2009年4月30日木曜日

〔俳誌拝読〕「や」第50号

〔俳誌拝読〕
 
第50号/記念号・2009春(2009年3月31日発行)58頁



戸松九里氏が発行人を務める季刊誌。

巻頭からひとり1ページ10句ずつの同人作品が掲載されている。上段が俳句、下段が短文という構成で、おひとりおひとりの個性がよく見えるつくりになっている。

  賽銭の光となりぬ初御空  戸松九里

  ゆりかもめ水心とはくすぐつたい  関根誠子

  日の昏るるまでに間のある初戎  菊田一平

  手袋に手袋重ねおく昼餉  麻里伊

  寒波乗せエスカレーターのすれちがふ  三輪初子

  湯たんぽたんぽしっぽの散歩ぽっかぽかぽ  吉野さくら

  行く人は蕎麦屋の湯気のようなもの  中村十朗

  嘘つくとおしやべりになる冬の星  遠藤きよみ

 

続いて、同人外部の執筆者による「『や』49号を読む」が見開き2ページ。本号は坪内稔典氏の選による句評が並ぶ。

そのあとに吟行や各地の句会、特別作品の記事。多くの俳句とともに写真がふんだんに使われていて、見やすい誌面になっている。50号記念企画として、各同人が過去の号から面白い俳句を拾って講評した「なんじゃこりゃ俳句」には、同人の間にある和やかな絆がうかがわれる。

「おそれおおくも やが選ぶ高浜虚子」では、それぞれに虚子の1句を選んでの1句講評。「音を詠む」では、「音」をテーマに詠まれた7人の句が5句ずつが掲載されている。「九里の旅俳」は、戸松九里氏による俳句から少し離れた旅のエッセイで、文末に添えられた戸松氏の1句で俳句と繋がる粋な構成。この号ではセザンヌのアトリエが紹介されている。

 

全体に、それぞれのコーナーに同人が広く参加しておられる印象を受けた。本誌の背景にある和気藹々とした句座の雰囲気が伝わってくる。

(村田 篠)

2009年4月29日水曜日

〔俳誌拝読〕「雲」2009年4月号

〔俳誌拝読〕
 
2009年4月号(通巻第28号)54頁



鳥居三朗氏主催の結社誌。「魚座」の流れを汲む。

  親指と人差指と蓬餅  鳥居三朗

  吹かれくるかけらが蝶の風になる  鴇田智哉

  とりあへず逃水追うてみることに  宮崎夕美

  クレソンの根元を通りすぎる水  飯田 晴

  夕映えの山あり残る雪のあり  糸井俊香

 

鴇田智哉「雲をつかむ話」がこの4月号から始まった連載。同人を迎えての対話録となるのだろう。第1回は宮崎夕美氏がゲスト。末尾に「本八幡のコーヒー店にて」とある。「雨ですね」で始まる分量3頁の記事は、フランクで親密なおしゃべり、といったおもむき。  

主宰・鳥居三朗氏「俳句入門」の本号「その十六」は「『て』を用いる」。例句が多く実践的。

ほか、一句観賞、句会録など、結社誌のルーティン記事がていねいに編まれている。

(さいばら天気)

2009年4月28日火曜日

〔俳誌拝読〕「ににん」第34号

〔俳誌拝読〕
ににん 
第34号/2009年春号(2009年4月1日発行)64頁



岩淵喜代子氏が代表を務める「ににん」の季刊誌。

巻頭近くの「物語を詠む」は、古今東西の名作小説をテーマに同人諸氏が24句を詠む(+八木忠栄氏の外部寄稿一篇)。句作の幅を限定されそうだが、そうでもなく、原典とは緩い関係を保ちながら自由に、というところだろう。全体にのびのびした句がめだつ。

  春浅し両手に鞄さげて会ふ 上田禎子(藤沢周平『早春』を詠む)

続いて、おひとり5句ずつの「ににん集」はテーマ詠。「黒」をテーマに各氏各様のアプローチ。

俳句を詠むのに、何かの仕掛け・工夫を、といった意図が見える。それは目的ではなく、そこをテコの支点、あるいは起爆剤のようにして、句作の広がりを狙うものなのだろう。

 

ページ数が半分を過ぎると、句評・論評・エッセイが並ぶ。岩淵喜代子氏「石鼎評伝『花影娑婆と』はこの号ですでに35回、また長嶺千晶氏「預言者草田男」は12回を数える。


「ににん」のホームページは≫こちら

(さいばら天気)

2009年4月27日月曜日

〔俳誌拝読〕「狼」第30号

〔俳誌拝読〕
 RO 
第30号(2009年2月1日発行)74頁



発行所は石川県能美郡。同人10氏は、石川、福井、富山、滋賀、京都等の府県在住。

第30号は記念号。同人作品、ひとり4頁50句以上ずつが掲載されている。

  眼裏で転がっている松ボックリ  阿木よう子

  少年の器はキャベツくすぐったい  油本麻容子

  梅林や静かな死などありませぬ  岩田青崖(物故)

  ドロップ缶冬の電車の音がする  大沢輝一

  金環食そして青年団滅ぶ  岡村知昭

  カステラやこの世の外に届きけり  鯉口 賢

  桑の実の摘みごろでした弟は病み  小池弘子

  古時計ぼろんと海が剥落す  佐孝石画

  石になる海鼠ころんと石になる 舘百合子

  蛇の衣遊覧船は出たばかり  関戸美智子

  月やさし鉛筆の芯くらい  中内亮玄

全体として「反・伝統的」な句、いわゆるチャレンジングな句、さらに思い切っていえば「前衛」の系譜にある句が多いが、ソレ系で統一された同人でもないようで、比較的伝統的な句も少なくない(おもに女流陣)。

同人作品全体にキマジメさを感じた。良い意味でも悪い意味でも俳句がマジメという意味(これは、現代川柳を読んだときの感想に近い。個人的なもので、あまり意味はない)。

なお、個人的趣向でいえば、中内亮玄氏のライトヴァース的な味わいの数句、岡村知昭氏の一種政治的なモチーフを果敢に「俗」化するようなアプローチを、興味深く読ませていただいた。

  新品のテナーサックスの形でキス  中内亮玄

  檀ふみに連れられて戦艦大和  岡村知昭

 ●

巻の後半には、記念号らしく、バックナンバーで試みられた「実験室」の抄録を収める(この「実験室」については、「豈」47号(2008年11月)に岡村知昭氏の一文「『実験』の必要性』に言及がある)。「最短詩型への跳躍」と銘打った短い自由律の試作が興味深い。最終的には「五音」に行き着いた模様。

  遠いなあ  小池弘子

奇しくも以前、個人ブログで開催したのが「二一二句会」。
第1回 http://sky.ap.teacup.com/tenki/362.html
第2回 http://sky.ap.teacup.com/tenki/515.html

五音をもって、詩へと向かうのか、俳諧へと向かうのか、そこにやはり違いはあるようだが、おもしろい試みだと思う。


(さいばら天気)


2009年4月26日日曜日

〔俳誌拝読〕「都市」2009年4月号


〔俳誌拝読〕
都市 
2009年4月号(隔月刊・通巻8号)38頁



中西夕紀氏・発行編集の結社誌。母体は「都市俳句会」。

  灯に音に汚るる渋谷鯨鍋   中西夕紀

巻頭に外部からの寄稿2本。

加藤静夫「静夫的湘子伝」は、藤田湘子生前のエピソードを綴る。湘子の厳格さは、知る人はすでによく知るものであろうが、私などにはおもしろい。
「メギ、メギ、なんていやな言葉だろう。木の芽という美しい季語があるのに、なぜわざわざ、メギと言わなければならないのか。木の芽風をメギの風などと言って澄ましている者を、私は俳人と認めたくない」

「つくづくし」は土筆の古称だから構わないが、蛁蟟(つくつくぼうし)を「つくつくし」とは何事であるか。上五や下五に収めるため、無理やり五音に仕立て上げるようなやり方は季語に対する冒涜以外の何者でもない。「風花」を「風の花」とする輩も同罪。

句会で句稿に誤字脱字があれば、その時点で即刻ボツ。
ほかいろいろ。

もう1本、筑紫磐井氏の連載「俳句の歴史入門講座」は、今回が第6回。「昔の『本意』入門とは」と題し、宗牧(連歌師・宗祇の弟子)の連歌書『四道九品』を引きつつ、当時の「花」の本意を紹介。芭蕉36歳の作、「阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍」は、筑紫氏の指摘するように、たしかに「エキゾチック」。

