2019年6月17日月曜日

●月曜日の一句〔中原道夫〕相子智恵



相子智恵







 アンディ・ウォーホル
スープ罐ずらりどれ乞ふ夏の卓  中原道夫

句集『彷徨 UROTSUKU』(ふらんす堂 2019.2)所収

海外詠のみを収めた第13句集より、ニューヨーク近代美術館(MOMA)での作である。アンディ・ウォーホルのポップ・アート『32個のキャンベルのスープ缶』。掲句は〈ずらりどれ乞ふ〉というさらりとした詠み方でこのスープ缶の世界に飄々と入り込んだ。

大量生産された既製品というのは、消費者は「どれを選ぶか」しかなくて、ある意味で主体性は損なわれているのだけれど、まさにそそれを描いた作品に対して、「それなら大いに迷って選ぶことにしましょう。迷うことも楽しいのだから」と、〈ずらりどれ乞ふ〉でひょいと受け取って、涼しい句を付けた。

〈乞ふ夏の卓〉だから自分がスープを温めることすらせず、〈夏の卓〉で選んだスープを頼んで、ウキウキと待つだけの「圧倒的な消費者」を演じている。その諧謔が涼しくてドライで、この絵画と響き合う俳句だと思った。〈夏の卓〉も、これが他の季節ならこんなポップな感じは出せないだろう。

俳諧も、大衆的な言葉遊びから始まったものであり、ポップ・アートとは時代も国も超えて、響き合うところは案外大きいのかもしれない。

2019年6月15日土曜日

●土曜日の読書〔薫る庭、深い皺〕小津夜景




小津夜景







薫る庭、深い皺

休息のために立ち寄ったブルーボトルコーヒーのテラス。アイスコーヒーとカフェラテを飲みながら、もうすこし散歩しようと話しあう。

大横川に出る。葉桜をくぐり、運河に沿って、石島橋をわたり、黒船橋をわたり、越中島橋をわたる。アスファルトの道路とはちがう、心地よい風が吹き抜ける。そして誰ともすれ違わない。なんだか自分の家の庭みたいだ。

「そういえば」
「うん」
「人間には誰しも、自分が野垂れ死ぬんじゃないかといった不安があるでしょう? 私もそうなのですけれど、あるとき野垂れ死にの恐怖というのは孤独や不幸の問題であって、路上それ自体とは無関係だってことに気づいたの」
「ほう」
「つまり、北国生まれのせいで、路上を屋内よりも悪いものだとすっと誤解してたんです。今は暖かいところに住んでいるから、死ぬときは外がいいって思う。仏陀みたいに」
「なるほど。実は僕も外で死にたいんだ。僕にとって一番幸福な死に方は、川沿いを自転車で走っている最中に心臓麻痺でころっと逝くことでね」
「へえ。いいですね」
「いいでしょ」

ベンチがあった。少し休む。その人は、鞄の中をさぐって煙草をとり出すと火をつけた。

緑にうずもれた庭。そのあわいを縫って、香りが呼吸する。
それは時に、なにげなく、空間の息ぬきとして、いたるところに姿を見せる。逆に言えば、私たちは、どんなところにも庭をつくらずにはいられないようだ(…)私が庭が大好きなのは、そこに仕掛けられた遊びの空間が、まなざしをはじめとする身体空間を楽しいいたずらでおどろかすからである。(海野弘『都市の庭、森の庭』新潮選書)
煙草の煙はしばらくのあいだ緑の底に籠もっていた。知らない花が揺れている。なんでしょうこれは。なんだろうね。まだもうすこし歩こうか。そう言って、煙草をしまい、指先をぬぐうその人のうつむく眉間には、初夏の緑の濃さに似つかわしい深い皺があった。


2019年6月14日金曜日

●金曜日の川柳〔北村幸子〕樋口由紀子



樋口由紀子






風がはじまる理容はらだのお顔剃り

北村幸子 (きたむら・さちこ) 1958~

五月に神戸新聞の企画「川柳詠みだおれ」で姫路吟行があった。そのときに作られた一句である。駅前の商店街(みゆき通り)を歩いていると一軒の理容院があった。扉は開かれていて、中までよく見えた。なによりも店名の「理容はらだ」が気になった。私も「理容はらだ」という言葉で一句をものにしたいと思ったがうまくできなかった。掲句は「理容はらだ」を引き金にして、「風がはじまる」と「お顔剃り」の独自のアナロジーを見つけ出している。顔を剃ってもらうとまさしく風がはじまる。

姫路の商店街に単独の帽子屋レコード屋呉服屋の多いことに驚かれた。いままでそんなことは思ってもいなかったが、言われてみれば確かにそうである。こんなつまらないことにこんなに興味を持つ、川柳吟行のおもしろさである。〈帽子屋の帽子に歌を教えます〉〈エレキギターどこにも行けぬ兄がいる〉〈ヒツジヤのハギレ正しい終わり方〉〈ビクターの犬より深い海を聴く〉

2019年6月13日木曜日

●木曜日の談林〔岡田悦春〕浅沼璞



浅沼璞








 鵜のまねしたる烏むれゐる   悦春(前句)
ばつとひろげ森の木陰の扇の手  同(付句)
『大坂独吟集』下巻(延宝三年・1675)

前句――「鵜の真似をする烏は水に溺れる」という俚諺のサンプリング。

黒い羽は同じでも、潜水が得意な鵜の真似を安易にすると、烏のように失敗する。

そんな烏合の衆を詠んでいる。



付句――いっせいに飛び立つ尾羽を舞踊の「扇の手」に見立てている。

水辺から陸地へのけざやかなモンタージュ。

(烏と森は付合用語。)



〔作者の悦春(えつしゅん)は岡田氏。商人と思われるベテラン俳人。〕

2019年6月9日日曜日

◆週俳の記事募集

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2019年6月7日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕樋口由紀子



樋口由紀子






世界からサランラップが剥がせない

川合大祐 (かわい・だいすけ) 1974~

透明で薄くて、すぐにでも剥せそうなサランラップは一見はかなさそうに見えるが、電子レンジにも対応できるほど手強く、強靭さを持っている。サランラップは冷凍冷蔵庫や電子レンジで日常生活に欠かせないものだが、もともとは食品用に開発されたものではなく、戦場などで銃弾や火薬などを湿気から守るために開発されたものであり、その生まれからしてもなにやらいわくありげである。

世界と自分を遮断するものがある。薄っぺらで向こうははっきりと見えるものを境にして、そのたった一枚があるだけで世界に接触しようとしても直に触れられず、思いのままにならず、加わることもできない。世界とは何なのか。近づけない、近づかせない、よそよそしくて、不気味なものが世界なのだろうか。世界に対してのもどかしさやどうしようもなさを感じる。そこに立つしかなく、そのように世界を見ている自分を内省的に観察している。『スロー・リバー』(2016年刊 あざみエージェント)所収。

2019年5月31日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木節子〕樋口由紀子



樋口由紀子






時々は覗いてあげる古い井戸

鈴木節子 (すずき・せつこ) 1935~

我が家には古い井戸がある。もう半世紀以上使っていない。埋めてしまおうという話もあったが、震災を経験して、水の貴重さ、断水の不便さを考えて、そのままにしてある。しかし、普段はそこにあることすら忘れている。

生家にも井戸があった。庭に片隅あり、危ないから近づくなと言われていた。こっそりと行って、覗くと自分の顔が映る。水面のゆらゆら感は妖しく、怪訝な顔で覗いているので、もちろん、怪訝な顔の私がいる。そこには日常とは明らかに違う異界があった。

掲句の「古い井戸」は比喩だろう。忘れているものなのか、異界なのか。それ以外のものなのか。なににせよ、それらは覗いてあげなくてはならないものなのだ。「杜人」(261号 2019年刊)収録。

2019年5月30日木曜日

●木曜日の談林〔山口素堂〕浅沼璞



浅沼璞








目には青葉山ほとゝぎす初鰹     素堂
『江戸新道』(延宝六年・1678)

著名な発句だが、初出年や作風から推して談林のカテゴリーに入る秀吟。

周知のように、これは鎌倉の名物づくし。目には青葉の色、耳には山ほとゝぎすの声、口には初鰹の味、と初夏の風物を視覚・聴覚・味覚で愛でている。

〈耳には〉〈口には〉が省略されているのは談林のいわゆる「抜け」という省略法である。



まずは上五&中七から。

〈青葉〉〈ほとゝぎす〉は初夏の風物詩として古くから和歌に詠まれた雅語(歌語)。
よく例示されるのは、〈ほとゝぎす聞く折にこそ夏山の青葉は花に劣らざりけれ〉(山家集)という西行の歌である。

いわば〈ほとゝぎす〉と〈青葉〉は本歌取りによるバランスのとれた伝統的な取合せとしていい。



つぎに中七&下五。

〈ほとゝぎす〉とおなじ初夏の景物でありながら、商品経済における初物〈初鰹〉が俗語として配されている。

伝統的な雅語(竪題)に当世の俗語(横題)を配す、そんなアンバランスな滑稽味によって意表をついているわけである。



これらを連句の「三句の渡り」の観点でとらえ直せば、雅語どうしの付合(二句一章)から、雅語・俗語の付合(二句一章)へと転じているということになる。

つまりは「三句の転じ」がなされているわけだ。



後年(元禄四年・一六九一)、芭蕉も似たような発想で〈梅若菜まりこの宿のとろゝ汁〉と初春の景物を雅語/俗語で愛でているのは周知のとおりである。

〔素堂は談林期から芭蕉と親交があり、蕉風確立にも影響を与えたといわれている。〕

2019年5月27日月曜日

●月曜日の一句〔川口正博〕相子智恵



相子智恵







遁走の蜥蜴に重き尻尾あり  川口正博

句集『たぶの木』(ふらんす堂 2019.4)所収

「蜥蜴の尻尾切り」という慣用句がある。不祥事などが露見した時に、上の者が下の者に責任をかぶせて、追及から逃れることだ。今でもワイドショーなどで、この言葉を聞くことは少なくない。それほどまでに蜥蜴が尻尾を自ら切り捨てて逃げることはよく知られている。実際に見たことのある人はそう多くはないとは思うのだが。

