2019年2月25日月曜日

●月曜日の一句〔鶴岡行馬〕相子智恵



相子智恵






鷄のため貝殻つぶし卒業す  鶴岡行馬

句集『酒ほがひ』(邑書林 2018.9)所収

鶏の餌に貝殻を混ぜて与える。普通の餌だけではカルシウムが足りないのだ。卵が商品となる養鶏場では、卵の殻を硬くするために貝殻の粉を混ぜることが多いようだが、掲句は〈卒業す〉だから、学校で飼われている鶏で、きっと小学校だろう。

鶏を大切に育ててきた6年生の飼育係の子どもが目に浮かんでくる。商売のための養鶏なら、貝殻を混ぜるのは「丈夫で商品価値の高い卵のため」になるのだが、この子が貝殻を潰しているのは純粋に〈鷄のため〉なのだ。しかも授業とは関係なく、自分が卒業していなくなっても鶏が変わらず元気でいられるように、たっぷり貝殻を残そうと、卒業間際の飼育小屋で黙々と貝殻を潰し続けている。淡々と描かれた一句からこぼれる純真さが眩しい。

2019年2月23日土曜日

●土曜日の読書〔献辞〕小津夜景




小津夜景







献辞


「土曜日の読書」の原稿を書いていて毎回恐怖することに、思いつく本思いつく本、なぜかどれも絶版になっている、といった怪奇現象がある。

幽霊本ばかりを取り上げるのは嫌なので、そういう場合は別の本がないかあれこれ考え直すのだけれど、これが脳みそをぎゅうぎゅう絞るような難作業である。最近読んだばかりの本の話はリアルな私生活を語るみたいで書くのがためらわれるし、ああ、いったい、どうして本の寿命ってこんなに短いんだろう。 

ここまで短命だと、古本屋の存在意義たるやただごとではない。言ってみれば、彼らは書物レスキュー隊なのだ。日々アンテナを張り巡らしては延命すべき稀少本を救い出し、引き取り手が見つかるまで手厚く保護する。取り扱うものが命であるだけに、ひとまず経済のことは括弧に入れなければならず(とはいえ救助隊員が本と共倒れになっては本末転倒ですけど)、そのミッションの重さは想像を絶するものがある。一方、本を書く人々の態度はいかがなものか。たとえば謹呈の際、手書きの献辞を添えるといった行為。あんなことおいそれとすべきではないのではないか。なぜなら自分の名前を書かれてしまった当人は、たとえ不必要でもその本を売ることができないのだから。つまりその本は古紙として回収されてしまうか、書庫で餓死する運命を辿ることになるわけで、と、いきなりここで嘔吐のごとく甦ったのが鈴木信太郎半獣神の午後其他』(要書房)にあるこんな文章だ。
よく知っている著者から本を贈られるのは無上に嬉しい。当座の毎日は、机の上の手のとどく所に置いて、撫でたり触ったり絶えず眺めて、読んでからは、書斎の中の身近くに並べる。殊に手づから献辞の書かれてゐる本は、著者の肉体の微粒子がその中に飛び込んで生きてゐるやうに感じられ、到底寒々とした廊下の本棚に入れる気にはなれず、他人に貸すことなど思ひもよらない。この本は著者の名前が書いてあるから御貸し出来ない、といふ断り方は、最も正当な理由であらうと確信している。
撫でて! 触って! 眺めて! 読んで! 侍らせて! 肉体の微粒子を味わう! うひゃあ。とはいえ人に貸せないという心情はよくわかるし、このくらい愛されるならば本も籠の鳥となって本望かもしれない。私自身はたとえこの人の弟子だったとしても、いや弟子であればなおのこと、死ぬほど気持ち悪いので献本したくないが(こういうのはこっそりやらないとね)。ちなみにいま『半獣神の午後其他』をいかにも読んでいそうな引用の仕方をしたが、実はこれ、河盛好蔵回想の本棚』(中公文庫)からの孫引きである。こちらの本にも献辞というものをさまざまな角度から眺めたエッセイが収められており、河盛も献辞つきの本は決して人に貸さないとのことだった。ただし大学教授という仕事柄、家に遊びに来た学生にこっそり三島由紀夫からの献辞本を盗まれた上に売られ、古本屋に並ぶといった恥ずかしい目にあったことがあるらしい。下はそれと少し似た話。
アンドレ・ジードがあるとき蔵書の一部を整理して、パリの競売場オテル・ドルオの売立に出したことがあった。ところがその中にアンリ・ド・レニエからおくられた献辞つきの著書が一括して含まれていたので、たちまち文壇雀の好餌になった。(…)彼はそのことを聞くと、すぐに最新刊の自分の著書に「アンドレ・ジードにおくる。彼の売立につけくわえるために。アンリ・ド・レニエ」と書いてジードの元へ持って行かせた。これでジードとレニエの友情に終止符が打たれたわけであるが、これもまた「献辞」の一種であり、この本はきっと高く売れたに違いない。
なんと素晴らしい。私信はどんどん書き込むと、この世が楽しくなりそうだ。ところで、いまネットを調べたら、あろうことか河盛の本も絶版だった。でもまあ、今回は内容と釣り合っているので、気にしないでおこう。