巻のなかほどからは、会員諸氏の散文も。

記事はいずれも紙幅が見開きを超えない程度と意識されていると思しい。学識・知識を胃にもたれない範囲の文字量で、との意図が見える。


都市俳句会のホームページはこちら≫http://toshi-haiku.jugem.jp/

(さいばら天気)

●中嶋憲武まつり・小休止のお知らせ

中嶋憲武まつり・小休止のお知らせ

ご好評の「中嶋憲武まつり」は本日より数日の小休止ののち再開いたします。

2009年4月25日土曜日

●中嶋憲武 眠らない海

〔中嶋憲武まつり・第14日〕
眠らない海

中嶋憲武



若葉のころになると、海がみたくなる。

むかし観た「小さな恋のメロディ」というイギリス映画の影響であろうか。それともこの時期の地霊の振り撒く憂愁のせいであろうか。

小学生の恋人たちは、学校をサボって海へ遊びに行く。砂の城を築くうちに少年の手が少女の手に触れ、そこで少年は少女へ「結婚しようか?」と言うのである。子供ながらに観ていて羨ましいシーンであった。

何年か前に、会社を辞めた者同士で月に一度くらい集まっていた時期があって、旅行をしようという話になった。晩春のころだったと思う。当日集合したのは男ばかり4人。浦賀からフェリーに乗り房総へ渡り、小さな灯台のある岬で一泊した。

洋上は穏やかに晴れていて気分がよく、風が爽快だった。こんな時にビールが飲みたくなるのだなと思った。ぼくは飲めぬので、シュウェップスを飲んでいた。あとの三人は無論ビール。

岬はホテルと灯台とみやげ物屋ぐらいしかなかった。灯台へ登り海を見て、灯台を降りて岩場に座り海を見た。岩場の水たまりに小さな名の知れぬ魚がいたので、プラスティックのコップに確保してメロディみたいに目の高さまで持ち上げる。

夜、眠れなくてもう一度、岩場へ行った。海はまっくらだった。ときおり遥か沖合いをゆく船の灯りがちらちらするのみ。風が生暖かく頬をなでる。昼間、灯台の下にいた猫たちはどうしているかなと考える。眠くなるまで海をみていようと思った。

2009年4月24日金曜日

●中嶋憲武 トワ・エ・モワみたいな

〔中嶋憲武まつり・第13日〕
トワ・エ・モワみたいな

中嶋憲武



小学校5年のとき、毎晩7時半からフジテレビで「クイズグランプリ」という小泉博司会の15分のクイズ番組やってて、提供がたしか旭化成だった。

その旭化成のCFに封切前の「小さな恋のメロディ」のカットが使われてて、メロディがバレエレッスンしてるところとか、ロンドンの街をダニエルとトムが遊び回るところを見て、この映画観たいって思ってしまった訳だ。訳です。

で、母にせがんで有楽町のニュー東宝シネマ1へ観に行ったんですが、すでにすごい行列。母は並んで映画を観たりするのが嫌いなので、機嫌がたちまち悪くなってしまって、ぼくに八つ墓村、あ、違った、八つ当たりする訳です。で、「ちょっと買い物してくるから待ってて」とか言って、ひとりで並んで待っていると、前に並んでいた大学生くらいのカップルがそんなぼくをかわいそうに思ったのか、クールミントガムをくれたのです。その大学生はちょうどトワ・エ・モワみたいな感じでした。この映画を観ると、あの大学生はいまごろどうしているのやら、と思ってしまいます。案外、句会で一緒になっていたりしてね。



2009年4月23日木曜日

●中嶋憲武 中国女

〔中嶋憲武まつり・第12日〕
かしつぼ
LA FEMME CHINOISE/中国女(1978)


中嶋憲武


かしつぼ=歌詞のツボ
詞/クリス・モスデル
曲/イエロー・マジック・オーケストラ

Des notes sans fin Des visages identiques
C'est un bras brilliant De petits pieds laces

Des notes sans fin Des visages identiques
La demarche saccadee Avec des voix pincees
La discretion noiraude Arriere-pencees,qui sait

C'est un bras brilliant De petits pieds laces
Des notes sans fin Des visages identiques
La dimarche saccadee Avec des voix pincees

Fu Manchu and Susie Que
And the girls of the floating world
junk sails on a yellow sea
For Susie Wong and Shanghai dolls

Susie can soothe Away all your blues
She's the mistress The scent of the orient
Notes sans fin visages identique

Comme tous les vieux insectes
Demarche saccadee, affiche criarde,voix pincees
Discretion noiraude bible rouge
Arriere-pencees, que sait Un monde finit


なんとも取り留めのない詞である。図らずも歌詞のなかに Des note sans fin とあるように、取り留めの無さというのは、この曲のキーワードだったのかもしれない。

クリス・モスデルの詞は、いつでもこんな調子でイメージの断片を連鎖させてひとつの世界を形作る。

フランス語の歌詞の部分は、当時アルファ・レコードの社長秘書だった布井智子が担当している。曲を聴いている限りはきれいなフランス語で、とても日本人だとは思えない。布井智子はきっときれいなひとに違いない。

歌詞はたとえば、こんな内容。

取り留めのないメモ 同じ顔
それは輝く腕 紐で結ばれた小さな足

取り留めのないメモ 同じ顔
ぎくしゃくした歩き方 気取った声をして

黒髪の慎み深さ 心の底の考えなど、誰に分かる?

それは輝く腕 紐で結ばれた小さな足
取り留めのないメモ 同じ顔
ぎくしゃくした歩き方 気取った声をして

フー・マンチュー博士とスージー・キュー
漂う世界の女の子たち
黄海に浮かぶジャンク

スージー・ウォンと上海ドールズのために
スージーは慰めてくれる
あなたの憂鬱をすべて吹き飛ばし
彼女こそ女王様だ
東洋の香りして

取り留めのないメモ 同じ顔
 
古い昆虫すべてのように

ぎくしゃくした歩き方 けばけばしい貼り紙 気取った声

黒髪の慎み深さ 赤い本

心の底の考えなど、誰に分かる? ひとつの世界が終る

旺文社のプチ・ロワイヤル仏和辞典を引き引き書いたので、多少間違ってるかもしれないが、だいたいこんな感じの歌詞かと。この曲は、「イエロー・マジック(東風)」という曲からノン・ストップで繋がっていて、2曲で1曲という見方もできる。この2曲と「マッド・ピエロ」という曲でゴダール3部作と呼ばれていたようだが、歌詞の内容はゴダールの映画とは全く関係ない。ただ、上記の「中国女」の英語の詞の部分は「スージー・ウォンの世界」という映画(未見ですが)と多少関係があるようだ。

大学時代、映画研究部にいた。8ミリ映画を撮っていたのだ。1年のとき無理矢理先輩の映画を手伝わされた。それは、「東風」と「中国女」の今で言うPVのような作品だった。「チャーリーズ・エンジェル」をもじって「チャイニーズ・エンジェル」というタイトルのSF風のもの。

この作品は15分そこそこのものだが、撮影から完成まで5年くらいかかったと記憶する。なにしろ短いカット割りが好きなひとで、主演女優の弁によると上映会のときに、たしかに撮られたと思ったカットがあったと思ったが、そのカットが無かったので、観終わってから監督に聞くと、まばたきをしているうちに、そのカットが終ってしまっていたというから、たった2コマか3コマのカットだったのかもしれない。短すぎるよ。5コマくらいかな。8ミリフィルムは18コマで1秒だから、零点何秒かというカットだったのだ。

結構凝る監督で、美術であるぼくに、冬に桜の花がいっぱいに付いた枝を作って来いとか言って、ぼくは言われた通りに夜中に古利根川の土手の桜の枝を折ってきて、花は桃色の紙で一枚一枚作って枝に貼付け、徹夜して作ったその枝を、満員の東武線、満員の千代田線を乗り継ぎ苦心惨憺して、狛江の野川の現場へ持って行くと、「よく出来てるじゃん」とひと言。そんな風に苦労して凝りに凝って作られたカットがたったの3コマだか5コマだかしか使われず、目に突っかえ棒をして映画を観ていなけりゃならないなんて、涙も涸れるというものよ。