掲句、〈重き尻尾あり〉は確かに外側から見た写生なのだけれど、その「重さ」を感じるのは、実際には尾をもつ蜥蜴だけだ。だから〈重き〉と言われたとたんに、私達は蜥蜴の心境に同化することになる。

いつ尻尾を差し出して敵の目をくらますか。それともこの尾を保ったまま逃げおおせるのか。遁走中の蜥蜴の逡巡が、自分のことのように思えてくる。実際の重さだけでなく、蜥蜴の心中に占める尻尾の重さは、今とても重い。

しかし実際のところ、自切する動物にとって、自切する部分はあらかじめ切り離すことを想定して、切り離しやすい構造にできているらしい。蜥蜴の尻尾は元々存在として「軽い」もので、もしかしたら、この蜥蜴にとって尾を切ることは、軽くたやすいことなのかもしれない。なんだか、現代日本の社会構造の縮図のようだが。

だから本当は、私達が同化したのは蜥蜴ではなく、尻尾の存在を〈重き〉と見た作者の心なのだ。自分の身の一部を切ることへの精神的な重さを描いた作者。その、命を見る目そのものの重さへの共感なのである。

2019年5月24日金曜日

●金曜日の川柳〔玉木柳子〕樋口由紀子



樋口由紀子






生も死もたった一文字だよ卵

玉木柳子

余分な心情表現はまったくない。強引な言い切り方で独得の空気感を漂わせている。「生」も「死」も「卵」もたった一文字である。しかし、一文字の漢字なんて他にもいっぱいある。これらを選択した意味はどこにあるのか。そして、わざわざ「一文字だよ」と述べる理由はあるのかと、掲句の前で立ち止まった。

「生」と「死」は両極である。それを「一文字」という共通項で括る。それを「卵」という「生」と「死」を併せ持つものに語りかける。卵に向けるまなざしを感じる。「生」と「死」を把握させ、一瞬とか、切実さや脆さや儚さを否応なく確認させているのだろうか。生も死もたった一度しか起こらないことだけが確かなことである。〈釦ひとつはずしてカゴメの輪に入る〉〈転ぶこと位は何度でも見せる〉〈風船になろうか妻よ青空だ〉 『砂の自画像』所収。

2019年5月20日月曜日

●月曜日の一句〔藤本夕衣〕相子智恵



相子智恵







木の影のまじはらずあり衣更  藤本夕衣

句集『遠くの声』(ふらんす堂 2019.3)所収

自然の雑木林や森ならば、枝や葉、幹の影同士が交わるようにたくさん木が生えているだろうから、街路樹か公園の木だろうか。杉などの人口林かもしれない。規模の大きさはわからないが、いずれにしても人の手が入って整然と並べられた木たちを思う。

木の影が交わらないのは寂しくもあり、すっきりと涼しげでもある。それは、夏服に衣更した時の涼しさと、その反面、慣れるまでは半袖や丈の短いボトムに手足が守られずに、心細くて寂しい感じと遠くで響き合っている。

〈木の影のまじはらず〉と言われると、自然に木の枝が思い浮かぶし、〈衣更〉では人の手足が思われてくる。一見、意外な取り合わせでありながら両者はどこか似ていて、美しく響き合っているのである。

2019年5月19日日曜日

●恐龍

恐竜

恐竜のなかの夕焼け取り出しぬ  あざ蓉子

恐竜には致死量の憂愁だったか  松本恭子

ひこばゆる彼の恐龍の頬骨に  三輪小春〔*1〕

恐竜の振り向いている桜かな   大口元通〔*2〕

春の夜やからだを通過する恐竜  渋川京子〔*3〕

いまは最後の恐竜として永き春  高柳重信

このまま死ねば宵つぱりの恐竜で春の日  加藤郁乎


〔*1〕三輪小春句集『風の往路』(2014年3月)≫過去記事
〔*2〕大口元通句集『豊葦原』(2012年12月)≫過去記事
〔*3〕『面』第124号(2019年4月)

2019年5月17日金曜日

●金曜日の川柳〔梅村暦郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






なにもなき街 なにもなく風通る

梅村暦郎 (うめむら・れきろう) 1933~

連休の二日間を広島の世羅高原のコテージで過ごした。なにもないところで、なにもしないで、なにも考えずに、ただぼっーとしてした。なにもなく風も通り、新緑の中の風は心地よく、「風薫る」とはこういうことなのだと思った。

そのときふと掲句を思い出した。この風は心地よい、お気楽ではない。虚しく、冷たい風だろう。街にはいろいろなものがあふれている。なにもないことはない。ただ、作者が必要とするものがなにもない。しかも、街も作者を必要としていない。生きている意味を問うているように思う。「風」はそのときどきで、それぞれの位置で、表情を変えて、別物になる。そんなことを考えていると風がひんやりと通り抜けていった。

2019年5月11日土曜日

●土曜日の読書〔翻訳のキモチ〕小津夜景




小津夜景







翻訳のキモチ

翻訳には言葉を数学的に思考する面白さがある。

考えに没頭して現実を忘れ、試行錯誤のあげく一周してシンプルな式に辿りつく、その瞬間がたのしい。また一度くぐりぬけた試行錯誤を公式化して別の翻訳に応用できる場合もあり、昔の翻訳本を読んでいてそんな公式と出会ったときは、ううむその手があったかと感動する。
「秋浦歌」李白
白髪三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何処得秋霜
わが黒髪もしら糸の
 千ひろ/\に又千ひろ、
うさやつらさのますかがみ
いづくよりかは置く霜の、
なんと〈千ひろ×3〉で三千丈だ。訳者は忍海和尚。三千丈という言葉をきちんと訳し移した例を知らなかった私は、この「数を分解する」といったエレガントな解答例を自前の公式集にいそいそと書き込みつつ、こう思う。そういえば16歳のことを二八(にはち)と言うよなあ、そこから自力で発見できる可能性はあったんだ、と。

忍海和尚の訳は、大庭柯公其日の話』(春陽堂。なお中公文庫『江戸団扇』はこの改題復刻版)で見つけた。柯公といえばなんどもロシアで逮捕投獄され、日本社会主義同盟の創立にかかわったエスペランティストで、1924年にロシアで死亡したのだけれど、近年これは粛清されたと考えられているようだ。
近ごろ帝国ホテルでは、日本風に翻訳したメニューを時々出す。それにはアスパラガスを「新うど」としてある。中央亭の方では、それが支那風の翻訳だ。露国式ザクースカの事を「前菜」、スープが「濃嚢(のうかう)」に「淡嚢(たんかう)」、アイスクリームが「乳酪冷菓」と云たやうな塩梅だ。翻訳といふことも広い意味で云ふと文字の翻訳から、意義の翻案までを含んでよからう。例の発明翻案の天才平賀源内が、或時厚紙を三角の袋にして、その中へ糊を入れて、一方に小さな穴をあけて、押し出して使ふ万年糊を想い着き、それに「オストデール」といふ名を着けて、売り出させた。荷蘭(オランダ)ものゝ渡来、西洋ものの流行り始めたアノ頃としては、好個の翻案である。誰が云ひ出したことか、袴のことを「スワルトバートル」などゝ洒落たのも、此辺からの重訳であらう。
柯公がエスペランティストになったのはインターナショナルとの絡みよりも、むしろ生来の言葉好きが関係している。発明翻案というのも、デタラメにでっち上げるのではなく、オランダ風とか、漢語風とか、ちゃんと音を意識してつくると足腰が強くなりそうな遊びだ。漢語風で私が思い出すのは、山内容堂がジャノメ傘を「蛇眼傘(じゃがんさん)」と翻案したことで、これはとても風流。いっぽう柯公の本では、乃木大将が日露戦争の激戦区である203高地のことを「爾霊山(にれいさん)」とした例が挙がっていた。
「爾霊山」乃木希典
爾靈山嶮豈攀難
男子功名期克艱
銕血覆山山形改
萬人齊仰爾靈山
203高地は険しいが、なぜ登れないことがあろう。
男子たるもの功名のためには困難に打ち克つのだ。
兵器と鮮血とが山を覆い、その形を変えるほどの戦。
人々皆は仰ぎみる。爾(汝)らの霊の山を。
203高地=爾霊山=汝の霊の山か。たしかに「余程文字の素養があつたことが分る」と書かれるだけのことはある。翻案という所作は、外国語翻訳という枠を超えて、言葉の素養として深い広がりを持っているのだなあ。

広がりついでに書けば、実は号(ペンネーム)という所作にも翻案の精神は働いている。この話はまた今度書きたいのだけれど、さしあたり大庭柯公という号にのみ言及すると、これは「大馬鹿公」のもじりである。仏誤翻案風にいえば、さしずめマルキ・ド・クレタン、といったところですね。


2019年5月10日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕樋口由紀子



樋口由紀子






これからが躑躅やんかというときに

瀧村小奈生 (たきむら・こなお) 1962~

10連休の混雑をくぐり抜けながらあっちこっちに行った。花花が一斉に動き出したようで見事だった。藤に、こでまりに、ルピナスに、花水木に、などなどだが、今の季節の一番のお気に入りは躑躅だ。派手とは言えないが、あとでその華やかさに気づく。若い頃はそのよさがあまりわからなかったが、躑躅を見るとほっとする。

そんな躑躅が咲く、これからというときに、なにがあったのか。季節は一月ほど前のことだろうか。いやいやそんなことより、「なんやねん」とつい突っ込みをいれたくなる。「躑躅」の漢字の難しさだけを際立たせて、景がコトに、コトが景に、くるくると交互に回転する。目前に咲く躑躅とは違う、別の躑躅の世界を作り上げている。「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。

2019年5月9日木曜日

●木曜日の談林〔如見・西鬼〕浅沼璞



浅沼璞








衆道狂ひ京へのぼせて有りければ    如見(前句)
 東寺あたりの腕の生疵(なまきず) 西鬼(付句)
『天満千句』第六(延宝四年・1676)

トーハクの東寺展が話題のようだが、江戸の浮き世では弘法大師を男色の祖とし、東寺をその本拠地とする俗説があった。

(神仏の茶化しは西鶴にかぎったことではなかった。)

