2019年8月21日水曜日

●ショパン

ショパン

終りに近きショパンや大根さくさく切り  加藤楸邨

草萌えにショパンの雨滴打ち来たる  多田裕計

幻想即興曲的流しそうめん  羽村美和子〔*〕


〔*〕『ペガサス』第5号(2019年8月)

2019年8月19日月曜日

●月曜日の一句〔ふけとしこ〕相子智恵



相子智恵







月の出をもそろもそろと藻屑蟹  ふけとしこ

句集『眠たい羊』(ふらんす堂 2019.7)所載

はさみや脚に藻屑のような毛が生えた「藻屑蟹」。全国の河川に生息する蟹だ。

掲句、「もそもそ」と「そろそろ」を合わせたような〈もそろもそろ〉という造語のオノマトペが見事だと思う。〈もそろもそろ〉は藻屑蟹の歩く姿の描写であり、歩く音も表しているだろう。その上、細かくびっしりと生えた藻屑のような毛の形状まで〈もそろ〉の音からは見えてくる。

さらに〈もそろもそろ〉と〈藻屑蟹〉の「も」の頭韻が、この句のリズムと手触りを決定づけている。〈月の出を〉の上五を「や」のような切字で切らなかったのも、「O(オー)音」の響きを活かしているのだと思う。次のようにローマ字に起こしてみると、目と耳とが一体となって一句の世界ができあがっているのがよくわかる。

TSUKI NO DE WO MOSORO MOSORO TO MOKUZUGANI

月が出て、秋の硬く澄んだ月光が〈もそろもそろ〉とやわらかい藻屑蟹を照らし始めた。びっしりと生えた藻屑のような毛の一本一本がひっそりと白く輝き始める。ただその下を、藻屑蟹は〈もそろもそろ〉と歩いている。なんと静かな秋の夜の風景だろう。

2019年8月17日土曜日

●土曜日の読書〔空気草履〕小津夜景



小津夜景








空気草履

空気が好きで、空気をつかったアイテムについて、日々情報収集している。

その中に、空気草履という名の、よくわからないブツがある。

これは大昔、尾崎翠「空気草履」で知ったのだが、その小説というのが、貧しい女の子が夢で見た空気草履をひょんないきさつから手に入れる話で、甘ったるく感傷的で、エアー感覚が皆無な上に、肝心の草履のしくみが書かれていない。

空気草履は志ん生の自伝にも登場する。志ん生の師匠である馬生(4代目)が空気草履をはいて、目の見えなくなった小せん(初代)を見舞うくだりだ。
そうしたら小せんのおかみさんが、師匠が帰ったあとで小せんに
「いま勝ちゃん(馬生)が空気草履をはいてきましたよ」
「ナニ、空気草履をはいてきたと……」
小せんはそれを聞いて、ちょっと眉をくもらせていたが、口述で弟子に手紙を書かせ、それを師匠のもとへ届けさせた。その手紙には、
「お前も江戸っ子だし、俺も江戸っ子なんだ。お前とはこうして若い自分からつきあってきたが、いま聞いたら、お前はうちへ空気草履をはいてきたという。江戸っ子がそんなものをなぜはくんだ。江戸っ子の面よごしだ。きょう限り絶交するからそう思え……」
と書いてある。これを読んで師匠はびっくりして、なんとかという文士を中へ立てて、小せんのところへおわびに行ったというんですよ。そして中に立った文士が
「師匠、とにかくこの人も、わるい了見で空気草履をはいていったわけじゃない。つい出来ごころではいたんだから、どうかこのたびのことはかんべんしてやってもらいたい」
(古今亭志ん生『なめくじ艦隊 志ん生半生記』(ちくま文庫)
空気草履がどんなものか、やはり見当がつかない。大辞林第三版の「かかとの部分をばね仕掛けにして、空気が入っているように見せたもの」との説明からだと、ドクター中松の「スーパーぴょんぴょん」しか思い浮かばないのだが、もしかしてそれでいいのか?

そして月日は流れ、きのう夫と待ち合わせた喫茶店で空気草履のことをふと思い出し、スマートフォンで検索したら、なんと実物写真が一枚だけ見つかった。大辞林の説明とは違い、横からみると、インソールとアウトソールの間が革製アコーディオンになっていて、つま先はミッドソール(すなわちアコーディオン部分)を挟んで上下のソールが固く縫い合わせてある。つまりまるきり鼻緒のついた蛇腹のふいごなのだ。これだと足を上げるたびにかかとの部分がふっと扇型にひらき、ふっ、ふが、ふっ、ふがっとなる。ふいごをふがふがふんで歩くのは、確かにちょっと阿呆っぽい。志ん生の本を読んだときは、江戸っ子の偏屈自慢はお腹いっぱいだよと思ったものだけれど、全くそんな話ではなかった。




2019年8月15日木曜日

●木曜日の談林〔三輪一鉄・杉木正友〕浅沼璞



浅沼璞








 蛍をあつめ千話文をかく 一鉄(前句)
月はまだお町の涼み花筵
  正友(付句)
『談林十百韻』下(延宝3年・1675)

まずは不易&流行の観点からーー

前句は車胤(しやいん)の故事「蛍雪の功」の不易をベースに、千話文(ちわぶみ)つまり痴話文(艶書)の流行を詠みこんでいる。

付句は花月の不易をベースに、お町(ちやう)つまり御町(官許の遊里)の流行を詠みこんでいる。



まだ月の出ない、夕涼みの花茣蓙(花模様の筵)で、蛍の光をたよりに艶書をものする遊女。



夏の恋の付合ながら、花の定座(二ウラ13句目)へと月をこぼしてもいる。

(「花筵」は雑の正花。「涼み」とあわせて夏の花の座となる。)



花の座の月は蕉門歌仙(初ウラ)で知られているけれど、談林百韻でもなされていたのであった。

芭蕉の式目解釈の革新性を云々するのであれば、談林くらいは多少チェックしておくべきだということの、ひとつの証左となろう。

2019年8月10日土曜日

●土曜日の読書〔未来から来た人々〕小津夜景



小津夜景








未来から来た人々

仕事から帰ってきて、共同玄関の郵便受けをのぞきこむと、voyanceと書かれたチラシが入っていた。

フランス語のチラシにvoyanceとあったら、それは間違いなく透視術の宣伝である。透視術のチラシはだいたい月2、3枚ポスティングされている。この種のことに興味のない私には完全に未知の世界だ。

というようなことを、いつだったか知人に話した。するとその知人は占い好きだったようでフランスの占い師事情についてあれこれ教えてくれた。まず彼らのほとんどが女性で、残りの男性はおおむねホモセクシュアルである。新聞や雑誌に広告を出し、事務所を構え、時には秘書も抱えている。料金は50ユーロから100ユーロくらい。うんぬん。

「透視の道具はなんなの。水晶かタロット?」
「そうね。あとは手相とか。そうだ、カフェドマンシーってのもあるよ」
「ん?」
「café・do・mancie。コーヒーの飲み残しから運勢を判断するの」

なんと。それは茶柱的なものなのか。文化人類学的な興味が湧いて、知人と別れてから本屋に寄って調べてみた。
この風変わりな透視のメディアは、現代ではフランスの占い師の間で使われることはまれである。大流行したのはベル・エポックの頃で、今ではほとんどかえりみられない。その起源はおそらく十八世紀の終わりであろう。この占い術に関する最初の文章は、フィレンツェの占い師、トマス・タンポネッリによって書かれている。実際にこのメディアを使う場合には二通りのやり方がある。(ジョゼフ&アニク・デスアール『透視術――予言と占いの歴史』白水社)
 この二通りのやり方というのは、(1)よく水を切ったコーヒーの出しがらをソーサーにあけ、数回ゆすって広げる。あるいは、(2)カップの中のコーヒーを少しだけ残し、ひっくり返してソーサーにかぶせる。こうして生まれた模様の形からメッセージを読み取るのだ。他にも卵の白身占いや、インクの染み占い、水中の気泡占いなど、昔の占い師はありとあらゆる現象から未来を読み取ってきたらしい。ふうむ。

私は郵便受けに入っていたチラシを二つに折ると、共同玄関のゴミ箱に捨てた。そういえばフランス人は、デジャ・ヴェキュ(すでに体験した)とかデジャ・ヴュ(すでに見た)といった表現が好きだ。もしかすると彼らが未来に興味があるのは、実は自分がその未来からやってきた証拠が欲しいからなのかもしれない。


2019年8月9日金曜日

●金曜日の川柳〔星井五郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






いつ使えばいいかわからぬ方程式

星井五郎

方程式と急に言われても、すぐに思い浮かばない。方程式を解きなさいという設問があったことの方が覚えている。さて、どんなものだったのか。勉強したくないとき、定期テストの前日など、なんで、こんなと覚えなければならないのかと腹を立てていた。こんなことを学んでも何の役にもたたないとも思っていた。なのに、今になってもっと勉強しておけばよかったと思うことがたびたびある。

実生活に役に立つことだけに価値があるのではないということをうすうす気づいて、だんだんとわかりだしたのは学校を卒業しただいぶ経ってからである。そういうことを含めて教えてくれたのが、考える訓練してくれたのが、方程式に代表されるものだったのかもわからない。結論だけがすべてではなく、過程を大事にする。星井さんに無意識に使っているのですよと伝えたい。いや、そんなことがわかっているから一句にしたのだろう。「触光」(61号 2019年刊)収録。

2019年8月8日木曜日

●老人・その2

老人・その2


老人がすつぽり入りし日傘かな  細川加賀

わらはぬ老人隙間があれば苔を貼り  三橋鷹女

老人が被つて麦稈帽子かな  今井杏太郎

老人はうすくたなびくように来る  清水かおり〔*〕

蟹と老人詩は毒をもて創るべし  佐藤鬼房

老人やみみず両断され共に跳ね  永田耕衣

朝顔市種無し老人の昼の出店  仁平勝

老人やまた大げさに威銃  草間時彦

湯がちゆんと沸き老人に師走あり  岸田稚魚

野を穴と思ひ跳ぶ春純老人  永田耕衣


〔*〕『川柳木馬』第161号(2019年7月)

≫過去記事:老人
http://hw02.blogspot.com/2010/09/blog-post_15.html

2019年8月5日月曜日

●月曜日の一句〔行方克巳〕相子智恵



相子智恵







立志伝すぐに晩年緑濃き  行方克巳

句集『晩緑』(朔出版 2019.8)所載

立志伝とは「志を立てて、苦労と努力の末に成功した人の伝記」だから、苦労と努力の部分が短くて、すぐに成功した晩年になってしまう立志伝というのはあっけなくて滑稽味があって、一読、面白いと思った。だがじっくり反芻してみると、この句はそういうことを描いているのではないのだろう。

