2011年5月8日日曜日

●母



母の日の常のままなる夕餉かな  小沢昭一

母の額椿落ちなばひび入らむ  八田木枯

白玉やくるといふ母つひに来ず  星野麥丘人

母は沢蟹冬夕焼の音となり  高野ムツオ

母が割るかすかながらも林檎の音  飯田龍太

米洗ふ母とある子や蚊喰鳥  中村汀女

木蓮や母の声音の若さ憂し  草間時彦

今生の汗が消えゆくお母さん  古賀まり子

赤い羽根つけてどこへも行かぬ母  加倉井秋を

陽炎や母といふ字に水平線  鳥居真里子

ひばり鳴け母は欺きやすきゆゑ  寺田京子

3 件のコメント:

猫髭 さんのコメント...

  海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
 そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。
                  という三好達治の詩「郷愁」に歌われたせいだろうか、海=産みにつながる母は、母恋の幼児期の記憶をどこかにいつまでも引きずっているようで、どんな母の句を見ても、また母ものかと思いつつ、読まされてしまう。短歌や詩でもそうだから、「母」という兼題は、史上最強の兼題かも知れない。

天気 さんのコメント...

「母」は奥深いですね。

フランスが「ラ・メール」を取っ掛かりにするなら、日本では「母」という字。

陽炎や母といふ字に水平線(鳥居真里子)のほか、

「母」の字の点をきつちり露けしや  片山由美子

母の字に泪の二滴鳥渡る 小澤克己氏

この二句を知ったのが、≫嵯峨根鈴子「母を詠む」 

関西現代俳句協会のサイト内の記事。おもしろい記事で、『超新撰21の母句にも触れているので、ぜひご一読を。

猫髭 さんのコメント...

嵯峨さんのアンソロジーいいですね。今までこの俳人の句はどうもと思っていた俳人まで、わだかまりが溶けるようないい句を詠んでいます。若い人は若い人でそれぞれの思いを詠んでいて面白い。

わたくしはこの一年間、那珂湊で母の介護をしていて、

  底紅や黙つて上がる母の家 千葉皓史

の句を胸に置いて来ましたが、津波で家が半壊し、母も疎開してわたくし一人住む家は、

  花冷の土足で上がる母の家 猫髭

になってしまいました。