆山田)所収。

2015年7月14日火曜日

〔ためしがき〕 「高校生らしい俳句」 福田若之

〔ためしがき〕
「高校生らしい俳句」

福田若之


「高校生らしい俳句」、と人は言う。分かるようで分からない言葉だ。たとえば、「高校生らしい遊び」とか「高校生らしい制服の着こなし」とかいうのであれば、納得はできないにしても、まあ何を言いたいのか理解できないこともない。けれど、「高校生らしい俳句」となると、それはいったいどんなものなのか。俳句が「高校生らしい」ということが良いことかどうかという問題を考える前に、それはそもそもどういうことなのかを考えなければいけないだろう。

「高校生らしい俳句」という言葉は、第一に、「過去の高校生の俳句の数々を思わせる俳句」という意味に解釈できる。だが、「高校生らしい俳句」という言葉をこのように解釈するとして、それらの過去の高校生の俳句のイメージは、いったいいつ、どこで、どんなふうに確立されたものなのだろうか。

おそらく、それを確立したのは、たとえば俳句甲子園という場であり、数々の高校生のための俳句賞であっただろう。そうでなければ、誰が、どうやって、イメージを確立するのに充分な数の高校生の俳句に触れることができただろうか。だから、この見方からすれば、「高校生らしい俳句」というのは過去の高校生の俳句が読み手に与えた印象を再生産した俳句にほかならない。いま俳句甲子園において「高校生らしい俳句」と呼ばれているものは、実際には、たとえば神野紗希のかつての句風に似ているというだけのものかもしれないのだ。それが「高校生らしい俳句」と呼ばれるとすれば、それは決して自然なことではなく、歴史的なことに過ぎない。

この視点から状況を捉え直してみれば、たとえば俳句甲子園という場において「高校生らしい俳句」が評価され奨励されることは、俳句甲子園がみずからの手で歴史的に作り出した価値に固執する制度的な場として機能していることを意味する。だが、このことは、すなわち、新しい価値を作り出す力がこの俳句甲子園という場から損われつつあるということだ。歴史的に作られた価値を単純に持ち上げて良しとしてしまうなら、過去は未来を作り出す力を失ってしまう。

未来というのは別に俳句の未来のことではない。いま僕が問題にしているのは、あくまでも俳句甲子園の未来のことだ。俳句甲子園はあくまでも国語教育の一環にすぎないのだとすれば、なるほど参加している高校生にただちに俳句界の未来を背負わせようとするのはあまりに性急なことだろう。しかし、その場合でも、俳句甲子園は、それが文化的に意義のある催しでありつづけるために、新しい価値を生み出す力をつねに必要としているのではないだろうか。ここで未来というのは、そうした未来のことだ。

そして、ここでの問題は、俳句甲子園の過去を守ろうとすることが俳句甲子園の未来を危険にさらすということだ。「高校生らしい俳句」という紋切り型は、この危機的な状況を推し進める強い力を持っている。逆に言えば、俳句全体の未来にとってはたいした脅威ではないだろう。だから、この紋切り型をどうにかしないといけないと人が思うとすれば、それは俳句のためにではなく、俳句甲子園のためにであるはずだ。

だが、このとき、この紋切り型が当の高校生たちをどれほど抑圧するかを指摘するだけでは充分ではない。それだけでは、「高校生らしい俳句」という紋切り型が保持しようする俳句甲子園のありかたを変えていくことはできないだろう。その場合、仮にこの言葉を抑え込むことができたとしても、別のより巧妙な紋切り型が高校生たちを同じように抑圧しつづけることになる。たとえば、今度は「健康的な俳句」という紋切り型が「高校生らしい俳句」という紋切り型に代わって抑圧的に働くかもしれない。それは、全然健康的ではない。

だから、ただ言葉が良くないという指摘をするのではなく、「高校生らしい俳句」という言葉をこれまでの俳句甲子園をはるかに越え出るような仕方で再定義することを通じて、場のありかたそのものに揺さぶりをかける必要がある。