大河ドラマに出てくるような歴史上の偉人でも、市井の一個人の自叙伝でも、たいていの立志伝というのは、苦労や努力の部分が長く詳細に描かれる。そこにこそドラマがあり、面白いからだ。

つまり、立志伝そのものがすぐに晩年になるように書かれているわけではなく、これは立志伝を「読んでいる速さ」を描いているのだろう。「楽しい時間はあっという間に過ぎる」という、あれである。苦労し、困難を乗り越える努力の物語は確かに面白い。

もっと言えば、立志伝を読む立場すら越えて、この句を読むひとり一人のもつ小さな立志伝ともつながってくる句なのだと思う。理想を志して突き進み、挫折したり、乗り越えたりする若い時というのは、渦中では苦しいけれど、あとから考えてみると「苦労しながらも、あの時がいちばん活き活きして楽しかった」とか、「あの時の自分があるから今がある」と懐かしむような気になったり、時には実際よりも美化したくなる気持ちに往々にしてなるものだ。

現代は「長い晩年」に向き合わなければならない時代だ。この句は普遍的だが、現代において〈すぐに晩年〉は妙にリアルな気もする。〈緑濃き〉という季語に充実感があり、まだ枯れていないのも、現代的な「長い晩年」をそこから感じ取ることができる。

2019年8月3日土曜日

●土曜日の読書〔らくがき〕小津夜景



小津夜景








らくがき

チョークをもって、海辺までらくがきに行った。

らくがきすると考えごとがはかどる。身体の中に無意識のテンポが生まれるのだ。逆に手足をうごかさず、じっとしながら考えると全然うまくゆかない。思考の底でまったく別の案件を同時にいくつも思い巡らしてしまい、のうみその動作が重く鈍くなるらしい。

らくがきの癖は母親譲りで、母もまた家中のいたるところにらくがきをする人だった。特に会話をしていると手がとまらない。なんだったのだろうあれは。人と話すのが退屈なのだろうか。
かの有名なポンペイの壁に彫られた落書きもまた、古代の人々の退屈を記録したラテン語碑文であるが、こちらはもっといたずらっぽい感じだ。その壁は一面ラテン語で落書きされていた。古代ローマのどこかのチンピラが、そこに茶化すようにこう彫りつけている。「壁よ! こんなにも大勢の連中の退屈を受け止めて、よく粉々にならないものだな」。(……)今日においてもまさにそうだが、落書きというのはたいてい退屈した若者たちの、暇にまかせた破壊行為の産物なのだ。(ピーター・トゥーヒー『退屈 息もつかせぬその歴史』青土社、168頁)
トゥーヒーによれば、退屈とは世界から疎外された時に感じる空虚であり、セネカが『道徳書簡集』においてそれを「吐き気」と喩えた時代からの長い伝統がある。あの有名なサルトル『嘔吐』もこの系譜だ。もちろんいにしえの素朴な退屈が実存の退屈へと進化をとげるには、近代的知性を通過する必要があるのだけれど。

そう、話をふりだしに戻す。私は海辺に出たのだった。ささやかな、けれども回避しがたい生活上のある難題についてよく考えるため、代謝色をした一世紀前のレンガの壁に、私は波の線を引いた。それからレモンの形をしたクラゲをそのあわいに浮かべた。さらに椰子風の海藻を描いていたら、ストローハットの老人がにこやかに近づいてきて、

「ほら、あそこにたくさん鳥がいる。ぜひあれも描いてください」と空を指さした。

  私は空を見る。鳥は一羽もいない。

「見えないかな。あそこですよ」

  私の肩に手を回すと、老人は空のようすを実況しはじめた。

「よく見える目ですね」

「そうさ。長く生きてきたからとてもよく見えるんだ。あなたのチョーク絵だって、たとえ明日には消えてしまうとしても、いま見えるものをぜんぶ描いておかないとね」

老人は言った。子供に教え伝えるように。その表情から、この老人が、一人で絵を描いている私が孤独にみえて放っておけなかったのだ、とわかった。


2019年8月2日金曜日

●金曜日の川柳〔橘高薫風〕樋口由紀子



樋口由紀子






勲章の欲しい七才七十才

橘高薫風 (きったか・くんぷう) 1925~2005

30年ほど前に作られた川柳である。当時の七十才はもう人生も上がりで、余裕を持って、余生を楽しんでいただろう。一方、今の七才はませていて、おもちゃの勲章なんかには見向きもしないだろう。時代時代の年齢のイメージに多少のギャップはあるが、案外、人間の意識の底には変わらないものが流れつづけている。

我が家にはちょうど七才と七十才がいるが、これといった共通項はない。七繋がり以外、一見無関係と思われる年齢に「勲章が欲しい」という一点でもって関係性を繋いだ。七才が欲しい勲章と七十才が欲しい勲章は全く別のものだということを当然の前提として、そこをユーモアでつないで、共感の器にすっぽりとはめ込んでいる。「勲章」は殆どの人にはほぼ関係ないものなので、ことさらに意識するものではないが、共同幻想を抱くにはもってこいのものかもしれない。あるいは「勲章」を象徴として、お上から褒めていただきたいことを揶揄しているのだろうか。

2019年7月29日月曜日

●月曜日の一句〔生駒大祐〕相子智恵



相子智恵







雲は雨後輝かされて冷し葛  生駒大祐

句集『水界園丁』(港の人 2019.7)所載

今年は梅雨の6月が長く続いたと思ったら、いきなり晩夏の8月になったような、7月が消えてしまったみたいな夏だ。掲句の美しさに、改めて雨の多いこの夏を思った。

雲は雨の後に〈輝かされて〉しまう。〈されて〉に感情が出ていて、雲自体は変わっていないのに、周囲の変化によって(雲はそれを望んでいないのにも関わらず)いきなり輝いてしまうような感じなのだろう。それまでは灰色の雨雲だったのに、雨後の光に洗われて白く輝く雲は眩しくて、自分との親しさから遠のいていく感じが、ふわっと切ない。

そこに〈冷し葛〉が、〈輝かされて冷し葛〉とつなげて読めるような形で置かれている。〈冷し葛〉という、輝きながらも芯が白く濁っているみずみずしい一皿の菓子に、雨後の輝く雲がすーっと着地していくさまは、抒情的で美しい。いわゆる「取り合わせ」よりも、もっと「世界が滲みあっている」感じがする。

雲は遠くに、冷し葛はすぐ近くにあって、違う世界のはずなのに滲みあいながら自然とそこにある。遠くて近い不思議な水と光に、世界はひたひたと、静かに満たされていく。
ただ、それを見ている自分はその世界からすっと引き離されていくような気がしてしまうのは、〈輝かされて〉と一つだけ現れた感情による。眩しさの中に寂しさが漂うのだ。

2019年7月27日土曜日

●土曜日の読書〔自分の名前〕小津夜景



小津夜景








自分の名前

昔住んでいたアパートのベランダは広い庭に面していて、大量の鳥がわっさわっさと大樹をゆらしていた。手すりから腕をのばすと触れられる距離で彼らはおしゃべりしていたのだけれど、何を言っているのかはわからなかった。

ベランダの向かい側は市の公団で、お互いの生活がよく見えた。公団の地階は児童館になっていて、子供たちが朝から夜まで叫びながら遊んでいる。だがどの子供もアラビア語まじりで何を言っているのかはわからなった。

「ねえ、言葉の意味がわからないまま生きていると、だんだん周囲の存在と風景との境目がぼんやりして、自分の輪郭ばかりがきわだってこない?」

あるとき電車の中で、たまたま隣に座った女性から突然そう話しかけられた。びっくりして相手の顔を見ると、特に変わったところのない女性である。もっとも世間話のテーマには国ごとに強い訛りがある。きっとこの女性はすこぶる思弁的な国から来たのだろう。

「いいえ、存在の一つ一つがぐんとリアルに粒立ってきて、むしろ自分の方こそ背景と一体化してしまいます。透明人間になったみたいに」
「透明人間? それは大変ね。なったあとはどうするの?」
「適当な頃合いを見計らって、普通の人間にもどるんです」
「どうやって」
「自分の名前を自分で呼ぶんですよ。初めは寝ている人を起こすように優しく、次第に大きな声で呼ぶようにするとうまくゆきます」

見知らぬ女性と別れ、アパートのドアをあける。誰もいない部屋。ふと思いついて、自分の名を呼んでみる。するといくぶん透明になっていたのか意識がはっきりする。そして意識がはっきりすると、心がからっぽなのにも気づいた。なんだか意味が恋しい。犬が飼い主を呼ぶように、私はくりかえし自分の名を呼んだ。

自分で聞く自分の名前はいつだって新鮮で、それでいて心のかたちにぴたっとはまる。誰しも一番よく意味をわかっている言葉、それは自分の名前だ。そしてそこから存在の哲学も始まる。
だから、哲学を「大人になってから、子供に帰ること」とも言えるだろう。たくさんの遊戯を経て、多くの博物誌に触れて、思想の果実がなる頃に、また、なにももたない子供に戻る。/そんな風にして、私たちはまた哲学を始められる。すでにある思想にがんじがらめになってゆく、知らぬ間に。そのなかで、はっとした気づきから、はじめの心に立ち返る。(木村洋平『遊戯哲学博物誌 なにもかも遊び戯れている』はるかぜ書房)

2019年7月26日金曜日

●金曜日の川柳〔未補〕樋口由紀子



樋口由紀子






煙突に交じって妻が立っている

未補 (みほ) 1989~

我が家から数キロのところの埋め立て地に大きな工場があり、煙突が並んでいる。何本ぐらいあるだろうか。遠くから見る煙突は煙が吹き出しいているときよりも、ただ立っているときの方に存在感があり、何かをしでかしそうで、不気味に立っている。

掲句の煙突は一本ではなく、数本のイメージが私にはある。前を行く妻が遠ざかったと感じたときに、あるいは遅れてくる妻をふと振り返ったときに、妻の姿は煙突の中の一つと見誤えてしまうほど、まるでその中のいるように溶けこんでいる。「交じって」の措辞で日常をはみだし、日常との差異を生み出している。妻は、一瞬、現実の時間からはずれて、過去か未来に移動したようにふわりと浮いているようでもある。妻とのとらえようのない隔たりを静かに見つめている。私は取り残される。「第一回毎週web句会誌上川柳大会」(2019年)収録。