掲出の付合もその俗説によるもので、仏道修行のために息子を京へ行かせ、東寺近辺に住まわせたところ、若衆に狂って腕の生傷が絶えないというのである。

知られているように、衆道の誠の誓いとして、刀で傷つけあう腕引(かいなひき)と称する慣わしがあった。

「若衆」は言わずもがな、「かいな引」も『毛吹草』(重頼編、1645年)の俳諧恋之詞にあるから、これで恋の座となる。

親の愚痴から、息子の生傷へとズームするあたり、談林らしい付合だ。
「東寺あたりの」の大雑把なつかみも効いている。



追記 前句「(親が息子を)上京させて」の意に「(息子が都での衆道に)夢中になって」の意をうっすら掛けているようにも読めるとの由、編集人の若之氏よりコメントをもらいました。納得。

2019年5月8日水曜日

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2019年5月6日月曜日

●月曜日の一句〔藤本一城〕相子智恵



相子智恵







笹の香の高き粽を解きにけり  藤本一城

句集『冬銀河』(角川文化振興財団 2019.1)所収

端午の節句に粽を食べるのは関西が中心のようだ。関東では柏餅のが定番で、私も昔から食べていたのは柏餅の方だった。粽は大人になって初めて食べた。

句意は明瞭。笹の香りの高い粽を手に取り、ぐるぐるとイグサの紐を解く。笹の香りがしっかりする粽というのは、何ともおいしそうだ。青い香りが夏の到来を思わせる。Kの音が響き、きびきびとした調子もよい。粽を描写して、ただそれだけで一句になる。これも俳句ならではの清々しさである。

2019年5月4日土曜日

●土曜日の読書〔夜の煙草〕小津夜景




小津夜景







夜の煙草

ある夜、うらさびれた田舎道を、母と手をつないで歩いていると、廃屋になった店の軒に「春宵一服値千金」と書かれた看板がぶらさがっていた。

「あれは漢詩のもじりなのよ」

母が言う。蘇軾「春夜」の「春宵一刻値千金」である。彼女はチェリー愛煙家で、ふだん「春宵一服タバコにしよう」なんてことを言いながら煙草を喫むのだ。

この「春宵一服タバコにしよう」という言い回しを、当時の私はなぜか開高健のコピーだと信じていた。たぶん母がそう言ったのだろう。実際は山東京伝の「煙草一式重宝記」なる報条(広告ビラ)を随筆に仕立て直した広告本『春宵一服煙草二抄』の読み下しから来ている。作者は京伝の弟・山東京山。

山東京伝は銀座一丁目で紙製煙草入れ店を経営し、グッズのデザインもすれば広告も作画するといった風に、江戸の煙草文化に多大な貢献をした人らしい。宮武外骨『山東京伝』に載っていた絵文字広告もこんなに可愛かった。


「当冬、新形紙御烟草入品々、売出し申候」。冬物新作コレクションか。この広告を目にしたら、ちょっとお店に行きたくなるかも。

とはいうものの、自分にとっての煙草は道具にこだわる遊びのイメージではなく、「春宵の一服」というこの上なく素敵なコピーのおかげで、夜空のすがしさとさみしさとを今でもまとっている。またそんなわけで昨日、なんとなく『富永太郎詩集』(思潮社)をひらき、
煙草の歌
阪を上りつめてみたら、
盆のやうな月と並んで、
黒い松の木の影一本……
私は、子供らが手をつないで歌ふ
「籠の鳥」の歌を歌はうと思つた。
が、忘れてゐたので、
煙草の煙を月の面(おもて)に吐きかけた。
煙草は
私の
歌だ。
という詩を目にした時も、一人酒では表現できないその明るさや自立した孤独を、甦るチェリーの甘い芳香とともに、とても親しい気持ちで味わったのだった。


2019年5月2日木曜日

●バケツ

バケツ

水打つや恋なきバケツ鳴らしては  大串 章

生きてきてバケツに蟻をあふれしむ  佐藤りえ〔*〕

蓋のない冬空底のないバケツ  渡辺白泉

転がりしバケツ冷たき二月かな  辻貨物船

火事跡のバケツの縁につもる雪  皆吉 司

たましいを抜かれバケツと非常口  鳴戸奈菜


〔*〕佐藤りえ『景色』2018年11月/六花書林

2019年4月29日月曜日

●月曜日の一句〔宇多喜代子〕相子智恵



相子智恵







朧夜の戦車は蹲るかたち  宇多喜代子

句集『森へ』(青磁社 2018.12)所収

春の夜の濃密な情緒を感じさせる〈朧夜〉という季語から、中七へ読み下して〈戦車〉との落差にハッとする。そして〈戦車は蹲るかたち〉という言葉に、また驚くのである。

キャタピラーを腹の下に抱え込んだ戦車の姿は、言われてみれば膝を折って蹲る人の姿に似ている。この擬人化によって、人が蹲る姿を思い浮かべ、そこから逆に戦車で蹂躙される側、つまり戦火から逃れるために地に蹲って身を守り、息をひそめる人の姿がイメージされてきた。美しい春の夜のしっとりとした空気の中で、人のように蹲る戦車と、擬人化で背後に浮かび上がる、蹲った人間。

ふわふわとした、あやふやな美しさに酔いそうな〈朧夜〉。なぜ作者があえてこの情緒たっぷりの〈朧夜〉の中に、戦車を見たのかはわからない。しかし一貫して戦争の記憶、そして戦後を書き続けてきた宇多喜代子という人の視点が、そこにはある。

戦車は、これからも蹲ったまま止まっているだろうか。人間は、どうだろうか。



2019年4月27日土曜日

●土曜日の読書〔お金の大切さについて〕小津夜景




小津夜景







お金の大切さについて

漢詩人とは多かれ少なかれ隠棲にあこがれ、また実際に隠者になってしまう人々である。

けれども隠者なんかになって、一体どうやってごはんを食べていたのだろう。

この手のことを調べる人というのはちゃんといて、昔どこかで陶淵明の収入源を整理し、ざっと概算した論文を読んだことがある。どこだったかなあ。まったくもってパンドラの箱を開けちゃうたぐいの研究だが、結論だけ書くと、田園詩人の宗としてみんなのアイドルである陶淵明は、たとえどんなに貧しく見えようとも、世間で言うところの貧乏ではなかったようだ。

思えば、士族の家に生まれ、高い教養も備えた五柳先生。あいにく気に添う仕事には恵まれなかったものの、県令(県知事)を辞し隠者デビューをしてからは地元の名士達からの庇護の申し入れ(隠者のパトロンであることは権力者にとってひとつのステータスになる)をのらりくらりとかわし、あそこにすごい先生がいるとの期待を煽って、「潯陽の三隠」と称されるまでになる。彼の交際していた面子を見るにつけ、あ、これは付け届けもすごかっただろうなとか、たとえ奢ってもらうにしても彼らと交わる暮らし向きではあったのだ、などといったことは素人でも想像できるところ(ちなみに岩波文庫『陶淵明全集』の解説によると、県令から隠棲へという下野方式は、エキセントリックであるどころかむしろ当時の慣例だったらしい)。

ところで隠者稼業にも乗り出さず、給料取り(役人)でもなく、財産もない詩人たちはどうやってごはんを食べていたのか。これも気になる話だ。それで詩を読むときに経歴も調べるようにしてみたら、みっつのパターンが見えてきた。

【典型① パトロン】古今東西説明不要な収入源。隠者に限らず、そもそも知識人というのは権力との相互依存・協力関係が深い職業と言える。
【典型② 売文】頼まれて詩や書をつくり、その報酬で生計を立てるといった、画人の詩文ヴァージョン。
【典型③ 食客】他人の家に住まわせてもらう代わりに、その家の子弟、あるいは地域に学問を授ける居候。

ざっとこんな感じ。専門書にあたればもっと正確なことがわかるだろう。と、ここへ来て読書の話を忘れていたことに気がついた。吉川幸次郎漱石詩注』(岩波文庫)にこんな詩がある(現代語部分は私訳)。

帰途口号 其一  夏目漱石

得間廿日去塵寰
嚢裡無銭自識還
自称仙人多俗累
黄金用尽出青山

帰り道に口ずさむ その一  夏目漱石

暇ができて二十日ほど
人間界とおさらばした。
財布が空になったので
帰り時だと気がついた。
仙人を称する身にも
人づきあいは多いのだ。
有り金も尽きたところで
山を下りることにしよう。

明治23年9月、23歳の漱石が箱根を旅行したときの作。軽妙で、若々しい。そしてこの詩からわかるのは、やはりお金がないと隠者にはなれないということ。漱石の隠者稼業はわずか20日で終わった。


2019年4月25日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋    西鶴(前句)
 こゝの千話文何とかくべき 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)


続篇。

先述のとおり、前句は、風を体内に迎え入れると身ごもる、という処女懐胎的「風はらみ」の伝説による。

その説話的世界を契機として、付句は千話文(痴話文・ちはぶみ)つまり当世(現実)の艶書へと転じる。

後年、『好色五人女』(貞享三年、1686)で〈ちは文書てとらせん〉(巻三)と書いたような浮世の一コマである。(たとえば孕女への片恋とか)

前回みた打越・前句の説話的な付合を契機としながら、それに拘束されることなく、現実世界へと転じているわけであるが、じつは「風はらみ」の伝説そのものにも現実的なネタバレがあった。

ひきつづき浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみよう。
昔、この島の伝説として、男女ともに住むのは海神の怒りに触れると言うので、二つの島に分かれて住んでいたが、一年に一度だけ南風の吹く日に、男島(青が島)から女護が島(八丈島)へ渡って来て、夫婦の契りを結ぶ習わしだった。

島の南に面した砂浜に、女たちは銘々自分の作ったわら草履を一組ずつ並べて置いた。これは女たちが、男島から渡ってくる男たちを、一夜夫として決めるための迎え草履である。
女たちは草履に何か印をつけておいて、その草履を選んだ男を自宅に招いたんだって。

