2012年12月31日月曜日

●月曜日の一句〔山田露結〕 相子智恵

 
相子智恵







夢は枯野を少年少女合唱団  山田露結

句集『ホームスウィートホーム』(2012.12 邑書林)より。

今年最後の鑑賞となった。大晦日である。

年末のせいか、掲句を一読して〈少年少女合唱団〉という単語から、(句に描かれているわけではないが)ベートーベンの第九『歓喜の歌』の大合唱にまで想像が及んだ。

「年末に「第九」が演奏されるのはなぜ?」という記事(http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20111229-00022426-r25)によれば、年末の「第九」は、第二次大戦直後の貧しい時代に、日本のオーケストラが“もち代稼ぎ”で始めたことらしい。来年は戦後68年になる。

新しい年に無邪気にワクワクできなくなったのは、この時代だからなのか。それとも私が歳を取ったせいなのか。きっとその両方なのだろう。同句集中の〈冬ざれのロープ掲揚塔を打つ〉〈冬日射す希望に似たり希望でなし〉といった寒々しい冬の句に、私はしみじみと共感する。

掲句の〈夢は枯野を〉は、言わずと知れた芭蕉の死の床での「病中吟」〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉を踏まえている。病床の夢の中でも、芭蕉は枯野をさまよい、次の俳句を求めて旅を続けた。

私たち現代の俳人もまた、次の一句を求めて、来年も枯野の旅を続けることになるだろう。その旅の間には、少年少女合唱団の希望の歌声が、突然冬の空から降ってくるような僥倖の瞬間も、きっとあるのだろう。
 

2012年12月30日日曜日

〔今週号の表紙〕第297号 あかとき

今週号の表紙〕第297号 あかとき

写真・小川由司 文・西原天気





第297号は、今年2012年の最後の号。皆様にはいろいろとお世話になりました。

良いお年をお迎えください。


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2012年12月29日土曜日

【既刊】『虚子に学ぶ俳句365日』

お年始に

【既刊】週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』

〔執筆〕相子智恵 神野紗希 関悦史 高柳克弘 生駒大祐 上田信治


2012年12月28日金曜日

●金曜日の川柳〔河野春三〕 樋口由紀子



樋口由紀子







おれの ひつぎは おれがくぎうつ

河野春三 (こうの・はるぞう) 1902~1984

昭和39~40年、作者62~64歳の時の作品。春三は82歳で亡くなったので、まだまだ元気な頃の一句である。ひらがな表記と「おれの」と「ひつぎは」のあとの一字空けが気になる。一呼吸おくつもりであったのだろうか。七七句である。それにしてもなんともマッチョな川柳であろうか。

河野春三ほど覚悟と矜持の似合う川柳人はいないだろう。自負心の強さと妥協できない強情な人であったと聞く。掲句はその極みのようである。

「私」「人間派」「天馬」「馬」「匹」「風」などの柳誌の発刊と廃刊を繰り返し、生涯川柳革新に邁進した。彼の影響を受けた川柳人は多い。『定本河野春三川柳集』(たいまつ社刊 1982年)所収。

2012年12月27日木曜日

【評判録】高山れおな句集『俳諧曾我』

【評判録】
高山れおな句集『俳諧曾我』

≫句集を持って街へ出よう?!高山れおな句集『俳諧曽我』管見:再生への旅
http://72463743.at.webry.info/201211/article_23.html

≫:俳諧師 前北かおる
http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-1132.html

≫:小野裕三 関心空間
http://www.kanshin.com/diary/11500218

≫山田耕司 その知は冒険しているか:詩客 2012年12月21日
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_haiku/2012-12-21-12561.html

≫すごい句集!俳諧曾我:伊野孝行のブログ
http://www.inocchi.net/blog/2532.html

≫福田若之 幻滅とその後:週刊俳句・第295号
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.html

≫相子智恵:ウラハイ 月曜日の一句
http://hw02.blogspot.jp/2012/12/blog-post_24.html

2012年12月26日水曜日

●「彼方からの手紙」第6号! & バックナンバー配信のお知らせ

「彼方からの手紙」第6号! & バックナンバー配信のお知らせ

こんにちは。山田露結です。毎度お騒がせしております「彼方からの手紙」6号配信のお知らせです。この度、ゲストにこしのゆみこさんをお迎えしました! 実は私、こしのさんのファンでありまして、今回ゲストにお迎えできたことを大変うれしく思っています。

こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』

こしのさんの句には遠い日の家族や故郷が多く登場します。こしのさんの句を読むたびに私はたまらなく切ない気持ちになってしまうのですが、私はこれをこしのブルーと呼んでいます。これは、もしかしたら、こしのさんと私が同郷(愛知県西尾市)出身であることも少なからず影響しているのかもしれません(面識はないんですけどね)。

さて、「彼方からの手紙」です。今回のテーマは「動物」。はたしてこしのブルーがあなたを待っているのでしょうか。

ぜひお近くのコンビニで「彼方からの手紙」を受け取って下さい。あ、もちろん、私たち(山田露結と宮本佳世乃)も詠んでますよ。よろしく。

※「彼方からの手紙」は山田露結と宮本佳世乃がコンビニのマルチコピー機を利用して配信する俳句通信です。


☆「彼方からの手紙」は、お近くのセブンイレブン、またはサークルKサンクスにてお受け取り下さい。

ネットプリントの受け取り方(セブンイレブン)

1.セブンイレブンへ行く。
2.マルチコピー機の「ネットプリント」を選択して予約番号を入力する(プリント料金 60円)。
3.手順に従ってプリントを開始する。

予約番号 11866786
プリント料金 60円
配信期間 12月24日(月)~31日(月)23時59分まで
配信場所 全国のセブンイレブン

セブンイレブンネットプリント


ネットワークプリントの受け取り方(サークルKサンクス)

1.サークルKサンクスへ行く。
2.マルチコピー機の「ネットワークプリント」を選択してプリント料金 60円を投入。約款を確認し「同意する」ボタンを押す。
3.ユーザー番号を入力後、手順に従ってプリントを開始する。

ユーザー番号 Q786BZYX9G
プリント料金 60円
配信期間 12月24日(土)~1月1日(日)15時00分まで
配信場所 全国のサークルKサンクス

サークルKサンクスネットワークプリント


☆「彼方からの手紙」バックナンバー配信のお知らせ☆

「彼方からの手紙」創刊号!
予約番号 28738395

「彼方からの手紙」2号!(ゲスト:関悦史)
予約番号 71398440

「彼方からの手紙」3号!(ゲスト:御中虫)
予約番号 27RYATR7

「彼方からの手紙」4号!(ゲスト:T&lamp)
予約番号 JU25RU7E

「彼方からの手紙」5号!(ゲスト:田島健一)
予約番号 K8888FH5

※12月31日(月)まで、セブンイレブンのみでの配信です。



2012年12月25日火曜日

●メリークリスマス!

メリークリスマス!

子規のクリスマス句 by @musashinohaoto

〔archive〕2008-12-21 近恵 クリスマスは俳句でキメる!
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/12/blog-post_21.html

 

2012年12月24日月曜日

●月曜日の一句〔高山れおな〕 相子智恵



相子智恵







サンタ或いはサタンの裔(すゑ)、我は牡猫  高山れおな

句集『俳諧曾我』(2012.10 書肆絵と本)のうち「侯爵領」より。

たいへん話題の句集で、そこここで刺激的な批評を見る。アートブックのような、函入り・8分冊からなる本書より、クリスマスプレゼントに選ぶなら「侯爵領」から、この一句。

「侯爵領」について作者自身による「目録+開題」から引こう。〈シャルル・ペローの童話「長靴をはいた猫」に基づく連作である。(中略)なにしろ知恵と行動力に溢れた主人公の猫が素晴らしいし、見た目がよいだけで流されるまゝの粉屋の息子も好ましいし、惚れつぽい王女さまも鷹揚な王さまも悪くない

たしかにこの物語の猫は一見ずる賢そうに見えて、いちばんの(というか唯一の)知恵者であり、行動する者だ。粉屋の息子は素直というか何も考えていないし、出てくる人は皆すんなり騙されるだけで、ただドミノ倒しのように美しきオチに向かう展開は、今読むと相当ヘンで、爽快な物語である。

掲句は主人公の牡猫の登場から。この猫がサンタの末裔であるのか、サタンの末裔であるのか。それは物語を読み終わった人が考えればよいことで、当の主人公である策略家の猫が、そんなことはどうでもよく〈我は牡猫〉という力強い宣言がいい。『我輩は猫である』みたいに凛としている。

〈唐婆(カラバ)の名何処より。おわあ。王よ、この贄(にへ)を〉という句もある。この句の〈おわあ〉は、萩原朔太郎の詩「猫」へのオマージュであろうし、この「侯爵領」という題名も、髙柳重信の句集『伯爵領』へのオマージュ。そのほか、浅学の私には見逃すものばかりだが、そういう先行作品への愛情ある呼びかけが『俳諧曾我』には随所に詰まっていて(以前、私は本句集の分冊のうち「三百句拾遺」に収められた一句「蒹葭」を読んでみたが(http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/11/10.html)、こういう句集を読む体験は、どこに隠されているかわからないクリスマスプレゼントを探す子供にも似た楽しさを与えてくれる。

そもそも作者自身が、人の悪いサンタなのか、人の良いサタンなのか、自ら分からなくしているところがあって、ただ俳句にとっては彼の持つ「また何かを巻き起こすかもしれない」と思わせる俳諧の精神は、ちんまりと再生産(作者のようなオマージュではなく、ただの矮小再生産)に陥りがちな近頃の俳句にとっては「サンタ」であるだろう。いや、そんなことはどうでもいいのだろう。作者も〈我は牡猫〉なのだろうから。

2012年12月23日日曜日

〔今週号の表紙〕第296号 赤インク

今週号の表紙〕第296号 赤インク

西原天気




赤の色合いが各社ちがうのでわけですが、透明感があるというか、書いた下の紙がかすかに見えるような赤は、このペリカンやラミー、それからモンブランもその傾向。ぽてっと色を盛ったような正真正銘の赤のほうがいいという人もいるでしょうし、これは好みです。