2019年7月25日木曜日

●木曜日の談林〔松臼・一朝・一鉄〕浅沼璞



浅沼璞








 よだれをながすなみだ幾度(いくたび) 松臼(打越)

肉食(にくじき)に牛も命やをしからん    一朝(前句)
 はるかあつちの人の世中(よのなか)  一鉄(付句)
『談林十百韻』上(延宝3年・1675)

前句は打越の嘆きを牛サイドから「薬喰」として取り成したもの。

それを付句は肉食を常とする西洋人サイドへと見込んだ。

(前句の場面を新たな観点から特定するを「見込」という)



「はるかあつち」などと突っぱなすのが談林らしい。

「の」のリフレインも効いてる。

もう牛も観念するしかないだろう。



これは前にもふれた事だけれど、この連句集を機に、江戸の無名結社の呼称であった「談林」が、宗因流の汎称として世に知られるようになる。



ちなみに十百韻(とつぴやくゐん)とは百韻を十巻(とまき)かさねたもので、つまりは千句のこと。

「とつぴやく」も「あつち」も促音がここちよく、談林っぽい。

2019年7月24日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句」は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

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※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2019年7月22日月曜日

●月曜日の一句〔小川軽舟〕相子智恵



相子智恵







押し通す愚策に力雲の峯  小川軽舟

句集『朝晩』(ふらんす堂 2019.7)所載

愚策であっても押し通せる人というのは、確かに力があるのだと思う。そして押し通してしまえば、愚策であってもその策は力をもち、粛々と進行されていってしまう。社会人になってみると、往々にしてこういう場面はある。

この句は愚策を押し通している会議のような場面での、エネルギッシュな「愚策を押し通す力のある人」を見て詠んだものなのか、押し通された愚策が力をもち、粛々と実施されていく「愚策そのものが力を発揮している状態」を詠んだのか。そのどちらも含むのだろう。

〈雲の峯〉は傍から見ると堂々と大きくそびえ立ち、力強いけれど、その実態はふわふわとした小さな水滴で、掴めないものだ。「まあ仕方がない、愚策であっても決まったことなんだし、決まったことには力があるよ」という見えない諦めの空気をまとうことによって、愚策の力は複利のようにもくもくと、大きな入道雲に育っていく。よく考えてみれば、ただ誰かが押し通した愚策にすぎないのに。

〈押し通す愚策に力〉はこの世の真理だな、と思う。あえて「付き過ぎ」のような〈雲の峯〉も深く読ませるところがある。

2019年7月20日土曜日

●土曜日の読書〔ワクチン接種〕小津夜景



小津夜景








ワクチン接種

家中の掃除を終えて、コーヒーを淹れていたとき、ちょうど訪問看護師のナタリーさんが、こんにちは、とやってきた。

「今日はワクチン接種だっけ?」とナタリーさん。
「そうです。破傷風の」と私。
「じゃあワクチンと、予防接種手帳を出して」

ナタリーさんの指示を受け、私は冷蔵庫から破傷風ワクチンの箱を出す。ワクチンは自分で薬局に行って購入する。保険が効くので、実際に払うのは0ユーロだ。ナタリーさんは箱をあけ、ラミネートをはがすと、注射器とワクチンと針をとり出す。そしてきんきんに冷えたワクチンをしばらく手の中で温めたのち、注射器にワクチンと針をくっつけた。

私はソファに寝そべり、短パンを下げてお尻を出した。注射は一瞬で終わった。そそくさと立ち上がり、台所に準備してあった2人分のコーヒーとドーナツをテーブルに並べると、ナタリーさんはスマホを出して、患者のケア用に用意しているリュートの曲をかけてくれた。

「あ。美術番組の曲」
「ふふ。シシリエンヌっていうのよ」
「不眠や躁病って、中世は音楽で治したって聞きましたよ」
「そうそう。この曲はルネサンスだけど」

ナタリーさんが音楽に詳しそうなので、私は本で齧ったうんちくを話す。中世のリュート弾きはハンセン氏病や酔っぱらいの治療もできて、病院や宮廷で演奏していたそうですよ。へえリュート弾きってすごいのね、他には何が治せたの? 他は知りませんが、ほんとリュート弾きはすごいです、もうね、お風呂屋さんでも演奏してたくらいで。
「中世の市民にとって、お風呂は特別なエンターテイメントだったんです。ほとんどの市民は自宅に風呂なんてありませんから、公共浴場へ行くわけですね。当時、大都市には十軒くらいの風呂屋があって、ウィーンに至っては二九軒もあったそうです。
それでその風呂屋ですが、おっしゃる通り混浴で、風呂桶に浸かりながら飲み食い、おしゃべり、カードやさいころ賭博を楽しむ習慣がありました。そんな雰囲気ですから、性の交わりに発展することもあり、いってみれば歓楽の施設だったんですね」
「なんかイヤですね……」
彼女が言った。僕は面白いと思うけど。
「いかにも放浪芸人が活躍しそうな場所ですよね」

(木村洋平『珈琲と吟遊詩人』社会評論社)
私の話にふんふんと耳を傾けていたナタリーさんは「楽器で酔わせて楽器で治す。儲かりそうな仕事ね」とうなずいた。窓の外から夏風が吹き込む。おいしそうなケバブの匂い。近所のレバノン・レストランが開店したのだ。




2019年7月19日金曜日

●金曜日の川柳〔米山明日歌〕樋口由紀子



樋口由紀子






割り方が私とちがう生卵

米山明日歌(よねやま・あすか)1952~

この句をそのまま読むと何かの割り方が私と生卵とはちがうということになる。私も卵も生身であるという共通項で無理やりに括ることができるが、私と生卵の割り方のちがいをうんぬんするのはやはり奇想である。奇想が川柳にとってダメかと言うと一概にそうとは言えない。

しかし、生卵は主体的に割る方のものではなく、割られる方のものなので、どうしても、生卵の割り方がだれかとちがうということに落ち着いてしまう。けれども、それならば、〈生卵の割り方が私とちがう〉とするのがふつうだが、それではあまりにも散文すぎる。倒置法で「生卵」を下五に持ってきたのだろう。順序を変えるだけでもおやっという違和感が出る。個人個人の考えることのおもしろさを奇想な部分を暗に含ませながら表出している。その手の加え方、手加減さが巧みである。〈巻頭の鬼の話はふせておく〉〈ギリギリの話しする 第二関節〉〈別別の花の名前でしめくくる〉 「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。

2019年7月17日水曜日

●ヨット

ヨット

遠景にヨット近景にもヨット  柴崎七重

対き替へてヨット白さを失へり  加倉井秋を

かの赤きヨットのけふも来る時刻  富安風生

ヨット出発女子大生のピストルに  西東三鬼

ヨットより出でゆく水を夜といふ  佐藤文香


2019年7月15日月曜日

●月曜日の一句〔安藤恭子〕相子智恵



相子智恵







シャツの裾だんだん重き水遊び  安藤恭子

句集『とびうを』(ふらんす堂 2019.7)所載

子どもが水鉄砲で水を掛け合ったりして遊んでいる。最初は水鉄砲を打ったり走って逃げたりするのが楽しくて、時間を忘れて、きらきらした水の束だけに集中している。シャツの裾であって、ズボンの裾などではないから、川やビニールプールなど足元から水に入る遊びではなく、水鉄砲のような遊びを想像した。

それが〈シャツの裾だんだん重き〉で、徐々に裾の重さに気づいてくる。シャツの重さの方が気になるようになってきたら、そのうちシャツの冷たさにも気がついて、水遊びだけに没頭していたひとときは過ぎてゆく。遊びは終わりに近づくのだろう。

掲句は大人になってから、子どもの頃の水遊びを思い出したのかもしれないなと思った。子ども時代を思い出す時、遊びそのものの記憶よりも、なぜかこのような触感などの感覚が残ることが多いように思う。懐かしくてちょっと切ない一句。

2019年7月13日土曜日

●土曜日の読書〔リハビリルームの雲〕小津夜景




小津夜景







リハビリルームの雲

ブレンダーに人差し指をつっこんだまま、間違ってスイッチを入れたら、人差し指が消えた。

あたりは血の海である。ひい、と唸ったがあとのまつりだ。血の海をほっといたまま急いでタクシーにのり、町で一番と噂される総合病院の救急にかけこんで診てもらうと、これはどうしようもありません、と真面目な顔で言われる。匙を投げられたのかと思いきや、

「さいわい近くに手足専門の外科医がいますから、そちらにお願いしましょう」
「手足専門なんているんですか」
「ええ。F1やモトクロスを専門とする手術チームです。このままそこへ行ってください。いいですか。先方に連絡しておきますからね」

翌日、人差し指を螺旋に縫い上げつつ形をととのえ、その数週間後にリハビリが始まった。が、3ヶ月経っても指が曲がるようにならない。こんなに時間がかかるんだなあと半ば飽き飽きしながら、ある日もリハビリルームで先生を待ちつつ指の縫い目を眺めていたら、

あれ。これなんだっけ?

と、とつぜん脳が混乱におちいった。

これは、どうしたら、どうなるものだったかしら。てゆーかなにをどうしたら、これが治ったことになるんだっけ。

わからない。ほんの軽い混乱だったはずのものが、考えるごとに深みにはまってゆき、またたくまに四方が闇になった。わ。なんで目まで見えないの。なにこれ怖い。怖いよう。

と、そこへ先生が来た。いま起こったことを急いで先生に伝える。あっはっは。頭の中がこんがらかったんだね。先生に笑われ、すうっと不安がほどけて、今日のリハビリを開始する。私たちのほかは誰もいないパステル色の室内。窓の外を夏の雲がながれてゆく。
おお、雲よ、美しい、ただよう休みなきものよ。私はまだ無知な子供だった。そして雲を愛し雲をながめた。そして私も また雲のようにさすらいながら、どこにもなじまず、現在と水逮とのあいだをただよいながら人生をわたって行くであろうことを知らなかった」(ヘッセ『郷愁 − ペーター・カーメンチント』岩波文庫ほか)
私もまた、雲が教えてくれた大きな物語を忘れていない。そしてこれからも忘れはしないだろう。ああ、今日は本当にいい天気だなあ。そう思いながら深呼吸したとき、先生のてのひらに包まれた人差し指から、まだ目には見えないうごめきが、ぴく、と萌したのがわかった。


2019年7月11日木曜日

●木曜日の談林〔柏雨軒一礼〕浅沼璞



浅沼璞








 此(この)池波の小便に月    一礼(前句)
うたかたの泡五六服霧たてゝ    同(付句)
『投盃』第三(延宝8年・1680)

