2019年12月30日月曜日

●月曜日の一句〔辻美奈子〕相子智恵



相子智恵







ゆく年の大いなる背に乗るごとし  辻 美奈子

句集『天空の鏡』(コールサック社 2019.11)所載

気がつけば今年もあと2日だ。暮れてゆく年、〈ゆく年〉というのは、「自力ではどうしようもなく大きく進む」感じがある。いや、いつだって時間は自分の意思に関わらず進み、自分の力ではどうにもならないものだ。けれども、例えば仕事の予定が一週間きっちり入っていて、それを黙々と進めているような日常では、「今週は忙しいなあ」くらいには思っても、月日は自分の手綱の下にあるような錯覚をしている。

しかし、仕事納めからのせわしなく過ぎる年末というのは、まさに〈大いなる背に乗るごとし〉で、大きな鯨の背中にでも乗ったように、あれよあれよと抗いようもなく時間の波に押し流されていく感覚がある。テレビなどでは何かと「総集編」があって、この一年をしみじみ振り返らされるのに、一方ではあと数日しかなくてせわしないという、時間が伸び縮みするような感覚の中で、その力をまざまざと見せつけられるのである。

虚子は「行く年」を〈年を以て巨人としたり歩み去る〉と自分と切り離したものとしてその大きさを視覚的に詠んだが、年の瀬にあたふたとしている私は、その背に乗って抗えずに進む、辻氏の〈大いなる背に乗るごとし〉の感覚に近い。

2019年12月28日土曜日

●土曜日の読書〔紙ヒコーキに乗る〕小津夜景



小津夜景








紙ヒコーキに乗る

友人の伴侶が紙ヒコーキにはまっている。

空力デザインを理詰めでかんがえながら、紙ヒコーキを手ずから折りあげ、家の外でとばす。ただそれだけのシンプルな遊びだ。

で、ある日、ホームメイドの紙ヒコーキをたずさえて埼玉の空き地に出かけ、夫婦でのんびり過ごしていたら、見たことのない男性が、

「まだまだシロートですね」

とかなんとか言いつつ近づいてきた。そして、わたしはさる紙ヒコーキの会に所属している者ですと名乗り、紙ヒコーキについて講釈を垂れたあと、なんと友人夫婦を紙ヒコーキ愛好家たちの会合に招待してくれたのだそうだ。後日、友人夫婦が案内された室内には、いつまでも空中を旋回しつづける神秘的な紙ヒコーキが実在したとのことだった。

「すごかったよ。紙ヒコーキが室内を、勝手にくるくる回ってるの。」と友人。
「そんなことあるの」とわたし。
「ふふ。これがあるんだねえ」

そんな狐につままれたような話を聞いたのはこの春のこと。さいきんふと思い出してネット検索したら、発泡スチロールペーパーでつくった紙ヒコーキは、無風の室内でゆっくりふわふわととぶ、との記述を科学方面のサイトに見つけた。とばすときは、けっして投げてはいけない。そうではなく、前方にしずかに押し出すようにして、空気の層の上に乗せるよう意識するのである。さらに、とんでいるヒコーキのうしろの空気をダンボールなどの板でかすかに押してやると、ヒコーキが上昇気流に乗っていつまでも宙に浮きつづけることもわかった。

映像作家にして民俗学者のハリー・スミスはとらえどころのないものを集めるコレクターでもあった。そんなハリーに、収集物を写真で紹介した『紙ヒコーキ/ハリースミスコレクション vol1』(J&L Books)という本がある。この本に登場する251機の紙ヒコーキはニューヨークの街路や建物でスミス自身が拾ったもので、機体にはいつどこで手に入れたのか記されている。ページをめくると、メニューだったり、政治ビラだったり、聖書だったり、マニラ封筒だったり、段ボールの端だったり、ルーズリーフだったりと、いろんな素材で作られた、ゴミから生還した紙ヒコーキが愉しめる。素材だけでなく、色も造形も、紙に書かれた文字も、なにもかもが生き生きとしておもしろい。

スミスの友人たちの話によると、スミスは新しい紙ヒコーキを、つねに、つねに、つねに探していた。友人の一人は、一度タクシーの中からそれを見つけたときの彼の興奮具合は尋常ではなかったと証言している。スミスは一瞬ですっかり心ここに在らずとなり、その一機を追って街中を探し回ったそうだ。

非常に興味深いのは、スミスがなぜここまで紙ヒコーキを探していたのか、友人たちの誰にもさいごまでわからなかったことである。スミスはなにも語らなかったのだ。とはいえささやかなヒントはある。たとえばこの本の冒頭には、こんな一文が存在する。
まあ、当然のことながら、私の真の使命は人類学であると私は考えています。……しかし、それは単なる娯楽であり、私の真の使命は死の準備です。その日、私はベッドに横になり、私の人生が私の目の前から去りゆくのを見るでしょう。
なるほど。たしかに拾った紙ヒコーキには、人間が触覚的存在としてよみがえる不気味さがあり、またその造形に製作者たちの幼少期の遺物を確認することができるという意味で、人類学や死につうじているーーというのは穿ちすぎで、もしかするとスミスはなにもかんがえず、ただ紙ヒコーキを集めながら、きたるべきその日、死者としていかに空気の上にうまく乗るか、そのエレガントな手順を、さまざまな遺物から考察していただけかもしれない。


2019年12月26日木曜日

●木曜日の談林〔松意〕浅沼璞


浅沼璞








酢瓶いくつ最昔八岐の大生海鼠   松意
『軒端の独活』(延宝八年・1680)

前回の「薬喰」に続いて冬の食べ物つながり。 

漢字が多いが、「スガメいくつ ソノカミ ヤマタの オホナマコ」と読む。

酢瓶につける大生海鼠を八岐の大蛇(をろち)に見立てた滑稽。

こんな大きな生海鼠を退治する(食べる)には、いくつの酢瓶が必要か。記紀神話の昔、八岐の大蛇の退治には八つの酒瓶を使ったくらいだから、やはり八つほどいるだろう、という洒落である。

伝説と現実のイメージギャップをねらう談林の典型だ。



田代松意(たしろ・しようい)は江戸談林の中心人物。本コーナーなじみの『談林十百韻』の編者でもある。

宗因没後、俳壇から姿を消すのは高政と類似パターンで、おなじく生没年未詳。

謎多き談林。 

2019年12月23日月曜日

●月曜日の一句〔大文字良〕相子智恵



相子智恵







酒かへる度に乾杯今熱燗  大文字 良

句集『乾杯』(邑書林 2019.11)所載

呑む酒の種類を変えるたびに乾杯をするというのは何とも楽しい。おそらく最初はビールで乾杯したのではないか。そのあとは日本酒の冷(ひや)かもしれない。いろいろ呑んで、今は熱燗なのである。

〈酒かへる度に乾杯〉をしたということは、居酒屋でありがちな、それぞれがバラバラに好きな酒(カシスソーダだとかグラスワインだとか)を自分のタイミングで頼むスタイルではなく、壜や徳利で頼み、皆で同じ酒を分かち合って楽しんでいるのだということが推測される。「次はこの銘柄呑んでみようか」「いいね」「さあ来たぞ、乾杯だ」「乾杯!」などというような、酒の趣味も合う気の置けない仲間なのだろう。酒を分かち合うと同時に、酒を尊重する気持ちも皆が分かち合っていることが感じられる。

〈酒かへる度に乾杯〉だけでも十分に宴会の楽しさがあって、他の季語を入れても合うかもしれない。けれども〈今熱燗〉の、落語のサゲのようにトトンと調子よく下五を畳みかけるスピード感、臨場感は何物にも代えがたい。熱燗なので、だいぶ酒が進んだ頃のように感じられる。〈今熱燗〉のとぼけた感じが、さらに一句の楽しさを引き出しているのである。

2019年12月20日金曜日

●金曜日の川柳〔竹井紫乙〕樋口由紀子



樋口由紀子






こんにちはぽろぽろ。さよならぽろぽろ。

竹井紫乙 (たけい・しおと) 1970~

「こんにちは」は出会ったときのあいさつのことば。「さよなら」は別れるときのあいさつのことば。それにそれぞれ同じ「ぽろぽろ」と句点がついている。「ぽろぽろ。」は同じ意味で使われているのだろうか。軽いものが一つ一つ落ちるさまだから、涙もそうだし、出会いも別れも「ぽろぽろ」と言われれば、「ぽろぽろ」のイメージとぴったりと合う。

しかし、わざわざ「。」がついている。それだけじゃないよと言われているみたいで立ち止まる。組み合わす言葉や表記によって言葉は変容する。「ぽろぽろ。」が言葉の持っているたたずまいや不思議さをくるくると回転させながら見せてくれているような気がする。まったく濁っていない川柳である。『菫橋』(港の人 2019年刊)所収。

2019年12月16日月曜日

●月曜日の一句〔藤田哲史〕相子智恵



相子智恵







一巡りして弧が閉じる寒卵  藤田哲史

句集『楡の茂る頃とその前後』(左右社 2019.11)所載

読み切って、脳内が静謐な、無音の白さに包まれた。

〈一巡りして弧が閉じる〉のような理知的な書きぶりというのは、頭で変換しなければならない分、正直、私は感興が湧きにくいたちで、〈寒卵〉がうすぼんやりしている段階まではさらりと読み流していたのだけれど、〈寒卵〉がぱちっと目に入った瞬間、そこで文字通り、時が止まってしまった。完璧なかたちの、白くて冷たい〈寒卵〉を表すのに、〈一巡りして弧が閉じる〉とは、なんと美しい措辞なのだろう。

〈弧が閉じる〉は卵の完璧なかたちを示しているだけではなくて、そこに「冬そのもの」が閉じ込められているような飛躍が、確かにある。「冬籠」という季語が、本当は人事に限るものではなくて、草木もすべての活動をやめてじっと籠って春を待つ「ふゆこもり(冬木成)」であったように、すべてのものが籠る冬はまさに〈一巡りして弧が閉じ〉た〈寒卵〉の中にいるような状態ではないか。〈寒卵〉の白さと冷たさは雪のそれを思い出させて、〈弧が閉じる〉には空間だけでなく、白く冷たい雪に閉ざされた「冬の時間」をも閉じ込められているような気がした。

完璧に弧が閉じているのに、それでいて白さがすべてを覆い尽くしていて、狭いのだか遥かなのだか、暗いのだか明るいのだか、まるで自分が大きな〈寒卵〉の中に入ってしまって、ただただ白い世界の中でひとり春を待っているような気がしてくる。

一読、数学的な把握で抒情から遠く、乾いているように見えながら、その中にぴっちり充填されている、静かな抒情に確実に引き込まれる句だ。それはどこか、この白く美しい句集の佇まいとも、すべての句群とも、通じているような気がする。