そこで、ここではあえて「高校生らしい俳句」という言葉がもつ肯定的な可能性をこの言葉それ自体から引き出してみようと思う。「高校生らしい俳句」という言葉を俳句甲子園のこれまでの歴史を越え出るかたちで再定義することを通じて、従来の判断基準を揺るがさなければ、俳句甲子園はこの紋切り型が顕在化している問題を発展的に解消することができない。だから、そのようにして改めて「高校生らしい俳句」という言葉としっかり向き合ってみることにしよう。そのとき、この言葉はどのように読みうるだろうか。

まず第一に、ある俳句が「高校生らしい」というのは、その句が〈高校生〉なるもののイメージを読み手に提示するということだと考えられる。では、そのとき、俳句の何が〈高校生〉を髣髴とさせるのだろうか。おそらく、句の語り手が〈高校生〉を髣髴とさせるということだ。

しかし、それだけでは「高校生らしい」とはいえない。俳句が「高校生らしい」ためには、第二に、その句の語り手が高校生だということがはっきり分かるということが必要になる。「高校生らしい俳句」という表現は、語り手が高校生であることがはっきりしている俳句についてしか用いることができない。「らしい」という言葉が示唆しているのは、あるものが別のものに似ているということではなく、あるものがそれとしてあるということだ。「らしい」とは、類似性ではなく同一性なのである。高校生ではないかもしれない語り手の俳句が〈高校生〉を想像させるとき、その俳句は「高校生らしい俳句」ではなく、「高校生っぽい俳句」、「高校生のような俳句」あるいは「高校生みたいな俳句」などといった言葉で呼ばれるに違いない。

整理すると、「高校生らしい俳句」というのは、一句の語り手が高校生であることを言葉で示唆しながら、しかも同時に、これこそ〈高校生〉の語りだと確信させるような文体で書かれた俳句だということになる。

これは、俳句という形式においてはほとんど超絶技巧といっていい。俳句らしい俳句のほうがずっと簡単だと思う。おそらく、「ふつう」の高校生(今日、「ふつう」の高校生はそもそも俳句なんて興味もないのではないだろうか)が俳句を書いても、そんな簡単には「高校生らしい俳句」にならないだろう。 「高校生らしい」というだけでも、「俳句」だというだけでも、「高校生らしい俳句」にはならないからだ。「高校生らしい俳句」であるためには、それらの要素を両立していなければいけない。「ふつう」の高校生には、もとい、「ふつう」の書き手には、「高校生らしい」ことと「俳句」であることを両立できないと思う。

なるほど、俳句甲子園という場ではその両立がいくらか簡単であるかのように考えられてしまうかもしれない。というのも、ここに出される句については、多くの人が、まるで句に「語り手は高校生である」と小さく書き添えてあるかのように読むからだ。句の語り手はしばしば作者とまったく同一であるように扱われる。また、参加資格からして、作者が現に高等学校ないしはそれに相当する教育機関の学生であることをみんなが承知している。だから、あたかもこの場に限っては俳句が「高校生らしい俳句」であるために語り手が高校生であることが句の中で提示されていなくてもかまわないとでもいうかのように、俳句は読まれる。

だとすると、あとは、俳句の形式を崩し過ぎないようにしつつ、同時に作者が現にそう見られているところのイメージを崩さないようにすればいいということになる。ないものを髣髴とさせるのではなく、あるものを崩さないようにすればいいだけだ。幸いなことに、現に高校生である作者のまわりにはそうした「高校生らしさ」の記号が溢れているはずだから、それらの記号を採集して句に盛り込む技術を磨けば、きっと「高校生らしい俳句」を提示することができる。

しかし、この場合、こうした「高校生らしさ」を奨励する価値観それ自体が実際には俳句甲子園という場にひどく依存しているということを忘れてはいけない。これでは、結局、いま現にそう呼ばれているところの「高校生らしい俳句」と同じになってしまう。そのような「高校生らしい俳句」は場のあり方を覆す力を持たない。結局、それは作者がその場において高校生らしい高校生としてうまく振舞っているということにすぎないのではないだろうか。それを一句がそれ自体において「高校生らしい」ということと混同してはいけない。俳句甲子園が新しいものでありつづけるためにこれから全体として乗り越えていかなければならないのは、こうした混同なのではないだろうか。