なーんだ、〈迎え草履〉って痴話文よりすごいじゃん。

とはいえ『西鶴諸国話はなし』(貞享二年、1685)をモノすほどの西鶴、これも取材済みだったかもしれない。

2019年4月23日火曜日

●致死量

致死量


少年睡りて致死量の水の重み  高野ムツオ

人妻に致死量の花粉こぼす百合  齋藤愼爾

致死量の月光兄の蒼全裸  藤原月彦

鳥落ちてあり致死量の雪なりしか  橋本薫〔*〕


〔*〕橋本薫句集『青花帖』(2018年11月/深夜叢書社)

2019年4月20日土曜日

●土曜日の読書〔コケ色の眼鏡〕小津夜景




小津夜景







コケ色の眼鏡

「抽斗堂」という遊びをブログではじめた。

週一くらいのペースで、抽斗の中にあるモノをひとつずつ解説するといった遊びで、今まで解説したのは、石ころ、押し葉、シーグラス、抜けた羽根、計量カップの把手、まつぼっくりのかけら、陶器の一部、細く刻んだ紙、壊れた時計、古びた箱、切符の半券など。いわゆる「どうでもいいモノ」ばかりだ。

自分でも、抽斗の中にあるモノの基準がよくわからない。が、抽斗からモノがあふれたことがまだないことからして、単純に気に入ったモノをどんどん集めているわけではないようだ。

いったいわたしは、どんな色眼鏡で世界を見、モノを分別・収集しているのか。

田中美穂苔とあるく』(WAVE出版)は、倉敷市の古本屋「蟲文庫」の店主である著者が、コケ色の眼鏡を通して見たご近所を綴った本である。コケといえば、ニューヨークの植物学者ロビン・ウォール・キマラーの書いた『コケの自然誌』は傑作だったし、尾崎翠『第七官界彷徨』もいい味出している。はたして『苔とあるく』はどうだろう。

そう思いつつ、ページをめくと、この手の本としては圧倒的に文字量が少ない。で、著者はそのほんの少しの文字でコケの生態をまず押さえ、それから採取・記録・保存・栽培・伝道・調理・おすすめスポットといった網羅的内容を語るのだが、これがぱっと眺めるだけでわかるくらいすっきりしている。図像も豊富だし、読み終わった時にはコケについて一通りのことがじぶんでできるように設計されているし、こういう本ってあるようでないかも。
数年前、店の裏山のコケマップを作りました。肉眼でもその違いが判りやすいコケを13橿頻ほどビックアッブして、風景写真とコケの拡大写真、それに簡単な解説をつけて地図上に配置したものです。
意認してコケを見るのは初めて、という人でもこのコケマップと照らし合わせれば、目の前にあるものが何というコケなのかを知ることができるためなかなか好評なのです。
このコケマップは写真家の伊沢正名さんとの出会いによって生まれました。ある時、ご自宅のある茨城県から、コケの撮影に屋久島まで行かれる道中に立ち寄られ、ひょんなことから「この辺りのコケマッフを作りましょう」ということになったのです。
はじめは、珍しいコケがあるわけでは ない町中のマッブを作ってどうするのだろう、くらいに思ったのですが伊沢さんは 「いや、普通の町中だからこそいいんですよ。山へいけば大きくて見栄えのするコケはいくらでもあるけれど、町中の地味なコケだって、じっくり見ればすごくきれいなんですから」と。
こんなふうに、著者はそのへんに生えている苔の啓蒙活動も行なっている。またその甲斐あってか、自宅と店とのあいだを日に15分ほど自転車で往復する生活をもう何十年も続けている著者のもとには、徳島の温泉、春休みの奄美、アメリカのオリンピアの森、スロベニアのイドリア鉱山となど、たくさんの人たちがいろんな場所に存在するコケを持ち帰ってくる。

みんな親切だなあ。著者の不動性もおもしろい。なんというか、ちょっとした宇宙の中心に鎮座しているみたいで。


2019年4月19日金曜日

●金曜日の川柳〔浪越靖政〕樋口由紀子



樋口由紀子






「重要なお知らせです」と黒揚羽

浪越靖政 (なみこし・やすまさ) 1943~

黒揚羽はたまに飛んでいる。黒をきれいと思うときと、景のなかの一点の黒に違和感を持つこともあり、微妙な雰囲気を漂わせている。「重要」と印字された封書がたまに届く。確かに重要なものもあるが、なかにはそれほどでもないものもある。「重要」という言葉は一人歩きしていく。誰にとっての重要なのか。言葉の意味を考えさせられる。

「と」だから切れないで「黒揚羽」が使者ということなのだろう。だったら、それはもうまちがいなく「重要」なのだと推測して、興味津々となる。もちろん、そんなことは実際にはないのだが、虚の出来事だからこそ気づかされるものがあるように思う。〈ネクタイの重さ発砲スチロール〉〈ずっと他人だった両面テープ〉〈ゆっくりと四の字固め解いて 朝〉 『川柳作家ベストコレクション 浪越靖政』(2018年刊 新葉館出版)所収。

2019年4月18日木曜日

●虚と実 橋本 直

虚と実

橋本 直

鴇田は、単純な現実を、複雑に書いている。そのために、中心的な価値観の見えない今という時代の気分に、肉迫している。一方、万太郎は、複雑な現実を、単純に書いている。そのために、普遍的な詩情を持ちえている。鴇田の句は「実」から出発して「虚」に至っている。対照的に、万太郎の言葉は、「虚」から始まって「実」に着地している。そのように言い換えることも出来るだろう。
髙柳克弘『どれがほんと? 万太郎俳句の虚と実』慶應義塾大学出版会/2018年4月
非常に面白く、かつ実作者の為になる万太郎論と思う。

引用は同書168頁から。現代の若手の代表作家として鴇田智哉の句を挙げ、万太郎の句と比較しているくだりの一部。そんなに分量かけているわけではないが、面白い指摘。

2019年4月16日火曜日

【リマスタリング】岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む 三島ゆかり

【リマスタリング】
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む

三島ゆかり



火蛾は火に裸婦は素描に影となる 岡田一実(以下同)

巻頭の句である。「火蛾は火に」で切れるという読みもあり得るが、「火蛾は火に」と「裸婦は素描に」とが助詞を揃えた対句で、両方が下五の「影となる」にかかると見るのが順当だろう。しかしながら「火蛾は火に/影となる」と「裸婦は素描に/影となる」は「影となる」のありようが全然違う。前者は単に火という光源に対し火蛾が光源を遮ることを言っているのに対し、後者は光源を遮るという意味ではあり得ない。芸術作品の完成度に関わる内面的な描写のことを言っている。次元の異なるものをあえて対句とすることにより、この句自体が曰く言い難い影をまとっている。そして句集を読み進めるにつれ、その曰く言い難い影と、もうひとつ、ある種の水分がまさに句集のタイトル通り「記憶における沼」のように繰り返し現れるのに読者は直面することになる。巻頭の句にふさわしい一句であろう。

眠い沼を汽車とほりたる扇風機

二句目で「記憶における沼」の核たる「沼」が出現する。「眠い沼」とは現実界の沼に対する措辞なのか、それとも心象なのか。そのあたりはっきりしない茫洋とした感じこそがこの句の味なのだろう。ノスタルジックに汽車が通り、人がいるのかいないのかも定かでない世界で扇風機が回っている。

蟻の上をのぼりて蟻や百合の中

全句鑑賞になってしまいそうな勢いで恐縮だが、三句目も押さえておこう。この句では句集全体を通じて見られる外形的な特徴がはっきり見てとれる。ひとつはリフレインである。以前『ロボットが俳句を詠む』の連載で後藤比奈夫について書いたことがあったが、そこで触れたリフレイン技法のすべてを岡田一実はマスターしている。巻頭の「火蛾は火に」など、むしろリフレインの新たな領域を開拓している感もある。もうひとつの特徴を言えば、十七音の調べの中で岡田一実のいくつかは、短い単位をこれでもかと詰め込んだ感がある。とりわけ下五への詰め込み効果については別の句を例にあらためて触れたい。


以下、章ごとに見て行きたい。第1章は「暗渠」。暗渠とはいうまでもなく、川を治水、衛生、交通などの観点から上にふたをして見えなくしたもの。川としてなくなった訳ではなく、暗いところで脈々と流れているところが眼目である。普段気にかけることはないが確実に存在するものへのまなざしは、岡田一実にとってもテーマであろう。

暗渠より開渠へ落葉浮き届く

治水行政が進んでしまったので、暗渠から開渠に転じる場面はそうあるわけではないが、あるところにはある。流れ出た落葉を見て、暗渠区間の様子に思いを馳せている。「浮き」「届く」と動詞を畳みかけることにより、着地を決めている。とりわけ「届く」が絶妙である。

喉に沿ひ食道に沿ひ水澄めり

水を飲んだときの快感を詠んでいるが、詠みようは暗渠の句と同じで、体内の見えない器官に思いを馳せている。「水澄む」は伝統的には地理の季語であるが、もはやなんでもありである。ちなみに章に六十句ほどあるうち、二十句近くはリフレインや対句を使用している。いかにその技法にかけているかが偲ばれる。

馬の鼻闇動くごと動く冷ゆ

馬にぎりぎりまで迫って詠んでいる。馬に慣れ親しんだ人ならこうは詠まないだろう「闇動くごと動く」の違和感、下五に押し込めた「冷ゆ」が喚起する鼻息の温度差、湿度差がよい。下五の残り二音で切れを入れて来る、この危ういバランス感覚はリフレインへの信頼があるからできることなのかも知れない。「闇動くごと動く」に律動的に現れるgo音がなんとも不気味である。


第2章は「三千世界」。現代国語例解辞典(小学館)から引く。①「三千大千世界」の略。仏教の想像上の世界。須弥山を中心とする一小世界の千倍を小千世界、その千倍を中千世界といい、更にそれを千倍した大きな世界をいう。大千世界。②世界。世間。「三千世界に頼る者なし」

①の説明によれば、三千というより、千の三乗、ギガワールドである。章中「三千世界にレタスサラダの盛り上がる」という句がある。外食業界で一時期、大盛りの極端なのを「メガ盛り」とか「ギガ盛り」とか言っていたような気もするが、それはさておき「三千世界」、どんなバラエティの世界なのか見て行こう。

