2018年8月17日金曜日

【俳誌拝読】『円錐』第78号(2018年7月31日)

【俳誌拝読】
『円錐』第78号(2018年7月31日)


A5判、本文78頁。編集委員:山田耕司、今泉康弘、澤好摩。

前号に発表となった「第2回円錐新新鋭作品賞」受賞3氏の新作(各15句)を掲載。

間投詞ばかり口にし毛虫焼く  石原百合子

この世にはえんのしたにも秋がきて  高梨 章

赤い星コーラが乾くほど経つた  大塚 凱

なお、第2回新鋭作品賞・受賞作、選考座談会は、ウェブで読める。

≫選考座談会
http://ooburoshiki.com/haikuensui/2018/05/02/ensui_zadankai_77/

≫受賞3作
http://ooburoshiki.com/haikuensui/2018/05/01/sakuhinsho_2018/

(西原天気・記)

2018年8月16日木曜日

【新刊】筑紫磐井『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会』

【新刊】
筑紫磐井『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会』

2018年8月14日火曜日

〔ためしがき〕 興の運転見合わせ 福田若之

〔ためしがき〕
興の運転見合わせ

福田若之


ときどき、ものを読んだり、観たり、聴いたり、味わったり、抱きしめたりしても、もはやまったく満たされないときがある。それらが、おもしろかったり、あたたかかったり、やわらかかったり、きらきらしていたりするのがわからないわけではない。だが、まるですべてが薄膜越しに感じられているにすぎないかのようになる。つまり、それらがいつもどおりおもしろいことはわかるが、そのおもしろみに浸ることができないという状態に陥る。そういうときは、ものを変えても、なにひとつ変わらない。興の運転見合わせは、部分的なものではなく、全面的なものだ。故障は僕自身の身体に起こっている。経験的には、必要なのは眠ることだ。というよりも、それよりほかにしたいことがなくなるのだが。

2017/7/30

2018年8月12日日曜日

〔週末俳句〕家族でする句会 千野千佳

〔週末俳句〕
家族でする句会

千野千佳



2年前の夏、句会が楽しくてしょうがなかったわたしは、自分が主宰となり句会を開くことにした。できれば6人くらいでやりたい。

メンバーをどうしよう。わたしが普段参加している句会のメンバーを誘うのは畏れ多い。職場のひとを誘ったらドン引きされそうだし、ごはんに行く友達は今は1人しかいない。ということで家族を誘って句会をすることにした。

せっかくなので、俳号をつけることにした。

父、俳号「海士」(うみし)。海に潜ってサザエやもずくを採るのが趣味。自らこだわりの俳号をつけてきた。

母、俳号「こつぶっこ」。亀田製菓のお菓子こつぶっこのキャラクターに似ているので。
姉、俳号「キツネ」キツネ顔。

友達、俳号「みやじ」エレカシのファン。

友達の父、俳号「鶴の爺」俳句の腕に覚えありとのこと。

わたしの俳号はスイスロールとした。

1人3句出し。お題は「花火」「夏休み」「その他自由」とした。無記名で短冊に各々記入。3句✕6人で18句集まった。その中から1人3句いいと思うものを選び、うち1つを特選とする。友達とその父は投句のみの参加となった。

わたしの父と母はあまり本も読まないし、勉強を熱心にするタイプではない。姉も同様。句会をやりたいと言うと、父と姉は面白がってやる気になったが、母はそんな難しいことは嫌だ、と言った。母は勉強が苦手で、作文なんてもってのほか。わたしが中学生の頃、母の日記を盗み見て、誤字や文法上の誤りを指摘したら、「いやな子だね」と言われた。
母が作った俳句をみせてもらったら全く意味が通じないものだったので、わたしが手を入れた。

おのおのの作品を一つずつ紹介する。

 大花火五秒遅れて届くおと     父(海士)

 墓参りBGMはひぐらしで        姉(キツネ)

 教えてよ手持ち花火のできる場所      友達(みやじ)

 えごを煮る木べらの重くなりにけり     母(こつぶっこ)

