2014年5月2日金曜日
●金曜日の川柳〔芳賀弥市〕樋口由紀子
樋口由紀子
大声を出して柿の木植えている
芳賀弥市 (はが・やいち) 1920~1998
何やら騒がしいので、なにごとかと、声のする方を見てみると柿の木の移植が行われていた。柿の木の成木を運んで、穴を掘って、木を植えて、土を盛り、男たちが共同作業している。
「植えている」だから、作者自らが行ったことを詠んでいるとも読める。しかし、私は大声が聞こえてきた、そこだけにスポットが当たり、一瞬異世界のように作者が感じたと読んだ。
確認するため、緊張を解くための大声だが、なんとも力強く、現実の出来事でありながら、現実ではないもうひとつの場所のような気もしたのだろう。木の移植が終わったら、また何事もなかった静かな日常が戻る。秋には柿の実が稔る。
昔は餅つき、棟上げなど大勢で力を合わせてする行事がたくさんあり、人とのつながりが密であり、活気があった。
〈行末が見えてえんじもむらさきも〉〈戦争や性器の高さにあるテレビ〉〈声を殺して種なしぶどう食べている〉〈雲の形になっていく ばか〉
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2 件のコメント:
集団で柿の木を移植する風景だろうな、と思いましたが、ただこれが一人の人物が柿の苗木を大声出して植えている図というふうに歪んで読みとってみると、なんとも異様な情景が現出するようでもありますね。「大声」も「柿の木」までもが、日常生活とは異なる意味づけがなされるようにも思われます。あるいは、「成木責め」の風習なども連想されたりして……。
一人の人物が・・・・とは思いませんでした。「植えている」は考えました。この句は弥市さんの晩年の作品、弥市さんを思い浮かべて、このように読みました。読みはいろいろできて、またそれがおもしろいですね。
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