2019年12月14日土曜日

●土曜日の読書〔自由をたずさえる〕小津夜景



小津夜景








自由をたずさえる

漢詩の翻訳にまつわることでひとつ興味深いのが、文人による翻訳でしばしば定型が好まれてきた現象だ。

彼らの翻訳は、音数を合わせるために、大筋をまねて細かい点をつくりかえた翻案であることが多い。この手法は、原詩との戯れの中にはっとするような駆け引きがあったりして、見ていてなかなか面白い。

ただ漢詩をわざわざ定型詩として翻訳するというのは、少し考えてみると奇妙である。というのも松浦友久が述べているように、漢詩は定型詩ではなく、明治になるまで日本で唯一の自由詩だったからだ。

歴史上、日本人が漢詩というとき、いつでもそれは「訓読漢詩」を意味してきた。つまり漢詩は、視覚的・観念的には定型でも、聴覚的・実際的には音数律に縛られないフリースタイルとして人々に受け入れられ、和歌や俳諧ではあらわすことのできない種類のリズムとして愛されてきたのである。

たとえば、日本での李賀の人気は、明らかに型破りの、自由詩的なパッションへの渇望に由来している。また日本でもっとも漢文が盛んだった時期は江戸末期から明治にかけてなのだけれど、頼山陽や夏目漱石みたいな人たちの漢詩のできばえも、たんに彼らの教養や文才にからめるのではなく、近代の夜明けの雰囲気や彼らの思索や情熱が、より自由自在な詩的音律を欲していたと思い描くと、視界がちがってくるかもしれない。

自由への渇望とともに、漢詩をたずさえること。ここで思い出すのが1970年代初め、李賀の詩集をバックパックにつめこんで日本を旅立ち、ユーラシア大陸を横断した沢木耕太郎の『深夜特急』だ。この本の終盤、ギリシアからイタリアまでを船で渡るくだりがある。蓄積された疲労の中で次第に何も感じなった「僕」は、長い旅の終わりを肌で感じながら、旅することの意味を自問自答しつづける。そして辿りついた大いなる空虚の中で、甲板から紺碧の地中海に黄金色の酒をそそぎ、一言、このように綴る。
飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん。その時、僕もまた、過ぎ去っていく刻へ一杯の酒をすすめようとしていたのかもしれません。(沢木耕太郎『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』新潮文庫)
李賀「苦昼短」の一節「飛光飛光 勧爾一杯酒」がここにある。で、もしも「苦昼短」をまるまる翻訳するとして、この力強いフレーズをわざわざ定型に押し込めるかと考えてみると、うーん、たぶん無理だ。論理と律動性においては漢文訓読体の遺産を継承しつつも、文体面においては定型を断ち切る自由な言葉を与えることの方が、わたしには面白そうである。





2019年12月13日金曜日

●金曜日の川柳〔橋本緑雨〕樋口由紀子



樋口由紀子






酒ついであなたはしかしどなたです

橋本緑雨

忘年会のシーズンである。酒をついだのはいいが、さて、誰なのか。こういうことは誰にでも一度は経験があるだろう。同じ宴席にいるのだから、なにがしかのつながりはあり、間接的に知り合いなのはまちがいないはずである。が、見たこともない人である。

たいがいは知ったふりをしておく。まして、「どなたです」とわざわざ本人に聞くことなどはしない。しかし、酔いにまかせて聞いてみた。「どなたです」の言葉遣いで生き生きと景を描写する。「どなたです」と言われて相手のきょとんとした様子も手に取るようにわかる。でも、どちら酔っ払いのはず。「まあ、そんなことはより、まあ、一杯」となったのだろう。

2019年12月12日木曜日

●木曜日の談林〔高政〕浅沼璞


浅沼璞








隠口のはつかなりけり薬喰   高政
『誹諧中庸姿(つねのすがた)』(延宝七年・1679)

またまた高政だが、例によって凝った句なので、まずは語釈から。



隠口(こもりく)は初瀬(泊瀬)にかかる枕詞。

その初瀬から「はつか(僅か)」へと続く。

薬喰(くすりぐひ)は寒中に滋養のため獣肉を食べることで、周知の季語だけれど、当時は俗語でもあった。

よって字面をたどると上五・中七は雅語的な掛詞、下五が俗語的な季の詞で、この落差が句意にも反映している。



長谷寺で知られる信仰の地・初瀬は山に囲まれている。

そんな山にこもっているような地形から隠口(隠国)と言うようになったようだが、それを「口臭を隠す」という意に転じているのが下五「薬喰」である。

下五から上五へ、談林的な「行きて帰る心」といってもいい。




仏教では禁じられている肉食。

その口臭を「はつか」に抑えたい、けどどうしても食べたい、というジレンマが「けり」に読みとれて、笑える。



ちなみにこの発句の脇は――
杉箸寒き二本の里   春澄
初瀬の二本(ふたもと)の杉による挨拶句である。うまい。

2019年12月7日土曜日

●土曜日の読書〔番外編・インスタント翻訳法〕小津夜景



小津夜景








番外編・インスタント翻訳法

漢詩が海外文学であることに気づいていない人は、思いのほか多い。

そんなに日本人の血肉と漢詩は分かちがたいのだろうか。

そもそも漢文の訓読は古代から存在する習慣で、はじめは翻訳ではなくあくまで読解のいとなみだった。それが返り点などの補助記号が考案され、読み下し方が流派ごとに固まって、しだいに漢文訓読体とよばれる文体として定着してゆくのである。

読解が文体の域に達したとき、いったい何が起こったかというと、まるで書き下し文がそのまま翻訳であるかのような空気ができあがった。とはいえ書き下しただけで意味が正確に理解できる漢詩はまずないから、漢詩の本をひらくと、書き下し文の横にさらに訳がついている。で、この訳というのがまた、ほかの外国詩とはまったく毛色の異なるふつうの説明文で、味わいも何もないのはマシなほう、たまに食べられないくらいまずかったりもする。漢詩が好きで、みんなに勧めたいわたしとしてはそれがとても悲しいのだけれど、今でも漢詩には書き下した時点で翻訳が終わったという了解があって、そんな風になっている。

だが今は悲しみを忘れて漢文訓読の話をつづけよう。というのも、このシステムそのものはかなりおもしろい発明だからだ。たとえば川本皓嗣は、漢文訓読にまつわる一連の流れを即席翻訳法、今でいう機械翻訳システムの開発だったと述べている。このインスタント翻訳法があったせいで日本人は、中国語で音読せず、さりとて日本語にも翻訳せず、といった独特の距離感で漢文とつきあってきたのだ、と。

即席翻訳法はインスタントだけあって、原文の漢字をそのままフルに活用するといった効率性が売りだ。ふつうは翻訳しろと言われたら、「これ、日本語にどうやって置きかえたらいいのかな」と頭を悩ませないといけないが、漢文訓読ではそんなことは気にせず、目の前にある漢字をシンプルに並べかえればよい。さらにこの翻訳法は文法解析能力についても超一流で、並べかえの順番はしっかりマニュアル化されている。

文法解析に強い一方、日本語への変換機能は搭載されていない。ここが大きな欠点だ。わかりやすい例をあげると、中国語と日本語で意味のちがう漢字というのがある。「湯」が中国では「スープ」という意味だったり、「鮎」が「ナマズ」だったり、という風に。ところが漢文訓読ではこんなかんたんな言葉の置きかえさえしないから、せっかくきれいに書き下しても、肝心の意味がさっぱり見えてこない。漢語がむずかしいとか、そういうのじゃなくて、たんに機械翻訳すぎて日本語として意味不明なのだ。

じゃあどうして日本人は、わけのわからない書き下し文を読んで快楽をおぼえることがあるのか。これは漢文訓読体が堂々として美しいという音楽的理由の他に、古代の中央文明に身をゆだねる安心感もあるだろう。あと漢文で書かれた原典はいわば聖典であり、知識人たちにとっては秘語だった方が権威に酔えるし、一般人にとってはふわっと感覚できればそれでじゅうぶんありがたかったという事情も絡んでいそうだ。お経なんて漢文の比じゃなく、ほんとひとつもわからないものね。

2019年12月6日金曜日

●金曜日の川柳〔奥村数市〕樋口由紀子



樋口由紀子






胃の中で暮しの蝙蝠傘押しひろがり

奥村数市 (おくむら・かずいち) 1923~1986

胃というのは敏感な臓器で、心配事や嫌なことがあるとすぐにちくちくと痛む。また、食べ物を消化してくれるのも胃の大事な役目である。そんな胃の中に蝙蝠傘があるという。その「蝙蝠傘」は昔によくあった重くて大きな傘で、今のようなワンタッチの手軽で軽量のものではないだろう。それも「暮しの蝙蝠傘」。「暮し」とは生活のことだろう。生活をしていく中で、存在感のある傘が胃の中で押しひろがってゆく。ゆるやかに、それでいてぐっぐっと、じわじわと胃の壁を押すように大きく広がってゆく。

不思議な感性である。しかし、私も自分の胃の中で蝙蝠傘が押しひろがってくるようなことがあったような気がしてきた。『奥村數市集』(川柳新書)所収。

2019年12月5日木曜日

●奥歯

奥歯

奥歯あり喉あり冬の陸奥の闇  高野ムツオ

田作りを奥歯で噛んで独り者  鈴木真砂女

春日や奥歯につぶす大あくび  雨宮抱星

奥歯より秋染みるなり酌み交はす  なかやまなな〔*〕


〔*〕『奎』第11号(2019年9月12日)

2019年12月2日月曜日

●月曜日の一句〔井越芳子〕相子智恵



相子智恵







鳥声をかがやかせたる霜柱  井越芳子

句集『雪降る音』(ふらんす堂 2019.9)所載

寒い朝、霜柱を見つけた。土を押し上げている細い氷柱の輝きに見入っていると、どこからか鳥の声が聞こえてくる。冷たく澄んだ冬の朝の鳥の声は、作者の耳にいつもよりも鋭く聞こえているのだろう。眼中は霜柱の輝きにあふれ、いつしか聞こえてくる鳥の声も輝いてきたように感じる。この霜柱が鳥の声を輝かせているのだ。

〈かがやかせたる〉によって視覚と聴覚はつながり、〈鳥声〉と〈霜柱〉で空と大地もつながる。しかも、つながりは一方向ではない。読者は〈鳥声〉から読み始めるので、最初に空に意識が行き、〈霜柱〉で大地に着地するけれど、そこで〈かがやかせたる〉の目的語を反芻して、また空へと意識が向かう。読者の心の中で空と大地は往還し、目と耳も往還する。共感覚のように宇宙と自身の感覚がぐるぐるとめぐり始める。