夢に見る雨も卯の花腐しかな

甘美である。夢と現実とが「卯の花腐し」という古い季語によって融けあっている。「夢に見る雨も」に現れるm音の連鎖と「夢」「卯の花」「腐し」で頭韻的に現れる母音u音によって、やわらかな雨のなかにとろけてゆくようである。

早苗饗や匙に逆さの山河見ゆ

こちらは徹底的に頭韻にsa音を置いて調べを作っている。早苗饗は田植えが終わった祝い。ほんとうに匙に逆さの山河が見えたのかはどうでもいいことだろう。音韻的な美意識によって句集に彩りを添えている。

あぢさゐの頭があぢさゐの濃きを忌む

リフレインの句である。「あぢさゐの頭」は植物としてのアジサイの意思なのか、七変化する作者の意識のことをそう呼んでいるのか。もはや区別する必要もないのが、作者にとっての「三千世界」なのではないか。

夕立の水面を打ちて湖となる

湖に降る夕立は、ただちにそのまま湖水となる。明らかなことがらをあえて俳句に仕立てているわけだが、このように書かれると、夕立と湖が一体となる不思議を思う。ここでも「夕立」「打ちて」「湖」と母音u音を畳みかけて調べを作っている。

母と海もしくは梅を夜毎見る

三好達治「郷愁」の一節に「――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。/そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。」があるせいで、後から来た私たちは類想を封じられてしまった感もあるのだが、岡田一実はさらにこれでもかと「梅」「毎」を重ね、あっさりとハードルを越えてしまった。

どうだろう。なにかしら言い止めるべき現実があって俳句をものしていると思っていると、岡田一実の表現しようとしていることは捉えられないのではないか。岡田一実の「三千世界」は俳句としての調べや表記の純度を追求した、架空の世界のような気がする。


第3章は「空洞」。何句かごとに鳥が飛び、ひとところに留まらない。

麺麭が吸ふハムの湿りや休暇果つ

岡田一実の食べ物の句は必ずしも美味しそうでない。つきまとうノイズのようなものを正確に捉えている。朝作ってもらったお弁当のパンを昼食べるときの情けないようなだらしないような感じ。その通りなんだけど、それ、詠みますか。

口中のちりめんじやこに目が沢山

すでに口のなかに入っているのにちりめんじやこの目の気持ち悪さに言及してやまない、この感じ。「栄養なんだから食べなさい」と叱られる子どもの恨みのようである。

かたつむり焼けば水焼く音すなり

これは食べ物の句なのか。エスカルゴとは書いていない。あえてかたつむりと書きたかったのではないかという気もする。食べ物の句だとしたら、いかにも不味そうである。ちなみに俳句にとってはどうでもいいことだが、ネットによれば、自分で採ってきたカタツムリを食べるには、二三日絶食させるか清浄な餌を食べさせ続ける必要があるらしい。

火を点けて小雨や夜店築くとき

「水焼く」といえば、こんな句もある。また最終章には「雨脚を球に灯せる門火かな」というあまりにもうつくしい句がある。なにかしら煩悩のように、気がつくとまたしても水がある感じ。それが記憶の沼につながって行くのかも知れない。

煩悩や地平を月の暮れまどひ

「くれまどう」は通常「暗惑う」「眩惑う」と書き、悲しみなどのために心がまどう、どうしたらよいか、わからなくなる、といった意味だが、ここでは敢えて「暮れまどひ」と書き、月が暮れることができないというシュールな情景を重ねている。

室外機月見の酒を置きにけり

かと思うとこんな句も。こんなふうに風流に詠まれた室外機を私は知らない。

ちりぢりにありしが不意に鴨の陣

ここまで挙げたような日常些事から心象まで多岐にわたる対象世界を、いちいちご破算にするかのように数句ごとにさまざまな鳥が飛ぶ。掲句以外にも「常闇を巨きな鳥の渡りけり」「飛ぶ鴨に首あり空を平らかに」「歩きつつ声あざやかに初鴉」など。句集におけるこういう鳥の使われ方は、見たことがなかったような気がする。

揚花火しばらく空の匂ひかな

この章の最後を飾る句である。「火薬の匂ひ」ではない。「空に匂ひ」でもない。書かれた通り「しばらく」、「空の匂ひ」と置かれた六音を書かれた通り玩味する。そして記憶の中をさまよう。幼年期の記憶は理路整然と分析できない渾然一体の「空の匂ひ」としか言いようのないものだ。そして詠嘆する。


最終章は「水の音」。特に章頭の句「海を浮く破墨の島や梅実る」と句集全体の最後を飾る「白藤や此の世を続く水の音」に見られる「を」について注目したい。これらの「を」は岡田一実にとって万感の「を」であり畢生の「を」であるはずだが、現代日本語としてはいささか尋常ではないようだ。

『岩波古語辞典』の巻末の基本助詞解説によれば、格助詞の「を」は本来、感動詞だったものがやがて間投助詞として強調の意を表すようになったらしい。そこからさらに目的格となるくだりを少し長くなるが引用する。
 
こうした用法(ゆかり註。間投助詞として「楽しくをあらな」のように使われていたことを指す)から、動作の対象の下において、それを意識するためにこの語が投入された。そこからいわゆる目的格の用法が生じたものと思われる。しかし、本来の日本語は目的格には助詞を要しなかったので、「を」が目的格の助詞として定着するにあたっては、漢文訓読における目的格表示に「を」が必ず用いられたという事情が与っていると思われる。
 対象を確認する用法から、「を」は場合によっては助詞「に」と同じような箇所に使われる。たとえば、「別る」「離る」「問ふ」などの助詞の上について、その動作の対象を示すのにも用いる。また、移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示すことがある。

後者の例として以下が挙げられている。「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」<万三六〇八>「長き夜を独りや寝むと君が言へばすぎにしひとの思ほゆらくに」<万四六三>

違和感ゆえに詩語として絶妙に意識させられる岡田一実の「を」は万葉集由来のものだということらしい。「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」という用法を頭に叩き込んでおこう。

海を浮く破墨の島や梅実る

破墨は水墨画の技法だから、一幅の作品に対峙していると見るのが順当だろう。描かれたときから作品の中でそうあり続けている海と島の玄妙な関係に思いを馳せる。そんな時の流れを想起させもする「梅実る」がよい。モノクロームの世界に取り合わせられるふくよかな緑。

白藤や此の世を続く水の音

過去から未来までの長大なスケールの中での自分が今生きているこの一瞬。水がある限り白藤を愛でることができる生命体が長らえる。句集の最後を飾る、そんな万感の「を」だと思う。


2019年4月15日月曜日

●月曜日の一句〔石山ヨシエ〕相子智恵



相子智恵







中空の春まだ浅し鳥雫   石山ヨシエ

自註現代俳句シリーズ12期37『石山ヨシエ集』(俳人協会 2019.1)所収

〈鳥雫〉は造語。鳥が雫のように落ちてきたということだろう。雲雀のような鳥が急降下してくる様子を想像する。自註を読めばこの造語に至った経緯もわかるのだけれど、一句そのものの鑑賞を楽しみたいので自註には触れずにおく。

季語としては「春浅し」ということになるが、〈中空の春まだ浅し〉によって、地に近い私たちにとっては、春がもうすでに浅くないことがわかる。このように春の訪れの時間差、空気の冷たさの違いは〈中空の春まだ浅し〉だけでも言い切れてはいる。

だがそこに〈鳥雫〉があることで、鳥が急降下する一瞬のうちに触れる空気の温度差を読者は追体験することになる。鳥の落ちてくる速さ、そして大地を潤す「雫」という言葉。この美しい造語が一句の質感を決定づけ、早春から仲春への凛として瑞々しい空気がよく伝わってくるのである。



2019年4月13日土曜日

●土曜日の読書〔夜の訪問者〕小津夜景




小津夜景







夜の訪問者

ある日、掃除のついでに、いらなくなった版画道具を一つにまとめ、「ご自由にお持ち帰りください」と張り紙を貼ってアパートの共同玄関前に出しておいた。

するとその夜、玄関のベルが鳴った。

ドアをあけると、見知らぬ若い男性が、版画の道具を抱えて立っている。

「あの」
「はい。どちらさまでしょう」
「この版画道具、捨てちゃうんですか」
「……ええ。どうぞ遠慮なくお持ち帰りください」
「いえ、違うんです」
「?」
「実は、道具の底にあった下刷りを目にして、作者に会ってみたくなって。とてもいい作品ですね。どうやって描いたんですか」
「……てきとうですけど。というより、あなた、なぜこれがわたしの道具だってわかったの」
「勘です。あの、今から一緒に食事でも行きませんか」

こういうとき、どうしますか? わたしはいつも、あの、わたし結婚してるんですけど、と答えます。フランス語はだいたいが婉曲表現なので、これでストレートな拒否になるんですね。しかしながらこのシュチュエーションは、相手に言外の意味を理解できるかいささか怪しい。それではっきり「嫌です」と答えた。

ところが男性はドアに身体を挟んだ状態で、いつまでも帰ろうとしない。ううむ。困ったなあ。夫よ、早く帰ってきて。そう思いながら会話を続けていると、男性が下刷りに印刷されていた「の」の字を指差して、こう言った。

「この、ところどころに描かれた、軽いうずまきもいいですね」
「あ。それはうずまきじゃないです。フランス語で〈de〉って意味」
「ええ! これ〈de〉なんですか!  ええと漢字は表意文字だから、じゃあ日本語の〈の〉というのは、言葉と言葉をつなぎあわせる鎖のかたちから来ているのかな……」

男性は真面目な顔をして、じっと下刷りを見つめている。その表情から、彼が完全にふつうの、しかもかなり好人物だということが直感された。それで玄関を離れてもだいじょうぶだと判断し、部屋の奥から本を持ってきて、

「これあげます。日本の文字の本です。あのね、今夜は時間がなくてこれ以上相手してあげられないの。もしほんとにお話したかったら、夫のいるときにいらして。ごめんなさい」

