2018年10月21日日曜日

2018年10月20日土曜日

●2018 「角川俳句賞」落選展作品募集のお知らせ

2018 「角川俳句賞」落選展作品募集のお知らせ


第64回角川俳句賞は、鈴木牛後さん「牛の朱夏」に決定いたしました。おめでとうございます!!

さて。

今年も『週刊俳句』では「落選展」を開催いたします。

第64回角川俳句賞に応募され、惜しくも受賞ならなかった50句作品を、この落選展にお寄せください。

応募作品の全てを『週刊俳句』誌上に掲載いたします。


(10月25日発売の「俳句」11月号誌上に掲載の作品は、発表を見合わせます)


送付〆切 2017年10月31日(水)

送り先

● 福田若之 kamome819@gmail.com
● 岡田由季 yokada575@gmail.com
● 村田 篠 shino.murata@gmail.com
● 上田信治 uedasuedas@gmail.com 
● 西原天気 tenki.saibara@gmail.com

電子メールの受付のみとさせていただきます。

書式:アタマの1字アキ等、インデントをとらず、句と句のあいだの行アキはナシでお願いいたします。

あわせて簡単なプロフィールを、お寄せ下さい。

ご不明の点があれば、上記メールアドレスまでお問い合わせください。

なにとぞ奮って御参加くださいますようお願い申し上げます。

2018年10月18日木曜日

●梨 西原天気



西原天気


西のほうで暮らしていたせいでしょう、梨といえば、きまって「二十世紀」、産地といえば鳥取県でした。

  前世紀の遺物の梨を食うてをり  三島ゆかり〔*〕

カシカシと果肉に歯が入るたび、果汁がほとばしる。みずみずしい品種です。

東京近郊に移り住んでからは、とんと「二十世紀」を見なくなりました。幼いときの反動はこの分野にもあらわれ、好みはしだいに、やわらかい梨へ、「二十世紀」とは対照的に食感がムニムニとした洋梨へ。

  洋梨喰ふ夜はひたひたと沖にあり  櫻井博道

  洋梨とタイプライター日が昇る  髙柳克弘

  洋梨はうまし芯までありがたう  加藤楸邨

ありがとう、梨。ありがとう、いろいろな梨。


〔*〕『鏡』第29号(2018年10月1日)

2018年10月16日火曜日

〔ためしがき〕 てんげり 福田若之

〔ためしがき〕
てんげり

福田若之

助動詞の「つ」+「けり」には二通りある。よく知られている「てけり」がひとつ。それとは別に「てんげり」というかたちがある。

俳句では、尾崎紅葉の《いと惜しむ手鞠縁より落ちてんげり》 や本井英の《墓主は切られてんげり法師蝉》といった句があるが、いまのところ、あまり見ないように思う。

まだまだ、開拓する余地があるかもしれない。

2018/10/10

2018年10月14日日曜日

〔週末俳句〕10月の入り江 木岡さい

〔週末俳句〕
10月の入り江

木岡さい


臀部をすくい二の腕を引っ張り岩に押し付けた。切りたった石灰石の崖を見上げる入り江で泳いでいた時だ。盛り上がる波の緩やかさに油断していた。身体は一瞬、波になされるがままになった。

子どもがいない10月の海岸。大人たちは、持参のパラソルの下で寛いだり、潜ったりしている。ガツガツとした岩場を行く、こんがりと日焼けした姿はどれも、映画 『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンに見えるのが不思議だ。夏の名残りがまだ腰を据える空気の層の奥に、マルセイユの高層ビルが小さくかすむ。

陸に上がると、海水と混じりあった血が左肘に広がった。荒い岩肌で切ったらしい。近くの男性が血に気づき、ティッシュを差し出した。白い野球帽にサングラス。ひとりで時々この海岸へ来るという。「ミストラルが吹かない日も、このあたりの波の流れは強いからね」と、サングラスをずらし微笑んだ。

男性と30分ほど話し、読みかけの本を開いた。変哲もない日。みんな裸ということ以外は。




2018年10月12日金曜日

●蠟燭

蠟燭

蠟燭と冷たき石の照らし合ふ  岡田一実〔*〕

蠟燭のにほふ雛の雨夜かな  加舎白雄

蠟燭の焔の瑠璃や夏の暮  山西雅子

鶴眠るころか蠟燭より泪  鳥居真里子


〔*〕岡田一実句集『記憶における沼とその他の在処』(2018年8月30日/ 青磁社)