内包された世界が大きく、美しい一句である。

2019年11月30日土曜日

●土曜日の読書〔砂糖菓子と石〕小津夜景



小津夜景








砂糖菓子と石

先日、はじめてニースに来たというパリジャンの前でトレーズ・デセールの話をしたら、それほんとにフランスの習慣なの、聞いたことないんだけど、と怪訝な顔をされた。そうだよ、パリだけがフランスじゃないんだよ。ささやかなお国根性を胸のうちに認めつつ、わたしはそう返答した。

トレーズ・デセールは十三のデザートという意味で、クリスマス・イヴの晩ごはんのあとに食べるプロヴァンス地方の伝統食である。かならず用意するのはポンプ・ア・リュイル、白ヌガー、黒ヌガー、干しいちじく、干しぶどう、アーモンド、クルミまたはヘーゼルナッツの七品で、あとは花梨の羊羹、くだものや花の砂糖漬け、干しなつめやしの練りアーモンド入り、みかん、メロン、地元の銘菓などをみつくろって、とにかく十三品を食卓にならべるのだ。

ポンプ・ア・リュイルはバターのかわりにオリーブオイルを練りこんで焼き、粉砂糖をまぶした平べったいパンで、オレンジの花の蒸留水で香りづけがしてある。食べるときはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」よろしく手でちぎり(パンはキリストの身体ゆえ、ナイフで切るのはご法度らしい)、煮つめたワインにひたす。ヌガーはメレンゲに砂糖、ナッツ、ドライフルーツを混ぜて固めた南仏の郷土菓子だけれど、砂糖菓子を語るならば、わたしはくだものや花の砂糖漬けのほうがずっと食べたい。

よし。クリスマス・イヴのまえに砂糖漬けをもういちど復習しておこう。わたしはそう決めて、今日港に用事があったついでに、そこからすぐのところにある砂糖菓子のアトリエに立ち寄った。このアトリエは、昔ながらの製法でつくるところを目の前で実演してくれるのだ。

胃袋は四次元ではない。この誰しもが知るべき法則と照らし合わせつつ、物腰やわらかに相手をしてくれる店員の横で、わたしは今年のトレーズ・デセールになにを食べるべきかを吟味してゆく。店員は、美しい宝石のような、はたまた妖しい奇岩のような、色とりどりの砂糖菓子をじゅんばんに説明する。

「こちらはすみれの砂糖漬けです。砂糖の結晶が、アメジストの原石をイメージさせます」

なるほど。眺めるだけで心が安らぎ、浄化され、神聖な気持ちがやしなわれる点は、たしかに原石と向かい合っているときと変わらない。まったくなんという徳を有しているのだろう砂糖漬とは。

「で、こちらは砂糖をまぶしたベルガモットの飴」
「わあ。付け爪みたい」
「シュガーネイル、あとシュガーストーンもこんな感じですよね」

シュガーネイルにもシュガーストーンにも縁はないけれど、わたしは店員の説明に深くうなずく。爪の原石といえば、江戸時代中期の奇石蒐集家で、日本考古学の先駆者の一人ともされる木内石亭が、なんだろうと首をかしげた天狗の爪というしろものがある。
弄石ブームに乗じてへんな石商人も横行していたが、石そのものにもへんなものがあった。一例が天狗の爪石。石亭七十三歳のとき、この石について「天狗爪石奇談」という考証を著している。「いかなる物か不詳。故人も考索せざる異物なり」とあって、正体がよく分からない。大きさは米粒大から三、四分ばかり、なかには三、四寸のものまである。青白色に光り輝いている。海浜の砂のなかや古い船板の間などにみつかる。屋敷などに天狗の乱入した後に残されるともいう。産地は能登、越後などに多い。(種村季弘『不思議な石の話』河出書房新社)
これ、いったいなにかわかりますか。答えはサメの歯の化石です。浅い海の地層から出土し、もっとも巨大なカルカロドン・メガロドンになると歯もすごくて、ティラノザウルスの倍の噛む力があった。平泉の中尊寺や藤沢の遊行寺ではこの化石が天狗の爪として寺宝となっているらしいのだけれど、この石を拝むといったいどんなよいことがあるのかは知らない。




2019年11月29日金曜日

●金曜日の川柳〔早川清生〕樋口由紀子



樋口由紀子






愛よりも布団があたたかい余生

早川清生 (はやかわ・せいせい)

冬の朝は布団から出られない。目は覚めているのだが、ほかほかの布団から出たくない。ずっとこのまま布団の中でほっこりしてしたいと毎朝思う。

若いころは愛が人生で一番大事なものだと思っていた。愛さえあれば生きていけると思っていたはずである。今になってはそれもあやふやで確証が持てないけれど、たぶんそう思っていたのだと思う。しかし、もう余生。愛のような、よくわからないややこしいものよりは現実的に、単純でわかりやすい布団のあたたかさがなによりありがたいと思う。布団が一番というのは余生の身にしみての実感だろう。しかし、「愛」と「布団」を同じ土俵にあげるなんて、そこに感心する。『よしきり』(平成22年刊)所収。

2019年11月28日木曜日

●木曜日の談林〔西鶴〕浅沼璞


浅沼璞








おやの親夕は秋のとま屋かな   西鶴
自筆短冊(年未詳)

新出の西鶴発句。

『東京新聞』(2019年11月17日付)、塩村耕氏の連載「江戸を読む」99回(西鶴とヌケ)より引用。



連句では一昼夜で二万句をこえた西鶴だが、発句は存外すくなく三百ほど。

掲出作品は見たことがないなぁ、と新聞をつぶさに読んでみると、塩村氏蔵の短冊らしく、写真まである。



その塩村氏の解説にそって句をたどると――

「親の親」は歌語として使われてきた表現で、祖父母または先祖のこと。
 
「夕べは秋の苫屋」は定家の〈見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ〉の本歌取り。
 
見わたせば花も紅葉もなかりけり〉が詠みこまれていないのは談林的なヌケ(抜け)の手法。
 
これらに従うと全体の句意は、「祖父母の代は裕福だったけれど、いまや財産という財産はなかりけり。秋風の身にしむ、苫葺きの粗末な家に住んでいる」といった感じになる。

新聞でも指摘されているが『永代蔵』や『置土産』に描かれた当世の俗世間である。



「親の親」は西鶴の好きな歌語だったらしく、連句でも、
親の親その親の親おもひやり(仙台大矢数・1679年)
親の親安達が原へ尋ね行く(西鶴大矢数・1681年) 
などと詠まれている。
 
また定家の本歌取り(あしらひ)については、西鶴に限らず、談林では枚挙に遑がない。



ところで「夕べは秋の苫屋かな」について氏は、「秋の苫屋の夕べかな」を倒置法的に言い換えたもの、と指摘している。
 
けれどこれは、
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ  後鳥羽院(新古今)
の「夕べは秋」の詠みぶりに近いとみたほうが自然ではないだろうか。「秋は夕暮れ」(枕草子)という固定観念を突っぱね、春の夕霞に美を見出した、その後鳥羽院の詠みぶりに。

となるとこの発句、字面は歌語(雅語)を連ねながら、ヌケのコンテクストによって当世の美を表現しえた稀代の新出句、ということになるのかもしれない。

祖父母の財産はなくなったけれど、夕暮れといえば秋のあばら家こそ趣深いものなのである。

2019年11月25日月曜日

●月曜日の一句〔松本てふこ〕相子智恵



相子智恵







雪道を撮れば逢ひたくなつてをり  松本てふこ

句集『汗の果実』(邑書林 2019.11)所載

人々が〈雪道〉のような「何気ない風景」を気軽に撮影するようになったのは、「カメラ付き携帯電話」の普及からだろう。「写メ」という言葉が現れた2000年以降の文化だ。それまでのカメラは(それを仕事や趣味にする人は別として)旅行やイベントの際に撮るものであって、「何気ない日常風景(それも人が写っていない)」は撮る対象として意識されていなかった。

さらにスマートフォンが生まれ、インスタグラムやTikTokなど、写真や動画がメインのSNSが普及して、この20年ほどで写真や動画に対する意識は変わった。それまでの写真は、あくまで「個人か、その写真に写っている人の範囲を超えないパーソナルな物」だったけれど、いつしか「個人的かつ、知らない人にまで見てもらえる地球規模の媒介物」になった。写真を撮る時の意識は、「後から自分で見て楽しむ」から「SNSにアップロードしたり、メールで送って見てもらって一緒に楽しむ」に変わっている。

掲句、〈雪道を撮れば〉には、そんな「写真(動画)が人々を気軽につなぐ時代」の空気感がある。日常の何気ない〈雪道を撮〉ってみた。SNSにアップしようか、恋人にメールやLINEで送ろうか。撮った瞬間から、自然に写真を誰かと共有することを考えている自分がいる。

しかし携帯画面で今撮った雪景色を確認しているうちに、ふと〈逢ひたくなつてをり〉という直球の恋情に気づく。「本当は写真を送って共有するのではなく、恋人と逢って一緒に見たい。この何でもない雪道を」と思ってしまう。雪は、「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」という白楽天の頃から変わらぬ普遍的な親愛の情を思い起こさせる存在である。

〈雪道〉+〈逢ひたくなつて〉のつながりには前述のように歴史的に積み重なった普遍的な抒情がある。しかし、「雪」ではなく〈雪道〉という言葉の放つ「日常感」や、〈撮れば~なつてをり〉の、明確な因果関係は見えないのにオートマティックにつながるレトリックの立ち現れ方には、現代的な感覚がある。

俳句における「新しい抒情のかたち」が見えてくるような一句だ。

2019年11月23日土曜日

●土曜日の読書〔なつかしい土地〕小津夜景



小津夜景








なつかしい土地

試着室の前に立ち、オリーヴ色の帆布のカーテンをじっと見つめていると、イリナが内側からカーテンをいきおいよくあけて、わたし、ロシアに帰ることにしたの、と言った。

片手でカーテンをつかみ、両脚をクロスさせて、革製のワンピースでポーズをとる目の前の女性が、わたしに相談もなくロシアに帰るとはとうてい思われない。だってわたしたち、とても仲がよいのだから。だがイリナはもういちど「帰ることにした」と言い、硝子の粉をかぶったのかと疑うくらい透きとおる顔色でこちらを見つめている。それでわたしにも、あ、これは本当に帰るな、とわかった。

ワンピースの入った紙袋をさげ、イリナの部屋へゆく。小さなバルコンに出て、ロシア人の密集地域ってどっちにあるんだっけとたずねる。イリナは、あっちのほう、と指にはさんだ煙草で指し示してくれる。