この曲のヴォーカルはユキヒロで、細野さんが名付けた「フー・マンチュー唱法」という歌い方をしている。この歌い方はキモい。今だにやってるけど。





2009年4月22日水曜日

●中嶋憲武 忘れじのデミグラスソース

〔中嶋憲武まつり・第11日〕
忘れじのデミグラスソース

中嶋憲武


なぜかこのところ、昔よく食べたあの味を思い出してしまって、久しぶりに食べに行こうかと思った。

それは5年ほど前、勤めていた会社の近くの洋食屋のU定食だ。

ハンバーグの上にチーズ、その上に半熟の目玉焼きが乗っていて、ポークビーンズと温野菜が添えてある。このポークビーンズがまた絶品で。ポタージュスープとライスが付いて1500円。

目玉焼きの上からナイフを入れると、黄身がとろ~りと滲み出す。肉汁もジュワッとして、黄身と肉、肉汁とチーズとデミグラスソースの渾然一体となったものをナイフとフォークで支え持つと、いい香り。

ここまで夢想して、その夜、仕事が終ってから行ってみた。

銀座一丁目の煉瓦亭。この店はごく狭い。一階のカウンターは5人も座れば一杯になってしまう。二階へ通され、二階もカウンターとちょっとした椅子席のみ。カウンターに座って、メニューを渡され眺めてみたが、お目当てのU定食はない。ABCDと来て、なぜかいきなり飛んでU定食なのだが、それが無い。

カウンターのなかの女性に「あの、U定食やってます?」と聞くと、女性は一瞬きょとんとして、それから「ああ、懐かしい!やってましたよね」
と言うので、今はやってないのかと思い、記憶を呼び覚ますように「ハンバーグの上にポークビーンズとか乗ってる、あれ」と言うと、「そうそう、うちじゃ、やってなかったけど、新富町のほうの店ならやってるかもしれないので、聞いてみます」と電話して聞いてくれた。

たしかに新富町の店では、今でもやっていた。昔の会社の近くの店は、新富町の店なのだから、最初からこっちへ来ればよかったのである。何を血迷って銀座一丁目へ行ってしまったものか。店へ入るとお客さんがひとりだけで、オムライスを食べていた。

カウンターへ座って、厨房の人と目が合うと、厨房の人はぼくを覚えてくれていたらしく、二人とも「あれ?」と言った顔つきになってから、「今晩は。久しぶりですね」と言った。「いや、今ね、急にU定食のポークビーンズが食べたくなって、銀座へ行ったら無くて、新富町ならあるっていうんでこっちへ来たんですよ」と言うと、U定食はあるけれど、ポークビーンズは載せていないのだと言う。

「ええ?ポークビーンズを食べたかったんだけど」
「すみません。せっかく来て戴いたのに。目玉焼きとチーズはそのままです」
「じゃ、Uで」と、多少がっかりして注文した。会計の奥さんも変っていない。水とおしぼりと夕刊を持って来てくれた。

夕刊を読みながら待っていると、ポタージュが出た。一口飲む。ジャガイモの味のポタージュ。相変わらずの美味しさ。なんだか安心する。お待ちかねのハンバーグが来て、ナイフを入れると懐かしいあの匂い。黄身のとろりとした感じもよし。たっぷりとデミグラスソースが掛かっている一片を口に運ぶと、えも言われぬ心地。食事しながら、厨房のコックさんと話す。先ほど、オムライスを食べていた人は、食べ終わって店を出て行ったので、客はぼく一人になった。

「しばらくですね」
「勤めが浅草の方になっちゃったんで、足が遠退いてしまって」
「浅草なんですか。あの辺も洋食屋さんたくさんありますよね。大宮とかヨシカミとか」
「浅草ではヨシカミにしか入ったことないですね」
「ぼくも行きましたよ」
「おっ。研究ですね」

会社で会議の時は、この煉瓦亭からよく洋食弁当を取っていたものである。その頃の話をすると、今ではあまり取ってくれなくなったらしい。経費節約なのだろう。会長や経理の人は今でもときどきランチを食べに来るそうで、今日も会長がやって来たらしい。シーフードカレーを注文したとか。ここのシーフードカレー、辛くて美味しかったんだった。

食べ終わって、
「ごちそうさま。美味しかったです。ここのデミグラスソースの味を思い出して、どうしても来たくなったんです」と言うと、コックさん二人はにこにことして、
「また来てください」と言った。

幸せな気分で家路に着き、真っ暗な部屋に帰って、電気を点けると待っていたかのように冷蔵庫が、ぶーんと唸り出した。

2009年4月21日火曜日

●近恵/金子敦 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第10日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その3


届いてほしい人に届かない

近 恵


亀鳴いて凡そその数五千とも
  中嶋憲武

五千ってどんだけだよ~というのが第一印象。その瞬間私は思い出した。真夏に行った六義園のことを。池に亀がいたのだ。しかもその数五千!かどうかはわからないが、とにかくうじゃうじゃとわらわらと恐ろしいほどの数の亀がいたのだ。

梅の頃に再び六義園を訪ねた時、私はまたあの亀たちに会えるのではと密かに期待していた。しかし亀は一匹もいなかった。あれだけいたのが全滅するはずもあるまい。亀はまだおそらく冬眠中だったのであろう。少し残念な気持ちになって池をあとにした覚えがある。

さて、この句の「亀鳴いて」。季語としての「亀鳴く」は、歳時記では実際には亀が鳴くことはないと書かれている。まあよく交わされる話だが、亀は危険を感じた時に「きゅーっ」とか音を出したりするものがいる。交尾の時期なんかも音を出すらしい。本当に亀が鳴いてるのなら「その数五千」は相当騒々しい感じであろうが「亀鳴く」の亀は鳴いていない。だから作者には亀の鳴く声は聞こえてはいない。となると「その数五千とも」も胡散臭く、実態はない。ただそうらしいと思った作者だけが実態としてあるという不思議な虚構の世界。

そこでこの句は作者の心象、いや、ひょっとしたら作者そのものが亀なのではないかと思い至る。

声にならない声で鳴く亀。亀は言葉をつむぎ、俳句を詠みに詠む。およそその数五千とも、ひょっとしたら一万とも。しかしその言葉は声にならないから詠んでも詠んでも本当に届いてほしい人にはなかなか届かない。けれど届いてほしいから亀は詠み続ける。いつか鳴ける日を夢見て……。

作者の憲武さんは結社の先輩で、よく同じ句座を共にする。俳句だけに留まらず才能豊かで尊敬する俳人だ。それだけに、自分の妄想で切ない気持ちになってしまった。ガンバレ、亀。ガンバレ、憲武さん。

 ●

そのこぼれ落ちた粉は

金子 敦


マカロンのぽろぽろこぼれ春ですよ
   憲武

マカロンとは、砂糖・卵白・ナッツを混ぜて焼いた、カリッとした歯ざわりが特徴のお菓子。いくら上品に食べようとしても、どうしても粉がぽろぽろこぼれ落ちてしまう。もしかしたら、そのこぼれ落ちた粉は、透明な虹色の花を咲かせてくれる「種」なのかもしれない。それは、大人には決して見ることが出来ない花。純粋な子どもの心を持った者だけが見ることが出来る花。数え切れないほどの虹色の花に囲まれて、作者はまたマカロンをひとつ口にする。

2009年4月20日月曜日

●小林鮎美/齋藤朝比古 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第9日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その2


よむ、はひらがな

小林鮎美


シネラリア前衛俳句百句よむ  憲武

なんかあんまり詳しくないので、「前衛」とか言われると、入り組んでいて、ごつくて、解りにくいものだ、と思ってしまう。たぶん「衛」という漢字のせいだ。字の見た目が入り組んでいて画数が多いし、普段使わないから。自衛や防衛っていう言葉のせいか、軍事的・政治的な匂いも感じる。

で、「前衛」という語にはカタカナが似合う。「前衛」っていう概念自体が外国から入ってきたからだろう。だからやっぱり、前衛俳句に添える花はカタカナの花。品種が多く、色とりどりに咲くサイネリアは「前衛俳句百句」に付けるにはぴったりだ。そして現在広く使われている「サイネリア」という呼称ではなく、「死」という語に繋がるとして避けられている「シネラリア」を置いたことには、やはり意味があるのだろう。