2018年10月9日火曜日

〔ためしがき〕 音韻論の西へ 福田若之

〔ためしがき〕
音韻論の西へ

福田若之


詩における反復の重視がいかに効果的であるとはいえ、音の織物はたんに数量面での工夫に尽きるわけではけっしてない。一回だけ、ただし主要な語や適切な位置に、対照的な背景をもってあらわれる音素が、きわだって重要になることもある。
(ロマン・ヤコブソン「言語学と詩学」、桑野隆訳、ロマン・ヤコブソン『ヤコブソン・セレクション』、桑野隆、朝妻恵理子編訳、平凡社、2015年、225頁。)

個別の句についての音韻論的な分析はいまや巷にあふれかえっているが(それらはかならずしも文献ではなく、むしろ句会などにおいてなされている)、それらは、しばしば、こうした視点を欠いているように思われることがある。

たとえば、《みづうみのみなとのなつのみじかけれ》の音韻について語る者は、おそらく誰でも「み」の頭韻のことを言う。続けようとすれば、さらにn音やt音に話題を移すことになるだろう。そのとき興味深く思われてくるのは、数のことだけで言えば、印象的なm音よりもn音のほうがずっと多いということだろう。なにしろ、「の」だけでも「み」に肩を並べるのだ。しかし、さらにその先には、一句を断つために表れたかに思えるr音と、それを導入するためのものとも思えるk音の唐突な出現といったことを、やはり念頭に置く必要があるはずだ。そこには、裕明自身の意図がはたらいたというよりも、むしろ、そもそも彼の書く日本語がそのようにできていた、とでもいうような趣がある。

俳句における反復に対して音韻論的な観点から捉えることが充分に浸透している今日となっては、もはや、誰にでも分かる頭韻や脚韻を指摘することはたんなる前提の確認にすぎなくなってしまっている。喩えるなら、それは音韻論の東海岸にすぎない。もっとも厳密な意味での音韻論に徹しようとすれば、おそらく、最終的にはいっさいの統計的な測定を捨てて、また、文字による助けを捨てて、鍛えあげられた耳だけを頼りにするような立場に身を置かざるをえないだろう。だが、俳句についてそのように語ることは、すくなくとも今日、ほとんど不可能なことに思われる。だが、それゆえに、そこには夢があるのかもしれない。

2018/9/25

2018年10月8日月曜日

●月曜日の一句〔津田このみ〕相子智恵



相子智恵






病棟の床の矢印行けば霧  津田このみ

句集『木星酒場』(邑書林 2018.8)所収

駅やスーパー、銀行のATM、公衆トイレでも、そういえば床に矢印のシールが貼ってあることは多くて、気づけばその通りに歩いたり、「ここで待て」のシールがあれば、そこで立ち止まったりする自分がいる。すっかり無意識に思考停止のまま、矢印の床シールの思い通りに動かされているものだなあ、と思う。

掲句、どきりとした。そういえば大きな病院の廊下にも矢印があった。床の矢印通りに歩いていったら、霧であったという。もうそこには矢印はなくて、自分の次の行動を指示してくれるものはない。「五里霧中」という言葉もあるように、霧は不安を連想させる。病棟であるから、やはり病気の不安を思う。

一方で、最後に「霧」でストンと軽やかなオチが付いてたような掲句の構造からは、絶妙な軽さが生まれていて、その諧謔味に救いがある。

矢印の一寸先は暗く黒い闇ではなくて、白い霧。その中に入れば体が浮遊するような真っ白な世界。何も見えなくて不安であるが、どこへ行くのも自由なのである。

2018年10月7日日曜日

〔週末俳句〕入場無料 西原天気

〔週末俳句〕
入場無料

西原天気


入場無料なのに見応え充分・内容充実の博物館・記念館は、都内にいくつもあるらしく、四谷三丁目の消防博物館もまさにそうでした(東京近郊に暮らしていながら、なおかつここはクルマでしょちゅう通るのに、入ったのは初めて)。

江戸火消しの史料展示やら明治期の消防機械化やら。なかでもミニチュアを点在させたパノラマに(なぜか)心惹かれました。



そこから程近い四谷於岩稲荷田宮神社と陽運寺も入場無料。日本一有名な幽霊、お岩さんゆかりの寺社。



この日、知り合いの吟行にくっついていったのですが、俳句は作りませんでした。火事は冬の季語だし、幽霊は夏の季語だし。※ここ、真に受けないでくださいね。為念。

句会も遠慮して、ひとり散歩を続けました。

散歩はおおぜいでなんだかんだ言いながらも愉しいし(今回の消防博物館などはとりわけ、そう)、ひとりも愉しい。

2018年10月6日土曜日

◆週刊俳句の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。

※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただく「句集『××××』の一句」でも。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。