と、相手の両手をモノでふさいだすきに、身体を押し出してドアをしめた。

このとき男性にあげたのは平野甲賀の本である。たぶん面白がるだろう。さいきん読んだ平野甲賀もじを描く』(編集グループSURE)には、「の」をめぐるこんな記述があった。
写植にしろフォントにしろ、その書体で「の」の字がどんなふうにデザインされているかが、書体を選ぶときの僕の基準だ。文字を描く場合でもタイトルのなかに「の」の字のあるなし、その位置など、大いにきになる。「の」の字は「日の丸」のように明瞭で単純で異様な記号だとおもう。
この「の」の字使いの名人がいた。彫刻家で詩人の高村光太郎。みずからの詩を「書」として描いた、そこに登場する「の」は、あるときは軽快。肉太に描かれたときは、まるで宇宙の中心存在であるかのように渦巻いていた。
後半は、あははと笑うところ。平野甲賀が、高村光太郎ではなく、自分の書体の話をしているからだ。また光太郎「書について」には王羲之を語るのに、
偏せず、激せず、大空のようにひろく、のびのびとしていてつつましく、しかもその造型機構の妙は一点一画の歪みにまで行き届いている。書体に独創が多く、その独創が皆普遍性を持っているところを見ると、よほど優れた良識を具そなえていた人物と思われる。右軍の癖というものが考えられず、実に我は法なりという権威と正中性とがある。
にといったくだりがあるけれど、これも甲賀の書体を言い当てている。普通、流行に支配されたグラフィック業界であそこまで我や癖が強かったら、往年の花森安治みたいに〈生きた骨董系〉になってもおかしくないのに、今でも余裕でスマートだもんね。


(注・この書籍は書店での販売をしていません。SUREへの直接注文にてお求めください)。


2019年4月12日金曜日

●金曜日の川柳〔徳永政二〕樋口由紀子



樋口由紀子






できることできないことに春がくる

徳永政二 (とくなが・せいじ) 1946~

やっと春になった。陽射しも明るく、風もあたたかい。木々は芽吹いて、花が咲き始める。固まっていた身体や心がゆっくりとほどかれていくようで、大きく息を吸いたくなる。歳を重ねるごとに春がくるのが嬉しい。こんなに春を待ち望んでいたのかと自分でも不思議なくらいである。

いままでできていたことができなくなっていると気づくことがある。一方、もうできないかなと思っていたことがまだどうにかできることもある。「できる」には「見える」「動く」「読む」などのあらゆる動詞が含まれているみたいである。

昨年亡くなられた樹木希林さんのエッセイ集『一切なりゆき』が100万部を突破したそうである。掲句を読んで、「なりゆき」を感じた。すべてのことに春はくる。それらを受け入れて、じたばたしないで生きようと思う。〈春だからただそれだけで決めました〉〈山鳩のあたりの横があいている〉〈亀のいるあたりぼんやりあたたかい〉〈わいわいがいいねと風になるまでを〉 「びわこ」(2019・4月号)収録。

2019年4月11日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








 ひがしへ向ては風を待らん    西鶴(前句)
さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)

『好色一代男』(1682年)最終章で世之介が遊び仲間と女護(にょご)の島へ出帆するのは有名な話である。

松田修氏は新潮日本古典集成『一代男』頭注で掲出の付合をあげ、〈説話上の女護の島の女たちは、南東からの風を待って孕むという〉と記している。

中央公論社版「定本西鶴全集」第十巻(野間光辰氏『獨吟一日千句』頭註)にも〈南風に妊みて子を生むといふ〉とある。つまりは説話の世界による付合なのだ。

で、浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみると次のようにあった。
風を体内に迎え入れると身ごもる、という「風はらみ」の伝説が、琉球列島、紀伊半島、八丈島、北海道の太平洋岸に散らばっている。

昔、八丈島は女護が島といわれ、男が島に住むと神のたたりがあると信じられていた。そこで、子の欲しい女たちは南風が浜に吹きつける日、海辺へ出て帯をとき、暖かい風を胸と腹に受けて、身ごもった。
ここでは〈南風〉、西鶴の付句は〈ひがし〉、松田修氏は〈南東からの風〉と定まらない。

南風なら夏、東風なら春だが、掲出の付合の直前は〈日傘〉〈洗ひ髪〉と夏の句が続いていた。

西鶴は夏のイメージで南東の風を〈ひがし〉としたのだろうか。いや、南風を東向きに待つイメージだろうか。

どっちにしろ〈子の欲しい女たち〉からすれば〈さいあひのたねがこぼるゝ風を待ち〉という「風待ちロマン」には違いないのだろう。

もっともこの「風はらみ」の伝説には「迎え草履」というネタバレがあるのだが、それは次の機会に。

2019年4月8日月曜日

●月曜日の一句〔うにがわえりも〕相子智恵



相子智恵






辞令書をさくらっぽいきもちでもらう  うにがわえりも

「さくらっぽいきもち」(東北若手俳人集「むじな 2018」第2号 2018.11)所収

「さくらっぽいきもち」ってどんな気持ちだろう……と言語化を試みるうちに、桜ほど、日本人にとって個人的な思いと近くにありながら、共通の幻想を抱かせやすい花はないな、と思う。皆が毎年のパターンとして、開花をそわそわしながら待ち、急き立てられるようにお花見を楽しみ、散ることを惜しむ。「皆が何かを思わずにはいられず、何かをせずにはいられない花」というのは、そういえば桜以外にない。すごい動員力だ。

俳句で言えば、「花(桜)」はすべての季語の頂点に立つ季語の一つであり、私たちは眼前に自分だけの一回限りの桜を確かに見ながら、同時に本意という物語の、共通の幻想の大きな桜を自ずと見ている。それは、どの季語も同じことではあるのだけれど(というよりそれが季語の本質なのだけれど)、桜は本意の物語がとても大きく、かつ日本人に深く浸透している。

掲句は「桜を見る時の自分の気持ち」ではなく「さくらっぽいきもち」であり、個人の側ではなく、桜の幻想の側に立ち、桜と一体化してみせた。辞令書をもらう期待と不安という個人的な思いが、桜への日本人の幻想をすべて飲み込んだ「さくらっぽいきもち」として提示される。「ああ、そういう気持ちだよね……桜だしね……」と誰もが何となくわかることを、裏側から見せた面白い句であり、共通の幻想をペラペラな可愛らしさで暴いて見せた怖い句かもしれない。

2019年4月6日土曜日

●土曜日の読書〔味と香りと恋しさと〕小津夜景




小津夜景







味と香りと恋しさと

つくったことのない料理がたくさんある。

たとえばホットケーキ。パンケーキならよく焼くのだが、いつも焼きながら「いいかげん、ホットケーキのレシピくらい調べないとなあ」と思いつつそのまんま。

この季節だと桜餅もつくったことがない。母もつくらなかったから、桜の葉の塩づけがなかったのかも。だって蓬餅はつくったもの。やわらかな蓬をその辺で摘み、さっと茹で、擂り鉢ですったものを餅とまぜて軽くつき、手ぎわよく餡を包みこむ。その青い味わいは今でもはっきりと思い出せる。

そもそも料理は嫌いじゃないのだ。食のエッセイだってよく読む。自分で料理しない人の文章も悪くはないが、やはり実践家だと話が早い。檀一雄の料理はどれも居酒屋である。北大路魯山人は食べることへの純粋な執着が愛らしい(あと彼の食器はごはんがおいしい)。立原正秋からは料理に限らず多大な影響を受けた。一番好きなのは『日本の庭』だ。あとこれも料理と一見無関係な話だが、この人は香りに強く、殊に不貞小説の潮の香りがすばらしい。それから青木正児。彼が袁枚の『随園食単』を訳したのは戦時中の飢餓に耐えかねたからなんだそうです。ごちそうの本を深く読みこみ、妄想の力によって空腹を克服しようとしたのだとか。

森下典子こいしいたべもの』(文春文庫)は著者が思い出の味の記憶を辿った本で、ふっくらとした風合いのイラストと日常の手ざわりとが心地よい。横浜駅で買う鳩サブレー、コロッケパンの自由、夜の缶詰、夜明けのペヤング、桃饅頭と娘たちの恋。

桜餅の話もある。桜の香りが好きな著者が、ソメイヨシノは香らないことを知り、はて、ならばわたしが知っているあの香りはなんなのだろうと不思議に思う。それが、もうすぐ五十歳になるかといったある日、市ヶ谷の桜の前でふたたびその香りを嗅ぎ、真剣に嗅覚の奥をつきすすんでゆくと、突然それがランドセルの皮の匂いであることを「思い出す」。そのあとのくだりがこれ。
 初めての授業が始まる一年生の四月、父は学校まで送ってくれた。手をひかれて校門の前までくると、
「ここからは一人で行けるね」
と、言われてうんと頷き、バイバイと手を振って門を入った。校門の横には桜が咲いていて、春のはじめの冷たい風が吹いていた。これから知らない人ばかりの世界に入って行く。その不安に心が揺れ、その一方で、新しい世界に胸がわくわくするのを覚えた。その後もしばらくの間、校門の桜の下を通ると、その感情が胸を占めた。
 それから小学校卒業までの六年間、ずっとランドセルと一緒だった。いつも革の匂いがしていた。乱暴に扱って傷だらけになったけれど、最後まで革の香りは変わらなかった。
 桜に吹く冷たい風が、遠い記憶の栞をひらく。そこに挟まっていたのは、六歳の揺れる心と、真新しいランドセルの匂い。
 その父も他界して今年で二十六年がたつ。酒好きだったが、甘いものにも目がない人だった。この季節になるとよく、
「桜餅、買ってきたぞ」
と、行きつけの和菓子屋の包みを差し出した。
えてして匂いとはこうしたもの。味と匂いは、見たり聞いたりするのと違い、つねに至近距離の体験であるがゆえに記憶の根も深いーーとすれば触覚も? ぬくもりも根が深いのだろうか。

うーん。すこぶる奇異としか言いようがないが、私の体験によると触覚の記憶はこの世でもっとも浅く、儚く、徹頭徹尾うたかたに属するもののようである。




2019年4月5日金曜日

●金曜日の川柳〔鈴木せつ子〕樋口由紀子



樋口由紀子






母さんのそばを離れちゃいけません

鈴木せつ子 (すずき・せつこ) 1931~

物騒な世の中だから、知らない人に声をかけられてもついて行ってはいけませんよといっているのかと思ったが、まったく見当はずれだった。掲句は題詠吟。題はなんと「一万円」。あまりにも意外な姿で立ちあらわれて、椅子から転げ落ちそうになった。