高校生らしい俳句は、まぎれもなく高校生であるような語り手を、言葉だけでありありと想像させるだろう。そして、語り手が高校生にほかならないことを明示しながら語られるそれらの俳句は、しばしば、読者が知らなかった高校生のありようを伝えることになるだろう。そのとき読者は「高校生というのはたしかにこういうものだ」と言うのではなく、「なるほどこれが高校生か」と言うことになるだろう。

そんなことができたとしたら、それは、たしかにすごい。あえて俳句史を眺めるなら、寺山修司の〈十五歳抱かれて花粉吹き散らす〉などはその一例とみなしてもほぼ問題なさそうだけれど(でも十五歳だと中学生かもしれない)、俳句甲子園でそんな句が出たことは、まだ一度もないのではないだろうか。

それでも、そういう句こそが高校生らしい俳句という言葉であえて呼ぶに値するものなのだと、いま、あえてそう主張しなければいけないのではないだろうか。

ただし、勘違いしてはいけない。そういう句が良い句であるのは、高校生らしいということがそれ自体として価値を持っているからではない。ここで言う高校生らしい俳句は、〈高校生らしさ〉なるものをほんの短い言葉だけで的確に書き留めることに成功しているに違いない。このとき、価値は〈高校生らしさ〉にあるのではなく、書くことの成功にある。
 
おそらく、そんな句を作ってしまう作者はあまり高校生らしい高校生ではないだろう。もちろん、それは別に悪いことではない。

2015年7月13日月曜日

●月曜日の一句〔中嶋陽子〕相子智恵



相子智恵






身ごもりしほてり香水避けてより  中嶋陽子

句集『一本道』(2015.6 ふらんす堂)より

妊娠して急激に変わる体調は、自分が生物であることをありありと感じさせる。生物のDNAが持つ一番の役割は次世代に種を残すことで、自分はいまヒトとして、有無を言わさずそれに向かわされているのだと、妙に感心させられるほどの変化である。本人以外でわかることはお腹が大きくなっていくことぐらいだが、本人が感じる体の内部の変化は凄まじい。

掲句、つわりの頃だろう。匂いというものがこれほど体調に影響するということも、身ごもって初めて気づく。きつい香水の匂いを避けて通った瞬間、身の内の生命を守るために高くなった体温を、ほてりで自覚する。倒置の表現が印象的だ。

母となる喜びのような心情を吐露した、ほんわか明るい「吾子俳句」ではなく、掲句は生物としてのリアルを、五感を使ってうまく瞬間的に捉えた。

2015年7月11日土曜日

【みみず・ぶっくす 30】 思い出すこと 小津夜景

【みみず・ぶっくす 30】 
思い出すこと

小津夜景




 庭を眺めていると、たえまない樹のざわめきや、かがよう陽の薄い膜に、わたしの体のどこかに刻まれているらしい声や形、あるいは言葉といった記憶のかけらが反応し、一息に蘇ることがある。
 それは決して幸福なひとときではない。むしろ録音された肉声や、印刷された手記などと偶然出くわしたときに感じるあの、死体を見つめている感覚、に似ている。
 もしも或る思い出が蘇りうるならば、それはその思い出がすでに埋葬済みということだ(受肉とは消失である)。そのことに思い至るたびわたしは、蜜蜂のように経験の花粉をあつめて蜜をつくる営みを中断し、記憶と欲望とのいりまじったこの芳香の庭を飛び出して、あなたの、あるいはわたしの、ほんものの声に浸りたい、とおもう。
 聴き返す声。眺め返す形。読み返す言葉。こうした〈かつて、そこに、あった〉ものは生きられた時間の痣としてふいに現れる。永久に運び去られたはずが、元の場所に居座っている。時の気配を、埃のようにかぶって。
 さあ。海へ行こう。そして命あるべき一切をどんなことがあっても思い出さないでいよう。思い出せば、もしかして死んでしまったのではないか、と怯えなければならないから。それゆえわたしはあなたを思い出すこともない。陽炎に包囲された、暑い夏のただ中でも。