紙媒体からの転載も歓迎です。

※掲載日(転載日)は、目安として、初出誌発刊から3か月以上経過。

2018年10月5日金曜日

●金曜日の川柳〔井出節〕樋口由紀子



樋口由紀子






父はときどき菓子折りさげて芒野へ

井出節(いで・せつ)1944~2005

父親が菓子折りを持ってときどきどこかに出掛けることはありそうなことである。しかし、行き先が「芒野」とは、読み手の予想を裏切る。「芒野」は癒しの場として読むこともできそうだが、よからぬところのような気もする。

「ときどき」だから、今回だけではない。ときどきそうしなければならないものが父にはある。芒野に行かなければ遣り過ごせないものを抱えている。それが「父」というものだと父である作者は言っているように思う。菓子折りをさげる父、芒野へ行く父、そんな父の姿が見えてくる。〈一つめの桃は見送ることにする〉〈いかがせむいかがせむとて舞いにけり〉〈哄笑うために赤い鳥居によじ上る〉 『井出節川柳作品集』(2002年刊 川柳黎明舎)所収。

2018年10月4日木曜日

●木曜日の談林〔三輪一鉄、田代松意〕浅沼璞



浅沼璞








小鹿の角のさいの重六     一鉄
  汐ふきし鯨油火かき立てて    松意    
『談林十百韻(とつぴやくいん)』(延宝三年・1675)



宗因を奉じた江戸談林の連句集から、短句/長句の付合。

江戸時代の賭博は丁半博打。さい(サイコロ)を転がしてサイの目の奇数と偶数で勝負を決めた。重六(ちょうろく)とは六のぞろ目が出ること。それを確認するため油火をかきたてる賭博場の情景を詠んでいる。博打はご法度であったから灯りは弱くしてあるが、かつてその鯨が汐を吹いたように、今その鯨の油火がかきたてられているのだ。いわゆる談林的誇張。

博打に興じることを「鹿の角を揉む」というように、鹿の角をサイコロとし、また鯨油を灯火とした背景には、狩猟や捕鯨の産業化があった。つまり鯨や鹿を原材料として詠みこむ談林俳諧は、商品経済が発達した消費社会を下部構造としていた。

それにしても小鹿(をじか)の角と、汐をふいた鯨とを対で詠んだこの付合は、小と大、静と動、山と海といったイメージギャップを露わにしている。そこにも談林らしい視点がある。

この連句集を機に、江戸の一結社の呼称であった「談林」が、宗因流の汎称として世に知られるようになる。

2018年10月3日水曜日

●屋上

屋上

屋上は大きなひかり空澄めり  飯田 晴〔*〕

屋上に洗濯の妻空母海に  金子兜太

曙や屋上の駅永遠に  摂津幸彦

死をさそふ人工芝の屋上は  田川飛旅子

屋上に見し朝焼のながからず  加藤楸邨


〔*〕飯田晴句集『ゆめの変り目』(2018年9月/ふらんす堂)

2018年10月2日火曜日

〔ためしがき〕 洗面台に置かれた「俳句」 福田若之

〔ためしがき〕
洗面台に置かれた「俳句」

福田若之


たとえば、いま、たとえば、もしたまたま俳句に興味をもった中学生がGoogleに頼ったときにどんな情報に出会うことになるのか、と思って、ときたま、ただ「俳句」の一語だけで検索をかけてみたりすることがある(いま仮に中学生と書いたのは、ちょうどそのくらいの年齢のころに初めてのパソコンを与えられた僕自身の体験によることで、それ以上の意味はない)。

Wikipediaの記事をはじめ、現代俳句協会や伝統俳句協会の公式サイトや、お~いお茶新俳句大賞の結果、『プレバト!!』の宣伝記事、角川の『俳句』の公式サイト、青空文庫に収められた高浜虚子「俳句の作りよう」などなどが並ぶ(余談だが、俳人協会の公式サイトは上の二協会に比べるとずいぶん下のほうに出てくる。協会名に「俳句」が入っていないせいだろうか)。そのなかに、今朝、おもしろいものを見つけた。

LUSHというイギリス発のコスメブランドが発売している「俳句」"Ultrabland"というクレンジングの商品紹介ページである。だが、「古代ギリシャで愛用されていたコールドクリームのフォーミュラを再現した、とてもシンプルなクリームタイプのクレンジングです」と紹介されるこのメイク落としは、「アーモンドオイル、ローズウォーター、ミツロウ、ハチミツは、古来より世界中で愛され続けている自然由来の原材料。強い洗浄成分に頼るのではなく、必要な潤いを補いながらお肌をいたわります。メイクや毛穴の汚れをしっかり落とすクレンジングなのに、スキンケアまでできてしまう、一石二鳥のクリームです」というふうに続く説明を読んでみても、なぜ「俳句」と呼ばれることになったのか、まったく見当がつかない。