「そこ行ってみたいな」
「止したほうがいいよ。排他的だから」
「へえ」
「もう少しなんとかなってほしいんだけど。どの国の人も、国籍で固まって住むとかえって難しい状況になるわ」
「ん。どうだろうねえ」
「ねえ、この国で死ねる?」

突然、イリナがわたしにたずねた。わたしは地球で死ねるのだったらどこでもいい、この星全体がわたしのなつかしい土地なのと答えた。するとイリナは、わかる、わかるよ、わかるけど、でもやっぱりここで死ぬのがわたしは怖いの、ロシアに帰ったって故郷もなければ家族もいないのにふしぎだねと呟いて、バルコンの棚にのせた植木鉢の根方に煙草の吸殻を落とそうとした。急に指先の灰がまくなぎのようにぱっと舞い上がった。そしてふいをつかれたわたしの胸元でつかのま風に撓んでみせたかと思うと、細い棒をはいあがる花蔓を避けてふわりと地面に散った。その無表情な灰の散華は、在るべき場所を追われ、ゆくあてを見つけられないとまどいの中でにわかに生き絶えたもののようだった。
故郷はまさに環世界の問題である。なぜなら、それはあくまでも主観的な産物であって、その存在についてはその環境をひじょうに厳密に知っていてもほとんどなんの根拠も示せないからである。問題は、どんな動物が故郷をもち、どんな動物がもたないかである。シャンデリアのまわりのきまった空間部分を行ったり来たりかすめ飛ぶイエバエは、だからといって故郷をもっているわけではない。これとは反対に、クモは巣をつくり、たえずそこで生活する。この巣はクモの家であるとともに故郷である。(ユクスキュル、クリザード『生物から見た世界』岩波文庫)
ヒトは故郷をもつ動物だ。わたしもヒトである以上、イエバエ同様シャンデリアのまわりを死ぬまで飛びつづけるのは、うーん、ちょっといやだ。けれども、この地球全体がわたしのなつかしい土地であると信じ、故郷の概念を押し広げさえすれば、いつか来るべき悲しみは存在しない。だから、とりあえず、そう信じることにしている。


2019年11月22日金曜日

●金曜日の川柳〔筒井祥文〕樋口由紀子



樋口由紀子






再会をしてもあなたはパーを出す

筒井祥文 (つつい・しょうぶん) 1952~2019

再会だから、以前にはなんらかの関係があり、たぶんつまらないことで仲違いして、それっきりになっていたのだろう。それがやっと会えた。それなのに、あなたは何も言わずにただ「パーを出す」。思いもよらない「パー」である。それは「さようなら」なのか、「いまさら」なのか。これほど堪えることはない。まだ嫌味を言われる方がよほどましである。男の心情がよく出ている。両人のやるせなさ、どうしようもなさが直に伝わり、その場の雰囲気が手に取るようにわかる。どうしようもない距離感を「パー」という言葉で形を与えた。

筒井祥文が亡くなって八か月が過ぎた。そういえば、最後に病室で別れたときも彼はパーを出した。有志で編んだ遺句集がもうすぐ出来上がる。筒井祥文句集『座る祥文・立つ祥文』(2019年刊)所収。

2019年11月20日水曜日

●おとな

おとな

外套の大人と歩む子供かな  千葉皓史

育たなくなれば大人ぞ春のくれ  池田澄子

大人から大人へ飛ばす水鉄砲  岡田由季〔*〕

豆ごはん大人の人は大盛に  如月真菜

悲しさやをがらの箸も大人なみ  広瀬惟然


〔*〕『Υ(ユプシロン)』第2号(2019年11月1日)

2019年11月18日月曜日

●月曜日の一句〔関根道豊〕相子智恵



相子智恵







冬茜コスト・カッターの終焉  関根道豊

句集『地球の花』(角川書店 2019.8)所載

〈コスト・カッター〉はコスト(費用)を削減する人。バッサバッサとコストをカットしてきた人が、あっという間に暮れてしまう冬夕焼の中で、自らもカットされてしまったのだろう。〈終焉〉を迎えている。これを例えばカルロス・ゴーン氏の末路のように読んでしまえば単なる時事に過ぎないのだが、そう読んでしまっては面白くないだろう。

〈コスト・カッターの終焉〉という言葉は、なかなかに過剰である。そのまま「週刊ダイヤモンド」や「東洋経済」など、経済系の週刊誌のキャッチコピーになりそうだ。〈冬茜〉と〈終焉〉も「終わる」という意味で付き過ぎなのだけれど、この二重三重の過剰さが、何だか「劇画タッチ」で、妙な味わいを醸し出している。

そういえば「コスト削減」という錦の御旗の前では、いつだって私たちは無力だ。バッサバッサとカットされ、やがて全員がカットされる。そう、最後の〈コスト・カッター〉すらも。生きているだけで費用がかかるのだから。「コストの亡霊」が勝ち、そして誰もいなくなった未来。そんな痛烈な現代批評の句と読んでみたい。

2019年11月15日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子






プラゴミののたりのたりと春の海

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

あきらかに与謝蕪村の名句〈春の海終日のたりのたりかな〉のマネである。蕪村の句はおおらかで、ゆったりと、なんともいえぬ春の風情を感じさせる。しかし、プラスチックゴミが「のたりのたり」と春の日差しを受けて、海に浮いていたのでは、春の海の詩情などぶっ飛ばし、身も蓋もなくなる。

海に流れ出るプラスチックゴミ問題は深刻で、死んだ魚のおなかから大量のプラゴミが出て来た映像は衝撃的だった。プラゴミはいずれは魚の総重量数を上回るとの試算もある。「のたりのたり」などと悠長なことを言っている猶予はない。「のたりのたり」の言葉を逆手に取って、薄気味悪くし、現実を突きつけている。「触光」(61号 2019年刊)収録。

2019年11月14日木曜日

●木曜日の談林〔高政〕浅沼璞


浅沼璞








木食やこずゑの秋になりにけり   高政
『洛陽集』(延宝八・1680年)

ひきつづき高政の発句。



木食(もくじき)は米穀を断ち、木の実を主食とする修行僧のこと。
梢の秋は、梢の「すゑ」に秋の末をかけていう陰暦九月のこと。

「木食上人にはうれしい、梢に木の実が熟す季節になった」というような意を含んでいよう。



前回の奇抜な「見立て」と比べるとだいぶ大人しめの感じだが、それもそのはず、談林末期のトレンドな俳体として、芭蕉の〈枯枝に烏とまりたりや秋の暮〉(初出句形)と同格に扱われた句であった(『ほのぼの立』延宝九・1681年)。
このあと宗因没(天和二・1682年)を契機に、高政が鳴りをひそめた件は前回もふれたけれど、西鶴のみならず、芭蕉の存在も高政にとっては脅威であったかもしれない。



ところでこの句に先行して
実はふらり梢の秋になりにけり  信徳(後撰犬筑波集)
という類句があり、「木食や」は信徳の推敲句という説もある(荻野清氏説)。

しかし掲出のように『洛陽集』『ほのぼの立』では高政の作として扱われているし、真蹟短冊も認められているので、ほぼ高政作で間違いないだろう(信徳を真似たかどうかは別問題として)。



ここから連想されるのは、おなじダブル切字の作品、
降る雪や明治は遠くなりにけり  草田男
である。

先行作に〈獺祭忌明治は遠くなりにけり〉(志賀芥子)があり、物議をかもしたエピソードは有名である。



俳諧において類句・類想は当たり前のことであるが、「降る雪や」と似たケースが談林末期にもあったことは記憶しておいていい。

2019年11月13日水曜日

●焼鳥

焼鳥

焼鳥や恋や記憶と古りにけり  石塚友二

焼鳥の我は我はと淋しかり  佐藤文香

串を離れて焼き鳥の静かなり  野口る理

秋めくや焼鳥を食ふひとの恋 石田波郷


2019年11月11日月曜日

●月曜日の一句〔長岡悦子〕相子智恵



相子智恵







凩やぽんと明るく伊勢うどん  長岡悦子

句集『喝采の膝』(金雀枝舎 2019.9)所載

冷たく乾いた凩とうどんの取り合わせと、〈ぽんと明るく〉の佇まいがかわいらしくて一読で気に入った句。しかしながら、実は伊勢うどんを見たことも食べたこともなくて(蕎麦圏育ちなもので……)想像もつかなかったので調べてみた。

写真を見ると、太く柔らかい(らしい)麺と少しの青ネギだけがシンプルに丼の中にこんもりと盛られていた。たまり醤油を使っているという真っ黒なつゆはとても少なくて、丼の端の方にほんの少し見えるだけだ。けれどもその端っこの黒さが麺のつるんとした白さを際立たせていて、暗闇を照らす裸電球のように、麺の明るさが増している気がする。うん、まさに〈ぽんと明るく〉の風情である。

寒い凩の中をやってきて、立ち食いうどん屋で「ぽん」と伊勢うどんが出てきたら、それだけで気持ちが明るくなるし温まりそうだ。〈ぽん〉と〈うどん〉のリズムも楽しい。
掲句は、私のように伊勢うどんを知らなくても妙に心に残る。「凩」と「うどん」だけでできていて、「凩の中のうどん屋」のように文脈は想像できるのだけれど、それでいて文脈が決して前に出てこない。素材だけを即物的に並べた景がもつ、説明のいらない乾いた面白さがある。

2019年11月9日土曜日

●土曜日の読書〔町中に風呂が〕小津夜景



小津夜景








町中に風呂が


フランス人の生活習慣は、自分の知るかぎり地方ごとにずいぶん違うから、いまだに何がふつうなのかよくわからない。彼等自身が共有するセルフ・イメージというものが存在するのかどうかすら謎である。つい先日は、ふと思いついて、

「どうしてフランス人は泡風呂に入るの?」

と知人にたずねた。無論これは全く根拠のない質問であり、あくまでもイメージ上のフランス人の話である。だが知人は間髪入れずにこう答えた。

「だって泡がないと、お湯冷めるじゃん」

なんとあの泡にはそんな意味があったのか。雰囲気を大切にしているのかと思ったら。わたしが本気でおどろくと、いままでそんなことも知らずに生きていたのか、と知人はもっとびっくりしたようだった。