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2012年12月22日土曜日

【既刊】『子規に学ぶ俳句365日』

クリスマス・プレゼントに

【既刊】週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』

〔執筆〕 相子智恵 上田信治 江渡華子 神野紗希 関悦史 高柳克弘 野口る理 村田篠 山田耕司



2012年12月21日金曜日

●金曜日の川柳〔住田三鈷〕 樋口由紀子



樋口由紀子







自分より大きなものを見に通う

住田三鈷 (すみた・さんこ) 1937~1991

格言っぽい川柳である。小さなことにこだわって、くよくよしていたら、ふとこの句を思い出した。自分より大きなものとは一体何だろう。大きなものなんてまわりにいっぱいある。山だって、川だって、木だって、みんなみんな大きい。人だって私みたいに小さくない。作者は見えるものすべてに自分にない大きさを感じたのだろう。

掲句のポイントは「見に通う」だと思う。「通う」とはそこに何度も行き来することである。句に具体的な動きが出る。見て通っている間に自分自身も少しは大きくなれるかもしれないと思ったのだろう。生きていくことと同義のような気がする。

住田三鈷は大人しい熱血漢だった。〈石がもし語れば長いものがたり〉〈子も亀もじっと動かぬ洗面器〉〈父死んで母死んでふるさとはまぼろし〉

2012年12月20日木曜日

【俳誌拝読】『なんぢや』第19号(2012年11月27日)

【俳誌拝読】
『なんぢや』第19号(2012年11月27日)

季刊。榎本享発行。本文32頁。

光りたるところが水よ冬景色  藺草慶子(招待席)

雑巾に泥蜂の巣や水が澄み  榎本享

澄むほどに葡萄畑の荒びけり  川嶋一美

水引草牛膝とてたくましき  中村瑞枝

初月や明石の君のくだりへと  高畑桂

横浜の海の芥にいちやうの葉  林和輝

ゑのころや火星左で土星右  えのもとゆみ

夜雨かな葛の葉を打つ夜雨かな  井関雅吉

母のみが知る八月の我が誕辰  土岐光一

秋さびし大きシーツの真白な  鈴木不意

(西原天気・記)

2012年12月19日水曜日

●ピアノ

ピアノ

木枯やピアノの中の白兎  高野ムツオ

春遠しピアノの椅子に帽子置き  加倉井秋を

滅びつつピアノ鳴る家蟹赤し  西東三鬼

秋深しピアノに映る葉鶏頭  松本たかし

ピアノの奥に湾の広がる帰燕かな  大石雄鬼

はつ夏の空からお嫁さんのピアノ  池田澄子

ピアニスト首深く曲げ静かなふきあげ  岡野泰輔〔*


『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年12月17日月曜日

●月曜日の一句〔榎本享〕 相子智恵



相子智恵







湖へ出て大根の切れつぱし  榎本 享

句集『おはやう』(2012.10 角川書店)より。

〈湖へ出て〉というのだから、この大根の切れ端は、湖へ注ぎ込む川を流れてきたのだろうか。それとも湖に出たのは作者で、湖岸で大根の切れ端を見たのだろうか。どちらにせよ湖と大根の出合いには意外性があり、写生句として不思議な輝きを放っている。冬の澄んだ広い湖の中に、真っ白な大根の切れ端が一点、ぽつんと清々しいのだ。

川と大根といえば、虚子の〈流れ行く大根の葉の早さかな〉を思う。写生の名句と言われる句だ。それへの意識も当然あるだろう。

作者は徹底した写生主義をとなえた波多野爽波の門。同門の岸本尚毅が選を担当している。岸本はあとがきで〈「写生」と「説明」のどこが違うのだろうか、「写生」のどこが面白いのだろうか、というような問題意識を持ってこの句集を味読して頂きたい〉と書く。また〈この句集を読むと、多くの佳句が拾えます。それぞれの句においては、宇宙の断片が断片のまま、キラキラと輝いています。それが俳句という詩に内在する一種の「思想」だと思います〉とも。

この大根の切れ端も湖も、ただそこにあって輝く宇宙の断片である。この俳句で作者に描かれなければ、それはただ消えてしまう一風景であった。そのような一風景の奇跡は、よく見れば私たちの周りに、どこにでも転がっている。

2012年12月16日日曜日

〔今週号の表紙〕第295号 凍曇り 西原天気 

今週号の表紙〕第295号 凍曇り

西原天気




俳句で「冬の空」とあった場合、そこのにある空は晴れているか曇っているか、あるいはどちらでもないか。私は「晴れている」派です。晴れていないなら、それがわかる言い方が欲しい派、です。


撮影場所:東京西郊。撮影日:2007年12月13日。




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2012年12月15日土曜日

【俳誌拝読】『蒐』第十号(2012年12月5日)

【俳誌拝読】
『蒐』第十号(2012年12月5日)

馬場龍吉発行、鈴木不意編集。本文20頁(オールカラー)。

問題のある人らしく鮭を打つ  太田うさぎ

シャンプーの壜にまたがり守宮の子  菊田一平

白菊や線香折りて音もなし  鈴木不意

中にゐて廃墟いちぢるしく月光  丹沢亜郎

鬼の子のかんらかんらと揺れどほし  馬場龍吉

(西原天気・記)



2012年12月14日金曜日

●金曜日の川柳〔福永清造〕 樋口由紀子



樋口由紀子







握手せぬほうの手までがうれしがり

福永清造 (ふくなが・せいぞう) 1906~1981

殺伐とした世の中である。このような句に出会うとほっとする。でも、そんな握手は長いことしていないなと思う。選挙中なのでよけいにそう思うのかもしれない。

誰と握手したのだろうか。握手している手の方はもっと嬉しがっている。いやいや、なによりも握手している本人が殊の外喜んでいるのが目に見えてわかる。こういう感じ方ができる人はうらやましい。もっと素直にならなくてはと思わされる一句である。

川柳は物を斜めに見るところがあり、そのような川柳の方がインパクトも強く、印象に残ることが多い。しかし、まっすぐでおおらかなのも川柳眼である。

私は福永清造本人とは一面識もなく、系列的にも接点はない。しかし、彼の名前はよく耳にする。〈かくれんぼ母はみつかるとこにいる〉〈合わす掌の中から幸せが生まれ〉。いい人だったんだ。彼を慕った川柳人が多いのが納得できる。

2012年12月12日水曜日

●Winter Days

Winter Days



animetion: Yuriy Norshteyn  ≫Wikipedia

2012年12月11日火曜日

【俳誌拝読】『夜河』

【俳誌拝読】
『夜河』第拾七號(2012年12月1日)

西原天気

月刊ペースで発行されるハガキ(変形)の俳誌。固定メンバー(燈、ことり、裕、月犬)+「客人」による俳句(御一人一句)と、対象の範囲を広くとった一句鑑賞より成る。

月光の朱肉へ深く入れる姓  客人・令

眼のあらは舌のあらはや冬鏡  月犬


2012年12月10日月曜日

●月曜日の一句〔井上康明〕 相子智恵



相子智恵







強霜の翁貌して山ひとつ  井上康明

句集『峡谷』(2012.10 角川書店)より。

寒い朝、びっしりと霜のおりた山がひとつ。強い霜に輝くその山を、まるで翁のような顔つき〈翁貌(おきながお)〉だと感じている。大胆な把握が面白い。

句集のあとがきには〈句集名は山峡に居住することに拠る〉とあるが、作者は山梨県在住。この句の背景には甲斐の峻厳な山々が思い浮かぶ。その中でもこの山は古老のような山だ。

能面に「翁」というのがあるが、「翁は能にあって能にあらず」と言われるそうである。他の能楽が一つの筋をもった演劇なのに対して「翁」の曲は祝言を述べる神聖な儀式としての性格を持つ。「翁」は天下泰平・五穀豊穣を祈る祝儀として、能が確立する以前から存在しており、そのため面も「神面」として取り扱われ、別格の扱いだそうだ。たしかに翁面を見ると微笑の中に神々しさを感じる。

福々しく神聖な翁と、霜に輝く甲斐の山の気高さとが重なってくる。

2012年12月9日日曜日

〔今週号の表紙〕第294号 イングランドの鴉 橋本直

今週号の表紙〕第294号 イングランドの鴉

橋本 直




イングランドは湖水地方のカラスたち。大きさは新宿とかにいるのよりずっと小さくてかわいらしい。鵲に近い感じです。船着き場の近くで撮影。餌を狙っているのだろうけれど、なんだかふしぎな距離感で集まっていました。


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2012年12月8日土曜日

2012年12月7日金曜日

●金曜日の川柳〔きゅういち〕 樋口由紀子



樋口由紀子







パサパサの忍び難きが炊きあがる

きゅういち 1959~

パサパサのお米が炊きあがるならわかる。が、それならば、わざわざ一句にしないだろう。しかし、ここでは「忍び難き」だ。「忍び難き」といえば、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び・・・」の玉音放送(終戦の詔勅)を思い出す。そして、それは昭和の大きな事実である。

それに「パサパサ」をつけるなんて、なんということをするのだと感心した。悪意を感じる。作者は「忍び難き」にこだわっている。だから言葉を組み合すことによって探り出そうとする。言葉によって現われる空間、そこに昭和や戦争が表出し、現在が浮かび上がる。

〈皇国の野球を思う遠喇叭〉〈衛兵たち消えて蝋石ある夕空〉 「川柳カード」(創刊号 2012年刊)収録。

2012年12月6日木曜日

【俳誌拝読】俳句創作集『いわきへ』

【俳誌拝読】
俳句創作集『いわきへ』

西原天気


A5判、本文60ページ。定価1,000円。発行人、四ツ谷龍。今年7月および9月福島県いわき市の文化団体「プロジェクト傳」主催の『いわき市の文化財を学び、津波被災地を訪問するツアー』に参加した7名の俳人が句を寄せています。

ひらかれてより雷を孕む地図  鴇田智哉

灯台のまなうらへ蛇たどり着く  宮本佳世乃

漂着のもの指さして日傘より  四ツ谷龍

裏山がそのまま遺跡蜻蛉来る  相子智恵

屠られし鶏の薄目の繊月ほど  太田うさぎ

きざはしに試し吹きして祭笛  菊田一平

積む瓦礫に秋潮といふ蠢く墓  関悦史

津波被災地へ「訪問」しての句作。いわゆる被災当事者ではない者が「そこ」で何をどう詠むのかという困難な問題に対して、作家7名の向き合い方はさまざまのはずです。一冊を読み通して、その問題が少なくとも軽々しく扱われていない印象をもちました。

