西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
大雨のうしろはきっと乳児室
倉本朝世 (くらもと・あさよ)1958-
乳児室について詳しくはない。実際に見たことさえない。ドラマでなら見たことがあって、間違ったイメージ、記憶違いかもしれないが、アクリルガラスかなにかで囲われたベッド? いやそれは身体トラブルへの対処か? それくらいに頼りない知識なのだが、ひとつ言えるのは、そこには乳児がいるということ、などと馬鹿げて当たり前のことしか言えないなか、乳児は「守られるべき」であり、それはオトナ=人類の視線や感情によって、ということであり、その庇護や愛情は、形状としてはドーム状だ。庇護や愛情のバリアの中で、乳児はすやすや眠ったり泣いたりする。ドームの天空から舞い降りるように、母親が乳を振る舞う瞬間もあるだろう。
さて、そこがどこか? といえば、「大雨のうしろ」。大雨って、カジュアルな意味では「天気悪い」し「大変」なんだろう。「いやあね」かもしれない。けれども、大雨もまたその過度な雨量ゆえに、カジュアルな日常から離れ、いわば神話的に、ドーム状となり、世界を取り囲む。
ふたつのドーム。言い換えれば、ふたつの環境、が配置される。
一句のなかに劇的な時空を感じてしまったわけですが、このことにストーリー的な前後はない。脈絡はない。前も後ろも絶たれた状態でのドラマチック。これこそが、いわゆる短詩の為し得る最上の快感なんだよなあ、などと、ふだんから思っているのですよ。
掲句は『現代川柳の精鋭たち』(2000年7月/北宋社)より。
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