オリーブの花に没せり喉仏
羅のフランチェスカの素描かな
するすると序文をものす百日紅
晩年をまさぐるやうに枇杷を剝く
はんかちに唾吐く午後の遺稿集
古びたるフィルムに白き道しるべ
あかんべの舌で海星を創られし
毒薬の壜のきつねのてぶくろよ
明恵上人ひらくさびたの花扉
昼寝せり手は流木をよそほひて
 

2015年7月10日金曜日

●金曜日の川柳〔西森青雨〕樋口由紀子



樋口由紀子






かうやって寝てる頭の方が故郷

西森青雨 (にしもり・せいう) 1912~1971

心から言葉がストレートに発せられている。故郷はどこかと誰かに聞かれたのだろうか。その答えは故郷に対する思いを申し分なく表している。いつどこでどんなときでも故郷に足を向けて寝ることはない。故郷には両親がいて、先祖が眠り、私を育ててくれた山河がある。故郷から受けた愛と恩を常に忘れないでいる。「頭の方が故郷」に故郷を離れて生活している人の思いがにじみ出ていて、自己の存在を示している。

青雨には「老いたる酒徒」という連作があり、病弱であったが、酒と共に生きてきた人であったらしい。〈売る箒空撫でゆき旅の酒徒〉〈酒徒の白髪何を失くせし来し方ぞ〉〈胸の一つ言の端のこり酒徒ねむる〉〈酒徒酔うて嗅ぎ寄る犬を知らず歩く〉〈酒徒つぶやくほとけさまやどかしたまえ〉 どの酒徒にも哀感が漂う。遺句集『旅の酒徒』(1977年刊)

2015年7月8日水曜日

●水曜日の一句〔中町とおと〕関悦史



関悦史








くちびるを読みあふ遊び小鳥来る  中町とおと


この句、職業的な必要から必死に読唇術を試みているというわけではない。「遊び」である。

女子同士の遊びがイメージされるが、そうでなかったとしても、向きあって、互いの唇の動きと肉感を見つめ合うさまは、何ともわかりやすいまでにエロティックだ。

この遊びの肝は、もちろん声を出してはならないところである。音声無しで互いに何を言っているのかを当てなければならない。

その抑圧された音声を代行するかのように小鳥が来る。

しかしその小鳥の鳴き声もヒトの言語とは違い、明確な指示対象や意味内容といったものはおそらく持っていない。

持っていないからこそ、われわれはそこに害意のない、純然たる自然の語らいを見出して心慰められもするのである。つまりここでの小鳥は、「くちびるを読みあふ遊び」のなかで互いに隠し合っている意味を伝えるために来ているわけではなく、この遊びに耽る両者が、実際の発声を止めることによって、却って、害意なき純然たる自然の語らいに近い営みに接近していることを物語っているのだ。

無論、この遊びは何を言っているのかの当て合いに主眼があり、互いの発語の内容はすぐにわかってしまうことになる。つまり動物的な無邪気さに接近しているとはいっても、遊んでいる両者は動物になりきるわけではない。じゃれあうようにして動物とヒトとを自在に行き来しているのだ。この句のエロティックさはそこから来る。

ちなみに作者は女性である。


句集『さみしき獣』(2015.4 マルコボ.コム)所収。

2015年7月7日火曜日

〔ためしがき〕 ワナビ 福田若之

〔ためしがき〕
ワナビ

福田若之


語を発したもの自身を指す場合にも、また、そうでない場合にも、おおむね嘲笑的に用いられるこの語について(この紋切り型について)、ずっと、ひそかに、いつか書きたいと思っていた。「ワナビ」というこの語は、もともと、"I wanna be ..."の"wanna be"のところを抜き出した言葉で、辞書で調べると、れっきとしたアメリカの口語(wannabeないしはwannabeeないしはwanabeと綴る)であることが分かる。ただし、日本語のスラングとしては、この語の意味は、原語とはずれがある、ないしは、より限定されている。カタカナ語としての「ワナビ」の意味するところは、明示的には「作家になりたい者」であり、したがって「作家ではない者」であり、暗示的には「作家になどなれるはずもない者」なのである。

