2015年4月6日月曜日
●月曜日の一句〔川嶋一美〕相子智恵
相子智恵
春の山饂飩の玉が湯にほどけ 川嶋一美
「ガニメデ」63号 「ちひさき鳥は」五〇句詠(2014.4 銅林社)より
春の山と、鍋に茹でている饂飩の玉の取り合わせが魅力的だ。一見まったく関係がないのに、読後に納得感がある。
厨の窓から見えている春の山だろう。木の芽がほぐれ、鳥がさえずり、花がほころぶ、明るい光に満ちた山。そんな遠景の春の山に目をやって、手元の鍋の、茹でている饂飩の麺の塊に目を移す。まるで春の山の命が緩むように、こちらもまた、ふわっと湯にほどけてゆくのである。
春の山と饂飩の玉というまったく関係のない二つのもの。その「一回性の出会い=取り合わせ」によって相似に気付かされ、春という季節の喜びが倍加する。原料の小麦に命は感じても、饂飩の麺という人工的な加工食品には命を感じないものだ。けれども春の山と取り合わされることによって、湯にほどける饂飩の玉がまるで生きているように感じられてくる。それを食べることで、自分はたしかに命を食べたと思うのだ。命に満ちた春の山を、窓から眺めながら。
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