立小便の泡を抹茶のそれに見立てた付合。

付句では「……服」「……たて」と茶道の縁語をつかいながら、「月」を受けて「霧」で秋のあしらいをしてる。



それにしても泡が五六服とは、ぷくぷくした感じで笑える。

結句に至っては、狭霧つまり水しぶきがたってるようで尚笑える。



ちなみに談林で小便の句といえば「しゝ/\し若子の寝覚の時雨かな」(両吟一日千句)の西鶴発句が知られてるが、付句でも「小便はちく/\出て物思ひ」(独吟一日千句)などと際どい恋を西鶴はしてる。


〔柏雨軒一礼(はくうけん・いちれい)は大坂商人で宗因門。『投盃』(なげさかづき)は独吟百韻十巻を収めた連句集。〕

2019年7月10日水曜日

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2019年7月8日月曜日

●月曜日の一句〔新谷壯夫〕相子智恵



相子智恵







心持傾きしまま水中花  新谷壯夫

句集『山懐』(俳句アトラス 2019.6)所載

安っぽい水中花の、安っぽさの極みのような句で面白い。水に入れると開く、昭和らしい紙製の水中花を想像する。土台が水の底で心持ち傾いていたのだろうか、あるいは紙のクセか、少し傾いて水の中に立っている。

〈傾きしまま〉なので、いつ見ても直されることもなく、少しだけ傾いたままなのだろう。なんとなくトイレの小窓の桟にでも置かれていそうだな、と想像する。置いてあることすら忘れ去られてしまっているような、気にも留められていない水中花。

行きつけのお店だろうか。あるいはよく行く誰かの家か。心持傾いていることに気づいてはいても、自分では直せない他者の水中花。でもいつ見ても〈心持傾きしまま〉で、その安っぽさに何だか心が和むのである。

2019年7月6日土曜日

●土曜日の読書〔砂漠の約束〕小津夜景




小津夜景







砂漠の約束

今度の土曜日、遊びにいらっしゃい、とマリーが言った。

さいきんマリーは90歳になった。武術を習ったり、油絵を描いたり、朗読をしたり、毎日いそがしい。じゃあ私、レモンケーキを焼いてゆきますので、そのつもりでいてください、と約束する。

土曜日の昼、マリーのアパートを訪れる。いま前菜を運ぶからテーブルで座っててね。ビズをして、マリーが言った。私はそれを無視してずかずかと台所に入り、前菜の皿をテーブルへ運ぶ。大きな砂漠の写真が居間に飾られている。

「きれい。これ、どこの砂漠?」
「アルジェリア。私の住んでたとこ」
「へえ!」
「大昔の話よ。結婚と同時に渡って、戦争で逃げ回って、あのときはさんざんだったけど、また行きたいの。若い娘だったころ暮らした風景の中に、もういちど身を置きたくて」

90歳の女性にこのようなことを言われた場合、いったいどう返すべきか。私は、たぶん正解ではないなと思いつつ、

「きっと変わってないわ。どんなに変わっても、かならず当時の面影があると思う」

と言ってみた。するとマリーは笑って、

「ごめん。私は思い出より憧れの方が好きなの。つまり、どのくらい都会になったかしらと想像して楽しんでるわけ」
「そっか。砂漠以外はきっとずいぶん変わっただろうね」
「砂漠だって毎日変わるわよ。海みたいに」
「うそ。そんなに?」
「変わる変わる。こんど一緒に行きましょう」

思い出より憧れの方が好き。これは登山家ガストン・レビュファの言葉で、昔のフランス人ならたいてい知っている。
山脈というものは、はっきりした輪郭を持ち、見る人を圧倒する緻密な物体である。これに反して、砂漠、ことにサハラ砂漠は広大で、いたる所で同じ景観を有するかと思うと、いたる所で別の姿を持つ。いわば海のように、移動性を持つ。(…)砂の壁は厚い、不透明の壁で、前進して来る。自然は好きなように行動し、地表を一変する。それは新しい雪が地表を一変するのと同じで、前日に見た地表の姿は、風がやんだとき、すっかり消えている。(ガストン・レビュファ『太陽を迎えに』新潮選書)
今日はお招きありがとう。こちらこそ楽しかったわ、また月曜に道場でね。マリーのアパートを出て市バスに乗り、車窓から海を眺めていて、とつぜん喉がつまる。憧れというのはなんと素晴らしいものだろう、と心が震えたのだ。


2019年7月4日木曜日

【俳誌拝読】『鏡』第32号

【俳誌拝読】
『鏡』第32号(2019年7月1日)


A5判、本文44ページ。発行人・編集人:寺澤一雄。

同人諸氏の俳句作品より。

夜は五月の差し交はす枝のつや  佐藤文香

蘭鋳と別れ人とも別れけり  大上朝美

古着屋に新たな古着夏きざす  井松悦子

火蛾の来て玄米パンを甘くする  倉田有希

母鹿のこゑ金の螺子巻くやうな  笹木くろえ

砂鉄立つ十連休の終ひの日  谷雅子

はつ夏のウクレレは木漏日のやうに  佐川盟子

草藤のそよぐ水辺をそよぐ人  羽多野令

欄干の深傷負ひたる春連夜  八田夕刈

そうめんの中のピンクや白い家  手嶋崖元

加工してあげる写真やチューリップ  東直子

翌朝のカレーのやうな春のひと  三島ゆかり

春陰のスーツノーネクタイ裸足  村井康司

蒲公英の絮のどれもがどこか欠け  森宮保子

金戻るコインロッカー百千鳥  寺澤一雄

(西原天気・記)

2019年7月3日水曜日

【俳誌拝読】『ぶるうまりん』第38号

【俳誌拝読】
『ぶるうまりん』第38号(2019年6月22日)



A5判、本文88ページ。編集発行人:山田千里。

特集「小説家と俳句」は20ページを割いて充実。以下、書き手と取り上げた作家を挙げる。

川村蘭太:多田裕計、及川木栄子:吉村昭、今泉康弘:田辺聖子、瀬戸正洋:尾崎一雄、茉杏子:川上弘美、井東泉:子規周辺、土江香子:又吉直樹、東儀光江:寺田寅彦、山田千里:瀬戸内寂聴、三堀登美子:藤沢周平、平佐和子:吉屋信子、生駒清治:久保田万太郎。

(西原天気・記)

2019年7月1日月曜日

●月曜日の一句〔乾佐伎〕相子智恵



相子智恵







永遠に開く花火を一人探す  乾 佐伎

句集『未来一滴』(コールサック社 2019.8)所載

〈永遠に開く花火〉など現実には存在しない、ということは分かっている。一瞬の儚さこそが花火だということは。だが〈一人探〉さずにはいられないのだ。〈一人探す〉がきっぱりとしていて、それは詩へ向かう決意のようにも読める。

〈ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火〉をふと思い出す。林火の、ひとりでに静かに溢れ出てきた抒情的な永遠の花火とは違い、掲句は自らそれをつかまえにいく強さがある。林火はそれに出会えていて心が温かくなるけれど、掲句には、今はそれが見つかっていないという泣きたくなるような寂しさがある。

一人は孤独だけれど、ひとりひとりの胸の中にしか〈永遠に開く花火〉はないことを、古今の二人の俳人は痛いほど分かっている。だからどちらの花火の句も切なくて、美しい。

2019年6月30日日曜日

【俳誌拝読】『鷹』2019年7月号

【俳誌拝読】
『鷹』2019年7月号


A5判・本文152ページ。発行人:小川軽舟(「鷹」主宰)。

今号の特集「平成、あの年」では、元年から30年まで各年を結社内外の著者が振り返るという趣向。社会事象と私事、俳句の絡め方や按配は書き手それぞれ。ざっくりと平成ではなく1年ごとに焦点を当てた企画が奏功か、また1年1ページという分量のせいか、面白く読める。

若手(どこまでを若手と呼ぶかは置いておいて)の書き手も、五島高資、竹岡一郎、高山れおな、村上鞆彦、神野紗希、関悦史、福田若之、鴇田智哉、髙柳克弘、生駒大祐(登場順)と多く、全体の3分の1を占める。

ところで、小誌『週刊俳句』は平成19年創刊だから、平成後期3分の1を過ごしたことになる。その年の担当は小川軽舟。小川氏の『俳句』誌での「現代俳句時評」連載に触れてあり、そういえば、小誌でも取り上げたことがある(≫こちら)。

ついでに(ということもないが)記しておくと、震災の年2011年は、福田若之「かもめの写真」。
(…)そのしがらみを、ひとびとがしきりに《絆》と呼ぶのが聞こえた。僕には、そんなふうに美しく生きることができなかった。だからといって、しばらくの月日が過ぎたのちに、《詩の被災》などというそれ自体およそ詩的な繊細さに欠けた殺し文句が、どこか得意げな表情でひとびとを戒めようとしたのにも、それはそれで、苛立ちを禁じえなかった。(福田若之)

(西原天気・記)

2019年6月29日土曜日

●土曜日の読書〔日々の泡〕小津夜景




小津夜景







日々の泡

結婚のときに母がもたせてくれた鍋の底を焦がしてしまった。

スチールの束子でこすってみる。黒ずみが少しとれた。ついでに内側もこする。しゃらしゃらしゃら。あらためて眺めると、かすかな傷がいっぱいある。傷というのはなんて綺麗なのだろう。

水が沸騰するとき、さいしょの気泡は鍋の傷から生まれる。逆から言うと、鍋に傷がないとき、水は100℃になってもぜんぜん沸騰しない。

「それほんと? じゃあね、もしも傷のない、完璧なお鍋がこの世に存在したとして、一番はじめの、たったひとつぶの気泡は、いったいいつ、どうやって生まれたらいいの?」

と、いつだったか、会話の流れで、そう夫に質問したことがあった。そのころ夫は、たまたま辿りついたピレネー山脈のふもとの町で、無重力下における沸騰現象の研究をしていたのである。

「その場合、さいしょの泡は、水中の水の分子の密度が低いところが偶然生じたとき、その『穴』から生まれるんだよ」
「密度が低いって、つまりどういうところ?」
「分子と分子とが離れているところ」