2019年2月18日月曜日

●月曜日の一句〔井原美鳥〕相子智恵



相子智恵






けふの木の芽あすの木の芽と湧きにけり  井原美鳥

句集『分度器』(文學の森 2018.12)所収

毎日見ていたはずの通勤途中の街路樹が、気づけばみっしりと芽吹いていて、木の全体が柔らかい黄緑の光に覆われてハッとすることがある。見ていたつもりで、見ていなかったのだ。

思えば〈けふの木の芽〉が湧いたとしても、〈あすの木の芽〉が本当に湧くかどうかはわからない。今日のことは知っていても、誰も明日を見たことはないのだから。けれどもやっぱり〈木の芽〉はもっとも自然に明日を信じられるもののひとつだと思う。今日に続いて明日も芽吹く。そこに確信のもてることのなんと心が澄むことだろう。〈あすの木の芽〉に木の芽の本質が捉えられている。

大いなる分度器鳥の渡りかな

表題となった一句。渡り鳥が体の中に備えている、迷うことなく毎年同じ場所に辿り着く能力が〈大いなる分度器〉と表現されている。V字に隊列を組んで飛ぶ渡り鳥の姿も〈分度器〉によって見えてくる。この句も〈木の芽〉の句と同様、目に見えない自然の力を詩心で捉えた句だ。写生から一歩入り込んだ詩心によって、見えてくる真理がある。

2019年2月16日土曜日

●土曜日の読書〔はだかであること〕小津夜景




小津夜景







はだかであること


ある日、夫が仕事から帰ってくるなり「あのね、いま、家の前の公道に全裸の女の人がいたよ」と言った。

「ええ! 変態?」
「うーんわかんない。なんだったんだろう…」

公道の全裸といってもいろいろだ。いきなり物陰から飛び出してくる種族。とりあえずガウンは着ている種族。ラリって心ここにあらずの種族。これからの季節に多いのは、春の陽気が引き金になったとおぼしき種族だろう。暖かくなると虫のごとく湧きいずる彼らに遭遇しそうな日を、ぽかぽか注意報の日、と我が家では呼んでいる。

と、人ごとのように書いているが、かくいう自分も昔、公道で全裸になったことがある。なぜゆえにマッパになったのかというと、同調的な学校世間に心の底から嫌気がさしたからだった。校門を出て、信号をひとつ渡ったあたりですべてが完全にアホらしくなり、とりあえずパンツ一丁になったのだけれど、しばらく歩いているうちにパンツをはいていてはさほど革命的ではないことに気づき、ぜんぶ脱いだ。そしてそのまま誰に呼び止められることもなく、家までの2キロの道を歩き切ってしまった。

あと全裸といえば暗黒舞踏が思いうかぶ。が、落ち着いてよく考えると、彼らは紐ビキニをはいていた。ジェントルマンである。あの土方巽も、そのイメージに反してちゃんと服を着ている。むしろ土方においてフィジカルな意味で丸裸なのは、身体ではなく言葉のほうかもしれない。
ところがわたしを笑う人が居るのよ。えぇ。だからそれは死骸だって、ねえッ、それも家のなかでわたしのことを笑う奴なんかみんな死骸だってね、わたしそういってやったの。えぇ。なんていって、わたしなんか、なに、生れたときからね、ぶっこわれて生れて来てるんだからね。ええ。そんなことちゃんと判ってるよ。いわれなくったって判ってるんね。(「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」)
アンダーグラウンドなどがすべて風俗化していくのも、外部のせいじゃなく、やっている人間たちの問題じゃないかと思うんですね。すぐ自分の外側に砂漠を設定して、水もないなどと言う。そんな事を言う前に、自分の肉体の中の井戸の水を一度飲んでみたらどうだろうか。自分のからだにはしご段をかけて降りていったらどうだろうか。自分の肉体の闇をむしって食ってみろと思うのです。ところが、みんな外側へ外側へと自分を解消してしまうのですね。(「肉体の闇をむしる…」)
『土方巽全集1・2』(河出書房新社)には「文学」やら「芸術」やら「社会」やらといった概念を少しも彷彿とさせない粘菌のような言葉が生き生きとひしめいている。言い方をかえれば、彼の言葉は高次の意匠を纏っていない。「文学」や「芸術」や「社会」のような高次の意匠は私たちの営みを規定する検閲官として、つねに後から、かつ外からやってくるが、そうした権力の包囲をのがれた場所で土方は語ろうとしているわけだ--ひっきりなしに自分の肉体の中の井戸水をのみ、これまた非常に粘菌じみたその闇をむしって。