ところで、フランス人が風呂に入らなくなったのはペストの流行がきっかけで、公衆浴場の衛生観念が危ぶまれたからなのだそうだ。だから時代をさかのぼると、たとえば13世紀のパリでは入浴は高く評価される習慣だった。風呂屋もすでに商売として親しまれており、蒸気風呂屋、入浴施設、共同浴場、入浴場などが同業者組合をつくっていた。パリ市の発行する営業規則書もあり、料金はどこも均一、違反すると罰金を払う。面白いのは、朝になると「お湯が湧きましたよ」と街中に触れ回るお知らせ係が存在したことだ。
夜が明けると、お知らせ係が、蒸気風呂が温まりましたと告げて歩く。使用人たちは、今か今かと客を待つ。パリの人びとは、身軽な装いでいそいそと出かけてゆく。体を温めるため、汗をかくため、髭や髪の手入れをしてもらうため、香料を塗ってもらうため、マッサージをしてもらうため、と目的はさまざま。目的に合わせて、ある場合は別個に、浴槽が設置されていた。浴槽の数は規模によって異なったが、どこでも共通していたのは、浸身浴のあとに休憩するための柔らかなマット、温かい毛布、冷やしたワインなどである。思わぬ棘を避けるために、今ならバスタオルに相当する薄い布を借りる場合は、サイズによって一ドゥニエか二ドゥニエが必要だった(…)建物の造りはすべて同じで、地下室に窯、一階は二手に分かれ、一方は貴族と病人用の浴槽、もう一方は下層民用の大浴槽、それに、蒸気を外に出すための穴が天井に開いた、階段状の発汗室、上階には、休憩室が用意されていた。(ドミニック・ラティ『お風呂の歴史』白水社)
おお。楽しそうじゃありませんか。この本によると、フランスの他の地域も同じ形式でお風呂文化が栄えていたらしい。ちなみに、こうした行政公認の入浴施設とは別に、健康や衛生とは関係のない娼館もパリには数多くあって、それも浴槽のある施設ゆえ「風呂屋」と呼ばれていた。目的はいろいろだが、町中に風呂があふれていたのだ。




2019年11月8日金曜日

●金曜日の川柳〔西秋忠兵衛〕樋口由紀子



樋口由紀子






妻の自転車葱を斜めに関東平野

西秋忠兵衛(にしあき・ちゅうべい)1928~

その景が見えるようである。そして、それを見ている夫も見える。妻が自転車の籠にスーパーで買ったものをいっぱい積んで家に帰ってくる。葱は収まりつかず斜めになっている。妻が揺れると葱も揺れる。しかし、そんなことはものともせずに妻は飄々とペダルを漕いでいる。今夜は鍋かもしれない。生きていることの、今のしあわせを、確認しているようである。

舞台設定が見事である。関東平野のなにものにも邪魔されない広々とした景色と妻の自転車と斜めの葱が一つになっている。実景かもしれないが、書きとめることによって実際より大きな感慨をもたらす。演出も脚色のしていないような、そのままの景が生き生きしている。

2019年11月7日木曜日

●漫画

漫画

怖い漫画朝の蒲団の中にあり  小久保佳世子

老人と漫画しずかな十二月  新保吉章

天皇家の漫画たのしき冬至の夜  長谷川かな女

2019年11月4日月曜日

●月曜日の一句〔玉川義弘〕相子智恵



相子智恵







猪裂くや胃の腑に溜まる穭の穂  玉川義弘

句集『十徳』(邑書林 2019.3)所載

刈り取った後の稲の切株に、再び青々と萌え出る稲。放っておくと穂が出るが、晩秋の気温は実を結ぶには低いので、穂の中身は実らず空っぽのことがほとんどだ。それが〈穭(ひつぢ)の穂〉で、やがてそのまま田に漉き込まれる。

掲句、猪を仕留めて腹を裂いてみたら、胃の中にこの〈穭の穂〉が溜まっていたという。猪は実りの稲だと思って食べたのだろうか。それとも〈穭の穂〉だとは知っていても、それを食べざるを得なかったのだろうか。きっと後者なのだろう。食べ物の少ない厳しい季節を生き抜こうとする猪の胃の中身がなんとも哀れである。そしてその先には、狩りで仕留めた猪の命を食べる我々がいる。

本句集の中には〈猪垣を解いて冬田となりにけり〉という句もあるが、こちらは哀れさが淡々と描かれている。本当は〈猪垣を解い〉たから〈冬田〉となったのではない。もう猪に荒らされると困る稲穂がない〈冬田〉となったから〈猪垣を解い〉たのだ。しかし人間は〈猪垣を解〉くことに冬を感じているのである。

猪と人間の戦いが描かれたこれらの句は力強く、静かな哀れがあって晩秋の心に染み入る。

2019年11月2日土曜日

●土曜日の読書〔風土を感じさせる人々〕小津夜景



小津夜景








風土を感じさせる人々


コート・ダジュールの男性は、道ですれちがった女性によく声をかける。

面白いのは、この公式が人種を越えてあてはまることだ。ミディ・ピレネーに住んでいたときは、人種を越えるどころかナンパ師以外にそんな男性を見たことがなかったので、たぶんコート・ダジュールには声かけの習慣がもともと根強くあり、新しい移住者は「郷に入っては郷に従え」方式でこの習慣を身につけてゆくのだ。

ところで、いったいどのくらいの頻度でどういった男性が声をかけてくるのか。そう思い、しばらくメモをとってみた。まず頻度については1時間につき平均3、4人。人種については黒髪のラテン系と中央アフリカ系が多いが、これは単純に人口比を反映していそうだ。年齢は20代から80代まで偏りがない。

声のかけ方については、ボンジュール、とまずひとこといって、こちらの出方をうかがうパターンが一番多い。が、たまに驚くような人もいる。ある日、仕事鞄をぶらさげて海辺の道を歩いていると、後方から「すみませーん! すみませーん!」と大声で叫びつつ全速力で走ってくる若者がいた。そんな状況に遭遇したら「ん。何か落としものでもしたかな」と思うのがふつうだろう。私も当然のごとく立ち止まり、追いついた若者に「なんでしょう」とたずねた。すると若者は、ちょっと息をととのえてから、

「あの、一緒にお茶しませんか」と、いった。
「は」
「いつもこの道を、にこにこしながら歩いているでしょう? ずっと声をかけようと思ってたんです」

話を聞けば聞くほど、人懐っこい、素直な若者である。思わず「私、すぐそこで働いてるの。ほら、あの建物」という台詞が喉から出かかった。が、いやいやと我に返り、「ごめんなさい。私、結婚してるから」と伝えた。若者は、

「えっ。あー。じゃあ無理ですよね。そうだったのかあ。あの、でもまたいつか声かけますから。気が向いたら、そのときはよろしく!」と、明るい表情で去っていった。

久生十蘭の滑稽小説『ノンシャラン道中記』では、タヌとコン吉が冬のパリを脱出してニースを目指す。興奮にみちた彼らの南仏の旅は、その文体どおりの珍道中である。
「ところで、こいつはたった八百法で買ったんだから、1246-800=446で、四百四十六法も経済したうえに、あたし達は、碧瑠璃海岸(コオト・ダジュウル)の春風を肩で切りながら、夢のように美しいニースの『英国散歩道(プロムナアド・デザングレ)』や、竜舌蘭(アロエス)の咲いたフェラの岬をドリヴェできるというわけなのよ。この自動車はポルト・オルレアンの古自動車市で買ったんだから、立派とか豪華(リュクス)とかっていうわけにはいかないけれど、なにしろコオト・ダジュウルのことですもの、自動車(オオト)の一つくらい持ってなくては、シュナイダアにもコティにも交際つきあうことは難しいのよ。さあ、コン吉、湯タンポをお腹んところへあてて! 車ん中であまり暴れると、踏み抜くかもしれないから用心しなくてはだめよ。いいわね、さ、出発!」(久生十蘭『ノンシャラン道中記』青空文庫)
ものの見方に滑稽小説ならではの類型化が働いているにもかかわらず、コート・ダジュールの風土を感じさせる。読んでいて、ふっと笑ってしまった。




2019年10月31日木曜日

●木曜日の談林〔高政〕浅沼璞


浅沼璞








鮨鮒やつひは五輪の下紅葉   高政
『古今俳諧師手鑑』西鶴編(延宝四年・1676)

ここのところ連句が続いたので、しばらくは発句を。


鮒ずしに用いる鮒を「鮨鮒」という。

秋、重石の下のその鰭は紅色になる。
 
ちょうど食べごろで「紅葉鮒」ともいう。
 
それを五輪塔(墓石)の下の紅葉のようだ、と奇抜な「見立て」をしたのである。
 
土葬の匂いがどのようなものか知らないが、嗅覚にもうったえてくる句かもしれない。
 
(むろん鮒ずしの味わいがその臭気に裏打ちされているように、土葬における追悼の念もまたその匂いに媒介されていたかもしれないが)


作者はこうした奇矯な作風から伴天連社高政と呼ばれた京都談林の雄。

その発句を、大坂の雄・阿蘭陀西鶴が編著『古今俳諧師手鑑』で模刻・収載したのである。
 
談林の両雄、相まみえた感じだ。


とはいえ師・宗因の死後、ふたりは真逆のコースをたどる。
 
俳諧師に加えて浮世草子作家としても活躍し始めた西鶴を尻目に、高政は目だった活動をしなくなる。
 
ついには生没年すら未詳で、〈つひは五輪の下紅葉〉は予言的ですらある。


そんな高政の一句、現代のゴリンピッ句として読んだなら、どうであろう。
 
熱中症の真っ赤なイメージは言わずもがな、海の異臭という嗅覚的な危機感も手伝って、やはり予言的なものを感じさせはしないだろうか。

2019年10月28日月曜日

●月曜日の一句〔伊藤宇太子〕相子智恵



相子智恵







惜しげなく呉れて教えず茸山  伊藤宇太子

句集『角巻』(ふらんす堂 2019.9)所載

ある人が、自分で採ってきた茸を〈惜しげなく呉れ〉た。松茸など、高級で貴重な茸も入っているのだろう。たっぷりの立派な茸に驚き喜びながら、話の流れで「こんなに立派な茸、どこで採れたんですか?」と尋ねると、「それは秘密に決まっているじゃないか」と教えてくれなかったというのだ。茸はくれても、茸採りをする者にとっては(特に茸採り名人ともなれば)、茸の採れる宝の山は秘密にするのが常識なのである。その落差が面白い。

句集の中には〈誰からとなく声ひそめ茸山〉という句もある。こちらは実際に自分が数人で茸採りに行った句だが、やはり「宝の山」という感じがして面白い。茸採りの本意とはこういうものなのだな、と思う二句である。

2019年10月26日土曜日

●土曜日の読書〔文章に惚れる〕小津夜景



小津夜景








文章に惚れる


そこそこ惚れっぽい友達がいて、たまに会うと目下好きな人の話を聞かされる。

あのね、さいきんほにゃららさんのことが好きなの。むかしはそう言われるたびに、へえ、あの人のどこがいいんだろう、好みってのはいろいろだなあと感心していたのだけれど、つきあいが長くなるにつれて、ふうん、人を好きになるのにそんな角度があるんだ、とずいぶん勉強させてもらっていることに気づいた。