ただ、この俳句には「前衛俳句は死んだ」と言いたいというニュアンスより、「シネラリア」の横に「前衛俳句」を置いても別にいい、みたいなさらりとした作者の態度がみえる気がする。だって、「よむ」はひらがなだ。

私には、この何気なさが、すごく大事な感覚に思える。

 ●

含羞と懐古趣味的フェティシズム

齋藤朝比古


コサージュの揺れて卒業生らしき   憲武

コサージュである。昭和のアイドルがこぞって胸元にあしらっていた、この懐かしき響きを伴った装飾品がそよそよと揺れて「あぁ卒業生なのかも…」などと思ったのである。「らしき」あたりに、作者の含羞と懐古趣味的フェティシズムの一端を垣間見る、ちょいと頬を赤らめてしまうような風合いを持つ一句。中嶋憲武氏、ときどきこういう句を確信犯的に発表したりするから、曲者。

でも昨今の卒業生、コサージュってつけてます?どちらかというと保護者の方に多いような気がするんですけど…。

2009年4月19日日曜日

●山口優夢 中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む

〔中嶋憲武まつり・第8日〕
中嶋憲武「愛の洋菓子」5句を読む その1

彼の息は途切れることなく


山口優夢

しつしつとボクサーの息春の雪
   憲武

「しつしつと」という擬態語が目を引く。リズミカルではあるが、騒々しくはない、むしろ、静謐さをたたえたような音。句から受ける印象がリズミカルだと思うのは、その上五だけの印象ではなく、「息」の「き」と「雪」の「き」が揃うことで歯切れ良いリズムを作り出しているからでもあるだろう。

この句には「ボクサー」という主人公がいるものの、彼(まあ、たぶん、男ではあるだろう)が何をしているのかは特定することができない。春の雪に包まれてしまって、彼がどんな場面にいるのか、ということまで分からないのだ。そこで勝手に想像力を働かせるのが、読者の楽しみである。

たとえば、ロードワーク中の「ボクサー」の姿を思い浮かべる。川べりかどこかを、時折シャドーボクシングなどしながらすべるように走ってゆく。レインコートみたいなものを頭からすっぽりかぶっている。時刻は早朝か、夜がいい。丹下段平氏によれば、ロードワークはアスファルトのような硬い地面だと膝を痛めやすいそうだから、土手の柔らかい土の上を走っていると思いたい。そこに、春の雪がうすく舞い始めている。いつから降っているのだろう。彼は無心で拳を突き出す。「しつしつ」とした自分の息の音だけで、耳がいっぱいになっている。

たとえば、試合が始まる前、準備運動をして息を弾ませている「ボクサー」を思い浮かべる。暗い控え室で手首や足首を入念に回し、体のばねを目いっぱいに伸び縮みさせ、セコンドを相手にパンチの練習をしておく。ジャブ、ジャブ、ストレート。そこでまたジャブ。まあ、このくらいにしておこうか。リングの方が騒がしい。どうやら、前の試合で、矢吹丈の必殺クロスカウンターが決まったようだ。その熱狂の渦の中へ自分もこれから飛び込んでゆくのだと思うと、身の引き締まる思いがする。ぎいぎい言う窓を開けると冷たい空気が流れ込む。外は雪なのだった。緊張した自分の「しつしつ」とした息の音で、耳がいっぱいになっている。

たとえば、試合中の「ボクサー」を思い浮かべる。まばらにしか埋まっていない客席からは、時々耳をつんざくようなヤジが聞こえてくるが、彼の耳は「しつしつ」とした自分の息の音でいっぱいになっている。胸の奥には、控室の窓から見えた春の雪が降っている。彼は、痛めつけられた肉体の内側にそんな静寂な世界をたたえたままで、リングの中を駆け巡っていた。ここまで、目の前の相手の方が自分よりも手数をたくさん出している。ポイントではおそらく彼の方が上回っているだろう。この最終ラウンドでKOしなければ自分の勝ちはない。痛む左腕を引きずるようにして、彼は世界チャンピオン、ホセ・メンドーサに向かってゆく矢吹丈のごとく、対戦相手へと風を巻いて向かってゆくのだった。

たとえば、マットに沈められた「ボクサー」を思い浮かべる。10カウントの間に立ち上がることができず、敗れてしまったボクサー。彼はリングの上に寝転がりながら、「燃えたよ、真っ白な灰に…燃え尽きた」と呻いているが、声が小さすぎて誰にも聞きとめられることはない。どこからか冷気が入り込んでくるらしく、寝転がっているとひんやりした空気が身を包みこむ。そうか、外は雪だものな…。そこまでで彼の意識は途切れた。その直前に聞いていたものは、やはり「しつしつ」という自分の息の音だったのだろうか。

「ボクサー」が「ボクサー」であり続ける限り、リズミカルに繰り返される「しつしつ」という息の音はずっと付いて回るのであろう。一句においてボクサーが何をしているか特定されていないということは、つまり、逆にいえば、いつだって彼の息は途切れることなく「しつしつと」吐き出されているということを示しているのだ。ふと訪れた春の雪のような静寂の中では、彼の息の音は彼の鼓動のように耳を圧する。それは生きている証であり、闘い続けていることの証明なのだ。

河原ですれ違った「ボクサー」を見送りながら、ナカジマさんはとぼとぼ歩く。「しつしつ、しつしつ」と口ずさみ、そして、彼もまた「ボクサー」同様に春の雪に包まれてゆくのだった。

2009年4月18日土曜日

●俳壇ひとり

〔中嶋憲武まつり・第7日〕
俳壇ひとり


俺の名はタナカヒロシ。俳句をちょっとやってます。自信作は「春雨の横切つてゆくマンホール」です。加藤楸邨に私淑し、最近はなんだか、こう人間探求力がますます上がってきた感じです。へへへ。

先日もある句会に出たら、あ、「テルミンと俳句の会」はちかごろ出てないです。なんかテルミンと俳句って合わないような気がするんですよね。で、よその句会に出たら、ある人に「キミは俳句の骨法というものを心得ているね」と言われました。骨法ですよ、骨法。よくわからないんですけど、なんだか道を極めるみたいで凄そうじゃないですか。何を言われてるのか、わからなかったけど、なんだか偉くなったような気がして、「ありがとう」と言っておきました。

ぼくはもう40越えてるおっさんなんですけど、こういう俳句をやってる人たちの集まりの中では若いほうなので、「若手」と呼ばれて、この呼び方ぼくは、気持ち悪いんですけど、もてはやされるんですよ。「若手」と呼ばれるたびに、ぼくは「若人あきら」を想像しちゃうんですよ。「若手」と「若人」が音が似てるからですかね。俳句の会って、そういうところです。とにかく若けりゃいい。俳句やってる婆さんなんて、ちょっと大学生が来るともう、びっくりしちゃって、バカんなっちゃって、座りしょんべん、て感じですよ。いやこれは言い過ぎたかな。

俳句をやる前は、句会っていうとみんな芭蕉みたいな宗匠頭巾を被って、いわゆる奥の細道を旅しているみたいな格好をして、机に座って瞑目している。そしておもむろに目を開けると矢立てから筆を取り出して、短冊にすらすらと一句を書き付ける。と、こんな場面を想像してましたが、平成の現代にそんなアナクロなことやってるわけないですよね。コピー用紙なんかを短冊にカットしたものへ鉛筆で句を書くんです。テルミンと俳句の会では、自作を書き付けてあるノートを手に、立って発表していたので、ここは大きく違うなと思いました。

ひとつ言えることは、俳句は垢抜けないということ。ぼくなんか、その点安心して安住していられますね。俳句が垢抜けしてしまってメジャーな存在になったとしたら、もう病気になっちゃうかも。貧乏なぼくには持って来いの遊びですよ。一部には俳句をもっとメジャーなものにという意見もあるようですが、何を考えているのかと言いたいですね。

ぼくは、ちっぽけなこの形のままで、それほど人に知られずにひっそりと片隅で生きて、ときどき人に思い出されるような、そんなものでいいと思うんですけど。芭蕉は不易流行と言いましたが、それって結構言い得ているんじゃないですかね。変らずに表立たずにずっとあるもの、折につれ変化するもの、結局同じこと。基本的なところからは、たぶん逃れられないですよ。