川柳の句会は題ごとに選者が入選句を披講して、作者が名乗りを上げる。この句も読み上げられたときはさぞ会場は沸いただろう。川柳は「見つけ」を大事にする。他人の気づかないところを見つけて、はっとさせる。そして、ユーモアのエッセンスを撒き散らしながら、共感ラインにぴたりと着地させる。題とセットで味わうのも川柳ならではの技である。「杜人」(261号 2019年春)収録。

2019年4月1日月曜日

●月曜日の一句〔永瀬十悟〕相子智恵



相子智恵






村ひとつひもろぎとなり黙の春  永瀬十悟

句集『三日月湖』(コールサック社 2018.9)所収

福島を詠み続けている作者の句。巻末に置かれた鈴木光影氏の解説によれば、〈ひもろぎ〉とは漢字で「神籬」と書き、神社以外で神事を執り行う際につくられる聖域のことだそうだ。

原発事故によって全村避難を余儀なくされた村が、誰も足を踏み入れることのできない聖域のように静かに、そこに存在し続けている。人間が生み出した人間の存在を超える力が、一村をごっそり、一瞬で誰も近寄れない結界に変えてしてしまったことに、改めて呆然とする。

〈黙の春〉はレイチェル・カーソンの『沈黙の春』も想起させる。〈黙〉は祈りの態度であるのかもしれないが、私には、あまりの事の大きさに思考停止に陥ったその後の私たちの、あるいは無かったことにしようとさえする、見ないふりを続ける八年後の沈黙の態度のようにも思われた。

「むらひとつひもろぎとなりもだのはる」と音読すると、MとR音の口籠る音と、H音の息を漏らすしかない音の連なりに、思考停止状態の、意志を持たない幼い大人の私たちが、力なく映し出されてくる。

2019年3月30日土曜日

●土曜日の読書〔虚構の肌ざわり〕小津夜景




小津夜景







虚構の肌ざわり


いまの暮らしは、まあそこそこ気楽だ。理由は人に干渉されないから。むかしはそうはいかなかった。勉強をすれば男子に「女のくせにヘーゲル左派なんか」と言われ、仕事をすれば客に「こんなところでしか働けへん女は惨めやな」とさげすまれ(少しハードなお仕事だっだのだ)、飲みに行けば隣にすわっただけの知らない会社員に「お嬢さんぶってないでもっと苦労せなあかん」と説教されるといったぐあい。で、こうした干渉を、この国ではいちども受けたことがない。

もっとも、相手を低くみる意図の発言をする人にはひとりだけ出くわした。あるとき、机に向かって仕事をしていたら、隣の部屋の男性がやってきて、こう言ったのだ。

「ねえ知ってる? いま世界で使用されている偉大なイデー(理念)は、ほとんどがフランスの発明なんだよ」

あらまあ。いきなりやってきて、なんなのかと思ったら。そこで真面目な顔をして、

「はい。フランスは『人権』をはじめとして、すごいイデーをいっぱい『発明』しました。いっこも『実現』はしていませんが」

と返してみた。すると男性は、腹を立てたようすもなく、うなずきながらこう言った。

「だいじょうぶ。問題ないよ。だって僕たちはみな錯覚の中に生きてるんだから!」

なんじゃそりゃ。ポジティヴシンキング肥大症? わたしは予想をはるかに超えた彼の自己肯定に度胆を抜かれた。そして、ううむ、お国柄が違うというのはこういうことなのか……と、その自慢の肌ざわりにちょっとだけ感じ入った。

思えばフランスは、少なくともシラクの時代までは、舌先三寸のイデーを切り札に世界のイニシアティブをとってきた。そしてそれは、経済で対抗すればアメリカの足元にも及ばないこの国にとって、大国であるための戦略として絶対的に正しい。イデーとはフランス流の虚構であり、当然ながら日本流の虚構とはぜんぜんタチがちがう。そしてまた、錯覚だと愛国者みずから自認するそのイデーが、実は建前としてそれなりに機能していて、わたしの暮らしのかつてなかった自主独立を保証していることは少しも否定できないのだ。

現実における虚構ではなく、文学上の虚構もずいぶん肌ざわりが違う。たとえばジャック・ルーボー誘拐されたオルタンス』(創元推理文庫)は、脱線につぐ脱線とそれらを回収する数学的法則性とがみごとな綾をなした(おまけに猫も名演技をする)極上のメタ・ミステリーなのだけれど、この虚構による虚構のための本格虚構遊戯小説が、きわめて優雅でおっとりしている。ふつう本格虚構遊戯というのは、これでもかの意匠のてんこもりであるがゆえに、おっとりしてなんか見えないものだ。また優雅に見せようとして、逆に自意識のアクを強めるだけのこともしょっちゅう。
シュークリームは
モラヴィア・ボヘミア地方では
社会主義に染まるけど
ウクライナでは
磁器のせいで
頁岩(けつがん)色になるんだよ
梨のタルトは
遊牧民のテント村では
ヤギの糞に染まるけど
ブリスベンでは
プロパンのせいで
レンガ色になるんだよ
サツマイモのタルト
カルパティア山脈では
血みどろに染まるけど
カブルグでは
恋のせいで
卵白色になるんだよ
鼻歌っぽく、さっぱりして、なにより作者が楽しそう。そして、こうしたことがわたしには、作家個人の資質(ところでジャック・ルーボーとは何者なのか。それについては以前この記事の後半で詳しく語ったので割愛)以前に、他人に干渉しないではいられない暇人のえじきとならず、そしてまた自分も他人に干渉せずに、自主独立をはぐくんできたことの果実のようにいまでは感じられるのだった。


2019年3月29日金曜日

●金曜日の川柳〔楢崎進弘〕樋口由紀子



樋口由紀子






ああ父のタオル掛けにはタオルがない

楢崎進弘 (ならざき・のぶひろ) 1942~

手や顔を洗って、タオルで拭こうとするときにタオルが見当たらない。「父の」だから、他の家族、たとえば妻や娘のタオルはタオル掛けにちゃんとあって、自分のだけがない。妻や娘のタオルは使わずに、濡れた手や顔のまま、滴をぽとぽとと落しながら、タオルを取りに行かなければならないのは悲惨である。たしかに「ああ」と言いたくなる。

タオルがないぐらいでおおげさで、しょうもないことにこだわっているのが、どうも見捨てられない。「ああ父の」の上五の言葉がうまく演技していて、タオルがない一瞬を鮮やかに拾い上げ、ライブ感が引き出しているからだろう。自己戯画化し、事実と感情を上手に残した。〈イカ焼きの烏賊にも見放されてしまう〉〈蛇はこんなに長い生き物だったのか〉〈竹輪の穴だったら通り抜けられます〉 「ふらすこてん」(57号 2018年刊)収録。

2019年3月27日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

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俳誌を読む ≫過去記事

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そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


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※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2019年3月25日月曜日

●月曜日の一句〔茨木和生〕相子智恵



相子智恵






野に遊ばむ命生き切りたる妻と  茨木和生

句集『潤』(邑書林 2018.10)所収

以前、万葉学者の先生から、やまとことばの「い」には「生く」や「息」のように生きる力や「忌む」などの厳かな意味があり、「ち」は「血」「乳」「大蛇(おろち)」など不思議な霊力を表していて、「い」の「ち」である「命(いのち)」とは、個人に属して個人と共に終わるのではなく、それとは別にあって個々の生命を生かす不思議な力だ、という話を聞いたことがある(うろ覚えだが……)。

〈命生き切りたる〉を読んだ時、だから私はそこに壮絶な感じではなく、むしろ「い」の音の連なりに豊かなものを感じた。それは「生き切った」と言う時の、悔いのない充実したイメージからも、呼び出されてくる。

それが「野遊び」という季語のもつ再生のイメージと重なったことで、掲句は妻を亡くした悲しみの重さは十分にありつつも、どこかすーっと瑞々しい。

〈野に遊ばむ〉と言われた妻は、暖かくなった春の日差しの中で、身軽な魂となって「そうだね」と嬉しく答えただろうな、と思われてくるのだ。

2019年3月23日土曜日

●土曜日の読書〔母語の外で俳句を書くこと〕小津夜景




小津夜景







母語の外で俳句を書くこと


人と話す機会があるたびに、「フランスで暮らすことが俳句にどういった影響を与えていますか」と質問される。

話が「フランス」という限定ならば何も思いつかない。私はこの国に興味を持ったことがないのだ。

けれども「知らない言葉の中で」という文脈ならば、どうだろう。

たとえば日本にいると、外部との言語的関係を断って自分の考えに没頭しようとしても、ふとした瞬間に、周囲の文字や音声が体の中に流れ込むのは避けがたい。ところが現在の生活は、意識のチューニングをゆるめさえすれば、すべての言葉が落書きと雑音として脳で処理されるため、自分の声だけを純粋に聴きつづけることが可能だーーこれは度がすぎると足元に穴があくけれど。

あと、そもそも私はフランス語ができない。そのため意識のチューニングを文字や音声に合わせたところで、その意味がはっきりとはわからない。とはいえ長く暮らしていれば、さすがにほんの少しはわかってしまう。この「ほんの少しわかる」というのが悲喜劇で、私はかれこれ20年近くも、いままさに言葉の意味が立ち現れんとする生成まっただ中の海をゆらゆらと漂っている状態なのだった。

もうひとつ、フランス語がわからないのに加えて、日本語もどんどん忘れてゆくといった事態がある。自分の母語が脈絡のない落書きじみた、カタコトのうわごとに変質してゆくのである。ここ数年は俳句と出会ったおかげで、こうやって文章を書くたびに、ほっとするというか、正気を保つ薬になるのだけれど、実のところ健忘症状は重く、なにかの病気の兆候かもしれないと日々恐ろしい。

