2017年6月14日水曜日

●水曜日の一句〔北大路翼〕関悦史


関悦史









柿ピーのわづかなる差異明易し  北大路翼


普段気にもとめない柿ピーの形状のわずかな違いに目が止まること、そしてそれをわざわざ客観写生風に五七五にしてみせることが持つ俳諧味が、さしあたりこの句の特徴のように見えるが、それだけではない。すぐに食われてしまうこともなく、その外観に目を止められた柿ピーは、実用性を離れた美術物件のような存在感をあらわにしつつ、その表面に「明易」の微光をまとい始めるのである。

これが早朝から柿ピーで朝食を済ませてしまっている景のはずもなく、朝の支度の気忙しさが微塵も見当たらない、放心を思わせる視線を受ける柿ピーは、前夜からの酒のつまみとしてその辺にあったものとでも見たほうがよい。柿ピーを目で彫り出すようなナンセンスに近い凝視は、暮らしのなかの倦怠の一場面をもその背後に浮き立たせることになるのだ。

すぐにはものを食う気にもならぬ二日酔いじみた消尽ぶりによって、いささか殺伐たる生活空間を思わせる句ではあるが、さしたる値段でもない柿ピーを、朝の微光のなかのオブジェに変容させてしまう「差異」という把握にユーモアがある。

そして、そのユーモアや倦怠が持つ灰汁すらも「明易し」がきれいに拭い去り、生活実感、というよりも、荒みに近い身の重みを殺さぬまま、一句を清浄なものへとまとめ上げるのである。安手な句材が静物画に化けた違和感の味わいは、同時代日本の、ある種の具象画表現に通じるところもある。


句集『時の瘡蓋』(2017.5 ふらんす堂)所収。

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