2013年11月29日金曜日

●金曜日の川柳〔絃一郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






取り替えてやりたいような鼻に会い

絃一郎

映画「清須会議」を観た。秀吉一族の特徴は耳が大きく、織田家一族は鼻が高かったらしい。織田家の面々に扮した俳優は特殊メイクで鼻を高くしていた。しかし、織田信長の弟役の伊勢谷友介は鼻が高くてりっぱで、そのまんまでよかったらしい。作者はイケメンの伊勢谷くんのような人に出会ったのだろう。

「取り替えてやりたい」は相手の身になってそうしてあげたいというやさしい心持ちの表われとも読むこともできる。が、私は相手の鼻が素敵で、自分の鼻と取り替えたいくらいだという、うらやんでの「やりたい」だと思う。それだけの鼻に出くわしたのだ。

昭和38年に『番傘一万句集』、昭和58年に『続番傘一万句集』、平成15年に『新番傘一万句集』が出版されている。その中で昭和38年版に一番おもしろい川柳が多い。川柳のよき時代だったように思う。しかし、昭和38年版には作者の下の名前しか載っていなく、それ以外は何もわからない。『番傘一万句集』(創元社刊 1963年)

2 件のコメント:

猫髭 さんのコメント...

昭和38年で「鼻」というと、当時誰もが簡単に連想するのは国内では芥川龍之介の短編小説『鼻』、海外ではエドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』でしょうか。『鼻』は禅智内供の長い鼻の小坊主による足揉みが気持良さそうな話なので、笑える鼻という流れで、川柳の流れとしてはこちらが妥当でしょうが、戯曲となると、ここは第五場のロクサーヌに擁かれながら息を引き取るシラノの泣かせる場面が、当時の世相ではぐっと来るところでしょうか。わたくしも戦死した恋人の手紙を暗くなっても朗読し続けるシラノに、ロクサーヌが彼こそ恋人に代わって自分が愛し続けたその手紙の人その人なのだと気付くシーンは、昭和37年、文学座の北村和夫(シラノ)、ロクサーヌ(小川真由美)、クリスチャン(細川俊之)で見ましたので、シラノの鼻を思い浮かべます。シラノの恋を成就させてやりたいというロマンチックな鼻ですね。
時代によっていろいろと読まれてよい鼻ということでしょう。

樋口由紀子 さんのコメント...

鼻って、不思議ですよね。じっと見るとユーモアもあって。この句も目や口だったら、味が薄くなるような気がします。猫髭さん、いつも読んでくださってありがとうございます。