ところで、これは余談だけれど、私は俳句についてもおおむね似たようなことを考えている。すなわち、自分の「俳句」が「文学」という名の帝国に占拠されないように、その亡霊に憑依されないように、その大樹の陰に寄ることのないようにと折にふれて用心しているのである。そしてまたこれとは逆に、自分の「俳句」が高次の意匠として、より根源的次元にある「ことば」に対して権力的にふるまうことのないようにと願ってもいるのだった。

2019年2月15日金曜日

●金曜日の川柳〔八上桐子〕樋口由紀子



樋口由紀子






いつのまに死後は帽子の箱の中

八上桐子 (やがみ・きりこ) 1961~

以前から帽子の箱にはへんなかたちのものが多いと思っていた。帽子の型が崩れなりように、帽子に合わせて作られているのだからしかたがないが、積んで仕舞うのも、そこに置いておくだけでも、存在感があって、独立独歩である。

死後はそんな帽子の箱に中に居たのだ。それもいつのまにか死んでしまって、知らないままに帽子の箱の中にいる。それは人形とも読めるけれど、人形なら生死は不問である。昆虫とかの生き物だとも読めるけれど、どうも自分自身のような気がする。

「あれっ、私、いつのまに死んだのだろう」「それになぜ帽子の箱に中にいるんだろう」「よりにもよって、他の箱と協調しない、バランスの取れない帽子の箱ってなによ」。でもそれが私らしいと自嘲している。〈村中の雨の空家を聴かないか〉〈数はいま詩となるカシオ計算機〉 「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。

2019年2月12日火曜日

【俳誌拝読】『オルガン』第16号

【俳誌拝読】
『オルガン』第16号(2019年2月7日)


A5判、本文48ページ。

同人諸氏作品より。

朽野に黄色い空を見にゆかむ  宮本佳世乃

学歴や朝日を食べて山眠る  田島健一

丘を見てきたと電池を取り換へる  鴇田智哉

橋に母と冬のかもめとちぎれた本  福田若之

樋口由紀子句集『めるくまーる』をめぐる同人4氏の座談会は24ページの大ボリューム。ほか、浅沼璞と柳本々々の往復書簡は第5回・最終回、青木亮人のエッセイ「あをぞら」など。

(西原天気・記)

2019年2月9日土曜日

●土曜日の読書〔鳥の学習〕小津夜景




小津夜景







鳥の学習


ある日、ニース大学内の公園にゆくと、ナツメヤシの下で、3羽のかささぎの子が歌をうたっていた。

かささぎの子は、ギュルッ、と小刻みに歌う。ときどき、かささぎの母が、キョロロロロキョロッ、とワンフレーズらしい旋律を歌ってやる。しかし子は、あいかわらずギュルッと歌うばかりで、まったく母の真似をしようとしない。自分が教育されていると気づいていないのだ。

かささぎの子は、かささぎの母も遊んでいると思っているのだろうか。それともなにも考えていないのだろうか。かささぎの母は、なんどもくりかえし、かささぎの子に歌いかけているのだが。

と、いきなり、思わず、といった風情でかささぎの子がキョロロロロキョロッ、というフレーズを歌った。そしてそのあとは補助輪のない自転車でどこまでも走り出すかのように、かささぎの母そっくりに鳴きだしたのだった。

人の言葉同様、鳥の言葉が後天的に習得されるのはよく知られる話だ。が、なるほど、親は子にこうやって言葉を刷り込むのかといえるような場面に出くわしたのは初めてである。

うーん、いいものを見た。

もっとも、かささぎの子は音声を学習しただけで、その音声に対応する意味については少しも理解していないだろう。意味については今後さまざまな状況を見聞して、だんだんと理解してゆくのに違いない。