いつのまにか、鍋がみちがえるほどぴかぴかになっている。水をはり、コンロにかけて、火を入れる。鍋の底にあえかなゆらぎが見え、傷の中に隠れている空気が気泡になりたがっているのがわかった。あ、くる。そう思ったとたん、気泡が鍋の底からぷっとあらわれ、ゆらりと剝がれて、消えた。
私を眺めやるとき、私は私が、夢のやうに遠い、茫漠とした風景であるのに気付いてゐた(…)私は、その上夢を、その風景を、あかずいとほしんだ。風景である私は、風景である彼女を、私の心にならべることをむしろ好むのかも知れなかつた。そして風景である私は、空気のやうに街を流れた。(坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌 夢の総量は空気であつた」岩波文庫)
このまま水を沸かしつづけていると、鍋はいつか、傷のない完璧な器に変わるだろう。それほんと? そんなすごいお鍋がこの世に存在するの? うん、傷のない器のつくりかたはこうだよ。1、水を長時間沸かす。2、とてもしずかに冷ます。これで傷の中に隠れていたすべての空気が抜け、そこに水がしみこんで、できあがりだ。


2019年6月28日金曜日

●金曜日の川柳〔川上三太郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






雨ぞ降る渋谷新宿孤独あり

川上三太郎 (かわかみ・さんたろう) 1891~1968

近畿地方はやっと梅雨入りし、一気に雨模様になった。雨は降ったら降ったでたいへんだが、降らないのもたいへんである。雨が降ると気が滅入る。雨はどこにでも降る。もちろん、渋谷新宿にも雨が降る。地方の者には渋谷新宿には賑やかで華やかなイメージがある。賑やかで華やかに見える場所ほど回収され得ない孤独を抱えて込んでいるのかもしれない。

「雨ぞ降る」「渋谷新宿」「孤独あり」と舞台設定が絶妙で、独特の言い回しの、言葉の続け方に感心する。雨の降る渋谷新宿。渋谷新宿に潜む孤独。二つを繋いでいるのは「私」だろう。今雨が降っている渋谷新宿を「私」というものを媒介にして孤独と関係づけている。見える「雨」と見えない「孤独」。その見えない「孤独」を見える「雨」がクローズアップし、「私」にいっそうの「孤独」を感じさせる。それはまぎれもなく生きているということなのだろう。

2019年6月27日木曜日

●木曜日の談林〔辻尾意楽〕浅沼璞



浅沼璞








夕涼み草のいほりにふんぞりて  意楽(前句)
 頓死をつぐる鐘つきの袖    同(付句)
『大坂独吟集』上巻(延宝三年・1675)

草庵でひとり夕涼みをし、誰憚ることなくふんぞり返っている。

かと思いきや、それは頓死で、涙の袖が鐘をつく。



宗因の評語に「卒中風(そっちゅうふう)、夕涼み過ぎ候か」とある。

つまり脳卒中の原因は夕涼みをしすぎたためか、というのである。



 「ふんぞりて」の気楽さを「頓死」に取り成した無常の付け。

談林的な諧謔がスピード感をうむ。



〔作者の意楽(いらく)は辻尾氏。俳諧執筆のプロ。『西鶴大矢数』の執筆も務めた。〕

2019年6月26日水曜日

●西国

西国

西国の畦曼珠沙華曼珠沙華  森澄雄

秋風の西国街道歯ブラシ立つ  坪内稔典

西国の粗櫛つかふ花曇り  柿本多映

2019年6月24日月曜日

●月曜日の一句〔杉阪大和〕相子智恵



相子智恵







近づくにつれて雑なる滝の音  杉阪大和

句集『思郷』(北辰社 2019.4)所収

ああ、そうだよなあと思う。一読、〈雑なる〉の中身をもっと細やかに写生してほしくなるような書き方で、〈雑なる〉が言葉通りの「雑」な表現に思えてしまうかもしれないが、言われてみれば確かに「雑」なのだ。

遠くで滝の音を聞いている時は、「ドーッ」と低い一音にまとまって聞こえている。それが滝に近づくにつれて、様々な水の音が響くようになり、滝のすぐ近くに立てば、水が岩にぶつかって立てる音はみんな違って騒々しくて、まるでパチンコ屋の中に入ったような感じだ。

滝を見ていてもそうだ。遠くから見れば一本にまとまった白い線のように見えるけれど、間近で見れば(当たり前だが)水の動きは統一などしていない。活き活きと「雑」なのである。

大づかみな中に、滝の本質を見事にとらえている句だと思った。

2019年6月22日土曜日

●土曜日の読書〔砂の絵よりも〕小津夜景




小津夜景







砂の絵よりも

掃除していて、古い岩波文庫をひらくと、オチさんとドライブした日のレシートが栞になっていた。

オチさんの喉元には2つの傷跡がある。俺、さいきんシャバに生還したんやけど、一番死にかけてたときは喉の、ここんとこに穴あけて何年も栄養とっててん、と初めて会った日にオチさんは語った。へえ、それでよく大学に入れたね。そら内部生やし。小学生の時に勉強しといてよかったわ。

オチさんとは大学の必修科目の体育で知り合った。登録者が5人の特別養護クラスである。授業はビリヤード、ダーツ、輪投げなどからその日の自分にできるものをやる。私はダーツにはまった。武術に似て、心技体のコントロールがおもしろい。オチさんはビデオゲームをやりたいですとよく教師に掛け合っていた。瞬発力や動体視力を競う種目など、どう考えてもオチさんには過酷すぎるのに。

ドライブの日は海まで行って、鳥など眺めつつ、なんのへんてつもない砂浜を歩いた。

「わ」
「どないしたん」
「足跡がついてきてる」
「ほんまや。これ、空からみたら、ものすごく怪しい砂絵にみえるんちゃう。呪い的な」
「そうだ、この辺に大きなドアを描いておこう。そしたら足跡が迷子にならないし、空からみても怪しくなくなるよ」
「よし」

砂にめりこみ、オチさんの足がうまく上がらない。オチさんの体力にあわせて、私たちはゆっくりと砂の上に線を引く。
私にとっての砂絵の魅力は、その正面性という性格にある。つまり、易しく言うと、平べったいところがいいのである。(…)ドアーが平べったいことは私を感動させる。そして私にとって、ドアーは、ほとんどひとつの象徴性をもっている。それは、その平べったさによって、ひとつにはその向う側にある「奥行き」を暗示しているからでもある。正面性の強い美術作品に私が感動するのは、多分こういうことだと思う。(金関寿夫『ナヴァホの砂絵―詩的アメリカ』小沢書店)
雲の流れがはやい。なぜあんなにはやいのだろう。空と人との正面性について。そういえば、病院のベッドの上で眺めていた天井にはたしかな奥行きがあった。髪が顔にはりつくみたいに、風と波とが両耳をおおう。聞こえない音。その存在を肌で知る音。私はサンド・ペインティングよりも、波と風と砂とが奏でるサウンド・ペインティングの方がずっと好きだった。




2019年6月21日金曜日

●金曜日の川柳〔永田帆船〕樋口由紀子



樋口由紀子






この辺で妥協する気の角砂糖

永田帆船 (ながた・はんせん) 1914~1996

いや、妥協する気なのは角砂糖ではなく作者だろう。夫婦喧嘩でもしたのだろうか。気まずい空気が流れている。どうにかしなくては思いながらも、こちらからあやまるのも癪にさわる。が、この硬直状態が続いているのもかなりしんどい。意地を張り合うのもだんだんと疲れる年齢になってきた。一人で飲む珈琲は美味しくない。なによりもつまらない。角砂糖のように甘く、大人になって、こちらから折れてやろうか。「珈琲が入ったよ。お茶にしよう」と。

実生活に基づいて、あれこれ勝手に想像してみた。温かいものを入れるとまっしろな角砂糖の尖っているところから徐々に溶け出すさまが思い浮かんだ。もう逆らっても無駄である。なるようにしかならない。角砂糖は本当に素直である。見習わなければならない。そういえば、長いこと、角砂糖は使っていない。あれを二つ入れて珈琲を飲んでいたときもあった。糖分の取りすぎだ。まだ、売っているのだろうか。久しぶりに角砂糖を買ってみたくなった。

2019年6月19日水曜日

●ジャズ

ジャズ

みつ豆はジャズのごとくに美しき  國弘賢治

夜汽車暑く発ちゆくジャズが追ひかける  中島斌雄

蛇泳ぐジャズより黒く快く  中村尭子

ジャズの中咳を落してわが過ぎぬ  石田波郷

ジャズが湧く蔦ことごとく枯れ尽くし  高野ムツオ

2019年6月17日月曜日

●月曜日の一句〔中原道夫〕相子智恵



相子智恵







 アンディ・ウォーホル
スープ罐ずらりどれ乞ふ夏の卓  中原道夫

句集『彷徨 UROTSUKU』(ふらんす堂 2019.2)所収

海外詠のみを収めた第13句集より、ニューヨーク近代美術館(MOMA)での作である。アンディ・ウォーホルのポップ・アート『32個のキャンベルのスープ缶』。掲句は〈ずらりどれ乞ふ〉というさらりとした詠み方でこのスープ缶の世界に飄々と入り込んだ。

大量生産された既製品というのは、消費者は「どれを選ぶか」しかなくて、ある意味で主体性は損なわれているのだけれど、まさにそそれを描いた作品に対して、「それなら大いに迷って選ぶことにしましょう。迷うことも楽しいのだから」と、〈ずらりどれ乞ふ〉でひょいと受け取って、涼しい句を付けた。

〈乞ふ夏の卓〉だから自分がスープを温めることすらせず、〈夏の卓〉で選んだスープを頼んで、ウキウキと待つだけの「圧倒的な消費者」を演じている。その諧謔が涼しくてドライで、この絵画と響き合う俳句だと思った。〈夏の卓〉も、これが他の季節ならこんなポップな感じは出せないだろう。

俳諧も、大衆的な言葉遊びから始まったものであり、ポップ・アートとは時代も国も超えて、響き合うところは案外大きいのかもしれない。

2019年6月15日土曜日

●土曜日の読書〔薫る庭、深い皺〕小津夜景




小津夜景







薫る庭、深い皺

休息のために立ち寄ったブルーボトルコーヒーのテラス。アイスコーヒーとカフェラテを飲みながら、もうすこし散歩しようと話しあう。

大横川に出る。葉桜をくぐり、運河に沿って、石島橋をわたり、黒船橋をわたり、越中島橋をわたる。アスファルトの道路とはちがう、心地よい風が吹き抜ける。そして誰ともすれ違わない。なんだか自分の家の庭みたいだ。