全体に抑制が効き、その抑制が、土地への敬意と愛情(俳句の本質的な部分ですよね)へと結びついているような気もしました。

冒頭のまえがき的な短文「いわきへ」には、「俳句に対する考えかたはさまざまな顔ぶれ」とあります。おそらくこうしたイヴェントを縁にしてしか1冊の冊子に合同し得なかったであろうメンバー。その意味でも興味深い冊子です。

なお、「本冊子の売上はすべて『プロジェクト傳』への寄付とし、いわき市の復興支援活動に役立てていただきます」とあります。

問い合わせ先 四ツ谷龍 メールアドレス loupe@big.or.jp



当該ツアーの模様については、下記の2記事を。

関悦史 この地を見よ いわきツアーのアルバム
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/09/blog-post_9240.html

宮本佳世乃 いわきのこと
http://hw02.blogspot.jp/2012/09/blog-post_25.html

2012年12月5日水曜日

●火事・続

火事・続


美しきサイコロほどの火事ひとつ  佐々馬骨

女待つ見知らぬ町に火事を見て  上田五千石

山火事の音の上ゆく風船あり  田川飛旅子

巻き尺を巻きもどしゐる昼の火事  柿本多映

火事跡の間取りくきやかにて雨よ  櫂未知子

馬の瞳の中の遠火事を消しに行く  西川徹郎

松の辺に火事の火の粉の来ては消ゆ  岸本尚毅

初霜や火事跡といふ黒きもの  鷹羽狩行

椿散るああなまぬるき昼の火事  富澤赤黄男




2012年12月4日火曜日

●おとうと

おとうと

摩天楼 日に総玻璃の、おとうとよ  高山れおな〔*〕

浜木綿へ兄は流れて弟も  中村苑子

おとうとを野原の郵便局へ届ける  西川徹郎

弟はまだ優曇華の映画館  高野ムツオ

ランボーは遠いおとうと目刺で酒  原子公平

弟へ真白き花の打球かな  攝津幸彦


〔*〕高山れおな句集『俳諧曾我』「1 俳諧曾我」より

2012年12月3日月曜日

●月曜日の一句〔有馬朗人〕 相子智恵



相子智恵







匙回し彼の世を透かす葛湯かな  有馬朗人

句集『流轉』(2012.11 角川書店)より。

匙でかき混ぜて葛湯を作っている。かき混ぜるほどに透明に近づいてゆく葛湯。ただ、どこまでいっても透明にはなりきらない、そのうすぼんやりとした半透明の葛湯の光の奥に〈彼の世を透か〉して見ているというのは、たいそう美しく、幽玄である。

久保田万太郎の〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉にも似て、〈葛湯〉というありふれた食べ物の奥に、茫漠とした世界が広がっている。日常の一風景が、一気に日常から離れた詩に転じていくのは、俳句の面白さのひとつだ。

〈彼の世〉の読み方は二通りあるが、ここでは前田普羅の〈奥白根彼の世の雪をかゞやかす〉と同じく「かのよ」と読むほうが音韻がいいので、私はそう読みたいと思う。

2012年12月2日日曜日

〔今週号の表紙〕第293号 夜 西原天気

今週号の表紙〕第293号 夜

西原天気




カラーで撮った写真をわざわざモノクロにしてみました。それでどうという話ではなく。

撮影場所は北海道のどこか。撮影日時は2010年11月4日21時13分。


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2012年12月1日土曜日

2012年11月30日金曜日

●金曜日の川柳〔榊陽子〕 樋口由紀子



樋口由紀子







かあさんを指で潰してしまったわ

榊陽子 (さかき・ようこ) 1968~

親に向かってなんてことを言う娘であろうか。まるで近寄ってきた小さな虫を潰すように。他人事のように「しまったわ」と。潰してしまったけれど、しかたがないと納得しているように。「わ」が効いている。

でも、実はすごくよくわかる。今の私は潰す方にも潰される方にもどちらの立場にもいる。多くの人がそうだとは言わないが、わかる人は意外といるはずである。ただ、そんなことを考えてはいけないし、まして、言ってはいけないと思っている。掲句はさりげない。それだからこそ重たい。母娘の関係や軋轢は永遠の課題であり、謎である。

〈開店と同時に膝が売れていく〉〈どの指も悲劇になりたがるらしい〉〈耳貸してください鼻お貸しいたします〉 「川柳カード」(創刊号 2012年刊)収録。

2012年11月29日木曜日

【新刊】ひらのこぼ著『俳句開眼 100の名言』

【新刊】
ひらのこぼ著『俳句開眼 100の名言』




【目次】

第一章 基本を習得する

1 深は新なり  高浜虚子「俳句への道」
2 私意をはなれよ  原 裕「俳句教室」
3 即かず離れず  林 翔「初学俳句教室」
4 見るから観るへ  稲畑汀子「俳句入門 初級から中級へ」
5 大づかみな季語を生かす  廣瀬直人「俳句上達講座 より深い作句をめざして」
6 けふの風、けふの花  中村汀女「中村汀女 俳句入門」
7 小さく詠んで大きく響かせる  橋本鶏二「写生片言 写生俳句への道」
8 確かに見ること  石田波郷「俳句哀歓 作句と鑑賞」
9 球を置きにいくな  堀口星眠「俳句入門のために」
10 季語で大景を整えよ  水原秋桜子「現代俳句手帖」
11 白紙で向き合う  星野立子「俳小屋」
12 ほんのちょっとズラす  辻 桃子「あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか」
13 余韻と連想  原 石鼎「俳句の考へ方」
14 「間(ま)」で転じる  長谷川櫂「俳句の宇宙」
15 一点主義  沢木欣一「俳句の基本」
16 種あかしはするな  楠本憲吉「新版 俳句のひねり方」
17 生活詠と季語  小川軽舟「魅了する詩型―現代俳句私論」
18 短歌は線、俳句は点  鈴木鷹夫「片言自在」
19 モティーフが季語を選ぶ  山口青邨「俳句入門」
20 大景を引き絞る  磯貝碧蹄館「俳句上達の10章」
21 語感の生むイメージ  鷲谷七菜子「現代俳句入門」
22 俳句と追体験  今瀬剛一「俳句・流行から不易へ」
23 季語の概念くだき  茨木和生「俳句入門 初心者のために」
24 一は全  阿波野青畝「俳句のよろこび」
25 俳諧は三尺の童にさせよ  松尾芭蕉「三冊子」

第二章 表現力を磨く

26 俳句は白黒テレビ  飯田龍太「龍太俳句作法 内容と表現」
27 アンバランスのバランス  中島斌雄「現代俳句の創造」
28 季節を香らせる  能村登四郎「俳句実作入門」
29 面白いということ  飯島晴子「俳句評論 葦の中で」
30 俳句は日記  岡本 眸「俳句は日記」
31 単純さの味わい  荻原井泉水「俳句の作り方と味い方」
32 季語の連想力を借りる  小澤 實「俳句のはじまる場所 実力俳人への道」
33 詩的な拡がり  高柳重信「バベルの塔」
34 われ生きてあり  西東三鬼「俳句を作る人に 現代俳句入門」
35 思いを喩える  金子兜太「金子兜太の俳句入門」
36 沈黙の文学  秋元不死男「俳句入門」
37 猥雑さの真実  穴井 太「俳句往還」
38 地名は音感を生かして  佐川広治「俳句ワールド 発想と表現」
39 抽象的写生  後藤比奈夫「今日の俳句入門」
40 俳句は「モノボケ」である  千野帽子「俳句いきなり入門」
41 俳句の凝縮力  阿部筲人「俳句 四合目からの出発」
42 時間が見えてくる句  榎本好宏「俳句入門 本当の自分に出会う手引き」
43 助詞「の」が生む幻想  仁平 勝「俳句をつくろう」
44 壮大雄渾なる句  正岡子規「俳句の出発」
45 映像の復元力  角川春樹「『いのち』の思想」
46 ため息の「間(ま)」  藤田湘子「俳句作法入門」
47 暗誦しやすい句  山下一海「俳句への招待 十七音の世界にあそぶ」
48 否定形の効用  大橋敦子「俳句上達講座 俳句をより新しく」
49 みずみずしさを詠む  岩井英雅「俳句の天窓」
50 季語で力を抜く  正木ゆう子「起きて、立って、服を着ること」

第三章 トレーニング法

51 眼前直覚  上田五千石「俳句に大事な五つのこと」
52 カメラを捨てよ  江國 滋「俳句旅行のすすめ」
53 詩は身辺にあり  皆吉爽雨「写生句作法」
54 象徴とは心の具象化  富安風生「俳句の作り方」
55 俳句スポーツ説  波多野爽波「波多野爽波全集第三巻」
56 微妙な季節感  鷹羽狩行「俳句のたのしさ」
57 言葉の抽斗(ひきだし)  櫂未知子「俳句力 上達までの最短コース」
58 感動を素早く冷やす  池田澄子「休むに似たり」
59 庶民哀歓の呟き  草間時彦「伝統の終末」
60 直感でつかむ  成田千空「俳句は歓びの文学」
61 発見のおどろき  右城暮石「右城暮石俳句入門」
62 平淡の境地  岸本水府「川柳入門」
63 写生の基本は「地理」  岡田日郎「山と俳句の五十年」
64 私に帰る  野澤節子「女性のための俳句入門」
65 都市を詠む  鈴木太郎「太郎の体験的俳句入門」
66 季題を演じる  岸本尚毅「俳句の力学」
67 「や」の働きは三つある  高橋睦郎「私自身のための俳句入門」
68 貧しさの風流  森 澄雄「俳句燦々」
69 こころの鏡  伊藤敬子「新しい俳句の作り方―中級篇」
70 季語で暮しを詠む  清水基吉「俳句入門」
71 食べ物を詠み分ける  鍵和田秞子「俳句入門 作句のチャンス」
72 官能の修練  河東碧梧桐「新興俳句への道」
73 「風土記」を綴る  佐藤鬼房「俳句エッセイ集 片葉の葦」
74 時間を描く  佐藤紅緑「俳句作法」
75 「情」の写生  大野林火「現代俳句読本」
76 読みを利かす  山口誓子「日本の自然を詠む―現代俳句の道を拓いて」