おっと、彼女が待ってるのでもう帰りますね。

2009年4月17日金曜日

●中嶋憲武 二国

〔中嶋憲武まつり・第6日〕
二国

中嶋憲武


武蔵新田の駅で降りた。

くちぶえふいて、あきちへいった的な感覚である。

ただなんとなく小さい頃かかわりのあったあたりを歩いてみたかったのだ。

武蔵新田には親戚があったが、いまは八王子の在に住んでいる。その家のあったあたりへ、かすかな記憶を辿りながら行ってみたが、まったく変わってしまっていて、玄関先のオシロイバナも忽然と消え失せていた。無理もない。もう30年ほど月日が流れてしまったのだ。

しょんぼりとして、環状八号線へ出て、第二京浜にぶつかったところで曲がる。

この辺のひとは、第二京浜を二国(にこく)と呼んでいる。むかしフランク永井が、「つらい恋ならネオンの海へ 捨てて来たのに忘れてきたに バック・ミラーにあの娘の顔が浮かぶ夜霧のああ第二国道」と歌った道路だ。

とぼとぼと二国を北上。池上へ向かう。

池上線の鉄橋の手前を折れて、駅前へ。駅前の商店街には、父方の親戚が4軒並んでいるが、今日は素通り。御免。

小学校へ上がる前まで住んでいた家のあたりを目指す。母とよく買い物に来た綱島さんはそっくりそのまま残っていた。床屋のかわなさんも。お菓子を買いに行ったハヤシヤさんもそのまま。ポール・マッカートニーが「ペニーレーン」を作った動機は、こんな気持ちのときだったのかな、と心のかたすみで2秒くらい思う。

池上本門寺の先祖代々の墓へお参りし、広い公園のなかを熊笹をかさかさ言わせながら、とぼとぼ。池上梅園の前を通るが、すでに梅は散っていた。

しょんぼりとして、またまた二国にぶつかる。これをさらに北上することにし、馬込を目指す。

二国から馬込のバス通りへ入り、大森十中前のバス停を折れてだらだら坂を上がり切ったところが、通っていた幼稚園。坂を上がっているとき雨が降ってきた。春雨じゃ、濡れて参ろうなどと、高を括っていたが雨は「じゃ、濡らしてやろうじゃないの」と言うとだんだん激しくなってきた。すっかり驟雨。

リュックから折りたたみ傘を出して差す。斜めに降って身体が濡れるので、まったく変貌してしまった幼稚園のファサードの軒先を借りる。

幼稚園のまん前は、おさな馴染みのYちゃんのお屋敷。Yちゃんの家へはよく遊びに行った。幼稚園の軒先からも見える芝生の庭で、泥だらけになって遊んだ。いくら目の前に家があるからとて、手みやげも持たず、突然お邪魔するわけにも行かず。Yちゃんは10年ほど前、銀座の三人展にぼくの絵を観に来てくれた。それ以来、まったく音沙汰もない。

雨は小降りになった。幼稚園の外観は変わってしまったが、庭のケヤキはそのままだった。

二国沿いのジョナサンズへ入って遅い昼食を取る。ドリンクバーの前に佇み、今度Yちゃんに手紙でも書こうと思った。

2009年4月16日木曜日

●中嶋憲武 金曜日の朝

〔中嶋憲武まつり・第5日〕
かしつぼ
金曜日の朝



中嶋憲武


かしつぼ=歌詞のツボ



詞:安井かずみ
曲:吉田拓郎
編曲:柳田ヒロ

トロリトロトロ 眼がさめる
霧もはれてた 赤い屋根
チェックの カーテンごしに
(チェックの 陽ざしが)
僕の足を くすぐる
 だけど今でも 気にかかる
 君は突然 出ていった
 旅でみつけた 運動ぐつ
 はきなれた あの白いくつ
 つっかけて 消えたまま

背中まるめて 歩くたび
僕がうろつく この街は
何故かパリーに 似ている
(やさしい女の) 
ため息なんか 聞きたい
 だけど今でも 気にかかる
 君はセーター 肩にかけ
 かかとつぶした 運動ぐつ
 夏を歩いた 白いくつ
 恋といっしょに 消えたまま

洗いざらしの ブルージーン
残ったお金が あと少し
気にするほどの わるい事
(ないなら土曜日)
バラでも買って 帰ろう
 だけど今でも 気にかかる
 君と映画を 見た帰り
 小雨にぬれた 運動ぐつ
 赤いドアに 脱ぎすてた
 いつのまにやら 消えたまま

ちょっと恥ずかしいんですが、よしだたくろうを聴いていた時期があります。この「金曜日の朝」は数多くのたくろうの楽曲のなかでも、垢抜けしているという点で、ちょっと毛色の変わったものであると思います。アレンジはフォークロック調。女性コーラスが印象的です。

作詞は、加藤和彦の亡妻である安井かずみで、色彩の使い方がとてもうまいなあと中学生の頃思ったもんでした。冒頭、赤い屋根と出てくることによって、チェック模様もなんとなく赤やオレンジや黄色の混じった暖色系を想像します。第1節の基調色は赤、そこへぽつんと運動ぐつの白が出て来て、印象を高めるのに効果を発揮します。

第2節の基調色は、背中まるめて歩くとあることによって、なんとなくグレーを想像しました。第3節は、ブルージーンの青ですね。どの節にも彼女の履いていた運動ぐつの白が際立っています。

この詞を眺めていると、1973年から74年くらいの空気やら匂いやら風俗(セックス産業ではなくて、文字通りの風俗)やらが浮かんでくるのです。同時期にTBSラジオで22時くらいにやっていた「エミコの長いつきあい」という短い番組を思い出したりして。まだ当時はスニーカーとは言わず運動ぐつと言っていたのですね。しかしながらジーパンではなくてブルージーンと書いているあたりは、さすが安井かずみ。

背中まるめてあるくたび 僕がうろつくこの街は 何故かパリーに似ているという箇所が好きで、中学生のころ埼玉県春日部市に住んでいたのですが、西口のイトーヨーカ堂あたりをぶらついていたり、東口の名曲堂あたりをぶらついているとき、よくこの歌詞を口ずさんでは、「パリだ、パリ」とひとり悦に入ってたものです。

土曜日にバラを買って帰るだなんて、まだこの頃は週休二日制が導入されてなかったのだなあとしみじみします。



2009年4月15日水曜日

●中嶋憲武 紅梅焼

〔中嶋憲武まつり・第4日〕
紅梅焼

中嶋憲武


仕事がひさしぶりに早く終ったので、散歩してみようかと思った。

このあいだ叔母の家へ行ったとき、母と叔母の住んでいた家の位置をメモしておいたので、そのあたりを訪ねてみたいと思った。

ビューホテルの前の信号を渡る。ビューホテル(むかしは国際劇場)の向かいの商店街の裏の路地に、東京大空襲まではあったのだ。

六区のほうから路地へ入る。すると背後から「すみませーん」という声がした。振り向くと警官がふたり、小走りに来た。ひとりの警官は、ちかごろ23歳年下の嫁さんをもらったA氏に似ている。聞けば最近このあたりで物騒な事件があったので、俺のバッグの中身を確認させてもらいたいとのこと。バッグを開けながら、この路地へ入った理由などを聞かれたので、「このあたりに戦前、母の家があったので」と答える。詩的な気分になりかけていたときだったのに、この一件で一気にその気分を削がれる。バッグの中身を点検し、失礼しました、これから暗くなりますから気をつけてくださいとA氏に似た警官は言うと、路地を出て行った。俺は舌打ちをしてA氏に似た警官の後ろ姿を見送った。

母と叔母の家は、現在「豊建」という建築会社のところだと見当をつけた。

路地を出て、ひさご通りから六区の商店街を歩く。商店街では俺と似たような風体の男が、所持品を警官にチェックされている。やけに警官が出張っている。これからやってくる暗闇に備えているのかもしれない。

花やしきの前の通りから浅草寺へ抜ける。浅草寺は補修中で、終るのは2年後だそうだ。イントレランスが組まれ巨大な映画のセットのようになった伽藍を眺める。あれでは鳩も夜、休める場所に困るだろう。

