2022年3月23日水曜日

西鶴ざんまい #24 浅沼璞


西鶴ざんまい #24
 
浅沼璞
 

 水紅ゐにぬるむ明き寺   裏二句目(打越)
胞衣桶の首尾は霞に顕れて  裏三句目(前句)
 奥様国を夢の手まくら   裏四句目(付句)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
 
 
 
この三句の渡り、
打越=恋の呼び出し
前句=恋句
付句=恋句
といった典型的な恋の難所。
 
おなじ「恋の座」のなかでどう転じるか、鶴翁も趣向を凝らしています。
 
 
 
まずは「胞衣桶」に焦点を合わせると分かりやすいでしょう。

打越/前句では坊主の隠し女房の「胞衣桶」であったものが、前句/付句では殿様が身請けした遊女の「胞衣桶」へと見立て替えられています。
 
殿の隠しごとは奥方の正夢となり、まさに「霞に顕れ」たわけです。

これを「眼差し」の観点から換言するとーー
 
坊主の「胞衣桶の首尾」を描く風俗作家の「眼差し」から、殿様の「胞衣桶の首尾」を描く作家のそれへと転じられているってことになります。

「どや、巧みやろ」
 
 
 
はい、そういえば若殿(若之氏)のメールにもこうありました。

〈「胞衣桶の首尾」なんてごく限られたシチュエーションでしか成り立ちそうにない言葉を置いてしまって、次にいったいどう付けるのだろうと思っていましたが、さすが西鶴、すっかり別の物語が立ちあがって来ますね〉

「呵々、さすが殿様」

えっ?……若殿でしょ。殿様は今ごろ奥方に問い詰められているんじゃないかと。

「そやそや、それを〈別の物語〉とはよう言うたもんや」

〈別の物語〉に登場するのは殿様、それを批評したのが若殿、ちゃんと区別しましょう。

「そやけど殿様と若殿は親子やろ」

それはまた〈別の別の物語〉ですって。

「呵々、また転じてもーた」
 

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