したがって、このとき、「ワナビ」という語は"I wanna be a writer."から"wanna be"だけを抜き出したものだと考えることができるだろう。しかし、そうすることによって、「ワナビ」という語は"I"と"a writer"を消し去り、不在にしてしまっている。「ワナビ」という語には、したがって、自我も作家もない。ただ、在りたいという欲求、生きたいという欲求だけが、そこには残される。

それだからだろうか。「ワナビ」という語はしばしば、ただ「作家になりたい者」というばかりではなく、「職業作家になりたい者」、さらに、より限定した意味合いでは「専業作家になりたい者」を指す。専業作家とは、ここでは、作家であることによって生計を立てている人間、つまり、(経済的な意味において)書くことで生きている人間のことだ。そして、ここに何かしらの力が働いているのが見てとれる。人を自我でも作家でもない「ワナビ」の空隙に嵌め込んでしまう何かしらの力が、ここでこそ働いているのだ。この力は、書きつつ生き、生きつつ書く多様なあり方のなかで、書くことで生活するというあり方にしか価値や生産性がないかのように見せかける。だが、人はこの力に抗わなければならない。

そして、この抵抗のなかで、人は"I wanna be a writer."と――ただし、いかなる省略もせず、また、いかなる引用符も抜きで――書かなければならないはずだ。そうでなければ、"I"を"a writer"に結びつける、この、恣意的で脆弱な結びつきは、すぐさま断たれてしまうだろう。"be"は両者をつなぎとめる鎖の環のほんの一部にすぎないことを忘れてはいけないだろう。それを忘れてしまえば、「ワナビ」という語が、それ自身の全長によって、"I"と"a writer"のあいだに刻印された、短いとはいえ決定的な距離を表わしてしまうことになるだろう。

そしてそれゆえ、「ワナビ」と自称しないことと同時に、"I wanna be a writer."を引用符抜きで書くことが必要になる。では、そう書くためには何が必要だろうか。

そのとき必要になるのは、作家としての身分証を自ら発行してしまうことではないだろうか。実際、人はこの身分証のほとんど偽造に近しい作業を通じて、ある程度は(少なくとも、その身分証の)作家になるだろう。逆に言えば、引用符抜きに"I wanna be a writer."と書くならば、つまり、それを自分自身の言葉として書くならば、その人はそのときすでにその作家なのではないだろうか。そして、"I wanna be a writer."という言葉は、ほかでもない作家が書くとき、作家に限りなく近いがそれゆえに作家ではない"I"として自分のことを語ろうとするその虚構的で創造的なふるまいによって、その人が作家であることのなによりの証明となるのではないだろうか。だから、あえて、危険を承知で、次のように書いてみよう。"I wanna be a writer."――多くの人は、これを「私は作家になりたい」と訳したところで、もう充分だと感じるのか、早々にこの文を離れていく。しかしながら、そのとき、僕は書く人でありたい。

2015年7月6日月曜日

●月曜日の一句〔小林すみれ〕相子智恵



相子智恵






紫陽花や乗り継いでゆく父の家  小林すみれ

句集『星のなまへ』(2015.7 ふらんす堂)より

一読、何でもない句であるが、すぅっと染み込むような感慨がある。

実家でも父母の家でもなく〈父の家〉であるから、独居の父であるのだろう。一人暮らしの父の家へこれから様子を見に行くのである。〈乗り継いでゆく〉という行動と、その間に見られる身近な紫陽花からは、飛行機や新幹線で行くほどの距離を感じない。私鉄やJR、バスなどを数度乗り換えて行ける程度の中距離の、その乗り継ぎに見た植栽の紫陽花を思う。停車しかけた車窓から、あるいは駅前のバスロータリーで。