鈴木孝夫ことばの人間学』(新潮文庫)に「鳥の言語」というエッセイがある。著者は小学生のときから中西悟堂のそばで鳥を観察し、中学生になると日本野鳥の会の研究部に所属したという野鳥ラヴァーズ。のちに言語学者になるのも、鳥の名を正確におぼえたくて中学の時にラテン語をはじめたことがきっかけだった。1958年に発表した言語学者として最初の論文が「鳥類の音声活動——記号学的考察」という型破りなもので、本書の「鳥の言語」はこれと同年に発表された初エッセイにあたる。
一般的に言って鳥の一生の内には音声を学習出来る一定の期間があり、種類によってこの期間が長いものもあれば短いものもある。大抵はごく小さな雛の時がこの時期に当たるので親鳥の鳴声を、言わば無理矢理に覚えさせられてしまうようになっているのである。それでこの時期が少し長い鳥になると、色々な他の鳥の歌や、ほかの音を覚えては自分の囀りの内に取入れるもので、これは古くから日本では「拾い込み」の名で知られていた。
このあと著者は、徳川時代の「付け子制度」について語る。これは優秀な鳥の鳴き声を、山野から拾ってきた生まれたての雛にたっぷりと聞かせて立派に鳴く大人に育て、また次の世代に教育・継承させるというシステムで、習慣としては徳川以前からあったものだが、鳥の鳴き声が血統によらずむしろほとんど学習環境によるという事実は鳥のインテリジェンスを証明しているようでなんだか嬉しい。


2019年2月8日金曜日

●金曜日の川柳〔妹尾凛〕樋口由紀子



樋口由紀子






空という小鳥かうなら本箱ね

妹尾凛 (せのお・りん) 1958~

空と言う名前のついた小鳥を飼うなら、鳥籠ではなく、本箱であるという読みを最初はしてみたが、それではどうもしっくりこない。なにか大切なものをこぼしているような気がした。それで、空というのがもし小鳥であったなら、つまり空全体を小鳥と捉えたのだと解釈を変更した。そして、もしその空の小鳥を飼うことになったら、我が家では本箱、そこしかないと作者は思ったのだろう。

本箱も部屋の片隅に置いてあるだけのものではなく、壁一面の棚のような本箱を思い浮かべた。そこは広くて出入り自由、そこなら、大らかな空にもお気に召してもらえるだろう。だから、自分で確認、納得するように「本箱ね」になのだ。〈ふれそうでふれないういろうの答え〉〈雨の日をむすぶ一枚のふろしき〉「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。

2019年2月7日木曜日

●木曜日の談林〔中林素玄〕浅沼璞



浅沼璞








初雪の景くろき筋なし      素玄(前句)
山眉の小袖がさねの朝風に      同(付句)
『大坂独吟集』(延宝三年・1675)

あたり一面の初雪、髪の毛ほども黒い色は見あたらない。

いっけん前句の景は美しいが「くろき筋なし」に談林臭がする。

それもそのはずで、
落ちたぎつ滝の水上(みなかみ)年つもり老いにけらしな黒き筋なし  (忠岑・古今集)
からの本歌取りである。

本歌の滝の白さを雪の白さへと転じてのサンプリング。

その景に対して付句は、雪の山眉(眉のような遠山)と、山眉糸(天蚕糸)の小袖重ねとのダブルイメージを詠む。

「重ね」だけにダブル(?)、なんてシャレたくもなるけれど、前句の景は小袖の柄となり、それを朝風がゆらす、そんな詩情もある。

*作者の素玄(そげん)は中林氏。もとは貞門らしい。西鶴に同じく商人か。

2019年2月6日水曜日

◆週俳の記事募集

週俳の記事募集

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2019年2月4日月曜日

●月曜日の一句〔高山れおな〕相子智恵



相子智恵






最高の無法の蝶を見しはうつゝ  高山れおな

句集『冬の旅、夏の夢』(朔出版 2018.12)所収

後記によれば〈二十代の頃は、俳句作品は言葉のみで自立してゐるべきだと考へ〉て、人生や生活を持ち込むことになる旅吟も残さなかったという作者。五十歳となる第四句集にして初めて、旅吟だけをまとめた章から引いた。

掲句はその中の「富士山記」より。〈うつうつと最高をゆく揚羽蝶 永田耕衣〉の本歌取りだが、富士山での作だとわかる。〈うつうつ〉から〈うつゝ〉への転換はただの言葉遊びではなく、現実に無法の蝶を見ての着想なのだ。〈無法〉が山の蝶らしくて、虚子の〈山国の蝶を荒しと思はずや〉も思い出させる。

