〔ためしがき〕
隠棲のレッスン
福田若之
たとえば、ほんの一日二日、メールを返すのをやめてみる。そうするだけで、ずいぶんと気が楽になり、どんなメールにも返信が書ける気がしてくる。
レッスンとしての隠棲は、別に必ずしも全面的なことではなく、また、長期的なことでもない。ある場からすっといなくなってみることが、精神的な安定のために必要になることがある。
たとえば、ほんの一日二日、メールを返すのをやめてみる。そうするだけで、ずいぶんと気が楽になり、どんなメールにも返信が書ける気がしてくる。
レッスンとしての隠棲は、別に必ずしも全面的なことではなく、また、長期的なことでもない。ある場からすっといなくなってみることが、精神的な安定のために必要になることがある。
場というのは必ずしも地理的なことだけではなく、話題の磁場のようなものの場合もある。すこし考えごとのあるとき、けれど、ずっと悩んでいては気が滅入ってしまうとき――要するに、自分の歩調の確認が必要になるとき――、僕はそうした磁場から離れた疑似的な隠棲の状態に入る。
疲れたときは、ぐーすか眠ることだ。隠棲のレッスンは、睡眠による体調管理に似ている。
重要なのは、気が重くならない範囲で、隠棲を自分でしっかりと管理することだ。 そうしないと、隠棲は怠惰に変わってしまう。これは、おそらく、長期的で全面的な、要するに本格的な隠棲についてもいえることだろう。たとえば、大作を書くための隠棲は、ただ引きこもって時間をつくるだけでは、とてもその目的を達成することはできないだろう。隠棲が成果をあげるためには、そこでひとつの身体がたえず生き生きとしているのでなければならない。要するに、隠棲もまたある種の活動なのであって、しかも、実のところ、かなりの活動なのだ。
だから、隠棲のレッスンのさなかにあっても、いまの僕には、ためしがきを欠かすことはできない。
2017/5/28
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