2016年10月25日火曜日

〔ためしがき〕 エックス山メモランダムについて 福田若之

〔ためしがき〕
エックス山メモランダムについて

福田若之


あれらのメモは、ただ、僕がそこに書かれたことを忘れるためだけに、書かれている。単に、僕がそれらを忘れることを、僕自身に許すために。ただし、この心の動きは、なんらかの成長がもたらしたものではない。僕は、決して、あれらのことがらについて自らに忘却を許すことができるほどの何者かになったわけではないはずだ。

幼稚園から逃げるように卒園し、小学校からも中学校からもやはり逃げるようにして卒業した僕は、結局のところ、その頃と何も変わらないまま、今度は自分の記憶から逃げることを望んでいる。

もちろん、悪いことばかりではなかった。恥ずかしいことばかりではなかった。一方には、これからも大切にしていきたい思い出がたくさんある。それなのに、悪い記憶ばかりがときおりやたらと鮮烈にぶり返してくるのは、どういうわけだろう。

僕は、ただ単に、あれらのことをいつまでも腹の底にかかえこんだまま、ときどき不意にそれらを思い出してひとり苛まれるという生き方に、もう耐えられなくなってしまったのだと思う。僕は弱くなったのだと思う。

書いてしまったことは、読み返せばわかることだから、僕が覚えていなくてもいい。あれらのメモが俳句なのか何なのかよくわからないかたちをしているのは、僕にとって、そうしたかたちが、もっとも忘れやすいかたちだからなのだと思う。僕は、おそらく、あれらのメモを、もう二度と書かなくていいようにするために、書いているのだと思う。

あれらのメモは、さしあたり、そんな僕にとってしか切実なものではないだろう。ためしがきにおいてさえ自分よりも他の誰かにとって意味のありそうに思えることをつい書き並べようとしてしまう心の動きを、僕は、これらの極めて私的なメモによって、どうにか抑えようとしているのかもしれない。

メモは、今後も、誰が読もうが読むまいが、断続的に書かれることになると思う。書かずに覚えていることはまだいくつもある。


2016/9/28

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