第四章 マンネリを脱出する

77 具体的体験の抽象化  寺山修司「寺山修司の俳句入門」
78 思い出の糸をたぐる  安住 敦「俳句の眼―句作の手引」
79 難解をおそれるな  阿部完市「絶対本質の俳句論」
80 俳句は片言の詩  坪内稔典「俳句のユーモア」
81 自然の真実に感応せよ(真実感合)  加藤楸邨「加藤楸邨初期評論集成 第一巻」
82 第六感で作る  棚山波朗「俳句はいつも新しい」
83 精神の風景を詠む  岡井省二「槐庵俳語集―俳句真髄」
84 ナンセンスにひそむ真実  小島厚生「俳諧無辺 俳句のこころを読み解く36章」
85 連想を紡ぐ  中村苑子「私の風景」
86 滋味のある諧謔  永田耕衣「俳句窮達」
87 ひらきなおり  時実新子「川柳を始める人のために 新子の川柳入門」
88 一片の鱗の剥脱  三橋鷹女「羊歯地獄」
89 内観造型  石原八束「俳句の作り方」
90 精神の強靭さ  柿本多映「ステップ・アップ 柿本多映の俳句入門」
91 川柳というサプリメント  坊城俊樹「俳句入門迷宮案内」
92 記憶を風化させよ  橋 閒石「俳諧余談」
93 直(ちょく)に立つ句  澁谷 道「あるいてきた」
94 通俗の味わい  片山由美子「現代俳句との対話」
95 季題に象徴させよ  中村草田男「新しい俳句の作り方」
96 短さの恩寵  平井照敏「現代俳句の論理」
97 ユーモアに昇華された悲しみ  仁平義明「百人のモナ・リザ ―俳句から読む心理学―」
98 差し向いの淋しさ  田口一穂「俳句とつき合う法」
99 縄だるみの曲線  加倉井秋を「武蔵野雑記」
100 言葉の意味を消す  攝津幸彦「俳句幻景」

2012年11月28日水曜日

●青春

青春

青春や祭りの隅に布団干し  須藤 徹

捨てマッチ地に燃え青春は霧か  宮坂静生

青春のすぎにしこゝろ苺喰ふ  水原秋櫻子

ねとねとと糸ひくおくら青春過ぐ  小澤 實

斑猫やわが青春にゲバラの死  大木あまり

青春やこくるちくるの明易き  高山れおな〔*〕


〔*〕高山れおな句集『俳諧曾我』「7 パイク・レッスン」より

2012年11月27日火曜日

●洛外沸騰記事探索中脱線 野口裕

洛外沸騰記事探索中脱線

野口 裕



先週末に京都であった、現代俳句協会青年部シンポジウム「洛外沸騰 今、伝えたい俳句残したい俳句」。すでに半年前から予定が入り、当日は放送機器と格闘中だった。行けなかった当方は指をくわえているだけだが、知り合いが多数関わっているだけに少々残念ではある。

心残りがあるせいか、どんな様子だったかを誰か書いていないかと、さきほどあちこち見て回った。まとまった報告としては、

曾呂利亭雑記
http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html
週刊「川柳時評」
http://daenizumi.blogspot.jp/2012/11/23.html
『日々録』ブログ版
http://blogs.yahoo.co.jp/hisazi819/archive/2012/11/18

などが目についた。その中で、週刊「川柳時評」氏の、
パネルディスカッションの前半は結社と主宰の話であった。
俳人はなぜこんなに結社や主宰の話が好きなのだろう。
「新撰21」の竟宴の際に、アンソロジーに出す百句を主宰に事前に見てもらったかどうかがとても重大なこととして話題になったときにも私は違和感を持った。
という記述から、若かりし頃「徒弟」という言葉を意識しつつ実験物理を選んだことを回想してしまった。

その頃師事していた教授を師匠と呼ぶようなことはなかったが、将棋の世界の内弟子制度にふれた中平邦彦著「棋士その世界」(講談社)や、初の外国人力士として相撲社会の徒弟制度に触れた雑誌「NUMBER」(文藝春秋社)の高見山のインタビュー記事などを、興味深く読んだことを思い出す。

しかし、理想的な結社とか主宰を語る人々は見果てぬ夢を見ているのではないか。現代という情報の溢れている時代と、徒弟制度とのずれは埋めきれないのではないか、というのが結果として途中で「徒弟」であることを辞めた人間の見るところだが、そうした感想と今週号の週刊俳句に掲載されている江里昭彦氏の記事「角川書店「俳句」の研究のための予備作業 〔中〕」で紹介されている上田五千石の文章、
だが、雨後の筍のように無定見に主宰誌ができ、結社がつくられていく現状はいかんともしがたいであろう。結社とは、それが在るべき論理と倫理に支えられて必然的に、公に許されて生まれてくるもの、という理念の欠如は、総合誌の指導性をもっても埋められるものではないだろう。

また現に在る結社にしても、伝統あるものは多く代替わりをして、その創成期のエネルギーを喪失し、その他も俳句観不分明にして存続経営しているのみという慣性を帯びて、活性力を減じているのが多く、しかも結社間交流というより個人的交際の揚が広がった今日、結社の特殊、ことにその厳粛性は著しく褪色している。これを「結社の時代」として鼓舞するのはなかなか困難である。
は、奇妙に当方の感想とシンクロしている。


【追記】
書き上げてから見てみると、「曾呂利亭雑記」に、関連する新しい記事が上がっていた。
http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp/2012/11/blog-post_25.html

入れ違いだったようだ。

2012年11月26日月曜日

●月曜日の一句〔喜多昭夫〕 相子智恵


相子智恵







冬銀河散らかつてゐる俺の骨  喜多昭夫

句集『花谺』(2012.11 私家版)より。

大気が澄み、凍てた冬空。満天の星の光は鋭く白くきらめく。そんな冬の銀河を見上げながら、星々の中に(あるいは自分の体の中を夢想して)散らかった自分の白い骨を見出している。

掲句の次ページには〈寒卵みたいな俺の涙かな〉という句もあって、両方読むと、真っ白で硬質、ドライな〈俺〉の身体感覚が立ち上ってくる。その突き放した身体性は諧謔味を生み出し、過剰な自己意識はかすかな笑いに変えられて、読者の心に不思議と爽快感を残す。

掲句は〈散らかつてゐる〉であって、「散らばって」ではない。この一語の違いはとても大きい。自然な状態で散らばっているのではなく、マイナスの意味の強い「散らかる」の突き放し方で、自嘲的に世界からの異物感を強めた。自意識を注意深く突き放して笑いに変換しながら、それでも青春性ともいうべき「伝えたがりの自己」は滲みだす。

俳句という文芸のもつ、そんな自律した大人の形式と、そこからはみ出さんする青年的な熱情のあわいが、私は好きだ。

2012年11月25日日曜日

〔今週号の表紙〕第292号 囲炉裏端 橋本 直

今週号の表紙〕第292号 囲炉裏端

橋本 直



仲間と戸隠の冬の森で遊ぶのが恒例になっていて、これは宿の囲炉裏です。句会をやっている最中。和っぽい感じですけど、炭火は薪ストーブの薪の欠片をはこんでいて、焼いてるのはマシュマロ。焼くとトロトロになっておいしいです。


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2012年11月23日金曜日

●金曜日の川柳〔古谷恭一〕 樋口由紀子



樋口由紀子







膝を抱く土佐は遠流の国なれば

古谷恭一 (ふるや・きょういち) 1948~

「遠流」とは最も重い流罪のことである。佐渡や隠岐に流されたとは聞いたことはあるが、土佐もそのような土地であったらしい。「なれば」で終っているのだから、何かを問われての答えだろうか。その土佐に生まれ育ち、今の私が存在する。だから、哀しく、愚かで、滑稽なのかもしれない。それは土佐に生まれ育ったこだわりと自負である。歴史的演劇的操作を施した、諧謔性のある川柳である。

今の社会に合わせられないもの、すんなりといかないものを抱えている。しかし、上手く立ち回れないゆえの自分であり、完璧でないゆえの思念がある。膝を抱えながら、作者はきっとそう思っているに違いない。

〈この世にはこの世の音色 骨の笛〉〈白桃をむけばおののくわが齢〉〈赤とんぼ遊びつくしていなくなる〉 『現代川柳の精鋭たち』(北宋社刊 2000年)所収。

2012年11月22日木曜日

2012年11月21日水曜日

●便器

便器

屈葬めく夜明けの便器ほととぎす  中島斌雄

ウンコなテポドン便器なニッポン  渡辺隆夫

冬日くまなし便器は死後のつややかさ  高野ムツオ


2012年11月19日月曜日

●月曜日の一句〔西山 睦〕 相子智恵


相子智恵







雪吊をして雪を呼ぶ湖北かな  西山 睦

句集『春火桶』(2012.9 角川書店)より。

庭木の枝を雪から守る〈雪吊〉を、雪への備えとして受動的に詠むのではなく〈雪を呼ぶ〉と詠んだ。雪吊をした木々が、雪を恋しく呼んでいるというのだ。

それは白居易の詩「殷協律に寄す」の一節「雪月花の時 最も君を憶ふ」を思い出させる。雪・月・花という季語が持つ“人恋しさ”の原点に、この句はつながっている。

雪吊は金沢の兼六園などが有名だが、伊吹山を望む琵琶湖の北〈湖北〉も雪の多い土地で、雪吊が風物詩となっているそうだ(冬に訪れたことがないので、実際に見たことがないのが残念)。

雪吊をした木という近景から、地名に転じて大きな句となっている。この地名からは琵琶湖の水が思われてきて、雪と水とが清らかに響き合う。そして繰り返される「K」の音の硬い響きに、唱えるだけで寒さがやってくるような、凛とした風情を感じる。清潔で瑞々しい、立句の風格のある句だと思った。