ひとつ当たりさわりのない例をあげると、友達は文章の上手い男性に弱い。先日も好きな人から来たというメールを見せてくれたのだが、コンマの打ち方、間合い、文量のセンスが絶妙である。なるほど、これなら現実世界でひどい男性だったとしてもしょうがないか、と思えるくらいに。

実のところ、惚れられやすい文章、というのは存在すると思う。ここでいう「惚れられやすい文章」とはあくまでも俗な意味なので、芸術的才能にあふれたものは除外して考えてほしい。本人が魅力的だったり有名だったりという場合も、どこからどこまでが文章の力なのか判断が難しいので考慮しない。仕掛けのはっきりした文章も、魔法がただの手品に堕したものとして無視しよう。そういった様々な手口なしで、文章だけで惚れられるというと、いまふっと、小沼丹の名が思い浮かんだ。
夕方近くになって、金魚のことを思い出したから、雪を踏んで小川迄行ってみると、寒い風の吹く洗い場に片腕の女の人が蹲踞んで泣いていた。片手で目を押えて、肩を震わせていたようである。足音で此方に気附いて、女の人は泣くのをやめて洗濯を始めた。傍に洗濯物の入った手桶があったから、洗濯の途中で泣いていたのだろう。
それを見たら、その女の人が可哀そうでならない。何だか此方が急に大人になって、先方が子供になったような気がした。何とか慰めてやりたい気分になっていたら、お神さんが此方を向いて、
ーー暗くなるから早くお帰り。一番星が出たよ……。
と云った。途端に此方は子供に逆戻りしたから、物足りなかった。小川には金魚もいなくなっていたから、うん、と点頭いてそのまま帰って来たが、そのとき一番星を見たかどうかは覚えていない。
(小沼丹「童謡」『埴輪の馬』講談社文芸文庫)
巧みすぎず、文章にこれといった秘密のなさそうなところが、たぶん色っぽい。いま「たぶん」と書いたのは小沼丹がわたし好みの作家ではないからなのだけれど、それでもこういう佇まいを好きな人がいることは想像がつく。

わたしもまた上手い文章というものに弱い。が、この場合の「上手さ」の定義についてはこの上なく狭量だ。するすると一本の線から生まれてきた風景のような、安西水丸のイラストっぽい文章が目の前にあったらきっと惚れるだろう。けれど、そんなシンプルかつスタイリッシュな文章にはなかなか出会わないし、残念なことに安西水丸の文章もぜんぜん安西水丸のイラストっぽくないのだった。


2019年10月25日金曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句」は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2019年10月24日木曜日

【俳誌拝読】『豈』第62号(2019年10月)

【俳誌拝読】
『豈』第62号(2019年10月)


B5判・本文120ページ。発行:豈の会。

特集に《現代俳句の古い問題「切れ字と切れは大問題か」》。川本皓嗣、仁平勝、高山れおな、筑紫磐井4氏の論考。

週刊俳句・第650号(2019年10月6日)掲載の特集『切字と切れ』と併せて読めば、現状と論点・問題点がはっきりする。

俳句作品は同人諸氏作品のほか、第5回攝津幸彦記念賞の正賞1作品・準賞2作品、および「新鋭招待作家作品」2作品を掲載。

(ぶつ)として残つてしまひ陶枕は  打田峨者ん

永劫回帰いつかわたしが被る虹  佐藤りえ

図書館は鯨を待っている呼吸  なつはづき

以上、攝津幸彦記念賞の正賞・準賞作品より。

毛虫の毛密々として重ならず  大西朋

物流の果ての渚を歩む蟹  福田若之

以上、招待作品より。

(西原天気・記)

2019年10月23日水曜日

●アスファルト

アスファルト

アスファルトかがやき鯖の旬が来る  岸本尚毅

人が咳犬が咳きをるアスファルト  川口重美

春雨や灯のほとはしる土瀝青〔アスファルト〕  西原天気〔*〕


〔*〕「るびふる」
http://hw02.blogspot.com/2017/03/blog-post_25.html

2019年10月21日月曜日

●月曜日の一句〔森下秋露〕相子智恵



相子智恵







枝豆と殻入れ同じ皿二枚  森下秋露

句集『明朝体』(ふらんす堂 2019.9)所載

なんでもない景が描かれているのに、ふっと笑えて、のちに「もののあはれ」がある。俳味があるというのはこういう句のことをいうのだろう。

二枚の皿を描いた句では、〈秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎〉が有名だ。石鼎の句には〈父母のあたたかきふところにさへ入ることをせぬ放浪の子は、伯州米子に去って仮の宿りをなす〉という前書きが付されている。掲句を読んで、〈二つ〉と〈二枚〉の数詞の語感の違いに改めて気づかされた。

石鼎の、人妻との駆け落ちが失敗した米子の仮住まいの食卓で詠んだ、形見に分けた夫婦皿と模様の揃わないもう一つの皿のあはれは〈二つ〉。秋露の、おそらくは現代の居酒屋で詠んだであろう、きれいに揃った人工的な皿のあはれは〈二枚〉。皿への思い入れの深さが〈二つ〉と〈二枚〉の違いに表れている。それぞれの俳句の背景が自然に呼び込んだ数詞の違いにハッとするのである。

掲句、特に食器にこだわりのない(コスト的には、割れにくい丈夫な皿であることが大事)チェーン店の居酒屋を想像した。注文した枝豆がやってくる。「枝豆の殻はこちらに入れてください」と店員から一緒に差し出された皿を見れば、それは枝豆がのった皿と同じ模様の、揃いの皿であった。

ぴったり揃った人工的な二枚の皿の中に、一方には莢の中でふくふくと育った枝豆がこんもりと盛られ、一方には、実だけが食べられて、がらんどうの食べ殻となった莢がどんどん積まれていく。二枚の揃いの皿の中の枝豆と食べ殻の対比が、可笑しみの中にあはれを誘うのである。

2019年10月19日土曜日

●土曜日の読書〔抽斗〕小津夜景



小津夜景








抽斗

いまこの部屋に、何を入れてもいい自分用の抽斗がある。

その抽斗に、ふだんはとっておきたいモノを何でも入れている。切れた豆電球。狂った目覚まし。道や海に落ちていた羽根、石、枝、シーグラス、植物のかけら。街路樹の押し葉。細切りにして鳥の巣っぽくまるめた紙。先の曲がったフォーク。計量カップの把手。点かないライター。はずした洋服のタグ。乗り物の半券。ほかいろいろ。

ある夜、抽斗をあけると、ランプの当たり方のせいか、どことなくモノたちの雰囲気がいつもと違っていた。まるで生きているかのように、ぴょんぴょん目に飛び込んでくるのだ。

これ全部、なんでここにあるんだっけ。

モノたちのようすにとまどいながら、ふとそう思った。知り合いからもらったモノについては、ここにある理由がはっきりしている。問題はそれ以外だ。自分用の抽斗は2段しかないから、すべてのモノをとっておけるわけではない。どうしても優先順位をつけねばならず、つまりわたしはふだんから究極の取捨選択と知らず知らずのうちに向き合っているはずなのだ。

だが夜も遅いので、何も考えずに寝ることにした。

あかりを消して、仰向くと闇である。耳栓をしているから音もない。眠りに落ちるまでのつかのまは、鼓動の拍を耳の骨で感じ、音ならざる音としてそれを聞いている。
我々が洞窟の入り口を眺める時(冬には鴉がそこに巣をつくり、時には何かに驚いたようにカアカア鳴きながら空へ舞い上がる)そこに見えるのは、単なる真暗闇ではない。鍾乳石や石筍を、さらには天井や壁の凹凸を心の中で光らせ、その燐光を頼りに進んで行くのである。無論、その光は日暮れのように朧気だが、我々はたしかに明るさへの途を歩んでいるのだ。我々はむしろ夜明けを思う。洞窟が与えてくれる第一の教訓は、夜など存在しないということである。(ピエール・ガスカール『箱舟』書肆山田)
時間という壮大な抽斗の中は、行き方しれずになったモノやヒトでいっぱいだ。もしかするとわたしは時間の地質学者になりたいのかなあ。ピエール・ガスカールが教えてくれた、かすかな光を伝うやり方で。あるいは完全な闇の時は、遠すぎて見えない星を想い、胸の火を焚きつけて。あいかわらず鼓動の拍は、ざり、ざり、と砂を刻むようにくりかえし、わたしはそれを聞いている。そして砂の上を、一足ずつゆっくりと辿りつつも、しだいに足をとられ、色も香りもない抽象的な時間そのものに埋もれてゆく自分の光景を夢のとばぐちから眺めていた。


2019年10月17日木曜日

●木曜日の談林〔西鶴〕浅沼璞


浅沼璞








 音に啼く鳥の御作一躰   西鶴(前句)
月は水膠の大事とかれたり  仝(付句)
『大矢数』第九(延宝九年・1681)

前回に引きつづき、西鶴による謡曲『鵜飼』のサンプリングから。


前句――
「音(ね)に啼く鳥」に「鳥の御作」をかける。
「鳥の御作(ごさく)一躰」は飛鳥時代の仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)によって作られた仏像一体の意。
鞍作鳥は飛鳥大仏や法隆寺の釈迦三尊像で知られ、止利仏師(とりぶっし)とも記す。

付句――
「月は水」は「月ハ水之精ナリ」(暦林問答集)という当時の認識。
「膠(にかわ)の大事」は乾漆像制作における膠の用法の、その大切さを意味しよう。
だから「とかれ」には「膠の大事を説く」と「膠を水に解く」の両意がかけられている。


二句の付合は難解だが、鞍作鳥による仏像一体は、乾漆技法における膠の大切な解き方を、それとなく人々に説いている、といった感じだろうか。

詞付としては、音に啼く鳥→鶯→法華経→大事(西鶴文芸詞章の出典集成)。

そして謡曲『鵜飼』の、「げにありがたき誓ひかな 妙の一字はさていかに それは褒美の言葉にて 妙なる法と説かれたり」(新潮日本古典集成)からのサンプリング(下線部)。

くわえて「音に啼く鳥→鶯」(春)から「月は水」(秋)への季移りでもあり、かなりの力技だ。

前回の西吟との付合みたいな協調性は微塵もない。


結語――
西鶴独吟はときに強引である。

2019年10月15日火曜日

●クレーン

クレーン

はわはわとクレーン休日の鴎は  毛呂篤

此の道や行く人なしに秋のクレーン  高山れおな

冬の靄クレーンの鉤の巨大のみ  山口青邨


2019年10月12日土曜日

●土曜日の読書〔文字の泡〕小津夜景



小津夜景








文字の泡

むかしは手紙を書くのにとても時間がかかった。まずなにを書こうかかんがえないことには書き出せなかったし、言葉づかいや文章のながれにも頭を悩ませた。それから筆跡にもこだわっていたと思う。