「そういえば」
「うん」
「人間には誰しも、自分が野垂れ死ぬんじゃないかといった不安があるでしょう? 私もそうなのですけれど、あるとき野垂れ死にの恐怖というのは孤独や不幸の問題であって、路上それ自体とは無関係だってことに気づいたの」
「ほう」
「つまり、北国生まれのせいで、路上を屋内よりも悪いものだとずっと誤解してたんです。今は暖かいところに住んでいるから、死ぬときは外がいいって思う。仏陀みたいに」
「なるほど。実は僕も外で死にたいんだ。僕にとって一番幸福な死に方は、川沿いを自転車で走っている最中に心臓麻痺でころっと逝くことでね」
「へえ。いいですね」
「いいでしょ」

ベンチがあった。少し休む。その人は、鞄の中をさぐって煙草をとり出すと火をつけた。

緑にうずもれた庭。そのあわいを縫って、香りが呼吸する。
それは時に、なにげなく、空間の息ぬきとして、いたるところに姿を見せる。逆に言えば、私たちは、どんなところにも庭をつくらずにはいられないようだ(…)私が庭が大好きなのは、そこに仕掛けられた遊びの空間が、まなざしをはじめとする身体空間を楽しいいたずらでおどろかすからである。(海野弘『都市の庭、森の庭』新潮選書)
煙草の煙はしばらくのあいだ緑の底に籠もっていた。知らない花が揺れている。なんでしょうこれは。なんだろうね。まだもうすこし歩こうか。そう言って、煙草をしまい、指先をぬぐうその人のうつむく眉間には、初夏の緑の濃さに似つかわしい深い皺があった。


2019年6月14日金曜日

●金曜日の川柳〔北村幸子〕樋口由紀子



樋口由紀子






風がはじまる理容はらだのお顔剃り

北村幸子 (きたむら・さちこ) 1958~

五月に神戸新聞の企画「川柳詠みだおれ」で姫路吟行があった。そのときに作られた一句である。駅前の商店街(みゆき通り)を歩いていると一軒の理容院があった。扉は開かれていて、中までよく見えた。なによりも店名の「理容はらだ」が気になった。私も「理容はらだ」という言葉で一句をものにしたいと思ったがうまくできなかった。掲句は「理容はらだ」を引き金にして、「風がはじまる」と「お顔剃り」の独自のアナロジーを見つけ出している。顔を剃ってもらうとまさしく風がはじまる。

姫路の商店街に単独の帽子屋レコード屋呉服屋の多いことに驚かれた。いままでそんなことは思ってもいなかったが、言われてみれば確かにそうである。こんなつまらないことにこんなに興味を持つ、川柳吟行のおもしろさである。〈帽子屋の帽子に歌を教えます〉〈エレキギターどこにも行けぬ兄がいる〉〈ヒツジヤのハギレ正しい終わり方〉〈ビクターの犬より深い海を聴く〉

2019年6月13日木曜日

●木曜日の談林〔岡田悦春〕浅沼璞



浅沼璞








 鵜のまねしたる烏むれゐる   悦春(前句)
ばつとひろげ森の木陰の扇の手  同(付句)
『大坂独吟集』下巻(延宝三年・1675)

前句――「鵜の真似をする烏は水に溺れる」という俚諺のサンプリング。

黒い羽は同じでも、潜水が得意な鵜の真似を安易にすると、烏のように失敗する。

そんな烏合の衆を詠んでいる。



付句――いっせいに飛び立つ尾羽を舞踊の「扇の手」に見立てている。

水辺から陸地へのけざやかなモンタージュ。

(烏と森は付合用語。)



〔作者の悦春(えつしゅん)は岡田氏。商人と思われるベテラン俳人。〕

2019年6月9日日曜日

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2019年6月7日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕樋口由紀子



樋口由紀子






世界からサランラップが剥がせない

川合大祐 (かわい・だいすけ) 1974~

透明で薄くて、すぐにでも剥せそうなサランラップは一見はかなさそうに見えるが、電子レンジにも対応できるほど手強く、強靭さを持っている。サランラップは冷凍冷蔵庫や電子レンジで日常生活に欠かせないものだが、もともとは食品用に開発されたものではなく、戦場などで銃弾や火薬などを湿気から守るために開発されたものであり、その生まれからしてもなにやらいわくありげである。

世界と自分を遮断するものがある。薄っぺらで向こうははっきりと見えるものを境にして、そのたった一枚があるだけで世界に接触しようとしても直に触れられず、思いのままにならず、加わることもできない。世界とは何なのか。近づけない、近づかせない、よそよそしくて、不気味なものが世界なのだろうか。世界に対してのもどかしさやどうしようもなさを感じる。そこに立つしかなく、そのように世界を見ている自分を内省的に観察している。『スロー・リバー』(2016年刊 あざみエージェント)所収。

2019年5月31日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子






時々は覗いてあげる古い井戸

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

我が家には古い井戸がある。もう半世紀以上使っていない。埋めてしまおうという話もあったが、震災を経験して、水の貴重さ、断水の不便さを考えて、そのままにしてある。しかし、普段はそこにあることすら忘れている。

生家にも井戸があった。庭に片隅あり、危ないから近づくなと言われていた。こっそりと行って、覗くと自分の顔が映る。水面のゆらゆら感は妖しく、怪訝な顔で覗いているので、もちろん、怪訝な顔の私がいる。そこには日常とは明らかに違う異界があった。

掲句の「古い井戸」は比喩だろう。忘れているものなのか、異界なのか。それ以外のものなのか。なににせよ、それらは覗いてあげなくてはならないものなのだ。「杜人」(261号 2019年刊)収録。

2019年5月30日木曜日

●木曜日の談林〔山口素堂〕浅沼璞



浅沼璞








目には青葉山ほとゝぎす初鰹     素堂
『江戸新道』(延宝六年・1678)

著名な発句だが、初出年や作風から推して談林のカテゴリーに入る秀吟。

周知のように、これは鎌倉の名物づくし。目には青葉の色、耳には山ほとゝぎすの声、口には初鰹の味、と初夏の風物を視覚・聴覚・味覚で愛でている。

〈耳には〉〈口には〉が省略されているのは談林のいわゆる「抜け」という省略法である。



まずは上五&中七から。

〈青葉〉〈ほとゝぎす〉は初夏の風物詩として古くから和歌に詠まれた雅語(歌語)。
よく例示されるのは、〈ほとゝぎす聞く折にこそ夏山の青葉は花に劣らざりけれ〉(山家集)という西行の歌である。

いわば〈ほとゝぎす〉と〈青葉〉は本歌取りによるバランスのとれた伝統的な取合せとしていい。



つぎに中七&下五。

〈ほとゝぎす〉とおなじ初夏の景物でありながら、商品経済における初物〈初鰹〉が俗語として配されている。

伝統的な雅語(竪題)に当世の俗語(横題)を配す、そんなアンバランスな滑稽味によって意表をついているわけである。



これらを連句の「三句の渡り」の観点でとらえ直せば、雅語どうしの付合(二句一章)から、雅語・俗語の付合(二句一章)へと転じているということになる。

つまりは「三句の転じ」がなされているわけだ。



後年(元禄四年・一六九一)、芭蕉も似たような発想で〈梅若菜まりこの宿のとろゝ汁〉と初春の景物を雅語/俗語で愛でているのは周知のとおりである。

〔素堂は談林期から芭蕉と親交があり、蕉風確立にも影響を与えたといわれている。〕

2019年5月27日月曜日

●月曜日の一句〔川口正博〕相子智恵



相子智恵







遁走の蜥蜴に重き尻尾あり  川口正博

句集『たぶの木』(ふらんす堂 2019.4)所収

「蜥蜴の尻尾切り」という慣用句がある。不祥事などが露見した時に、上の者が下の者に責任をかぶせて、追及から逃れることだ。今でもワイドショーなどで、この言葉を聞くことは少なくない。それほどまでに蜥蜴が尻尾を自ら切り捨てて逃げることはよく知られている。実際に見たことのある人はそう多くはないとは思うのだが。

掲句、〈重き尻尾あり〉は確かに外側から見た写生なのだけれど、その「重さ」を感じるのは、実際には尾をもつ蜥蜴だけだ。だから〈重き〉と言われたとたんに、私達は蜥蜴の心境に同化することになる。

いつ尻尾を差し出して敵の目をくらますか。それともこの尾を保ったまま逃げおおせるのか。遁走中の蜥蜴の逡巡が、自分のことのように思えてくる。実際の重さだけでなく、蜥蜴の心中に占める尻尾の重さは、今とても重い。

しかし実際のところ、自切する動物にとって、自切する部分はあらかじめ切り離すことを想定して、切り離しやすい構造にできているらしい。蜥蜴の尻尾は元々存在として「軽い」もので、もしかしたら、この蜥蜴にとって尾を切ることは、軽くたやすいことなのかもしれない。なんだか、現代日本の社会構造の縮図のようだが。

だから本当は、私達が同化したのは蜥蜴ではなく、尻尾の存在を〈重き〉と見た作者の心なのだ。自分の身の一部を切ることへの精神的な重さを描いた作者。その、命を見る目そのものの重さへの共感なのである。

2019年5月24日金曜日

●金曜日の川柳〔玉木柳子〕樋口由紀子



樋口由紀子






生も死もたった一文字だよ卵

玉木柳子

余分な心情表現はまったくない。強引な言い切り方で独得の空気感を漂わせている。「生」も「死」も「卵」もたった一文字である。しかし、一文字の漢字なんて他にもいっぱいある。これらを選択した意味はどこにあるのか。そして、わざわざ「一文字だよ」と述べる理由はあるのかと、掲句の前で立ち止まった。

「生」と「死」は両極である。それを「一文字」という共通項で括る。それを「卵」という「生」と「死」を併せ持つものに語りかける。卵に向けるまなざしを感じる。「生」と「死」を把握させ、一瞬とか、切実さや脆さや儚さを否応なく確認させているのだろうか。生も死もたった一度しか起こらないことだけが確かなことである。〈釦ひとつはずしてカゴメの輪に入る〉〈転ぶこと位は何度でも見せる〉〈風船になろうか妻よ青空だ〉 『砂の自画像』所収。

2019年5月20日月曜日

●月曜日の一句〔藤本夕衣〕相子智恵



相子智恵







木の影のまじはらずあり衣更  藤本夕衣

句集『遠くの声』(ふらんす堂 2019.3)所収

自然の雑木林や森ならば、枝や葉、幹の影同士が交わるようにたくさん木が生えているだろうから、街路樹か公園の木だろうか。杉などの人口林かもしれない。規模の大きさはわからないが、いずれにしても人の手が入って整然と並べられた木たちを思う。

木の影が交わらないのは寂しくもあり、すっきりと涼しげでもある。それは、夏服に衣更した時の涼しさと、その反面、慣れるまでは半袖や丈の短いボトムに手足が守られずに、心細くて寂しい感じと遠くで響き合っている。