2012年11月18日日曜日

〔今週号の表紙〕 第291号 カモメ 小津夜景

今週号の表紙〕 
第291号 カモメ

小津夜景


前に住んでいた都会の海。
波の汀に、カモメが品よく並んでいる。

この町の海辺には、子どものカモメが全くいなかった。
いつも大人だけがあそびに来て、外界に興味のない面持ちで、のんびりと散歩するのである。
成長してもあまり大きくならない種らしく、すっきりとしたその姿は砂浜にばらまいた小花のようで、見飽きなかった。

ところかわり、今住んでいる田舎は近所に巨大な団地と化した崖があって、出産&子育てが非常に盛んである。
それで海辺も、おびただしい子どもの声で凄いことになっている。
どうやって砂浜まで来たの?と声をかけたくなるほど小さな灰色の幼児や、ウリ坊じみた茶褐色の児童、お世辞にもきれいとは言いがたいまだら模様の少年少女(でも毛は柔らかそうな感じ)等が、歩く練習や飛ぶ練習をしたり、人に近づいてきたり、ひどくせわしなく、これはこれで見飽きない。


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2012年11月16日金曜日

●金曜日の川柳〔寺西文子〕 樋口由紀子



樋口由紀子







フンフンとお好み焼を裏返す

寺西文子 (てらにし・ふみこ) 1941~

関西人は粉もんが好きである。たこ焼き器はほとんどの家にある。ちなみに我が家には大中小と三つあり、人数や用途によって使い分けている。お好み焼きも好物だ。関西のお好み焼屋の店の多さに他県の人は驚く。

「フンフン」とは相槌である。お好み焼を焼きながら、友だちの悩み事の相談か愚痴を聞いているのだろう。話はまだまだ終りそうにないけれど、目の前のお好み焼の下半面はおいしそうに焼きあがってきている。「それで、どうしたん?」と相手の話に受け答えしながら、コテで裏返して、もう半面を焼く。

焼き上がっても話は終りそうにないが、とりあえず熱いうちに食べることにする。フーフーとお好み焼をほおばっているうちに友人の気持ちも静まってくる。「考えてもしゃあないわ」「ほんまほんま」「ここのお好み焼はいつ来てもおいしい」「またこよね」、といつものパターンに落ち着く。人の心の動きを上手くとらえている。『主婦の星』(編集工房円刊 2004年)所収。

2012年11月14日水曜日

●phallus

phallus
 

わが魔羅の日暮の色も菜種梅雨  加藤楸邨

脹らめどなほ包茎のチューリップ  高橋 龍

冬銀河ほろと男根垂らしたり  糸大八

夏惜しむフランスパンも男根も  高野ムツオ

その朝の夢の猟銃なる角度  佐山哲郎

わたくしに無きもの魔羅やお月さま  榎本 享〔*〕


〔*〕榎本享『おはやう』(2012年10月18日・角川書店)


2012年11月13日火曜日

〔今週号の表紙〕第290号 紅葉 西原天気

今週号の表紙〕 
第290号 紅葉

西原天気



紅葉が年々遅くなるような気がしている。私が暮らす東京西郊は、街路樹の銀杏がまだ青い。大学通りと呼ばれる広い通りは、毎年12月になると街路樹の銀杏にクリスマス用のイルミネーションを施すが、近年はなかなか葉が落ちてくれず、一度などは葉を刈って、電球と電線を巻きつけたらしい。

季語的には、紅葉・黄葉は秋季。ところが、日本の大方の地域では、11月も深くならないと本格的に紅葉しない。その意味での季語とのズレについては、島田牙城さんも「輸入品の二十四節気とはずれがある」は間違ひだ!」という記事の最後で触れている。

さて、この写真。撮影したのは2009年10月23日(デジカメは撮影日時がデータとして残るので便利です)。場所は北海道のどこか(どの町だったかは忘れました。デジカメもそこまでは記録してくれません)。

さすが北海道。10月下旬で街路樹が充分に紅葉しています。



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2012年11月12日月曜日

●月曜日の一句〔柴田千晶〕 相子智恵


相子智恵







変則的だが、今回は詩集を紹介したい。作者の柴田千晶氏は詩人であり俳人、脚本家でもある。
喇叭

美しき白紙冬野を子ははみ出す

微熱が続いて、左足が痺れている。そんな日が幾日か続いて、私はあの幻聴を聞くようになった。水の中を潜り抜けてきたような、うら淋しい喇叭の音。間延びした進軍喇叭の音だ。
螺鈿のような鱗雲が広がる冬の空から、それは聞こえてくるのか、いや違う、それは私の躯の奥深い処から聞こえてくるようだ。


柴田千晶 詩集『生家へ』(2012.10 思潮社)より。

掲げたのは「喇叭」という詩の一章である。冒頭に置かれた俳句に呼応して、詩が続いてゆく。本書はすべてこのスタイルで書かれた一冊。〈ここ十年ほど、自作の俳句が内包するイメージと格闘するように詩を書き続けてきた。詩と俳句が遙かなところで強く響き合う、そんな世界をめざして〉とあとがきにはある。

冒頭の句からは「誕生」がイメージされる。子どもが一人、はみ出す。その清らかな祝福の白紙はしかし、すぐに寒々しい冬枯の野へと展開されてしまう。生まれたが最後、死へ向かって歩みだすしかない人間の運命の寒々しさのように。

その後に続く体の奥深くから聞こえる〈水の中を潜り抜けてきたような、うら淋しい喇叭の音〉からは、今度は母体が聞く胎児の音を思う。こちらは「出産」をイメージする。「生み出されたものと、生み出したもの」がこの詩には同時に描かれている。

柴田氏は一貫して、性と生への違和感を生々しく書き続けている作家だが、この俳句と詩が響き合う詩集は、一冊を読み終えると小説のようでもある。俳句、詩、物語として重層的に、それら三つを凭れさせずに成立させるというのは、溺れているようで溺れていかない冷静な筆力によって成り立っている。他者には真似できない膂力のある一冊だと思う。


2012年11月11日日曜日

●落選展を開催しております

落選展を開催しております


2012 落選展 Salon des Refusés ≫見に行く

感想などご自由にコメントしていただければ幸いです。

2012年11月10日土曜日

〔おんつぼ44〕ジョルジュ・ドルリュー 西原天気

おんつぼ44
ジョルジュ・ドルリュー
Georges Delerue



西原天気

おんつぼ=音楽のツボ



華やかな哀愁、だなんて、なんとダサい言い方。もっといい表現はないか。

ジョルジュ・ドルリュー(1925年3月12日-1992年3月10日)はトリュフォーの映画音楽で知られる作曲家。『ピアニストを撃て』から始まって(ざっと数えると)11本のトリュフォー作品でドルリューが映画音楽を担当している。

Francois Truffaut's La Nuit Americaine Theme


華やかだけれど、安っぽくない。哀しいけれど、重くれない。ドルリューの曲はいつでも優雅に若い。

2012年11月9日金曜日

●金曜日の川柳〔前田芙巳代〕 樋口由紀子



樋口由紀子







指が短いので哀しいのでしょうか

前田芙巳代 (まえだ・ふみよ) 1927~

足の長い人、目の大きな人、鼻の丸い人、いろんな人がいる。指が短いから哀しいのかと問う。当然手も小さいから、大切なものがこぼれおちたり、摑もうとしても摑みきれなかったものがあったのかもしれない。けれども、指が短いのが哀しみの原因ではないことは作者が一番よく知っている。

ほんの少し前まで女の人は今よりももっともっと生きにくかった。女性はこうあらねばならないという縛りが生活全般にあり、世の中に浸透していた。自分らしく生きることができずに、我慢したままの一生を終えた女性がたくさんいる。「哀しいのでしょうか」と言われると本当に哀しくなる。

〈母の櫛どこに置いてもふしあわせ〉〈面売りの最後の面は売りのこす〉〈馬よりも貧しく生まれ傘を干す〉 『しずく花』(1983年刊 川柳「一枚の会」)所収。



2012年11月8日木曜日

●めがね

めがね

オリオンや眼鏡のそばに人眠る  山口優夢

どぶろくや眼鏡のつるの片光り  太田うさぎ〔*

月夜かなめがねをかけた蝶々かな  金原まさ子〔**

さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく  飯島晴子

滝涼しともに眼鏡を濡らしゐて  津川絵理子〔*

法師蝉眼鏡外して聞きゐたり  山口誓子

眼鏡きらきらと冷房に入り来たる  林 翔

中学生朝の眼鏡の稲に澄み  中村草田男


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より
〔**金原まさ子句集『遊戯の家』(2010年/金雀枝舎)




2012年11月7日水曜日

●喫茶

喫茶

かの夏に未だとどまる喫茶かな  依光陽子〔*

壁紙の花野にもたれ純喫茶  西原天気

鶴の羽いちまい降りし純喫茶  糸大八

高田馬場純喫茶白鳥にてくさる  攝津幸彦


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年11月5日月曜日

●月曜日の一句〔藤木清子〕 相子智恵


相子智恵







戦死せり三十二枚の歯をそろへ  藤木清子

宇多喜代子編著『ひとときの光芒 藤木清子全句集』(2012.10 沖積舎)より。

戦死した兵士。ふつう成人の歯の数は三十二本だから、それが一本も欠けずに揃っているということは、つまりは健康な若者だったということだ。

すべての歯を揃えたまま、健康だったこの男は戦地で死んだ。この歯は彼が生きていれば、もっと使われるはずだった。母や妻の料理をもっと食べられただろうし、友とたくさん話しただろう。歌も歌ったかもしれないし、接吻もしただろう。それがすべてかなわなくなった遺骨の、白くそろった三十二本の歯には、淡々と静かな悲しみが満ちている。

歯の本数の表現には「本」ではなく〈枚〉という言葉が選ばれている。〈枚〉の持つ語感のペラペラとした薄さは、重いはずのひとりの人生が「一兵卒」という軽さに変わっていくような、戦争の恐ろしさをも秘めているように思った。静かで重い、無季の句である。

本書は「スピカ」の神野紗希氏の紹介にもあるが、昭和十年代の新興俳句運動の時代に活躍した女性俳人である藤木清子を、宇多氏が30年という労力と私財を投じてまとめあげた編年体の全句集である。

前半ページ(清子が句作を始めたばかりの頃)は正直、言葉や思いが上滑りしている句も多く、なぜ宇多氏がこの俳人に注目したのか疑問に思いつつ読み進めた。だが、後半に行くにしたがい清子の句は俄然、緊張の光を帯びて鋭く輝いてゆく。それは日中戦争が激しさを増し、新興俳句が官憲に弾圧されていくのとちょうど呼応していた。悲しく切実な呼応であった。

収録された宇多氏の講演録から一部を引こう。
実作期間は短く残した作品もそう多くはない。新興俳句そのものが、藤木清子の俳句人生と同じく短命で、悲劇的でしたからね。それに、藤木清子は、けっして文学意識の高い教養人でもなければ、技巧的にすぐれた俳人でもない(中略)ただ、発言のむつかしいあの時代に、精一杯生きた女性が、偽りのない声を俳句という入れ物にどうにかして詰め込もうとして奮闘したわけですよ。無様だったかもしれない、失敗だったかもしれない。ところが、たとえば俳句作品年表を作成しようとするとき、どうしても避けて通れない一人です。これって大きいことですよね。いくら高い教養の持ち主で、人気者で、みんなにもてはやされる句を多く作ったからといって、どうということないじゃないですか。

2012年11月4日日曜日

〔今週号の表紙〕 第289号 壁 

今週号の表紙〕 
第289号 壁

西原天気




壁に抽象画のような模様を見つけた。

おそらく、外につながる配管がかつてはあって、用なしになったので、口を塞ぎ、その上から新しく塗料を塗ったのが右にある「丸」。そこは憶測できたが、 左の凹みがわからない。

なんだろう?