いまではそのような気苦労がない。頭をからっぽにしていきなり書き出し、思いつきをそのまま自由に綴ってゆく。手紙はそれでじゅうぶんだということがわかったのだ。文字の巧拙はもはやどうでもいい。というより最近はひじきみたいなじぶんの文字を面白がっている。

文字は存在である。それは書き手の分身だったり、また時に書き手のまったくあずかり知らない生き物だったりする。なにもない空間から、身をよじるようにして文字があらわれるのを、書きつつ眺めるのはたのしい。踊っていたら、身体の先っぽから知らない生き物がどんどん湧いてくるみたいなきもちだ。なにもないと思っていた空間に、こんなにたくさんの文字が眠っていたとは。眠りを破られ、ぬっと起き上がった文字のよじれは寝癖のように可愛らしく生々しい。こんな生々しいすがたを人前にさらしていいのかしら。そんな思いをよそに、起き上がった当の文字は伸びたり縮んだりしながらどこ吹く風で遊んでいる。

筆跡へのこだわりがなくなってから、かえって人の字をよく観察している。また書体というものの成り立ちにも関心が向くようになった。
「葦手」というかながきの形式は、水辺の草のなびいている感じに、行間や行の頭を不揃いに、連続体のかなで書かれたもので、手紙などが多いが、いかにも王朝の抒情的な文章をつづるのにふさわしい形式である。時代が下って勘亭流の書、また芝居の文字、その楷書とも行書ともつかぬ書体は、江戸の町方の、かたくるしくない生活感情から生まれた表情を持っている。あきまを少なく太く埋めるような書き方にはユーモアもある。(篠田桃紅『墨いろ』PHP研究所)
篠田桃紅の文字は、生活ではない、もっと純粋で透き通った場所にあるけれど、そんな彼女が彼女自身とは別の、生活の中で使われた文字の意匠心をよろこんでいる。生活の息づかいのある意匠かあ。それならわたしの文字は、あっちへうかんだり、こっちにしずんだり、行先のない文章をつづるのにふさわしい、泡のような意匠を奏でてほしい。またそんな文字が、わたしの言葉をもっとゆるやかな場所へ連れていってくれたら、とてもうれしい。


2019年10月11日金曜日

●金曜日の川柳〔大西泰世〕樋口由紀子



樋口由紀子






形而上の象はときどき水を飲む

大西泰世 (おおにし・やすよ) 1949~

生きている象はもちろん水を飲む。しかし、形而上の象は水を飲むという行為はしない。「形而上」とは抽象的で観念的なものであるから、形をもって存在することはない、しかし、作者は「水を飲む」と言い切る。常識的にはない世界を自分の考えをもって、言葉によって創り出す。日常に対する作者自らの感覚、反応なのだろう。

その姿はどのようなものなのだろうか。その姿が見える視力の良さを感じる。人にうまく説明できないモノを表出している。ひょっとしたら、私の中にもそのような象が存在しているのではないかと思ったりする。いままでと違った目で物事を感じたくなる。日常の感触が変質する。〈さようならが魚のかたちでうずくまる〉〈次の世へ転がしてゆく青林檎〉〈号泣の男を曳いて此岸まで〉 『世紀末の小町』(1989年刊 砂子屋書房)所収。

2019年10月9日水曜日

●炊飯器

炊飯器

炊飯器秋が深むと置かれあり  手塚美佐

動き出す春あけぼのの電気釜  小久保佳世子

炊飯器噴き鳴りやむも四月馬鹿  石川桂郎


2019年10月7日月曜日

●月曜日の一句〔中嶋憲武〕相子智恵



相子智恵







迷宮へ靴取りにゆくえれめのぴー  中嶋憲武

句集『祝日たちのために』(港の人 2019.7)所載

〈えれめのぴー〉とは、「きらきらぼし」のメロディで幼児が歌う「ABCの歌」の

  A-B-C-D-E-F-G(きらきらひかる)
  H-I-J-K-LMNOP(おそらのほしよ)

の、「LMNOP」の部分を「エレメノピー」と歌うあれのことだろう。城に靴を取りに行くのは『シンデレラ』を思い出したりもして、全体に童話のような雰囲気がある。

〈迷宮へ靴取りにゆく〉を、これから迷宮へ靴を取りに出発するところだと読めば〈えれめのぴー〉が〈迷宮〉の扉を開く「呪文」のように思えるし、迷宮へ靴を取りに行っている最中ならば、〈えれめのぴー〉は靴を取りに行った人が迷って出られなくなって叫んだ「悲鳴」のようにも聞こえてきて、何だか怖い。しかも平仮名で書かれていて脱力感があるので「おもしろくて、やがて怖い」感じだ。「LMNOP」のことだと知ってはいても、その意味を無化してしまうこの平仮名が妙に頭の中にこびりついてしまって、忘れられない一句となった。

2019年10月5日土曜日

●土曜日の読書〔読書、ある〈貧しさ〉との戦い〕小津夜景



小津夜景








読書、ある〈貧しさ〉との戦い

この「土曜日の読書」は週刊俳句からの依頼ではなく、わたしがやらせてほしいとお願いしてはじめた連載である。はじめた理由は読書がしたかったから。わたしは本が嫌いで、なんの強制もなく読書することができない。それで強制の機会をつくってみたのだ。

それはそうと、どうして本が嫌いなのか。それは、たぶん、読みたいのに読めない期間が長すぎたからだと思う。つまり俗にいう卑屈である。罪のない本に八つ当たりしているわけだ。実家にいたころも、結婚してからも、わたしが読書すると周囲は嫌がった。病弱だったからだ。本当に誰ひとりいい顔をしない。暴力的な手段で禁じられ、監視されていたこともある。世話する方は地獄だったことだろう。が、世話される方もまた地獄だった。

けれどもわたしは本が読みたかった。誰にも気づかれないように事に及ぶ方法はないものか。そう作戦を練りつづけて、おのずと辿りついたのが詩歌の世界である。詩歌であれば、ほんのちょっとした隙に、数行をぱっと盗み読むことができる。またしずかに眠っているふりをして、盗みおぼえた作品を心の中で確認し直すこともできるだろう。そんなジャンルが他にあるだろうか。

わたしが詩歌にのめりこんでいったのは、こうしたやむにやまれぬいきさつだった。フランスに来てからは、10年以上一冊も新しい本を読まなかったのだけれど(これはお金がなかったのも大きいけれど)、そのあいだもずっと空を見ているふりをしながら、頭の中にあるなけなしの詩歌を、真剣に反芻していた。ただのひとつも忘れないように。

で、いまの話に戻って、ここ数年はぴんぴんしている上に、この連載のおかげで毎週かならず本にさわっている。こんな生活は30年ぶりである。30年前は親元を離れて入院していた施設に立派な図書室があったので、誰からも干渉されず本だけは読むことができたのだ。

とはいえ我慢に我慢を重ねてきた時間が長すぎて、読書に対する天真爛漫なよろこびというのはいまもってわからない。わたしにとっての読書とは、さまざまな〈貧しさ〉との戦いの記憶とあまりにも分かちがたく結びついてしまっている。

本当は大好きと言えるはずだったのに、そしていまでもきっとそうなれるはずなのに、いざ頁をひらくとかつての怒りと悲しみがこみあげて、涙が頬をつたう読書というもの。そんな大嫌いな読書が、わたしに対してつかのま優しくなるのは、たとえばこんなささやきを思い出すときだ。

「書物」

この世のどんな書物も
きみに幸せをもたらしてはくれない。
だが それはきみにひそかに
きみ自身に立ち返ることを教えてくれる。

そこには きみが必要とするすべてがある。
太陽も 星も 月も。
なぜなら きみが尋ねた光は
きみ自身の中に宿っているのだから。

きみがずっと探し求めた叡智は
いろいろな書物の中に
今 どの頁からも輝いている。
なぜなら今 それはきみのものだから。
(ヘルマン・ヘッセ『ヘッセの読書術』草思社文庫)


2019年10月4日金曜日

●金曜日の川柳〔鳴海賢治〕樋口由紀子



樋口由紀子






郵便番号038の牛の舌

鳴海賢治 (なるみ・けんじ)

まず郵便番号の038を調べてみた。青森市・弘前市・つがる市など広範囲に渡っている。特別「牛」に関連する地域でもなさそうである。次に地図を見てみたが、その地域と特に形が似ているようには思えなかった。

いろいろ考えた。もちろん、その地方にも牛はいる。そして、牛には舌がある。だから、「牛の舌」も行政区割では「郵便番号038」になる。「牛の舌」に関して、なんらかの通知が届くこともあるかもしれない。なんの脈略もないと思っていたものにつながりができてきた。言葉がおもしろく絡まって、風変わりな認識を与えてくれた。〈現実は桃が流れていないこと〉〈見慣れないカマキリが海を見ている〉〈第二幕やはりグンゼの下着かな〉〈病院のスリッパで病院の中へ〉

2019年10月3日木曜日

●木曜日の談林〔西鶴・西吟〕浅沼璞


浅沼璞








鵜の首をしめ出しに逢ふ恋の闇   西鶴(前句)
 小舟の篝越るはしの子      西吟(付句)
『西鶴五百韻』第一(延宝七年・1679)

西鶴俳諧というと独吟連句のイメージが強いけれど、大坂談林との一座も少なからず残っている。

この五吟五百韻を収録した『西鶴五百韻』もその一つで、西鶴が編集、水田西吟が版下を担当。
ともに宗因門で、のちに西吟は『好色一代男』の版下・跋文によって世に広く知られることとなる。

そんな二人の息のあった付合。
前句――「鵜の首をしめ」と「しめ出し」は掛詞になっている。鵜飼の鵜のように恋の闇に締め出されるイメージ。

付句――「闇」に「小舟の篝」とくれば、謡曲『鵜飼』(注1)のサンプリングとわかる。「はしの子」は梯子のことで、「恋の〆出し」との付合語(俳諧小傘)。鵜飼舟の篝火で恋の闇路を越える、そんな梯子のイメージ。

鵜飼の付合と、恋の闇の付合が混交し、談林らしいカットアップとなっている。


じつはこの九月上旬、長良川の鵜飼舟を初体験。

あいにく雷雨だったけれど、そのせいで篝火の強さを知った。
終盤、つぎつぎと川に篝を沈める光景には息をのんだ。
雷光の川面にわきたつ嘆声と煙。
いやでもあの名句がうかんだ。

おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉   芭蕉(貞享五年・1688)

