2019年5月4日土曜日

●土曜日の読書〔夜の煙草〕小津夜景




小津夜景







夜の煙草

ある夜、うらさびれた田舎道を、母と手をつないで歩いていると、廃屋になった店の軒に「春宵一服値千金」と書かれた看板がぶらさがっていた。

「あれは漢詩のもじりなのよ」

母が言う。蘇軾「春夜」の「春宵一刻値千金」である。彼女はチェリー愛煙家で、ふだん「春宵一服タバコにしよう」なんてことを言いながら煙草を喫むのだ。

この「春宵一服タバコにしよう」という言い回しを、当時の私はなぜか開高健のコピーだと信じていた。たぶん母がそう言ったのだろう。実際は山東京伝の「煙草一式重宝記」なる報条(広告ビラ)を随筆に仕立て直した広告本『春宵一服煙草二抄』の読み下しから来ている。作者は京伝の弟・山東京山。

山東京伝は銀座一丁目で紙製煙草入れ店を経営し、グッズのデザインもすれば広告も作画するといった風に、江戸の煙草文化に多大な貢献をした人らしい。宮武外骨『山東京伝』に載っていた絵文字広告もこんなに可愛かった。


「当冬、新形紙御烟草入品々、売出し申候」。冬物新作コレクションか。この広告を目にしたら、ちょっとお店に行きたくなるかも。

とはいうものの、自分にとっての煙草は道具にこだわる遊びのイメージではなく、「春宵の一服」というこの上なく素敵なコピーのおかげで、夜空のすがしさとさみしさとを今でもまとっている。またそんなわけで昨日、なんとなく『富永太郎詩集』(思潮社)をひらき、
煙草の歌
阪を上りつめてみたら、
盆のやうな月と並んで、
黒い松の木の影一本……
私は、子供らが手をつないで歌ふ
「籠の鳥」の歌を歌はうと思つた。
が、忘れてゐたので、
煙草の煙を月の面(おもて)に吐きかけた。
煙草は
私の
歌だ。
という詩を目にした時も、一人酒では表現できないその明るさや自立した孤独を、甦るチェリーの甘い芳香とともに、とても親しい気持ちで味わったのだった。


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