 昼寝する孫を囲んで笑顔かな     友達の父(鶴の爺)

 ひぐらしや母の手紙の誤字だらけ     私(スイスロール)

一番人気はわたしの句「ひぐらしや母の手紙の誤字だらけ」。よかった。内輪ネタを盛り込めたのが高評価につながった。あとは鶴の爺の句が人気を集めた。わかりやすく、まとまりもよい。しかし父が「鶴の爺の句はありがちなんだよなぁ」とつぶやいていた。わたしは父を見直した。

俳句なんてどうしたらいいかわからない、と言っていた面々も、いざ作るとなると指で音数を数えたりして、数日間は頭が俳句モードになっていたようだ。自分で作った俳句には愛着がわくもので、句会で自分の句が読まれるがどうか、とてもどきどきする。句会の一番の醍醐味だと思う。主宰ぶって、「この句のどこがよかったのですか?」と聞いてみたが、面々は少し恥ずかしそうに「なんとなくだよ」と答えていた。

句会を終えて楽しくなったわたしたちは、近所の夏祭へ直行し、東京音頭の輪の中へ飛び込んだ。踊りという季語でなにか作れないかと考えながら。

2018年8月11日土曜日

【人名さん】ミック・ジャガー

【人名さん】
ミック・ジャガー

桃を廻してゆけばミック・ジャガーのこゑ  中嶋憲武


『豆の木』第22号(2018年5月20日)より。

2018年8月9日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








月代のあとや見あぐる高屋ぐら  西鶴

月代(つきしろ)は月の出の頃に空がしらむことだが、それに築城を言いかけた談林調(西鶴以外にも作例多し)。

「高屋ぐら」は軍事用の高い櫓。

場所は現・大阪府羽曳野市古市の高屋城跡――応仁の乱後、畠山氏の居城として築かれたが、天正3年(1575)織田信長の焼打ちにあい、廃城になったという。

〈月代の頃、高屋城跡の空を見上げると、かつての高櫓が一瞬みえた〉みたいなタイム・スリップ詠というか、天空の城詠というか。
 

いずれにしろSFチックな俳風だ。
 

作家・西鶴のノスタルジー云々といった近代的な解釈もあるが、? な感じは否めない。

ところで句の表記「ぐる」「ぐら」のせいか、

「高矢倉と呼んでいた倉グと揺らぐ」なんて気もしてくる。

2018年8月7日火曜日

〔ためしがき〕 うかつ 福田若之

〔ためしがき〕
うかつ

福田若之


ひとりごとを言うひとは、周りの目を気にし忘れて、うかつなことを言ってしまう。

ふたりで話をするひとは、重たげな沈黙をふりはらおうとして、うかつなことを言ってしまう。

三人かそれよりたくさんで話をするひとは、話題が移る前に言いたいことを言おうとして、うかつなことを言ってしまう。

このなかで、僕が自分のものとして許すことのできるうかつさは、ひとりごとのそれだけだ。対話のうかつさや談話のうかつさ――それらはいずれも、会話を音楽的にしようとすることから来るうかつさ、すなわち、すこし大げさに書くなら、生を美しくやりすごそうとすることから来るうかつさだ――は自分にはどうしても避けがたく、しかしながら同時に、自分のものとしてはどうしても許しがたい。

自分を許せないというところから、ひとつの夢が生じる。すなわち、もはや何ひとつ会話をすることなしに、ただともに生きてあること――ミンナニデクノボートヨバレ。しかし、宮澤賢治の言葉を借りてきたのも、ほんの思いつきにすぎない。あるいは、これもまたうかつなのだろう。気がつくと、書かれる句が思ってもいなかった道に出る。うかつにも無責任に、ふわ、風を依り代にした草の種のように。いつもどおり、ここに文はない。

2017/7/26

2018年8月6日月曜日

●月曜日の一句〔大関靖博〕相子智恵



相子智恵






秋風に万物の影動きけり  大関靖博

句集『大楽』(ふらんす堂 2018.7)所収

明日はもう立秋だ。今年の暑さが収まるのはいつのことになるだろう。

掲句を一読して、歳時記の立秋の頁に本意として必ず引かれている〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行〉(『古今和歌集』)の和歌を同時に思った。