一句の立ち姿がよく、本歌取りの面白さがあり、旅吟として編集されたことで、これが旅の写生に基づくものであることもわかる。描写と観念をこのように綯交ぜにして着地できるのだなあ……と、重層的な「視点の入れ子状態」が楽しくて、美しい一句だと思った。

物思ふ、にれかむ、笑ふ、駆け出す鹿  同

同様に、「はるひ、かすがを」と題された一連より。飛火野の神鹿たちを写生した一句だ。鹿の表情や動作の列挙だけで作られた句だが、選ばれた言葉によって獣である「眼前の鹿」と、神の使いという「物語の鹿」がオーバーラップして入れ子状態になっている。この鹿、生き生きとしていて、とてもかわいい。

2019年2月2日土曜日

●土曜日の読書〔巣〕小津夜景




小津夜景










シニョンを編むのがとても上手い友人がいる。

ふだんは洗いざらしなのだけれど、そうした状況になると、心ここにあらずの表情で髪の毛をわしゃわしゃっと掻き回し、乱れているようでいて実はととのった鳥の巣っぽい造形に一瞬で仕上げてしまうのだ。

鳥の巣シニョンを編むには、器用さのほかに毛質も重要だ。友人の髪の毛は目にうねり、触れると平らで、繭糸のようにやわらかい。 

シャーロン・ビールズ鳥の巣 50個の巣と50種の鳥たち』(グラフィック社)はその副題のとおり、ほんものの鳥の巣と卵の写真に、それぞれの鳥のイラストが添えられた写真集で、鳥そのものを観察するよりもその素顔が生々しく伝わってくる。

巣の造形は、鳥ごとに、豊かな違いがある。そしてどれも独特で、無造作で、優雅だ。ある鳥は枝を使ってラフな土台をこしらえたあと花や葉を飾り、その上から蜘蛛の糸をつかって苔や地衣を固定する。またある鳥は木のうろに、またある鳥は貝殻で海辺に巣をつくる。

巣の中には卵だけでなく、死んでしまった雛もいた。英語に〈ゆりかごから墓場まで〉という表現があるけれど、飛べなかった雛は、生まれた巣がそのまま柩となるのだった。

実はこの本とは最初英語版で出会い、一瞬で気に入ったのだけれど、ずっと英語がよくわからないままだった。でも本を開くたびに、鳥の習性も正確に知りたいし、巣の造営についての解説も読みたいしと、だんだん我慢ができなくなって、去年日本語版を取り寄せてしまった。そして、そのおかげで博物学者スコット・ヴァイデンソウルの、丸ごと素晴らしいこんな序文を読むことができたのだった。
僕が子供の頃、母はブロンドの髪を腰にかかるくらい長くのばしていた。春、そして夏の夕暮れ時になると、裏庭のポーチに座って、鳥のさえずりに囲まれながら、その長い髪を丁寧にとかしていた。そしてとかし終わると、ブラシについた長さ1メートルほどの薄い色の髪をとり、ポーチの階段のかたわらの格子に伸びるバラの茂みにそっと置いていた。それからしばらくして、僕はこの鳥のことを調べるようになり、近所に生育する、ほとんどのチャガシラヒメドリがーーここ、アメリカでは馬のたてがみをつかって巣を作ることで知られている鳥なのだけれどーー母の髪で美しく編んだ金色の器の中に卵を産んでいるのを見つけた。
長い髪を梳く母と鳥の巣の小さな秘密が一体となった、とても素敵な思い出。鳥を追いかける生涯を、こうした美しい起源から始めるのは、なかなかの幸運だと思う。


2019年2月1日金曜日

●金曜日の川柳〔福田山雨桜〕樋口由紀子



樋口由紀子






押入のついでに拭きたかった肺

福田山雨桜 (ふくだ・さんうろう) 1898~1955

押入れは普段は襖を閉めて真っ暗なままで、たまに拭き掃除することがある。すると埃のかぶっていた押入がみるみるきれいになる。それと同じように自分の肺もさっさと拭いたきれいにしたいと軽く言っているように見えるが、切実な願望なのだろう。

「ついでに」という控えめな語気に泣けてくる。私もついでにとか、暇なときにとかに、しようと思うことがある。でも、作者はそんな簡単な願いではなく、レベルも桁が違う。もっと深刻であり、せっぱつまっている。一般的な「ついでに」ではなく、思いの強さが込められている。

山雨桜は肺結核を患っていて、ながい闘病生活の末に57歳の若さで亡くなった。「川柳の子規」と評されたこともあるらしく、病床生活が作句に大きく影響を与えた。〈寝て四年子規に劣らぬ痰一斗〉