2015年5月27日水曜日

●水曜日の一句〔北大路翼〕関悦史



関悦史








同じ女がいろんな水着を着るチラシ  北大路翼


一見大勢の水着美女がいるかに見えて、じつはモデルは全部同一人というのが、改めていわれると何とも馬鹿馬鹿しく可笑しい。

新聞の折り込みチラシだろう。あまり過剰な色気はなく、適当に清潔感があり、適当にきれいであったり、よく見たらさほどでもなかったりする、けばけばしいレイアウトになかに同一人であるにもかかわらず群がり合う、一日で古紙となる水着女性のイメージ。

しかしこの句はそうしたイメージの華美さとチラシの安手さの落差から哀感を引き出すことが主眼になっているわけではない。

水着姿に引かれて思わず品定め的な視線を投げてしまった語り手が、全部同じモデルじゃないかと気が付いてしまった可笑しみがまず主眼ではあるのだが、その視線はおのずと、「同じ女がいろんな水着を着る」という労働作業の現場までをも思わず引き出してしまう。絵柄のナンセンスさの向こうには、何度も水着を着替えては撮影を繰り返すモデルとカメラマンその他の、おそらくは気忙しい、ただし撮影されるときはあくまでにこやかでなければならない、作業の集積があるのだ。

そこまで考えると、何やら「おもしろうてやがて悲しき」のような風情となるが、この句は別にそうした作業にいそしむモデルらへの共感が表に立っているわけではなく、その結果として出来た水着女性のチラシのチープさ、微妙な変さという表面性に留まっている。別に人が大量生産品にされてしまう過程をことさら批判的に見ているわけではない。

そしてそのあくまで消費者的な視線に留まる語り手は句中に意外としっかりした存在感をもって居座っており、その語り手と水着モデルの関係をいかにも軽そうにそのまま投げ出してみせることで、却ってこの句は、現代の暮らしにひそむ名状しがたいミクロな感情を描き出しえたのである。


句集『天使の涎』(2015.4 邑書林)所収。

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