〈木の影のまじはらず〉と言われると、自然に木の枝が思い浮かぶし、〈衣更〉では人の手足が思われてくる。一見、意外な取り合わせでありながら両者はどこか似ていて、美しく響き合っているのである。

2019年5月19日日曜日

●恐龍

恐竜

恐竜のなかの夕焼け取り出しぬ  あざ蓉子

恐竜には致死量の憂愁だったか  松本恭子

ひこばゆる彼の恐龍の頬骨に  三輪小春〔*1〕

恐竜の振り向いている桜かな   大口元通〔*2〕

春の夜やからだを通過する恐竜  渋川京子〔*3〕

いまは最後の恐竜として永き春  高柳重信

このまま死ねば宵つぱりの恐竜で春の日  加藤郁乎


〔*1〕三輪小春句集『風の往路』(2014年3月)≫過去記事
〔*2〕大口元通句集『豊葦原』(2012年12月)≫過去記事
〔*3〕『面』第124号(2019年4月)

2019年5月17日金曜日

●金曜日の川柳〔梅村暦郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






なにもなき街 なにもなく風通る

梅村暦郎 (うめむら・れきろう) 1933~

連休の二日間を広島の世羅高原のコテージで過ごした。なにもないところで、なにもしないで、なにも考えずに、ただぼっーとしてした。なにもなく風も通り、新緑の中の風は心地よく、「風薫る」とはこういうことなのだと思った。

そのときふと掲句を思い出した。この風は心地よい、お気楽ではない。虚しく、冷たい風だろう。街にはいろいろなものがあふれている。なにもないことはない。ただ、作者が必要とするものがなにもない。しかも、街も作者を必要としていない。生きている意味を問うているように思う。「風」はそのときどきで、それぞれの位置で、表情を変えて、別物になる。そんなことを考えていると風がひんやりと通り抜けていった。

2019年5月11日土曜日

●土曜日の読書〔翻訳のキモチ〕小津夜景




小津夜景







翻訳のキモチ

翻訳には言葉を数学的に思考する面白さがある。

考えに没頭して現実を忘れ、試行錯誤のあげく一周してシンプルな式に辿りつく、その瞬間がたのしい。また一度くぐりぬけた試行錯誤を公式化して別の翻訳に応用できる場合もあり、昔の翻訳本を読んでいてそんな公式と出会ったときは、ううむその手があったかと感動する。
「秋浦歌」李白
白髪三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何処得秋霜
わが黒髪もしら糸の
 千ひろ/\に又千ひろ、
うさやつらさのますかがみ
いづくよりかは置く霜の、
なんと〈千ひろ×3〉で三千丈だ。訳者は忍海和尚。三千丈という言葉をきちんと訳し移した例を知らなかった私は、この「数を分解する」といったエレガントな解答例を自前の公式集にいそいそと書き込みつつ、こう思う。そういえば16歳のことを二八(にはち)と言うよなあ、そこから自力で発見できる可能性はあったんだ、と。

忍海和尚の訳は、大庭柯公其日の話』(春陽堂。なお中公文庫『江戸団扇』はこの改題復刻版)で見つけた。柯公といえばなんどもロシアで逮捕投獄され、日本社会主義同盟の創立にかかわったエスペランティストで、1924年にロシアで死亡したのだけれど、近年これは粛清されたと考えられているようだ。
近ごろ帝国ホテルでは、日本風に翻訳したメニューを時々出す。それにはアスパラガスを「新うど」としてある。中央亭の方では、それが支那風の翻訳だ。露国式ザクースカの事を「前菜」、スープが「濃嚢(のうかう)」に「淡嚢(たんかう)」、アイスクリームが「乳酪冷菓」と云たやうな塩梅だ。翻訳といふことも広い意味で云ふと文字の翻訳から、意義の翻案までを含んでよからう。例の発明翻案の天才平賀源内が、或時厚紙を三角の袋にして、その中へ糊を入れて、一方に小さな穴をあけて、押し出して使ふ万年糊を想い着き、それに「オストデール」といふ名を着けて、売り出させた。荷蘭(オランダ)ものゝ渡来、西洋ものの流行り始めたアノ頃としては、好個の翻案である。誰が云ひ出したことか、袴のことを「スワルトバートル」などゝ洒落たのも、此辺からの重訳であらう。
柯公がエスペランティストになったのはインターナショナルとの絡みよりも、むしろ生来の言葉好きが関係している。発明翻案というのも、デタラメにでっち上げるのではなく、オランダ風とか、漢語風とか、ちゃんと音を意識してつくると足腰が強くなりそうな遊びだ。漢語風で私が思い出すのは、山内容堂がジャノメ傘を「蛇眼傘(じゃがんさん)」と翻案したことで、これはとても風流。いっぽう柯公の本では、乃木大将が日露戦争の激戦区である203高地のことを「爾霊山(にれいさん)」とした例が挙がっていた。
「爾霊山」乃木希典
爾靈山嶮豈攀難
男子功名期克艱
銕血覆山山形改
萬人齊仰爾靈山
203高地は険しいが、なぜ登れないことがあろう。
男子たるもの功名のためには困難に打ち克つのだ。
兵器と鮮血とが山を覆い、その形を変えるほどの戦。
人々皆は仰ぎみる。爾(汝)らの霊の山を。
203高地=爾霊山=汝の霊の山か。たしかに「余程文字の素養があつたことが分る」と書かれるだけのことはある。翻案という所作は、外国語翻訳という枠を超えて、言葉の素養として深い広がりを持っているのだなあ。

広がりついでに書けば、実は号(ペンネーム)という所作にも翻案の精神は働いている。この話はまた今度書きたいのだけれど、さしあたり大庭柯公という号にのみ言及すると、これは「大馬鹿公」のもじりである。仏誤翻案風にいえば、さしずめマルキ・ド・クレタン、といったところですね。


2019年5月10日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕樋口由紀子



樋口由紀子






これからが躑躅やんかというときに

瀧村小奈生 (たきむら・こなお) 1962~

10連休の混雑をくぐり抜けながらあっちこっちに行った。花花が一斉に動き出したようで見事だった。藤に、こでまりに、ルピナスに、花水木に、などなどだが、今の季節の一番のお気に入りは躑躅だ。派手とは言えないが、あとでその華やかさに気づく。若い頃はそのよさがあまりわからなかったが、躑躅を見るとほっとする。

そんな躑躅が咲く、これからというときに、なにがあったのか。季節は一月ほど前のことだろうか。いやいやそんなことより、「なんやねん」とつい突っ込みをいれたくなる。「躑躅」の漢字の難しさだけを際立たせて、景がコトに、コトが景に、くるくると交互に回転する。目前に咲く躑躅とは違う、別の躑躅の世界を作り上げている。「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。

2019年5月9日木曜日

●木曜日の談林〔如見・西鬼〕浅沼璞



浅沼璞








衆道狂ひ京へのぼせて有りければ    如見(前句)
 東寺あたりの腕の生疵(なまきず) 西鬼(付句)
『天満千句』第六(延宝四年・1676)

トーハクの東寺展が話題のようだが、江戸の浮き世では弘法大師を男色の祖とし、東寺をその本拠地とする俗説があった。

(神仏の茶化しは西鶴にかぎったことではなかった。)

掲出の付合もその俗説によるもので、仏道修行のために息子を京へ行かせ、東寺近辺に住まわせたところ、若衆に狂って腕の生傷が絶えないというのである。

知られているように、衆道の誠の誓いとして、刀で傷つけあう腕引(かいなひき)と称する慣わしがあった。

「若衆」は言わずもがな、「かいな引」も『毛吹草』(重頼編、1645年)の俳諧恋之詞にあるから、これで恋の座となる。

親の愚痴から、息子の生傷へとズームするあたり、談林らしい付合だ。
「東寺あたりの」の大雑把なつかみも効いている。



追記 前句「(親が息子を)上京させて」の意に「(息子が都での衆道に)夢中になって」の意をうっすら掛けているようにも読めるとの由、編集人の若之氏よりコメントをもらいました。納得。

2019年5月8日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

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※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

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句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

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俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2019年5月6日月曜日

●月曜日の一句〔藤本一城〕相子智恵



相子智恵







笹の香の高き粽を解きにけり  藤本一城

句集『冬銀河』(角川文化振興財団 2019.1)所収

端午の節句に粽を食べるのは関西が中心のようだ。関東では柏餅のが定番で、私も昔から食べていたのは柏餅の方だった。粽は大人になって初めて食べた。

句意は明瞭。笹の香りの高い粽を手に取り、ぐるぐるとイグサの紐を解く。笹の香りがしっかりする粽というのは、何ともおいしそうだ。青い香りが夏の到来を思わせる。Kの音が響き、きびきびとした調子もよい。粽を描写して、ただそれだけで一句になる。これも俳句ならではの清々しさである。

2019年5月4日土曜日

●土曜日の読書〔夜の煙草〕小津夜景




小津夜景







夜の煙草

ある夜、うらさびれた田舎道を、母と手をつないで歩いていると、廃屋になった店の軒に「春宵一服値千金」と書かれた看板がぶらさがっていた。

「あれは漢詩のもじりなのよ」

母が言う。蘇軾「春夜」の「春宵一刻値千金」である。彼女はチェリー愛煙家で、ふだん「春宵一服タバコにしよう」なんてことを言いながら煙草を喫むのだ。

この「春宵一服タバコにしよう」という言い回しを、当時の私はなぜか開高健のコピーだと信じていた。たぶん母がそう言ったのだろう。実際は山東京伝の「煙草一式重宝記」なる報条(広告ビラ)を随筆に仕立て直した広告本『春宵一服煙草二抄』の読み下しから来ている。作者は京伝の弟・山東京山。

山東京伝は銀座一丁目で紙製煙草入れ店を経営し、グッズのデザインもすれば広告も作画するといった風に、江戸の煙草文化に多大な貢献をした人らしい。宮武外骨『山東京伝』に載っていた絵文字広告もこんなに可愛かった。


「当冬、新形紙御烟草入品々、売出し申候」。冬物新作コレクションか。この広告を目にしたら、ちょっとお店に行きたくなるかも。

とはいうものの、自分にとっての煙草は道具にこだわる遊びのイメージではなく、「春宵の一服」というこの上なく素敵なコピーのおかげで、夜空のすがしさとさみしさとを今でもまとっている。またそんなわけで昨日、なんとなく『富永太郎詩集』(思潮社)をひらき、
煙草の歌
阪を上りつめてみたら、
盆のやうな月と並んで、
黒い松の木の影一本……
私は、子供らが手をつないで歌ふ
「籠の鳥」の歌を歌はうと思つた。
が、忘れてゐたので、
煙草の煙を月の面(おもて)に吐きかけた。
煙草は
私の
歌だ。
という詩を目にした時も、一人酒では表現できないその明るさや自立した孤独を、甦るチェリーの甘い芳香とともに、とても親しい気持ちで味わったのだった。