ちなみに「丸」が斜面を転がるように見えるのは、カメラを傾けたから。実際は水平の上に乗っかっている。だって、動きが欲しいじゃないですか。



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2012年11月3日土曜日

●ゴリラ

ゴリラ

ゴリラらのあぐらくずれる大暑かな  小沢信男

嵐の前ゴリラと歩調合わせけり  宮崎斗士

ゴリラ不機嫌父の日の父あまた  渡辺鮎太

牡丹見てそれからゴリラ見て帰る  鳴戸奈菜



2012年11月2日金曜日

●金曜日の川柳〔石部明〕 樋口由紀子



樋口由紀子







チベットへ行くうつくしく髪を結い

石部明 (いしべ・あきら) 1939~2012

石部明が10月27日に亡くなった。彼は華のある人で、現代の川柳を牽引してきた。彼の川柳は存在感があり、独自の光彩を放っていた。その光はまばゆいばかりのものではなく、漆黒の艶があった。

〈梯子にも轢死体にもなれる春〉〈ランドセル背負う死の国生の国〉〈間違って僧のひとりを食う始末〉〈死んでいる馬の胴体青芒〉 彼の川柳は死を詠んだものが多い。明るく陽気なのに、この世の外にいるような、ぞくっとさせるものがあった。そして、本当に逝ってしまった。

石部はチベットに行ったのだ。そこは私たちが知っているチベットではない。うつくしく結い上げた髪が哀しくて、つらい。セレクション柳人『石部明集』(邑書林刊 2006年)所収。



2012年11月1日木曜日

●十一月

十一月


石蕗の黄に十一月はしづかな月  後藤比奈夫

新しきナイフとフォーク十一月  川崎展宏

煙草の火十一月がすたすたと  美馬順子

ほとけおどけよる十一月のホットケエキ  攝津幸彦

ベッド組み立てて十一月の雨  皆吉 司

しおこんぶ十一月の雨はやみ  岡村知昭〔*


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年10月31日水曜日

●雑巾

雑巾


雑巾のまだ濡れてゐる落花かな  糸 大八

雑巾をかぶせられたる秋の蜂  岸本尚毅

寒き空より雑巾の落ち来たり  石田勝彦

雑巾が人の顔して凍ててをり  雪我狂流〔*

山笑ふ雑巾のみなあたらしく  津川絵理子〔*

雑巾をはやかけらるるつぎ木かな  一茶


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より



2012年10月30日火曜日

【俳誌拝読】『大』vol.23(2012年秋号』 西原天気

【俳誌拝読】
『大』vol.23(2012年秋号)

西原天気


編集・発行:境野大波。A5判、本文44ページ。

招待席5句より。

  風吹いて芭蕉の骨の鳴る日なり  梅津篤子

同人諸氏作品より。

  猿山の子猿の拾ふ秋のもの  境野大波

  長き夜の旗判定や白二本  青木空知

  雲の峰ざらつく紙に式次第  秋山 夢

  お参りはせぬ人と来て墓洗ふ  安達ほたる

  黒南風のまづ寄るソウル市場かな  荒井八雪

  風の道草の道なる通し鴨  安藤恭子

  ふきの葉の穴すけすけとなる芒種   石田遊起

  熊除けの鈴の聴こゆる緑雨かな  井関雅吉

  ゴーヤつてしみじみ強しうらやまし  市川七菜

  ベランダの芥の中に蛾が白し  榎本 亨

  下闇や竹の持ち手の虫めがね  遠藤千鶴羽

  数百の蝉の震へに目覚めけり  奥村直子

  コカコーラの瓶の流れてゆく夏野  尾崎じゅん木

  廃線の枕木ごとに夏果つる  尾野秋奈

  掬ひては水羊羹の滑り落つ  かたしま真美

  秋風や前三輌は海へ行き  川島 葵

  八月の一合だけの米を研ぐ  きたかさね

  夕立の音のあかるきアーケード  佐山薫子

  雨匂ふ葦簀の匂ふまひるかな  高畑 桂

  すこしづつ祭りの町となりゆける  武井伸子

  朝顔や留守のあひだに交配し  土岐光一

  夏の鳥金属片のごと飛べり  中村瑞枝

  影に入る晩夏のビルの影を出て  花房なお

  前菜のずらり赤くて半夏生  双葉

  お供物を頭で運ぶ素足かな  古瀬夏子

  青嵐渦にあぶくに流れたり  前田りう

  万緑の真中におはす女郎蜘蛛  八重樫闊歩

  花茣蓙の広げしものと巻かるると  山下きさ

2012年10月29日月曜日

●月曜日の一句〔堀本裕樹〕 相子智恵



相子智恵







紀の国の水澄みて杉澄みまさる  堀本裕樹

句集『熊野曼陀羅』(2012.9 文學の森)より。

〈紀の国〉は紀伊の国、現在の和歌山と三重県南部の一帯に当たる。〈紀の国〉は一説には、7世紀に国が成立した当初は「木国(きのくに)」であったとも。雨が多く森林が生い茂っている様子から名付けられたともいわれる。

掲句、まるで国誉めのようだ。天地すべての水が澄み渡る秋の季語〈水澄む〉で、まず〈紀の国〉の水の美しさを讃え、さらにその水を得た杉が〈澄みまさ〉っていくと讃える。この杉に熊野古道を思う。まっすぐ天へ伸び、その尖った天辺に神が降りてくると考えられた神聖な杉だ。水も木も澄む熊野という地への捧げ物のような一句である。

俳句で「風土詠」という言葉、もうあまり聞かなくなった。日本全国が東京のサバービアのようになってしまった現代では、風土といってもピンとこない人も多いだろう。和歌山県出身の作者のように、大振りな風土詠が特徴の作家は、若手俳人を見渡してもほとんどいない。氏の句の中には過剰な演劇性も見られるが、それは神に捧げられた古代の演劇のような、熊野の地霊への身振りにも思われる。多くの若手の作風がサバービア的な軽さに傾くなか、その対極として注目したい作風である。

2012年10月28日日曜日

〔今週号の表紙〕 第288号 紅玉 西原天気

今週号の表紙〕 
第288号 紅玉

西原天気




東京・国立市では毎年11月の初めに「天下市」というお祭りがあります。地元の商店会や企業が歩道のテントに店を出す。あるいは遠い町から物産品を売りにやってきたりもする。人がごった返すなかを見て回るのは、ちょっと骨が折れますが、楽しくもあります。

今年の天下市は次の週末(≫こちら)。



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2012年10月27日土曜日

●十三夜

十三夜


くちびるとジャムのふれあふ十三夜  津久井健之〔*

読まぬ書の砦づくりに十三夜  角川源義

本棚に本の抜け穴十三夜  火箱ひろ

竹寺の竹のはづれの十三夜  岸田稚魚

大皿に蟹のけむりぬ十三夜  村上鬼城

漢方の百の抽斗十三夜  有馬朗人

麻薬打てば十三夜月遁走す  石田波郷

宙吊りの豚はももいろ十三夜  仙田洋子

十三夜畳をめくれば奈落かな  河原枇杷男

立ちざまに足の触れ合ふ十三夜  太田うさぎ〔*


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より 

2012年10月26日金曜日

●金曜日の川柳〔海地大破〕 樋口由紀子



樋口由紀子







回転鮨はこの世の果ての如くあり

海地大破 (うみじ・たいは) 1936~

世の中にはよくわからないものや不思議なものが数多くある。けれども、ふつうは回転鮨をこのようには思わない。作者は色とりどりの鮨が次々とベルトコンベアに乗って運ばれてくるのがこの世の果てに見えたのだろう。

いまでこそ回転鮨は見慣れたものになったが、登場したときは驚いた。現代の知恵と技術を駆使した合理的なものである。それを非合理なものとしてとらえている。すべてのモノやコトは合理的にとらえ切れるものではない。謎がある。「回転鮨は」の「は」で描写に粘着力が出た。

〈はらわたに仏が降りてきて眠る〉<転生のよさこい節を口ずさむ〉 思いや感情を骨格太く描けるのは自己の拘泥と覚悟があるからだろう。世界と向き合っている作者がいる。『現代川柳の精鋭たち』(北宋社刊 2000年)所収。


2012年10月25日木曜日

●きれい

きれい


馬の尻の綺麗に割れて菫咲く  中村和弘

いちばんのきれいなときを蛇でいる  岡野泰輔〔*

竹植ゑてそれは綺麗に歩いて行く  飯島晴子

私より彼女が綺麗糸みみず  池田澄子

至の日きれい植木屋木の上に  山口青邨


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より 
 ●

2012年10月24日水曜日

●肛門

肛門

肛門で腸終りたる初茜  寺澤一雄

肛門を今蔵いけり夏の空  永田耕衣

鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽  金子兜太

世界よりマイナスされしアヌス哉  武田 肇

内科歯科風に吹かれて肛門科  山本勝之

烏山肛門科クリニックああ俳句のようだ  上野葉月

凧ぬっと太陽肛門へ  九堂夜想

ゆふがほの路地は胃腸か肛門か  西原天気

人死ねば肛門開く大暑かな  林 雅樹〔*


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より


2012年10月23日火曜日

●2012 落選展作品募集のお知らせ

2012 落選展作品募集のお知らせ
出展50句作品募集!