これも謡曲『鵜飼』(注2)のサンプリングだけれど、ここに恋の闇の文脈を加えたなら、「おもしろうてやがてかなしき」両義性がいや増しに増すであろう。


(注1)鵜舟にともす篝り火の 後の闇路をいかにせん」「鵜舟の篝り影消えて 闇路に帰るこの身の 名残り惜しさをいかにせん」(新潮日本古典集成)

(注2)「鵜使ふことの面白さに……鵜舟にともす篝り火の 消えて闇こそ悲しけれ」「罪も報ひも後の世も 忘れ果てて面白や……月になりぬる悲しさよ」(同上)

なお連歌寄合集『連珠合璧集』によると「後の世の酬」と「恋死」は寄合語との由(同上)

2019年10月2日水曜日

【週俳アーカイヴ】川柳✕俳句

【週俳アーカイヴ】 
川柳✕俳句


柳×俳 7×7 樋口由紀子×齋藤朝比古:第6号・2007年6月3日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/77.html

「水」のあと 齋藤朝比古×樋口由紀子:第7号・2007年6月10日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/blog-post_10.html

「水に浮く」×「水すべて」を読む:上田信治×西原天気:
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/blog-post_4958.html


柳×俳 7×7 小池正博✕仲寒蝉:第8号・2007年6月17日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/77_17.html

「悪」のあと 小池正博✕仲寒蝉:第9号・2007年6月24日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/blog-post_23.html

「金曜の悪」「絢爛の悪」を読む 島田牙城×上田信治:
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/blog-post_2712.html


柳×俳 7×7 なかはられいこ✕大石雄鬼:第16号・2007年8月12日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/08/77.html

「愛」のあと 大石雄鬼×なかはられいこ:第17号・2007年8月19日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/08/blog-post_19.html

「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(上)遠藤治✕西原天気:
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/08/blog-post_4958.html

「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(下)遠藤治✕西原天気:第18号・2007年8月26日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/08/16-77.html


柳俳合同誌上句会 投句一覧:第382号・2014年8月17日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2014/08/blog-post_17.html

選句結果:第383号 2014年8月24日
http://weekly-haiku.blogspot.com/2014/08/20148.html

2019年9月30日月曜日

●月曜日の一句〔生駒大祐〕相子智恵



相子智恵







小面をつければ永遠の花ざかり  生駒大祐

句集『水界園丁』(港の人 2019.7)所載

「月曜日の一句」は一句集から一句、なるべく当季の句を読もうと決めている(別にそう指示されたわけではない。自由な欄なので、自分の中で定型感?が欲しくてそうしているだけだ)のだが、今日は『水界園丁』からもう一句取り上げたい。というのも、角川「俳句」2019年10月号の「新刊サロン」で本句集を紹介したのだが、紙幅が足りず、改めて読み返してみたら、掲句について書いた箇所の意味がとても分かりにくかったので、もう少し書き加えてみたい気持ちになったのだ。

以下は、角川「俳句」2019年10月号「新刊サロン」に書いた一部である(発売中です、と、販促に貢献)。
本句集の章立ては、冬、春、雑、夏、秋の順となっている。「雑」がこの位置にあるのは珍しい。さらに雑の中に
  小面をつければ永遠の花ざかり
など季語と取れる句があり、考えさせられた。〈永遠の〉だから「花」でも雑なのだろう。逆に我々の方が「花=桜」に狭め過ぎなのかも。『白冊子』に「花といふは桜の事ながら、すべて春の花をいふ」とある。儚さを知ればこそ永遠を願う花の本意に触れた一句だ。
掲句は雑の句だ。能の小面をつけた人が出てくる幽玄な世界である。掲句が雑の章にあるのは〈永遠の〉が重要であり、四季を巡りくる花(あるいは桜)の盛りという通常のイメージとは離れたかったのだろうと思う。

それを踏まえたうえで、私はこう感じた。〈小面をつければ〉ということは、それをつけていない世界では〈永遠の花ざかり〉なんてない、ということが暗に提示されている。小面をつけない世界では季節は巡りゆくのであり、花盛りがあれば必ず花は散っていく、儚い世界なのである。

小面をつければ〈永遠の花ざかり〉に居続けることができるけれど(主体は小面をつけた能楽師本人と読みたい気がする)、小面をつけない時、自分は無常の中にいる。〈儚さを知ればこそ永遠を願う〉と書いたのはそれを思ったからだ。

ところで「桜」が晩春の季語であるのに対して、「花」が三春に渡る季語であるのは「花」が「春の花すべての代表」だということを示しているからだ。〈逆に我々の方が「花=桜」に狭め過ぎなのかも。〉と書いたのは、それを書きたかったのだけれど、いささか唐突だった。

服部土芳の『三冊子』の中の「白冊子」に、
「実は梅・菊・牡丹など下心にして仕立て、正花になしたる句、その木草に随ひ、季を持たすべきか。或は、正月に花を見る、また九月に花咲くなどといふ句はいかが」といへば、師の曰く「九月に花咲くなどいふ句は、非言なり。なき事なり。たとへ名木を隠して花とばかりいふとも正花なり。花といふは桜の事ながら、すべて春花をいふ。是等を正花にせずしては、花の句多く出づる。賞軽し」となり。
という一節がある。

現代語訳は、
「実際には、桜ではなく梅・菊・牡丹などを想って句作りして正花とした作品は、それらの草木の花の季節に随って、季とするのですか。そして、正月に花を見たとか、九月に花が咲くなどという花の句はどうですか」などお尋ねしましたところ、先生(芭蕉:筆者注)は「九月に花が咲くなどということは、だめだ。そんなことは現実としてないことだからだ。また、梅・菊・牡丹などの名木を下心に隠し置いて花とだけ表現した場合であっても、それは正花扱いとなり、季はあくまでも春である。花というときには、元来は桜をさすのであるが、桜にこだわらずに春の花一般をも花と見做すのである。それを正花としなかったらば花の句が四つの定座よりも多くなってしまう。そうなると賞翫の心が軽くなってしまう」と答えられた。
(上記すべて『新編日本古典文学全集88』(小学館)の復本一郎校注・訳による)
これはあくまで花や月の定座がある俳諧の約束事を伝えているので、俳句とは違うけれども、やはり「花といふは桜の事ながら、すべて春の花をいふ」の心を引き継いでいるのが「花」という季語なのだと思う。

花の咲き乱れる春が永遠に続くことを希求する心を、掲句の裏側には濃厚に感じる。もしかしたら私たちが「花=桜」と教条主義的に捉えていて、「〈永遠の花ざかり〉だから桜とは言えないし、春季とは言えない」などと短絡的に評するとしたら(あるいはそれを避けて作者が「雑」としたのかもしれないな、とふと思ったりしてしまって)それは何だか惜しいことのように思う。

この句が「雑」であることはとてもいいと思うし、そこに作者の明確な意志を感じるけれど、この句がたとえ「春」の章で出てきたとしても、それを表層だけで弾いてしまいたくはないと、そう思える句なのである。

それにしても、有季・無季を厳しく言い立てがちな現代の俳句界において、四季と雑が隣り合う章立てはいい。何だかほっとする。

2019年9月28日土曜日

●土曜日の読書〔タヌキとササキさん〕小津夜景



小津夜景








タヌキとササキさん

ササキさんはメーキャップアーティストから占い師まで60以上の職業を転々としたあと、いったいどういう伝手なのか某所の庭園を管理する財団法人の役付きに収まった、いかさま師っぽい人である。いつも同じ茶色のチョッキと灰色のズボンを身につけ、仕事を休むのはお正月だけ、あとはずっと庭をうろついているという生活で、もしいま生きていたら80歳を超えている。

「私がササキです。これから簡単な採用試験をします。第一問。はるのその、くれないにおう、もものはな。はい、このあとにはどんな言葉が続くでしょう?」
「したでるみちに、いでたつおとめ。……この職場にぴったりな試験内容ですね」
「いや、こんな質問をしたのはあんたが初めてだよ。僕は自分の勘を試すために、相手がかならず答えられる質問をしようと決めているんだ」

これが履歴書持参で面接にゆき、ササキさんとはじめて交わした会話である。このときから変な匂いはしてはいたけれど、働きだしてからもやはりササキさんは変な人で、なにより女性陣に気味悪がられていたのが、夏になると毎日セミのぬけがらをスーパーのレジ袋いっぱいに集めることだった。私も気になったので、ある日ササキさんと二人きりになったとき、なんのために毎日セミのぬけがらを集めているのですか、とたずねてみた。するとササキさんは、なに、タヌキのごはんさ、タヌキはセミのぬけがらがご馳走なんだと笑い、いきなり目を丸くして、そうだ、あんたをこの重要任務補佐にしよう、と言った。

次の日から、セミのぬけがらを竹箒でかきあつめてはレジ袋につめ、ササキさんに献上するという重要任務が始まった。ササキさんは庭の一角にある旧宮邸の前庭にタヌキたちがあそびにくると、セミのぬけがらを彼らの足元に撒き、また手ずから食べさせた。な。かわいいだろ。女性陣に唾棄されながらもセミのぬけがらを抱え、地面にしゃがんでタヌキをかわいがるササキさんとの時間が私は少しも嫌いじゃなかった。

とろこで森銑三の本に、江戸新橋に住んでいた占い師・成田狸庵(りあん)の逸話がある。狸庵はタヌキと遊ぶのが何より好きで、タヌキとの時間をつくるために20代で武士を辞めて新橋の易者になった。タヌキの看板を出し、夏はタヌキ柄の浴衣を着て、冬のタヌキの皮衣をはおり、床の間にタヌキの掛物をかけ、タヌキを膝元にはべらせてタヌキの今様を歌い、タヌキの百態を自在に描いては惜しげもなく人に与え、『狸説』という書物をものし、タヌキの出てくる夢日記をつけ、75年にわたる夢のような生涯を終えた。で、この狸庵が、タヌキの好物はダボハゼであると書いている。
狸庵の家の狸も、その後年が立つにつれて、また新しいのが加わったりして、多い時には六七匹いたことなどもあったのでした。そうなりますと食物の世話だけでも大変です。狸庵は自分で投網を持って、築地や、鉄砲洲や、深川などへ、狸の御馳走の魚を取りに行きましたが、狸はダボハゼが大好きなので、狸庵もそれだけを目当てとしまして、外の魚はどんなのが網にはいっても、それらは惜しげもなく棄ててしまって帰って来るのでした。(森銑三『増補 新橋の狸先生―私の近世畸人伝』岩波文庫)
なんということだろう。ササキさんに教えてあげたい。人生経験豊富で物知りだったササキさんでも、この真実はいまだ知らないと思うのだ。