仲見世を抜けていくと、雷門の近くに紅梅焼きの店があった。この店は川端茅舎に「初観音紅梅焼のにほひかな」と詠まれた店で、水原秋桜子は「雷門をすぎて、仲見世通にはいると、すぐに紅梅焼の店がある。今でもつづいているが、むかしのほうが一、二軒多かったのではないかと思う。店の奥でそれを焼いており、その匂いが子供には実になつかしいものであった」と書いている。

店頭に立ってみると、人形焼ばかり目についたので、店の親父をつらまえて「ぜんたい紅梅焼はあるかい」と聞くと、親父は商人らしく小賢しそうな目をしょぼしょぼさせて、「今やってない。もう10年くらいやってない。看板に書いてあるだけだよ」と言った。

しょんぼりとして、大通りをあるき、目についたスターバックスへ入った。シカゴじゃ、インスタントも売り出されているらしい。マカロンをぽりぽり食べながら、コーヒーを飲んだ。

2009年4月14日火曜日

●中嶋憲武 昭和五十六年のエガワ

〔中嶋憲武まつり・第3日〕
昭和五十六年のエガワ

中嶋憲武


その年の江川は凄かった。巨人に入って3年めのシーズン、江川はそれまでの2年間の不本意な成績を払拭するかのごとく、三振の山を築いていた。

とくに目を見張ったのは、終盤になって球速が落ちるどころか、むしろますますその威力を増し、9回に入っても尻上がりに調子がよくなって、150キロを越す球をぽんぽん抛る芸当の出来ることだった。

居間で父と江川の快投に酔い痴れているとき、電話が鳴った。立って隣のダイニングルームへ行き、黒い受話器に耳を当てると、ササモトさんからだった。

ササモトさんは、銀座五丁目にあった飲茶の店でのアルバイト仲間で、ササモトさんの彼のことで相談に乗っているうち、なんとなくしばしばふたりで会うようになってしまっていたのだった。

「いま、何してた?」とササモトさんは訊いてきた。
「野球みてた」
「明日さあ、買い物につき合ってよ」
「3限のあとならいいけど」
「じゃ、4時に和光のところね」
というと、電話は切れた。

たぶんササモトさんは明日のアルバイトを早番で入れているのだろう。それにしてもいつも一方的なのである。ぼくがうかうかと毎日誘いに応じてしまうからいけないんだろう。

ササモトさんは西武新宿線の沼袋に住んでいて、髪を長く伸ばして色白の丸顔にそれがよく似合っていた。いつも黒っぽい服装をしていたので、清瀬とか保谷あたりの不良少女というか、その年デビューして2曲めの「少女A」という曲がヒットチャートを急上昇している歌手の中森明菜かという雰囲気だった。

彼とのことはあまり話さなくなっていたし、まったく会っていないようだった。でもぼくにはうすうすわかっていた。ぼくが、彼の代用品であり彼との縒りが戻るまでのつなぎだということを。

アルバイト先では、ササモトさんはてきぱきと仕事をこなし、愛想もいいのでお客さんや店長、アルバイト仲間からのウケがよかった。ぼくはそこでアルバイトを始めたばっかりで、要領の悪いほうであるし、飲み込みも悪いので、いつもぐずぐずと仕事していた。

ササモトさんと同じシフトのときは、仕事が終るとササモトさんが先に店を出て、隣のビルの地下にある「るふらん」という喫茶店で待ち合わせるのが常であった。腹が減っていればピザトーストと紅茶、賄いで満腹であれば紅茶かコーヒーだけというのが、いつものオーダーだった。

たまたまその日は、ぼくが上石神井の後輩の下宿を訪ねることになっており、沼袋まで一緒に帰ろうということになった。

丸の内線で新宿まで行き、そこから西武線に乗り換えた。西武新宿線に乗って、並んで座るとササモトさんは、
「ねえ、ライオンズジュースって知ってる?」と聞いてきた。

なにそれ?と聞くと、西武ライオンズの選手の写真が印刷されたジュースで、西武線沿線にしかないのであるという。ぼくはそのローカルさに心が動き、飲んでみたいと言った。そのジュースは沼袋駅の近くの自転車置き場の自動販売機にあるというので、一緒に沼袋で降りることになった。

沼袋駅で降りて、寂しい道をちょっと歩き、自動販売機でライオンズジュースを買う。ベンチがあったので、並んで腰かけジュースを飲んだ。普通のオレンジジュースだった。

「普通だね」というと、
「でもライオンズだし」と中途半端な答えが返ってきた。

暗いベンチで、アルバイトのことや最近観た映画のことを話しているうち、ぽつぽつと雨が降ってきた。ササモトさんが、
「今日は妹がいないから、家に来ない?」と言った。ササモトさんは妹と二人暮らしをしていた。後輩の下宿の件は明日行くことにして、後輩へ電話し、じとっとする雨に濡れてササモトさんの家へ行った。

ササモトさんの家は駅から10分ほど歩いたところにあった。建て売り住宅のような2階家だ。玄関へ入ると、樟脳の匂いがした。

ササモトさんがリビングのテレビを点けると江川が投げていた。6月の半ば頃になっていたが、巨人は快調に勝ち星を増やし、スポーツ新聞の見出しに「巨人、優勝確率70%」と大きく出ていた。

ふたりでテレビを眺めていたが、ササモトさんが「お風呂に入ってくるね」と言って浴室へ行った。

ぼくはリビングで、ずっとテレビを観ていた。その夜の江川もやはり凄かった。怪物という言葉を今さらのように噛み締めていた。

ササモトさんは風呂から上がってくると、ショーツの上に大きめのTシャツを着ただけで、座ってライオンズジュースを飲み、髪を乾かしはじめた。

テレビでは、江川が困ったような顔をしてヒーローインタビューを受けていた。

2009年4月13日月曜日

●中嶋憲武 苺チョコ

〔中嶋憲武まつり・第2日〕
苺チョコ

中嶋憲武


矢も盾もたまらなくなって、苺チョコを買いに行った。

ときどき無性に食べたくなってしまう、明治のストロベリーチョコレート。

小学校5年のころ、近所のお菓子屋さんに毎日買いに行っていた。一枚50円だったと思う。

当時、奥村チヨが、「♪いちごのチョコ いかが いちごのチョコ いかが」という歌に載せてコマーシャルしていた。奥村チヨのファンだったので、なんとなく買ってからというもの病みつきになってしまったチョコレートだ。

その年の暮れから正月にかけて、家族で鎌倉、江ノ島へ旅行したときも、売店でストロベリーチョコレートを買ってもらい、銀紙を破いて楽しく食べていると、見知らぬおじさんに「靴ひもがほどけていますよ」と注意された。傍を歩いていた母は、おじさんに「どうもすみません」と言い、おじさんが去ってしまうと、ぼくに「人様に注意されるなんて、みっともないじゃないの。気をつけなさい」と言った。チョコレートを中断して靴ひもを結んだ。

結び終わってチョコレートを食べながら、江ノ島の石段を登った。「♪いちごのチョコ いかが」と鼻歌を歌いながら。

そのようにぼくの人生に彩りを加えてきたチョコレートであるが、最近は個包装になってしまって、つまらないなと思っていたところ、近所の「つるかめ」というスーパーマーケットに昔のデザインの一枚ものの、板チョコが売られているのを発見して以来、何度となく買っているのである。

さっきも、99円で売られていたので3枚買ってきてしまった。

ああ、ぼくにとっては「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」も「ゴディバ」も明治のストロベリーチョコレートには敵わないのだ。

2009年4月12日日曜日

●中嶋憲武 ぎゅうひ

〔中嶋憲武まつり・初日〕
ぎゅうひ

中嶋憲武


友人と散歩する。

吉祥寺駅の南口で待ち合わせしたのだが、桜も真っ盛りで花見のひとでごった返している。ちょうど昼どきであり、ひもじい思いをしていたので、どこかで食べようかという話になり、店を物色したがどこも満員だった。友人がセンスのない店なら空いてるよというので、センスのない店を探した。商店街のはずれにぽつんと一軒、申し合わせたようにセンスのない店があり、しめたとそこへ入った。