角川俳句賞角川俳句賞角川俳句賞角川俳句賞角川俳句賞角川俳句賞角川俳句賞
第58回角川俳句賞は、広渡敬雄さん「間取図」に決定いたしました。
おめでとうございます!

さて。

今年も『週刊俳句』では、「落選展」を開催いたします。

【ご参考】2011落選展 ≫読む 2010落選展 ≫読む

落選展から、毎年、多くの話題作が生まれています。

第58回角川俳句賞に応募され、惜しくも受賞ならなかった50句作品を、この落選展にお寄せください。


応募作品の全てを『週刊俳句』第288号(10月28日リリース)誌上に掲載いたします。(10月25日発売の「俳句」11月号誌上に掲載された作品は、発表を見合わせます)

また、掲示板への書き込みの形で、各作品に読者諸氏のご意見・ご感想をお寄せいただくことを、ご了承下さい。

送付〆切 10月26日(金)

送り先
村越 敦 atsushi.murakoshi@gmail.com
村田 篠 shino.murata@gmail.com
上田信治 uedasuedas@gmail.com
西原天気 tenki.saibara@gmail.com

電子メールの受付のみとさせていただきます。

書式:アタマの1字アキ等、インデントをとらず、句と句のあいだの行アキはナシでお願いいたします。

あわせて簡単なプロフィールを、お寄せ下さい。

ご不明の点があれば、上記メールアドレスまでお問い合わせください。
なにとぞ奮って御参加くださいますようお願い申し上げます。

2012年10月22日月曜日

●月曜日の一句〔峯尾文世〕 相子智恵



相子智恵







文語的暗がりに柿灯りゐる  峯尾文世

句集『街のさざなみ』(2012.8 ふらんす堂)より。

暗さに対して〈文語的〉という、飛躍のある機智が面白い句だ。

現代の話し言葉である「口語」に対して、平安時代語を基礎とした古い書き言葉である「文語」。いま作者の目の前にある暗がりとは、そんな文語の字面のように、黴臭くも、たおやかな暗がりなのだろう。実際、古い日本家屋の中の、秋の日差しの届かない場所を眺めているのかもしれない。

その暗がりを明るく灯すように置かれた〈柿〉。古来より日本人に愛されてきた柿という果物が〈文語的暗がり〉とよく響いていて、懐かしさを生んでいる。これがたとえば林檎や梨では、この味わいは出せないのではないか。林檎や梨のようにシャキシャキとストレートな歯ざわりは口語を連想させ、逆に柿のなめらかな歯ざわりは文語的な感じがする。

また、芭蕉に〈里古りて柿の木もたぬ家もなし〉という句があるが、昔の家の庭木にはよく柿が植えられていたということも、この句の機智に説得力を与えている。芭蕉の弟子・去来の草庵、嵯峨野の「落柿舎」も思い出された。




2012年10月21日日曜日

〔今週号の表紙〕 第287号 空は縞柄 矢野玲奈

今週号の表紙〕 
第287号 空は縞柄

矢野玲奈



衣替え完了。

クローゼットに並んだのは、黒や茶の暗い色の洋服ばかり。

花柄や水玉柄が減って、代わりに登場したのは豹柄。

会社に豹柄を着ていくのは難しいけれど、FちゃんのボーダーやMくんのチェックみたいに、着こなせるようになりたい。



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2012年10月20日土曜日

●海底

海底

海底を列車が走る青葡萄  糸 大八

海底のごとくうつくし末枯るる  山口青邨

海底は水にかくれて合歓の花  鳥居真理子

海底の隆起におのが寒き影  佐藤鬼房

海底の戦艦を発つ黒揚羽  高野ムツオ




2012年10月19日金曜日

●金曜日の川柳〔倉本朝世〕 樋口由紀子



樋口由紀子







少年は少年愛すマヨネーズ

倉本朝世 (くらもと・あさよ) 1958~

少女は女のにおいがするが、少年には男のにおいがしないと誰かが言っていた。「少年」という言葉には純粋性が漂う。「少年は少年愛す」のはあるだろう。しかも「愛す」だから、単に好きだというレベルではない。少年の存在そのものに向かっての意識が高まっていく。

が、なぜ「マヨネーズ」なのか。と、考えているうちにチューブからしぼり出る薄黄色のぬるっとした食感を思い出す。べっとりとして、艶々している。「少年は少年愛す」と「マヨネーズ」をぶつける二物衝撃ではなく、アナロジーだろう。二つ並ぶと好奇心とか嫌悪感を相殺して超えていく。二つが似ていると見た作者の知的直観が立ち上がった。

〈グラビアのからだちぎれる天の川〉〈童話のページ深くて桃は冷えており〉〈ふるさとは幾度も河へ倒れ込み〉『硝子を運ぶ』(詩遊社刊 1997年)所収。

2012年10月17日水曜日

●骨壺

骨壺

骨壺をはみだす骨やきりぎりす  杉山久子

眠りては骨壺となる白鳥ら  小林千史〔*〕

骨壺に桜散りこむ怒濤かな  須藤徹

骨壺に追ひすがるもの白き蝶   京極杞陽


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年10月16日火曜日

【俳誌拝読】『絵空』創刊号(2012年10月15日)

【俳誌拝読】
『絵空』創刊号(2012年10月15日)

西原天気



中田尚子、山崎祐子、茅根知子、土肥あき子の4氏により創刊された同人誌。季刊。A5判、本文16ページ。前半に各氏、見開きに12句ずつ、中ほどに2012年8月15~16日の「いわき吟行」の記録。後半は、いわき吟行句を各氏8句ずつを掲載。


始まつたばかりの時間雲の峰  中田尚子

蜻蛉の自在よ豊間中学校  山崎祐子

長き夜のはじめに窓枠のありぬ  茅根知子

咲ききつて蓮に羽音のよぎりけり  土肥あき子


連絡先e-mail esora@sky.so-net.jp

2012年10月15日月曜日

●月曜日の一句〔岩永佐保〕 相子智恵



相子智恵







口中に一枚の舌神の留守  岩永佐保

句集『迦音』(2012.9 角川書店)より。

旧暦なので今からちょうど一ヶ月ほど先のことになるが、旧暦十月の神無月には、八百万の神々は出雲へと旅立ち、出雲以外は〈神の留守〉となる。出雲に一堂に会した神々は、翌年の男女の縁結びを定めると信じられた。

そんな〈神の留守〉を、自身の口の中にある〈一枚の舌〉と取り合わせている。何の関連もない二つのものが響きあって不思議な一句となった。この取り合わせに説明はつかない。

思えば、生まれたばかりの赤ちゃんが泣いて意志表示をしたり、乳を飲むとき。舌はもっとも根源的な器官ではあるまいか。そんな原初の官能を〈一枚の舌〉は持っている。
そして詩もまた、手よりも先に舌とともにあった。いにしえの詩の言葉は舌を通じてうたわれて、神々への祈りとなった。

太々とした原初の感覚と詩の起源を、神無月の〈一枚の舌〉は思い起こさせてくれるのである。




2012年10月14日日曜日

〔今週号の表紙〕 第286号 山頂

今週号の表紙〕 
第286号 山頂

小川由司(写真) 西原天気(文)





「今度いっしょに登りましょう」というメールが数葉の写真付きで、カメラマンの小川さんから届いた。

おお、富士山!


ああ、気持ちいいだろうなあ。登りたい。でも、きついだろうな、体力いるな。


小川由司・ウェブサイト


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2012年10月13日土曜日

【新刊】今井聖『部活で俳句』

【新刊】
今井聖『部活で俳句』


2012年8月22日/岩波ジュニア新書


「男子校の英語教師」の語りでテンポよく始まるが、物語仕立ては第一章のみ。第二章以降は、一般的な俳句入門書のスタイルとほぼ同じ。ただし、切れや季語、定型などの約束事は、あとの章となり、「Ⅱ 俳句は日常だ」「Ⅲ 写す俳句 感じる俳句」の章が前に置かれたところが特徴的。俳句へのスタンスのようなものが重視されているということだろう。

例句として、過去の作家・有名作家の句だけでなく、俳句甲子園に出場した高校生の句も数多く掲げる点がユニーク。 (西原天気・記)



2012年10月12日金曜日

●金曜日の川柳〔井上一筒〕 樋口由紀子



樋口由紀子







警告が出て押す理容院の椅子

井上一筒 (いのうえ・いーとん) 1939~

「理容院の椅子」にドキリとしたが、その意味はよくわからない。ただ、鮮明に情景が浮かび上がった。なぜ「理容院の椅子」なのか。警告が出たら、他にしなければならない大事なことがある。が、ふとそこがこの句のポイントであり、おもしろさなのかと思った。何かへんと思わすところが、いや何かヘンだと思ってしまう深層心理を突いている。

「理容院の椅子」を押す人があってもいいのである。道徳的倫理的に自分勝手だとひと括りされることへの、それこそ警告なのだ。「理容院の椅子」を押すことは定められた世界への反抗である。上からあてがわれた情報や価値観に統一されることへのアイロニカルな視線がある。「第六回浪速の芭蕉祭」(2012年 鷽の会刊)収録。

2012年10月11日木曜日

【俳誌拝読】『都市』2012年10月号を読む 西原天気

【俳誌拝読】
『都市』2012年10月号を読む

西原天気



発行・編集人:中西夕紀。A5判、本文42ページ。巻頭に、筑紫磐井「俳句の歴史入門講座26 季語25 二十四節気インタビュー」、大庭紫逢「現代川柳考3 川柳の成立」。ほか、栗山心「俳句月評(第12回)十年生が読む入門書」では、『十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う』(堀本裕樹/カンゼン)、『決定版 俳句入門』(『俳句』編集部/角川学芸出版)の2冊を取り上げる。