つまり同居を考えるほど会えない距離ではないが、頻繁に通えるほどでもない。その宙ぶらりんな、うっすらと寂しい距離感が〈乗り継いでゆく〉という言葉と紫陽花とに表れているのである。父は一人で不器用ながらも淡々と暮らしている。

紫陽花という花。静かな藍色でありながら、多数の小花が毬のように群がって咲く、この静けさとも賑やかさともつかない花。そして紫陽花であることで連想されてくる梅雨時のはっきりしない空模様。この親子の邂逅の、心の中にある静かな喜びと微妙な寂しさ。そんな心中を紫陽花は、ぼうっと照らし出している。

2015年7月4日土曜日

【みみず・ぶっくす 29】 書かない人生 小津夜景

【みみず・ぶっくす 29】 
書かない人生

小津夜景








【みみず・ぶっくす29】
書かない人生     小津夜景

 まずなにも言葉を書かない時間というのが長い間あった。書くことがなかったし、書きたいとも思わなかった。なにも読まない時間はさらに長かった。わたしの生活は言葉よりむしろ海に近く、毎日乾燥しきった石畳を下っては、砂浜に出した二、三のテーブルに竹の日覆いをかけただけの喫茶店に入り、日がな海を眺めていた。
 なにも読まない時間が十数年を過ぎた頃、たまたま短い詩に出会った。そして思わず読んでしまった。その詩はあまりに短すぎたのだ。わたしは困惑し、書きたくないと苦しみつつその感想を書いた。なぜ苦しんでまで書いたのか、といえば、言葉から遠のいていた時間があまりに長すぎたせいで、作品とは作者に黙って読んでも失礼にあたらない、ということを完全に忘れていたからだった。
 だがこのことがきっかけとなって、わたしは言葉と関わることを思い出した。
 最近わたしの書いた言葉を読んで感想をくれた人がいる。わたしがお礼を言うとその人は「でも僕の感想は、あなたの言葉に敗れ去るといいなって思っているんです。」
と言った。
 私の書いた言葉とその人の感想は、競いあうためのものではない。その人もそれをわかった上で敗れたいと言っているらしい。わたしは尋ねる。
「つまりあなたにとって感想というのは恋のようなものですか。相手を征服したい気持ちと、相手に指一本すら届かない気持ちとの両方を味わいたい、という。」
「そうです。感想は権力ですから。僕はそれを自覚していかなければならないと思っています。もう十年以上。」
「……」
「だから僕、日々、だいそれたことをしているなあって。できたら次の人生は、感想をいっこも書かない人生にしたい。」
 なにも書きたくないというのはこれっぽっちも複雑な感情ではない。それは触れることで対象を壊したくない、ということだ。また書きたいという感情も至って単純で、それは敗れ去ることで対象への想いを昇華したいということだろう。相手に与えた疵と自らの負った疵とを相互貫入的、かつ想像的な親密性として抱きつづけること。それが書く欲望の始まりであり、わたしはそのメランコリーを嫌ったからこそ書くことも読むことも止めたのだった(なぜなら読む時、人はすでに書いている)。では現在書いている理由は? それは書くことが決して疵をめぐる作業ではなく単なる無意味な運動であること、つまり書くとは〈とりあえず〉書くことであり、書かないことと大差ないと思うことにしたから。いつか、たまさか、触れてしまうために。

感想をいっこも書かない人生 / 柳本々々  


仙人掌やそろりと月の丘に立ち
ボサノヴァの夜を編んだる籐枕
洗ひ髪しぼる手前のもの忘れ
健忘と明るい部屋の金魚かな
黄ばみたることば遊ばす黴の棚
風鈴を聞きこぼしたる作者の死
ぼうたん溺る鍵穴のまばゆさに
夕立や文庫の匂ひたちこめる
便箋にしばらく旅の夕映えが
耳栓をはづして虹の桟橋へ