そこで、今度は「俳句Ultrabland 名前の由来」で検索をしてみる。すると、「ネーミングにもハマってしまう『LUSH』のコスメ」と題されたexcite.ニュースの記事が出てきた。LUSHの商品のネーミングについて、ラッシュジャパンの広報担当者への取材をもとに記したもののようだ。こんなことが書いてある。
広報の関本さんによると、ネーミングは、本国イギリスでつけられている、英語の響きの面白さを活かしてそのままカタカナ表記にしているものと、直訳したもの、またイメージから、日本語にふさわしい表現に意訳したものがあるそうだ。

そう、特に意訳がすごい。
中でも一番面白いのが、「俳句」という名の洗顔料。実は英語では「Ultrabrand(ウルトラブランド)」というのだそうで、なぜかというと、この商品は、ラッシュを10年前に立ち上げたスペシャリストたちが、そこからさらに15年も前に既に開発していたという、いわば代表的商品なのだった。だからこそ“ウルトラ”=“超”なのだ。そこで、日本ではその意味を重視して、昔から長く親しまれ続けている日本文化のひとつからとり、「俳句」と名付けたのだとか。
もちろん、日本において「昔から長く親しまれ続けている」「文化」にもいろいろなものがあるわけで、そのなかでとりわけ「俳句」の名が選ばれたことにどれほどの理由があるかはわからない。いずれにせよ、この国に暮らしている少なからぬ人々が、名前だけであれ「俳句」と呼ばれるものを家庭の洗面台に定期的に補充し、それによってメイクを落としているのだと想像することは、何か不思議な感情をかきたてることではある。LUSHの公式サイトには「メイクおとし『俳句』で健やかなお肌へ――美肌への近道」というページもある。そこでは、このクレンジングの使用法が次のとおり説明されている。
  1. 適量を手に取り、お肌になじませながら、顔の中心から外側に向けてクルクルとマッサージをして行きます。
  2. マッサージが終わったら、しっかり濡らしたコットンで優しく『俳句』をふき取っていきます。ホットタオルを使って、顔全体をスチームで包みながらふき取るのもおすすめです。気持ちまで心地良く温まるのを感じます。
  3. 次は、洗顔となりますが、しっかりメイクしていない日も「メイクおとし&洗顔」のステップはお忘れなく。お肌の大敵である、ほこりや余分な皮脂をその日のうちにしっかり落とすのが美肌作りのカギです。
  4. その後は、化粧水で潤いを与え、お気に入りの保湿クリームでお肌をお手入れしてください。
<時間がある時は> 小鼻を優しくじっくりマッサージして、ディープクレンジング。『俳句』が毛穴につまった黒ずみを徐々に溶かし出していきます。
適量の「俳句」を手に取ったり、それを肌になじませたりすること。しっかり濡らしたコットンで、顔の「俳句」を優しくふき取ること。「俳句」が毛穴につまった黒ずみを徐々に溶かし出していくということ。文芸としての俳句だけが「俳句」の名に値すると疑わないひとびとのほとんどは、おそらく、そんな日常を想像だにすることはない。たしかに、文芸としての俳句にとっては、そんな日常を想像してみることになど、ほとんど何の価値もないかもしれない。それでも、こうした想像は、僕にとって、しばしば大きな喜びを感じさせてくれるものなのだ。

たとえば、学校から帰ってきた子どもの手のひらの、どうやら油性ペンで書いたらしいほんの俳句ほどのメモ書き――いや、もしかするとそれは誰かにとっての「俳句」そのものだったかもしれない――を、ふつうの石鹸では落とすことができずに、母親が普段メイク落としに使っている「俳句」でもって拭い去るといったことが、もしかしたら、あるかもしれない。「俳句」が「俳句」によって心地よく消し去られるということ、「俳句」が「俳句」に溶けだしていくということ――もちろん、こうした想像は、いくつかのゆくりない輝きのほかに、いかなる根拠も持ち合わせてはいない。

それにしても、洗面台に置かれた「俳句」というイメージは、僕にとっては、何よりもまず次の句を思い起こさせるものだった。

初雪を見てから顔を洗ひけり 越智越人

一句は、越人の意図とは無関係に、いまに至るまで繰り返される何事かを指し示しつづけている。この句を知らずにいるひとたちさえもが、思いがけず、その出来事をなぞりうるだろう。そして、今日では、もしかすると、その洗面台に「俳句」が置かれているかもしれないのだ。それは、ほんとうにささやかなことではあるけれども、何かしら運命的なものを感じさせずにはいない偶然ではないだろうか。

2018/9/7