センスのない昼食を終えて、井の頭公園方面へぶらぶらあるく。井の頭公園のなかは、花見のひとでいっぱい。思うようにあるけないありさまだった。

友人「花見、好き?」
ぼく「あんまり」
友人「おれ、嫌い。花見してるやつらの気がしれないね」
ぼく「そうだね」
友人「ま、貧乏人が花見とかするんだけど」
ぼく「そうだね」
友人「ま、おれもひとのこと言えないけどね(笑)」
ぼく「そうだね(笑)」
友人「きみもね」

井の頭公園を出て、玉川上水に沿ってあるいた。

山本有三記念館で内部を公開していたので見学させてもらう。二階だての豪壮な洋風建築である。裏庭もかなり広い。築山や四阿もある。ぼくは実は前に一度来ていたことがあった。そのときは表の庭の姫沙羅が白い花をひとつ咲かせていたのであるが、まだ芽吹いてもいなかった。

上水沿いをあるく。松任谷由実の歌でなんだかそんな歌があったような気がした。上着を着ているとじわりと暑いが、脱いで手に持つのも億劫なので帽子を取った。いくらか違う。友人はずっと喋り通しで、ぼくは「そう?」とか「へえ」とかいっている。小金井市を過ぎ、小平市へ入り、小金井街道を横切ってしばらく行ったところにあるガストで休憩する。友人はクリームあんみつとドリンクバー、ぼくは苺パフェとドリンクバー。

友人「ぎゅうひって、何で出来てるんだろうね」
ぼく「さあ」
友人「でんぷんか?」
ぼく「何だろうね」

そのとき、和菓子に関する仕事しててそれくらいのこと分からないのか、という神様の声がした。わかりません。すみません。しおしおと苺パフェをつつく。

上水沿いの道は、遠くに武蔵野らしい雑木林を戴きながら金色の夕日をぎらぎらとさせていた。しきりに鳥の声がする。鳴き声からしてヒタキ系の鳥だ。

立川市に入り、西武拝島線の玉川上水駅からモノレールに乗った。「砂川七番」「立飛」などという駅を過ぎる。立川駅北口に着いたころはとっぷりと暮れていて、ひもじい思いをし始めていたので、夕食にした。友人はぼくの食べているカレーをすこしばかりくれといったので、スプーンでお裾分けした。お礼に友人は焼き肉を二三片分けてくれた。

立川から国立まであるき、国立から西国分寺まであるいて、そこでやっと電車に乗った。友人は吉祥寺で降りた。ぼくはそこからひとりで、なんとなくふくらはぎが痛いなと思った。

2009年4月11日土曜日

●中嶋憲武まつり・前夜祭 ナカジマさん


中嶋憲武まつり・前夜祭
ナカジマさん

さいばら天気




中嶋憲武さん、すなわち「週刊俳句」不定期連載「スズキさん」でお馴染みの中嶋憲武さんが、映画『タナカヒロシのすべて』(2004年・田中誠監督)の主人公タナカヒロシのモデルであることを知る人は、すでに多いとはいえ、いまだ俳句世間の常識とはなっていないので、これをここで告げる次第。

映画でタナカヒロシを演じたのは怪優・鳥肌実。顔は、中嶋さんとは遠い。中嶋さんの顔のことをすこし言っておくと、「和製グールド」と一部で言われているとおり、特に横顔がグレン・グールドに似ている。ついでにいえば、中嶋さんは、去年あたり、ピアノを習い始め、14,800円だかでピアノ式ぴこぴこキーボード(カシオ製)も購入したが、このところはレッスンをサボってばかりらしい。

で、映画の話。

タナカヒロシはカツラ工場(右写真・資料映像)に勤める独身男性。中嶋さんはカツラ工場に勤めたことがないそうだ。タナカヒロシは「テルミンと俳句の会」という怪しげな集まりに出かけ、俳句を捻ったりするが、中嶋さんの所属する炎環(なんでも一度クビになったらしい)に、テルミンを持ち込んだりする句会は存在しない。

ところで、この映画、かなりおもしろい。未見の方はぜひツタヤででもどうぞ。とりわけ、ラストは主人公の明るい未来をほんわかと予見させ、日本映画屈指の素晴らしさ。一方、中嶋さんの現在は、明るいのか暗いのか。

映画の中のタナカヒロシは、鳥肌実が演じるだけあって、かなりヘンな人である。その点、実在の中嶋さんと似ているか似ていないかと問われれば、似ていないけれど、中嶋さんもかなりヘン、と答える。鳥肌実演じるところのタナカヒロシと、リアル・タナカヒロシとも言うべき中嶋さんとでは、ヘン具合が異なる。

中嶋さんと初めて会ったときのことを、不思議なことにまったく憶えていない。この映画を観る前だと思うが、記憶は朦朧。ただ、句会で、初めて拙宅を訪れたときのことは憶えている。

その頃、その句会(くにたち句会)は「悪魔のように句を捻り、悪魔のように飲み、かつ食う」という触れ込みどおり、題詠(10題程度)でやたら句を捻り、合評の頃から始まる飲食は句会後も延々と続き、夜が更けてゆく。参加者は最終電車を気にしつつ、その夜の飲食と談笑にふける。

主催しているこちらとしては皆さんの足のことが少しは気になる。「ナカジマさん、電車は? まだ大丈夫?」と、ふと問うた。

「あ、もう、ないです」

え? ないって? じゃあ、帰れないということ? お泊まり?

「はい」

句会参加者がみな帰ったあと、風呂に入ってもらい、妻が来客用の蒲団を敷いた。ワンナイト・スタンドで中嶋さんは「うちの子」となったのだ。初めて遊びに来た家に泊まって帰る人もめずらしいなあ、と、私たちは笑った。

翌朝、洗面台の前に、中嶋さんがいた。妻が入っていくと、それまで髪を梳かすのに使っていたヘアブラシをそっと置いた。勝手に使って叱られるとでも思ったのだろうか。鏡の中で視線が合うのを避けるようにあらぬほうを見ながら、そっとブラシを台に戻したという。

それから、中嶋さんと私は国立駅前の珈琲屋エクセルシオールで朝ご飯を食べた。話題はなく、話は途切れに途切れた。俳句の知り合いではあっても、オッサンふたりで俳句の話など、しない。かといって、まだ知り合って間もない頃で、他に共通の話題はない。私は、誰かとふたり黙ったまま過ごせるタチの人間で、中嶋さんもそのようだ。いつまでも黙って、コーヒーを飲み、ホットドッグか何かを食い、それから中嶋さんは、国立駅から電車に乗り、きっと遅刻だろう職場へと向かった。

あれから、4年ほどの時間が経った。中嶋さんはいまも月1回の句会に訪れるが、最終電車に遅れることはなくなった。きっと最初のとき、まだあまり知らない私に「そろそろ電車の時間なので」と告げる勇気がなかったのだろう。また、こちらも時間に気をつけるようになった。

いまは、あの頃よりもいくぶん親しく付き合うようになったが、しかし、実は、中嶋さんのことをあまり知らない。そして、よくわからない。

ただひとつ、わかることは、うちの猫が中嶋さんのことを大好きだということだ。初めてのときから、うちの猫は中嶋さんの膝の上でくつろいでいた。私たちにも見せたことのないような幸せな顔をして、いつまでもくつろいでいる。うちの猫と中嶋さんは、どういうわけだか知らないが、魂がつながっているのだ。それが、中嶋さんについて私がわかることのすべてである。

というわけで、ウラハイでは明日から、何日連続かはわからないが、「中嶋憲武まつり」である。

2009年4月10日金曜日

●シネマのへそ06 バッファロー66 山田露結


シネマのへそ06
『バッファロー66 』
 (1998年 監督・主演 ヴィンセント・ギャロ)


山田露結




ダメダメ男のとってもキュートなラブストーリー。
ヴィンセント・ギャロのファッションに注目です。
小さめのライダース・ジャケットにスリムのパンツ。足元には真っ赤なブーツ。
それをいかにもきつそうに、そして少し猫背気味に着こなします。
私もこの映画を見た後はしばらくピタピタの洋服ばかり着ていました。
油っぽい長髪に無精髭の彼は決して二枚目ではないと思いますが、どこか憎めないダメ男特有の「母性本能くすぐりフェロモン」を放ちます。
「正統派の二枚目よりも、人間臭いギャロのようなタイプの方がカッコイイ!」
そう思っていたある日、飲み屋である女の子と話をしていると
「やっぱり男は外見よりも中身よねえ。」という話になりました。
ボクは嬉しくなって「どんな男がタイプなの?」と聞くと、彼女は「キムタク」と答えました。


