第14回
高度千メートルの嘔吐
さいばら天気
三鬼のエッセイ「飛ぶ話」(1940年2月『俳句研究』(*))は、その冒頭こそ当時の飛行場の雰囲気を伝えて興趣豊かであるものの、空に上がってからは、富士山が綺麗だとか、ゴルフ場から見上げる飛行機だとか(しかし、ゴルフとはハイカラですね、三鬼)、退屈な内容だが、終わり近く、大阪から乗り合わせた浪花節語りが、飛行機に酔ってしまい、三鬼が介抱した箇所が出てきて…
ところが生駒山にさしかゝる前、既に怪しくなつた。彼は勿論紙袋の存在も用途も知らないから、一蓮托生の私はその辺の紙袋を、プーと息でふくらませて待つてゐると、この先生は案の定、大変なゲー術家で、名古屋までの五十分間、座席全部の袋を使ひ果して了つた。袋は内容物ごと、私が窓から風にさらはせた。まだ若い男ではあつたが、介抱する小生に、おゝけにすんまへんといふ前に、父親にすがる様な顔をするのである。えっ? じゃあ、この句。
冬天に大阪藝人嘔くは悲し 三鬼(1939年)
そういうことだったのですね。飛行機酔いのエピソードなしに読めば、この「冬天に」は、詩的に抽象的に解釈してしまいそうだ。「嘔く」も同様。連作中にあるなら事情は違うが、少なくとも句集中の1句として読むかぎりは、機上の事件とはなかなか思えない。ところが、「冬天に」はそのまま具体的に、冬の空へ、であり、「嘔く」もきわめて具体的に嘔吐なのだった。
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ところで、俳句を読むとき、その〔読み〕を、現実の周辺情報・背景情報とどのように関連づけるか、参考にするかは、繰り返し議論されてきた。私は、ここで、三鬼のエッセイにある自句自解情報を引いてはいるが、それは俳句の解釈・鑑賞に役立てようというものではない。俳句は、17音ただそれだけで読み、その読みをもって、十全の〔読む快楽〕となすべきと思う。
だから浪花節語りのエピソードは、あくまで「ちなみに」といった付随情報、と、なんだか弁解めくが、そうではない。それはそれで興趣が湧くから、記述するまでのことだ。
ここで私は作品を評価しようというのではない。鑑賞とも少し違う。この「コモエスタ三鬼」がやろうとしているのは、いわば「三鬼というテキスト」を、三鬼の残した「俳句というテキスト」を中心に読む、別の言い方をすれば、三鬼を味わうということだ。
だから、作句当時のことを調べたりもする。調べれば、おもしろいこともわかる。ブンガク的評価を下したい人、文芸批評をものしたい人にとっては無用の周辺情報・背景情報だろうが、そういった事情で(というのは、おもしろいから調べ書き留めるという享楽主義的姿勢という理由から)、除外することはしない。
空港って言っても、当時は原っぱみたいなもんなんだなあ。旅客機といっても、乗客6人のプロペラ機なんだなあ。こうした単純で幼稚なことも、2010年の私には、ある種の感慨である。
ただし、だからといって、三鬼の空港の句を、現在の私たちが利用する空港をイメージしてはいけないなどとは言っていない。念のため。
経年の傷みに耐え、モードの変遷をものともせずに、1句としての愉楽を、それぞれの句が保ち続けているからこそ、私(たち)は今も三鬼の句を読むのだ。
(つづく)
(*)『俳句』1980年4月臨時 増刊「西東三鬼読本」
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