藤原敏行は、秋の到来は目には見えないけれど、風の“音”で、それにはっと気づいたと表現したが、この作者は〈万物の影動きけり〉と、実際に“目に見えるもの”を描いて、それが秋風によるものだと断じているのが面白い。

万物の影が動くのを確認するためには、長い時間それらの影を見続けていなければならないだろう。しかしこの句は「さっと秋風が吹いたら万物の影が動いた」ように仕立てられている。“風が吹いたら影が動く”ということは実際にはないのだけれど、詩としてこのように提示されると、地球を俯瞰したような“神の目線”で、秋風が吹き渡っていき、万物の影が動いていくのを見ている気持ちになる。そして心が涼しくなるのである。

一切が一瞬であるような、不思議な時空の大きさを感じさせる一句である。

2018年8月5日日曜日

〔週末俳句〕署名と花籠 小津夜景

〔週末俳句〕
署名と花籠

小津夜景


ここのところ東京にいて、週末ごとに人前に出ていた。

7月29日(日)

本屋B&Bで新刊『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』発売記念のトークイベント。タイトルは「海外翻訳文学としての漢詩 ~古典との新しいつきあい方」。お相手は詩人の蜂飼耳さんと『未明』ディレクターの外間隆史さん。造本のこと、唐詩と宋詩の違い、江戸の女性漢詩人、土屋竹雨「原爆行」などについて話す。

イベント終了後は、あらかじめ考えていた方法で本にサインをする。サインってなんだか偉そうだし、なにより単純に恥ずかしいのでなんとかならないかなあ…と前から思案していたのですけど、下の写真の場所だったらすんなりできるので気に入っています。


8月4日(土)

編集工学研究所で、風韻講座の特別編「半冬氾夏の会」に出演。タイトルは「二〇一八年夏秋の渡り」で、酒井抱一「夏秋草図屏風」がほのかに匂いづけされている。お相手は歌人の小池純代さんとイシス編集学校校長の松岡正剛さん。

第1部では前もって参加者に出されていた宿題(拙句から栞にしたい一句を選び、さらにその栞を挟むのにぴったりな本を挙げる)に対して小津が寸評を加えるといった、全くもってご冗談でしょう!的遊戯をおこなう。遊戯の締めには朗読も。第2部では小池&松岡両氏と、複数の言語を耳でどのように捉えているか、俳句を構成しているレイヤーのこと、新刊の話題などについておしゃべりした。

この日は贈り物もいただいた。草花を寄せた花籠で、奇しくも酒井抱一的風韻をそこはかとなく感じさせる。送り主の名を聞くと、まだお目にかかったことのない知人から。人と人とはじかに会うのも楽しいけれど、そこに至るまでの長い時間も文句なしに素敵です。


2018年8月4日土曜日

◆週刊俳句の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2018年8月3日金曜日

●金曜日の川柳〔普川素床〕樋口由紀子



樋口由紀子






ごはんほかほか顔の左右の不思議なずれ

普川素床 (ふかわ・そしょう)

不思議な川柳である。状況をそのまま詠んでいるように見えるが決してそうではない。そのように見せかけているだけで、そのときの自分の感覚を色濃く出してきている。実際に見えないものを言葉で見ているようだ。

「ごはんほかほか」と「顔の左右の不思議なずれ」はつながっているのか。それとも切れているのか。「ごはんほかほか」はたぶん人生で五本の指に入るくらいの嬉しいことである。けれども、「顔の左右の不思議なずれ」となると、五本の指を大きく揺さぶる。「ごはんほかほか」の日常の幸せ感がなにやらへんになり、変質する。なぜそうなのかとの細部はどこにも書いていないし、匂わせてもいないので、別の意義が出てきそうでもある。ミステリーであり、ホラーである。それが日常というものの正体かもしれない。〈落花の夢無数の窓があいていて〉〈やさしさのせいで馬の顔は長くなった〉〈皮一枚思想一枚堕落せよ〉。