ダメ男度 ★★★★★
ハッピーエン度 ★★★★★


ラストシーンはこちら

2009年4月9日木曜日

●もの、それ自体 saibara tenki

ジョン・ケージ拾読:引用の断章 4/4
もの、それ自体

compiled by saibara tenki


作曲家ロジャーレイノルズによる1977年のインタビューより。
ケージ:(…)私は今でも、ものがそれ自体であってほしいと思っています……。人がものをそのもの以外の何かとして感受するとき、ものは、そのもの自体でなくなるのです。例えば、もし私が車を借り、そのブレーキを踏んだとき、ブレーキが正常に働いていないことを示す音が聞こえたとします。そのとき、その音はもはや音ではない。その音はブレーキの指示物なのです。(…)音楽の世界の音について話すなら、インド哲学で言うアルタ(つまり「成功」「失敗」といった実利)の視点ではなく、モークシャ(つまり解脱)の視点で話すことになります。そして故障したブレーキから音が聞こえてきたとき、私達は直ちに、モークシャから出、アルタの内に戻る。審美的な生活を考えるより、まず命を救わなければ(…)なりませんから。
(「『沈黙』の思想、その後」ジョン・ケージ:『音楽の零度』近藤譲訳/朝日出版社1980所収)



2009年4月7日火曜日

●目的を排除する saibara tenki

ジョン・ケージ拾読:引用の断章 3/4
目的を排除する

compiled by saibara tenki


作曲家ロジャーレイノルズによる1961年のインタビューより。
レイノルズ:(…)あなたにとって、今、音楽を書く目的は何でしょうか?

ケージ:私はよくこう言います。私は何の目的ももっていない。私は音を取り扱っているのです、と。(…)つまり、私は、目的を排除することによって、私が意識と言っているものが増大する、と考えています。ですから、私の目的は、目的を取り除くことなのです。
(「沈黙の思想」ジョン・ケージ:『音楽の零度』近藤譲訳/朝日出版社1980所収)
 
ケージ:(…)私は独自性という原則に心を奪われています。自己本位という意味での独自性ではなく、行なう必要があることを行なうこと、という意味での独自性です。明らかに、今行なう必要があることは、既に行なわれてしまったことではなく、未だ行なわれたことのないことです。(同)



ケージ:(…)私は他の問いを立てなければならないのです。つまり、無形式性などというものがどこかにあるのだろうか?と。殊に、望遠鏡や顕微鏡等がある今日では、私の画家の友人のひとりであるジャスパー・ジョーンズが言うように、「世界はとてもごちゃごちゃしている」。形はあらゆるところにある。(同)

2009年4月5日日曜日

●祐天寺写真館10 壁

〔祐天寺写真館 10〕


photo by 長谷川裕 - text by さいばら天気


壁の外にいる人間は、壁の中を想像する。壁の中にいる人間は、壁の外を想像する。どちらの想像も、実際とはずいぶんと違っていたりする。

壁の外に佇み、「中」を想像しているちょうどそのとき、その向こう側、すなわち壁の中では、誰かが佇み、「外」を想像している、という偶然もないわけではない。もっとも、それは、空の上から眺めてみないと、わからないことだけれど。

2009年4月3日金曜日

●おんつぼ18 泉谷しげる 山田露結


おんつぼ18
泉谷しげる


山田露結








私が二十歳くらいの頃だったと思う。

ちょうどレコードからCDに変わる時期だった。

針飛びがなく音質も良いというのが売りのCDだったが、レコードの大きな紙ジャケットに比べてCDのコンパクトなプラスティック・ケースは味気なく、物足りないものだと感じていた(実際、CDにも音飛びはあるし、音質は間違いなくレコードのほうが良いと今でも思っている)。

それで、しばらくは「レコード派」を通すつもりでいたのが、あれよあれよという間に日本中のレコード店からレコードが消え一気にCDに変わってしまった。

しかたなく、CDプレイヤーを買わざるを得なくなってしまったのである。


テレビドラマやバラエティー番組でときどき見かける泉谷しげるという小汚いオッサンが歌手だということは知っていた。「春夏秋冬」というヒット曲があることも知っていた。

いや、実は泉谷しげるファンの友人宅でその頃発売された「IZUMIYA - SELF COVERS」という泉谷自身の過去の曲をカーバーしたアルバムを何度か聴かされていたのである。そこで聴いた「春夏秋冬」は当時の一流ミュージシャン達によるロックアレンジが施されていた(ギターはモロ「U2」だった)。

なんだこりゃ。

友人はカッコイイと絶賛していたが私には何だかとても軽薄な音に聴こえた。

そんなわけで、泉谷しげるをわざわざ自分でお金を払って聴こうとまでは思わなかったのである。


ある日、とある大型電気店でとうとうCDプレイヤーを買った。なんとなく軽蔑していたCDではあるが、プレイヤーを手に入れてみれば早く何か聴いてみたいとワクワクするものである。電気店の帰りに同じビルにあるCDショップを覗いてみた。

さて、何を買おうか。

あれこれと見まわしているうちになぜか目に止まったのが泉谷しげるだった。ちょうど、初期のレコードの何枚かがCDになって廉価で再発売されていたのである。

「泉谷しげる登場」。デビューとなったライブ盤である。どうしてそのCDを買おうと決めたのか今でははっきりと覚えていないが、とにかく急いでアパートへ帰ってすぐに聴いてみた。

一曲目、「白雪姫の毒リンゴ」。

むなしいむなしいとつぶやいても また明日もむなしいだけ
空に浮かんでる白い雲も 今ではなにもこたえてくれない

鳥肌が立った。友人宅で聴いたあの軽薄な「IZUMIYA」じゃない。ギター一本で切々と歌うフォーク歌手「泉谷しげる」だった。

しばらくは毎日毎日そのCDを聴いていた(今はホントになくなりました、こういうこと)。その後、そのデビュー盤から順番に泉谷のCDを全部買い揃えることとなった。いつのまにか泉谷の魅力に完全に嵌ってしまったのである。

そして、気が付くと友人とフォーク・ユニットを組んで路上やライブハウスで「白雪姫の毒リンゴ」を歌っている私がいた。


青春度 ★★★★★
長髪の泉谷に苦笑度 ★★★★★


おすすめアルバム 泉谷しげる登場


2009年4月2日木曜日

●予知不可能 saibara tenki

ジョン・ケージ拾読:引用の断章 2/4
予知不可能

compiled by saibara tenki


実験的行為の本質とは何だろうか? それは単に、結果を予知できない行為である。したがって、音を、感情や秩序の概念を表現するためのものとして搾取するのではなく、むしろ、音がそれ本来の権利を取り戻すように予め決めてしまっておけばとても便利だ。
(「合衆国に於ける実験音楽の歴史」ジョン・ケージ:『音楽の零度』近藤譲訳/朝日出版社1980所収)

歴史とは、様々な独創的な行為の物語である。(…略…)いくつかの種類の独創性は、成功や美や観念(秩序の観念:例えばバッハ、ベートヴェン)等を伴っている。そして、唯ひとつ、そうしたものを伴っていない、言わば、まったく何も含んでいない種類の独創性がある。ところが、成功や美や観念等を伴った種類の独創性はすべて、普通によく見受けられるもので(…略…)こうした種類の独創的な芸術家達は、アントナン・アルトーが言ったように、自己宣伝に忙しい豚に見える。(同)




2009年4月1日水曜日

●今日は西東三鬼の忌

今日は西東三鬼の忌


万愚節半日あまし三鬼逝く  石田波郷

三鬼忌のつひにしづかに吹くあらし  三橋敏雄

三鬼忌の舟虫つひに顔出さず  青柳志解樹

横文字の新聞燃やす三鬼の忌  桂 信子

三鬼忌の終わりて回る夜のレコード  寺井谷子

三鬼忌の水面は風の影ばかり  鷲谷七菜子

三鬼忌の衣だぶだぶ海老フライ  藤岡筑邨

支那街に揺るる焼肉西東忌  秋元不死男

殴られて壊れるビルや三鬼の忌  高野ムツオ

伸べし手をぱんと払はれ三鬼の忌  谷口智行

野遊びの遠い人影三鬼亡し  佐藤鬼房


compiled by tenki