以下、会員諸氏の作品から気ままに。

新神輿金銀よりも白木美し  中西夕紀

写真ボックス白靴の足かしこまる  砂金 明

砂浜の荷物の番やサングラス  坂本遊美

孑孒に鉢の深さの足らざるに  田中翔子

なけなしの奥歯削られ青嵐  安藤風林

風鈴や全集すべてばら売りに  栗山 心

蟇歩む金環蝕の小くらがり  桜木七海

走り根の瘤五つ六つ木下闇  高見 悠

聖五月鳥の持ち去る鳥の羽  野川美渦

木漏れ日に日蝕の影風薫る  丸山 桃

亀虫の若葉一枚頼りとし  森 有也



2012年10月10日水曜日

●kisses

kisses

キスする感じかな家人刈る芒  井口吾郎

接吻映画見る黴傘に顎乗せて  清水基吉

目で交はすくちづけよけれ秋扇  大田うさぎ〔*

キス初めて昆虫館の潜む森  坪内稔典


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より



2012年10月9日火曜日

【俳誌拝読】『里』2012年6月号を読む 西原天気

【俳誌拝読】
『里』2012年6月号を読む

西原天気



発行人:島田牙城、編集人:仲寒蟬。A5判、本文36ページ。以下、同人諸氏の作品から気ままに。

饐飯や隣の屋根にいなびかり  狼耳

足で掻く足の裏側明易し  秋山菜穂

つちのこは本当にいる梅雨に入る  洋子

花衣屍のごと重なりぬ  仲 寒蟬

さばへなす神ぞ長湯に居眠るは  島田牙城

ベランダより落ちてブラウス靴その他  谷口智行

無花果の葉のごわごわの母を嗅ぐ  男波弘志

茄子の花ふつうに育ちふつうに嫁ぐ  木綿

半分は自分羊羹切るときも  湾 夕彦

サイダーの泡の向うを影過ぎる  ひらのこぼ

蝌蚪の水生活感のありにけり  きびのもも

六月のととのつてゐる木のかたち  水内和子

しあわせに直径ありぬしゃぼん玉  月野ぽぽな

月夜かな広場におばあさん踊る  小林苑を

日めくりをめくりたそうな冷奴  倉田有希

押す釦押せばカチリといふ薄暑  上田信治

秋の川棒をつかつて渡りけり  佐藤文香

 ●

上田信治「成分表77」は、差異化と価値について。

際限のない差異化のループ(違うから惹かれ、それに慣れる=飽きると、別の差異化を求める)から脱して、パスコの「超熟」を毎朝のトーストにすることとは?


そのうち週刊俳句に転載されるはずですから、そのときまたゆっくり考えてみればいいことですが、自分の言い方で言えば、「パンて、もともと美味しいものだから。美味しくなければ、こんなに長いこと食べてこなかったわけだから」ということでしょうか。「もともと美味しいもの」というのを忘れた人が差異化ゲームに走るのかもね、と。


ちなみに「超熟」って一度食べてみたのですが、私とは相性が悪かったんですよね。だからって、軽井沢からパンを取り寄せたり、フランス人ブーランジェの大きな写真を飾った店にわざわざ買いに行ったりは、絶対にしませんけれど。

2012年10月8日月曜日

●月曜日の一句〔橘いずみ〕 相子智恵



相子智恵







ビーカーの水の沸騰鰯雲  橘 いずみ

句句集『燕』(2012.9 ふらんす堂)より。

ここへ来てようやく秋らしい空を楽しめるようになった。

掲句、学校の理科室での、実験の風景だろうか。ガラスのビーカーの中には、澄んだ秋の水がぽこぽこと、透明な泡を吐き出している。ふと目を転じて窓から見上げた空には、鰯雲。

沸騰したお湯の細かな気泡と鰯雲にはどことなく似た雰囲気があって、透明感のある気持ちのよい取り合わせとなっている。

掲句が見せているのは沸騰したビーカーの水と、鰯雲という「物」だけだが、そこから澄んだ気持ちのよさや、学生時代の懐かしい日々、その頃の“ここではないどこか”を夢見るような心が、次々と引き出されてくる。

「俳句は物に託して詠む」と当たり前のように語られたりするが、物だけを詠み、そこに“陳腐”と“独りよがり”のどちら側にも落ちない“一本の共感の稜線”を見出すことは、意外と高度なバランス感覚を要するのだと、あらためて思う。



2012年10月7日日曜日

〔今週号の表紙〕 第285号 大英博物館のモザイク壁画 橋本直

今週号の表紙〕 
第285号 大英博物館のモザイク壁画

橋本 直




たしかポンペイからもってきたものだったと書いてあったような気がするが、なにせ広すぎる大英博物館のことなので記憶に自信はない。このモザイク、随分緻密できれいだけど、なんとも不思議な画。二隻の舟にそれぞれ裸の男がふたり乗っていて、網を引いている。しかしその網にかこまれて捕まりそうなのは、魚じゃなくてみんな陸の動物ばかり。ヒョウやダチョウやオオトカゲなんかがいるところをみると、どうもアフリカのようだけれども、どういったわけでこんなモティーフなのかは謎です。他にもワニに乗る大道芸人の像とか、こんな(下写真)素敵なおじさんのモザイク画もあり、このコーナーは楽しかった。しかしあのロゼッタストーンの前では何者かにリュックのポケットのファスナーいきなり引っぱられて吃驚。用心して何も入れてなかったけど、そういう所です。ご用心あれ。


 
 
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2012年10月6日土曜日

●鯖




フェリーニの大田区秋鯖買う夫人  近藤十四郎

秋鯖を提げて夕日を滴らす  戸川稲村

戦争よあるな路地さみだれて鯖食う家  橋本夢道

秋鯖や上司罵るために酔ふ  草間時彦

鯖の旬即ちこれを食ひにけり  高浜虚子

去年に似たけふならばこそ鯖くはめ  上島鬼貫



2012年10月5日金曜日

●金曜日の川柳〔小池正博〕 樋口由紀子



樋口由紀子







舞えとおっしゃるのは低い山ですか

小池正博 (こいけ・まさひろ) 1954~

なんともけったいな川柳である。山が人に舞えと言うわけがないと思いながら、ひょっとして山はそう言って人をかどわかしている存在なのかもしれない思った。

「舞え」は舞台で舞を披露することではなく、どこか狂気をはらんだ、逸脱した行為をさしているように思う。それも高い山ではなく低い山が、本心を見透かして、どっしりとして落ち着いて、悪魔のようにささやいてくる。それが「おっしゃる」のだから、諧謔がある。

自意識は物を書くうえでの大きな契機である。低い山は自分のうちにあるもう一つの姿かもしれない。もし舞えば世界はどのように変容するのだろうか。「杜人」2012年夏号収録。

2012年10月4日木曜日

●十月〔続〕

十月


十月は馬糞のやうにやつてくる  阿部青鞋

眼鏡はづして病む十月の風の中  森 澄雄

十月の紺たつぷりと画布の上  福永耕二

こひびとの腕十月のさるすべり  皆吉司

十月の闇の火がつく紙風船  坪内稔典


過去記事 2011年10月1日


2012年10月3日水曜日

●ワイシャツ

ワイシャツ

ワイシャツのひやりと朝の桜かな  林昭太郎 〔*〕

ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓  三島由紀夫

山ふかく誰がワイシャツのボタンかひろふ  篠原梵

ワイシャツ店白鳥よりも白く灯す  田川飛旅子


〔*〕林昭太郎句集『あまねく』より

2012年10月2日火曜日

●胡桃

胡桃

胡桃のなか学僧棲みてともに割らる  関悦史

広瀬川胡桃流るる頃に来ぬ  山口青邨

胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋  鷹羽狩行

しぐるるや胡桃に甲斐の国の音  穴井 太

胡桃焼けば灯ともるごとく中が見ゆ  加藤楸邨

胡桃割るこきんと故郷鍵あいて  林翔

手の中の胡桃しだいにあたたかく  山西雅子

ボール函解くより先に胡桃鳴る  橋本美代子

ことことと胡桃の中のシャイロック  平井照敏

胡桃割る閉じても地図の海青し  寺山修司


2012年10月1日月曜日

●月曜日の一句〔林昭太郎〕 相子智恵



相子智恵







にはとりの千羽鎮もる月夜かな  林昭太郎

句集『あまねく』(2012.8 ふらんす堂)より。

これを書いている9月30日は中秋の名月だが、残念ながら台風が来ていて月を拝めそうもないので、せめて月の句を読もうと思う。

掲句、鶏舎だろうか。夥しい数の鶏たちが、つやつやと白い羽に包まれた体をまるめ、静かに眠っている。

冴え冴えとした月の光が鶏舎に射し込み、鶏たちの体を照らしている。まるで照らされた鶏舎全体が白く発光するようである。ここには月と鶏たちの、静かな光の交歓がある。

静かな月の光はやがて、朝のまぶしい太陽の光に入れ替わってゆく。千羽の鶏たちは一斉に鳴き、夜明けを告げることだろう。

夜の象徴である月と、朝を象徴する鶏。もの静かな一句の奥底には、夜から朝へ、静から動への“時間”というものが、伏流水のように存在している。そう思えてくるのである。

2012年9月30日日曜日

〔今週号の表紙〕第284号 モンテカルロ 小津夜景

今週号の表紙〕第284号 モンテカルロ

小津夜景



モナコへは観光とか、用事とか、とくに意味もなく、とかの理由で足を運んできた。

慣れない頃は、なん となく警戒心もあって、成金趣味のつまらない場所、といった紋切り型の印象を捨てきれないでいた。ところが通っている道場の仲間の一人がモネガスク(モナ コ地元民)であると知ってからは、彼女に地元の極意をあれこれ指南してもらい、今では「ごちゃごちゃした、天気の良い田舎」くらいの気軽な認識へと変化し ている。

写真はオプ・アートの先駆者ヴィクトル・ヴァザルリが、グレース・ケリーを記念してつくった広場。

カラフルな色調を一望しつつ、テラスでおいしいビールを飲む。

モンテカルロの青空は広く、ひどく涼しい。



ことりと秋の麦酒をおくときにおもへよ銀の条がある空  紀野恵


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