エクソフォニー(母語の外に出た状態一般)下における実存や言葉とのかかわりについてさまざまな文章を収めた多和田葉子カタコトのうわごと』(青土社)にこんな一節があった。
日本語をまったくしゃべらないうちに、半年が過ぎてしまった。日本語がわたしの生活から離れていってしまった感じだ。手に触れる物にも、自分の気分にも、ぴったりする日本語が見つからないのだった。外国語であるドイツ語は、ぴったりしなくて当然だろうが、母国語が離れていってしまうのは、なんだか霧の中で文字が見えなくなっていくようで恐ろしかった。わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた。
この「わたしは、言葉無しで、ものを感じ、考え、決心するようになってきた」という下りを読むと、ああ、自分もそうだと少し安心する。いや、多和田はずいぶんと変わった人だから油断はならないか。

そう、俳句への影響である。フランス語も日本語もおぼつかない暮らしの中で、私が気づいたのは、思考とは純化された言語のみに拠る働きではありえず、脈略の糸のこんがらがった落書きの層をたっぷりと含みつつその風景をかたちづくっているということだった。おそらく「考える」とは、気の遠くなるほど大きな「考えに至らない」潮のあわいを漂流し、傷を負い、おのれを見失った果てに未知の岸に打ち上げられるような冒険である。こうした発見は自分をすっかり変えてしまった。いまでは言語において、形式は反形式から分離できず、また反形式の痕跡をとどめない形式はないと思っている。

必死になって言葉に手を伸ばそうとする〈思考〉。いままさに生まれんとしてうごめく〈意味〉。反形式の海をくぐり抜けた痕跡をとどめる〈形式〉。こういったものをつくる道具として、俳句はなかなか悪くない。


2019年3月22日金曜日

●金曜日の川柳〔筒井祥文〕樋口由紀子



樋口由紀子






昼の月犬がくわえて行きました

筒井祥文 (つつい・しょうぶん) 1952~2019

月は夜のものだと思ってしまうが、昼にも月は出ている。場違いのようにうっすらとある。昼の月が出ているときに、あるいは自分自身が昼の月のようなときに、犬がなにかをさっとくわえて走り去っていった。それを見たときに瞬時にふと我に返ったのだろう。犬がくわえて行ったのは自己そのものだったのかもしれない。昼の月の下でなにかが暗示され、生の存在を実感したのだろうか。

筒井祥文が3月6日に亡くなった。ぽっかりと大きな穴が空いた。大切な、信頼できる川柳人をうしなった。古風で、品のある、センチメンタルを書ける川柳人がいなくなった。〈月に手をゆらりと置けば母が来る〉〈なぜだろうきれいなお湯を捨てている〉〈蟹を喰う男に耳が二つある〉 『セレクション柳人 筒井祥文集』(邑書林 2006年刊)所収。

2019年3月21日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








死にやろとは思はず花や惜むらん 西鶴(前句)
 子共三人少年の春       同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第二(延宝三年・1675)

もともと西鶴は裕福な商家の出と思われるが、商売の傍ら、俳諧師として人の作品を採点する点者(てんじゃ)をつとめていた。

それが34歳のとき、幼馴染みだった妻を亡くし(享年25)、その追善のために髪の毛を落として在俗の出家となった。

とはいえ盲目の娘をはじめ幼い子供が三人もいたから、仏道修行に入ったわけではなく、家督を手代に譲って隠居となり、愛妻への追慕と残された子供への慈しみを原動力に、法体の俳諧師として旺盛な創作活動をはじめた。

その手始めが掲出の愛妻追悼の独吟連句で、一日で千句も詠んだ。

それをかわきりに、一昼夜で千六百句、四千句、二万三千五百句と記録を塗りかえていったのは周知のとおりである。



さて掲句は前句が花の座、付句が挙句(揚句)。

「少年」は男子の意ではなく、子供(子共)が幼少であることをさす。

〈まさか妻が早死にするとは思わなかったが、妻とて花を惜しんでいるだろう。幼い子供たち三人にすれば母を惜しむ春になってしまった〉。

追悼にふさわしい付合だが、連歌における挙句の本意を考えると、悲しみの奥に救いの「春」が詠みこまれているような気がしてくる。



『俳文学大辞典』(角川書店)にあるように、挙句は〈一巻の成就を慶び、天下泰平を寿ぐ祝言の心を込めて、一座の興がさめないよう、速やかにあっさりと巻き納めるのを本意とする〉(東聖子氏)。

他の西鶴独吟の挙句も、その本意を大切にしている。

2019年3月20日水曜日

【俳誌拝読】『静かな場所』第22号(2019年3月15日)

【俳誌拝読】
『静かな場所』第22号(2019年3月15日)


B6判、本文20ページ。

招待作品より。

延長コード(白)につながれ能役者  中村安伸

同人作品より。

沖ばかりきらめく冬の通り雨  対中いずみ

林檎赤し何たづねても首傾げ  満田春日

蟋蟀の頭いびつなところある  森賀まり

野火止を細くつらぬく冬の水  和田 悠

(西原天気・記)




2019年3月18日月曜日

●月曜日の一句〔渡邉美保〕相子智恵



相子智恵






土に釘つきさす遊び桃の花  渡邉美保

句集『櫛買ひに』(俳句アトラス 2018.12)所収

〈土に釘つきさす遊び〉の主人公は子どもだろうか。偶然拾った釘を黙々と土に刺して遊んでいる、一人遊びの子どもの様子が思い浮かんだ。

幼い頃の遊びというのは大人から見ると訳がわからなくて、時に残酷だったりする。〈土に釘つきさす遊び〉もしかり。子どもにしてみれば、釘が「何かに刺さる」のが、ただただ楽しいのだろう。何かに見立てて遊んでいるのかもしれない。

釘をただ「刺す」ではなくて〈つきさす〉という言葉を選んだことによって、そこに残虐性が出てくる。しかしそれを「突き刺す」と漢字にせず平仮名に開くことで、今度は他愛無さやピュアな感じを、読者は受け取ることができる。句の内容にプラスして、言葉と表記の選び方がこの遊びの質感を決定づけている。

さらに〈桃の花〉が懐かしくて長閑だ。そういえば現代の都会の整備された公園では、釘を拾うことなどまず無いよな……と思う。昔の空き地や公園や庭に、錆びた釘が普通に落ちていた風景。そんなノスタルジーも、掲句からは感じられる。

2019年3月16日土曜日

●土曜日の読書〔じぶんのさいはて〕小津夜景




小津夜景







じぶんのさいはて


あまり本を読まずに生きてきた。

とくに30歳からの10年間は、1冊も新しい本を読まなかった。じゃあ20代のころはというと、これもからっきしで、大学時代も年に5冊読んだか読まないかくらい。

なぜこんなにも読まなかったのか。表向きの理由は体力がないからで、本音のところはセンスが悪く本をえらぶのが苦手だったからだ。あと、たいへん我が弱く人の言いなりになるのが好き、といった性格も原因している。そんなわけで自分は、人に勧められて読む、というのを最適の読書法としてきた。

こんな事情と関係していたかどうかは不明だけれど、子供のころはかなり本をもらった。ピークは14歳から15歳にかけてで、英語教師がカルヴィーノ『まっぷたつの子爵』『冬の夜ひとりの旅人が』をくれ、数学教師が『ポー詩集』、E・エンデ『鏡の中の鏡』をくれ、国語教師がリード『芸術の意味』、益田勝実『火山列島の思想』、フロム『愛するということ』をくれ、美術教師が中原佑介『ブランクーシ』をくれ、主治医がシュタイナー『アカシャ年代記』、ソシュール『一般言語学講義』をくれた。どう考えてももらいすぎである。しかも完読できたのは『ブランクーシ』一冊のみだったので、周囲からの本責めがすっかり怖くなってしまった。読めもしないのにこんなにもらってどうしよう。うーん。そうだ、本を交換したことにすれば少しは気が楽になるかも。そう思った私はエゴン・シーレの画集をお返しに配り、それでいくぶんほっとしたのだった。

またあるとき、気分が良かったので高校に行くと、国語教師に職員室に呼ばれ、イザベラ・バード日本奥地紀行』(東洋文庫)を「これあげる」と渡されたことがあった。

「わあ、かっこいい本。なにが書いてあるんですか?」
「タイトルそのまんま。この本の作者はとても身体が弱かったんです。それで、あなたの参考になるかもと思って持ってきました」

ありがとうございますと言って、先生の前で本をひらく。著者はヴィクトリア朝の女性旅行家らしい。そしてこの本は、明治初期に日本を訪れた著者が、通訳兼従者の日本人青年を連れ、東京から日光、新潟を経て東北地方を縦断し、ついにはアイヌの住む北海道までをつぶさに見て回った記録とのことだった。
一八七八年(明治十一年)四月に、以前にも健康回復の手段として効き目のあった外国旅行をすることを勧められたので、私は日本を訪れてみようと思った。それは、日本の気候がすばらしく良いという評判に魅かれたからではなく、日本には新奇な興味をいつまでも感じさせるものが特に多くて、健康になりたいと願う孤独な旅人の心を慰め、身体をいやすのに役立つものがきっとあるだろうと考えたからである。
この序文にもあるように、彼女は幼少期から病弱で、わざわざ北米で転地療養するほどだったのだが、それが元で旅することをおぼえ、オーストラリア、ニュージーランド、サンドイッチ諸島(ハワイ)、日本、マレー半島、カシミール、チベット、インド(パキスタン)、ペルシャ、朝鮮、中国、モロッコなど世界中を巡るようになった。なんてやりたい放題の人生! でもさ、そんなにお金があって体力がないなら、もう少し楽ちんな場所を旅したほうがよくない? 死ぬよ?

それで、次に高校に行った日に、先生のところへ出向いて、なんで彼女はあんな辺境ばかり旅してたんでしょうね、と呟いてみた。すると先生は、

「人生がいつどこで終わっても、自分自身の最果てで死んだと感じられるようにじゃないかな。流浪の果ての死というのも、かっこいいよね」

と真顔で言った。

「ふうん。ロマンチックですね」
「……ごめん。いま俺、てきとうに言った。いや、実は正直に言ったんだけど。忘れて」
「あはは。そうだ、今日はお土産があるんでした」

私はイザベラ・バードのお礼ですと言って、マチスの画集を鞄から出すと先生に差し出した。先生は一瞬ためらったのち、どうもありがとう、と言って画集を受け取った。