2019年5月2日木曜日

●バケツ

バケツ

水打つや恋なきバケツ鳴らしては  大串 章

生きてきてバケツに蟻をあふれしむ  佐藤りえ〔*〕

蓋のない冬空底のないバケツ  渡辺白泉

転がりしバケツ冷たき二月かな  辻貨物船

火事跡のバケツの縁につもる雪  皆吉 司

たましいを抜かれバケツと非常口  鳴戸奈菜


〔*〕佐藤りえ『景色』2018年11月/六花書林

2019年4月29日月曜日

●月曜日の一句〔宇多喜代子〕相子智恵



相子智恵







朧夜の戦車は蹲るかたち  宇多喜代子

句集『森へ』(青磁社 2018.12)所収

春の夜の濃密な情緒を感じさせる〈朧夜〉という季語から、中七へ読み下して〈戦車〉との落差にハッとする。そして〈戦車は蹲るかたち〉という言葉に、また驚くのである。

キャタピラーを腹の下に抱え込んだ戦車の姿は、言われてみれば膝を折って蹲る人の姿に似ている。この擬人化によって、人が蹲る姿を思い浮かべ、そこから逆に戦車で蹂躙される側、つまり戦火から逃れるために地に蹲って身を守り、息をひそめる人の姿がイメージされてきた。美しい春の夜のしっとりとした空気の中で、人のように蹲る戦車と、擬人化で背後に浮かび上がる、蹲った人間。

ふわふわとした、あやふやな美しさに酔いそうな〈朧夜〉。なぜ作者があえてこの情緒たっぷりの〈朧夜〉の中に、戦車を見たのかはわからない。しかし一貫して戦争の記憶、そして戦後を書き続けてきた宇多喜代子という人の視点が、そこにはある。

戦車は、これからも蹲ったまま止まっているだろうか。人間は、どうだろうか。



2019年4月27日土曜日

●土曜日の読書〔お金の大切さについて〕小津夜景




小津夜景







お金の大切さについて

漢詩人とは多かれ少なかれ隠棲にあこがれ、また実際に隠者になってしまう人々である。

けれども隠者なんかになって、一体どうやってごはんを食べていたのだろう。

この手のことを調べる人というのはちゃんといて、昔どこかで陶淵明の収入源を整理し、ざっと概算した論文を読んだことがある。どこだったかなあ。まったくもってパンドラの箱を開けちゃうたぐいの研究だが、結論だけ書くと、田園詩人の宗としてみんなのアイドルである陶淵明は、たとえどんなに貧しく見えようとも、世間で言うところの貧乏ではなかったようだ。

思えば、士族の家に生まれ、高い教養も備えた五柳先生。あいにく気に添う仕事には恵まれなかったものの、県令(県知事)を辞し隠者デビューをしてからは地元の名士達からの庇護の申し入れ(隠者のパトロンであることは権力者にとってひとつのステータスになる)をのらりくらりとかわし、あそこにすごい先生がいるとの期待を煽って、「潯陽の三隠」と称されるまでになる。彼の交際していた面子を見るにつけ、あ、これは付け届けもすごかっただろうなとか、たとえ奢ってもらうにしても彼らと交わる暮らし向きではあったのだ、などといったことは素人でも想像できるところ(ちなみに岩波文庫『陶淵明全集』の解説によると、県令から隠棲へという下野方式は、エキセントリックであるどころかむしろ当時の慣例だったらしい)。

ところで隠者稼業にも乗り出さず、給料取り(役人)でもなく、財産もない詩人たちはどうやってごはんを食べていたのか。これも気になる話だ。それで詩を読むときに経歴も調べるようにしてみたら、みっつのパターンが見えてきた。

【典型① パトロン】古今東西説明不要な収入源。隠者に限らず、そもそも知識人というのは権力との相互依存・協力関係が深い職業と言える。
【典型② 売文】頼まれて詩や書をつくり、その報酬で生計を立てるといった、画人の詩文ヴァージョン。
【典型③ 食客】他人の家に住まわせてもらう代わりに、その家の子弟、あるいは地域に学問を授ける居候。

ざっとこんな感じ。専門書にあたればもっと正確なことがわかるだろう。と、ここへ来て読書の話を忘れていたことに気がついた。吉川幸次郎漱石詩注』(岩波文庫)にこんな詩がある(現代語部分は私訳)。

帰途口号 其一  夏目漱石

得間廿日去塵寰
嚢裡無銭自識還
自称仙人多俗累
黄金用尽出青山

帰り道に口ずさむ その一  夏目漱石

暇ができて二十日ほど
人間界とおさらばした。
財布が空になったので
帰り時だと気がついた。
仙人を称する身にも
人づきあいは多いのだ。
有り金も尽きたところで
山を下りることにしよう。

明治23年9月、23歳の漱石が箱根を旅行したときの作。軽妙で、若々しい。そしてこの詩からわかるのは、やはりお金がないと隠者にはなれないということ。漱石の隠者稼業はわずか20日で終わった。


2019年4月25日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋    西鶴(前句)
 こゝの千話文何とかくべき 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)


続篇。

先述のとおり、前句は、風を体内に迎え入れると身ごもる、という処女懐胎的「風はらみ」の伝説による。

その説話的世界を契機として、付句は千話文(痴話文・ちはぶみ)つまり当世(現実)の艶書へと転じる。

後年、『好色五人女』(貞享三年、1686)で〈ちは文書てとらせん〉(巻三)と書いたような浮世の一コマである。(たとえば孕女への片恋とか)

前回みた打越・前句の説話的な付合を契機としながら、それに拘束されることなく、現実世界へと転じているわけであるが、じつは「風はらみ」の伝説そのものにも現実的なネタバレがあった。

ひきつづき浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみよう。
昔、この島の伝説として、男女ともに住むのは海神の怒りに触れると言うので、二つの島に分かれて住んでいたが、一年に一度だけ南風の吹く日に、男島(青が島)から女護が島(八丈島)へ渡って来て、夫婦の契りを結ぶ習わしだった。

島の南に面した砂浜に、女たちは銘々自分の作ったわら草履を一組ずつ並べて置いた。これは女たちが、男島から渡ってくる男たちを、一夜夫として決めるための迎え草履である。
女たちは草履に何か印をつけておいて、その草履を選んだ男を自宅に招いたんだって。

なーんだ、〈迎え草履〉って痴話文よりすごいじゃん。

とはいえ『西鶴諸国話はなし』(貞享二年、1685)をモノすほどの西鶴、これも取材済みだったかもしれない。

2019年4月23日火曜日

●致死量

致死量


少年睡りて致死量の水の重み  高野ムツオ

人妻に致死量の花粉こぼす百合  齋藤愼爾

致死量の月光兄の蒼全裸  藤原月彦

鳥落ちてあり致死量の雪なりしか  橋本薫〔*〕


〔*〕橋本薫句集『青花帖』(2018年11月/深夜叢書社)

2019年4月20日土曜日

●土曜日の読書〔コケ色の眼鏡〕小津夜景




小津夜景







コケ色の眼鏡

「抽斗堂」という遊びをブログではじめた。

週一くらいのペースで、抽斗の中にあるモノをひとつずつ解説するといった遊びで、今まで解説したのは、石ころ、押し葉、シーグラス、抜けた羽根、計量カップの把手、まつぼっくりのかけら、陶器の一部、細く刻んだ紙、壊れた時計、古びた箱、切符の半券など。いわゆる「どうでもいいモノ」ばかりだ。

自分でも、抽斗の中にあるモノの基準がよくわからない。が、抽斗からモノがあふれたことがまだないことからして、単純に気に入ったモノをどんどん集めているわけではないようだ。

いったいわたしは、どんな色眼鏡で世界を見、モノを分別・収集しているのか。

田中美穂苔とあるく』(WAVE出版)は、倉敷市の古本屋「蟲文庫」の店主である著者が、コケ色の眼鏡を通して見たご近所を綴った本である。コケといえば、ニューヨークの植物学者ロビン・ウォール・キマラーの書いた『コケの自然誌』は傑作だったし、尾崎翠『第七官界彷徨』もいい味出している。はたして『苔とあるく』はどうだろう。

そう思いつつ、ページをめくと、この手の本としては圧倒的に文字量が少ない。で、著者はそのほんの少しの文字でコケの生態をまず押さえ、それから採取・記録・保存・栽培・伝道・調理・おすすめスポットといった網羅的内容を語るのだが、これがぱっと眺めるだけでわかるくらいすっきりしている。図像も豊富だし、読み終わった時にはコケについて一通りのことがじぶんでできるように設計されているし、こういう本ってあるようでないかも。
数年前、店の裏山のコケマップを作りました。肉眼でもその違いが判りやすいコケを13橿頻ほどビックアッブして、風景写真とコケの拡大写真、それに簡単な解説をつけて地図上に配置したものです。
意認してコケを見るのは初めて、という人でもこのコケマップと照らし合わせれば、目の前にあるものが何というコケなのかを知ることができるためなかなか好評なのです。
このコケマップは写真家の伊沢正名さんとの出会いによって生まれました。ある時、ご自宅のある茨城県から、コケの撮影に屋久島まで行かれる道中に立ち寄られ、ひょんなことから「この辺りのコケマッフを作りましょう」ということになったのです。
はじめは、珍しいコケがあるわけでは ない町中のマッブを作ってどうするのだろう、くらいに思ったのですが伊沢さんは 「いや、普通の町中だからこそいいんですよ。山へいけば大きくて見栄えのするコケはいくらでもあるけれど、町中の地味なコケだって、じっくり見ればすごくきれいなんですから」と。
こんなふうに、著者はそのへんに生えている苔の啓蒙活動も行なっている。またその甲斐あってか、自宅と店とのあいだを日に15分ほど自転車で往復する生活をもう何十年も続けている著者のもとには、徳島の温泉、春休みの奄美、アメリカのオリンピアの森、スロベニアのイドリア鉱山となど、たくさんの人たちがいろんな場所に存在するコケを持ち帰ってくる。

みんな親切だなあ。著者の不動性もおもしろい。なんというか、ちょっとした宇宙の中心に鎮座しているみたいで。